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2017年10月26日(木)

エンケンこと、遠藤賢司さんが亡くなった。安らかに・・・なんて言わないぜ。涙。

首都大非常勤、後期第四回目。『ジャズの誕生』をテキストとするリーディング3コマ。今日は、プリント返却時に流す音楽を忘れるなど、いつもにも増してダメダメ講師だった。テキストは、1限が「「<有色人>、すなわち自由黒人(<有色人>”People of Color"はアメリカでは黒人のことだが、ここではわざわざ<自由黒人>と言い換えているので、こういう訳に)もまた、より小規模な店を経営し、品物や果物を売っていた」(ここまで、トーマス・アシェからの引用)「ラテン・カトリック時代のフランス人やスペイン人の貴族は、ルイジアナ買収の後に起こった北部商人の進出に対抗する準備ができていなかったようで、イギリス・プロテスタントの慣習がその存在を感じさせ始めていた」まで。

2限はそのあと、「それでも、ニューオリンズはラテンカトリックが優勢な町のままだったし、現在でもそうであり、そのことがアフリカ音楽の生き残りを助けた。1846年になってもなお、地質学者のチャールズ・ライエルがニューオリンズの町を訪れると彼は、「プロテスタントの増加にもかかわらず(中略)マルディグラは、相変わらず<おしろいとおたのしみ>にあふれているという話を聞いた。アフリカ人がニューオリンズで聞いた音楽は、アメリカのほかの都市にいたら聞いたであろう音楽と比較すると、馴染みなあるものだった。加えて、フランス領西インド諸島からの奴隷が続々と到着し、さらなる混交が進んでいた」まで。

3限はさらに進んで、「彼ら(黒人クレオール)は、より色の黒い兄弟たちに加わることを余儀なくされたが、この本のなかでこれから見るように、最も明白には技術の点で、ジャズの誕生に貢献するものをたくさん持っていた」「一方、ニューオリンズ近辺のプランテーションの奴隷たちは、ヨーロッパ音楽をほとんど、あるいはまったく聞いたことがなかった。彼らだけで取り残されて、これらの農夫たちは、彼らの音楽的遺産を保持することができ、プランテーションはアフリカ音楽の宝庫になった。これら両極端の間で、多くの奴隷や自由黒人が、町のいたるところに暮らしていた。それは反乱を避けるための法的措置であったが、結果として、人種隔離を軽減することになった、人種よりもむしろ経済的なラインで社会的区分を定めようとするこの傾向もまた、のちにその力を失うことになるとはいえ、音楽の混交を促進する手助けになった」

はじめてエンケンを聞いたのは、中学生のときだった。先日亡くなったかまやつひろしさんが著書『我がよき友よ』のなかで、わざわざ「遠藤賢司●うまいカレーを食べさせる店主」という一節を設けて、渋谷にあったエンケンさんのお店『ワルツ』、そこで出しているカレー、愛猫の寝図美ちゃんのことなどを紹介していた。さらに、同じ本の井上陽水の節に、陽水がエンケンを相手に将棋に凝っているという話があって、大柄で、無口な二人が将棋盤をはさんで向かい合う様子が(かまやつさんの想像だが)、ユーモラスに描かれている。すでに、陽水に心酔していたぼくは、遠藤賢司という人は陽水のお友だちらしいぞ、とチェックを入れていた。

折も折、これも先日閉店した横浜の『バナナ・レコード』で、エンケンのライブを集めたカセットテープを手に入れたのだ。これは、強烈だった。特に、生ギターをかき鳴らしながら歌う「夜汽車のブルース」が。当時、仲が良かったコージ(もしくはウマちゃん)と、何度も何度も巻き戻して聞いたものだ。それは、「ギターをかき鳴らす」と言えば、ウッドストックのリッチー・ヘブンスか、中津川の遠藤賢司か、というくらい、強いインパクトをぼくに残したのだった。しばらくして、当時、やや下火になっていたフォーク系のミュージシャンを集めて開催された『旧友再開フォーエヴァーヤング』というライブ(同じ日には、日比谷野音で『へんたいよいこ集会』が開かれていたように記憶する)の演奏がラジオで放送され、エンケンは「カレーライス」で自在なアルペッジオを披露し、またまた幼気な中学生をノックアウトしたのだった。

そして、これもまた今はなき地元のレコード屋『ペペ』で注文して(まだAmazonなんかない時代だ)、エンケンのセカンド・アルバム『満足できるかな』を買ったのだった。『満足できるかな』は、ぼそぼそとつぶやくように歌う歌が多く、はっぴいえんどのメンバーがバックについた「夜汽車のブルース」もなんか印象が違ったけど、結局はくり返し聞くことになった。そして、女の子に首を切られ、その復讐を愛猫・寝図美に託す「満足できるかな」に心をわしづかみにされ、自分でも弾き語りでカバーするようになったのだった。

こうして、熱に浮かされた、狂った中学2年生が一人、誕生したのである。

エンケンについては、プロレスに転向した輪島への長尺応援歌「輪島の瞳」、「東京ワッショイ」、「不滅の男」、なぜか『クイズ・ドレミファドン!』にゲスト出演して歌った「オムライス」など、語りたいことはまだまだあるが、最後なのでこれぐらいにしたいと思います。気がついたら、こんなに影響を受けたのに、ライブに一度も行っていない。なんてことだ。「あなたがこんなに早く、こんなに遠くに行くとは思わなかったから」(遠藤賢司「ミルク・ティー」)。さらば、エンケン。でも、できれば、死んだなんて嘘だと言ってほしい。

2017年7月6日(木)

首都大非常勤、前期第十回目。『ジャズの誕生』をテキストとするリーディング。先週、DVDを持ってきたもののかからなかったジーン・クーパの動画を見ながら、授業開始。テキストの内容は、「アフリカ人が新世界に到着したとき、彼を出迎えた民俗音楽は、リズムの不足を除けば、十分聞きなれたものに聞こえただろう。混淆は今でもさまざまなレベル、さまざまな点で進行している」と、西アフリカ音楽とヨーロッパ音楽の類似性を強調したあと、ヨーロッパ音楽のなかに入り込んだ西アフリカ音楽の要素として、即興のドラムソロを取り上げる。「即興のドラム・ソロが顕著な例である。それはベイビー・ドッズからマックス・ローチまでジャズのあらゆる時代に起こる。それはまた、西アフリカでも起こる。しかしながら、ヨーロッパ音楽には見られない。だから、30年代のボビー・ソクサーズの熱狂的なアイドルであった、ガムを噛みながら、髪を振り乱したジーン・クルーパのこれ見よがしのドラム・ソロは、概念上は本質的にアフリカのものなのだ。彼が叩いている楽器はヨーロッパのものだが、全体的なアイディアはおそらく他でもない、西アフリカで生まれたものなのだ。そして、今やそれは世界中を旅している」

授業の後、大急ぎで自宅に戻り、喪服に着替えて、祖父の通夜へ。喪服がパンパンなので、亡き祖父にダイエットを誓う。

2017年7月3日(月)

祖父が亡くなったという連絡。仕事ですぐに駆けつけられないのが、歯がゆい。

明治学院非常勤、前期第十回目。前回に引き続き、D・W・グリフィス監督の問題作『国民の創生』(1915)を最後まで見た。上映前に、「メディアは基本的に嘘をつくもの」とメディア・リテラシーについて話をした効果あってか、誰が、誰のために、何を描いているのか、考えながら見てくれた学生も多かったようだ。もちろん、そこには「先生がどう見て欲しいのか」を忖度するバイアスがかかってしまうのだけれど。

國學院非常勤、前期第十回目。

2017年5月28日(日)

グレッグ・オールマンが亡くなった。グレッグが亡くなった日、ぼくは結膜炎で苦しんでいたと覚えておこう。やるせない。

結膜炎が良くならないので、眼科に行きました。受付で症状を話すなり、院内感染を防ぐために、外のイスに隔離されました。そんな深刻な事態とは思いもしなかったので、昨日、OGSで何も考えずに抱き合ったりしていましたが、うつしていたらごめんなさい。目に痒みなどあったら、すぐに眼科に行ってください。猛省中。結局、感染源になることを避けるために、授業もしばらく休講にすることに。多方面にご迷惑をおかけします。

2017年4月5日(水)

戦闘地ヒーローの神隠し。

オーティス・レディング「ザ・ドック・オブ・ザ・ベイ」を日本語で歌ってみた。オーティスの名唱に挑んだチャレンジ精神だけは、認めていただきたい。そして、ひらげのことは嫌いでも、オーティスのことは嫌いにならないでくださいっ。

しゃがみこんでさ
朝から晩まで
船がでるのを
ぼんやり見ている

しゃがみこんでさ
波の音が聞こえる
しゃがんで聞いてる
それだけさ

生まれた町から どうにか
ここまでやってきた
何かがおいらを
呼んでる気がして

今じゃ、しゃがみこんでる
途方にくれてさ
しゃがみこんでる
それだけさ

どうだい、何もかも
変わらない もとのまま
あんたにできることが
どうも 俺にはできないのさ

疲れてしまった
孤独だけが友だち
歩きまわって
港で眠るだけ

しゃがみこんでさ
波の音を聞く
しゃがみこんでる
それだけさ


フォーク・シンガーの加川良さんが亡くなった。急性白血病とのこと。無念。加川さんと言えば、「教訓」。男を戦争へと狩り立てるマチョイズムを正面から笑いのめした傑作だ。「命を捨てて 男になれと 言われたときには 震えましょうよネ そうよ 私は女でけっこう 女の腐ったのでかまいませんよ」「青くなって尻込みなさい 逃げなさい 隠れなさい」という言葉は、ぼくの座右の銘と言ってもいい。この歌が収録されたデビュー・アルバム『教訓』(1971)の印象があまりにも強いが、その後も歌と誠実に向き合いながら、新しいサウンドを模索した人だった。1974年の『アウト・オブ・マインド』あたりは、フォークというよりも、ロックに近いし、2002年には加川良&The TE-CHILI名義で爆音ロック・アルバム『R.O.C.K』も出している(帯には「加川良、発狂」という煽り文句が)。1991年の『One』あたりから、民俗楽器なども加えた独自のサウンドを確立。こうした精力的な活動を支えていたのが、圧倒的な歌手としての力であり、一度、生で見てみたいなあと思う歌手の一人だった。その『One』収録の「アイ&アイ」の歌詞を借りて言えば、「加川良が逝っちゃった。女たちが泣いてますぜ」 ― 悲しい(女じゃないけど)。ご冥福をお祈りします。

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というわけで、今日のお絵かき。加川良さん。

荻窪Live Bar Bunga に、ひらげエレキテルとして出演。演目は、「New Song」「行こうよ」「かわいい子猫ちゃん」「まぼろし」「非国民の休日」「最後の日」。今日は不思議とよく声が通ったし、共演者のみなさんも素晴らしい方ばかりだった。スタイリッシュなギター弾き語りに、時々奇妙な歌詞が顔を出すオミユウリクさん(from かめ道楽)、優しい響きのアイリッシュ・ハープを奏でながら歌うKIKIさん、男性ミュージシャンの弾く新楽器ホールトーンをバックにパワフルな女性ヴォーカルを聞かせるHIKARIさん。それなのに、ああ、それなのに・・・お客さんゼロ。とうとう、この日が来てしまいました。結果、ミュージシャン同士の発表会になってしまいましたが、聞いてくれた共演者のみなさん、どうもありがとう。楽しかったけど、このままじゃいけないな。集客、頑張ります。


2017年3月19日(日)

「ロックンロールに別の名前を与えるとしたら、それはチャック・ベリーだ」 ― ジョン・レノン

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今日のお絵かき①。めまい。

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今日の絵かき②。ハーレムの少年少女。主にニューヨーク周辺で撮影された「ストリート・フォトグラフィ」で知られる写真家ヘレン・レヴィット写真の一部を模写。

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今日のお絵かき③。ダックウォーク

チャック・ベリーが亡くなった。昨夜、急にチャック・ベリーの年齢が知りたくなり、調べた結果が90歳だったことに驚いて、ツイッター等に呟いたばかりだった。虫の知らせだったのかもしれない。

白人ティーネイジャーの日常を歌ったチャック・ベリーのヒット曲は、30代の黒人ミュージシャンの実生活とはかけ離れた、絵空事の世界だと言われる。それはそうだろう。彼の言葉は、私小説的ではない。であればこそ、他者を射貫くロックンロール詩人の観察眼が証明されようというものだ。そして、その眼力は、黒人であるがゆえに、映画館にも入れてもらえず、白人の若者の華やかな生活を横目で見ていた少年時代に培われたものであるはずだ。それはときに、「金髪の美人がオレをひっかけ、結婚して、家を持ち、落ち着いて、(黒人と結婚したということで)本を書く」(「トゥ・マッチ・モンキー・ビジネス」)といった皮肉な言葉に結実する。

音楽的なことを言うと、ヒット曲だけ聞いて、ワンパターンと決めつけている人は、初期のアルバムを聞くと驚くだろう。ラテン風味のヘンテコな曲の数々。これがまた味わいがあっていいんだ。ヤードバーズ時代のジェフ・ベックが、「ジェフズ・ブギ」としてカヴァーした「ギター・ブギ」なんかは、ユーモラスで楽しいインスト・ナンバーになっている。映画『ヘイル!ヘイル!ロックンロール』の最後に、スチール・ギターを弾きながら歌う切ない曲もよかったなあ。もちろん、ロックンロールの名曲は、素晴らしい!すばらしい!!スバラシイ!!!(大事なことなので三回言いました)。

天国で、ボ・ディドリーとロックンロール・パーティを開いてくれよ!チャコフスキーに知らせてやれ!ゴッド・ブレス・ロックンロール!

2017年3月18日(土)

追う様は、裸だ!

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今日のお絵かき①。ミシシッピ・フレッド・マクダウェル

ジェイムズ・コットンが亡くなりましたか・・・96年、ブルース・フェスティバルで来日、同じステージに上がるはずだった盟友ジョニー・ギター・ワトソンが横浜で演奏中に亡くなったあと、日比谷野音で見せた血を吐くようなステージは忘れられません。痛々しいほどのしわがれ声だったけど、あれは喉頭がんで声を失う直前のステージだったのだな。というわけで・・・

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今日のお絵かき②。追悼、ジェイムズ・コットン。

コットンがマディ・ウォーターズ・バンドのハーピストになって間もなく、前任のリトル・ウォルターの都会的な洒落たスタイルに対し、ダウンホームな泥臭さが売りのコットンは、自信を失いかけていた。どうしたら、洒落たスタイルを身につけられるのか。ウォルターに相談しても、キメのフレーズを吹いてみせ、「ほら、簡単だろ?」というばかり。煮え切らないステージを続けるコットンの元に、ダウンホーム・スタイルの師匠サニー・ボーイ・ウィリアムソンⅡ登場。その泥臭いスタイル、ハーモニカを口の中に入れるといった過剰なパフォーマンスで観客を沸かせ、コットンに「いいか、二度と自分を疑うな!」と言ったとか。

そんないい話を聞いたばかりだったのになあ。ご冥福をお祈りします。

2017年3月2日(木)

「春なのに~、おっ、ワカメですか~♪」「え?ワカメの旬は春ですよ」

かまやつひろしさんが、亡くなった。訃報を聞いて、中学生のころ、古本屋で手に入れた著作『我がよき友よ』をくり返し読んだのを思い出した。すごく影響を受けたのに、忘れていた。音楽仲間との交友や、ヒット曲「どうにかなるさ」に惹かれて、彼のもとを訪ねてきた見知らぬ青年の話や、いろいろなことが書いてあって、心温まる本だった。お金がないときに古本屋に売ってしまって、今は手元にない。絶版で、Amazonでも取り扱っていないようだ(いや、そんなことなかった。思わず注文してしまったよ、ムッシュ!)。

日系アメリカ人ジャズ・ミュージシャン、ティーブ釜萢の子として生まれ、ロカビリー歌手としてデビュー後、スパイダースに加入、解散後も、ソロ活動、楽曲提供と幅広く活躍し、まさに日本のロック史を体現する存在だった。それでいて、あの軽さ。ロック、フォーク、歌謡曲と垣根などないがごとく飛び回り、テレビ番組で登場するなり「ピース!!」と言い放つ。吉田拓郎の曲で大ヒットを飛ばし、西城秀樹ロッド・スチュワートのスタンド・アクションを研究しにいく。頑なだった若いころには、そんな自由さがいい加減に見えて、正直、良さがわからなかったこともあったけど・・・年を追うごとに、なくてはならない存在と感じるようになっていた。この人のボーダレスな活動が触媒になって、いろいろな化学変化が起きたのだ。

ぼくらの世代にとって、かまやつひろしと言えば、アニメ『ギャートルズ』のエンディング・テーマ「やつらの足音のバラード」だろう。もっとも、アニメを見ていた子供のころ、かまやつ氏の曲と意識していた人は、少なかったかもしれない(作詞は漫画の原作者・ 園山俊二、歌は「ちのはじめ」こと若子内悦郎。↑上掲は、本人によるヴァージョン.。名演)。ぼくは、タイトルすらあとで知ったというのが正直なところだ。だけど、「何にもない何にもない」という冒頭のフレーズは一度聞いたら忘れられないインパクトがあった(このころの大人たちは、子どもに向けてとんでもない爆弾を仕掛けてくるから、油断できない)。そして、歌に描かれた「無」に帰ったというわけか。

名盤『ムッシュ~かまやつひろしの世界』を聞きながら、追悼の思いに身を委ねています。南無。

というわけで、今日のお絵かき。

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かまやつひろし。香取慎吾にも見えるが、かまやつひろしの顔まねをする清水ミチコにも見える。魔法をかけられたメーテルにも見える。

ある方の発案で、「まぼろし」という曲を作ってみました。悲しい感じのバラードです。冒頭はほぼ、「イマジン」です。

すべてはまぼろし
知ってたよ
だけど、まぼろしがこんなに
つらいなんて、知らなかったよ

すべてはまぼろし
はじめから 形もないのに
こんなに痛いなんて、不思議だね

朝から まぼろしが
ぼくの友だち
おはよう、朝だよ
まぼろし、調子はいかがかな?

そいつはまぼろし
知ってるさ
ときどき意地悪で
ときどきやさしい
ぼくの友だち

2017年1月22日(月)

松方弘樹さんが亡くなった。南無。

國學院非常勤、テスト。テストの余白に、このブログで知ったらしく、パーキンソン病のことで、激励のコメントを書き添えてくれた学生がいた。ありがとう。力をもらいました。

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今日のお絵かき①。リトル・ウォルター

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今日のお絵かき②。エイブラハム・リンカーン

2016年9月28日(水)

赤のチューブに青、青のチューブに黄色の絵具が。意味ないじゃん・・・「絵具のナンセンス」

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昨年5月、『黒人の政治参加と第三世紀アメリカの出発』(中央大学出版部、1989)の著者・中島和子先生が急逝された(享年86歳)。遺族の代理人の方から、故人の書庫に眠っていた同書が、黒人研究の会会員の一人としてぼくにも送られてきた。公民権運動が先鋭化していく時代にアメリカ南部に飛び込んでいった体験をもとに書かれたこの名著、もちろん、すでに持っているのだが、ありがたく拝領して、読み直します。ご冥福をお祈りします。

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