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2018年2月7日(木)

ですます調のデスマスク(イミフ)。



明治学院「アメリカ研究」のレポート100本余り、チェックし終わった。テーマは「20世紀以降のアフリカ系アメリカ人について」。授業でやった内容を手堅くまとめたものが大半を占めるなか(それも悪くはないのだが)、自分でテーマを探り当て、しかもそれが講師の知らない事実を含んでいるとなると、当然点数も高くなる(といっても、100点満点中、2~4点にすぎないが)。今回は何といっても、アフリカ系アメリカ人の振付師,、アルヴィン・エイリーについて教えられた。クラシック・バレエの延長線上に、より自由なテーマで展開するモダン・バレエで活躍するダンサー/振付師としては、授業でもキャサリン・ダーナムを紹介したが、エイリーについては全く知らなかった。1960年にニューヨークのカウフマン・コンサート・ホールで初演された『リヴェレーションズ』は、テキサスの田舎で育った幼少期の記憶をもとにつくられ、音楽には霊歌やブルースが採用されている。黒人とバレエと言えば、2015年にミスティ・コープランドが黒人で初めて、アメリカン・バレエ・シアターのプリンシパル(主席ダンサー)になったことが話題となったが、逆に黒人であることが話題になるほど、人種の壁はまだ厚いということか。



黒人ミュージシャン、ダリル・デイヴィスが、クー・クラックス・クランの人種差別主義者と対話し、その人種差別的な考えを変え、友情を築くまでを描いた映画『ダリル・デイヴィス KKKと友情を築いた黒人ミュージシャン』(Accidental Courtesy: Daryl Davis, Race & America、マット・オーンスタイン監督、2016)についても、今回学生のレポートで初めて知った。要旨を聞いただけで、惹かれる内容だ。とりあえず、Netflixで見れるようなので、要チェック。ちなみに、デイヴィスは、ブギブギ・スタイルを得意とするピアニストで、チャック・ベリーB・B・キングとの演奏経験もある。役者の経験もあり、ゾラ・ニール・ハーストン原作の『ポーク・カウンティ』にも出演しているらしい。映画では他に、人種間結婚を描いた『ラビング 愛という名の二人』(Loving、ジェフ・ニコルズ監督、2017)についても教えてもらった。



公民権運動におけるベイヤード・ラスティンの功績に言及した学生が複数。ほかの授業で取り上げたのかもしれないが、ゲイであったことも含め、注目すべき人物である。とかく裏方という位置づけのラスティンだが、非暴力不服従という方針においては、彼の哲学がキング師を先導していた部分もあり、公民権運動を考えるうえで、見逃せないテーマであると気づかされた。

2018年1月31日(水)

横浜国大非常勤「英米文学」、第十五回目(最終回)。最終回にようやく、1970年代後半に注目を浴びた黒人女性作家たち ― アリス・ウォーカーと、トニ・モリソンにたどり着いた。もっと早く取り上げて欲しかったという学生もいたが、時系列でアフリカ系アメリカ人の歴史を追いながら、文学を紹介していくと、こういうことになっしまう。今回の内容は、明治学院「アメリカ研究」の最終回とほぼ同じなので、そちらを参照されたい。ウォーカーについては、女性器切除反対の運動に触れたところ、反響が大きかった。授業の後半では、アミリ・バラカの「変わっていく同じもの」、ヘンリー・ルイス・ゲイツ・ジュニアの「シグニファイイン」といいった概念を紹介しながら、先行するテキストをパロディ的に援用しながら、新しいテキストを生み出してく、アフリカ系アメリカ人の文化の受け継ぎ方について話し、グランドマスター・フラッシュの「ザ・メッセージ」を聞きながら、その機械的なビートは先行する肉体的なビートをパロディ的に受け継いでおり、これをリズムのシグニフィイインと呼んでも良いのではないかという自説を展開した(これで、ヒップホップに言及するという「宿題」も果たせた)。

歴史や社会的な問題ばかりで、「英米文学」らしからぬと言われたこの授業。もちろん、黒人作家の作品を理解するには、その背景を知らなければならないという考えがあってのことだが、来年度はそのあたりも少し考える余地があるかもしれない。歴史的な事実の解説と、それをテーマとした作品をひとセットにして紹介するとか。ともかく、お付き合いいただいた学生諸君、ありがとう。

2018年1月25日(木)

「女風呂は小学生以下の男性のお子様と、お身体の不自由な男性のお客様にもご利用いただいております」「えっ」というところで目が覚めた。パーキンソン病患者は「お身体が不自由」にはいるかどうか。

首都大非常勤、後期第十三回目(最終回)。『ジャズの誕生』をテキストに、ほぼ毎回、最初に音楽をかけてきたこの授業だが、最終回は急にぶっとんで、ドン・チェリーの『永遠のリズム』をかけた。いわいるフリー・ジャズに入るのだろうが、この人やオーネット・コールマンの演奏には、アルバート・アイラ―のような極北に立つ悲痛さのようなものはない。むしろ、子供がおもちゃ箱をひっくり返したような感じで、楽しい。学生は、「なんかわけのわかんないもの聞いちゃったな」という感じかもしれないが。テキストは、1限が「特殊な組織というのは、秘密結社のことである。ニューオリンズの黒人の生活には、秘密結社が隅々まで入り込んでいる。<秘密結社や友愛団体を中心としたものほど、人種に特徴的で、急速に発展した黒人の生活の局面はない>と、H.W.オーダムは書いている」まで。2限が第5章「バディ・ボールデンとジャズの発展」に入り、「かつて<カーヴィング・コンテスト>として知られてた音楽のバトルは、ジャズの歴史の中で頻繁に起きてきたし、今でも起きているニューオリンズ時代の初期、それ(音楽バトル)はアームストロングキッド・レナ(これはまさに伝説である)、レッド・アレンガイ・ケリージョー・オリヴァー(のちのキング)対フレディ・ケパードであった」 <もしラッパで相手を吹き負かせられなかったとしても>、トランペッターのマット・キャリーは『ヒア・ミー・トーキン・トゥ・ヤ』のなかで述べている。<ラッパを使って、そいつの横っ面をぶっ叩くことはできるさ>。30年代のカンザス・シティでは、それ(音楽バトル)はサキソフォーン奏者のコールマン・ホーキンスレスター・ヤングであり、ニューヨークではトロンボーン奏者のビッグ・グリーンジミー・ハリソンだった(1953年のバンド・ボックスでは、カウント・ベイシーデューク・エリントンのバンド全体であった)。ジャズのような自由な音楽では、ミュージシャンは持続性があってスウィングする即興演奏の能力によって評価される」、3限はその先、ボールデンのバイオグラフィの続き。「彼は人々の称賛によって「キング」の初号を獲得した最初のジャズマンであり、7年間の間、間違いなくチャンピオンだった。それから、29歳のときに、パレードの最中に発狂し、1907年6月5日、アンゴラの州立病院に収容され、24年後に亡くなった」(ここから、カルテの引用)「死の6年前、ボールデンはS・B・ヘイズ医師の回診を受けている」「接しやすく、返事もはっきりしている。偏執的妄想、誇大妄想あり。幻聴幻覚あり。独り言を言う。過剰な反応。壁に貼ってあるものをむしりとる。自分の服を破る。洞察力、判断力に欠けている。病状は悪化しているように見えるが、記憶はしっかりしている。とりとめのない一連の話。ここに来る前に彼を悩ませた人々の声を聞く。アルコールが原因で、一か月拘置所に入れられた経験あり。診断:早発性痴呆症、偏執狂型」「公式の記録には、バディのっコルネットを運ぶ特権をめぐって女性たちが争ったことを臭わすものは何もない」

江古田マーキーに、ひらげエレキテルとして出演して、6曲歌ってきました。演目は、「New Song」「行こうよ」「かわいい子猫ちゃん」「煙草屋のお嬢さん」「焼酎」「最後の日」。聞いてくだったみなさん、ありがとうございました。暖かいお客さんに支えられて、トークも空回りせず(笑)、楽しく歌うことができました。

2018年1月24日(水)

電車のなかで出産した女性に対して、「自己管理能力なさすぎ」といった批判がぶつけられているという話。ぼくも他人ごとではない。パーキンソン病が悪化して、電車のなかで動けなくなったり、ジスキネジアで身体が勝手に動いてしまったとき、やはり、「そんな身体で電車に乗って来るなよ」「自分の身体のことぐらい、自分で管理しろ」と冷たい目で言われるのかもしれない。実際、身体がうまく動かなくてまごついていると、それに似たような経験をすることもある。そういう人には、あなたは自分の憎悪を管理できているのか?と問いたい。人間、自分の心身だからと言って、そうそうコントロールできるものではないのだということを分かって欲しい。

横浜国大非常勤「英米文学」、第十四回目。前回紹介したマーティン・ルーサー・キングと比較しながら、マルコムXの思想を見た。あいかわらず、文学らしからぬ授業だが、キング師とマルコムのスピーチを文学として読むというテーマを掲げた。キング師のスピーチのベースとなっているのは、言うまでもなく黒人教会の説教だ。会衆とのコール&レスポンスを交えて、聖書のイメージを駆使するその言葉は、絶望のなかで暮らす人々に約束の地を指し示す希望の光というべきかもしれない。一方、マルコムXのスピーチにそうした歓喜の響きはない。皮肉な笑いを交えながら、聴衆が心のなかではわかっていながら、目を背けようとしている現実をつきつける。いわば、異化作用のあるスタンダップ・コメディに近いスタイルだ。

スピーチのスタイルはもちろん、キング師とマルコムは、さまざまな点で鋭い対照を見せる。図式的なことは否めないが、両者の違いをまとめてみた。

Mlkmalcolm

マルコムが訴え続けたのは、自分自身が何者であるかを知り、そのことを引き受けて生きていくということだった。アフリカ系アメリカ人の場合、それは自分たちが奴隷の子孫であるということだ。アメリカ社会で黒人として生まれれば、自分たちの祖先がアフリカから拉致されてきた奴隷であるということは知っている。しかし、そのことを常に意識し続けるのは、あまりにもつらいことで、多くの人がそこから目をそらして生きている。しかし、マルコムはそこから出発するしかないと主張した。奴隷の子孫であることが、現在の苦境の出発点であり、そのことから白人アメリカの罪も見えてくる。アメリカの夢は、黒人にとってアメリカの悪夢っであるという言葉も、白人と袂を分かつ分離主義もすべては、そこに端を発する。

キング師の非暴力に対し、暴力も辞さない過激派というのがマルコムの一般的なイメージかもしれない。しかし、マルコムは、「いかなる暴力を支持したことはない」と断言している。仮にマルコムに暴力と関係する面があるとしても、それは黒人の自己防衛とセットで語られるべきものだ。その点では、キング師の非暴力が不服従とセットなのと似ている。マルコムは、武装して身を守る権利が認められた国アメリカにおいて、黒人だけが自衛を認められないことの不公平を訴えただけだ。黒人も、KKKのような団体からの暴力に対し、自衛すべきである。そのためには銃を持つことも辞さない、と。この点は、ネイション・オブ・イスラムとの決別、メッカ巡礼のあとも変わっていない。

メッカ巡礼で白人も有色人種も兄弟として手を取り合っている姿を見て、「白人はすべて悪魔だ」といったイライジャ・ムハンマドの思想から離れ、大きく変化したと言われるマルコムだが、以前から人種を越える思想の萌芽は見られた。バンドン会議を取りあげ、黒人が国際的には少数派ではないことを訴えた1963年のスピーチで、マルコムが「黒人」という言葉で意味しているのは、アフリカ系の人々だけではない。アジア、アフリカ、中南米の広範囲にわたる、すべての抑圧された人々である。この時点ではまだ、肌の色にこだわっているが、ここから境界線は抑圧する側とされる側に引かれるべきであり、白人=ボスであるというのはアメリカ特有の現象であるということに気づくのは、あと一歩という気がする。

いずれにしても、人種を越えた視点という意味では、晩年のマルコムはキング師の思想に近づいたと言えるのだが、キング師もまた晩年にマルコムの思想に近づいたことはあまり指摘されない。とりわけ、ベトナム戦争反対表明に踏み切ったキング師は、あらゆる抑圧されたものの共闘という国際的な視点という意味で、マルコムに接近していたのだと言えるかもしれない。

残りの事案で、「アフリカ文学つまみ食い」の第三弾として、チヌア・アチェベの『崩れ行く絆』を紹介した。マッチョな成功者だが、人付き合いの下手なオコンクオと、金にだらしない、しかし、人付き合いの良い失敗者の父ウノカという対照的な親子の葛藤の物語。

ベトナム戦争と黒人というテーマが出てきたので、最後に、アメリカの国歌「星条旗」が北爆の爆撃音と逃げ惑う人々の悲痛な叫びに変わっていく、ウッドストックにおけるジミ・ヘンドリックスの演奏を聞いて、終わり。考えてみれば、アメリカの夢が、抑圧されたものにとっては、アメリカの悪夢であることをこれほど鮮やかに表現したものもないだろう。

2018年1月18日(木)

アゲハ蝶と禿げアチョー。

首都大非常勤、後期第十二回目。『ジャズの誕生』をテキストとするリーディング3コマ。キング・オリヴァーの演奏を聞きながら、授業開始。1限は、「1871年(原書の誤りで、正しくは1881年)、13もの黒人組織が、ガーフィールド大統領の葬儀で、自分たちの楽団によって代表された」「ニューオリンズにおける黒人楽団の卓越と頻出(ニューオリンズから優れた黒人楽団が次々と現れたこと)はどう説明できるだろう。フランスとの密接な関係とブラスバンドの一般的な人気に加えて、ニューオリンズには楽団に雇用を与える特殊な組織と、広範囲の機会に楽団の存在を受け入れる他にはない伝統があった」まで。2限がその続き、「特殊な組織というのは、秘密結社のことである。ニューオリンズノ黒人の生活には、秘密結社が隅々まで入り込んでいる。<秘密結社や友愛団体を中心としたものほど、人種に特徴的で、急速に発展した黒人の生活の局面はない>と、H.W.オーダムは書いている。秘密結社は<埋葬費、疾病手当や亡くなったメンバーの受取人への使用額のお金を払う>。秘密結社はまた、<仕事の単調さからの気晴らし、野心や陰謀の場、パレードの機会、不幸に備えた保険を提供する>とW.E.B.デュボイスは付け加える」まで。3限はずっと先の第5章。「ジャズにおける最初の典型的な伝説は、チャールズ・「バディ」・ボールデンの生涯である。彼はカーヴィング・コンテストで負け知らずだった。コンゴ広場のダンスが終わる前に、8歳になろうとしていた。また、おそらくヴードゥー教のすべてを知っていたし、彼の入っている秘密会議に出席していた。彼はブラスバンドの熱狂のなかで育ち、西洋の楽器であるコルネットを習得した。子供のころ、教会の叫ぶ会衆の一人だった。彼はニューオリンズとその周辺に残っているあらゆる音楽的影響を受け継いでいた。そして、彼のコルネットから飛びだした音が、新しい音楽の確立を助けた」。これまでテキストの課で取り上げられてきた、ジャズ誕生につながる要素(コンゴ広場、ヴードゥー、秘密結社、ブラスバンド、西洋の楽器の導入、黒人教会)が、ボールデンのなかに流れ込み、コルネットからジャズという新しい音楽になって飛びだす、というスリリングな瞬間。ぼくがこのテキストのなかで、一番好きなパッセージのひとつだ。そして、テキストはボールデンのバイオグラフィに。「ボールデンは1868年(教科書の間違いで、本当は1877年)、ニュー・オリンズの荒っぽい住宅地域で生まれた。理髪店を経営し、「ザ・クリケット」と呼ばれるスキャンダル誌を編集し、1897年ごろには、最初の正真正銘のジャズ・バンドを結成した」

2018年1月17日(水)

横浜国大非常勤「英米文学」、第十三回目。前々回、前回と、ようやく文学らしい話になったこの授業だが、再び社会的・歴史的背景の話に。今回は、50年代半ばから70年代初頭にかけての、公民権運動について。50年代に入って、黒人の権利を求める運動は各分野で成果をあげつつあった。とりわけ、公教育における人種隔離を否定したブラウン判決によって、プレッシー対ファーガソン判決の「分離すれども平等」の原則が覆されたことの意味は大きかったあ。しし、そのことに対する差別主義者の反発も大きく、それを利用しようとする政治家の思惑なども絡み、ルーシー事件リトル・ロック高校事件などの形で噴出した。チャールズ・ミンガスは「フォーバス知事の寓話」で、入学式の直前に白人住民を扇動する発言をしたフォーバス州知事や対応が遅れたアイゼンハワー大統領を罵倒した。

この当時までの、運動は言論と裁判闘争が中心で、ブラウン判決はその最大の成果というべきものだ。しかし、裁判闘争は諸刃の剣である。裁判所が人種差別にノーの判決を下す可能性は五分五分で、裁判が人種差別を支持する判決が出れば、判例となって残り、長きにわたって運動を停滞させることになる。黒人エリートによる言論活動は、圧力をかけるにはあまりにも弱い。裁判闘争は重要だが、それを支える力が必要だった。モントゴメリーのバスボイコット事件(1955)は、裁判闘争を支える圧力として、大衆動員による直接行動が行われたという意味で、エポック・メイキングな出来事だった。そして、この運動を通じて、公民権運動の指導者として頭角を現したのが、マーティン・ルーサー・キング・ジュニアだった。

公民権運動と言えば、マーティン・ルーサー・キング・ジュニア、キング師と言えば非暴力。それはそれで間違ってはいない。キング師と公民権運動における非暴力は、不服従という言葉とセットで語らなければならない。それは右の頬を打たれて項垂れる敗者の非暴力ではない。暴力は使わない、しかし、決して服従もしない。抵抗者の非暴力だ。そして、非暴力不服従の運動を進めるために、採用されたのが大衆動員による直接行動、すなわち、デモや座り込みである。先日、セルマからモントゴメリーへの行進を描いた映画『グローリー 明日への行進』を見て、ぼく自身、「非暴力不服従」が現実にどのようなものだったのか、わかっていなかったと感じた。それは、殴られる(時には、殺される)とわかっていて、徒手でそこに出向くことなのだ。

キング師は、なぜ直接行動を?交渉というもっといい手段があるではないかと問う人々に、そう、その言論こそが私たちの求めているものなのだと答える。黒人との話し合いを絶えず拒否してきた相手を、話し合いのテーブルにつかせること、言い換えれば、そこに問題があることを認識させることこそが、直接行動の目的なのだ。こうしたキング師の手法に共感する人々によって、非暴力不服従の運動は、さまざまな形で広がっていく。シットイン、フリーダムライドなどは人種差別主義者の側からの強い反発にあいながらも、成果を残していく。キング師もバーミンガムの闘争やセルマの行進などで、運動を指導し、ワシントン大行進では「私には夢がある」で有名な演説を行った。

一方で、人種差別主義者の反発は激しさを増した。1955年、アメリカ南部で、北部から遊びに来ていた黒人の少年エメット・ティルが、白人の女性に口笛を吹いて声をかけたというだけの理由で、無残な遺体となって発見された事件は、全米を震撼させた。また、1963年には、NAACPのミシシッピ州ディレクター、メドガー・エヴァースが自宅前で後ろから銃で撃たれ死亡、1964年には、SNCCの公民権運動家が3人、KKKによって殺害された。いずれの事件も容疑者は、白人ばかりの陪審員によって無罪となり、裁判のやり直しが認められた直は数十年後だった。

この当時の新南部ミシシッピの黒人が置かれた状況を皮肉を込めて歌ったのが、J・B・ルノアーのブルース「ダウン・イン・ミシシッピ」である。

2018年1月15日(月)

夢見る山村林業。

明治学院非常勤「アメリカ研究」、後期第十五回目(最終回)。アフリカ系アメリカ人の歴史と文化をテーマにしたこの授業も早いもので、今回で最終回。前回紹介したリチャード・ライト『アメリカの息子』を原作とする2つの映画(1951年バージョンと1986年バージョン)から、ビガー・トーマスがメアリーを殺してしまうシーンを見た。ビガーを突き動かしているのは保身のための計算ではなく、人種差別社会で刷り込まれた不条理な恐怖だ。その意味で、ビガーをアメリカ社会の犠牲者とする弁護士マックスの見解は正しい。学生には、映画からビガーの緊迫した恐怖を読み取って欲しかった。

続いて、1970年代後半に俄然注目を浴びた黒人女性作家から、アリス・ウォーカートニ・モリソンを紹介した。『グレンジ・コープランドの第二の人生』(1970)でデビューしたアリス・ウォーカーは、作品のなかで、一貫して黒人男性を含む男性の暴力や抑圧を告発している。なかでも義父にレイプされた上、義父に強要された結婚相手アルバートに虐待され続ける黒人女性セリーの半生を描いた『カラー・パープル』(1982)は、衝撃をもって迎えられ、賛否両論のなか、ピューリッツァー賞を受賞した。作品に描かれた黒人男性像が、野蛮で暴力的というステレオタイプを助長するという批判もあった。しかし、それでは、黒人として、女性として、二重の差別を受けてきた黒人女性は、自分たちの状況をどう訴えたらいいのか。作品は、黒人男性による抑圧を批判するばかりではなく、義父のもとを逃げ出した妹ネティ、アルバートの愛人シャグとの、女性同士のつながりにも光を当てており、白人女性目線の運動であったフェミニズムを、女性全体の運動に昇華することを志す「ウーマニスト」=ウォーカーの姿勢が表れている。『カラー・パープル』の続編で、アフリカに渡ったネティを主人公とする『喜びの秘密』(1992)は、アフリカなどに見られる女性器切除(FGM)の問題を正面から扱った作品である。しかし、伝統的な習慣を外部から変えようとする姿勢には批判もある。

トニ・モリソンは、現在のところ、ノーベル文学賞を受賞した唯一のアフリカ系アメリカ人作家である。ウォーカーが登場人物になりきり、登場人物の口になって語る、巫女のような印象を受けるのに対し、モリソンは語りのテクニックを駆使して、第三者的な立場から、物語を紡ぎだす語り部と呼ぶのがふさわしい。白人の設定した美しさに対する黒人女性の葛藤を描いたデビュー作『青い目が欲しい』(1970)の、幸せな白人家庭を描いた教科書の文章が崩壊し、意味を失っていく冒頭からして、モリソンがどのように語るかということに自覚的な作家であるということを示している。作品を発表するごとに、語りの手法を変えながらも、重厚な語り口には一貫したものがある。1988年に発表された『ビラブド』では、奴隷になるくらいならと子供を殺した黒人女性セテの物語。セテは、殺した子供のせいか、心霊現象の絶えない家に、生き延びた子供たちと暮らしている。そこに、殺した娘がもし生きていたら同じ年頃だろうと思われる娘が突然現れ、「ビラブド(愛されしもの)」と名づけられ、いっしょに暮らしはじめる。ビラブドはセテと恋人ポール・Dの間に割って入り、セテをポール・Dから引き離すために、ポール・Dを誘惑する。ビラブドは結局、コミュニティの力で追い払われるが、そのことは殺した娘との別れを意味していた。歴史にもとづきながら、重厚な物語のなかにひとりひとりの人間を浮かび上がらせる、「語り部」モリソンらしい作品である。

國學院非常勤、後期第十四回目。「1st Year English」は、分詞。現在分詞と過去分詞の形容詞的用法について。「英語(L&W)」は、バラク・オバマの大統領就任演説を読む。「これが私たちが現在続けている旅である。私たちは今でも、世界でもっとも繁栄し、力を持った国であり続けている。我が国の労働者は、この危機が始まる前に負けない生産性がある。我一週間前、一ヵ月前、一年前と比べても、私たちの精神は独創性を失っていないし、私たちの製品やサービスは変わらず求められている。私たちの能力も衰えてはいない。しかし、頑固に今までのやり方を変えず、一部の利益を守り、下しにくい決断を先延ばしにする時間 ― そうした時間は間違いなく終わったのです。今日から始めて、私たちは起き上がって、埃を払い、アメリカを立て直す仕事を再開しなければなりません」

2018年1月11日(木)

あの人は一点一点しまった
あの人は一点一点しまった
もう入らない〜♪

首都大学非常勤、後期第十一回目。『ジャズの誕生』をテキストとするリーディング3コマ。1限は、「以前の植民地として、ニューオリンズは軍楽隊におけるフランスの流行にぴったりとついていったので、当然のことながらそれで有名になった(ずっとあとの1891年、父親がメンバーだったクラリネット奏者のエド・ホールによれば、ニューオリンズの黒人で編成されたオンワード・ブラス・バンドがニューヨークのコンテストで優勝した)。楽団はほとんどあらゆる機会 ― パレード、ピクニック、コンサート、川舟の周遊、舞踏会、葬式 ― に雇われ、成功間違いなしの呼び物だった」 2限が、そのあと「1871年(原書の誤りで、正しくは1881年)、13もの黒人組織が、ガーフィールド大統領の葬儀で、自分たちの楽団によって代表された」「ニューオリンズにおける黒人楽団の卓越と頻出(ニューオリンズから優れた黒人楽団が次々と現れたこと)はどう説明できるだろう。フランスとの密接な関係とブラスバンドの一般的な人気に加えて、ニューオリンズには楽団に雇用を与える特殊な組織と、広範囲の機会に楽団の存在を受け入れる他にはない伝統があった。この組み合わせが、スウィングし始めた最初のバンドを生む手助けになった」まで。3限は、第5章「バディ・ボールデンとジャズの発展」に入り、「かつて<カーヴィング・コンテスト>として知られてた音楽のバトルは、ジャズの歴史の中で頻繁に起きてきたし、今でも起きているニューオリンズ時代の初期、それ(音楽バトル)はアームストロングキッド・レナ(これはまさに伝説である)、レッド・アレンガイ・ケリージョー・オリヴァー(のちのキング)対フレディ・ケパードであった」 <もしラッパで相手を吹き負かせられなかったとしても>、トランペッターのマット・キャリーは『ヒア・ミー・トーキン・トゥ・ヤ』のなかで述べている。<ラッパを使って、そいつの横っ面をぶっ叩くことはできるさ>。30年代のカンザス・シティでは、それ(音楽バトル)はサキソフォーン奏者のコールマン・ホーキンスレスター・ヤングであり、ニューヨークではトロンボーン奏者のビッグ・グリーンジミー・ハリソンだった(1953年のバンド・ボックスでは、カウント・ベイシーデューク・エリントンのバンド全体であった)。ジャズのような自由な音楽では、ミュージシャンは持続性があってスウィングする即興演奏の能力によって評価される」

OGSアコナイトに参加するつもりだったが、体調がすぐれないのと、今日のうちにシンポジウムの報告論文を進めておかないといけなかったので、あえなく不参加。

2018年1月10日(水)

横浜国大非常勤「英米文学」、第十二回目。今回はリチャード・ライトラルフ・エリソンジェイムズ・ボールドウィンという三人の作家を紹介した。

一昔前は、黒人文学と言えば、リチャード・ライトだった。そして、リチャード・ライトと言えば、抗議文学であり、結果、黒人文学というのは、すなわち人種差別に抗議するための文学であると考える人が多かった。たしかに、黒人文学は人種差別と切っても切れない関係にあるし、とりわけ、リチャード・ライトはこの問題に真摯に取り組んだ作家のひとりである。しかし、ライト=抗議作家と決めつけてしまうことで、見えなくなるものも多い。そのひとつが、彼のストーリテラーとしての豊かな才能である。ゾラ・ニール・ハーストンの「恋愛小説」を厳しく批判したライトだが、ストーリーテリングの巧みさという点では、二人の作家は共通するものがある。代表作『アメリカの息子』(1940)は、主人公の黒人青年ビガー・トーマスが、白人女性を殺してしまい、彼女の死体を焼却炉で焼いたうえ、逃亡中に足手まといになった愛人の黒人女性をも殺し、裁判で死刑になるという、衝撃的なストーリーである。ライトはレイプ犯にされることを恐れて、殺人を犯してしまう黒人青年の内面を生々しく描いてる。ビガーのしたことは許されることはないが、保身のために計算づくで動いたわけではなく、人種差別主義社会のなかで培われてきた不条理な恐怖に突き動かされて、残虐な行為に及んでおり、そこに弁護士マックスの言う「アメリカ社会の犠牲者」という見方が入り込む余地が生まれてくる。こうした、殺す側の恐怖を感じてもらうために、『アメリカの息子』の映画をを2バージョン(1951年版と、1986年版)を見た。1951年版は、なんとリチャード・ライト自身が、ビガー・トーマスを演じている。


1951年の映画『アメリカの息子』予告編。


1986年版の映画『アメリカの息子』。

ラルフ・エリソンは、いくつかの評論や短編を別にすると、ほとんど長編小説『見えない人間』(1952)だけで知られている作家である。しかし、『見えない人間』の内容があまりに強い印象を与えたために、アフリカ系アメリカ人を代表する作家として名を残している。名前のない黒人の主人公は、電力会社から盗電した明かりを煌々とつけながら、地下の穴倉で暮らしている。彼は、自分は「見えない人間」であると言い、穴倉に暮らすようになるまでの、半生を語り始める。「見えない人間」とは何か説明するために、主人公が夜道で白人男性とぶつかったエピソードが例に挙げられている。主人公と白人男性は、相手が見えない暗闇で罵りあい、殴りあう。ところが、顔を突き合わせ、街頭の明かりに照らされてみると、主人公は白人男性が自分を見ていないことに気づく。主人公は、空しくなって、相手を殺そうと取り出していたナイフをしまう。黒人であるがゆえに存在すら認められないことの虚しさが、暗闇では見えるのに明かりの下では見えないというパラドクスのなかに、簡潔に表現されている。

このエピソードを読むと、友部正人「ストライキ」の歌詞、「いくら殴っても殴ったことにならない、そんな不安がきみの黒髪を濡らすよ」を思い出すのだが、そのことは黙っておいた。

ジェイムズ・ボールドウィンは、アフリカ系アメリカ人であることと同時に、ゲイであることが、アイデンティティの軸になっている作家である。アフリカ系アメリカ人は、親子兄弟が別々に売られていく奴隷制の時代から、家族を奪われてきた。だからこそ、家族の価値を求める傾向は強いが、そこで求められる「家族」は男は男らしく、女は女らしくという伝統的なジェンダー像に基づくものであることも多い。そうしたなかで、ゲイとして生きることは、容易なことではない。義父との葛藤をもとに描いた『山に登りて告げよ』(1953)でデビューしたボールドウィンは、続けてゲイを主人公にした小説『ジョヴァンニの部屋』(1956)を発表するが、伝統的な家族の価値とゲイという意味で、二つの作品はつながっている。ちなみに、ぼくは大学生のころ、何の予備知識もなく『ジョバンニの部屋』を読み、途中でゲイ小説であることに気づいて驚いた覚えがある。おそらく、出版当時、黒人の新進作家の作品として『ジョヴァンニの部屋』を読んだ人たちも同じように、「黒人は黒人のことを書くもの」という固定観念を揺さぶられたことだろう。さらに、ゲイ・アイデンティティ、人種間の葛藤など、さまざまなテーマを、複雑な人間関係のなかに表現したボールドウィンの代表作として、『もう一つの国』(1962)をあげておく。


ボールドウィンが気鋭のジャズ・ミュージシャンをバックに自作の詩を朗読した録音。

2018年1月9日(火)

日本女子大非常勤、後期第十五回目(最終回)。「米文学随筆論文演習」は、ハリエット・ジェイコブズの奴隷体験記を読む。友人ピーターによって、北部へ逃亡するチャンスをつかんだリンダだったが、リンダの身を案じる祖母の気持ちを察して、逃亡をあきらめ、同じように近所に身を隠している黒人女性ファニーにそのチャンスを譲る。ところが、祖母が扉を閉め忘れたため、隠れ家の下の物置で、話をしていたところを見られてしまう。自分のせいでリンダの身を危険にさらしたことを悔いた祖母は、逃亡するよう勧める。リンダはピーターの漕ぐボートで、ファニーの乗る船に近づいていく。船の船長は、逃亡奴隷の女性はすでに乗っているといい、戸惑いを隠せない様子だったが・・・と、中途半端なところで終わってしまった。というのも、最終回というのに講師が遅刻したため。すみません。「アカデミック・ライティング」はついに後期エッセイの提出・・・だが、書けてない人がたくさんいたので、23日に最終締め切りを設定。みんながんばれ。

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