無料ブログはココログ

2018年1月14日(日)

1月6日8日と「ひらげ日記」に連載してきた、昨年7月の第28回多民族研究学会全国大会のシンポジウム「ローカル・トゥ・ローカル:ワールド・ミュージックの新たな展開」の報告論文、明日の締め切りを前に何とか書き上げた。以下が、ムビラジャカナカのお二人に聞いた話を参考に書き上げた、第3節と結論。

日本におけるムビラ普及 ― ムビラ・ジャカナカを例に

 レジの日本公演を成功させるために、作者は日本でムビラに関わる活動をしている人たちを探し、協力を仰いだ。とりわけ、関西を中心に活動している「ムビラ友の会」を通じて、ムビラの音色に魅せられ、演奏やワークショップなどを通じて、日本におけるムビラの普及に力を尽くしている多くの人たちがいることを知った。そして、2006年6月、JAGATARAやビブラトーンズで活動していたギターリスト、OTOさんらの提唱で、日本の親指ピアノ奏者を集めたイベント、「ムビラ・サミットVol.1」が、秋葉原Aunty Navel開催される。司会を担当した作者は、この楽器の研究と普及に関わる多くの人たちと知己を得ることができた。そのなかに、当時、「ムビラ・ジャカナカ」として、各地でムビラの演奏とワークショップを行っていた「マサさん」こと櫻井雅之さんと、ハヤシエリカさんがいた。

 櫻井さんとハヤシさんは、バックパッカーとして世界を巡る途中、たまたま訪れたジンバブエで、ムビラに出会ったという共通点がある。2000年、世界一周を目指して旅に出た櫻井さんは、アフリカ縦断中にジンバブエでムビラに出会った。ハヤシさんもまた、2001年に出発したアジア縦断、アフリカ縦断の旅の途中、2002年7月ごろにムビラに出会っている。二人とも、ワールド・ミュージックのブームとは無縁に過ごしてきたし、とくに音楽を求めて旅に出たわけでもなかった。ましてや、ムビラという特定の楽器が、念頭にあったわけではない。ハヤシさんは、「私は、1990年代のワールド・ミュージックの動きなどと無縁の人でした。音楽経験もなく、絵の活動経験もなく、看護師としてまじめに働き、日本の医療事情や生き難さに旅に出て、旅で絵を認められ、アフリカで突然音楽に目覚め、ムビラに出会いました」(7月1日 電子メール)と証言している。旅行前、レコード会社に勤務していたとはいえ、櫻井さんも特にワールド・ミュージックに関心があったわけではない。だからこそ、それまでの音楽業界とは違う発想で、ムビラ音楽を日本に普及することができたのかもしれない。

櫻井さんとハヤシさんが、バックパッカー生活を終え、ムビラを手に帰国した2003年までに、ムビラに魅せられ、自ら演奏をする人たちが、日本の各地に同時多発的に現れていた。ハヤシさんは、日本におけるムビラ普及に貢献した先駆的な人物として、二人の名前を挙げている。一人は、「ムビラ・ジャンクション」として、ワークショップなどを通じて、日本におけるムビラの普及に多大な貢献をされ、残念なことに2006年に亡くなられた「クマさん」こと熊越シンヤさん。旅先で熊越さんと出会ったハヤシさんは、「彼が宿でブックカフェのライブやムビラ奏者の家、儀式に連れていってくれなければ、突然旅人がローカル文化にどっぷり浸ることはできなかったでしょう」(7月1日 電子メール)と語っている。もう一人は、「ゆきねえ」こと中村由紀子さん。2005年6月に、兵庫にすごいムビラ奏者がいると聞いて会いに行ったハヤシさんは、中村さんが合理的にムビラの奏法を理解し、スコアブックまで出していたことに驚いたと言う。

先生が弾くのをみて、真似をして自分も弾くという伝承的な方法でムビラ奏法を得た自分には、リズムの位置、合奏がどう組み合わされるのか、合奏でどのようにポリリズムがなされているのか(基本的な曲が4分の2拍子のクシャウラと8分の6拍子が一緒に弾かれる)、そういうことを可視化されていることに、自分自身のムビラ理解も深まり、日本人に伝えるときにはこういう合理的な方法が必要ではないかと、思いました(7月1日 電子メール)。

口承が基本の伝統的なアフリカ文化では、書かれたテキストを介して学ぶことは異例である。しかし、学んだことを書きとめ、再構成することに慣れた日本人に教えるには、口伝えの伝統だけでは限界がある。この時点で、ジンバブエのローカルなコンテキストを大切にしながらも、コンテキストの違う日本のローカルにどう移植するかという問題が意識されていることは注目に値する。

 2002年7月ごろ、旅先で出会い、意気投合した櫻井さんとハヤシさんは、帰国後、「ムビラ・ジャカナカ」を結成。熊越さん、中村さんなどから多くを学びながら、演奏、ワークショップとムビラ教室を中心とした活動を展開していった。このとき、大規模なプロジェクトではなく、ワークショップやムビラ教室という、草の根的な手法を選んだことは、大事なポイントである。もちろん、「ワールド・ミュージック」ブームの時のような大きなスポンサーは望むべくもなかったということもあっただろう。しかし、ワークショップや教室は、集まった人たちにムビラに直接触れる機会を提供し、楽器に対する理解を広め、結果として、それは「ムビラ・ジャカナカ」の活動を、グローバル経済の力関係から自由にした。また、教室やワークショップでへのジンバブエのローカルな文化に直接触れた人たちのなかから、次世代のムビラ奏者が生まれていった。

こうした「ムビラ・ジャカナカ」の活動は、ムビラを現地ローカルのコンテキストに位置づけて学ぶことに重点を置いていた。伝統的な儀式を通じてムビラに出会い、現地で巨匠リケン・パシパミレの薫陶を受けたハヤシさんが当初から、最もこだわっていたのは、ムビラの「シャーマン的役割」だった。前述したように、ムビラは祖霊を下す儀式で使われる神聖な楽器である。大切なのは、音楽として鑑賞することではなく、「延々と同じフレーズを引き続け、トランスし霊を降ろす」ことにある(7月1日 電子メール)。ハヤシさんのやり方は、いわば、儀式の一部としてのムビラの「音」を、「音楽」という捏造されたジャンルに回収するのではなく、降霊というもとのコンテキストに位置づけることであると言えよう。ハヤシさんがこうした視点を持てたのは、ジンバブエで本物の儀式に触れた経験があったことはもちろん、個々の「音」をコンテキストから引き離し、「音楽」として鑑賞する「ワールド・ミュージック」と無縁だったためと言えるかもしれない。

一方、櫻井さんは、最初のうち、「一般大衆を相手にするときに、宗教色を強調しないという意見だった」とハヤシさんは記憶している(7月2日 電子メール)。もちろん、「現地で儀式への参加、伝統を守る奏者たちとの交流など素晴らしい体験をした」(7月5日 電子メール)櫻井さんもまた、ムビラのシャーマン的な価値に対しては強い思い入れがある。しかし、櫻井さんは、ムビラ音楽としての面白さ、演奏の構造的な美しさもまた、コンテキストを越えて人を惹きつけることを強調する。「(ムビラ)教室で少しずつ基礎から伝統奏法を覚えていき、ムビラの合奏スタイル、合奏により完成される音世界を初体験した生徒さんたちの驚き」を見て、「未知の音楽を伝えることが出来た充実感」を覚えている(7月4日 電子メール)。ここでは、儀式の一部として存在していたはずのムビラの「音」が、「音楽」に回収されてしまったかのように思える。しかし、「音楽」に回収されたからと言って、必ずしも祖霊信仰のコンテキストが無効になるわけではない。ムビラの演奏はシャーマン的な価値と音楽的な面白さを併せ持つことができる。例えば、前述したトーマス・マプーモの「チムレンガ・ミュージック」は、ポピュラー・ミュージックでありながら、祖霊信仰と無縁ではない。「音」が「音楽」に回収されるというよりも、「音」を通じて、祖霊が「音楽」に忍び込んでくると言うべきか。言い換えれば、「音」はコンテキストから引き離されると同時に、コンテキストを象徴的に引き受けている。ここに、ワールド・ミュージックのパラドクシカルな課題を解くヒントが隠されている。

 とはいえ、ムビラの持つ祖霊信仰のコンテキストを失わずに、日本のコンテキストに接続する作業には、困難が伴うことは想像に難くない。二人はムビラの持つシャーマン的な価値を日本に紹介する根拠を、現代の日本人がそうした価値を潜在的に求めていること、ジンバブエと日本の文化に共通性に求めている。ハヤシさんは、ムビラがシャーマン的な価値を持っているからこそ、日本という別のローカルと響きあうことができると考える。「時代の行き詰まりは進み、ムビラ的な原始宗教のもつスピリチュアル的なものは今の方が一般にも求められて、ムビラもそのまま受け入れら安くなっていると感じています」とハヤシさんは語る(電子メール7月2日)。現世利得では割り切れないスピリチュアルな価値が、ジンバブエでも日本でもますます求められつつあるという考えは、櫻井さんも共有している。彼は「資本主義の過度な進展により、人間としての根が失われようとしている危機において、ムビラは自分たちのルーツを思い出させてくれるツールだと位置づけていますし、そこに価値を感じています」と言う。そして、もともと日本にもあった祖霊信仰が、ジンバブエのローカルと日本ローカルとの結び目になる可能性を示唆して、「ムビラ音楽は祖霊信仰を基盤にしていますが、日本文化にも同様の信仰が通底しているから、文化・信仰の側面を説明しても違和感を感じずに受け入れやすい」と述べている(電子メール 7月2日)。

出会いからミクスチャーへ

 櫻井雅之さん、ハヤシエリカさんのお話からは、ローカル・トゥ・ローカルな文化の出会いについて、多くの示唆を受けた。しかし、話を聞けば聞くほどに、出会いの先の展望について、新たな疑問が頭をもたげた。シャーマニズム的な価値を大切にしながら、ムビラを「音楽」として紹介していくことによって、ローカル・トゥ・ローカルな文化の「出会い」が果たせたとして、その「場」において、日本ローカルはジンバブエ(あるいはショナ)ローカルから、文化的価値を受け取るばかりなのだろうか。日本から発信できるものはないのだろうか。そして、ローカルとローカルが混ざり合うなかで、新しい価値が生まれてくる、スリリングな瞬間はないのだろうか。ハヤシさんは安易な混淆に対しては否定的である。「(ムビラで)普通の曲は弾けないの」と聞かれたエピソードを紹介し、「普通の曲を弾く意味がない、霊を降ろせる伝統曲を弾くことに価値がある」と断言している(電子メール 7月2日)。一方、櫻井さんは、「他のローカルのミュージシャンと、ショナのムビラのスタイルを崩さずに、共演することは可能だと思いますか」という作者の質問に対し、「僕はジャムセッションも好きですが、スタイルを崩さずに共演するのは難しいと思っています」と難しさを指摘しながらも、ミクスチャーの可能性は否定していない(電子メール 7月13日)。そして、ミクスチャーが面白い結果を生んだ例として、前述の「スキヤキ・ミーツ・ザ・ワールド」から生まれた、ジンバブエのチウォニーソ・マライレ、トーゴのピーター・ソロ、カメルーンのエリク・アリアーナ、韓国のチャン・ジェヒョ、日本サのカキマンゴーによるユニットである「スキヤキ・オール・スターズ」(詳しくは、リバレ・ニコラさんの報告を参照されたい)の名前を挙げている。

 最後に、こうした文化混淆の観点から、ローカル・トゥ・ローカルの可能性を示すミュージシャンをもう一人、紹介しておきたい。スキヤキ・オール・スターズにも参加していたマルチ親指ピアノ奏者、サカキマンゴーさんである。鹿児島県出身のマンゴーさんは、巨匠フクウェ・ザウォセに代表されるタンザニアの親指ピアノ、リンバから出発して、ムビラをはじめとするアフリカ各地の親指ピアノを学び、それらを駆使し、コンゴ民主共和国の「コノノNo.1」によって俄然注目を浴びた強いサウンド・エフェクト、レゲエのダブ的な要素の強いリズム・セクションなど、さまざまな要素を取り込んで、独自の音楽を生み出しているミュージシャンである。その音楽には、ロック的とも言うべき激しさや、ファンキーなグルーヴもあるが、それが親指ピアノという楽器から自然に生まれたもののようき聞こえるのが、魅力である。そのマンゴーさんが、親指ピアノのリリカルなサウンドにのせて、故郷・鹿児島の言葉で歌ったのがファースト・アルバム『リンバ・トレイン』(2006年)所収の「浜へ」(はめへ)である。スキヤキ・オール・スターズの東京公演(2010年)でも演奏されたこの曲は、親指ピアノのリズムと、鹿児島方言のリズムが、無理なく絡み合っており、本報告のテーマであるローカル・トゥ・ローカルな出会いの、一つの可能性を示すものではないかと思われる。

 一方で、彼は、音楽が生まれてくるローカルな場を、個人という最小の単位にまで細分化する。著書『ムビラ道場 !アフリカの小さな楽器でひまつぶし』(2009年)には、「コンサートを開いて誰かに聞かせるのでも、あるいはそのせいで『練習しなきゃ』と焦るのでもなく、まず自分のために自分で弾いて楽しむ」という「暇つぶし」こそが音楽が生まれてくる最も根源的な場であり、そうした個人の「暇つぶし」には、「演奏というより、鳴らすという気軽な感覚が似合う」(88)と書かれているという認識が示されている。音楽という捏造されたカテゴリーから解放され、ローカル・コミュニティのコンテキストさえ排除したとき、そこに残るのは、「音」を楽しむ個人というローカルの最小単位である。もはや、人にとって「音」とは何か、という根源的な問題に迫る認識である。音楽の最小単位である「個人」に対する認識と、さまざまなコンテキストと交差する音楽が、サカキマンゴーの世界をどこに導いていくのか、目が離せない。

まとめ パラドクシカルな課題とその回答

 「ワールド・ミュージック」が残したパラドクシカルな課題 ― 現地ローカルのコンテキストを守りながら、別のローカルに接続すること ― は、ブームの終焉から四半世紀の時を経て、いくつかの解答を探り当てつつある。「音楽」という捏造されたカテゴリーに回収された「音」を、現地ローカルのコンテキストで理解しつつ、尚も「音楽」として聞くことを諦めないことによって、「音」が生まれる場としてのローカルを、「音楽」を聞くもののローカルに直接、接続する。こうした試みは、グローバルな市場の持つ圧倒的な経済的、社会的力を迂回し、中心と周縁の力関係とは無縁な文化交流を志向する。そのために、ワークショップや小さな演奏会といった草の根的な活動を行い、ローカルなオーディエンスを巻き込んでいく。巻き込まれたオーディエンスは、(レジの演奏に参加した女性糖尿病患者や、「ムビラ・ジャカナカ」のワークショップをきっかけにムビラ奏者を志した人々のように)、すでに単なるオーディエンスではなく、ローカルな文化の担い手である。一方、日本ローカルの側からも、サカキマンゴー「浜へ」のような、日本のローカルをアフリカのローカルに接続する試みが行われている。「ワールド・ミュージック」は、こうしたローカル・トゥ・ローカルな文化交流を生む土壌を作ったが、そこに種を播き、育てた人たちの多くは「ワールド・ミュージック」のブームとは無縁なところにいた人たちである。そうした人たちに敬意を表して、この報告を終わりたい。

2017年5月18日(木)

「ご購入のさいは・・・」「サイ?サイを買ったの?」「ご・こ・お・にゅ・う・の・さ・い・は」「おニューなの?おニューのサイなの?」「ごこ・・・」「さっきから気になってたけど、サイなら五個じゃなくて、五頭でしょう?」「だから、サイじゃないの!」「サイですか、ほなサイなら」

首都大非常勤、前期第五回目。『ジャズの誕生』をテキストとするリーディング3コマ。テキスト中、ジャズのルーツとしての西アフリカ音楽に関連して、ダオメーの儀式の話が出てくるので、ダオメーの古都アボメーで撮影されたドラム・アンサンブルのビデオを見ながら、授業開始。「ダオメーの部族の儀式を取り上げてみよう。音楽家がガラガラや、鐘やその他の打楽器を叩く一方、部族の人たちが踊ったり、歌ったり、手を叩いたり、足を踏み鳴らしたりする。しかしながら、メインとなる楽器は太鼓 ― ふつうは音楽学者に「太鼓の聖歌隊」として知られている3つの太鼓のセット ― である。なぜなら、神が太鼓を通じて話し、踊り手たちは太鼓と面と向かい、部族の人たちがその周りに円を作るからである。/ピークに達すると、その音は無秩序な空気圧縮ドリルの組み合わせのように思えるかもしれない」 「部族」という言葉は差別的なニュアンスがあるので、ぼくは使わない、と改めて断ったうえで、太鼓が神聖な楽器であること、それぞれに神が宿る3つの太鼓の組み合わせが一般的であることなどについて話した。そう言えば、先日チキリカにゲスト参加していただいたケペル木村さんも同じことを言っていた。ボンゴやコンガのようなラテン系のパーカッションももともとは、独立した3つの太鼓だったらしい。テキストはこのあと、ポリリズムの話になるので、簡単に8分の12拍子のポリリズムについて説明。いったい、何の授業だ。

2017年3月30日(木)

大本営発表は、発送をもって代えさせていただきます。

17553636_1600417656642973_7551437_2

チャールズ・ムンゴシと言えば、ジンバブエを代表する作家のひとりで、短編小説の名手。短い文章のなかに、一筋縄ではいかない感情の機微を浮かびあがらせる素晴らしい作品のいくつかは、『乾季のおとずれ』として日本語に翻訳されている。大学院生になりたてのころ、この翻訳に関わらせていただいた。もっとも、ぼくの拙い日本語は、師匠の福島富士男先生にことごとく直されてしまったけれども。

そのムンゴシが窮地に立たされている。数年前、おそらく脳溢血で倒れ、脳脊髄液が頭のなかに過剰にたまる水頭症になったようだ。たまった髄液を排出するシャント(側路)を設置する手術を受けたのだが、それが失敗したらしい。偶然だが、ぼくの身内にも、一週間ほど前、同じ手術を受けたばかりの人がいる。だから、シャント手術の失敗が何を意味するか、よくわかる。たまった髄液に脳が圧迫され、放っておけば、命の危険もある。

病状は緊急を要するのだが、再手術には9000ドルが必要とのこと。妻のJesesi Mungoshiさんは、送金システムEcocash経由での、寄付を呼びかけている(Ecocash 0774054341)。

詳しくは、こちら

というわけで・・・今日のお絵かき。チャールズ・ムンゴシ。

17553883_1601019613249444_314839717

2017年3月27日(月)

17554005_1596227943728611_228732423

今日のお絵かき。セネガルの姉妹。元にしたのは、ロンドンのアディーレ・アフリカ織物ギャラリー所蔵のインディゴ染めの服を着た女性たちの写真。1910年頃、セネガルのティエスで撮影されたもの。姉妹というのは、ぼくの妄想。

2017年3月21日(火)

17361715_1588132194538186_267819007

今日のお絵かき①。キューバのカワイ子ちゃん。アフリカの昔の写真を公開しているページThe African Vintage Projectにアップされた写真をもとに描いたので、アフリカのコかと思ったら、キューバで1940年代後半に撮られた写真でした(詳細)。

17362068_1588546911163381_347452119

今日のお絵かき②。アフリカン・ビューティ。元にしたのは、アメリカの写真家マーゴ・デイヴィスの撮影したフラニ人女性ラディの写真(このページのサムネイル、左端のうえから3番目)。だいぶ違うけど、美人にはなったので、よしとしよう。

Havana_moon

ローリング・ストーンズ
の2016年キューバでのフリーコンサートを収録したBD『ハバナ・ムーン』を見た。2014年の来日公演を彷彿とさせるパワフルなステージ。全員70代になろうかというメンバーの、溌溂とした姿に、ファンとして心震えずにはいられない。一方で、「社会主義国キューバで初めての」という点を除けば、最新の機材、巨大なステージセットをそのまま持ちこんだ、大掛かりなショーに、キューバならではというところは見当たらない。どこでも同じクオリティのパフォーマンスを見せるという意味では、プロの仕事というべきだろうが、いつでも判で押したように同じショーを、どこでも同じロック・ファンという人種が歓迎するというグローバリズムは、文化としていささか面白くない。ビジネスを地球規模に拡大する一方で、それをローカルに還流することを忘れずにきたストーンズなので、今後に期待したいが、これだけを見ると、ストーンズという世界規模のロック・バンドによる、圧倒的なショーという以外はない。それはそれでいいのだけれど、ぼくがストーンズに期待するところは、そんなものじゃすまないのだ。ストーンズ、あるいはロックが、「自由世界」の(「自由」の、ではなく)象徴とされてしまうようなことがなければいいのだが。チェ・ゲバラが見たら、何ていうかな。

ちなみに、タイトルの元になったのは、先日亡くなったチャック・ベリーの曲。「ラテン風味のヘンテコな曲」(一昨日の日記参照)のひとつだ。この歌詞が、革命前のリゾート地ハバナの夜を楽しむ・・・といった単純なものではない。

ハバナ・ムーン ハバナ・ムーン
オレはひとりで ラム酒片手に
つっ立って 船が来るのを待っている
夜は長く 港は静か
船は遅れていて 12時もすぎ
波がゆっくり、寄せては返すのを見ていた
月は低いが 風は高い

ハバナ・ムーン ハバナ・ムーン
オレはひとりで ラム酒を空ける
船はなかなか来ない
アメリカの女の子がやってきて
オレたちは海を渡る
ニューヨークに着いたら、ビルは高く
帰る場所は空の上

ハバナ・ムーン ハバナ・ムーン
オレはまだひとり ラム酒をすすっている
船はどこに着くんだろう
愛する人を おお、あのかわいい女を連れて
彼女はロックンロール 歌って踊る
オレを抱きしめ 唇に触れ
目を閉じると オレのハートに火をつける

ハバナ・ムーン ハバナ・ムーン
オレはまだひとり ラム酒を飲んでいる
船は来ないんじゃないかと思い始める
アメリカの女の子は嘘をついたな
そのときまたっていうのは、さよならって意味だったんだ

ハバナ・ムーン ハバナ・ムーン
ラム酒が美味かったんで、オレは一人でのびちまった
ぐっすり寝ているところに 船がやってきた
女の子は夜が明けるまで 見ていて
「お家に帰るのよ」と泣きじゃくる
汽笛が鳴って オレは目を覚まし
太陽は輝き、空は青く
オレは靴を掴んで 飛び上がって 駆け出した
オレが見たのは、水平線に向かう船の姿
ハバナ・ムーン ラム酒もなくなり
船は進み 愛する人は行ってしまった
ハバナ・ムーン ハバナ・ムーン

この歌、リゾート地で飲んだくれたアメリカ人が船に乗り遅れた話にも取れるけど、アメリカ人の女の子といい仲になって、渡米しようとした男が、興奮のあまり飲んだくれてチャンスを逃す歌とも解釈できるのではないだろうか。全編、ブロークンな英語で歌われているのも、あやしい。

2017年3月9日(木)

テナー・サックスを見ると、食虫植物を思い出す。

17202831_1573294179355321_726623755

今日のお絵かき。ポリス・バンド&エリトリア・ポリス・バンド。エチオピアのジャズやポップスを扱ったフランシス・ファルセトの名著『アビシニー・スウィング』の表紙を飾る写真をもとに描いた。活動期間は、1962 ~63年と短かかったので、写真もそのころのモノか。管楽器、弦楽器混成のうえ、アコーディオンまでいる。そして、ヴォーカリストをはじめ、みんなカッコよく決めている。というか、カメラ意識しずぎ!ってところが、ステキ。

ひらげエレキテルとして、江古田の老舗ライブハウス、マーキーに出演。6曲歌ってきました。演目は、「ワルツ」「行こうよ」「かわいい子猫ちゃん」「二人でお茶を」「非国民の休日」「最後の日」。聞いてくださった皆さん、ありがとうございました。この日同じステージに上がったのは、ギターをかき鳴らす硬派なイメージと2次元萌のギャップが楽しいホノボランさん、ひねったオリジナル曲を揺蕩うように歌うスキッピオさん、オリジナルとカヴァーを交え、路上ライブで鍛えた喉を披露するあなん和也さんという個性的な面々。ひらげは存在感を示せたでしょうか。お店のスタッフの皆さん、お疲れさまでした。伝説のライブハウスに出演できて光栄です!

2017年3月8日(水)

ジョージと収税人の会話。「ったく」「すまん」

17202782_1571553926196013_451306921

今日のお絵かき。3人の奴隷たち。元にした写真は、フルトン・アーカイヴ(オーナーのエドワード・G・フルトンの発案で、イギリスの写真報道誌『ピクチャー・ポスト』に掲載された写真を集めたもの。1996年、ゲッティ―イメージズが買収)収蔵。キャプションには、「1910年頃、アビシニアの3人の奴隷たち」とある(てっきり、アフリカ系アメリカ人の奴隷と思ったら、違っていた)。アビシニア、すなわち現在のエチオピアでは、1926年の国際連盟による奴隷制廃止条約のあとも、奴隷制が法的に禁止されていなかった。そのことが、1935年、イタリアが同国に侵攻する口実のひとつとなる。実際には、エチオピアの近代化を進めるハイレ・セラシエは、エチオピアの国連加盟を認めさせるため、奴隷制の廃止を受け入れていた。結局、エチオピアの奴隷制が完全に廃止されたのは、ムッソリーニの侵攻による混乱のあと、1940年代のことだった。それにしても、3人とも若い。とくに両脇の2人は、どう見ても子供だ。話しかけたら、どんな答えが返ってくるだろう。当時のエチオピアで、奴隷はどんな存在だったのだろうか。国連が査察に入ったエチオピアの奴隷市場の写真もなかなか強烈だ。

2017年2月25日(土)

肉まん食べてたと思ったら、ふて寝しちゃったけど、どうしたの?「半分は具ない」(Have A Good Night)

16998081_1558140534204019_698434724

今日のお絵かき①。トゥキ・ブキ。『トゥキ・ブキ』は、セネガルの映画監督ジブリル・ジオップ・マンベティが、1973年に発表したロード・ムービー。昨日の「投げ縄」グループの絵を見たイシカワさんが、アシッド・ジャズ系のバンド、レッド・スナッパージャケットに、映画のワンシーンを使ったものがあって、同じような発想が見られると教えてくれたのだが、それが『トゥキ・ブキ』を使ったものだった。ちなみに、アルバムのタイトル『ハイエナ』は、マンベティの別の作品のタイトルである。どこから出てきたのか、ぼくにはよくわからないが、牛の頭がカッコいいから使おうという発想は、けっこうありがちなのではないかと思う。タイのロックバンド、カラバオとか。インテリア用に頭蓋骨を売っていたりもするし。

その『トゥキ・ブキ』他、マンベティの監督作品のいくつかは、YouTubeで見ることができる。とくに、『トゥキ・ブキ』と、1992年の『ハイエナ』は、英語字幕版がアップされている。英語かよ、と嘆くことなかれ、元はフランス語やウォロフ語なのだから、中高6年間、学校で英語を学んだはずの我々に、ぐっと歩み寄ってくれているのだ。ぼくもこれを機会に見直してみようと思う。ちなみに、同じセネガルのセンベーヌ・ウスマン督作品『チェド』のフランス語/英語字幕版も発見した。つくづく、すごい時代になったものだ。

16996432_1558321717519234_793131373

小出斉『意味も知らずにブルースを歌うな!ご丁寧に歌詞とコード譜とイラストに加え、ちょっと怪しい英語フレーズ付き』(リットーミュージック、2016)を読み終わった。挑発的なタイトルに、一言モノ申す!というような内容かと思いきや、のっけから、「歌詞も知っておいたほうが、楽しいよ」という低姿勢なスタンスに。おやおや?歌詞を入り口にしたブルース入門といった印象。効能はサブタイトルに列挙されているが(18世紀英小説か!という説明過多ぶりがおかしい)、演者やカヴァー・ヴァージョンなどの紹介も懇切丁寧で、饒舌なブルース愛好者の話を聞いている心地よさ。知らなかったことも多く、勉強になりました。

さて、この本の帯にコメントを寄せ、巻末で小出さんと対談をしている吾妻光良さん率いるザ・スウィンギング・バッパーズのライブを見に、渋谷マウント・レニアーホールに行ってきました。スウィンギン・バッパーズは、今年で6年間、このホールでライブを行っており、ぼくは去年に続き2回目。チケットを譲ってくれたすがやさん、ありがとう。去年のキング・クリムゾンのようなビックリネタはなかったものの、くだらなくて(ほめ言葉です)、身につまされる日本語歌詞のジャンプ・ブルースは、吾妻さんの語りやメンバーとのやりとりも相まって、楽しかった。エンターテイナーの鏡です。今、日本でバンドをやっていたりする若い人たちに、見てほしいステージNo.1。でも、そんなことになると、オッサンの座る席がなくなるので、黙っておこう・・・というわけで、今日のお絵かき②。吾妻光良さん。

16865163_1559275904090482_196861476

2017年2月3日(金)

注文の多い料理10。

ひらげエレキテル風の子」、ピッチ補正などのあらゆるズルい手段を使って、完成しました。ぜひ聞いてください。

子供は風の子 ナイフの子
冷たい空気を 切り刻む
また、会えるね

子供は風の子 ラジオの子
見えない翼で 空を飛ぶ
また、会えるね

はだしの子どもが かけていく
はだしの子どもが かけていく
はだしの子どもが かけていく
はだしの子どもが かけていく

子供は風の子 カメラの子
動かぬ扉に 火を放つ
また、会えるね

16472969_1532085286809544_743477308

今日のお絵かき①。パム・グリア

遊んでばっかりいるようですが、レポートの採点もしてますよ?(←何、この逆切れ)今日はなかなか捗りました。とくに、LGBT(レズビアン、ゲイ、バイセクシャル、トランスジェンダー)の問題を扱ったものが興味深かった。アフリカにおけるホモフォビア(同性愛嫌悪)はやはり強く、同性間の結婚どころか、同性で愛し合うこと自体が罪となる国も多い。そんななか、南アフリカでは有名な活動家であるノクロソ・ノグザワさんがレズビアンであることを理由に殺害されるという事件が起きている。

ぼくのよく行っていたジンバブエも、ムガベ大統領がホモフォビア的な発言をくり返しており、首相時代に名目上の大統領だったカナーン・バナナを同性愛者と批判して引きずり下した経緯がある。さぞかし、同性愛者は暮らしにくいだろうと思うが、ぼくの友人のレジナルドなどは、「ビアホールにもいるよ。変わっているけど、別に悪い人たちじゃない」とあっけらかんとしていて、若い人たちの間では意識が変化してきているのかもしれない。

それから、「ブブゼラの世界大会で日本人が優勝」を真に受けている人がいたけど・・・それ、虚構新聞だから!嘘を楽しむ新聞だから!

16298720_1532991380052268_877958927

今日のお絵かき②。ダンブゾ・マレチェラ。夭折したジンバブエの作家。

2017年2月2日(木)

やわらか素材で出来ている。「コール天毛糸ブリッジ」

首都大テスト。これで今年度の授業もほぼ終わり、ほっとしたような、さみしいような・・・いや、感傷に浸ってる場合ではない!長くしんどい採点作業はまだ終わっていないのだ・・・身体に気をつけて頑張ります。

レポートの採点は、あまり捗らなかったが、またしても知らないことを教えられた。格闘技というのは、アチェベの小説『崩れゆく絆』で、主人公オコンクウォがレスラーであることひとつとっても、アフリカ研究の重要なテーマには違いないのだが、ぼく自身は調べるところまではいかなかった(痛いの嫌いだし)。

南アフリカ~スワジランドに暮らすングニ人(コサ人やズールー人など、ングニ系言語を話す人々の総称)のングニ棒術(バシッ。痛そう)。

マサイ人の棒を使った伝統武術ナクバブカ(誇り高きマサイらしく、実に優雅)。

ナイジェリアのハウサ人による打撃系格闘技ダンベ(ここまでくると、ただの殴り合い?)。

・・・といった、豊かなマーシャル・アーツの世界があることを知った。他にも、セネガル相撲などが、広く知られている。これらが奴隷とともに新大陸に渡って、ブラジルのカポエイラなどを生むのだとすると、これはこれでスリリングな歴史である。

そんな合間にも、お絵かきは止まらない。

16386877_1531213010230105_183454559

今日のお絵かき①。アフリカ・バンバータと、ジェイムズ・ブラウン

16426252_1531374196880653_678476266

今日のお絵かき②。ジンバブエの友人、レジとアンジー。

16508340_1531701440181262_525725264

今日のお絵かき③。マービン・ゲイ戦場カメラマンビン・ラディンフィデル・カストロの間をウロウロした挙句、そのどれでもないところにたどり着きましたので、これをマービン・ゲイとします。明日こそは、採点に集中します。

より以前の記事一覧

最近のトラックバック

2018年7月
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31