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2017年6月15日(木)

首都大非常勤、前期第七回目。『ジャズの誕生』をテキストとするリーディング3コマ。2回休講の説明と謝罪をすませたあと、大好きなセロニアス・モンク『ソロ・オン・ヴォーグ』から、「ラウンド・アボウト・ミッドナイト」を聞きながら授業開始。モンクのつんのめるかえるようなリズムも、ポリリズム的なことと無関係ではない気がする。テキストは、前回、ヨーロッパの音楽教育を受けたものにとって、西アフリカの音楽がいかにおら得難いかという話だったのを最後でひっくり返すところから。「にもかかわらず、訓練されていないリスナーですら、推進力を感じることができるし、巨大なリズムの力(を構成する)各部分がしっかり組み合わさっていることがわかる」「比較すると、ジャズのリズムはずっとシンプルである。例えば、ニューオリンズへ行くと、古株ミュージシャンがいまだに、葬式から帰る途中、「ディドゥント・ヒー・ランブル」を演奏しているが、それはマーチのように聞こえる」 葬式がニューオリンズノ音楽文化において、重要な意味を持っていることを指摘。ブラス・バンドの悲しく重苦しい演奏で、墓地に向かい、遺体を納めると、一転、陽気な音楽で帰ってくる。このとき、このパレードに紛れ込んだ野次馬のことを、親戚縁者=ファーストラインに対し、セカンドラインといい、この言葉がニューオリンズ音楽を表す代名詞となっている・・・と説明。次回はニューオリンズの葬式の動画を見ると予告した。

2017年6月13日(火)

電車のなかに、ダリ髭を生やしたおっさんがいた。初めて見た、生ダリ髭。

朝っぱらから、いい曲ができました。「不機嫌そうに」

慰めてほしいとき
オレが慰めてほしいとき
お前はいい顔をせず
黙ってオレを抱きしめる
なあ、そうだろう?

オレが自由なとき
鳥のように自由なとき
お前は不機嫌そうに
黙ってオレを抱きしめる
なあ、そうだろう?

オレが死んだとき
いつかオレが死んだとき
お前は「弱い男だったわね」と
黙ってオレを抱きしめる
なあ、そうだろう?

日本女子大非常勤、前期第八回目。2コマとも2回休講の説明とお詫びから。「米文学論文随筆演習」は、ハリエット・アン・ジェイコブズの奴隷体験記を読む。リンダを自分の部屋に連れ込むために、フリントは幼い娘を利用する。まず、娘を自分の部屋で寝させ、その子守り役として、リンダが必要だという。この計画は、ほどなくフリント夫人に漏れ、激高した夫人によって阻止される。夫人に真相を問いただされたリンダは、フリントのセクハラ行為を打ち明ける。夫人は屈辱に震え涙を流すが、フリントの被害者である奴隷の少女に対する同情はなかった。「アカデミック・ライティング」は、ライブラリー・ツアー。図書館の方からの説明が中心で、最後に少しだけ課題を返す時間を作ってもらった。

2017年6月12日(月)

しばらくぶりの仕事は、しんどいが、生きた心地がする。

明治学院非常勤「アメリカ研究」、前期第七回目。まずは2回連続して休講にしたことへのお詫びと経過説明。以下、すべての大学で同じことをくり返した。2週間前に返って、人種間結婚(あるいは人種間の性的関係について、復習する。南北戦争中の1863年、奴隷制を支持する民主党右派は、匿名「雑婚」(miscegenation)を称賛するパンフレットを出して、人種間の関係に対する人々のアレルギーを刺激しようとした。リンカーンは演説のなかで、「私が黒人の女を奴隷にしておかないからと言って、妻にするべきであるとするような、でっちあげの論理に反論しておく」と述べなければならなかった。それほど、人種を越えた性的関係に対する嫌悪はひどかったのである。

人種間の性的関係は、植民地時代から、法的にも、道徳的にも、罪とされてきた。白人女性が黒人の男性と関係を禁じた法律は、レイプ以外に考えられないとされたのか、あまり見られないが(黒人男性は残虐な形で罰を受けたはずである)、白人男性が黒人女性と関係を持つことを禁じた法律は各地にあったし、実際、むち打ちなどの罰を受けた白人男性の記録がいくつも残っている。にもかかわらず、大農場などでは、奴隷主が奴隷の女性とか関係を持ち、性欲を満足させると同時に、子どもを奴隷とすることで財産も増やすことが行われていた。大農場のような閉鎖された社会では、そうしたことは公然の秘密として受け流されていた。とはいえ、奴隷の女性との関係を知られることを、奴隷主がよしとしていたわけではない。

リベラルな姿勢で知られる第三代大統領トーマス・ジェファソンは、奴隷制は廃止されるべきだと考えていたが、一方で、自ら100人以上とも言われる奴隷を使う農場主だった。また、当時の白人の平均的な考えとはいえ、『ヴァージニア覚書』(1785)のなかで、ひどく差別的な黒人観を吐露している。そのジェファソンと奴隷の女性サリー・ヘミングスとの間に子供がいたという話は、ジェファソンの生前から囁かれていた。黒人作家による最初の小説であるウィリアム・ウェルズ・ブラウン『クローテル:大統領の娘』(1853)は、この噂をもとにした作品である。1990年代になって、ある黒人男性がジェフェソン家の血をひいていることがDNA鑑定によって明らかになると、この噂は信憑性を帯び、さまざまな議論を呼んだ。

サリー・ヘミングスは、ジェファソンの白人の妻マーサの異母姉妹であり、ジェファーソン家に嫁いだマーサに、お付きの奴隷としてついてきたのを、マーサが夭折した後、ジェファソンが愛人にしたようである。彼女とマーサの関係は、姉妹であり、幼馴染であり、奴隷主と奴隷であり、(マーサの仕事はいえ)正妻と愛人という、南部の「特殊な社会」を象徴する複雑なものだった。ジェファソンは講師としてフランスに渡る際も、サリーを同行させており、彼女が単なる奴隷主の性欲解消の道具でなかったことは伺われる。それにしても、すべての権力を手中に収めてた男と、何も持たない奴隷の女(男は女を好きなようにできる)の間に愛は存在し得るのかというのはたいへん難しい問題である。こうした二人の関係に焦点を当てて描かれたのが、バーバラ・チェイス=リボウの小説『サリー・ヘミングス』である。

19世紀前半のアメリカで、南部と北部が次第に対立を深めていく過程を追った。とりわけ、上院で定員2名が与えられる州への昇格では、新州における奴隷制を認めるかどうかをめぐって、南北が妥協を重ねることになった。奴隷制の北限を定めながら、ミズーリ州を奴隷州とすることを例外として認めた「ミズーリの妥協」(1820)にはじまり、ルイジアナ買収(1803)、テキサス併合(1845)、対メキシコ戦争(1846)などによって、爆発的に広がった領土が次々に州に昇格するたびに、南北は新州の取り扱いに苦慮した。1850年、カリフォルニアを自由州とする代わりに、逃亡奴隷法の強化が認められたことは、奴隷制に反対する人々に衝撃を与えた。また、1854年、カンザス・ネブラスカ州の行く末が、住民の選択に任されたことで、同地域は奴隷制賛成派・反対派が血で血を洗う内戦状態となる。この混乱のなかから、頭角を現した奴隷制反対論者ジョン・ブラウンが、1859年、ハーパーズ・フェリーで反乱を起こたことで、南北の対立は一層高ま深まりり、リンカーンの大統領就任を受けて、1861年、南部諸州がアメリカ連合国として独立を宣言し、アメリカは南北戦争へと突入していく。

國學院非常勤、前期第七回目。こちらも、休講の謝罪と説明から。「1stYear English」は、改めて分詞について。分詞が名詞を修飾する形容詞の役割をするものであることを強調した後で、しかし文型によっては、名詞に係っていくように訳しては、行けない場合があると、使役動詞/知覚動詞+O+現在分詞・過去分詞のパターンを説明。「R&W」は、バラク・オバマ、2008年大統領選勝利演説を読む。「それ(選挙運動)、大義のために5ドル、10ドル、20ドルといったお金を出すために、なけなしの貯えに手をつけた働く男女によって築かれたのだ。それは、彼らの世代の無関心という神話を拒否し、少ない給料とより少ない睡眠しか与えてくれない仕事のために、家や家族を後にした若い人びとから力を得た」

2017年5月25日(木)

中学のクラブ活動に「旅行計画クラブ」というのがあって、つまり、地図や時刻表と首っきりで計画した旅行を想像するだけの集まりで、ずいぶんマニアックな、と思ったものだが、事の良し悪しに関わらず、そういう人たちは少なからずいる。

首都大非常勤、前期第六回目。『ジャズの誕生』をテキストとするリーディング3コマ。ジンバブエで撮ってきたレジナルドと友人たちがムビラの演奏をするビデオを見ながら、授業開始。一応、ポリリズム的な音楽ということだが、何としても学生に見てもらいたかったのだ。テキストの内容は、アフリカ音楽が西洋の楽譜には収まりきらないことを論じた部分。「その音楽は、ポリリズム的である。すなわち、2つ以上の別のリズムが同時に演奏される。(リズムの数は)5つや6つになるかもしれない。西アフリカ音楽の共通の基盤は、4分の3、8分の6、4分の4の拍子記号の組み合わせである。それはあたかも、オーケストラが同じ曲を、ワルツ、ワンステップ、フォックストロットとして演奏するようなものである—それもすべて同時に。そして、もちろん、歌や手拍子足拍子がさらなる音楽の複雑さを加える」「高度に訓練されたクラシックの音楽家には、この西アフリカ音楽は混沌のように聞こえるかもしれない。というのも、西アフリカ人は楽譜を持っておらず―彼らは耳で聞いて覚えて演奏する―ヨーロッパの採譜法における小節線のような規則的なものには従わない。実際、われわれの基準のひとつから見ると、彼らのリズムは途中で変わってしまうように思え、それが音楽学者が(西アフリカ)リズムを書き留めようとするときに、つまずきの石となる」

2017年5月23日(火)

アナグラム。「むかしむかしうらしまは、たすけたかめにつれられて」と「かしらはまむしにしかけしられて、むすめつれ、たたかう」

日本女子大非常勤、前期第七回目。「米文学論文随筆演習」は、ハリエット・アン・ジェイコブスの奴隷体験記を読む。15歳になったリンダ(ジェイコブズの仮名)は、奴隷主であるドクター・フリントの執拗なセクハラを受け始める。人目のある所では、身振り手振りを使って、そのわいせつな考えを伝えてきたし、リンダが文字を読めると見るや、メッセージを書いたメモを手にすべりこませてきた。こうした夫の性癖をよく知っているフリント夫人だが、嫉妬に狂うことはあっても、セクハラの被害者である奴隷の女性たちに同情することはなかった。そんな夫人の嫉妬深さも、幼い娘を自分の部屋で寝かせるためという名目で、子守り役のリンダを寝室に連れ込もうとしたフリントの企みを挫く役には立った。「アカデミック・ライティング」は、それぞれ課題のパラグラフを推敲していく。パラグラフの構成は、わかるようになってきたようだ。

2017年5月22日(月)

猿、モンキーから落ちる。

明治学院非常勤、前期第六回目。アラン・ロマックスが録音したジョージア州ロング・アイランドでにおける霊歌の録音から、ジョン・デイヴィスとグループの「モーゼス」を聞きながら、授業開始。

大農場での強制労働に耐える奴隷たちは、仕事が終わった日没から夜明けまでの間に、自分たちの文化を築いた。そうした奴隷文化を代表するもののひとつが、霊歌(Spirituals)である。名称が示す通り、聖書などに題材を求めた、宗教的な歌だが、そこには現世的な願いやメッセージも込められている。当時、奴隷の歌を集めて出された本は、「奴隷の歌」「プランテーションの歌」と題されていることが多く(例えば、ウィリアム・フランシス・アレンらが編集した『合衆国の奴隷の歌』)、宗教的な歌と現世的な歌を区別する考えは、歌っている奴隷たちにも、彼らに関心を寄せる白人たちにもあまりなかったのではないかと思われる。霊歌だけが特に注目を集めるようになったのは、南北戦争後、フィスク・ジュビリー・シンガーズをはじめとする黒人大学のコーラス・グループが、大学への寄付を募るために、「霊歌」をレパートリーに入れたことが大きい。しかし、ステージの上に上げられた霊歌は、奴隷たちによって歌われたものとは、大きく違うものだった。

とはいえ、奴隷制時代の霊歌について考えるときに、キリスト教の話は避けて通れない。奴隷たちにとって、キリスト教は二重の意味を持っていた。奴隷主たちは聖書の言葉を、奴隷たちを従わせるために利用した。しかし、一方で、奴隷たちは、聖書の物語に、被抑圧民解放のメッセージが込められていることを知り、エジプトを脱出するユダヤ人や疎外された人々を導くキリストの姿に自分たちを重ねた。奴隷たちは主人の目を盗んで、自分たちだけの宗教集会を持つようになる。そのなかで、歌われたのが霊歌であると考えられる。とはいえ、霊歌は単なる祈りの歌ではない。ヨルダン川が南部と北部の境界を流れるオハイオ川の隠喩であったことからもわかるように、そこには奴隷たちの体験が重ねられていた。なかには、逃亡奴隷の手引きのような歌もあったと言われている。

後半は、ナット・ターナーの反乱を中心に、奴隷の反乱について。18世紀以降、何度となく繰り返されてきた奴隷の反乱だが、なかでもアメリカの白人社会を震撼させたのが、ヴァージニア州サウザンプトンの奴隷ナット・ターナーの反乱である。若くして読み書きをおぼえたターナーは、宗教的な幻視を見るようになる。1831年、日食を神のメッセージと受け取り、仲間と反乱を起こす。57人の白人を殺害するものの、鎮圧され、絞首刑に処された。ターナーと会見したトーマス・R・グレイの会見記は、反乱の残虐性、計画性を描く一方で、ターナーの人物像についてはどっちつかずで、判断を保留している。グレイは、ターナーのなかに何を見たのか。

國學院非常勤、前期第六回目。「1st Year English」は、不定詞と動名詞の使い分けをやったあと、分詞に入った。「R&W」は、バラク・オバマ2008年大統領選勝利演説を読む。対立陣営へのエールや、スタッフや家族への謝辞が続く部分を飛ばし、勝利が本当は誰のものであるか、熱く語る部分。「そして、何よりも、私はこの勝利が誰のものであるか、決して忘れません。それはあなた方のものです。私は大統領の有力候補ではありませんでした。私たちはたくさんのお金も多くの支持もなく始めました。わたしたちの選挙運動は、ワシントンの集会所で始まったわけではありません。それはデモインの裏庭や、コンコードの居間、チャールストンのフロント・ポーチから始まったのです」

2017年5月18日(木)

「ご購入のさいは・・・」「サイ?サイを買ったの?」「ご・こ・お・にゅ・う・の・さ・い・は」「おニューなの?おニューのサイなの?」「ごこ・・・」「さっきから気になってたけど、サイなら五個じゃなくて、五頭でしょう?」「だから、サイじゃないの!」「サイですか、ほなサイなら」

首都大非常勤、前期第五回目。『ジャズの誕生』をテキストとするリーディング3コマ。テキスト中、ジャズのルーツとしての西アフリカ音楽に関連して、ダオメーの儀式の話が出てくるので、ダオメーの古都アボメーで撮影されたドラム・アンサンブルのビデオを見ながら、授業開始。「ダオメーの部族の儀式を取り上げてみよう。音楽家がガラガラや、鐘やその他の打楽器を叩く一方、部族の人たちが踊ったり、歌ったり、手を叩いたり、足を踏み鳴らしたりする。しかしながら、メインとなる楽器は太鼓 ― ふつうは音楽学者に「太鼓の聖歌隊」として知られている3つの太鼓のセット ― である。なぜなら、神が太鼓を通じて話し、踊り手たちは太鼓と面と向かい、部族の人たちがその周りに円を作るからである。/ピークに達すると、その音は無秩序な空気圧縮ドリルの組み合わせのように思えるかもしれない」 「部族」という言葉は差別的なニュアンスがあるので、ぼくは使わない、と改めて断ったうえで、太鼓が神聖な楽器であること、それぞれに神が宿る3つの太鼓の組み合わせが一般的であることなどについて話した。そう言えば、先日チキリカにゲスト参加していただいたケペル木村さんも同じことを言っていた。ボンゴやコンガのようなラテン系のパーカッションももともとは、独立した3つの太鼓だったらしい。テキストはこのあと、ポリリズムの話になるので、簡単に8分の12拍子のポリリズムについて説明。いったい、何の授業だ。

2017年5月16日(火)

日本女子大非常勤、前期第六回目。「米文学論文随筆演習」は、ハリエット・アン・ジェイコブズの奴隷体験記を読む。奴隷たちにとっての元日。南部では元旦に契約更新が行われるのが慣例で、多くの奴隷が売られたり、貸し出されたりして、その年、どんな主人のもとで一年を過ごすかが決まる。自由な女性にとって友好に満ちた喜びの日である元日は、家族が売られていく奴隷の女性にとっては、深い悲しみの日になる。ある母親は七人のこともが次々目の前で売られていくのを見て、「いなくなった、みんないなくなった」と泣き崩れた。

十五歳になったリンダ(ジェイコブズの仮名)を苦難が待ち構えていた。ドクター・フリントは口にするのもはばかられるようなイヤらしい言葉を、リンダの耳にささやき始める。リンダは無視したり、軽蔑したりすることで、フリントをはねつけていたが、フリントは祖母がリンダに教え込んだ純潔の概念を崩そうと必死だった。一方で、祖母の存在を恐れるフリントは、それ以上強く出ることもできない。また、リンダも不道徳な行為に厳しい祖母にこのことを打ち明ける気にはなれなかった。

OGSアコナイト@新大久保Club Voiceに、ひらげエレキテルとして参加して、3曲ほど歌ってきました。曲目は、「サンダル」「すっぽんぽん節」「平和の歌はもう・・・」。「すっぽんぽん節」で盛り上がっていただいたみなさん、ありがとうございました。今日はトミー姐さんの誕生日というのに、訳あって遅れて行ったため、稲毛君のステージは見れませんでした。他の共演者は、オレオさんが身にギターを披露したり、トモコさんがドラムを叩いたり、藤丸さんがエレキを弾いたり、ケジャさんも神田苑でエレキを弾いたり(生ギターの弦が切れたため)、長沼ハピネスくんが久々に登場したりといろいろありました。楽しい一夜でした。


2017年5月15日(月)

衝撃の新解釈。「あなたかわりはないですか」=どうしても別れるっていうなら、他のオトコ、紹介しなさいよ。

明治学院非常勤、前期第五回目。前回に引き続き、アレックス・ヘイリー原作のテレビドラマ『ルーツ』を見る。今回は、農場主ジョン・レイノルズに買われたクンタ・キンテが、様々な経験の末、逃亡を試みるが、失敗して鞭打たれるところまで。鞭打たれても、「トビー」という奴隷の名前を拒否し続けるクンタ・キンテ。ついに名前を受け入れたクンタのもとにかけつけたフィドラーが、「やつらはお前に勝手な名前をつけた。だが、お前はいつだってクンタ・キンテだ。いつかいい日が来る」というシーンでは、やはり泣きそうになってしまった。映画の内容を受けて、いくつかのポイントについて解説をした。

クンタの教育係フィドラーの印象が、だいぶ変わったという学生もいた。奴隷の身分に甘んじていたフィドラーも、自由を求めるクンタの姿勢に打たれて考えを変えた、と。もちろん、そういう面もある。ただ、フィドラーは最初から奴隷であることに納得はしていない。クンタと違って、奴隷として生まれたフィドラーは自由を経験したことがない。マルコムXに言わせれば、フィドラーは、白人の家に住み、白人のお下がりを着て、白人の残り物を食べる、白人に同化した家内奴隷のひとりなのだろう。しかし、マルコムは話を単純化している。家内奴隷は、白人に同化していたわけでも、野外奴隷と対立していたわけでもない。フィドラーがそうしていたように、白人の台所から食べ物をくすねてくるのは家内奴隷だったし、主人とともに旅をすることの多かった御者などの家内奴隷は、黒人コミュニティに必要な情報をもたらした(例えば、「アボリッショニストっていう人たちがいて、オレたちを逃がしてくれるらしい」とか)。

今回見たところで、焦点となる問題のひとつが、名前である。ドラマは、奴隷主が勝手につけたファースト・ネームをアフリカ出身のクンタ・キンテが拒否するという話だったが、姓についても同じようなことが言える。奴隷は奴隷主の姓を名のったため、別の奴隷主に売られれば、姓が変わった。ばらばらに売られれば、当然、家族でも別の姓になる。こうした「奴隷主」の名前を捨て、もはや知ることのできないアフリカ名の代わりに、未知数のXを名のろうと呼びかけたのが、マルコムXが所属したネイション・オブ・イスラム(NOI)である。スパイク・リー監督の映画『マルコムX』(後期の授業で見る予定)で、収監されたマルコムが囚人番号を答えることを拒否するシーンは、NOI入信の伏線であると同時に、クンタ・キンテへのオマージュなのかもしれない。

黒人女性の置かれた立場も、生々しく描かれていた。女性の奴隷は、男性の奴隷が味わう苦しみに加えて、レイプやセクシャル・ハラスメントといった女性特有の苦しみも味わうことになった。『ルーツ』のなかでは、奴隷監督のエイモスだが、実際にはレイノルズのような奴隷主も、しばしば、奴隷の女性を相手に性的な欲望を満たした。奴隷主の立場からすると、性的欲望を満たした上に、生まれてきた子供は奴隷という財産になる。生まれてきた子供の多くは、主人の都合で売られていき、奴隷の女性は子供との別れという苦しみをも味わうことになった。このことは、何回かあと、「人種間結婚」の項で扱う。

奴隷監督エイモスの存在にも注目しておこう。「奴隷同然で7年間働いた」というのは、彼が年季奉公人であったことを示している。年季奉公人とは、本国で集めた労働者に、アメリカへの渡航費と仕事を与え、決まった期間無償でj働かせるもので、アメリカの開拓は当初、彼らに頼るところが大きかった。しかし、白人の年季奉公人は、逃亡すれば身分がわからないし、期間が終われば解放される。そのため、アフリカ人奴隷が導入されると、アメリカ奴隷労働の主流はアフリカ人奴隷に移行していった。やがて元年季奉公人を含む白人貧困層(プア・ホワイト)の多くは、黒人を自分たちの下に位置付けることで、心理的な安定をえるようになっていく。

このあと、ジュリアス・レスター『奴隷とは』などから、奴隷の証言を引用して、プランテーションの劣悪な状況を概観した。もちろん、状況は農場によって大きく違っただろう。しかし、憶えておかなければならないのは、仮に「良い農場」「良い主人」があったとしても、奴隷たちにはそれを選ぶ権利がなかったということである。

國學院非常勤、前期第五回目。「1st Year English」は動名詞。動名詞は名詞の働きをする→主語、目的語、補語、前置詞の後に入る、と一歩踏み込んで考えることによって使える知識になる、という神奈川大で教えたのと同じポイント。「R&W」は、バラク・オバマ2008年大統領選勝利演説を読む。演説で引用されていたサム・クック「チェンジズ・ゴナ・カム」を聞きながら、授業開始。オバマの登場が、政治的な無気力状態に置かれていた人々に希望を与える、感動的な一節だが、再履修の学生には難しすぎたかもしれない。「それは、長い間、我々が達成できることについて、冷笑的で、びくびくと、疑い続けるよう言われ続けてきたひとたちに、歴史の弧に手をかけ、もう一度より良き日の希望へと引き寄せるよう促す答えである。長い時間がかかりました。しかし、今夜、今日、この選挙で、この決定的瞬間に、私たちがしたことゆえに、ついに変化は来たのです」

2017年5月11日(木)

ウクライナで、いくらナウ。

首都大非常勤、前期第四回目。『ジャズの誕生』をテキストとするリーディング3コマ。ルイ・アームストロングの歌う「(ホワット・ディドゥ・アイ・ドゥ・トゥ・ビー・ソー)ブラック・アンド・ブルー」を聞きながら授業開始。本当はYouTubeにアップされていた1965年パリでのライブ動画を紹介しようと思ったのだが、DVDがプレイヤーに拒否されたため、念のため持って行ったCDで音だけ。前回、紹介したファッツ・ウォーラーのつくったこの曲、陽気なエンターテイナーのイメージとは真逆の、差別されるものの苦悩を歌った重苦しいブルースだ。ラルフ・エリソン『見えない人間』のなかに、主人公がルイ・アームストロングのこの歌を聞くシーンがある。無邪気にも聞こえる歌の下に幾重にも広がっている、「見えない人間」にしか見えない「地下世界」を描いているのだが、そのことを説明しているうちに、ボールドウィン『もう一つの国』で、ルーファスがサキソフォン奏者の演奏のなかに「愛シテクレルカ?」という悲痛な叫びを聞き取るシーンとごっちゃになってしまったようだ(ダメじゃん!)。次回以降、整理して訂正しなければ。もっとも、二つのシーンには共通するものがある。表面的な陽気さの裏に潜む、「見えない人間」の苦悩。だから、本当は動画で、サッチモが満面の笑みを見せて歌い始めたり、目を見開いたりする姿を見て、その裏にある何かを感じてほしかった。

テキストは、「仮にジャズをヨーロッパ音楽と西アフリカ音楽という二つの偉大な音楽的伝統が、アメリカ合衆国で300年にわたって混ざり合った結果と定義してみよう。すると、ヨーロッパのモノが支配的な音楽文化にあって、ジャズを他とは少し違う、すぐに見分けのつくものにしている特質は、西アフリカと関係があるということになる。/ジャズと西アフリカ音楽の関係は何だろう?おそらく、もっとも明白な共通点はリズムである。西アフリカの部族民がジャズを好きになるということではない。混淆が進みすぎていて、好きになれないだろうから」 ぼくは差別的なニュアンスのある「部族」という言葉は使わないが、ここでは原文に出てくるので、注意を喚起しつつ、そのままにした。

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