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2018年5月23日(水)

日本女子大非常勤、前期第七回目。3限「アカデミック・ライティング」は、前期エッセイについて、自分が興味を持っているトピックについて発表。卒論でも書けそうながっつり専門的なテーマのものもいれば、身近なテーマで書こうというものもいる。この段階では、それをどう発展させ、構成するかが課題。

4限「アメリカ大衆文化演習」は、「ブルースを読む」。先日、邦訳『ブルースと話しこむ』も出た、ブルースマンのモノローグをポール・オリヴァーが編集したConversation With Blues,から、前借りの返却で収入が消えていく、シェアクロッパーの先行きの見えない生活を語るウェイド・ウォルトンの告白を読んだ。地主がシェアクロッパーに、「お前はよく頑張ったよ、自分でも頑張ったと思うだろう?でも、前借りを差っ引くとこの額になっちまう」と、保護者面で語りかけるところが、いかにもといった感じだった。

2018年5月21日(月)


太田さんとの共作曲「お化粧」、いろいろ手直ししてみました。これが本当の化粧直し。


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明治学院非常勤、前期第六回目。3限、「アメリカ研究」。前半は、ナット・ターナーを中心に奴隷の反乱について。ナット・ターナーの反乱(1831)は、奴隷制という非人道的な制度の当然の結果とはいえ、老人や幼い子供を含む白人を悉く殺害した残虐さを、正当化することにはためらいもある。アフリカ系アメリカ人が彼を英雄視することは理解できるとしても、アフリカ系アメリカ人ではないぼくの個人的な立場からすると、彼の暴力を無条件で受け入れることはできないし、受け入れてはいけないのではないかと思う。しかし、一方で、獄中のナット・ターナーから直接話を聞いた話をもとに書かれた「ナット・ターナーの告白原本」における、作者トーマス・グレイによるターナーの人物評には、反乱者を狂った悪鬼として描くという彼に課せられた責務から外れる、誇り高き人間としてのターナー像が紛れ込んでいる。白人の弁護士ですら認めざるを得ない英雄的な側面が、ターナーのパーソナリティにはあったということだろうか。

後半は、「人種混交」について。「人種混交」という言葉自体、人種間の性交渉をタブー視する中から生まれた言葉であり、人種という概念が正当性を失った現在、死語となるべき言葉ではあるのだが、歴史上の、あるいは現在も残る偏見を表す言葉として、あえて使用したい。南北戦争直前に、出された人種混交を肯定するパンフレットは、奴隷制に賛成する民主党側の新聞によって、人種混交に対するアレルギーを刺激すべく書かれたものだった。このように、人種間の性交渉については、強いタブー意識があったが、それにもかかわらず、奴隷主のなかには、奴隷の女性と性交渉を持ち、性欲を満足させるとともに、生まれた子供を奴隷にするものが絶えなかった。

アメリカ合衆国第3代大統領3%95%E3%82%A1%E3%83%BC%E3%82%BD%E3%83%B3" target="_blank">トーマス・ジェファソンが、奴隷の女性サリー・ヘミングスと関係を持ち、二人の間に子供がいるという噂は、彼が最初に大統領に立候補した時からあり、黒人初の小説と言われるウィリアム・ウェルズ・ブラウンの『クローテル:大統領の娘』(1851)や、バーバラ・チェイス・リボウの小説『サリー・ヘミングス』(1979)など、文学作品の題材にもなってきた。90年代に入って、DNA判定が行われ、ジェファソンの子孫であると主張する黒人男性と、ジェファーソン家の男性のY染色体が一致すると、この噂は俄然信憑性を増すと、全米で大きな反響があり、サリー・ヘミングの名前は広く知られるようになった。

ジェファソンは奴隷制廃止すべきと考えるリベラルな人物である一方で、100人以上とも言われる奴隷を使って農場を経営すプランターでもあった。また、『ヴァージニア覚書』(1781)などに記された彼の人種偏見には看過できないものがある。ヘミングスの関係は、ジェファソンの人物像を明らかにするとともに、アメリカ南部の特殊な家族制度をも明るみに晒す。ヘミングスは、ジェファソンの早逝した白人の妻マーサの父親が奴隷の女性に産ませた子供である。つまり、ヘミングスにとってジェファソンは異母姉妹の夫であり、奴隷の主人であり、愛人でもあったということになる。こうした複雑な家族関係が、現代のアメリカ社会の基礎にあるということは、興味深い。

4限の3年ゼミは、「ブルースを読む」。先週水曜日の日本女子大の授業同様、サン・ハウスの「マイ・ブラック・ママ」と、ロバート・ジョンソンの「最後の審判が俺のものになるならば」を読んだ。日本女子大の授業同様、ロバート・ジョンソンが最後の審判を自分のものにしてまで、復讐したかった相手とは誰なのか。ブルースは怒りの表現であるという思いを強くした。

國學院非常勤、前期第六回目。英語で落語を読む。

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今日のお絵かき。星空の下。

2018年4月16日(月)

入れても入れなくてもいい音は、入れないほうがいい。

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奴隷体験記からの引用に解説をつけてまとめた名著『奴隷とは』(木島始/黄寅秀訳、岩波新書、1970、To Be A Slave、1968)で知られる、ラディカルな公民権運動家でフォークシンガーでもあったジュリアス・レスターが今年1月に亡くなっていたことを今ごろ知った。『奴隷とは』はいつも授業で使わせてもらっているし、彼の2枚のLPを見つけたときには飛び上がって喜んだものだ。R.I.P.

 奴隷とは。自動車や家や机が所有されるように、他の人間によって所有されるとは。売り飛ばされる財産の一部として生きるとは。-- 母親から売られていく子供、夫から売られていく妻。人間とは考えられずに、ひとつの《物》として考えられるとは。その《物》は、畑を耕し、木を切り、食物を料理し、他人の子供を養育する。その《物》の唯一の機能は、読者よ、あなたならあなたを所有する人間によって決定されてしまうのだ。

 奴隷とは。苦悩と権利剥奪にかかわらず、じぶんが人間であると、おまえなんか人間じゃないというものよりも、もっとじぶんのほうが人間的であると知るとは。喜び、笑い、悲しみ、涙を知り、しかもそれでいて、机と同等のものとしてしか考えられないとは。

 奴隷であるとは、人間性が拒まれている条件のもとで、人間であるということだ(『奴隷とは』 17)。

明治学院非常勤、前期第二回目。アフリカ系アメリカ人の歴史と文化を扱う3限「アメリカ研究」は、奴隷貿易について。中間航路の奴隷制がそれまでの奴隷制と大きく違うのは、それが奴隷を人間ではなく、モノ、商品として見ていた点にある。見取り図を見れば明らかなように、奴隷船の甲板下には奴隷が限界ぎりぎりまでつめこまれており、不快で不衛生な環境から命を落とすものも少なくなかった。それでも奴隷貿易の利ざやはとてつもなく良かったので、できる限り多くの奴隷をつめこんでいくほうが利益が大きかった。奴隷たちはいわば、何%か失われることを見込んだうえで運ばれる「商品」だったのである。

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冒頭に訃報を載せたジュリアス・レスターの『奴隷とは』から、奴隷船内部の不衛生な様子を描いた船医の証言と、海に投げ捨てられた幼子を追って、母親たちが海に身を投げ命を落とすのを目撃した奴隷の、悲痛な証言を引いた。アミスタッド号事件と奴隷船における叛乱の可能性について述べた後、奴隷の集積地とし繁栄したゴレ島について、実際に訪れたときの印象を交えて話し、映画『ユッスー・ンドゥール 魂の帰郷』から、アフリカ系のミュージシャンがゴレ島を訪問し、奴隷小屋を訪れたゴスペル・カルテット(ハーモニー・ハーモニアーズ)が、祖先への思いをこめて歌うシーンを見た。最後に、アレックス・ヘイリー原作のテレビ映画『ルーツ』を見始めたところで、タイムアウト。

「ブルースを読む」4限の3年生ゼミは、ボブ・ディランのノーベル文学賞受賞講演のうち、音楽について語った最初のセクションについて、取り上げられた音楽を動画や音源で確認しながら解説した。とりわけ興味深いのは、十代後半のロバート・ジママン(ディランの本名)少年の憧れだったバディ・ホリーをはじめとするラジオのヒット曲と、、フォーク・ソングの違いを示しながら、尚且つ両者のつながりを暗示していることだ。飛行機事故で亡くなる数日前、バディ・ホリーが、ステージの上から自分に何かを伝えようとしてきたと書きながら、伝何を伝えようとしてきたのか明らかにしないまま、段落が変わり、話はレッドベリーの「コットンフィ^ルズ」から受けた衝撃へと移っていく。この曲をきっかけとして、ディランはフォークの世界に飛び込んでいくのだが、唐突な展開は、バディ・ホリーがレッドベリーに代表されるヴァナキュラーな文化の存在をディランに伝えようとしていたかのような印象を与える。ロックンロールもまた汲めど尽きぬアメリカのヴァナキュラーを源流としている。ホリーが伝えようとしていたのは、ラジオのヒット曲もフォークソングも飲みこんだ「アメリカーナ」の口承文化ではないのか。それが、ディランをフォークを昇華した新たなロックンロールへと向かわせたのではないか。来週は、ディランの講演からピックアップしたキーワードについて、学生に調べてきてもらい、それぞれの発表をきっかけに、議論を深めたいと思う。

國學院非常勤、前期二回目。SVOCと五文型について。テキストに入るのは次回から。「日本に関することならなんでも」という緩いようで難しい条件が付いていたので、テキストどうするか未だ迷っていたのだが、落語にすることにした。「時そば」と「死神」を英語で読む。今回は、長い文法解説の途中で一息ついて、「死神」のあらすじを話した。

2018年4月9日(月)

明治学院非常勤、前期第一回目。3限。アフリカ系アメリカ人の歴史と文化をテーマとする「アメリカ研究」は、例年のように、「黒人」とは、アフリカ系アメリカ人とは何モノかという問いかけから始めた。「黒人」というと文字通り、黒い人であり、見かけで区別がつくと思っている人が多いかもしれない。しかし、本当にそうだろうか。そのことを確かめるために。8人の写真を並べて、それぞれの人物が黒人か、あるいはアフリカ系アメリカ人か答えてもらった。

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アメリカでは混血が相当に進んでおり、アフリカ人の先祖、ヨーロッパ人の先祖を持たないものはむしろ、少数派である。そして、以前は一滴でもアフリカ人の血を引いていれば黒人と見なされる「ワン・ドロップ・ルール」が適用されていた(現在も慣習的にはそうである)。そのルールに当てはめれば、レナ・ホーンジーン・トゥーマーのような、一見「白人」に見える人物も、「黒人」と見なされる。チャーリー・パットンタンパ・レッドは、ともに戦前に活躍したブルース・マンで、「黒人」だが、パットンの髪はブロンドだったと言われている。キャサリン・ダーナムは、ハイチのヴ―ドゥーの儀式を参考に、アフリカ系アメリカ人のバレエを確立したダンサー/振付師で、「黒人」である。ここまで来ると、だんだんわからなくなってくるかもしれないが、後期チャップリンの映画などに出演しているコメディエンヌ=マーサ・レイは、白人である。少なくとも、アフリカ人の祖先がいたという記録は残っていない。

残るは、バラク・オバマフィル・ライノット

「黒人」初の大統領として知られるオバマはもちろん、ケニア人留学生の父を持つ「黒人」。しかし、「アフリカ系アメリカ人」かということになると、問題が残る。通常、「アフリカ系アメリカ人」という言葉で示されるのは、数百年前にアフリカ各地から奴隷として連れ去られてきた人々の子孫である。当時のアフリカには現在の国家はなく、また長い歴史のなかでどこから連れてこられたかもわからなくなっている場合がほとんどだ。だから、後の時代になって(オバマの父のように)、アフリカからやってきた人びとを、国の名前を使って「ケニア系アメリカ人」「ナイジェリア系アメリカ人」というのに対し、奴隷の子孫を「アフリカ系アメリカ人」という。奴隷制と人種差別社会アメリカにおける苦難の歴史を共有していないオバマは「黒人」ではあっても、「アフリカ系アメリカ人」ではないと言える。しかし、そんなオバマを教会を中心としたアフリカ系アメリカ人のコミュニティに連れていき、溶け込ませたのが、ミシェル・オバマ夫人だと言われている。その結果、ジェシー・ジャクソン師のように、当初、オバマへの不信感を露わにしていたアフリカ系アメリカ人指導者も、彼の存在を認めるようになった。いわば、オバマはミシェル夫人を通じて、アフリカ系アメリカ人に「なった」といえるかもしれない。

一方のフィル・ライノットは、ロック・バンド「シン・リジー」の中心的存在で、ベースとヴォーカルを担当していた。彼は、ブラジル人の母親と、アイルランド人の父親の間に生まれた。ブラジルなど南米では、白人か黒人かということを問題にしないので、彼の母親がアフリカ人の血を引いていたかどうかは定かではない。むしろ、ポイントは、彼がアイリッシュというアイデンティティを選択したことだ。アイルランド人としての意識を高めた彼は、バンドと共に、アイルランド音楽を取り入れた『ブラック・ローズ』などの作品を発表していく。このように、アイデンティティには自主的な「選択」という問題も絡んでくる。実際、現在、アメリカの国勢調査も人種欄は自己申告に基づいている。

もちろん、ここで問題にした黒人/白人というカテゴリー自体、根本的にはナンセンスなものである。しかし、差別がなくなっていない以上、人種的なカテゴリーが力を持ってしまうことも事実である。このことを踏まえて、パッシング、アフリカ系アメリカ人の二重意識、ブラック・ナショナリズムの功罪などについて話した。

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4限。サバティカル中の富山先生のピンチヒッターで担当することになったゼミのテーマは、「ブルースを読む」。初回はまず、ブルースとは何かについて、ぼくなりの考えを述べた。ブルースはもちろん、第一義的には「音楽」である。音楽としてのブルースは、ブルーノート音階、7thコードの多用、コード進行、AABの形式などで、比較的定義しやすい。また、奴隷解放以前の音楽(スピリチュアルやワークソング)が集団の音楽だったのに対し、解放後に生まれたブルースは個人の歌であったと言われている。もちろん、それはブルースがコミュニティと無縁に存在していたということではない。ブルースはfloasting lineとも言われる、コミュニティの共有財産である常套句を用いながら、個人的体験に対するコミュニティの共感を求める音楽である。

ブルースは音楽であると同時に、「憂鬱」を意味する言葉でもある。しかも、それはしばしば、死と隣り合わせの深刻な憂鬱である。人種差別、リンチ、強制労働、貧困といった深刻な現実がブルースの背景にはある。こうした現実に、肉体的にも、精神的にも押しつぶされそうになりながら、生きる人びとは、そうした現実の「憂鬱(ブルース)」を、「憂鬱」という名の音楽=ブルースによって乗り越えようとする。ブルースは、日本のブルースバンドの名前にあるように「憂歌」なのだが、しかし、単なる憂鬱な歌ではない。ブルースによってブルースを乗り越えていくパラドクシカルな力がなければ、ブルースは成立しない。ラングストン・ヒューズが指摘しているように、そこではユーモアが大きな役割を果たしている。ブルースを乗り越えるブルースの力は、「死のうと思って線路に頭をのせるが、列車が近づいてくるのを見て、慌てて頭をのける」といった、死を直視したきつい笑いから生まれてくる

ブルースはしばしば、擬人化され、人間じみた存在として描かかれる。例えば、リロイ・カーは「ブルース、なぜ俺を悩ませる、なぜいつまでもここにいるんだ。昨日来て、一晩中俺のそばを離れない」と歌ったし(「ミッドナイト・アワー・ブルース」)、、ロバート・ジョンソンは「朝、目を覚ましたら、ブルースが人間みたいに歩いて入ってきた」と歌う(「プリーチン・ブルース」)。擬人化されたブルースは、いやな気分、憂鬱なのだが、同時にそれは歌としてのブルースになり、ブルースマンを救う、両義的な存在である。それは生きている限り消えることはなく、生きることそのものですらある。こうした擬人化されたブルースの両義的存在について考えるにつけ、思い出すのが三遊亭圓生が得意とした落語「死神」に出てくる「死神」である。死神は死のものであり、死のうとしている主人公に、死をもって死を乗り越える方法を教える。しかし、「死神」の多くのヴァージョンでは、結局、自分を裏切った主人公を死へ追いやる。その時に見せるサディスティックな顔は、死神が敵か味方かわからない両義的な存在であることを示している。ブルースと死神の類似性。そして、それは、やはり両義的なトリックスターである、ヴードゥーの十字路の神レグバにもつながる。ロバート・ジョンソンが魂を売り渡した悪魔というのは、果たしてレグバだったのか・・・

と、ちょっと眉唾の話も含めて、ブルース死神論を展開し、学生を煙に巻いた。来週はボブ・ディランのノーベル文学賞受賞講演を題材に、ブルースをアメリカの口承文化のなかに位置づけてみたいと思う。

澁谷に移動して、國學院非常勤前期第一回目。今年は英語の授業2コマ(6、7限)。7限の再履クラスは知った顔が多い。なかには、昨年度、ぼくが落としたにもかかわらず、飽きずにくる学生もいる。成績は半分はちゃんと教えられたかというぼくの成績でもある。とはいえ、本人がちゃんとやらなければ、良い成績はつけられないのも事実だ。まあ、ぼくもさんざん落第したクチだからね。単位落とすぐらいは長い人生で大したことではない。でも、卒業するつもりなら、どこかでとらないとね・・・で、いつとるの?今でしょ!・・・というわけで、アンケートを使って、いつものようにイントロダクション。

2018年2月7日(木)

ですます調のデスマスク(イミフ)。



明治学院「アメリカ研究」のレポート100本余り、チェックし終わった。テーマは「20世紀以降のアフリカ系アメリカ人について」。授業でやった内容を手堅くまとめたものが大半を占めるなか(それも悪くはないのだが)、自分でテーマを探り当て、しかもそれが講師の知らない事実を含んでいるとなると、当然点数も高くなる(といっても、100点満点中、2~4点にすぎないが)。今回は何といっても、アフリカ系アメリカ人の振付師,、アルヴィン・エイリーについて教えられた。クラシック・バレエの延長線上に、より自由なテーマで展開するモダン・バレエで活躍するダンサー/振付師としては、授業でもキャサリン・ダーナムを紹介したが、エイリーについては全く知らなかった。1960年にニューヨークのカウフマン・コンサート・ホールで初演された『リヴェレーションズ』は、テキサスの田舎で育った幼少期の記憶をもとにつくられ、音楽には霊歌やブルースが採用されている。黒人とバレエと言えば、2015年にミスティ・コープランドが黒人で初めて、アメリカン・バレエ・シアターのプリンシパル(主席ダンサー)になったことが話題となったが、逆に黒人であることが話題になるほど、人種の壁はまだ厚いということか。



黒人ミュージシャン、ダリル・デイヴィスが、クー・クラックス・クランの人種差別主義者と対話し、その人種差別的な考えを変え、友情を築くまでを描いた映画『ダリル・デイヴィス KKKと友情を築いた黒人ミュージシャン』(Accidental Courtesy: Daryl Davis, Race & America、マット・オーンスタイン監督、2016)についても、今回学生のレポートで初めて知った。要旨を聞いただけで、惹かれる内容だ。とりあえず、Netflixで見れるようなので、要チェック。ちなみに、デイヴィスは、ブギブギ・スタイルを得意とするピアニストで、チャック・ベリーB・B・キングとの演奏経験もある。役者の経験もあり、ゾラ・ニール・ハーストン原作の『ポーク・カウンティ』にも出演しているらしい。映画では他に、人種間結婚を描いた『ラビング 愛という名の二人』(Loving、ジェフ・ニコルズ監督、2017)についても教えてもらった。



公民権運動におけるベイヤード・ラスティンの功績に言及した学生が複数。ほかの授業で取り上げたのかもしれないが、ゲイであったことも含め、注目すべき人物である。とかく裏方という位置づけのラスティンだが、非暴力不服従という方針においては、彼の哲学がキング師を先導していた部分もあり、公民権運動を考えるうえで、見逃せないテーマであると気づかされた。

2018年1月31日(水)

横浜国大非常勤「英米文学」、第十五回目(最終回)。最終回にようやく、1970年代後半に注目を浴びた黒人女性作家たち ― アリス・ウォーカーと、トニ・モリソンにたどり着いた。もっと早く取り上げて欲しかったという学生もいたが、時系列でアフリカ系アメリカ人の歴史を追いながら、文学を紹介していくと、こういうことになっしまう。今回の内容は、明治学院「アメリカ研究」の最終回とほぼ同じなので、そちらを参照されたい。ウォーカーについては、女性器切除反対の運動に触れたところ、反響が大きかった。授業の後半では、アミリ・バラカの「変わっていく同じもの」、ヘンリー・ルイス・ゲイツ・ジュニアの「シグニファイイン」といいった概念を紹介しながら、先行するテキストをパロディ的に援用しながら、新しいテキストを生み出してく、アフリカ系アメリカ人の文化の受け継ぎ方について話し、グランドマスター・フラッシュの「ザ・メッセージ」を聞きながら、その機械的なビートは先行する肉体的なビートをパロディ的に受け継いでおり、これをリズムのシグニフィイインと呼んでも良いのではないかという自説を展開した(これで、ヒップホップに言及するという「宿題」も果たせた)。

歴史や社会的な問題ばかりで、「英米文学」らしからぬと言われたこの授業。もちろん、黒人作家の作品を理解するには、その背景を知らなければならないという考えがあってのことだが、来年度はそのあたりも少し考える余地があるかもしれない。歴史的な事実の解説と、それをテーマとした作品をひとセットにして紹介するとか。ともかく、お付き合いいただいた学生諸君、ありがとう。

2018年1月25日(木)

「女風呂は小学生以下の男性のお子様と、お身体の不自由な男性のお客様にもご利用いただいております」「えっ」というところで目が覚めた。パーキンソン病患者は「お身体が不自由」にはいるかどうか。

首都大非常勤、後期第十三回目(最終回)。『ジャズの誕生』をテキストに、ほぼ毎回、最初に音楽をかけてきたこの授業だが、最終回は急にぶっとんで、ドン・チェリーの『永遠のリズム』をかけた。いわいるフリー・ジャズに入るのだろうが、この人やオーネット・コールマンの演奏には、アルバート・アイラ―のような極北に立つ悲痛さのようなものはない。むしろ、子供がおもちゃ箱をひっくり返したような感じで、楽しい。学生は、「なんかわけのわかんないもの聞いちゃったな」という感じかもしれないが。テキストは、1限が「特殊な組織というのは、秘密結社のことである。ニューオリンズの黒人の生活には、秘密結社が隅々まで入り込んでいる。<秘密結社や友愛団体を中心としたものほど、人種に特徴的で、急速に発展した黒人の生活の局面はない>と、H.W.オーダムは書いている」まで。2限が第5章「バディ・ボールデンとジャズの発展」に入り、「かつて<カーヴィング・コンテスト>として知られてた音楽のバトルは、ジャズの歴史の中で頻繁に起きてきたし、今でも起きているニューオリンズ時代の初期、それ(音楽バトル)はアームストロングキッド・レナ(これはまさに伝説である)、レッド・アレンガイ・ケリージョー・オリヴァー(のちのキング)対フレディ・ケパードであった」 <もしラッパで相手を吹き負かせられなかったとしても>、トランペッターのマット・キャリーは『ヒア・ミー・トーキン・トゥ・ヤ』のなかで述べている。<ラッパを使って、そいつの横っ面をぶっ叩くことはできるさ>。30年代のカンザス・シティでは、それ(音楽バトル)はサキソフォーン奏者のコールマン・ホーキンスレスター・ヤングであり、ニューヨークではトロンボーン奏者のビッグ・グリーンジミー・ハリソンだった(1953年のバンド・ボックスでは、カウント・ベイシーデューク・エリントンのバンド全体であった)。ジャズのような自由な音楽では、ミュージシャンは持続性があってスウィングする即興演奏の能力によって評価される」、3限はその先、ボールデンのバイオグラフィの続き。「彼は人々の称賛によって「キング」の初号を獲得した最初のジャズマンであり、7年間の間、間違いなくチャンピオンだった。それから、29歳のときに、パレードの最中に発狂し、1907年6月5日、アンゴラの州立病院に収容され、24年後に亡くなった」(ここから、カルテの引用)「死の6年前、ボールデンはS・B・ヘイズ医師の回診を受けている」「接しやすく、返事もはっきりしている。偏執的妄想、誇大妄想あり。幻聴幻覚あり。独り言を言う。過剰な反応。壁に貼ってあるものをむしりとる。自分の服を破る。洞察力、判断力に欠けている。病状は悪化しているように見えるが、記憶はしっかりしている。とりとめのない一連の話。ここに来る前に彼を悩ませた人々の声を聞く。アルコールが原因で、一か月拘置所に入れられた経験あり。診断:早発性痴呆症、偏執狂型」「公式の記録には、バディのっコルネットを運ぶ特権をめぐって女性たちが争ったことを臭わすものは何もない」

江古田マーキーに、ひらげエレキテルとして出演して、6曲歌ってきました。演目は、「New Song」「行こうよ」「かわいい子猫ちゃん」「煙草屋のお嬢さん」「焼酎」「最後の日」。聞いてくだったみなさん、ありがとうございました。暖かいお客さんに支えられて、トークも空回りせず(笑)、楽しく歌うことができました。

2018年1月24日(水)

電車のなかで出産した女性に対して、「自己管理能力なさすぎ」といった批判がぶつけられているという話。ぼくも他人ごとではない。パーキンソン病が悪化して、電車のなかで動けなくなったり、ジスキネジアで身体が勝手に動いてしまったとき、やはり、「そんな身体で電車に乗って来るなよ」「自分の身体のことぐらい、自分で管理しろ」と冷たい目で言われるのかもしれない。実際、身体がうまく動かなくてまごついていると、それに似たような経験をすることもある。そういう人には、あなたは自分の憎悪を管理できているのか?と問いたい。人間、自分の心身だからと言って、そうそうコントロールできるものではないのだということを分かって欲しい。

横浜国大非常勤「英米文学」、第十四回目。前回紹介したマーティン・ルーサー・キングと比較しながら、マルコムXの思想を見た。あいかわらず、文学らしからぬ授業だが、キング師とマルコムのスピーチを文学として読むというテーマを掲げた。キング師のスピーチのベースとなっているのは、言うまでもなく黒人教会の説教だ。会衆とのコール&レスポンスを交えて、聖書のイメージを駆使するその言葉は、絶望のなかで暮らす人々に約束の地を指し示す希望の光というべきかもしれない。一方、マルコムXのスピーチにそうした歓喜の響きはない。皮肉な笑いを交えながら、聴衆が心のなかではわかっていながら、目を背けようとしている現実をつきつける。いわば、異化作用のあるスタンダップ・コメディに近いスタイルだ。

スピーチのスタイルはもちろん、キング師とマルコムは、さまざまな点で鋭い対照を見せる。図式的なことは否めないが、両者の違いをまとめてみた。

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マルコムが訴え続けたのは、自分自身が何者であるかを知り、そのことを引き受けて生きていくということだった。アフリカ系アメリカ人の場合、それは自分たちが奴隷の子孫であるということだ。アメリカ社会で黒人として生まれれば、自分たちの祖先がアフリカから拉致されてきた奴隷であるということは知っている。しかし、そのことを常に意識し続けるのは、あまりにもつらいことで、多くの人がそこから目をそらして生きている。しかし、マルコムはそこから出発するしかないと主張した。奴隷の子孫であることが、現在の苦境の出発点であり、そのことから白人アメリカの罪も見えてくる。アメリカの夢は、黒人にとってアメリカの悪夢であるという言葉も、白人と袂を分かつ分離主義もすべては、そこに端を発する。

キング師の非暴力に対し、暴力も辞さない過激派というのがマルコムの一般的なイメージかもしれない。しかし、マルコムは、「いかなる暴力を支持したことはない」と断言している。仮にマルコムに暴力と関係する面があるとしても、それは黒人の自己防衛とセットで語られるべきものだ。その点では、キング師の非暴力が不服従とセットなのと似ている。マルコムは、武装して身を守る権利が認められた国アメリカにおいて、黒人だけが自衛を認められないことの不公平を訴えただけだ。黒人も、KKKのような団体からの暴力に対し、自衛すべきである。そのためには銃を持つことも辞さない、と。この点は、ネイション・オブ・イスラムとの決別、メッカ巡礼のあとも変わっていない。

メッカ巡礼で白人も有色人種も兄弟として手を取り合っている姿を見て、「白人はすべて悪魔だ」といったイライジャ・ムハンマドの思想から離れ、大きく変化したと言われるマルコムだが、以前から人種を越える思想の萌芽は見られた。バンドン会議を取りあげ、黒人が国際的には少数派ではないことを訴えた1963年のスピーチで、マルコムが「黒人」という言葉で意味しているのは、アフリカ系の人々だけではない。アジア、アフリカ、中南米の広範囲にわたる、すべての抑圧された人々である。この時点ではまだ、肌の色にこだわっているが、ここから境界線は抑圧する側とされる側に引かれるべきであり、白人=ボスであるというのはアメリカ特有の現象であるということに気づくのは、あと一歩という気がする。

いずれにしても、人種を越えた視点という意味では、晩年のマルコムはキング師の思想に近づいたと言えるのだが、キング師もまた晩年にマルコムの思想に近づいたことはあまり指摘されない。とりわけ、ベトナム戦争反対表明に踏み切ったキング師は、あらゆる抑圧されたものの共闘という国際的な視点という意味で、マルコムに接近していたのだと言えるかもしれない。

残りの時間で、「アフリカ文学つまみ食い」第三弾として、チヌア・アチェベの『崩れ行く絆』を紹介した。マッチョな成功者だが、人付き合いの下手なオコンクオと、金にだらしない、しかし、人付き合いの良い失敗者の父ウノカという対照的な親子の葛藤の物語。

ベトナム戦争と黒人というテーマが出てきたので、最後に、アメリカの国歌「星条旗」が北爆の爆撃音と逃げ惑う人々の悲痛な叫びに変わっていく、ウッドストックにおけるジミ・ヘンドリックスの演奏を聞いて、終わり。考えてみれば、アメリカの夢が、抑圧されたものにとっては、アメリカの悪夢であることをこれほど鮮やかに表現したものもないだろう。

2018年1月18日(木)

アゲハ蝶と禿げアチョー。

首都大非常勤、後期第十二回目。『ジャズの誕生』をテキストとするリーディング3コマ。キング・オリヴァーの演奏を聞きながら、授業開始。1限は、「1871年(原書の誤りで、正しくは1881年)、13もの黒人組織が、ガーフィールド大統領の葬儀で、自分たちの楽団によって代表された」「ニューオリンズにおける黒人楽団の卓越と頻出(ニューオリンズから優れた黒人楽団が次々と現れたこと)はどう説明できるだろう。フランスとの密接な関係とブラスバンドの一般的な人気に加えて、ニューオリンズには楽団に雇用を与える特殊な組織と、広範囲の機会に楽団の存在を受け入れる他にはない伝統があった」まで。2限がその続き、「特殊な組織というのは、秘密結社のことである。ニューオリンズノ黒人の生活には、秘密結社が隅々まで入り込んでいる。<秘密結社や友愛団体を中心としたものほど、人種に特徴的で、急速に発展した黒人の生活の局面はない>と、H.W.オーダムは書いている。秘密結社は<埋葬費、疾病手当や亡くなったメンバーの受取人への使用額のお金を払う>。秘密結社はまた、<仕事の単調さからの気晴らし、野心や陰謀の場、パレードの機会、不幸に備えた保険を提供する>とW.E.B.デュボイスは付け加える」まで。3限はずっと先の第5章。「ジャズにおける最初の典型的な伝説は、チャールズ・「バディ」・ボールデンの生涯である。彼はカーヴィング・コンテストで負け知らずだった。コンゴ広場のダンスが終わる前に、8歳になろうとしていた。また、おそらくヴードゥー教のすべてを知っていたし、彼の入っている秘密会議に出席していた。彼はブラスバンドの熱狂のなかで育ち、西洋の楽器であるコルネットを習得した。子供のころ、教会の叫ぶ会衆の一人だった。彼はニューオリンズとその周辺に残っているあらゆる音楽的影響を受け継いでいた。そして、彼のコルネットから飛びだした音が、新しい音楽の確立を助けた」。これまでテキストの課で取り上げられてきた、ジャズ誕生につながる要素(コンゴ広場、ヴードゥー、秘密結社、ブラスバンド、西洋の楽器の導入、黒人教会)が、ボールデンのなかに流れ込み、コルネットからジャズという新しい音楽になって飛びだす、というスリリングな瞬間。ぼくがこのテキストのなかで、一番好きなパッセージのひとつだ。そして、テキストはボールデンのバイオグラフィに。「ボールデンは1868年(教科書の間違いで、本当は1877年)、ニュー・オリンズの荒っぽい住宅地域で生まれた。理髪店を経営し、「ザ・クリケット」と呼ばれるスキャンダル誌を編集し、1897年ごろには、最初の正真正銘のジャズ・バンドを結成した」

2018年1月17日(水)

横浜国大非常勤「英米文学」、第十三回目。前々回、前回と、ようやく文学らしい話になったこの授業だが、再び社会的・歴史的背景の話に。今回は、50年代半ばから70年代初頭にかけての、公民権運動について。50年代に入って、黒人の権利を求める運動は各分野で成果をあげつつあった。とりわけ、公教育における人種隔離を否定したブラウン判決によって、プレッシー対ファーガソン判決の「分離すれども平等」の原則が覆されたことの意味は大きかったあ。しし、そのことに対する差別主義者の反発も大きく、それを利用しようとする政治家の思惑なども絡み、ルーシー事件リトル・ロック高校事件などの形で噴出した。チャールズ・ミンガスは「フォーバス知事の寓話」で、入学式の直前に白人住民を扇動する発言をしたフォーバス州知事や対応が遅れたアイゼンハワー大統領を罵倒した。

この当時までの、運動は言論と裁判闘争が中心で、ブラウン判決はその最大の成果というべきものだ。しかし、裁判闘争は諸刃の剣である。裁判所が人種差別にノーの判決を下す可能性は五分五分で、裁判が人種差別を支持する判決が出れば、判例となって残り、長きにわたって運動を停滞させることになる。黒人エリートによる言論活動は、圧力をかけるにはあまりにも弱い。裁判闘争は重要だが、それを支える力が必要だった。モントゴメリーのバスボイコット事件(1955)は、裁判闘争を支える圧力として、大衆動員による直接行動が行われたという意味で、エポック・メイキングな出来事だった。そして、この運動を通じて、公民権運動の指導者として頭角を現したのが、マーティン・ルーサー・キング・ジュニアだった。

公民権運動と言えば、マーティン・ルーサー・キング・ジュニア、キング師と言えば非暴力。それはそれで間違ってはいない。キング師と公民権運動における非暴力は、不服従という言葉とセットで語らなければならない。それは右の頬を打たれて項垂れる敗者の非暴力ではない。暴力は使わない、しかし、決して服従もしない。抵抗者の非暴力だ。そして、非暴力不服従の運動を進めるために、採用されたのが大衆動員による直接行動、すなわち、デモや座り込みである。先日、セルマからモントゴメリーへの行進を描いた映画『グローリー 明日への行進』を見て、ぼく自身、「非暴力不服従」が現実にどのようなものだったのか、わかっていなかったと感じた。それは、殴られる(時には、殺される)とわかっていて、徒手でそこに出向くことなのだ。

キング師は、なぜ直接行動を?交渉というもっといい手段があるではないかと問う人々に、そう、その言論こそが私たちの求めているものなのだと答える。黒人との話し合いを絶えず拒否してきた相手を、話し合いのテーブルにつかせること、言い換えれば、そこに問題があることを認識させることこそが、直接行動の目的なのだ。こうしたキング師の手法に共感する人々によって、非暴力不服従の運動は、さまざまな形で広がっていく。シットイン、フリーダムライドなどは人種差別主義者の側からの強い反発にあいながらも、成果を残していく。キング師もバーミンガムの闘争やセルマの行進などで、運動を指導し、ワシントン大行進では「私には夢がある」で有名な演説を行った。

一方で、人種差別主義者の反発は激しさを増した。1955年、アメリカ南部で、北部から遊びに来ていた黒人の少年エメット・ティルが、白人の女性に口笛を吹いて声をかけたというだけの理由で、無残な遺体となって発見された事件は、全米を震撼させた。また、1963年には、NAACPのミシシッピ州ディレクター、メドガー・エヴァースが自宅前で後ろから銃で撃たれ死亡、1964年には、SNCCの公民権運動家が3人、KKKによって殺害された。いずれの事件も容疑者は、白人ばかりの陪審員によって無罪となり、裁判のやり直しが認められた直は数十年後だった。

この当時の新南部ミシシッピの黒人が置かれた状況を皮肉を込めて歌ったのが、J・B・ルノアーのブルース「ダウン・イン・ミシシッピ」である。

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