☆告知☆
今年も南部アフリカの国、ジンバブウェに行ってきました。ジンバブウェでの飲んだくれ具合は『ジンバブウェ滞在記2009』をご覧ください。 |
| 固定リンク | コメント (7) | トラックバック (0)
今年も南部アフリカの国、ジンバブウェに行ってきました。ジンバブウェでの飲んだくれ具合は『ジンバブウェ滞在記2009』をご覧ください。 |
| 固定リンク | コメント (7) | トラックバック (0)
今日のラーメン:「超らぁめん(超濁系・醤油味・二刀流麺)(690円)」@天王町・星川『超らぁめん 麺や 神音』 丸鶏を使った「超澄系」、とんこつを使った「超濁系」、それぞれに醤油・塩・味噌があり、麺も細麺から極太まで数種類が選べる。今日は豚骨醤油、二種類の麺を合わせた「二刀流」で。スープは一見、家系のようだが、家系のようなまろやかさはない。二刀流とはいえ、麺の違いはあまり感じられない。お店の人も「ラーメンにするとあまりわからないかもね」と言っていた。それじゃ意味ないじゃん・・・★★★+
このところ作っていた新曲のデモトラックが完成した。タイトルは「ろじうらー」→こちら
| 固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)
今日のラーメン:「節つけ麺(680円)」@橋本『東池袋大勝軒 節の一分』
久しぶりに大勝軒系の『節の一分』へ。節系をこれでもかとプッシュした感じは相変わらず。でも、こんなに醤油味が強かったっけ?ぼくの記憶もあまり当てにならないのだが、ちょっと印象が違うような。野菜がたくさん入っているところは身体にはいいかも。極太麺は本家ゆずりのつるんとしたパスタのようなものではなく、もっとひっかかりとコシのある流行りの感じ。これも前からこうだったかなぁ・・・★★★+
ピーター・バラカン『魂(ソウル)のゆくえ(改訂版)』(アルテス・パブリッシング、2008)を読みおわった。1989年に発売されたオリジナル版は、ピーター・ギュラルニック『スウィート・ソウル・ミュージック』が翻訳されるまでは、日本語で読めるソウル入門書の決定版だったといっていい。ゴスペルへの回帰と白人ミュージシャンとの共同作業という両面からソウル・ミュージックを捉える視点を、ギュラルニックの本に先立ってぼくに植えつけたのはこの本だったかもしれない。本書はオリジナル版を大幅に改訂・増補したもので、ヒップホップなど1989年以降の動きをフォローしてある。ただし、あとから加えた部分は一人ひとりのミュージシャンに割かれたスペースも少なく、とってつけたような感は否めない。ヒップホップ以降の音楽やワールド・ミュージック(サリフ・ケイタ、ユッスー・ンドゥールや「砂漠のブルース」まで取りあげている)は、「ソウル」という文脈で取りあげるには無理がある。「音楽で感情をストレートに表現することを仮にソウルと呼ぶなら」(254)というような捉え方は、世界各地の音楽を「ワールド・ミュージック」で括ってしまうこと(←バラカンさんも苦言を呈している)と同じくらい乱暴だと思う。せっかく、前半でソウル・ミュージックの時代性を丁寧に明らかにしているのにもったいない。それと、「黒っぽい」かどうか、というような視点ではもはや切り取れないところに今のブラック・ミュージックは来ている。その意味で、オリジナル版から大幅に削ったというマイケル・ジャクソンについては、批判するにせよ評価するにせよ、論じておいて欲しかった。とはいえ、レコード/ビデオ・ガイドも全面的に改訂され、わかりやすい言葉で書かれた入門書としての価値は増した。明治学院の授業(「アフリカ系アメリカ人の歴史と文化」)で学生に推薦しよう。
気になることがひとつ。オーティス・レディングを紹介するなかに、「『愛しあってるかい』と呼びかけ、純粋な愛を切々と歌う姿が『ラブ&ピース』の時代に似合っていた」という一節がある(86)。オーティスがモンタレー・ポップ・フェスティヴァルで"We all love each other, am I right?"って言ったのは確かだけど、「愛しあってるかい?」っていう訳は、オーティスを意識したキヨシローのMCを思わせる(オリジナル版が手元にないので、今回付け加えた言葉かどうかはわからない)。バラカンさんは「どこがいいの?歌詞?」などと発言して、RCファンの反発を招いたことがある。その後の忌野清志郎についてどう思っていたのか、ちょっと聞いてみたい気がした。
| 固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)
今日のラーメン:「煮干ラーメン(650円)」@天王町『北海道らーめん 壱鵠堂』天王町店
煮干をふんだんに使った新メニュー。煮干の香るスープはそれなりに美味いが、ちょっとわざとらしい感じも。どっさりとのせられた魚粉とあいまって、これでもかと魚の旨味が。GMフーズ系列に特徴的なゴムのような麺は好きになれないが、スープの熱が通るうちに気にならなくなる。チャーシューはパサパサであまり美味しくない。それにしても北海道ラーメンでも何でもなくなってきたな・・・★★★+

横浜中華街の諸国漫遊食堂ネネカフェでサカキマンゴーさんのライブ&トークを見た。小さめの親指ピアノを手に登場したマンゴーさんは、地を這うようなゆったりしたテンポの曲を演奏しはじめた。この速さでテンポを乱さず、芯に力強いグルーヴを感じさせるところはさすがだ。タンザニア製の大きなリンバに持ち替えての演奏は圧倒的。びりびりという音が波になって、隅から隅まで世界を洗いつくす。
ここでトーク・コーナー。モニターにマンゴーさんがタンザニア、コンゴ、マラウィなどで撮ってきた写真やビデオが映しだされる。マンゴーさんのユーモラスな説明を聞いているうちに見えてきたのは、楽器だろうがおもちゃだろうが、なければ自分で作ってでも、人生を謳歌する人びとの姿だった。何もない不便なところほど、人びとは飄々と自由気ままに音楽を楽しんでいる。こういった「暇つぶしの」音楽は、ラジオのような新しい娯楽が入ってくると消えていく運命にあるという。そういえば、ハラレでも停電になるとみんな意気消沈してたもんなぁ。こういうときこそムビラを弾いたらいいんじゃないかと思ったんだけど・・・(電化製品にかこまれて暮らしているぼくがとやかく言えることじゃないので黙っていた)。
後半、会場の明かりを落として演奏したのは、現地では5時間も「鳥が飛んでいる」という歌詞をくり返し、老婆をトランスに導くという曲。波寄せるリンバの音に身を任せるうちにぼくの魂は空高く舞い上がり、マチュピチュの上空を飛ぶコンドルの俯瞰から世界を見下ろしている。これは5時間やられたら、間違いなくトランスに入る。ジンバブウェのムビラによる「ネマムササ」や鹿児島弁で歌う「浜へ(ハメエ)」(この切なさはなんだろう?)も胸にしみた。アンコールでピグミー・スタイルのコーラスを割り振って、観客を楽しませる。素晴らしい時間だった。
| 固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)
今日の夕食は回転寿司。絶対勝てると思って、「ひらげはラーメンを食べている」という賭けをした人がいないことを祈ります。

ビビビ
エルビン・ビショップ
ビビビ
ビンボービンボー
ビビビ
ビルカンリ
ビビビ
ビジンコンテスト
ビビビ
ビートルマニア
ビビビ
ロビンチャン
ビビビ
ニホンダービー
(千疋屋ノートより)
学生・院生用のロッカーのうち、未登録のものの中身を撤去した。卒業するときに、鍵をかけたまま私物を残していくフトドキモノがいるので、大きな鉄切断用のハサミを使ってダイヤル錠をぶち壊さなければならない。こんチクショー、まったく世話がやけんなぁ・・・ん?あ、あれ?これ・・・おれのじゃん!世話のやけるフトドキモノのなかには、院生時代のひらげも含まれていたようだ。
十数年前の自分の持ち物と対面して、しばし呆然。そのなかには何と、18年前の千疋屋ノートが・・・都立大軽音で代々引き継がれてきた果物屋ビルの夜警バイトで、夜な夜な書かれていた交換ノートである。1991年、ひらげとNとSの3人でやっていた頃のものだ。若さと馬鹿さがから回りする青春の数十ページ。内容は恥ずかしくてお見せできないようなものばかりだが、そのなかにトーマス・マプーモ来日公演の感想があった。面白いので転記しておこう。
5/24夜昨日、トーマス・マプーモとゆージンバヴェ(←ママ)の人のコンサートを見てきた。めちゃくちゃ良かった。正直なところ、この間のユッスー・ンドゥールより良かったかもしれない。実を言うとミュージック・マガジンで小野島大氏が言っていたようなこと(「ユッスーは自分自身の文化に対して批評性がない。西洋≒ロックの要素を安易に取り入れすぎる」)って、ぼくも多少感じていた。そのへん、マプーモは軽くクリアしている。最近ますます伝統に回帰してるし、独立闘争時代、反植民地主義を唄い、独立後も政府の腐敗を徹底的に批判していて、単なる「地元の英雄(であることはあるのだが)」ではない。そして何より音楽と存在自体に凄みがあるのだ。これはコンサートにおいてなおさらそうだった。
英文科の福島先生も見に来ていたのだが、先生に「ほら、あそこに自分たちだけイスだして座ってんのが、ガーナ大使とその夫人だよ」とか教えてもらって、ちょっとうんざりした。そーゆー奴らを攻撃すんのがマプーモの音楽なんじゃねーの?でも、アフリカは国によって言葉が全然違う。マプーモは自分の母語であるショナ語で歌うから、ガーナの奴にゃわかんないか・・・。
でも演奏がはじまると、そんなことはぶっとんでしまった。かっこいい。女性コーラスのダンスとかも入るけど、ユッスーのダンスがかなりの部分ショーアップを目的(←<Nの字で>キャバレーのおどりみてーだった)としていたのに対し、マプーモのバンドのダンスは音楽をより自分たちのものとする、泥臭くするためのものという感じだった(←<Nの字で>いーじゃん)。
コンサートが終わって、福島先生と残っていたら、マプーモが出てきた(!!)。アフリカの人たちと話をしている。みんな「俺の英雄」って感じで近づいていって写真をとっている。マプーモは表面的にはうれしそうだけど、そのくせなんか「この田舎ものめ!もっと他にすることがあんだろ」って感じがあって、そいつらとは一線を画しているようなところがめちゃくちゃクールだった。福島先生→ジンバブウェ大使館の人→マプーモって感じで紹介してもらって、握手をした。
大使館員"This Young man is a Fujio's(←福島先生) student."
マプーモ"Oh! yeah"
オイラ"Nice to meet you. Wonderful music!"
と短い会話を交わして、マプーモの大きくて分厚い手を握った。福島先生に写真をとってもらって、僕も「田舎者」の仲間入りをした。あーなんか、存在自体が格違いだった。くじいた右足があっという間に治りそうなほどのエナジー(オーラ)を感じた。
今まで、ロック・ファンもユッスーなら好きになる、とか思っていたけど、むしろ、マプーモのほうがロック的なものを持っているのではないか(というかロックと共通するものを持っているのではないか)と思った。ユッスーは音楽的にはロックからいろいろとり入れてるけど、精神的には無縁といってもいい。マプーモは音楽こそ(エレキ・ギターとドラムが中心の編成であることを除けば)ロック的なものはほとんど全くないが、精神的には(本来の)ロックと同じものを持っていると思う。それは例えば、政府のお偉方を批判するとか言うこともそうだけど、そういう表面的な部分だけではなくて、なにか身体全体から発せられる負のパワーというか。負のパワーと正のパワーがうずを巻きながら身体から発生しているとゆーか。だから、ボブ・マーリーと同じ意味でマプーモはロックと共通するものを持っている。
ごめんね、わけわからんアフリカの話で・・・。
若い頃に特有の思い入れの激しさはあるものの、けっこう俺、言ってること変わってねぇなぁ・・・と思った次第。ちゃんちゃん(ちなみにこのページのてっぺんには「今日はかなりうんちくをたれてしまった。反省」という言葉とともにうんちの絵が描かれており、さらにご丁寧にも矢印で示して「これはうんち」と説明がついている)。
| 固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)
今日のラーメン:「ラーメン(500円)」@梅ヶ丘『せい家』梅ヶ丘店
チェーン店化した家系のひとつだが、チェーン店っぽい味の平均化はあまりなく、けっこう美味しい。蒲田店と赤羽店で食べたことがあるが、場所によってお店の雰囲気も味も微妙に違う。ここは大学生が多いせいか、やや醤油味が濃いような・・・ご飯といっしょに食べたら美味しそうだ。店内はやや雑然としていて、このへんも学生に人気のある店の佇まいである・・・★★★+
外出中、ミクシーのニュースで加藤和彦さんが亡くなったことを知った。ショックだ。最近、ミカ・バンドのかっこよさを再認識して、よく聞いていた。フォーククルセダーズも、ソロも大好き。あのちょっと鼻にかかった甘い声も最初は苦手だったんだけど、いつのまにかはまっていた。
ご冥福をお祈りします。
YouTubeには他に、サディスティック・ミカ・バンドの「ハイ・ベイビー」(←こういう女の子いいなぁ)、「塀までひとっとび」(ワンステップ・フェスティヴァルのライヴ!)といった映像もあります(いずれも埋めこみ不可)。
| 固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)
今日のラーメン:「もりそば」@神保町『特製もりそば 桑山』
池袋『大勝軒』直系のお店。店内には有名な東池袋のおやじさんの写真が。そもそも大勝軒系は甘みや酸味が強くて好みではないのだが、ここはそれに輪をかけて柑橘系のような甘酸っぱさがある。そのせいかせっかくの煮干だしがあまり感じられない。麺もややぼよんとした仕上がり。スープ割りをしてもまだ酸っぱいというのは、やはりどうかなぁ・・・★★★
御茶ノ水の貸CD屋『ジャニス』で、金子くんと遭遇。何年ぶりだろう。お互い、お薦めのCDを教えあう。金子くんはフリート・フォクシーズ、マックス・ツンドラ、クォンティック・ソウル・オーケストラを教えてくれた。ぼくはカレン・ダールトンとサカキマンゴーをお薦めした。「最近、ファンクばっかり聞いてるんですよ」「へえ、最近の?アンプ・フィドラーとか知ってる?」みたいな話をして別れた。こういうの、いいなぁ。
| 固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)

無謀な野望Vol. 1@高円寺Showboat。
大学時代からの仲間が中心になって企画したイベントに、チキリカで参加した。出演者は他にくるくるファンタジー、ゆっくりりアコースティック・オーケストラ、イオチキング。きっかけはイオチくん(イオチキング)の結婚式打ち合わせだった。みんなで企画ライブをやろう!野望は大きく無謀に、「日比谷野音」だ!と盛りあがった・・・のだが、実を言うと、ライブはともかく、「野望」の話はすっかり忘れていた。だから、企画のタイトルを見た人に「チキリカにはどんな野望が?」と聞かれても、「当日のお楽しみ」とか言ってお茶を濁していた・・・まあ、いいじゃないの。何であれ、野望は無謀なほうがいい。
いんちきアフリカ、クールに呻吟するサイケ、歌心あふれるアコースティック、シャープなロックンロール・・・昔の仲間が集まったわりには、バラエティーに富んだ、それでいて全くかみ合わないわけでもない、絶妙なラインナップだった(自画自賛)。チキリカには育児休暇中のエロ中山に代って、大先輩のベーシスト=がぶんさんがゲスト参加。ぐいぐいと力強いグルーヴと楽しそうな表情で、バンドを引っぱっていただきました。感謝。
観客はやっぱり懐かしい顔が多い。20年ほど前の大学祭にタイムスリップしたような感覚さえ覚えるが、ひとつ違うのは(ほんとうはひとつじゃないけど)、出演者も含め、子連れの人が何人もいること。サークルとか同窓会というよりも、「ファミリー」に近い雰囲気もある。ビールばかり飲んで何の手伝いもしなかったぼくが言うと怒られそうだけど、子連れで来れるライブという「野望」もいいかも。そのうち、子供たちも大きくなるだろうし。
会場に足を運んでくださった皆さん、ありがとうございました。準備に奔走したみなさん、出演者のみなさん、子供の世話をしながら参加されたみなさん、そして司会/DJのクゼくん、お疲れさまでした。終演後は高円寺の沖縄居酒屋『抱瓶』で打ち上げ。すっかり酔っ払ったけど、リラックスモード(泥酔モードともいう)だったので、ハイパーひらQにはなりませんでした(異論は認めません汗)。その後も多田さんと吉祥寺の『アフリカ大陸』に行ったりしたのですが、そのへんから記憶が印象派に・・・
ちなみにチキリカの次のライブは、エロさん復帰後、早くても来年になります(写真は多田さん撮影)。
↑それでいいんじゃない
↑カゴメカゴメカゴメ
| 固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)
今日のラーメン:「比内鶏そば(600円)」@赤羽『自家製麺 伊藤』
先週に引き続き、赤羽の『伊藤』に行ってきた。「比内鶏そば」は、煮干のダシがきいた「中華そば」と並ぶ看板メニュー。「中華そば」と同じく、薬味のネギ以外、具はまったく入っていない。それでも高いという感じがしないのは、ぶれのない直球のスープとかなり固めのコシのある麺に納得させられてしまうからだろう。個人的には魚の味が加わった「中華そば」の方が好きだが、こちらも究極レベル・・・★★★★+

赤羽でチキリハ(チキリカ・リハーサル)。もうすぐ、ライブなのでお知らせします。都立大時代の仲間たちとの企画です。早めにやって、ライブの後は高円寺の沖縄料理屋『抱瓶』で飲む予定です。お時間のある方は、ぜひお越しください(打ち上げも含めて)。
<無謀な野望Vol.1>
2009年10月11日(日)高円寺Showboat
TEL:03-3337-5745
開場:16:00 開演:16:30
Charge:前売/当日2000円+ドリンク
出演:Tikirica、くるくるファンタジー、ゆっくりり、いおちキング
(Tikiricaの出演は一番目で16:30頃の予定です)
チキリカHP:http://sound.jp/tikirica/
チキリカMySpace: http://www.myspace.com/tikirica
| 固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)
今日のラーメン:「中華そば(600円)」@吉祥寺『ホープ軒本舗』
東京豚骨醤油ラーメンの原形というべき味。見かけほど脂こってりというわけではないが、豚骨の旨味はそれほど強くなく、脂の味で食わせるスタイルには違いない。脂の多さを「コクがある」と感じる若い人ならともかく、ぼくにはちと辛い。もやしがたくさん入っているのも、ぼくには意味不明。いや、好きな人は好きだと思うんですけど・・・ぼくの求めるものではなかったです・・・★★★
フィッシュマンズや早川義夫さんとの活動で知られるヴァイオリニスト=HONZIさんの追悼イベント"HONZI LOVE CONNECTION Vol.2"を見に、吉祥寺スター・パインズ・カフェに行ってきた。実を言うと、生前のHONZIさんについてはほとんど何も知らない。多田さんがチケットを2枚買ってしまったというので、久しぶりに早川さんの歌を聞くのもいいかなと思って譲り受けた。追悼イベントに故人を偲ぶことのできない人間が行っていいものだろうかと思いながら、左端の2階席からステージを盗み見た。この日のぼくにぴったりの席だと思った。
スクリーンに生前の故人が映し出される。観客が息を呑む圧力が感じられるようだ。みんな食い入るように、歌い、弓をひく故人を見つめている。思わず故人を呼ぶ声がもれ、ゆっくりとスクリーンがあがった。最初に登場したのは歌・ピアノの鈴木亜紀さん+コントラバスの熊坂義人さん。ぼくの席からはピアノが見えないので、視線は熊坂さんの自在な指先に集中する。途中、熊坂さんが歌った「呼ぶ人、呼ばれる人、呼ばれない人」という同窓会の歌も良かった(熊坂さんが「呼ばれない人」なら、ぼくは「呼ぶけど誰も来ない人」というスタンスで行こう・・・笑)。そこへ中川五郎さん、登場。6弦バンジョーをかき鳴らして、最新のプロテスト・ソングを歌う。足を踏み鳴らし、ドタバタとリズムを取りながら歌う還暦のフォーク・シンガー。この人は「腰まで泥まみれ」を歌いはじめたころにステキだと思ったものを、今でもステキだと思っているに違いない。かっこいい。
ステージには故人と縁のあるミュージシャンが入れ代わり立ち代り登場する。アラン・パットンさん、スパン子さん、ヨタロウさん・・・世の中にはこんなにすごい人がたくさんいるのか。どの出演者も、そこにいないはずのヴァイオリニストをすぐそばに感じている。故人を偲ぶというより、帰ってきた友人を迎えるような。またいっしょに演奏できる喜びをかみしめているような。ヨタロウさんが空を駆けあがるような高音で、「すり傷ボーイ」を歌う。掛け声とともにアランさんのアコーディオンに座っていた裸の子供の人形が客席に飛んだ!客席とステージの間に落ちた人形は、手足がありえない方向に曲がっている。ビートルズのブッチャー・カヴァーを思い出した。口から心臓を飛びださせていた最前列の女の子が、ふと我に返り人形を取りあげて優しく介抱する。何だか、妙におかしい。
小休止の後、内橋和久さんのギターに導かれて、ステージ背後から卑弥呼登場・・・と思ったら、その声は忘れもしない、上々颱風の白崎映美さんだった!大学生の頃、上々颱風に夢中になり、何度もコンサートに足を運んだ。なかでも、歌声と東北弁と怪しげな佇まいが好きで、エミさんの前にはりついていた。目をぎょろぎょろと動かし、曖昧な微笑を浮かべながら歌う姿はバリ島の少女のようでもあり、寺山修司の映画に出てくる歯の抜けた老婆のようでもある。曲調が演歌ブルースに変った。エミさんは東北弁で故人との思い出を語り、コブシをきかせて「もう一度、会いたい」と唸った。天才チェロ奏者・坂本弘道さんが愛器を逆立ちさせ、固定用金具に電動ノコを押しつけて、じゃじゃじゃじゃと火花を散らす。シビレタ。次に登場したのは・・・UA!こんなに歌の上手い人がこの世におろうとは。いや、もしかすると、あれはあの世だったかもしれない。そこにはもう、吉祥寺の地下とは思えない風が吹いていた。
続いて、フィッシュマンズのリズム隊+リクオさんの演奏にのせて、三代目魚武濱田成夫さんが力強い声で詩を叫んだ。本人が言っていたように、暑苦しい。でも、暑苦しい事実も世界には必要なのだ。素晴らしい詩だった。リクオさんの歌でひとしきり盛りあがり、最後に登場したのはやはり早川義夫さん。佐久間正英さんのギターと熊坂るつこさんのアコーディオンも加わった贅沢なバンドをバックに、中年男のねっとりとした純情を歌う。何て赤裸々なんでしょう。ジャックスのころの早川さんは若者の気持ちを赤裸々に歌っていた。今は中年男の心情を赤裸々に歌っている。しばらく早川さんの歌を聞いていなかったのは、30代のぼくが中年男になることに抵抗していたからだと思う。もっと赤裸々でいいのだ。何か他のものになる必要はないのだ。
最後に全員揃ってのフィナーレ。やはり、ここにもいないはずの人が確かに存在する。死ぬまで生きた人は、死んでからも生き続けるのだろう。ぼくは生前のHONZIさんを知らない。でも、もう一度会いたいと思う人はいるから、少しはわかるよ。
| 固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)
日本のアフロビート・バンドJariBuが出演する企画"Tribal Ocean"を見に、代官山UNITに行ってきた。

代官山に行くと、いつも道に迷ってしまう。駅と道の関係がどうなっているのか、よくわからない。何とか会場にたどりつくと、すでにJariBuの演奏ははじまっていた。普段のメンバーにサポートを加えた23人の "JariBu Afrobeat Orchestra"編成。日曜とはいえ、こんな早い時間から、こんなマグマのような音楽を聞いていていいのだろうか。そば屋で昼からちょいとひっかけるつもりが、泥酔するまで飲んでしまったみたいで、罪悪感すら覚える。とはいえ、アフリカ帰りの身体は正直だ。ビートにあわせて揺れる揺れる。ホーンとパーカッションが入り乱れる姿は、渋さ知らズ!やサン・ラーのようでもある。ぶひゃ〜〜パォパォって感じに破格で終わるところは、クレージーキャッツみたいだ。たまらん。

DJタイムを経て、Panorama Steel Orchestraが登場。JariBu以上の大編成。スティールパンでさまざまな曲を演奏。すごい迫力、すごいグルーヴ。個人的にはジャクソン5「アイ・ウォント・ユー・バック」、フォー・トップス「リーチ・アウト・アイル・ビー・ゼア」といったモータウン・ナンバーが楽しかった。スティールパンでこんなに踊りまくったのは、はじめてだ。お酒も入って、ハイパーひらQになる寸前までいった。
終演後、ピガピガナイトの荒川さん、多田さんと渋谷のもつ鍋屋で飲む。日本におけるアフロ・ポップの未来について熱く語り合う(←半分ホント・・・笑)。
| 固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)
今日のラーメン:「赤丸かさね味」@横浜『博多一風堂』横浜ポルタ店
基本はもちろん博多豚骨なのだが、マー油がたっぷりかかっているところは熊本ラーメンの要素も取り込んでいるということなのか?「かさね味」というのも、そのことを意味しているのかも。美味しいけど、野生的な豚骨臭を好むぼくとしては物足りない。何となく取り澄ました佇まいに腹が立って、最後のからし高菜とご飯をぶちこんでおじや風にして食ってやった。ざまあみろ!・・・★★★+

12日の日記で紹介したジンバブウェの伝説的バンド=パイド・パイパーズについての記事が、このページにのっていた。オリジナル・メンバーはみんな死んでしまったと思っていたのだが、キーボード奏者は生き残っていた。しかも、バンドはこの記事が掲載された今年8月22日に新たなメンバーで再結成されたばかりだった。キーボード以外のメンバーに関しては、「その年齢からしてこのバンドのメンバーになってから長いんだろうな・・・と思われる」というのも間違いだった。ともあれ、ぼくは再結成したばかりの貴重なライブを目撃したことになる。新しいレコーディングも済ませたということで発売が楽しみだ。会場にアンディ・ブラウンが来ていたということは、もしかして彼のプロデュース?などと期待してしまう。以下、記事を日本語に訳してみました。急いで訳したので間違いがあるかもしれませんが、見つけたらご指摘ください。
ハラレ-10年近い冬眠期間を経て、ジャズの巨匠=パイド・パイパーズが返り咲いた。グループが一世を風靡したのは1980年代。それが今夜、ウェストリアのナイト・スポットで復活のショーを行う。夢物語のような復帰になることは間違いない。
パイド・パイパーズは「ルヴァ・ラング」「シムカイ」「マクウィロ」といった曲で人気を博したが、人気がピークに達したころからトラブルがついてまわるようになり、世紀が変わるころ早すぎる消滅の道をたどった。
結成時のメンバーはほとんどが亡くなり、ただ一人生き残ったメンバー=チャールズ・アレケタにとって、かつての人気グループを蘇らせるのは大変なことだった。
彼がグループを再建するまでにはさまざまな紆余曲折があり、今夜のショーはアレケタの偉業と言うべきだろう。
とはいえ、このキーボード奏者が新装パイパーズをかつての高みへと引き上げられるかどうか、まだ未知数である。
アレケタは「伝説のバンド=パイパーズの全盛期は今でも魅力的だ」と強気だ。
「新しいメンバーは集中して、古いグループの歴史を書きかえようと躍起になっている」と、アレケタは先週、インタビューで語っている。
「もちろん、やるべきことは山ほどある。でも、音楽の世界で抜きんでるために必要なものをぼくらはすべて持っている」
「ぼくらはすでにニューアルバムを録音した。いつでも発売できる状態にある」
「その録音に最後の仕上げをしているところさ。それでファンが抱えている渇望を癒すことができたらいい」
「たった一人生き残ったメンバーとして、グループを維持するという重荷がぼくの両肩にかかっている。死んだ友人たちがどこにいるにせよ、彼らもグループの進歩を喜んでくれていると確信するために、ぼくはできるだけのことをする」
パイド・パイパーズほどのレベルの名声を獲得したブランドが忘れ去られていくのを見るのはつらい、とアレケタは言う。復活ショーは来るべきもののはじまりになると言い、新しいグループを再び成功の旅へ連れだすことを約束する。
「ぼくはパイド・パイパーズが音楽界に残るために、昼も夜も働いてきた。仲間のメンバーが死んだときには世界がひっくり返ったようだったけど、今は復活への道を歩き出したと確信している」
「ぼくらは自分たちのブランドを永久に生きつづけさせると決めたんだ。日曜のショーはぼくらの夢への道を開くことになるだろう」
パイド・パイパーズはジャズ・サークルで最も支持されるグループのひとつだった。多くのグループが今でもライブ・ショーで彼らの曲を演奏している。
故スチュワート・ムドカ、アロウス・ジェニタラ、ジョン・ムトゥムワという才能の集まりが地域的な成功を収めたころは、いい時代だった。
それから、パイド・パイパーズは五つ星のホテルでショーを行うようになる。そこで彼らは宿泊客やパトロンを見事に楽しませた。
しばらくの間、グループはシェラトン・ホテル(後のレインボウ・タワー)を拠点に活動していたが、その後ジョージ・ホテル、テレスカネ・ホテル、ホリーズ・ホテルと場所を移した。
最大の成功は1988年、イギリス・ツアーを行った彼らは消し去りがたい成功を収めた。
冬眠期間の間、グループのファンのほとんどはパイド・パイパーズの時代は終わったと考えていた。しかし、アレケタは評論家たちが間違っていたことを証明しようと決意している。
復活の使命を帯びたチームに、アレケタはベース・ギターリストのモーゼス・ムタ、ギターリストのジミー・スティーヴンス、ドラマーのジェイムズ・ムニュングワを引き入れた。ジャック・ファマがグループのマネージャーを務める。
| 固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)
今日のラーメン:「つけそば(あごだし豚骨)」@西荻窪『つけめん まき野』
豚骨にあごダシ・・・強烈なキャラの組み合わせに、どんなものが出てくるかとてぐすねひいて待っていたら、意外にも軽い印象だった。ちょっと拍子抜けな感じもある。でも、ちゃんとあごダシ独特の感じもあるし、この組合せでまとめるにはこんな感じがいいのかな。他にも「東京醤油」「あっさり塩」といった味が選べる。中華そばもある。次はどの味にしようかな・・・★★★+

西荻窪のみ亭に岡大介くんの演奏を聞きに行った。書生節の若々しさを現代に蘇らせた岡くんの音楽は何度も紹介しているので、今さら言うまでもないでしょう。加えて今日は、岡くん自ら招いた共演者のみなさんが素晴らしい。最初に登場したのはヴァイオリン演歌の楽四季一生さん。壮士演歌から書生節を経て、より叙情的な「籠の鳥」のような歌に至る「演歌」の歴史を紐解きながら、ヴァイオリンひとつで当時の歌を披露していく。楽しかったし、勉強にもなった。続いて登場したのが、先日の寿町フリーコンサートでも素晴らしい演奏を聞かせてくれた遠峯あこさん。アコーディオンにのせて、「野毛山節」などの民謡・俗謡を歌う。アコーディオンも歌も上手いし、その上美人。かすかにニューウェイブの影響を感じさせるオリジナルも良かった。CDを買ってサインまでしてもらいました。そして、ドラム/クラリネットの中尾勘二さんとともに岡くん登場。三者三様の「東京節」が聞けたうえ、最後には出演者そろってもう一度「東京節」。ラメチャンタラキッチョンチョンでパイのパイのパイ。アンコールで高田渡さんの「生活の柄」をやったのも良かった。立ち去りがたく、ビールを飲みながらいろいろな人とお話をした。ゴローさん、ひらちゃんさん、遠峯あこ親衛隊の諸君、また会いましょう!
| 固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)
今日のラーメン:「八丁味噌のせ秋塩らぁ麺(850円)」@横浜『ちゃぶ屋 とんこつ らぁ麺 CHABUTON』横浜ヨドバシ店 秋の季節限定メニュー。塩味の豚骨ラーメンに八丁味噌を溶かしていただくという趣向。テーマは「塩から味噌へのうつろい」とか(何だ、そりゃ!?)。インパクトはそれほどでもないが、添えられたかやくご飯も相まって、季節感は出ていると思う。もともとの豚骨スープの強さあってのメニューという感じがする・・・★★★+
ピーター・ポール&マリーのマリー・トラヴァースさんが白血病で亡くなった。中学生のとき、ギター部顧問・古谷先生の入れ知恵でPPMが好きになった。フォーク、黒人霊歌、ブルース、世界の民俗音楽・・・さまざまなレパートリーを自分たちなりに料理する彼らのやり方は、いんちきアフリカ音楽の原点と言えるかもしれない。でも、マリーさんの深い声はホンモノだった。何度も何度もマリーの「マザーレス・チャルド」を聞いた。死の淵をのぞきこんだような冷めた歌が忘れられない。ご冥福をお祈りいたします。
| 固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)
ハラレのラーメン:「玉子麺、スープ、海老付」@ハラレ『チャイナタウン・レストラン』
ついにジンバブウェでラーメンらしきものを味わうことができた。麺はうどんのような太麺。コシ・・・というにはあまりにも過剰な噛みごたえ。薄味のスープはなかなか美味い。海老はさすがにプリプリというわけにはいかなかったが、白菜のような野菜はスープを吸っていい感じ。それにしても、言葉も通じないこんなところで店を開く中国人ってすごい・・・★★★
昼頃からゴドゥンの運転で町へ。ゴドゥンはクールで几帳面。ひとつひとつ確認しながらものを進めていく。ジンバブウェには珍しいタイプかもしれない。車のなかで松平くんからの電話を受ける。今日、農村に行くので、行きたいなら合流しよう・・・レジは「うーん、3時ごろに行けると思う」とか言っている。実は今夜、トーマス・マプーモもゲスト・ヴォーカルを務めたことがある伝説のバンド=パイドパイパーズがマネンバーグで演奏する。それなら早いうちに農村へ行って、夜はハラレに戻ってライブを見ようと言っていたのだ。松平くんにその旨伝えると、「それは無理ですよ。行って帰ってくるだけになりますよ」とのこと。詳しく聞こうと思ったら、電話が切れた。まあ、いいだろう。町で用事を済ませて、3時に行けば。
ところが、レジは例によってのんびりしている。約束の3時はどんどん迫ってくる。ウェブ喫茶を出たのが、3時すぎ。このときは、ぼくも頭がアフリカン・タイムになっていることもあって、「まあ、少し遅れていくぐらいいいだろう」と思っていた。ところが・・・車が動き出してしばらくして気づいた。えっ?これハイフィールドじゃなくて、チトゥングウィザに向かう道じゃないの?レジが言う。「今日、パイドパイパーズ見たいか?」「ああ、そりゃあ、見たいよ」「じゃあ、農村は無理だな。車の調子もあんまり良くないし。ブレとユージ(松平くん)に電話しよう」 ・・・ええっ~?そんないまさら・・・二人はぼくらが来るのを待ってたんじゃないの?いつもなら、レジののんびりにとことん付き合うのだが、今回は第三者が関わっている。つい、「それなら、もっと早く言うべきだったんじゃないの!?」と声を荒げてしまった。ところが、レジはぼくの意図を全然理解していなかった。「そんなに農村に行きたいのか。それなら、エディに頼もう」 いや、そういう問題じゃなくてさ・・・「わかったわかった。まず、エディに話してみるよ」 わかってないし。それより、待っているブレさんと松平くんにさぁ・・・
レジは車を停め、ムカンヤ・バーのあたりでエディを捕まえて、何か話している。おいおい、ぼくのわがままで農村にいかなくちゃならなくなった・・・みたいになってるけどさ。そうじゃなくて・・・たまりかねて、ぼくも出て行った。「いや、無理ならいいんだよ。それより、二人に連絡を・・・」「いや、大丈夫。もう話はついたから。お前が行きたいなら、農村に行こう」 だーかーらー・・・コートを取りに行ったレジの家で、ちょっと切れた。「ぼくがどうしたいかの問題じゃない!約束を守るかどうかの問題だよ!」 レジは「?」みたいな顔をしている。とりあえず、エディには頼んでしまった。もうあとには引けない。エディの家に寄ると、奥さんと別れの抱擁をしている。「今夜はあなたがいなくて寂しいわ」「ぼくもだよ、ハニー」(想像) えええええっ・・・もしかして、俺のせい?

ブレさんの家に着いたときには4時はまわっていた。チブク(伝統的なトウモロコシのお酒)を飲んでいたブレさんはがぬっと立ちあがる。例によって、まったく動じるところがない。ひらげ一行とひとりひとり握手をする。松平くんは少し苦笑いしながら、「結局、今日は行かないことになりました」 ごめんなさいごめんなさいごめんなさい。ところが、レジとブレさんは謝ったり許したりする様子もなく、何気ない会話をかわしている。イライラしたり、焦ったりしていた自分がアホらしくなった。結局、庭先に座り込んで、チブクを回し飲みしながら、夕涼み。ぼくの心もあっという間にアフリカのテンポに飲み込まれてく。いい風が吹いてきた。松平くんのグループ=ロワンビラの音楽がハラレの空気に溶けていく・・・
農村に行かないのなら、パイドパイパーズに行こう。すると、松平くんが「今日はキレニ・ズールーもやってますよ」 え?誰?それ。「弾き語りで歌詞も面白いですよ。2年前に来たときにすごく流行ってました」 弾き語り?スティーヴ・マコニみたいなもんかなぁ。聞いてみたい・・・結局、キレニ・ズールーとパイドパイパーズを梯子することにした。それにしても、ライブがはじまるまで、まだずいぶん時間がある。そうだ!中華料理屋に行こう!ハラレのラーメンを食おう!松平くんも誘って、レジ、エディ、ゴドゥンとチャイニーズ・レストランへレッツラ・ゴン!

中華料理店『チャイナタウン・レストラン』はハラレの町外れにあった。みんなでビール片手にわいわい入っていく。アフリカ人の女の子が二人、給仕をしている。しばらくして出てきた経営者らしき中国人女性は、英語がほとんどしゃべれない。言葉も通じないこんなところで、よく商売する気になったもんだ。そのバイタリティに驚かされる。メニューの英語もよくわからない。「ヌードル」と書かれたものはあるのだが、どれがラーメンらしきものなのか。中国語のメニューも出してもらったが、ますますよくわからない。ええい、ままよ・・・というわけで、それぞれヌードルと名のつくものや、肉料理を頼む。ぼくは「ビーフ・トマト・ヌードル」というのを頼んだ。「ビーフ・トマト・ヌードル、お願いします」「はい。ビーフになさいますか?チキンになさいますか?」「え!?ビーフ・トマト・ヌードルなのに?」 何もかもがよくわからない。
出てきた料理は皿うどんのようなもののヴァリエーションが3皿と、微妙に味の違うチンジャオロースのようなものが3皿。ラーメンと呼べるものはなかった。みんなで分け合って食べるが、けっこう量があって、なかなかなくならない。特に太くねじれた麺が、コシというにはあまりにも過剰な噛みごたえで、なかなか食べ終わらない。しかも、肝心のラーメンがない。もう一度メニューを見ると、「玉子麺、スープ、海老付」という料理があった。たぶん、これだ。これのような気がする。意を決して店員の女の子を呼んだ。「これって、あの、スープのなかに・・・その・・・なかの麺?あり?(ブロークン英語)」「そうです」「じゃあ、これを」 ようやく、ラーメンらしきもの(↑「ハラレのラーメン」参照)にありつけたものの、このころにはみんな食べすぎていっぱいいっぱい。すっかり酔っ払ったエディがお店の女の子を口説きはじめる。ショナ語のできる松平くんによると、「ねえ、どこに住んでるの~?」「○○町です」「○○町のどこ~?番地は~?」「教えられませんっ」「ええ~ええやーん。番号知りたいだけやん」「だめです」「知るだけだからさ~会いに行ったりしないから~」ってな感じだったらしい。妻も子もいるくせに、とんでもないエロ親父だ。

腹ごしらえもすんだところで、サウィラ・カフェにキレニ・ズールーの演奏を聞きにいく。かつて、オマシガンダと呼ばれるギター弾き語りのミュージシャンが、ジンバブウェや南アフリカで一世を風靡したことがあった。彼らが演奏していたのは、カントリーなどのアメリカ音楽に影響を受けながらも、現代のジンバブウェ音楽にも通じるスウィング感を持った音楽だ。キレニ・ズールーはまさにオマシガンダ直系のミュージシャンであるといっていいだろう。先日、ブックカフェで見たスティーヴ・マコニも同じ流れを汲んでいるのだろうが、マコニの音楽には何だかわからないもっと怪しげなものが入り込んでいる。ズールーの音楽は録音に残っているジョージ・シバンダのようなオマシガンダの音楽により近い。
会場に入ると、ズールーがオマシガンダよろしく、ギターを爪弾きながら歌っていた。西アフリカのパームワイン・ミュージックなどにも通じる軽快なスウィング感。しばらくすると、歯の抜けたおじいちゃんが顔をくしゃくしゃにして笑いながら登場。コンガを手製のマレットで叩きはじめた。容姿とは不釣合いなほどの軽快さで飛び跳ねながら、絶妙の間合いで打撃音を加えていく。すごい。もう一人、若いドラマーもいるのだが、年季が違う。驚きも覚めやらぬうちに、男性が二人出てきて漫才のようなことをやったり。大中小3人の女性が出てきて、グラマラスにお尻を振りながら歌ったり。「いちばんやせてる人、椿鬼奴に似てますね」と松平くん。(笑)。ぼくも誰かに似ていると思っていたんだ。たしかに。「すごいね、ジンバブウェのパフューム!」「ハハハ。でも、鬼奴ですよ(笑)」 ステージのうえにはまた別のパーカッショニストが。アクロバテックな動きも入れて観客を楽しませながら、(手で)コンガを叩いている。あとでレジに聞いたら、サフィロ・マジカティレのバンドで演奏していたこともあるチボドロというドラマーだそうだ。ショーはあの手この手で観客を楽しませながら、続いていく・・・オマシガンダはティー・パーティー(飲酒が禁止されていたため、こう呼ばれた)と呼ばれる乱痴気騒ぎを盛りあげることもあったと聞いて、弾き語りの音楽では夜通し行われる乱痴気騒ぎを盛りあげるのには少し物足りないのではないか・・・と疑問に思っていた。こういうことだったのか。きっと、戦前のブルースなんかも、こうだったのだろう。

体調を崩していた松平くんを送って、ブックカフェの向かいにあるジャズ・クラブ「マネンバーグ」へ。パイドパイパースの演奏は半ばまで終わって、休憩中だった。レジが後ろを指差すので振り向いたら、そこにいたのは何とチウォニソの元パートナーで、今ジンバブウェで最も優れたミュージシャンのひとり=アンディ・ブラウンだった。すごいオーラだ。ブレさんのような大らかなオーラではない。世の中気に食わないことばかりで、動くたびに起こる関節のズレを直す勢いでぐいぐいと前に進んでいくような、わりきれないオーラだ。あまりの迫力に写真を撮らせてもらうことはおろか、話しかけることもできなかった。アンディ・ブラウンって、やっぱりああいう人なんだ・・・パイドパイパーズの演奏はレゲエとアメリカンロックを結びつけて、ジンバブウェらしい緩さでつつんだようなリラックスした演奏。もはや、オリジナル・メンバーはいない(死んでしまった)らしいが、今のメンバーもその年齢からしてこのバンドのメンバーになってから長いんだろうな・・・と思われる。特に何が眩しいのか目を細めて遠くを見ながら、ぽつりぽつりと短いフレーズを弾くギターリストが印象に残った。途中、客席から「ヘイ・ジョーやれ!」と声がかかり、ジミヘンの「ヘイ・ジョー」をかなり緩めにやった。レジはヒット曲が演奏されるたびに喜んでいたが、帰りの車のなかで「でも、かつてのパイドパイパーズはあんなもんじゃなかったんだよ。テンポも速かったし、ガツーンとね、やってたんだ」と言った。うん、そうだろうな。でも、ぼくは今の枯れたパイパーズも好きだよ。
| 固定リンク | コメント (2) | トラックバック (0)
ハラレのラーメン:「玉子麺、スープ、海老付」@ハラレ『チャイナタウン・レストラン』
ついにジンバブウェでラーメンらしきものを味わうことができた。麺はうどんのような太麺。コシ・・・というにはあまりにも過剰な噛みごたえ。薄味のスープはなかなか美味い。海老はさすがにプリプリというわけにはいかなかったが、白菜のような野菜はスープを吸っていい感じ。それにしても、言葉も通じないこんなところで店を開く中国人ってすごい・・・★★★
昼頃からゴドゥンの運転で町へ。ゴドゥンはクールで几帳面。ひとつひとつ確認しながらものを進めていく。ジンバブウェには珍しいタイプかもしれない。車のなかで松平くんからの電話を受ける。今日、農村に行くので、行きたいなら合流しよう・・・レジは「うーん、3時ごろに行けると思う」とか言っている。実は今夜、トーマス・マプーモもゲスト・ヴォーカルを務めたことがある伝説のバンド=パイドパイパーズがマネンバーグで演奏する。それなら早いうちに農村へ行って、夜はハラレに戻ってライブを見ようと言っていたのだ。松平くんにその旨伝えると、「それは無理ですよ。行って帰ってくるだけになりますよ」とのこと。詳しく聞こうと思ったら、電話が切れた。まあ、いいだろう。町で用事を済ませて、3時に行けば。
ところが、レジは例によってのんびりしている。約束の3時はどんどん迫ってくる。ウェブ喫茶を出たのが、3時すぎ。このときは、ぼくも頭がアフリカン・タイムになっていることもあって、「まあ、少し遅れていくぐらいいいだろう」と思っていた。ところが・・・車が動き出してしばらくして気づいた。えっ?これハイフィールドじゃなくて、チトゥングウィザに向かう道じゃないの?レジが言う。「今日、パイドパイパーズ見たいか?」「ああ、そりゃあ、見たいよ」「じゃあ、農村は無理だな。車の調子もあんまり良くないし。ブレとユージ(松平くん)に電話しよう」 ・・・ええっ~?そんないまさら・・・二人はぼくらが来るのを待ってたんじゃないの?いつもなら、レジののんびりにとことん付き合うのだが、今回は第三者が関わっている。つい、「それなら、もっと早く言うべきだったんじゃないの!?」と声を荒げてしまった。ところが、レジはぼくの意図を全然理解していなかった。「そんなに農村に行きたいのか。それなら、エディに頼もう」 いや、そういう問題じゃなくてさ・・・「わかったわかった。まず、エディに話してみるよ」 わかってないし。それより、待っているブレさんと松平くんにさぁ・・・
レジは車を停め、ムカンヤ・バーのあたりでエディを捕まえて、何か話している。おいおい、ぼくのわがままで農村にいかなくちゃならなくなった・・・みたいになってるけどさ。そうじゃなくて・・・たまりかねて、ぼくも出て行った。「いや、無理ならいいんだよ。それより、二人に連絡を・・・」「いや、大丈夫。もう話はついたから。お前が行きたいなら、農村に行こう」 だーかーらー・・・コートを取りに行ったレジの家で、ちょっと切れた。「ぼくがどうしたいかの問題じゃない!約束を守るかどうかの問題だよ!」 レジは「?」みたいな顔をしている。とりあえず、エディには頼んでしまった。もうあとには引けない。エディの家に寄ると、奥さんと別れの抱擁をしている。「今夜はあなたがいなくて寂しいわ」「ぼくもだよ、ハニー」(想像) えええええっ・・・もしかして、俺のせい?

ブレさんの家に着いたときには4時はまわっていた。チブク(伝統的なトウモロコシのお酒)を飲んでいたブレさんはがぬっと立ちあがる。例によって、まったく動じるところがない。ひらげ一行とひとりひとり握手をする。松平くんは少し苦笑いしながら、「結局、今日は行かないことになりました」 ごめんなさいごめんなさいごめんなさい。ところが、レジとブレさんは謝ったり許したりする様子もなく、何気ない会話をかわしている。イライラしたり、焦ったりしていた自分がアホらしくなった。結局、庭先に座り込んで、チブクを回し飲みしながら、夕涼み。ぼくの心もあっという間にアフリカのテンポに飲み込まれてく。いい風が吹いてきた。松平くんのグループ=ロワンビラの音楽がハラレの空気に溶けていく・・・
農村に行かないのなら、パイドパイパーズに行こう。すると、松平くんが「今日はキレニ・ズールーもやってますよ」 え?誰?それ。「弾き語りで歌詞も面白いですよ。2年前に来たときにすごく流行ってました」 弾き語り?スティーヴ・マコニみたいなもんかなぁ。聞いてみたい・・・結局、キレニ・ズールーとパイドパイパーズを梯子することにした。それにしても、ライブがはじまるまで、まだずいぶん時間がある。そうだ!中華料理屋に行こう!ハラレのラーメンを食おう!松平くんも誘って、レジ、エディ、ゴドゥンとチャイニーズ・レストランへレッツラ・ゴン!

中華料理店『チャイナタウン・レストラン』はハラレの町外れにあった。みんなでビール片手にわいわい入っていく。アフリカ人の女の子が二人、給仕をしている。しばらくして出てきた経営者らしき中国人女性は、英語がほとんどしゃべれない。言葉も通じないこんなところで、よく商売する気になったもんだ。そのバイタリティに驚かされる。メニューの英語もよくわからない。「ヌードル」と書かれたものはあるのだが、どれがラーメンらしきものなのか。中国語のメニューも出してもらったが、ますますよくわからない。ええい、ままよ・・・というわけで、それぞれヌードルと名のつくものや、肉料理を頼む。ぼくは「ビーフ・トマト・ヌードル」というのを頼んだ。「ビーフ・トマト・ヌードル、お願いします」「はい。ビーフになさいますか?チキンになさいますか?」「え!?ビーフ・トマト・ヌードルなのに?」 何もかもがよくわからない。
出てきた料理は皿うどんのようなもののヴァリエーションが3皿と、微妙に味の違うチンジャオロースのようなものが3皿。ラーメンと呼べるものはなかった。みんなで分け合って食べるが、けっこう量があって、なかなかなくならない。特に太くねじれた麺が、コシというにはあまりにも過剰な噛みごたえで、なかなか食べ終わらない。しかも、肝心のラーメンがない。もう一度メニューを見ると、「玉子麺、スープ、海老付」という料理があった。たぶん、これだ。これのような気がする。意を決して店員の女の子を呼んだ。「これって、あの、スープのなかに・・・その・・・なかの麺?あり?(ブロークン英語)」「そうです」「じゃあ、これを」 ようやく、ラーメンらしきもの(↑「ハラレのラーメン」参照)にありつけたものの、このころにはみんな食べすぎていっぱいいっぱい。すっかり酔っ払ったエディがお店の女の子を口説きはじめる。ショナ語のできる松平くんによると、「ねえ、どこに住んでるの~?」「○○町です」「○○町のどこ~?番地は~?」「教えられませんっ」「ええ~ええやーん。番号知りたいだけやん」「だめです」「知るだけだからさ~会いに行ったりしないから~」ってな感じだったらしい。妻も子もいるくせに、とんでもないエロ親父だ。

腹ごしらえもすんだところで、サウィラ・カフェにキレニ・ズールーの演奏を聞きにいく。かつて、オマシガンダと呼ばれるギター弾き語りのミュージシャンが、ジンバブウェや南アフリカで一世を風靡したことがあった。彼らが演奏していたのは、カントリーなどのアメリカ音楽に影響を受けながらも、現代のジンバブウェ音楽にも通じるスウィング感を持った音楽だ。キレニ・ズールーはまさにオマシガンダ直系のミュージシャンであるといっていいだろう。先日、ブックカフェで見たスティーヴ・マコニも同じ流れを汲んでいるのだろうが、マコニの音楽には何だかわからないもっと怪しげなものが入り込んでいる。ズールーの音楽は録音に残っているジョージ・シバンダのようなオマシガンダの音楽により近い。
会場に入ると、ズールーがオマシガンダよろしく、ギターを爪弾きながら歌っていた。西アフリカのパームワイン・ミュージックなどにも通じる軽快なスウィング感。しばらくすると、歯の抜けたおじいちゃんが顔をくしゃくしゃにして笑いながら登場。コンガを手製のマレットで叩きはじめた。容姿とは不釣合いなほどの軽快さで飛び跳ねながら、絶妙の間合いで打撃音を加えていく。すごい。もう一人、若いドラマーもいるのだが、年季が違う。驚きも覚めやらぬうちに、男性が二人出てきて漫才のようなことをやったり。大中小3人の女性が出てきて、グラマラスにお尻を振りながら歌ったり。「いちばんやせてる人、椿鬼奴に似てますね」と松平くん。(笑)。ぼくも誰かに似ていると思っていたんだ。たしかに。「すごいね、ジンバブウェのパフューム!」「ハハハ。でも、鬼奴ですよ(笑)」 ステージのうえにはまた別のパーカッショニストが。アクロバテックな動きも入れて観客を楽しませながら、(手で)コンガを叩いている。あとでレジに聞いたら、サフィロ・マジカティレのバンドで演奏していたこともあるチボドロというドラマーだそうだ。ショーはあの手この手で観客を楽しませながら、続いていく・・・オマシガンダはティー・パーティー(飲酒が禁止されていたため、こう呼ばれた)と呼ばれる乱痴気騒ぎを盛りあげることもあったと聞いて、弾き語りの音楽では夜通し行われる乱痴気騒ぎを盛りあげるのには少し物足りないのではないか・・・と疑問に思っていた。こういうことだったのか。きっと、戦前のブルースなんかも、こうだったのだろう。

体調を崩していた松平くんを送って、ブックカフェの向かいにあるジャズ・クラブ「マネンバーグ」へ。パイドパイパースの演奏は半ばまで終わって、休憩中だった。レジが後ろを指差すので振り向いたら、そこにいたのは何とチウォニソの元パートナーで、今ジンバブウェで最も優れたミュージシャンのひとり=アンディ・ブラウンだった。すごいオーラだ。ブレさんのような大らかなオーラではない。世の中気に食わないことばかりで、動くたびに起こる関節のズレを直す勢いでぐいぐいと前に進んでいくような、わりきれないオーラだ。あまりの迫力に写真を撮らせてもらうことはおろか、話しかけることもできなかった。アンディ・ブラウンって、やっぱりああいう人なんだ・・・パイドパイパーズの演奏はレゲエとアメリカンロックを結びつけて、ジンバブウェらしい緩さでつつんだようなリラックスした演奏。もはや、オリジナル・メンバーはいない(死んでしまった)らしいが、今のメンバーもその年齢からしてこのバンドのメンバーになってから長いんだろうな・・・と思われる。特に何が眩しいのか目を細めて遠くを見ながら、ぽつりぽつりと短いフレーズを弾くギターリストが印象に残った。途中、客席から「ヘイ・ジョーやれ!」と声がかかり、ジミヘンの「ヘイ・ジョー」をかなり緩めにやった。レジはヒット曲が演奏されるたびに喜んでいたが、帰りの車のなかで「でも、かつてのパイドパイパーズはあんなもんじゃなかったんだよ。テンポも速かったし、ガツーンとね、やってたんだ」と言った。うん、そうだろうな。でも、ぼくは今の枯れたパイパーズも好きだよ。
| 固定リンク | コメント (2) | トラックバック (0)

ハナはすっかり子供たちと仲良くなって、いっしょに駆けずりまわったり、足にじゃれついたりしています。おかげであんまりひらげのことをかまってくれなくなりました。ショボン。
レジが南アフリカから帰ってきたばかりの友人を連れてきた。数年前にお世話になったレジの従弟ヴィンセントに似ているので、ヴィンと呼ぶことにする。ヴィンは満面の笑顔で、「やっぱ故郷はええなぁ!」と天を仰いだ。言葉も人情も違う異国での生活は、やはり苦労が絶えないようだ。南アフリカの状況を詳しく聞いてみたい気もしたが、故郷の空気を満喫している姿を見るとそれもはばかられた。
そのヴィンとレジ、エディ、ポンピーを連れて、ジャズ105にサム・ムツクジのライブを見に行った。サム・ムツクジの父親=オリヴァー・ムツクジは、トーマス・マプーモと並び称されるジンバブウェ・ポピュラー音楽の大物。何度もジンバブウェに行っていながら、ひらげは今だその音楽に生で触れたことはない(何年か前、ジンバブウェ・ブック・フェアでショナ語でスピーチをするのを見たことはあるが)。というのも、世界を股にかけて活躍するツク(オリヴァー・ムツクジの愛称)がジンバブウェで演奏するのは、年に2、3回。演奏が聞きたければジンバブウェではなく、ツアーを追いかけてヨーロッパやアメリカに行くべきなのだ。だから、他ならぬジンバブウェの人たちがいちばん、ツクの音楽に飢えている。

そんな人びとの満たされぬ思いをかろうじてつなぎとめているのが、息子サムだといえるかもしれない。実際、この日のライブもレパートリーの半数以上が父親の曲だった。テンガロンハットを斜めにかぶり、足を投げ出すような男らしいステップを踏むところは若いころの父親そっくりだ。ツクはその男臭いイメージからは意外なほど、繊細でリリカルなアコースティック・ギターを弾くが、それもそっくり受けついでいる。ヴォーカルはさすがに父親の塩をすりこんだような渋さはないが、若くてのびのあるいい声だ。
観客がサムにツクの代用を求めていることは、父親の曲でひときわ大きな拍手が起きることからも明らかだ。もっとも、ジンバブウェでは親の音楽を子供が引きつぐのは珍しいことではない。古くはサフィロ・マジカティレの息子エライジャが父親のバンドを譲り受けたことがあったし、最近では亡くなったサイモン・チンベツの音楽が息子スルマンによって引きつがれている。サム・ムツクジの場合も、人びとはその孝行息子ぶりを温かく見守っている。とはいえ、サムの音楽が父親のコピーにすぎない没個性的なものかというと、もちろんそんなことはない。父親から引きついだものを土台にしながら、自分自身の音楽を着実に築きあげている。父親よりもよりナイーブで、傷つきやすい感性を感じさせるところは、いかにも現代の若者らしい。まだ線が細すぎて、偉大すぎる父親の前では存在がかすんでしまうかもしれないが、近いうちにジンバブウェ音楽の中核を担う存在になると確信した。
ヴィンは本当にうれしそうだ。久しぶりに故郷に帰ってきたら、変な東洋人が現れて、「この国は素晴らしい」とか言うわけだから。気が大きくなったか、全員分の入場料を払ってくれた。ありがとう。故郷の空気、故郷の音楽・・・そして、故郷の女たち。ビールも入ってすっかりいい気分になったヴィンは、会場にいる女の子にかたっぱしから声をかけている。長旅の疲れに酔いも加わって足元はふらふら、故郷に帰れたうれしさで顔はニヤニヤ。あれじゃあ、女の子もひっかからないよ・・・でも、ヴィンにはそれでも良かったのだろう。女の子とショナ語で浮かれた話がしたかったのだ。ステージ前に出て行ったヴィンはうれしそうに踊っている。ぼくもビールを飲み干して、音楽に浸る。ふと目を放したすきに、ヴィンが目の前にいた。「踊ろう!さあ」ヴィンに引っぱりだされて、ステージ前で踊るはめに。途中、ヴィンはかっこよく上着を脱ぎ、投げるようにステージそばの椅子に腰かけている女性に渡した。粋なナンパのつもりだったのかもしれない。演奏していた曲が終わって、ステージのうえのサムと目があった。はにかむように笑ったその顔は、思った以上に若かった。

ステージはいよいよ佳境に入っていく。ムツクジ・ファミリーは音楽一家で、サム以外にも母親のデイジー、娘のセルマも歌を歌っているし、ツクの弟ロバートもレコードを出している。サムが妹のセルマをステージに呼び出した。すると、ステージに上がったのはヴィンが上着を渡した女性だった。一方、ふたたびヴィンにステージ前まで押し出されたひらげに、ひとりのジンバブウェ人女性が近づいてきた。「踊りましょう」と目が語っている。ついつい、調子にのって不器量なダンスで女性の動きにあわせた。またまた、ここでも踊らにゃソンソンであった。
| 固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)
ジンバブウェ・ヘラルド本社で新聞記事をスキャン。去年、一昨年と何度もヘラルド社を訪れて、すっかり顔見知りとなった資料課のシェパードと再会。今年はジェイムズ・チモンベ、ジョン・チバドゥラ、ファニャナ・ドゥーべという3人のミュージシャンについての記事を片っ端からノートパソコンに取りこんだ。ちなみに3人ともすでにこの世にはいない。ジェイムズ・チモンベは1990年、ジョン・チバドゥラは1999年、ファニャナ・ドゥーべは2004年に亡くなった。そのため、内容も生前の彼らを偲ぶ追悼記事がどうしても多くなる。彼らだけでなく、1990年代以降、ジンバブウェは実に多くの素晴らしいミュージシャンを失った。ブンドゥ・ボーイズのビギー・テンボ(1995)、レオナルド・デンボ(1997)、ジョナ・シトーレ(1997)、ロブソン・バンダ(1998)、フォー・ブラザーズのマーシャル・ムンフムンメ(2001)、ポール・マタヴィレ(2005)、サイモン・チンベツ(2005)・・・と枚挙に暇がない。彼らの死は悲劇だった。しかし、彼らの死によってできた間隙を縫って新世代のミュージシャンが登場し、ジンバブウェの音楽は確実に新しい時代を迎えつつある。政治的・経を的混乱によって停滞していたそうした新しい動きが、連立政権下で軌道にのることを祈りたい。
それにしても、資料1枚につき3ドルって高すぎだろう!(しかも、+税金!?) 足元を見られたか?

レジ&アンジー夫妻、エディ&タテンダ夫妻、ポンピーとブックカフェにスティーヴ・マコニを聞きに行った。スティーヴ・マコニはギター弾き語りのミュージシャン。録音を聞いた限りでは、強烈なだみ声とチューニングを下げたギターのびょ~んという響きから、「ジンバブウェのビッグ・ジョー・ウィリアムズ?」と思っていたのだが、ライブを見てむしろ「ジンバブウェのなぎら健壱」と呼びたくなった。マイクチェックからして可笑しい。「マイクロスコープ、マイクロスコープ(顕微鏡、顕微鏡)」って、あんた、それを言うなら「マイクロファン」でしょうが!ライブ中もいつ何をするか、目が離せない。ショナ語で何かぶつぶつ言ったかと思うと、唐突に「ヤフー・ドット・コム!」とだみ声をしぼり出す。ビールを飲みほして「リラクソロジー・・・」と恍惚の表情を浮かべる。「プロブレム!」「トゥギャザネス!」「マンマミーヤ!」と意味があるんだかないんだかわからない外国語を連発する。「コンコン」と舌を鳴らして、それだけで一曲終えてしまう。もう、みんな可笑しくて、ゲラゲラお腹を抱えて笑っている。カントリー色の強い曲はワンパターンだし、ギターのチューニングもちょっと怪しい感じだったのだが、とにかく強烈キャラに圧倒された。レジに教えてもらったところによると、ショナ語の歌詞は「食べてない食べてないって言うけど、トイレットペーパーが減っているところを見るとやっぱり食べてるな」といった亜蝉坊的な機知に富んだものや、「大人が子供たちを売春婦にする」といった教訓的なものまでさまざま。言葉のわからないひらげと違い、ショナ人の観客は歌の内容でもどっと受けている。笑うのが大好きなこの国の人たちの、その笑いの一端をかいま見ることができた。
| 固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)

レジ、アンジーとエディの運転で出かける。間もなく、バッテリーの故障で立ち往生。充電をさせてくれる車が来ないかしばらく待ってみたものの、埒が明かないので、レジとエディが近くのサービスセンターにバッテリーがないか確かめに行くことに。乾いたジンバブウェの景色を写真に撮りながら、アンジーと二人の帰りを待つ。ジンバブウェの風景をゆっくり撮影する機会はあまりなかったから、ちょうどいい。30分ほどして戻ってきた二人の手にバッテリーはなかった。結局、通りすがりの車に助けを求める。初老の男性が止まってくれ、何とか充電完了。しかし、どうも不安なので、次の自動車用品店でバッテリーを交換する。
バッテリーのことで時間がなくなったので、予定していたグランマ・レコードへはまた後日、日を改めて行くことにして、マブクにあるアンジーの実家へ向かう。アンジーの両親、アンジーの弟フランクと奥さん、アンジーの妹、アンジーの亡くなった叔父の奥さん・・・とファミリーが勢揃い。昨年、フランクが「誰もぼくたちが姉弟であることを疑わないよ。だって、これがあるからね」と前歯の隙間を見せた。アンジーもフランクも上の前歯の真ん中辺りに、歯一本分ぐらいの隙間がある。抜けたわけではなく、生まれつき空いているらしい。アンジーの妹を見ると、やはり前歯の風通しがいい。最後に登場したお父さんまで、同じところにぽっかり穴が開いているので、これは遺伝に違いないと確信した。あまりのことに写真を撮るのも忘れていた。
一同に囲まれて、猫が一匹、気持ちよさそうに寝転がっている。そこへ、歩き方もままならない子猫がよちよちと入ってきた。とたんに母猫が優しいかすれ声で子猫を呼ぶ。子猫は甘えた声で鳴きながら母猫の懐にもぐりこみ、尻尾にじゃれついたり、毛づくろいをしてもらったりしながら、母猫の乳房を探りあてた。「この子をチトゥングウィザに連れて行くの。ジュディのいい遊び相手になるわね」 アンジーはそう言って、子猫をつまみあげる。母猫はもう子猫には会えないことを悟ったのか、かすかな声でミャーと鳴いて俯いた。アンジーの実家で何匹もいっぺんに面倒を見るわけにもいかないだろうし、野良猫になるよりはいいのかもしれないけれど、小さな箱に入れられて車の揺れに戸惑っているその子猫が、哀れでならなかった。
道すがらスーパーマーケットに寄ると、とたんに近所の子供たちが集まってきた。「中国人?」「ううん、日本人」「それ(子猫)、どうするの?飼うの?」「ううん、食べるの」 冗談が通じなかったか、みな楳図かずおのホラー漫画のようなギャギャギャギャーという表情になった。予想以上の引きっぷりに慌てて、「うそうそ!」と思わず日本語が出る。英語で冗談であることを伝えて、ようやく笑顔が戻った。あとは「アターッ」とカンフーの真似をして、愉快なアジア人ぶりをアピール。
夜、レジ&アンジー夫妻、エディ&タテンダ夫妻と、ブックカフェへマウンギラ・エナリラのライブを見にいった。ここで懐かしのザンベジ・ビールと再会。去年まではどこにも置いていなかった、ひらげのフェイバリット・ビールだ。水のような軽い口当たりだが、乾燥したアフリカの夏にはピッタリ。

ステージではすでにメンバーが何人か、PAの調子をチェックしている。普段着で音合わせをしているうちに、何となく演奏がはじまった。結局、そのまま、ベース・ムビラのソロを含め3曲演奏。山の世捨て人のようなイメージが売り物のこのグループもとうとうイメージ・チェンジかと思いきや、しっかりいつもの衣装に着替えて演奏再開。さっきの3曲はリハーサルだったのか、イントロダクションだったのかもわからないまま、演奏は佳境に入っていく。

演奏の中核にあるのは何と言ってもベース・ムビラ。基本的にぶぅおんぶぉんぶうぉんぶうぉんというシンプルな4拍子のくり返しなのだが、絶妙な間合いでグループ全体を引っ張っている。その重たい響きに支えられて、数台のムビラが響きあい、滲んだ残響のなかに溶け込んでいく。同じフレーズをくり返すうちに、残響は渦を巻き、世界中の音という音を会場に引き寄せる。危うい安定を突き破り、ホショ(マラカス)とンゴマ(太鼓)がリズムとリズムをこすり合わせ熱い火花をまき散らす。んどどんどどど・・・踊る人びとの足元を揺るがすンゴマの轟き。3人のホショ奏者が入れ代わり立ち代り挑みかかるような動きで跳ねまわる。マジック・スティックを振りまわし観客を煽る男。突然、奇妙なリズムが混濁した意識を目覚めさせる。ベース・ムビラだ。左手で基本の拍子を絶やさぬまま、右手でけつまずいたリズムを重ねている。波のように引いては返す演奏に翻弄され、会場は踊れや踊れのカチャーシー状態。こうして、ハラレの夜はビールの泡に沈んでいった。
| 固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)
今日のラーメン:「ラーメン(450円)」@鶯谷『大弘軒』
北口を出てすぐのところにある中華料理店。とくにラーメンに力を入れているわけではなさそうだが、常連客をつかんで離さないものはある。この手のお店にありがちなことに、麺は柔らかめ。チャーシューは美味しくない。スープもすごく美味いわけではないけど、癖になるものがある・・・★★★

王子の沖縄料理屋ハイビスカスでスージーバンドのライブを見た。フルスペックのスージーバンドを見るのは久しぶりだ。生演奏を聞かせる沖縄料理屋というのはたくさんあるが、ステージがちゃんとあって音響もしっかりしているところはなかなかない。ここはちゃんとPAがあって、ひとつひとつの音がしっかり聞こえる。コール・アンド・レスポンスのポリフォニックな全体像がちゃんと伝わってきた。

客席も次第にうまり、カチャーシーで盛りあがるいつもの展開。そこに今回は井上さんによるギターソロ「涙そうそう」など、見せ場もたっぷり。島太鼓のキョーコさんとスージーさんで披露した島唄も心に沁みる。あとで写真を見て気づいたのだが、ステージ正面の壁にはAサイン(復帰前の沖縄で、米軍公認のお店に出された許可証)が貼ってあった。
| 固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)
今日のラーメン:「中華そば(正油・細麺)(600円)」@錦糸町『ラーメン ヨシベー』
店構えも店内もレトロなイメージ。豚骨醤油とあっさりした中華そばがある。今日はあっさりのほうで。昆布や煮干(あごだし?)を使った澄んだスープとパリッとした麺は『保土ヶ谷中華堂』に似ているが、もっと甘みが強い。この味ならもう少し甘みを抑えたほうが好みだ。でも、十分美味しいラーメンには違いない・・・★★★+
錦糸町の河内音頭大盆踊りに行ってきた。錦糸町で河内音頭の演者を招いた盆踊りが行われるようになって、もう28年が経つという。ぼくも20年近く前、大学生のころ、一度踊りに行った覚えがある。ちょうど河内家菊水丸がカーカキンキンで話題になっていたころ、三音会オールスターズの『東京殴りこみライブ』を聞いて、日本にもこんな音楽があるのかと驚いた。日本太鼓と三味線にエレキギターが加わった演奏をバックに語られるのは、血潮が吹き出るような熱い人情の物語。「無法松の一生」なんて現代に生きているぼくが共感するところはほとんどないはずなのに、なぜか心を激しく揺さぶられた。
河内音頭はダンス・ミュージックであり、語り物である。盆踊りでは内側の小さな輪がスタンダードな手踊り、外側の大きな輪が大きな動きで跳ねる「マンボ踊り」、というのが定番になっている。テンポが速い河内音頭は若い人の激しい動きにもフイットするし、倍にとれば年配者のゆったりした動きにあわせることもできる。とはいえ、杖をぶら下げた腰の曲がったおばあちゃんが懸命にマンボの動きにあわせる姿も見たので、年齢は関係ないかもしれない。もちろん、じっくり聞きたい人はステージ前にへばりつくこともできる。みんな酒も飲まずに語りに聞き入っている。30年近い歴史のなかで、耳の肥えたファンがたくさん生まれたのだろうと思わせる。

ラーメンを食べているうちにお目当の月乃家小菊 (with 井筒家小石丸)「踊れ大阪総踊り」を聞き逃してしまった。でも、それはそれでまあいいか、と思わせるほど、個性的で重量感のある出演者が続く。錦糸町初登場という大月一若師匠は「河内十人斬り」でやくざものの兄と可憐な妹を演じわけ、流行歌の一節も織りこみながら観客を物語の世界にぐいぐい引きこんでいく。そんな語りを支える演奏がまた、すごい。河内音頭にベースを入れるのは比較的新しい試みなんじゃないかと思う。ベースのおかげで自由度が増したギターは、単音でポリリズムをくり出していたかと思うと、音階を舞うようにかけあがり、クライマックスではファンキーなリズムを刻む。ときにハワイアンのようでも、アフリカン・ミュージックのようでもある。圧倒された。
それと比べると、「大阪総踊り」にもゲスト出演していた井筒家小石丸師匠のバックはぐっとおとなしめ・・・と思ったのだが、聞いているうちにベースにレゲエ~ダブっぽいものを感じて引きこまれた。ギターが比較的シンプルなリズムに徹しているのは、ベースと三味線に自由な場を与えるためかもしれない。どことなく、ユーモラスな寄席芸的感触のある語りも楽しい。しまいには御大自らエレキ・ギターを手にロック色の強い演奏を披露。サービス精神満点の素晴らしいステージだった。続く生駒家一夫師匠はだみ声で唸るところもあるのだが、どこか物腰柔らかで女性的なところがあった。墨田区長が大阪に出張したときも、わざわざ挨拶に来たとか。そういう人間性がステージにも表れるんだな。

出演者のなかで最も強い印象を受けたのが、司家征嗣師匠である。年代もののフルアコをかかえ、だみ声で唸る姿はブルース・マン・・・そう、ジョン・リー・フッカーのようだ。顔つきも声も、窮地に追い込まれたわが国の首相に似ている。いや、それはおぼっちゃま首相が粋な庶民の世界を真似しているのであって、役者が違う。語り唸るその立ち居振る舞いから、目が離せなくなった。ちなみに、このあたりからベース・ギターの姿が消える。やはり、ベースの導入は、河内音頭では比較的新しい試みなのだろう。

続いて登場した鳴門家寿美若、トリの鉄砲光丸両師匠は、どちらも民謡的なのびのある声で、大師匠の貫禄たっぷり。観客の拍手もこの二人がひときわ大きかった。前者の方がでーんと構えて「どうだ」っていう感じ。門下に内輪であおがせる姿も何となくナイジェリアの大物エベネザー・オベイあたりがやったら似合いそうな演出だ。後者は師匠・光三郎ゆずりの色気というか、歌舞伎役者のような艶があって、これはこれで魅力的。バックは若い人中心で、特に激しく太鼓を打ち鳴らすモヒカン頭の若者が印象に残った。
これからの音楽が「ローカルからローカルへ」だとしたら、東京やその衛星都市である横浜はどうなるのか。中心としての役割を終えたメトロポリスは文化の場としての力を失ってしまうのか?そんなことはない。東京をローカルに解体すればいいのだ。東京を錦糸町に、浅草に、新宿に、八王子に解体してしまえばいい。そんなローカルのひとつが、河内という別のローカルと出会う・・・ぼくが言うまでもなく、そんなことがもう28年も行われてきているのだ。
| 固定リンク | コメント (0) | トラックバック (1)
今日のラーメン:「ねぎそば(780円)」@福野町『真太そば』
駅前に美味しいラーメン屋があると教えてもらって、行ってみた。鶏白湯かとも思ったが、やはり豚骨を基本に魚ダシを加えたものだろう。とはいえ、何かの味が突出することなく合わさっている感じで、ぼくは好き。それでいて、ネギがたっぷり加わっても負けてはいない。ちょっと粉っぽさが残るところも悪くない・・・★★★+
昨日はさすがに飲みすぎた。いろんな人に「昨夜のことおぼえてます?」と聞かれた。おぼえてますよ・・・おぼえてますとも・・・(宿のことで実行委員の方々にご迷惑をおかけしました。ゴメンナサイ)
今日はなんと言ってもチウォニソのライブ。昨夜飲んでいたとき、「トラディッショナルな音楽をバンド・スタイルに直すとき、トーマス・マプーモはホショのリズムをハイハットで置き換えました。あなたの新しいアルバムはそれとも違うのに、トラディッシナルな響きがありますよね?」と聞いたら、「そうね。でも、よく聞いてもらえれば、どこかに(別の楽器で)ホショのリズムが入っているのがわかるはずよ」という答えが返ってきた。やっぱり、意識して新しいサウンドをつくろうとしていたんだな。「でも、明日のライブはもっとクレイジーよ、フフフ」とインタビューのときと同じ不敵な笑みを浮かべた。さて、どんな音が飛び出すか。
とりあえず、演奏がはじまるまで多田さんと飲む。多田さんには今日、車を運転してもらわなきゃならないし、ぼくも助手席で飲んでいるわけにはいかないから、今のうちに飲みたおしてしまおう。1時をまわったら飲まないといっていたのだけれど、ついモツ煮が恋しくなって『円城』へ。ビールをぐいぐい煽りながら、内臓のかけらを口に放りこむ。美味い。とろけるようだ。タッパウェアに入れてもって帰りたい。
ほろ酔い気分で、メイン会場の円形劇場ヘリオスへ。すでにスキヤキ・スティール・オーケストラの演奏がはじまっていた。1995年にスキヤキから誕生したスティールパンのグループ。揃いの衣装に身をつつみ、華麗なステップを踏みながら、優雅でダンサンブルな演奏を披露。スティール・バンドの演奏って、あまり生で聞く機会がなかったんだけど、倍音が重なっていくとホーン・セクションのような迫力のある音になる瞬間があって、すごくスリリングだ。そして、メンバー一人ひとりが音楽を楽しみながら、観客を楽しませるエンターテイナーとしてステージに立っている。これは地元の小中学生は憧れちゃうな。大きくなったら、スキヤキでスティール・ドラムを叩くんだ!このイベントがやってきたことの大きさを実感した。
次に登場したのは、カメルーンの女性歌手カレース・モチオ・フォツォさん。イマジネイティブな演出を交えながら、ギターやパーカッションの弾き語りを聞かせる。ときおり、日本語の説明が流されるものの、もちろん歌詞はわからない。子守唄のような、胸がしめつけられるような、切ないメロディーの曲が多かった。でも、他の女から取り戻した彼とキスする歌(日本語)なんかもあって、んちゅんちゅとキスの音を出してみせるフォツォさんはかわいらしくて、セクシーで、ちょっとドキドキした。爪弾いたり、ときに激しく叩いたりするギター・スタイルも魅力的。
そしていよいよ、チウォニソ登場!考えてみれば、ハラレのブック・カフェで見たのはいつもムビラとパーカッションだけのスタイルで、フルバンドの演奏を聞くのは今日がはじめてだ。最初にムビラだけで一曲披露したあと、バンドが登場。メンバーは半分がアメリカ人で、みんなごっつい。ドーンと始まった演奏も、重量感があって安定している。その演奏に負けないのが、力強いチウォニソの声だ。チウォニソの魅力はもちろんムビラもあるけど、何といってもこの声だと思う。それはジンバブウェのトラディッショナルなスタイルを受けつぎながらも、どこかソウルフルで、喩えるならローリン・ヒルのような、ぴんと張り詰めた凛々しさがある。しかも、以前は内側に向かいがちだったそのパワーが、今は外側に解き放たれている。切なさや悲しみや苦々しさといったものはなくならないが、今の彼女はそれをパワーとして人びとと分かち合おうとしている。ぼくのなかのそういうものが、チウォニソの声に揺り動かされてポジティヴな流れになる。演奏はCDとも違うアレンジで確かに「クレイジー」なのだが、そんな彼女のパワーをサポートしこそすれそいだりはしない。カルリーニョス・ブラウンのようなラテン・ファンクもあれば、ドラムがセカンド・ラインのようなリズムを叩く曲もあったが、どれもチウォニソそのもの、あるいはチウォニソとバンド(+ゲストのサカキマンゴーさん)、チウォニソと観客の間にある空気そのものだ。涙が出そうになった。
ステージが終わると、多田さんも涙をこらえていた。言葉がなかった。
会場の外に出ると、フィナーレがはじまっていた。演奏者が手に手に太鼓を持って、狂乱のリズムをたたき出す。踊るもの、写真を撮るもの、ただ呆然と眺めるもの。演奏を終えたばかりのチウォニソ一行もそこに加わった。ああ、どうせなら小さなパーカッションを何か持ってくるんだった!演奏はどんどん熱くなっていく。どんどんどんどん高揚していく・・・でも、これが終わったら、祭りは終わりなんだな、と思うと切なさがこみ上げてきた。こんな思いは久しぶりだ。演奏が終わったとき、これから1年長い休符が入っただけなんだと自分に言い聞かせ、スタッフのみなさんや出演者、知り合いに挨拶して、多田さんの車に乗りこんだ。
富山を離れる前にひとつやっておかなければならないことがある。かの有名な黒いラーメン、トヤマブラックを食べなければ。多田さんの友人で富山出身の木下さんに、トヤマブラックの有名なお店に案内してもらった。
今日のラーメン②:「ラーメン」@小杉『めん八』婦中町店
色は黒いが思ったほど(というか、全然)からくない。むしろ醤油の旨味や香ばしさが前面に出ていて食べやすい。太いけどプルンとした食感のめんは独特。もっと塩辛い店もあるようだが、マスコミが興味本位でとり上げるそういう店よりも、ここのほうが富山県民のおすすめらしい。たしかに美味い。癖になる味だ・・・★★★+
| 固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)
今日のラーメン:「中華そば・大(600円)」@福野町『円城』
小さな町の定食屋のラーメンがこんなに美味いとは!あっさりしたスープにざく切りの玉葱がのっている。スープ自体にも玉葱の甘さが出ている。細めの縮れ麺もよく合っている。脂は少し多めだが、悪い感じではない。大盛は普通盛と100円しか違わないのにすごい量!富山最初のラーメンがこれとは、ついてる!・・・★★★+
スキヤキ・ミーツ・ザ・ワールドに参加するため、富山に来た。
目の覚めるような農村の風景。どこまでも緑の稲穂が波打っている。高い木立に囲まれた蔵屋敷が、リズミカルに点在する。険しい山が緑のグラデーションを描きながら幾重にも続くなか、ふもとから立ちのぼる水蒸気が全体を包むクリーム色のベールのなかに消えていく・・・日本の原風景に近いような、それでいてヨーロッパのどこかにもありそうな。懐かしいような、それでいて未来の出来事のような。運転はもちろん地図を読むこともできないのに、助手席に乗り込んでここまで来てしまった。運転席の多田さんに悪いので、せめて寝ないようにと思っていたのだけれど、夜明け前に1時間ほどウトウトしてしまった。後部座席で目を覚ましたスズちゃん(小5)に、「寝てたでしょ」と笑われた。
スキヤキ・ミーツ・ザ・ワールドは富山県南砺市で毎年行われているイベント。もう19年も続いている。「ワールド・ミュージック」が一時期の勢いを失うなか、地方から世界の音楽を発信し続けてきた人たちがいる。恥ずかしながら、スキヤキをはじめとするこうした動きを最近までほとんど知らなかった。ぼくの知らないところで着実に続けられてきた地方発信の試みが、大きな実を結びつつある。パリ、ロンドン、東京といったメトロポリスを飛びこえて、ローカルとローカルが出会う可能性がそこにはある。しかも、今回のスキヤキにはチウォニソが出演するという。ジンバブウェの歌姫が東京も大阪も飛びこえて、南砺だけにやってくるのだ。悔しいけど、これこそまさに「ローカルからローカルへ」、新しいワールド・ミュージックの在り方かもしれない。
そんななか、スキヤキでチウォニソにインタビューするという話をいただいた。願ったり、叶ったり。
朝6時からやっている温泉で汗を流したあと、車はこじんまりとした田舎町にすべりこんでいった。メイン会場(福野文化センター・ヘリオス)近くの定食屋『円城』で腹ごしらえ。開店前だったのだが無理を言って入れてもらった。「モツ煮とラーメンぐらいしかできないですよ」「それでいいです!」 早くもラーメンにありつけるとは。ラーメンもモツ煮もすこぶる美味い。特に全く臭みのないモツ煮は絶品。口のなかでとろけるようだ。あとで、スキヤキ・プロデューサーののニコラさんが「美味しいラーメン屋さんがありますよ」と紹介してくれたのもこの店だった。
チウォニソは以前ハラレで見たときよりもかなりふっくらしていた。セクシーというよりも母親のような穏やかな表情。その変りように驚く。「今日質問させていただきます。ハラレであなたの演奏を何度も聞きに行きました」「そうなの!それじゃあ、ずいぶん前・・・5年ぐらい前になるかしら?」 チウォニソと交わした最初の言葉だ。シンポジウムでは松平くんが、わかりやすく簡潔にジンバブウェの歴史と風土を紹介。そのあと、不肖ワタクシが登場して、チウォニソに質問した。インタビューの内容は→チウォニソ・インタビュー@スキヤキ・ミーツ・ザ・ワールド(ぼくの質問は意味が伝わる範囲で実際よりも簡潔にしてあります)。通訳を通してのインタビューで、質問の意図がうまく伝わっていないところもあったけど・・・それは次回の課題ということで。インタビュー終了後、客席からもたくさん質問が出て、有意義なシンポジウムになった。
シンポジウムが終わり、ほっとしてビールを飲みはじめる。パレードを追いかけて第二会場の福野南砺市園芸植物園に特設されたフローラル・ステージへ。会場内には屋台が並んでいて村祭りのような雰囲気。多田さんとビールを買ってステージ前に座りこむ。サムルノリを聞いていたときにはまだ落ち着いていたのだが、サカキマンゴーさんの白目カリンバがはじまったあたりから辛抱たまらなくなり、ウキウキ踊りだした。ビールを買ったついでに、電気で光るミッキーの耳を手に入れ、はしゃぎすぎのオッサン完成。チウォニソと松平くんが出てきて、マンゴーさんとトラディッショナルなスタイルのムビラ音楽をやりはじめたのを見て、1、2、3でアホに到達する。そのまま3、3、3、3・・・とアホが直らなくなった。最前列真ん中で踊っているマビ・マンジの横ににじり寄り、負けじとドタバタ踊りまくる。アホアホ状態はピーター・ソロの演奏になってもおさまらず、息を切らしながらもグリグリしたり、ピョンピョンしたり、身体が動かなくなると駆けずりまわったりして、サイバーひらQに進化。そのまま、メイン会場に戻って飲み続けた。そして、何と、憧れの人チウォニソとビールを飲みながら話をするという夢のような体験をした。ハラレのブックカフェで見たときには、ピリピリとした孤独な緊張感を漂わせていて、とても話しかけられるような雰囲気ではなかった・・・そういうと、チウォニソは「そうね。あのころは離婚したりして、すごく悪い時期だったから」 なんて率直な人なんだろう!スズちゃんに「まだ飲んでるの?」と怒られながらも、まわりの人たちにチウォニソと話せた嬉しさをぶちまけつつ、夜中まで飲み続けた・・・ (写真はチウォニソ+泥酔サイバーひらQ)。
| 固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)
石田昌隆さんの『オルタナティヴ・ミュージック』(ミュージック・マガジン、2009)を読み終わった。石田さんは写真家としてさまざまなミュージシャンのポートレイトを手がける一方で、独自の視点で音楽を捉える文章を書かれている。この本は『ミュージック・マガジン』連載中の「音楽の発火点」をはじめとする石田さんの仕事に書き下ろしを加えて、ミュージシャンのポートレイトとキャプションという形でまとめたもの。扱われている音楽は石田さんの出発点であるレゲエやパンクをはじめとして、「ヒップホップ、ハウス、テクノ、レイヴとマッドチェスター、オルタナティヴ・ロック、ダブ、ブリストル・サウンド、ドラムンベース、世界各地のワールド・ミュージック」(412)と幅広い(個人的には、クラブ・ミュージックに疎いので、すごく勉強になった)。そこに共通するのは、単なる音の羅列ではなく、音楽が有機的に動きだすメカニズムを見定めようとする姿勢だろう。「ぼくが惹かれる音楽には必要条件がふたつある。まず、音楽として魅力的であること。それから、歴史的、政治的、社会的状況が逃れがたく反映されていて、それが存在理由となっていることだ」(284)。だから、石田さんはカメラを持って、音楽が動きだす現場にのりこんでいく。それはアフリカ音楽の本場はアフリカだから・・・というような「本場」に対する信仰とはまったく違う。むしろ、石田さんが訪れる場所は、マージナルな場所に吹きだまった未知数の何かがぶつかりあって、新たな求心力が生まれる現場である。「音楽とは、人間のなかに本来内包されているノマド性を掘り起こすことによって成り立つ表現ではないか。それが長年音楽を聴き続けてきたうえでの確信である」(388)。
しかし、そうしたぶつかり合いが生み出す求心性は、ややもすると生まれたときの危うさを失い、動きのない中心に固まってしまう。ワールド・ミュージックが一時期の勢いを失ったのも、そのことと関係があるのではないか・・・と思うことがある。例えば、ユッスー・ンドゥールについて石田さんが書いている次のような文章に、ぼくは共感してしまう。
「ユッスー・ンドゥールの最高傑作は『セット』だとする意見が多く、ぼくも基本的には異存はない。しかし、年月が経るにつれ、"Sound D'Afrique, Vol.1"で初めて「Jalo」を聴いたときの感覚が愛しく感じられるようになってきたというのが偽らざる気持ちだ。セネガルという、まだ行ったことのない遠い国から発せられていた初期の乾いた歌声に、かけがえのない美しさを感じる」(187)
もちろん、聞き手がユッスーの音楽に慣れてしまったということもある。しかし、パリのような「中心」に身をおくようになるにつれ、ユッスーの音楽のなかで渦巻いていた化学反応が行儀よく整理されてしまったように感じるのはぼくだけだろうか。それは、ユッスーだけじゃない、サリフ・ケイタにしろ、パパ・ウェンバにしろ、同じだ。それは彼ら一人一人が良心的に音楽に向き合っていればいるほど、そうなってしまうような気がする。
だから、もうメトロポリスに集まるのはやめにしようじゃないか、ローカルとローカルが直接結びついて化学反応を起こせばいいじゃないか・・・というのがぼくの意見。実際、そういう動きが近年、ワールド・ミュージックを再活性化していると思う。というわけで、明後日から、そんな試みのひとつであるとぼくが勝手に思っているスキヤキ・ミーツ・ザ・ワールドに行ってきます・・・って、最後は書評でも何でもないな。書評にかこつけたぼくの「中年の主張」でした。
| 固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)

横浜の寿町といえば、東京の山谷、大阪の釜ヶ崎と並び称される有名なドヤ街である。JR石川町北口を出て数分歩くと、町の様子がガラリと変る。「ドヤ」と呼ばれる簡易宿泊所が、覆いかぶさるように影を落としている。所狭しと並ぶ小さな窓。最近は宿賃の安い「ホステル」として外国人のバックパッカーにも人気があるらしいが、町全体に漂う倦怠感は隠しようがない。そんな寿町で毎年フリーコンサートが行われていることは知っていたのだが、横浜に住んでいながら行ったことがなかった。今年で31年目というのだから驚く。過去には喜納昌吉、じゃがたら、ボ・ガンボス、ソウル・フラワー・ユニオンといった錚々たる面々が出演している。
会場は職安前の広場。飲酒禁止の掲示にもかかわらず、アルコールと体臭が混ざったような臭いはそれが守られていないことを示している。屋台でビールを買って、すえた臭いのなかに身を溶けこませる。多田さんと合流したあたりで真黒毛ボックスの演奏がはじまった。ホーンセクションに加えて、アコーディオンやチンドンまでいる大所帯のバンド。泥臭い音はパワフルで、ビールがすすむ。「中国の工場で働く娘・・・」と叫ぶヴォーカルに先導されて、たたみかけるような演奏がはじまる。集団即興よろしくホーンセクションがぶりぶりぶりと上り下りするなか、観客も上へ下への大騒ぎに。かっこいい・・・寿町で生まれた子供たちによるバンド=Kotobu☆ Kidsに続いて、マイノリティ・オーケストラの登場。アコーディオン、ドラム、サックス、トランペット、トロンボーンという編成でクレズマーのような音楽を演奏する女性5人組(今回はトロンボーンが欠席)。アコーディオンは鍵盤なしのバンドネオン。あんな難しい楽器をあんなに楽しそうに演奏するなんて。ポコポコとコミカルな音を出すドラマーもかっこいい(スパイク・ジョーンズを思い出した!)。次第に人が集まりはじめる。前のほうに若い人たち、後ろのほうに町の住人であるおっちゃん・おばちゃん。アルコールが入ってご機嫌になったのか、中には若者に混ざってフリースタイルで踊るおっちゃんもいる。
満を持してあがた森魚さん登場。「ビー・マイ・ベイビー」をやるとは意外。でも、あがたさんの震える声が、甘酸っぱい曲によく合っている。あがたさんの声にはマッチョなところがほとんどないのに、なぜこんなにパワフルなんだろう。ズカズカと土足で入るわけでもなく、どうもすいませんとヘンに卑屈になるのでもなく、人の心にするっと入ってくる。バンドもシンプルなのに、どうしてこんなに圧が強いのか・・・そして、NHKのテレビ番組で紹介されているのを見て以来、ぜひ見てみたかった遠峯あこさん。アコーディオンを弾きながら「野毛山節」をはじめとする民謡・俗謡などを歌う。テレビで見たときには弾き語りに近かったのだが、今回はフルバンド編成。思った以上にパワフルな演奏で、会場の熱気はいよいよ最高潮に。選曲が選曲だけに、後ろに陣取ったおっちゃんおばちゃんたちも、じんわりと盛り上がっているのがわかる。くすんだ色の建物に囲まれて、色鮮やかなステージが観客一人ひとりの孤独な心を開く。危うく泣きそうになったけど、悲しかったんじゃない。
最後は南正人さん。フォークの神様的な人なのかと思ったら、ぶっといブルース・ロックだった。南さん本人はどこか飄々としているのだけれど、声は力強い。もう、この辺になるとぼくもいいかげんアルコールがまわってきて、会場外の屋台でたこ焼きをつまみながら、ブルース肴に飲む態勢。となりに座った寿町住人のおっちゃんと話をしながら、温めてたまるかとずるずるビールを飲みほす。「携帯の番号、教えてくれよ」というおっちゃんに、「いや、女の子にもめったなことじゃ教えないですから」などと嘘を言ってごまかす。「ドヤにいるとすごく寂しいんだよ」というおっちゃんの目を、まっすぐ見ることができなかった。あの窓一つ一つにはそれぞれの孤独がひざを抱えているのか。
| 固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)
今日のラーメン:「すっぱつけ麺(700円)」@天王町『めん処 樹』
以前食べたときと比べると酸味がまろやかになっているような気がする。梅を入れなくなったせいだろうか。黒胡椒がきいているので、酸っぱいだけでなく刺激もあり、夏には食欲をそそられる。スープ割りすると胡椒が多くて少し辛い。自家製麺は以前にも増して美味い。この麺だけで食べる価値あり・・・★★★★
プリンス主演の映画『パープル・レイン』(Purple Rain、ロバート・キャバロ監督、1984)を見た。前にも書いたように、熱狂的なファン以外でプリンスの映画を褒めている人を見たことがない。同タイトルのアルバムとともに大ヒットしたこの映画も例外ではない。それでも、ここでは「不遜で孤独なミュージシャン」という役柄と現実のプリンスのギャップが小さいせいか、殿下の大根役者ぶりにゲンナリさせられることはあまりない。よくある話ではあるのだが、けっこう楽しめる。
ポルノグラフィックなラヴ・ストーリーに織りこまれているのは、プリンス演じるキッドと父親の葛藤である。ミュージシャンとして成功することができなかった父親は、毎晩のように母親を殴りつける。ライバルのプロデュースするグループに引き抜かれた恋人アポロネアを殴りつけたとき、キッドは自分自身のなかに父親の姿を見たはずだ。自分も父親のように才能を浪費し、失意のなかで年を取っていくのではないか・・・ミュージシャンとしての才能を否定されるたび、そんな不安が頭をもたげる。そんななか、父の自殺未遂によって、キッドはいよいよ追いつめられていく・・・こうした葛藤の物語には、自身ミュージシャンの息子だったプリンスの個人的体験が反映されているのだろう。追いつめられたキッドが心を開いて、拒絶していたメンバー作の「パープル・レイン」を演奏する、という結末も、かつては作詞作曲から演奏まですべてを一人でこなしていたプリンスが、仲間のミュージシャンと共同で音楽をつくるようになっていくプロセスを辿っているようでもある。
ともあれ、この映画でいちばん魅力的なのがプリンス&ザ・レヴォリューションの音楽であることは言うまでもない。「イマイチぱっとしないミュージシャン」という設定に無理があると思えるほど、音楽もステージングも素晴らしい。ライバル・グループとして登場するザ・タイム(これはこれでかっこいい)の音楽がより標準的なファンクに近いのに対して、プリンスのそれはもっと型破りだ。ビート自体が全然違うのだ。ファンクでも、ソウルでも、ロックでもない・・・なおかつ、それらすべてでもある。でも、ザ・タイムの音楽をプロデュースしたのも殿下自身であることを考えると、プリンスは意識して自分の音楽を「ちょっと違うもの」として、標準的なファンクと対比させていたのかもしれない。
| 固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)
プリンス監督・主演の映画『アンダー・ザ・チェリー・ムーン』(Under the Cherry Moon、1986)を見た。熱狂的なファンを別にすると、プリンスの映画をよく言っている人を見たことがない。この映画も公開当時からケチョンケチョンに貶されていたような記憶がある。確かに、自らの妖しいジゴロぶりに陶酔しきった殿下の姿はとても演技と呼べるようなものではないし、やたらとすっ飛ばすくせにところどころ妙に説明的になる展開も「良くできている」とはいいがたい。
でも、見ているうちにだんだんと、この映画はそうやって見るものではないのかもしれないと思いはじめた。ゴージャスなクラブで金持ちのマダムを口説き落とす冒頭のシーンからして、40年代に流行ったクラブ映画を思わせるものがある。ルイ・ジョーダンやキャブ・キャロウェイといった当時の売れっ子ミュージシャンを抜擢してつくられたクラブ映画は、申し訳程度につけられた筋書きではなく、演奏やダンスを提供することに主眼があった。この映画も、ジゴロが金持ちの少女にほだされ愛を貫く・・・という陳腐な筋書きではなく、音楽とそれが導きだす世界観を楽しむべきなのかもしれない。長いプロモーション・ビデオのような感じがするのはそのためだろう。
とはいえ、クラブ映画の80年代版として片付けるには、危うい部分が多すぎることも確かだ。プリンスは人種・階級・性差といったさまざまな境界を越え、自らのアイデンティティを曖昧にすることによってスターになった。フランスの高級リゾート地で行われている金持ちのパーティに忍び込むクリストファーと相棒のトリッキーは境界線を越えるだけではなく、派手な服で相手の目を眩ませたり、フォーマルな服で擬態したりすることによって、自らのアイデンティティを曖昧にする。「すべては遊びだ」「仕事はしていない。やっているのは趣味だけだ」といったクリストファーの言葉は、何者にも回収されることを拒否したプリンス自身の姿と重なる。
アイデンティファイされるのを拒否することによって聴衆に強烈なインパクト(違和感)を与えたという点で、プリンスとマイケル・ジャクソンはよく似ている。ただ、大きく違うのは、いくら拒否しようとしても、アイデンティティを強要する境界というものが世の中に存在し続けているということを、プリンスは見失わなかった。マイケルだってそんなことはわかっていたはずだ。でも、彼はナイーヴにもそれを無視しようとした。プリンスはアイデンティティを曖昧にしながらも、自分がどちらの側にいるのかはっきり意識していたと思う。クリストファーが「金持ちは俺たちからいろいろなものを奪った。だから俺たちも奪ってやろう」と金持ちの娘を連れ去るとき、ぼくは彼がプリンス自身が選んだペルソナであることをさらに強く意識するのだ。
プリンスの世界観に身を委ねると、思いのほか心地のよい映画だと思う。
| 固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)
この一週間ぐらいの間に、Yahooオークションで石田一松のSP盤をいくつか入手した。なかでもうれしかったのはタイヘイレコードから発売されていた「のんき節」と「男なら」のカップリング盤。一松のSPというと戦前のものがほとんどなのだが、これは戦後であることが歌詞からわかる。一部聞き取れないところもあるが、歌詞を掲載しておくと・・・
当選するにはしましたけれど
貧乏はやっぱり つきまわる
選挙費用の借金を
返しております のんき節
ハハ のんきだね
夜の目も寝ずに 選挙の運動で
さぞや疲れたことでしょう
さいわい当選したやつは
議会でゆっくり眠れます
ハハ のんきだね
相手の議員を殴り飛ばして
殴り返して 袖もいで
罪にならないそのわけは
正当防衛でございます
ハハ のんきだね
おいらは貧乏でも ほんとにけっこうだよ
日本が独立できたなら
そうだよ まったくだと宿無しどもの
話が○○○○ ○○○○○
ハハ のんきだね
文化人だと威張っているが
うわべばかりじゃ なんにもならぬ
洋食食って 栄養食べるが 文化人ならば
アメリカの九官鳥も文化人かいな
ハハ のんきだね
人間の拳闘は許してあるのに
犬の拳闘は許すなと
動物愛護会でおっしゃるそうな
人間愛護会はどこにある
ハハ のんきだね
1番で一松自身の選挙運動のことが歌われているから、少なくとも衆議院議員に当選した1946年以降の録音だろう。乱闘国会(1954年、警察法改正をめぐるものが有名。ただしこのときには一松はすでに国会を去っている)や独立(1951年、サンフランシスコ講和条約)といった内容からすると、もう少し後のものかもしれない。2番は『社会評論』1936年6月号の記事にも載っているし、6番の歌詞は戦前からくり返し歌っている。○○○としたところは、よく聞き取れない。みなさんも聞いてみて、わかったら教えてください(→MP3)。
他には、戦前(あるサイトによれば1932年)、ヒコーキレコードから発売された「モンパリ/浜辺の歌」。「モンパリ」は1927年、宝塚歌劇団によって上演された日本初のレヴュー『モン・パリ -吾が巴里よ-』の主題歌。元々はレヴューを演出した劇作家・岸田辰彌の訳詩で「うるわしの思い出 モン・パリ」として発売され、10万枚を超える売り上げを記録した。一松は歌詞を微妙に変えて「石田一松・訳詩」ヴァージョンとして歌っている(内容自体はあまり変らない。権利の問題があったのだろうか?)。それにしても、書生節の一松が「モンパリ」とは意外。B面の「浜辺の歌」は「あした浜辺をさまよえば~♪」ではなく、鳥取春陽作の別の曲。
あと、もう一枚、「中禅寺湖心中(上)(下)」。デュエット相手として名前が記されている石田文子とは、一松が若いころに同棲し、いっしょに流しもしていた女性「二三子」のことだろう。『闘った「のんき節」』によれば、一松を追って広島から上京した二三子は、若き日の演歌師を陰で支えながら、芸者出身という理由で結婚を反対され、静かに身を引いた(一松はその後、別の女性と結婚)。二人はそれ以前に1925年の「復興節」をはじめとして、「春の夢」「凋んだ花」「新関の五本松」などの録音を残している。ということは、これもそれら同様、一松最初期の録音ということになる。それにしても、のちに心ならずも別れることになる二人が、心中ものとは穏やかではない。
追記(1):聞きとれない部分について、4番が
我々は貧乏でも とにかく結構だよ
日本にお金の 殖えたのは
さうだ!まつたくだ!と 文なし共の
話がロハ臺で モテてゐる
ア ノンキだね
という歌詞を元にしたものであるというご指摘をいただきました。ちなみに「ロハ台」とは金のかからない「只」=ロハの台ということで公園のベンチなどを指す言葉らしいのですが、ここではそうは聞こえない。そこの部分を何と歌っているのか、いろいろ考えたのですが、「地下道」とも聞こえます。だとすると、「宿なしども」が議論をする場所としていかにもふさわしい。【さらに追記】「街角」とも聞こえます。
(2)戦後、タイヘイレコードが再建されたのは1950年。しかも、同社は翌51年に「タイヘイ音響」と改名、52年には米マーキュリーレコードと専属契約を結び、53年、日本マーキュリー株式会社になっています。レーベルを良く見ると、TAIHEI ONKYO CO. LTD., NISHINOMIYAと書かれています。ということは、「のんき節/男なら」のSPは51~52年に録音・発売された可能性が高い、ということになります。
| 固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)
今日のラーメン:「中華麺(700円)」@三軒茶屋『めん 和正』
動物系のしっかりしたボディに魚系のダシがたっぷり加わった極上スープ。少し味が濃いような気もしたが、塩味よりも旨味が強いのでぐいぐい飲める。あっさりしたスープと脂の混ざり具合もいい感じ。やや平らな感じの縮れた麺もコシがあって美味しい。細いのに噛みごたえのあるメンマもグー・・・★★★★
スズメバチに刺された。
ベランダにスズメバチが巣を作っているのは知っていたのだが、まさかぼくの部屋に一匹紛れ込んでいようとは。右手中指の第二間節をちくりとやられた。一晩アイスノンで冷やして寝たから腫れはひいたが、怖くて自分の部屋に入れない。二回刺されると、穴開きしーナントカで頭にパカッと穴が開いて(←まちがい)、ショック死することもあるらしい。
駆除業者の人が来てくれたので一安心。今のところ激越な症状は表れていないし。最近、キイロスズメバチが大量発生ししているらしい。Rさんの話では、自然破壊によって天敵のオオスズメバチの数が激減したのが原因だという。なるほど、そういうことだったのか。生態系のバランスというのは微妙なものだ・・・

ゆっくりり@三軒茶屋GuruGuru。今日は三人編成なのでチョット寂しかったけど、ゆったりした雰囲気でビールを飲みながら音楽を楽しみました。共演の夢中遊泳もかっこよかったです。
| 固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)
平岡正明『黒人大統領誕生をサッチモで祝福する』(愛育社、2008)を読み終わった。『ミュージック・マガジン』などに書かれた文章を読んでいる程度で、ましてや面識があるわけではないのだが、平岡正明さんには「豪腕」というイメージがあった。極真空手の有段者だったからでも、革命家を自任するラディカルだったからでもない。例えば、この本の冒頭、「一九〇〇年、三遊亭圓朝が死に、ルイ・アームストロングが生まれた。したがってジャズは落語の生まれかわりであります」の言葉通り、志ん生の落語「首ったけ」でお気に入りの娼妓と喧嘩して吉原の遊廓を飛び出した男が、いつの間にかニューオリンズの紅灯街ストーリーヴィルに紛れ、伯母の経営する売春宿「マホガニー・ホール」でピアノを弾きながら「ペーズン・ストリート・ブルース」を作曲するスペンサー・ウィリアムズを呼び込む・・・筒井康隆『ジャズ大名』のような飛躍した話を、それでも納得して聞かせてしまう腕力が、ぼくに「豪腕」のイメージを抱かせたのだと思う。つい、「聞かせてしまう」と書いたが、それは論理的に整理して「読む」ことを拒否する、ジャズのアドリブのような文章だ。そのため、「あまり論理的な文章ではない」(Wikipedia)などと批判されることもあるようだが、余計なお世話だろう。ここにあるのは論理というよりも、物語である。そして、物語でしか再現しえない論理もあるのだ。焼け野原だった桜木町の駅前にトレーラーを止めて蜜柑を食べながらバップを聞いていた黒人兵・・・といった鮮烈な記憶が、目の前で起こっている現実の前に投げ出される。「豪腕」という(ぼくが勝手に抱いた)イメージとは裏腹に、すごく繊細で自由な語りなのだ。
個人的に印象に残ったのは、サッチモもバラク・オバマも仮面をつけて人種差別社会に対応する現実主義者であるという、シェルビー・スティール『オバマの孤独』の「つまらない結論」に対して反論した次の部分である。
「第一に、サッチモやマイルスのジャズは仮面ではない。
第二に、道化の戦闘性を否定することは、少数派、差別されている者の武装解除だ。
第三に、仮面をつければこそ真実を語ることができるという芸術の本質への無知である」(83)
「第二」と「第三」については、その通りだと思う。だとするなら、「第一」は「ジャズもまた仮面だ。それの何が悪い」でよかったのではないか。書き方はともかくとして、書いてある内容はこのところぼくが考えてきたのと同じことだ(拙論「黒人ミンストレルの虚構性と演技する力」参照)。平岡さんの死によって、ご本人にそのことを確認することはできなくなってしまったけれど・・・改めてご冥福をお祈りします。
| 固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)

なげやりの練習をするため、新宿へ。新宿駅を降りると、だれもがいっせいに空を見上げている。写メを撮っている人もいる。なんだ何だ?UFOか?と思って見ると、大きな虹がくっきりと半円を描いていた。ごみごみした新宿の街を包み込むような、堂々とした虹だった。思わず、ぼくもカメラを向ける。
よどんだ空気のなか、座り込んでジュースを飲んでいるオッサンの横をすり抜けてスタジオへ。ロックンロールの塊になる。ようやく、ガタガタ言っても声が嗄れないようになってきた。「ゴリゴリ2009」
| 固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)
今日のラーメン:「ラーメン」@代々木『らすた』代々木店
日吉本店と比べると、見た目からして違う。スープの色が濃いのだ。食べてみると、予想通り、かなり醤油の味が濃い。豚骨スープ自体の濃厚な味わいは十分出ているが、やっぱりもう少し薄味の方が食べやすいかも。固めのコシがある麺は本店ゆずりで美味しい。やはり、味の濃さが残念・・・★★★

代々木laboにイオチキングのライブを見に行った。イオチキングは今、ロック・バンドとして最高に脂がのりきっている。シンプルで力強いロックンロールに、ヨシワラくんのギターがキラキラとした色彩を添える。演奏の充実ぶりに嫉妬すら感じた。打ち上げに参加してビールを飲みまくり、結局、イオチくんの家に泊まった。おじゃましました~。
| 固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)

『ミュージック・マガジン』8月号に、萩原祐子さんがマイケル・ジャクソンの追悼記事を書いていた。そのなかで、萩原さんは「彼はけっして世間で言われたように"白人になりたい黒人"ではなかったんじゃないかと思う。白でも、黒でも、何色でもない人になりたかったのではないか」(56)と書いている。前に書いたとおり、ぼくも同じ意見だ。晩年のマイケルが見せた白い顔は白人社会であれ何であれ、何かに受け入れてもらいたいというサインではなく、拒絶のメッセージ、空白の象徴であるようにぼくには思える。彼は何ものにもなりたくなかった。人種差別社会で大人になることが、自分の人種的アイデンティティを受け入れることであるとするなら、それを拒否するマイケル・ジャクソンは一生子供のピーターパンでいるより他なかったのだ。だから、マイケルは「自宅に広大な"ネヴァーランド"を建設し、大人になることを拒絶し、時を止め、無垢な子供たちとの夢の空間に閉じこもろうとした」(57)。そんなマイケルの曖昧なアイデンティティ(というよりもアイデンティティの拒絶)を、アメリカ社会が受け入れるはずはない。お前は白人なのか、黒人なのか?子供なのか、大人なのか?男なのか、女なのか?そのどちらでもないのなら、お前は異常者だ!マイケル・ジャクソンに対する執拗なバッシングは結局、アイデンティティを特定しない人物に対する不安の反映だったのではないか。
一方、ピーター・バラカンさんは7月4日付けの朝日新聞で、白人のビデオしか流そうとしなかったMTVに風穴を開けたマイケルの功績を認めながらも、「肌の色が白くなっていくに従って、マイケルの音楽には『黒さ』が失われていった」と語っている。ぼくもいわいる「黒っぽい」音楽が好きで聞いてきたし、少し前ならバラカンさんの言葉をすんなり受け入れることができただろう。でも、今は音楽の「黒さ」について、いくつかの疑問を投げかけずにはいられない。そもそも、音楽が黒いとはどういうことか?アフリカ系アメリカ人の音楽は常に変化し続けてきた。にもかかわらず、そこに「変っていく同じもの」、変化を貫く「黒さ」があるとするなら、それが何なのかはっきりさせなければならない。そうでないなら、「マイケルの音楽は黒くない」という発言は単なる好みの表明でしかありえない。それ以上に疑問なのは、マイケルは「黒く」あり続けなければならなかったのか・・・ということである。マイケルが「黒く」あり続けることに興味がなかったとするのなら、彼の意思に反して「黒く」あるべきだと言う権利が誰にあるだろうか(もちろん、バラカンさんは「黒くないから悪い」という表現は周到に避けているが)。
マイケル・ジャクソンがスター街道を邁進していたのとちょうど同じころ、イギリスでは若いアフリカ系の芸術家たちが、人種的イメージに挑戦する試みを行っていた。例えば、イングリッド・ポラードは『田園間奏曲』(1984)で、典型的なイギリスの田園風景のなかにアフリカ系の人物を置くことで、強烈な異化作用を生み出そうとしている。
「ウォークを余暇とし、桂冠詩人の詩的感興を奮い立たせたレイク・ディストリクトを歩いたことがある人であれば、いやそうでない人も含めて多くのイギリス人は、この写真を見ると、なにか落ち着かない奇妙なイメージだと思うだろう。写真から感じられるあたりの冷気、灰色の曇天、古い石垣、遠くに見えるまばらな木立、一眼レフ・カメラ、防寒装備、そういったものすべてが、ここにただひとりいる人物とそぐわない。なぜここに黒人女性がいるのか。これは奇妙だ、見たことがない」(萩原弘子『ブラック 人種と視線をめぐる闘争』、194-5)
黒人青年マイケル・ジャクソンが個人所有のディズニーランド、アメリカ主流文化の粋を集めた大豪邸のなかにいるのを見ることは、イングリッド・ポラードの作品がイギリス人に与えるのと同じ違和感を見るものに与えただろう。ほんの数十年前まで黒人の子供は遊園地に入ることも許されず、メリーゴーラウンドにジム・クロー・カー(黒人専用車)はないのかと問いかけなければならなかったのだ(ラングストン・ヒューズの詩「メリーゴーラウンド」)。もちろん、ポラードが戦略としてわざとやっているのに対し、マイケルはナイーヴさからそこにはまり込んでしまったという違いはある。そして、アメリカ社会の人種偏見はナイーヴな境界侵犯で乗り越えられるほど甘くはなかった。
「アイデンティティ」という仮面を拒絶したマイケル・ジャクソン。拒絶せずにはいられなかったのだ。ぼくはあんたらが思っているような「マイケル・ジャクソン」じゃない。ましてや、「黒人青年」なんかに回収されない・・・でも、やっぱり彼は仮面をかぶることを恐れるべきではなかった。いくつもの仮面をつけかえて、敵を煙に巻くべきだった。例えば、同時代に活躍したプリンスは、自己イメージの氾濫のなかに身を隠した。しまいには読むことすらできない記号をアイデンティティとして差し出した。そんなに俺が何者か知りたいなら、これをやるよ!(もちろん、冗談だけどね!) アフリカ系アメリカ人は、黒塗りミンストレルに活動の場を求めた黒人芸人以来、そうした仮面のつけかえの長い伝統を持っている(拙論「黒人ミンストレルの虚構性と演技する力」参照)。その意味で、マイケル・ジャクソンは「黒さ」を失ったといえるかもしれない。そして、それはぼくにとって残念なことだ。進んでいるように見えて実はバックしているムーンウォークのように、マイケルには観客を煙に巻いて欲しかった。
| 固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)
今日のラーメン:「ラーメン(醤油)」@六本木『天鳳』
店先には「札幌」の文字がおどる(本店は札幌ラーメン横丁にあるらしい)が、一押しメニューは醤油。ちょっと苦味があるような奥深い味は、札幌というよりも旭川のラーメンに近い。よく縮れた中太麺はかなり硬めに茹でられていて、ラーメン好きにはたまらない味わい。チャーシューはかたいが、これは好みだろう・・・★★★+
東京ミッドタウンのジャズ・クラブ『ビルボード・ライブ東京』で、ブルース・ブラザーズ・バンドのライブを見た。ダック・ダンもマット・ギター・マーフィもいないメンツをブルース・ブラザーズ・バンドと呼べるのか、そもそもジョン・ベルーシの死後四半世紀以上もの間、「ブルース・ブラザーズ」として活動するのってどうよ・・・といった疑問にも関わらず見に行ったのは、スティーヴ・クロッパーがギターを弾くのをこの目で見てみたかったから、というに尽きる。それさえあれば、何でもいいよ・・・と思っていたのだけれど、ショーアップされた(悪ノリともいう)ステージに心躍り、気がつくと重たい身体をクネクネくねらせながら、「ハディハディハディホー」のかけ声に山びこよろしく答えていた。そして、御大スティーヴの演奏は・・・とてもゆるい。でも、かっこいい。譜面上だけのことを言えば、スティーヴ・クロッパーの弾くフレーズは、ちょっとギターの上手い人なら弾けるだろうと思う。でも、こうして目の前で御大のギターを聞くと、もう何もかもが違う。音のぶっとさ・・・それもある。でも、それだけじゃない。存在感というか、空気感というか。次のフレーズにいくときのふわっとした間というか。「スウィート・ホーム・シカゴ」でシャフルのなかに三連をぶちこむとき、もう一人のギターリスト(フュージョン畑の人らしい)が「ズジャッチャツチャズジャッチャツチャ」みたいに小気味良くカッティングで入れるのに対し、御大は低音弦を「ズジャジャジャズジャジャジャ」みたいな感じでベタに野太く弾いていた。これがまたかっこよい。いっしょに行ったギターリストのイノウエさんは、ステージのうえの御大と握手をしていた(ぼくはできなかった!スタックスのTシャツ着てアピールしてたのに!)。その手でギターを弾くと、いつもとは違う音がするよ、きっと!
↑1994年ニューオリンズでのライブ。このときはまだダック・ダンもマット・マーフィもいます。
| 固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)
今日のラーメン:「つけ麺(500円)」@神保町『さいたま屋』神保町店
関西の人がよく真っ黒い東京のうどんを見て「醤油入れてるだけ」というようなことを言うが、それを本当につくってしまうとこうなるだろう。鰹だし?は出ているが、こんなに塩辛くてはそれも意味がない。第一、つけ汁が出てきてから麺が出てくるまで2分以上もかかるっていうのはどういうことなんだろうか。評価できるのは値段だけ・・・★★
今週もまた、神保町へ。『ジャニス』でCDを大量レンタル。『カフェ・ルーゾのアマリア・ロドリゲス』があったのには驚いた(何でもあるな、ここは!)。石田昌隆さんが『オルタナティヴ・ミュージック』で紹介していて、ぜひ聞いてみたかったのだ。家に帰って聞いてみると、石田さんも書いていた通り、観客の咳払いやグラスのぶつかる音まで入っていて、会場の様子を生々しく伝えている。曲間をはしょったりしていないのもいい。1955年のリスボンにいたら、間違いなくアマリアの歌と酒に溺れるな。
その足で『富士レコード』へ。石田一松のSP盤を2枚入手。一枚は「露営の夢/戦友の別れ」。戦時下に録音された「時局小唄」で一松本来の姿とは言いがたいが、自ら望んでのことかどうかはともかくとして、こうした歌を数多く録音したことを、原爆で家族を亡くした戦後の一松がどう思っていたのか・・・という問題を考えるうえで重要な資料ではある。もう一枚は「生活戦線異常あり/いやじゃありませんか」。ジャズ・バンドの伴奏で録音されたコミック・ソングで、これは素直にうれしかった。「生活戦線異常あり」(1930)は『西部戦線異状なし』を文字ってつくられた、添田唖蝉坊・最後期の作品。
春が来た来た 春が来た 春が来て草木も芽が出たに
俺の目は凹んだおかしいぞ ヨワッタネ 生活戦線異常あり
またまたデパアトの屋上から 若い男が飛び降りた
この世がイヤだと飛び降りた ヨワッタネ これは精神に異常あり
当局に睨まれること必至、一松と亜蝉坊の反骨ここにあり、といった作品である。「いやじゃありませんか」のほうは、「ドリフのほんとにほんとにご苦労さん」なんかにも影響を与えているはずだ。
半蔵門線に乗ってワールド・ミュージック専門のレコード店、渋谷宮益坂の『エル・スール・レコード』へ(ここで、お知らせ・・・チキリカのCD『Boo Booo. . .』を『エル・スール』に置いてもらえることになりました。販売価格は850円)。西アフリカ・ベニンのファンクを収録したオムニバスと江州音頭のニューウェイヴ(?)・月乃家小菊のマキシシングル『踊れ大阪総おどり/気持ちヨホホイホイ』を購入。後者はバックをつとめる「月乃家会」の演奏が素晴らしい。以前、河内音頭や江州音頭が西洋楽器を入れてワールド・ミュージック界に殴り込みをかけたころと比べても格段の進化をとげている。特に、三味線とギターのポリリズミックなからみ、太鼓とベースが一体になってくり出すリズムの説得力が素晴らしい。関東では錦糸町周辺と『エル・スール』だけの販売です。ばかジャケ度の高さにも惹かれます。おすすめ。
| 固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)
映画『ソウルビート・ストリート』(Good To Go、ブレイン・ノバック監督、1986)を見た。今さら?と言われるかもしれないが、ゴーゴーを聞きなおしている。地元コミュニティと結びついた「いなたい」音楽を求めるうちに、チャック・ブラウンやトラブル・ファンクを思い出した。どたんどたんと垢抜けないビートをくり返すゴーゴーは、どこか村祭りを思わせるローカル色強い音楽で、地元ワシントンDC以外ではほとんど大きな成功を収めなかったというのもうなずける。それだけに、それ自体地元密着のメタファーになりそうな、跳ねているのに重心の低いビートが気になってしかたがない・・・そんななか、石田昌隆さんの新刊書『オルタナティヴ・ミュージック』に、「ゴーゴーは今でもヴィヴィッドな音楽だと感じてしまう」(145)という文章を見つけて嬉しくなってしまった。そこでも紹介されているゴーゴーのライブてんこもりの映画がこれだ。
ゴーゴーの一時的流行にのって作られた(おそらく低予算の)映画なので、ストーリー映画としての深みは求めるべくもない。すっかり禿げあがったアート・ガーファンクル扮する新聞記者ブリスが、警察からの情報を鵜呑みにして書いたニセ記事の真相を求めて悪徳刑事ハリガンと対決する。レイプ殺人に関わったとして追われる身となった兄の無実を信じるリトル・ビートは、ブリスの真摯な態度に接して次第に心を開いていく。よくある「ヒューマン・ドラマ」だが、登場人物それぞれの背景がほとんど描かれていないので、行動に必然性が感じられない。リトル・ビートはなぜブリスが信頼できる人間だと認めたのか。ブリスは何がきっかけで自分のなかの人種差別に気づいたのか・・・全く見えてこない。「環境の犠牲者」なんて言葉は、それがどんな「環境」なのか一人ひとりの人生に即して描き出さなければ説得力を持つはずがない(それにしても、陳腐なセリフだけど)。まあ、この映画にそんなことを期待するのは、ないものねだりというものかもしれないけど・・・
結局、この映画の魅力は、音楽のカッチョよさ、ゴーゴーの背景となるワシントンDCの黒人街の雰囲気が捉えられているということにつきる。それは・・・素晴らしい。映像というのは恐ろしいもので、言葉が上すべりしているときでも泥臭い現実を伝えてしまうことがある。犯罪と隣りあわせで生きる人びとの生活と、そのなかに占める音楽の位置がイメージとして伝わってくる。陳腐なストーリーはそこに犯罪、人種差別、腐敗といった「名詞」の枠をはめてしまう。そこから一回きりの「動詞」としてはみ出す部分を、生々しい映像から垣間見ることができる。
↓ この人・・・
チキリカのメンバーに欲しい・・・
| 固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)
ダイアナ・ロス主演のミュージカル映画『ウィズ』(The Wiz、シドニー・ルメット監督、1978)を見た。『オズの魔法使い』をオール黒人キャストでミュージカル化し、トニー賞7部門を受賞した舞台(1975)の映画版である。
夢と現実のはざまで明けていくオズの国の朝。背景美術の素晴らしさに引き込まれる。くすんでいながら鮮やかな色彩には、グラフィティなんかにも通じるキッチュな感覚がある。スラムの廃墟、地下鉄、摩天楼・・・といったニューヨークのイメージが、もともとインダストリアルな国のチープなファンタジーである原作に不思議な生々しさを与えている。ドロシー(映画では24歳の設定になっている)を当時34歳のダイアナ・ロスが演じることに違和感はあるものの、それも予想していたほどではない(舞台では二十歳そこそこのステファニー・ミルズが演じていたのだから、無理があることは否定できないが・・・まあ、ダイアナ・ロスはそもそもカマトトだからね)。
それよりも素晴らしいのは、「かかし」役のマイケル・ジャクソン。うまく歩けない詰め物のかかしを演じながら、なおかつ華麗なステップを踏むという離れ業ができるのは、この人を置いて他にいないだろう。晩年の彼からは想像できない、豊かな表情に魅了される。母親キャサリンによれば、思春期を迎えるころから持ち前の天真爛漫さが影をひそめ、次第に引きこもりがちになっていったというマイケルだが、少なくともこの時点ではそうしたナイーヴさが演技や歌に良い影響を与えている。そして、このころのマイケルは「キング・オヴ・ポップ」ではない。黒人コミュニティーの息子だ。のちに人種を超えたスターになっていったことが良いことだったのか、悪いことだったのか、ぼくにはわからない。ただ、そのなかでこの映画に見られる何かが始まるようなウキウキとした感じを、豊かな表情とともに失ってしまったのはとても残念だ。
音楽や踊りに加えて、敵から逃げまわるドロシー一行のドタバタぶりもコミカルで楽しい。ひらげは根が子供なのでこういうのを見ると、キャッキャと手を叩いて喜んでしまう。それでいて、西の魔女イブリーンの工場でこき使われていた人びとがみすぼらしい服を焼き捨て踊りだすシーンなんかは、どこか奴隷の解放を思わせる。出演者には他にもレナ・ホーンやリチャード・プライヤーらが名を連ねていて、アフリカ系スター総出演の感がある。監督が『十二人の怒れる男』のシドニー・ルメットだというのも驚き。
追記:ダイアナ・ロス扮するドロシーとマイケルかかしが黄色いブリック・ロードを踊りながら歩いていくシーンを見て何か思い出すものがあると思ったら、チャップリンの『モダンタイムス』のラスト、チャップリンと当時の奥さんだったポーレット・ゴダードが手に手を取って旅立っていくシーンだった。あの、何かがはじまる、不安だけどウキウキした感じ、それも似ているんだ。
| 固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)
今日のラーメン(?):「スパイシーフォー(780円)」@渋谷『コム・フォー』渋谷店
ベトナムやタイのお米の麺はやはりラーメンとは別物だと思う。とはいえ、辛いものもパクチーも大好きなひらげは、ときどき無性にエスニック系の麺が食べたくなる。今日はたまたま渋谷でベトナム料理のお店を見つけたので入ってみた。「スパイシー」とはいえ、タイ料理とはかなり違った味わい。これはこれでけっこういける・・・★★★+

桔梗@渋谷屋根裏。4月に活動を再開したばかりの桔梗だが、このライブを最後にしばらく活動を休止するとのこと。残念。そのせいか、いつもにも増して気迫の感じられる演奏だった。レスポールの機嫌も直ったみたいだし。会場に中学生の息子がいたことも、なげやりくんの緊張感を高めていたのかもしれない(MCもいつになくキリリとしていたけど、あれも父親モード?)。終演後、少年は父親の演奏を真似して、エアギターをかき鳴らしていた。演奏をはじめる日も近いな。今後については、「桔梗」(スリーピースのロックバンド)という形をとるかどうかはさておき、この音楽はいずれ何らかの形で結実するだろうから心配していません。その日を楽しみにしています。
| 固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)
今日のラーメン:「塩ラーメン(700円)」@東京『ひるがお』(東京ラーメンストリート)
『せたが屋』の昼の顔である本店はもちろん、新宿御苑店さえ未体験だったのだが、「東京ラーメンストリート」出店でついに行ってきた。でも、期待が強すぎたのか、「こんなもんかなぁ」という印象。無化調のスープは塩味も控えめで、旨味甘みが前面に出ている。パリッとした麺も美味しい。でも、強い「インパクトには欠けるような・・・★★★+
久しぶりに御茶ノ水→神保町→水道橋を散策。明大通りを下り、人気お笑いコンビ、オードリー命名の由来となった(異説もあるようだが)スープカレー屋を横目に、靖国通りを左へ。大型音楽レンタル店『JANIS』でCDを借りる。エイプリル・フール、ファー・イースト・ファミリー・バンド、井上陽水、マイケル・ジャクソン×2、ミュート・ビート、小玉和文、不破大輔、プリンス×2、カシミア・ステージ・バンド、計11枚。
靖国通りを神保町方面に引き返し、古書店に群がる古参のオタクたちを観察しながら(←お前もじゃ!!)、古書センター9階の『富士レコード社』へ。SP盤が並んでいるここなら、石田一松をはじめとする書生節のレコードが置いてあるかもしれない。ところが、実際に行ってみると、あんまりたくさんありすぎて、どこを探せばいいのかサッパリわからない。流行歌?だろうか・・・でも、一松の「のんき節」は寄席芸でもあるわけだし・・・それに流行歌はポリドール、テイチクなど会社ごとに分類してある。一松のレコードがどこから何枚出ていたのか、SP時代のことは資料もなく、はっきりしたことはわからないのだ。降参して店員さんに相談する。「書生節のレコードを探してるんですけど・・・」というひらげの訴えを受けて、店員さんはSP盤の山に埋もれるようにしてしゃがんでいるおばあちゃんに声をかけた。この方こそ誰あろう、富士レコード社の名物社長(大正12年生まれ)であるということは、あとでわかった。「書生節?鳥取春陽やなにかかしら?」「春陽もいいですが、ぼくは石田一松さんが好きで・・・」「あら、じゃあ『のんき節』はお持ち?」「いえ、それが持っていないんです」 おばあちゃん・・・いや社長は若い店員にも指示しながら、SP盤の山を探しはじめる。「書生節はね・・・」「(期待に目を輝かせながら)はいっ」「なかなか出ないんですよ・・・」「そうですか・・・」 しばらくすると店員さんが「時事小唄 のんきだネ」のSPを取り出してきた。「名人会寄席の夕」と題した浪曲物真似・前田勝之助とのカップリング盤である。「むこうでお聞かせして」社長の指示でSPがプレーヤーに運ばれる。
出囃子とともに一松登場。「しばらくご辛抱を願います。名人会のなかへ入りまして、ばかばかしい歌を一つ二つ歌わしていただきます・・・」 おおおっ!一松の録音はいくつか持っているが、漫談まで入っているのは初めてだ。軽妙なトークをはさみながら、披露したのんき節は
ポスターを貼るのも結構ですけど
貼っていけない場所がある
氷屋さんの店先に
買いだめするなと書いてある
ハハ のんきだね
スパイを気をつけ
そもそもスパイは
どちらがスパイか人間か
ちょっと区別がつきかねる
スパイは諸君のなかにいる
ハハ のんきだね
昔やなんでも晦日払いで
しかも売る方が礼言うた
今では何でも現金で
しかも買う方が礼を言う
ハハ のんきだね
発売年は不明だが、どれも戦時色強まる時勢を反映した内容で、反骨の演歌師・石田一松の面目躍如である。寄席のスタイルで録音したせいか、今までに聞いたどの録音より歌もヴァイオリンも生きいきとしている。スパイの一節は国の方針に従っているように見せながら、漫談で「スパイと人間は同じ動物ですから、どれがスパイで人間だか区別がつきません」とまぜっかえす。結局、美人に限って外国人と付き合いたがる、おかげでこちらは「廻りが悪くなってくる」という卑近な愚痴で落としている。「スパイは人間じゃないらしいね?でも、外国人にぶら下がる女でも美人なら人間の方に入れておきたいだろう?」と言っているようにも聞こえる。現金払いについての一節は、『のんき哲学』のなかで戦後の社会について同じようなことを書いていた。
それにしても、一松はこうしたレコードをどれくらい出しているのだろう。「SP時代はどんなものが何枚出たといったリストはないんでしょうかね」「ないのね。とてもたよりない世界なんですよ」「やはり一枚一枚集めていくしか・・・」「あとは昔の広告を見るか」「ああ、何が出ていたはずだって言うのはわかるわけですね」「そう。とてもたよりない世界なの」 社長は最後にすぐ近くにある系列店の場所と、古書センター内にある落語カフェに寄席芸関係の資料があることを教えてくれた。「でも、面白いところに着眼なさっているわ」 中古レコード業界の生き字引にお褒めの言葉をいただいて、意気揚々と神保町の町にくり出した。
| 固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)
今日のラーメン:「重厚中華そば(730円)」@赤羽『大ふく屋』
『天下一品』かと見まごうどろりとしたスープは濃厚。豚骨をベースとしながらも、煮干の香りが全体を強く支配する。野菜もかなり使っているらしい。今までにないバランスのスープだ。硬めに茹であがった麺、太いが柔らかいメンマ、しっかりしたチャーシューなど、すべてに抜かりがない。ラーメンの神様、ステキな出会いをありがとう・・・★★★★+

浅草木馬亭に岡大介さんと小林寛明さんのカンカラ演歌を聞きに行った。岡さん(カンカラ三線/ギター/歌)と小林さん(ラッパ二胡/二胡)の『かんからそんぐ 添田亜蝉坊・知道をうたう』は演歌/書生節が本来持っていた若々しさ、清新さ、反骨とセンチメンタリズムを現代によみがえらせた傑作だ。今回の出演者は『かんからそんぐ』をレコーディングしたメンバー・・・いやがおうにも期待は高まる。会場は単館上映専門の映画館ほどの広さ。場所柄、観客の年齢層は高めである。年配の方7割、比較的若い人が3割(ピチピチギャルやチャラ男はいないが)といったところか。開場前、後ろに並んでいたおばあちゃんが「でも、亜蝉坊なんて、年寄りしか知らないだろう?」と言っていた。それが知ってるんですよ~、へへ。固い椅子に座って待つこと30分、「東京節」の演奏にのせて幕が開いた。おおおっ!ここでワタクシ、ひとつ勘違いしていたことに気づきました。小林さんの担当する楽器は「ラッパ二胡」だったのですね。「ラッパと二胡」だと思ってました(「ラッパ二胡」は中国の弦楽器・二胡のボディを金管にした楽器。驚くべきことに、手作りではなく既製品だという)。素晴らしい演奏にのせて、岡さんは添田親子の名曲をはじめとする演歌/書生節を次々と歌っていった。さらに、岡さんのルーツであるフォークソングや、ドリフの「いい湯だな」、春日八郎「お富さん」、岡晴夫(←岡さんのおじいちゃんだというのは・・・嘘です!)「あこがれのハワイ航路」も披露。どの歌も岡さんらしいひたむきさがあふれている。小林さんとの軽快なトークも快調。自然と笑みがもれ、音楽に参加したくなる。前の席のおばあちゃんが懐かしい歌を口ずさみはじめる。身体を揺らす人、手拍子を叩く人、声援を送る人。これだよな・・・音楽って。いいタイミングで子供の笑い声が響いたのも偶然ではなくて、音楽が楽しかったんだよ。感動とともに、自分の音楽についても考えさせられました。素晴らしい時間をありがとう。
| 固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)
チデジカに負けるな!アナログマTシャツゲット!

「アナロ熊の歌」 ←かなり切ない。
キャサリン・ジャクソン『マザー:ザ・ジャクソン・ファミリー・ストーリー』(Mother: The Jackson Family Story、小林禮子訳、1990)を読みおわった。ジャクソン・ファミリーのお母さんが家族の歴史を語った本。母の話にマイケルとラトーヤ以外の兄弟姉妹が補足的な説明をさしはさむという構成になっている。
マイケル・ジャクソンが気になる。あれだけ嫌いだった『スリラー』すら買ってきてしまった。マイケルが突然の死を迎える前にそう言っていたら、予言者的な嗅覚を認められていたかもしれない。今となっては後づけの感は免れないが、マイケルの死には単なるゴシップ以上の意味があるような気がしてならない。全米を代表するスーパースターとして、すべての夢をかなえたかのように見えた男が、なぜあんな不幸な死を迎えなければならなかったのか。そんなのはプレスリーやマリリン・モンローのころから変らない、ショウビズの裏話じゃないか、と言われればその通りかもしれない。でもやっぱり、気になるのだ。晩年のマイケルの表情をなくしたような顔と数々の奇行。奇行も過剰なサービス精神の表れにすぎないなら、酔ったときのひらげと同じで罪はない(?)のだが、マイケルのそれは強烈な「拒絶」の臭いがした。すっかり白くなった顔を見て、「マイケルは白人になりたかったんだよ」という人もいるが、ぼくにはそうは思えない。だったら、何でせっかく手に入れた白い顔を黒いマスクで隠してしまうのだ。表情を失くした白い顔は白人社会であれ何であれ、何かに受け入れてもらいたいというサインではなく、拒絶のメッセージ、空白の象徴であるようにぼくには思えた。彼は何ものにもなりたくなかった。白人、黒人・・・それどころか、「自分」でいることすら拒否したのだ。
そんななか、この本を読んだ。マスコミが書きたてたマイケルのスキャンダルのひとつに家族との不仲がある。この本が書かれた背景には、そうした噂を一掃するという意図があったのだろう。このころ、ジャクソン家の娘のひとり、ラトーヤがジャクソン家に関する暴露本を書いたばかりだった。キャサリンはラトーヤの裏切りはもちろん、夫ジョーの浮気が原因で離婚寸前まで行ったこと、モータウンから独立する際にジャーメインと他の兄弟に確執があったことなどを認めている。ただ、そうしたトラブルはどこの家庭にも起こりうることだ。この本に書いてあることをすべて信じるわけではないが、貧しい子沢山の一家が音楽で夢をかなえるサクセス・ストーリーに不自然さはない。厳しく躾けられた反発から子供たちが父ジョーから距離を置いているなどといわれることもあるが、がんこなジョーの姿は大勢の子供を食べさせていかなければならない父親としてはごく普通のものだろう。そして、特に男の子の場合、大人になってから父親との距離をうまくとることは、どこの家庭でも難しいものだ。ささいな諍いはあったとしても家族は家族であり、それがマイケルの「拒絶」の原因になったとは考えにくい(マイケルの遺言書が見つかって、マスコミはまた父親に遺産を残さなかったことを書きたてている。ぼくがマイケルでも同じことをしただろう。誰が浮気癖のある父親に一生かけて稼いだ金を任せるものか。どのみち母親に残した金は父親のためにも使われることになるのだ)。
問題はマイケル自身や家族よりも、マスコミやオーディエンスにあったと考えるべきだろう。この本にもマイケルが根拠のない報道に悩まされていたことがくり返し書かれている。あることないこと書きたてるマスコミというのは今にはじまったことじゃない。ただ、ぼくが気になるのはなぜ、アメリカのマスコミはマイケル・ジャクソンをあれほど執拗に攻撃したのか、ということである。晩年、奇行をくり返すようになる前から、マスコミはマイケルを「異常者」であるかのように描いてきた。ぼくにはどうしても、そこに人種的なバイアスがかかっているように思えてならない。マイケルは黒人、白人を超えた幅広いオーディエンスに受け入れられた最初の黒人ミュージシャンだった。ジャクソン5として活躍していた70年代はもちろん、80年代ですらアメリカのショービズの世界にマイケル・ジャクソンのような存在はいなかった。しかも、マイケルはディズニーランドやクラッシックな内装といった白人メインストリームの文化が大好きで、私生活をそうした「黒人らしからぬ」装飾で派手に演出した。オーディエンスの多くはそんなマイケルを眩しく思いながらも、どこか強烈な違和感を抱いていたのではないだろうか。乗っていたロールスロイスを盗難車と決めつけられて逮捕された話はその意味で象徴的だ(306)。当時はまだ黒人の若者がロールスロイスに乗るのは「異常」なことだったのだ(今だってわからないが)。だから、そうした行動がマイケルの精神的異常さの表れであるというマスコミのストーリーが説得力を持ってしまったのではないだろうか。そんなマスコミやオーディエンスに対し、パブリック・イメージを保つことに疲れてしまったのだろう。ある時期からマイケルは周到につくられた自分らしい仮面をかぶることを拒絶した。どんな仮面をつけようが、どうせ異常者の気の迷いとされてしまうのだ。
ロンドン公演でマイケルはもう一度自分らしい仮面、ステージの上の「マイケル・ジャクソン」を取り戻そうとしていたのかもしれない。でも、50歳のマイケルにその時間は残されていなかった。『スリラー』を聞いている。80年代の軽い音ではあるけれど、マッコサのリズムを使っていたりして意外と悪くない。改めて、ご冥福をお祈りします。
| 固定リンク | コメント (0) | トラックバック (1)
今日のラーメン:「つけ麺(850円)」@新宿『ラーメン たからや』
ちょっと甘めのタレは不味くもないが、特に美味くもない。縮れた太麺はコシも強くてかなり食べごたえがある。表面がつるりとしすぎているところは好みではないが、意外にもスープの吸いあげは良い。特筆すべきは炭火で燻したチャーシュー。香も強くて美味しいが、麺とのバランスを考えるとトゥー・マッチな感じも・・・★★★
マイケル・ジャクソンが死んだ。
実感がわかないのは、昨日まであんなに元気だったのに・・・というのとは逆に、マイケルが生きているという実感をすでに失っていたからだろう。こんな言い方は不謹慎で残酷だとわかっているのだけれど、ジャクソン5のころの笑顔を失って、どんどん「カオナシ」のようになっていくマイケルに生きた人間の姿を見ることは難しかった。「スリラー」以降、ソロ・アーティストとして成功したマイケルの音楽が、ぼくはどうしても好きになれなかった。ロボットのように精巧なエンターテイナーとしてのそれは、何重もの演技のなかに生々しい男の精子臭さを垣間見せるプリンスのステージとはまるで違うものだった・・・マイケルには特定の「顔」がない。それが彼を80年代を代表するアーティストにしたのだろう。じゃあ、ジャクソン5のころのマイケルはどうだったのかというと、そこにはやっぱり「子供らしい笑顔」という仮面をつけたマイケルしかいなかった。個人的にはソロになってからの音楽よりも、ジャクソン5の方が断然好きだが、それはあくまでも好みの話。仮面をつけているという点ではあまり変らなかった。晩年のマイケルは無意識に「仮面を一切はずしてしまったらどうなるのか」という実験を行っていたのかもしれない。誰しも仮面をつけて生きている。「素顔」ほど人工的なものはない。マイケルはその人工的なものを通して、イヤらしい人間の存在(プリンスの精子臭さのような)に近づくことはなかった。
マイケル、ほんとうにおまえは死んだのか?
そんななか、元シーズのヴォーカリスト、スカイ・サンライト・サクソンが、25日朝に亡くなったことを知った。マイケル・ジャクソンの死に全米が騒然とするなか、ひっそりと姿を消すなんていかにも彼らしい。シーズの代表作のひとつに「キャント・シーム・トゥ・メイク・ユー・マイン」という曲がある。男の情けなさを描きだしたという点で、ビーチボーイズ「だめな僕」、ジョン・レノン「ジェラス・ガイ」と並ぶ名曲である。あんまり素晴らしいので、大学時代、「なげやり」というバンドで「つれないあの娘」としてカヴァーしたことがある。今聞いてみても原作の素晴らしさと、それを的確な日本語にする自分の才能にうっとりする(←・・・)。その「なげやり」は去年再結成したばかりだ。
偉大なるガレージ・パンクの先駆者のご冥福をお祈りしたい。
| 固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)
大学時代にやっていたバンド「なげやり」、再結成後二回目のリハ。関西在住のため不参加のカルちゃん(キーボード)に代わり、同級生のナカサくん(演奏経験なし)が参加。無茶は承知で人柄重視・・・バンドやりはじめた頃って、こんな感じだったよね。でも、けっこううまくいったし。それにしても、21世紀に入ってこのバンドをやるとは思わなかったなぁ(笑)。 「Don't Look Back 2009」
| 固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)
今日のラーメン:「もりそば(700円)」@赤羽『大勝軒 まるいち』
少しとろみのある濁ったスープは、『大勝軒』の売りである煮干よりも動物系のダシに重点を置いたつくり。つけ麺のタレとはいえ、かなり酸味が強い。例によって麺の量が多いということもあって、食べ終わる頃には喉が渇いてしまう。チャーシューはたっぷり入っているし、サービス万点ではあるのだが・・・★★★
昔つくった曲のデモ録音をつくりはじめた。ギターもへたっぴだし歌も入ってないけど、ディスクがいっぱいになっちゃったので今日はここまで。
ナカヤマくん(子育てと仕事で年内バンド活動休止)の代役に大先輩のガブンさんを迎えてのチキリハ(チキリカ・リハーサル)。次回のライブは10月11日(日)高円寺Showboat に決まりました。ナカヤマくんとはまた違うノリで、南半球系バンドの新たな一面をお見せすることができそうです。対バンは都立大時代のお仲間=イオチキング、くるくるファンタジーです。
| 固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)
今日のラーメン:「ラーメン(500円)」@調布『萬来軒』
終戦直後からありそうな古くて小さいお店だが、白いペンキが塗りたくられた店内は意外とこざっぱりしている。こうした店にありがちな柔くてコシのない麺。スープは昔懐かしい醤油味だが、不自然な旨味が強いような気も。お酒も飲めそうなので、飲んだ後に食べると美味いかもしれない・・・★★★

スミハラくんが激しい打ち込みトラックにのって叫び跳ねる、Automamaのライブ@三軒茶屋Heaven's Door。テクノは身体によい。スミハラくんのつくる音はとんがっていて、ぼくの弛んだ身体に突き刺さりそうだ。なのにこんなに心地よいのはなぜだろう・・・ブルースでもアフリカ音楽でもロックでも、名人になればなるほどどんどん意思が強く、エゴは弱くなっていく。それは丸くなるといったこととは違う。どんどん濃厚に尖りながら、エゴは消えていく。結果としてそれはアグレッシブでありながら、身体に優しい音になる・・・テクノも誰かの意志でつくられていることは違いないのだが、生身の身体でひっぱたいたり、ひっかいたりするのと比べると、おれがおれがというエゴは前面に出にくい・・・ような気がする。それはもしかするとアコースティックな音以上に自然音に近いのかもしれない。テクノとエコ、テクノと仏教画の相性がいいのもそのことと関係があるのかな。そもそもテクノに疎いぼくは、そんなことを考えながらAutomamaの尖った音に身体を任せていた。テクノは身体によい。
岩尾光代『はじめての女性代議士たち 新しき明日の来るを信ず』(新風舎文庫、2006、1999)を読み終わった。戦後最初の総選挙は、日本で初めて女性に参政権が認められた選挙でもあった。その結果、39名の女性議員が衆議院に送り出される。彼女たちは思想も背景もさまざまだったが、それぞれに戦後日本で女性が政治に参加する礎を築いた。保守派の候補のなかには公職追放になった夫の代わりに立候補した者も少なくない。しかし、こうした「身代わり候補」であれ、彼女たちの運動が女性が政治に関わるきっかけとなったことは否定できない。そうした政治家の妻たちの多くは戦前から、夫の政治活動を見守るだけではなく、女性の地位向上にも関心を持っていた。保守派、革新派、その他泡沫政党の候補も含め、女性候補者たちはマッカーサーによって「与えられた」女性参政権を婦選運動の本流に位置づけたと言えるかもしれない。
女性代議士の誕生について何か読んでみようと思ったのは、石田一松『はだか読本』の対談で異彩を放っていた京都府選出の代議士、大石ヨシエのことが気になったからだ。大石や東京大空襲ですべてを失ったなかから出発した山口シズエなど、新しい時代に「いっちょやってやるか!」と腕まくりして出てきた新鮮な候補の話は今聞いてもおもしろい。とりわけ労組の組織票がまだ固まっていなかった当時の社会党からは、名もなき候補が登場する余地があった。ぼくが興味を持ったのは、女性の政治参加以上にこの時代のこうした風通しの良さである。女性候補者に限らず、今まで政治に対してものを言えなかった人たちが、いっせいに口を開いた時代。それは一種祭りのようなものだったと著者はくり返し述べている。その後の選挙では採用されることのなかった「大選挙区連記制」(複数の候補者を連記して投票)という制度も新人に有利に働いたのだろう。
しかし、こうした時代は長くは続かなかった。連記制は最初の選挙のみで廃止される。日本を脱軍国化するために、女性参政権をはじめとする民主化政策を推し進めていたGHQも、冷戦のなかで大きく路線を変えた。レッドパージの嵐が吹き、逆に多くの公職追放者が政界に復帰する。やがて、保守合同、社会党の右派左派結集により55年体制が築かれると、選挙は組織票に依存した大がかりなものとなり、金も知名度もない一般人がおいそれと手を出せるものではなくなっていく。最初の女性議員39名もその多くが政界を去っていった。自殺疑惑に対し「そんなひきょうなマネはせん」と最後まで強気の姿勢を崩さなかった大石ヨシエも、1971年、愛知県の小さな村でひっそりと亡くなった。「日本の老人はかわいそうや」という言葉を残して・・・もちろん、彼女たちの歩みは引き継がれたし、その闘いは終わったわけではない。だが、一方で、忘れ去られた彼女たちを知ることは、戦後の日本社会が閉塞していく過程を追うことでもあるのではないかと思った。
| 固定リンク | コメント (2) | トラックバック (0)
今日のラーメン:「博多とんこつラーメン(650円)」@横浜『ラーメン よかとこ』
店構えからして、あまりそそらない感じ。食べてみれば思ったほど悪くはないし、黄色い看板の博多ナントカとよりはよほどましだと思う。でも、スープは不自然な旨味が強いし、麺ももう少しコシが欲しいというのが正直なところ。もやしが入っているのは、この手のラーメンでは珍しい・・・★★+
ついに届いてしまった・・・「Oh! RADIO」 。涙が出るかと思ったら、そんなことはなかった。これが最後の録音?そうかもしれない。でも、PVを見ていたら、あの世っていうのは一種のパラレルワールドで、キヨシローは今も虫網片手にむこうで蝶を追っているような気がした。
| 固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)
今日のラーメン:「塩ラーメン」@西八王子『味楽苑』
お世話になったお店のラーメンというのは悪く言いにくいものだが、ここのラーメンは本当に美味しかった。具はシンプルで奇をてらったところは何もない。しかし、スープはアッサリしていながらも色々な旨味がつまっている。かなり飲んでからの評価なので、あえて4星はつけないが気持ちはかなりそれに近い。今度素面で食べに行ってみよう・・・★★★+
西八王子の中華料理店『味楽苑』で行われたEncuentrosの演奏会にゲスト参加して、歌を歌ってきた。Encuentrosのケーナ奏者・清水さんに「ラーメン屋でライブをやるから、ぜひ『ラーメン・ブギ』を歌ってくださいよ」と言われたときには、どういうことなんだか、サッパリわからなかった。ラーメン屋は回転が命である。10数分ごとに入れ替わる客を相手に演奏をするのだろうか。あるいは演奏を聞くためにお客が長居をしてお店に迷惑をかけることにはならないだろうか・・・ところが、行ってみるとラーメン屋というよりは中華料理店で、何度も朗読会や演劇などのイベントをやっているらしい。それならばと意を決して、アンデス音楽の合間に「ラーメン・ブギ」と「はだか節」を歌った。相変わらずのヘタッピーな歌で、アンデス音楽を求める観客からレンゲや丼を投げつけられないか不安だったけど、おじいちゃんおばあちゃんから車椅子の身障者の方まで、ニコニコ笑いながら聞いてくださいました。その上、「ラーメン・ブギ~♪」と大合唱でコーラスまでしていただいて・・・ありがとうございました。清水さんはじめEncuentrosのみなさん(Encuentrosの演奏はもちろん、素晴らしいものでした)、『味楽苑』関係者のみなさん、観客のみなさん、幸せなひとときを共有させていただいたことに感謝します!
| 固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)
今日のラーメン:「トマト冷製麺(900円)」@横浜『麺や 維新』
ここはレベルの高い限定メニューを次々とくり出してくるので、目が離せない。今回はトマトを使った冷やしラーメン。写真ではわからないが、緑色の麺にはモロヘイヤが練りこんである。レタス、水菜、鶏肉、クルトン、粉チーズなど各食材のバランスもすごくいい。トマトを使った麺はけっこうあるが、これほど完成度の高いものは他にない・・・★★★★
金子潔『演歌流生記』(新日本出版社、1987)を読みおわった。金子潔さんは長崎県出身の演歌師。不自由な足で全国を放浪し、街頭演奏で4人の子供(前妻との間にさらに子供がいる)を育てあげた苦労人である。石田一松とも交流があり、一松の伝記『闘ったのんき節』のなかにもしばしば登場する。しかし、個性という意味では当り前のことかもしれないが、録音に残された金子さんの演奏を聞くと一松とはずいぶん肌合いが違う。目から鼻に抜ける才気走った一松は、その歌声からも一種パンキッシュな狂気が感じられるのに対し、金子さんのそれは自然体で聞き手に身を任せているような感じすらある。ロシア民謡をはじめとするさまざまな音楽をレパートリーに取り入れ、うたごえ運動やフォークソングといった戦後の若者の音楽にも理解を示したのも、そんな金子さんの謙虚なあり方と関係があるのだろう。旅から旅の人生を綴ったこの本も、苦労を苦労と思わせない爽やかな語り口に、著者の実直な人柄が表れている。旅先で出会った女工や娼妓と逃げようとして袋叩きにあった話や、各地の演歌師との交流など、放浪への憧れをかきたてられずにはいられない(実際には辛いことのほうが多かったはずだが・・・)。息子の大学入試の時ですら、親子二人、演奏で資金を稼ぎながら山形から東京へ向かったというのだから、すごい。
金子さんは戦後、宇都宮で受けた空襲の体験、戦争を止められなかったことへの後悔から、共産党の支持者になる。共産党系の出版社から出されていることもあって、本書の後半で金子さんが語る内容は、共産党の主張の枠にカッチリはまっていて、正直、面白くない。共産党が戦後の政治のなかで一定の役割を果たしてきたことは認めるし、平和の党、労働者の党に対する金子さんの思い入れは理解できるのだが・・・。一時期共産党に入党していたピカソが、自分の絵を「ブルジョワ的だ」と批判され、「共産主義社会では靴屋もプロレタリアート風の靴をつくるのか」と反論した・・・というような、枠からはみ出す部分があまり感じられないのだ。とはいえ、二度と戦争を起こさないために、自分の体験、考えを書きのこしておかなくては・・・という思いは痛いほど伝わってくる。それもまた、金子さんの実直さ、誠実さのなせる業である。金子さんは本書の出版を見ることなく、86年10月、胃癌で亡くなった。ベルリンの壁の崩壊やソ連の解体よりも前のことだ。
| 固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)
今日のラーメン:「辛つけめん(850円)」@渋谷『麺屋武蔵 武骨外伝』
前回つけ麺を食べた時は、武蔵系には珍しく「あれっ?」と思った。どうもピンとこなかったのだ。辛つけ麺も同様。つけだれは辛さよりも甘さが先にたつ。麺はちょっとぶよっとしている。湯切りのときに店員がそろってかけ声をかけたりするのも、正直ウザイ。そんなことより、スープ割り頼んだの忘れないで欲しい・・・★★★

桔梗@三軒茶屋Heaven's Door。今日は久しぶりにギターがレスポールだった。そのせいか、バンド全体の音も少し違って聞こえる。久々の使用でギターがすねていたのか、どうも音が定まらない様子。ライブのあと挨拶に行くとやはりスエヒロくんは納得できないようで、打ち上げに顔を出したときもレスポールの音を気にしていた。それでも、凡百のバンドよりもずっと素晴らしいけどね。キャッチボール!
打ち上げでは、大学時代の友人ナカサくん、エース(京都在住の社会学者)、エースが連れてきた新進気鋭の社会学者Kさんに、途中からヒーカさん、イノウエさんも加わって話に花を咲かせた。Kさんとはヒップホップからトニー谷まで色々な話ができて、とても楽しかった。
| 固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)
演歌師にしてタレント議員第一号の石田一松が、さまざまな雑誌に記事を書いていることを知った。ネットで古本を検索してみたら、いくつか出てきたのでさっそく入手した。
ひとつは、左翼系総合誌『社会評論』。1936年6月〜8月号に、得意の「のんき節」を、「時事小唄のんき節(6月号は「のんきだね節」)」として、加藤悦郎のイラスト付きで寄稿している。6月号と8月号が売りに出ていたので、手に入れた(7月号も首都大の図書館にあったのでコピー済)。「夜の目も寝ずに選挙運動で/さぞや疲れたことでせう/幸い当選された方は/議会でゆっくり眠れます/へゝ のんきだね」「訓示々々と訓示が流行る/訓示は上から下にする/される者より する奴に/誰か訓示をしておくれ/へゝ のんきだね」といった政治家や当局を真正面からこき下ろしたネタの強烈さもさることながら、戦後社会党の委員長をつとめ立会演説会で暗殺された浅沼稲次郎ら社会主義者と肩をならべて、親ソ・反ファシズムの左翼系雑誌に書いていること自体が興味深い。天皇の信奉者を自認し、政治家としては三木武夫と行動を共にした一松だが、自主独立・再軍備反対といった主張はむしろ社会党や共産党に近いものがあった。『社会評論』への寄稿は一松が左翼にシンパシーを感じていたことの表れなのだろうか。一松の師匠に当たる添田唖蝉坊は社会主義者の堺利彦とも交流があったし、東京市電のストライキを執行委員長として指揮した熊本利夫は一松の同郷の親友だから、両者の間につながりがないわけではないのだが。
もうひとつは「勤労大衆の友」と銘打った20ページの小冊子『協力新聞』1946年5月号。詳細は不明だが、戦後間もなく何もない時代に娯楽に飢えた人々を癒そうと低予算で作られたものという感じ。「オデコにしわを寄せて考え込んでばかりいる」という読者からの批判に答え、劇作家の菊田一夫を編集委員にむかえてつくられた「読者慰安快感特集号」である。敗戦を振り出しとし「平和な明るい民主日本の建設」を上りとする「再建双六」、徳川夢声と高嶋米峰(東洋大学元学長)の対談、ホイットマンの詩「きみのために、おゝデモクラシイよ」の翻訳、サトウハチロー作詞の「快感音頭」など、わら半紙をホチキスで止めただけの粗末なつくりながら、内容は盛りだくさん。そのなかで一松は、5人の作家が名作のパロディーをテーマにした舞台という設定で書いた連作「想ひ出の名作 廻り舞台」の第二景「歌謡曲と朗詠」で戦前の流行歌「あゝそれなのに」と石川啄木のパロディーを披露している。
「今日もそろそろ米がない
さぞかし政府ぢゃ今頃は
お察しだろうと思ふたに
あゝそれなのに
それなのに怒るのは
デモするのは当前でせう
外で聞こえる人の音
演説ではないただの音
とぎれとぎれの怒鳴声
あゝそれなのに
それなのに落ちるのは
落選するのは当前でしょう
投票しようと出たけれど
なぜか気に入る人がない
やっぱり名もない方ばかり
あゝそれなのに
それななのに投票せよ
投票せよとは
あんまり無理でせう
×
倒壊のおのれの家の白壁は
我なきよしを書いて残さむ
はたらけどもたゝけども我政府
辞職せずぢっと顔を見る
友が皆当選すると見ゆる日を
洟をかみおへ爪を磨かむ」
記事の後には「四月四日」と日付が記してある。昭和21年4月4日といえば、戦後初の総選挙で一松が当選する一週間前のこと(投票10日、開票は翌日)。一松は『のんき哲学』のなかでも、中身のない言葉をがなりたてる立候補者を批判している。一方で、「落選するのは当前でせう」というフレーズは、自分が落選した時の保険のようにも感じられる。「はたらけどもたゝけども我政府/辞職せずぢっと顔を見る」という歌は、ぜひ現内閣総理大臣にお送りしたい。ちなみに、国会議員になった一松がその独裁的な手法を攻撃し続けたのは、他ならぬ現首相の祖父・吉田茂であった。
| 固定リンク | コメント (2) | トラックバック (0)
今日のラーメン:「つけ麺(730円)」@町田『基 motoi』
久しぶりに行ってきた、『渡なべ』系のお店。前回はラーメンを食べたので、今回はつけ麺を。動物系+魚介系のつけ汁は濃厚で、素晴らしく美味い。スープ割りすれば、ぐいぐい飲める。穂先メンマは少し風味が強いが、それもアクセントになっている。麺はつけ麺にはよくある中太麺だが、コシがあってグー・・・★★★★+
中山『舞天』でスージーズの演奏を聞いた。やっぱり、島唄は元気が出るなぁ。
水野喬『闘った「のんき節」 タレント議員第一号・演歌師 石田一松』(文芸社、2002)を読みおわった。「のんき節」で有名な演歌師であり、タレント議員第一号でもあった石田一松。戦前も軍部や政府を揶揄するような歌を歌い、官憲から呼び出しを受けることもあった一松は、戦後初の総選挙で衆議院議員に当選してからも、所属する国民協同党の党議に反して日米安全保障条約と講和条約に反対票を投じるなど、その反骨を貫いた。天皇の信奉者を標榜しながらも、一松が一貫して主張していたのは自主独立と再軍備反対であり、そうした主張は保守派よりもむしろ社会党や共産党に近いものだったとも言えるだろう。その背景には、原爆で瓦礫すらなくなった故郷・広島の姿がある。また、意見の違うものからも発言の機会を奪うべきではないという立場から、言論を封殺するレッド・パージ的な謀略には強く反対した。晩年、共産党を除名になった神山茂夫と選挙応援協定を結んだり、砂川の基地反対闘争に関わったりと、「左」に接近したようにも見えるのも、彼の信念からすると不自然なことではない。一松自身は自分は常に真ん中にいて、世の中が右へ左へ動いただけだと言っていたらしいが。
本書は現存する資料を調べあげ、当時の関係者に丹念に取材を重ねて書かれた、今のところ唯一の石田一松伝である。占領から独立、その後の右旋回へと続く激動の時代のなかで、「反骨の人」石田一松がどのように生きたかを知る意味では、他に例のない貴重な資料である。とはいえ、資料や取材から得られた情報を、当時の人々の会話や独白として再構成してしまうので、どこまでが真実で、どこからが作者によって脚色されたイメージなのか判然としないところがある。本人たちにしか知りえない会話や内心の描写は、「すべてが事実だったとも言えませんし、逆に単なる想像のことでもない」(495)というよりも、事実を元にしたフィクションと言うべきだろう。会話のなかに当時の状況説明が織りこまれているため、セリフが説明的で小説的なリアリティに欠けるという不満はあるものの、記録に残らない「歴史」を再現するためにフィクションの力を借りるのはむしろ正当な方法だと思う。作者がなぜノンフィクションという言葉にこだわるのか、理解できない。ぼくは石田一松という実在の人物を題材にした小説として読んだ。
戦前の一松について、軍部や政府を批判した「反骨の人」という面ばかりを強調しているのも食い足りない。もちろん、一松が得意の「のんき節」で窮屈な時代を笑いとばし、官憲に目をつけられていたことは事実である。その一方で、当時を生きる芸人として、日本軍の快進撃に喝采を送る観客を無視することもできなかったはずだ。所属する吉本興業によって結成された慰問団「わらわし隊」に参加したことはともかく、一松自身「肉弾節」など戦意を高揚するような歌を歌っている。さかのぼれば、「壮士演歌」や「書生節」自体、明治の頃からそうした危ういナショナリズムを含んでいた。戦後の一松は原爆による故郷喪失という悲劇を経て、そうした自分自身 ― あるときには戦争に積極的な支持(「止められなかった」という消極的な支持ではなく)を与えていた自分自身 ― に対する深刻な反省があったはずだ(同時代の演歌師・金子潔氏は著書『演歌流生記』のなかで、肉弾三勇士の歌を歌ったことを反省をこめて語っている)。戦後の一松だけ見ていると、彼が普遍的な平和主義者であったようにすら見えてしまう。「反骨の人」のなかに、どんな苦しい葛藤があったのか、それこそフィクションを駆使して描き出して欲しかった。
一松の「ヘリクツ」的な部分があまり描き出されていないのも、違和感があった。政治家・石田一松を描くという意味ではそれでもいいのかもしれないが、人々を笑わせる寄席芸人としての一松を語るうえでそうした一面は欠かせない。「正論」をぶつけるだけでは「笑い」にはならない。動かしがたい「正論」のように見える常識をヘリクツやダジャレでひっくり返すから面白いのだ。ヘリクツとヘンクツで逆立ちした世の中を逆立ちして見た名著『のんき哲学』を、出版社の編集長に「本格的な哲学書のようなもの」と言わせてしまう(例によってこのセリフも本当にこの人物が言ったのか、作者の脚色かわからないのだが)ところを見ると、作者は一松のそうした一面にはあまり興味がないのかもしれない。
・・・・こんなことばかり書いていると、「お前のような若造に何がわかる」と怒られそうだが、もちろん、勉強になることが多かったことは強調しておかなければならない。作者のイメージする一松がぼくのそれとずれているところはあるものの、いろいろなことを教えていただいた。こうなったらぼくも資料を集めて、ぼく自身の「石田一松」を再構成してみようと思う。
| 固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)
今日のラーメン:「担々麺(840円)」@錦糸町『イッツベジタブル 苓々菜館』
ここは菜食中国料理のお店なので、動物性の食材は一切使っていない。それどころか、ニンニク、ニラ、ネギといった刺激性の強い植物もNG。にもかかわらず、ごまをたっぷり使ったスープはけっこうコクがあって、優しいなかにもパンチがある。麺はもう少し固いほうが好みだけど、全体的に美味しかった・・・★★★+
渋谷のエル・スールで先日買いそびれたアフリカもののレコードを大量購入。トゥンデ・ナイチンゲール、S・E・ロジー、I・K・ダイロ、シキル・アインデ・バリスター、ジェイムズ・チモンベ・・・貴重なLPを抱えてニンマリしていると、店長の原田さんが東南アジア特有の節回しの歌を流しはじめた。タイのウィルソン・ピケットと言われる(誰が言いはじめたんだ!?)ダーオ・バンドンという男性シンガーのCD(写真)だという。モーラムのなかに洋楽的な要素が入りこんでいる・・・というか、洋楽的な音楽をやろうとしてモーラム的な地金が見えてしまったというべきか。ロックンロールのベースライン、ズンズンズンズン・・・と思ったら、音がありえないところにずれるので背骨を脱臼しそうになる。でも、一昔前の日本の歌謡曲(初期のサブちゃんとか)もこんな感じだよね・・・日本の歌謡曲が東南アジアの音楽に影響を与えている可能性もあるし・・・と原田さん。結局、このCDも買うことにする。

錦糸町の『イッツベジタブル 苓々菜館』に、ケーナ奏者の清水康之さん率いるEncuentrosの演奏を聞きにいく。ところが今回はギターリストの都合がつかなかったため、ケーナは風絃流しなどで活躍する金子勲さんにまかせ、清水さんはギターを担当。バンマスのケーナが聞けたのは本編の1曲とアンコールの2曲のみ。金子さんの自由奔放なケーナは素晴らしいものだったし、数ヶ月でここまでギターを弾けるようになった清水さんの努力にも脱帽するが、もっと清水さんのケーナを聞きたかったというのが正直なところ。それだけ、清水さんがケーナを吹いた3曲が素晴らしかったということでもある。今度は金子さんと清水さんのケーナ・デュオを聞かせて欲しい。
| 固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)
今日のラーメン:「魚介つけ麺(680円)」@天王町『壱鵠堂』天王町店
「魚介」のつけ麺と聞いて勝手に上品なものを想像していたのだが、こういう行き方もあるのか。濁ったつけ汁の舌触りが少々粉っぽいせいもあって、正直あまり洗練された感じはしない。細めの縮れ麺はそれなりにコシも合って美味い。具が取り分けてあるのは効果があるのかな?ぼくはつけ汁に入っていたほうが好き・・・★★★
クサナギくんの復活も近いことなので、彼の言葉にインスパイアされた自作書生節「はだか節」のデモ録音を作ってみました。宴会・合コンなどでどうぞ(嘘) 。
(このときのヴァージョンはかなりゆるゆるだったので、作り直しました→こんな感じ)
知事も議員も大臣も
生まれたときはみな裸
女の腹から チョイト 出たときに
股を隠したやつはない
裸だったら何が悪い
ひとりで夜を明かすより
隣に誰かがいたほうがいい
言葉で愛を チョイト 語るより
包み隠さず見せるがいい
裸だったら何が悪い
人目を気にして生きるより
だめな自分を愛したい
誰かのアラを チョイト 探すより
酒酌み交わせばアラ不思議
裸だったら何が悪い
ちなみに写真のTシャツは
http://clubt.jp/product/53181_1578006.html
で。
| 固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)
今日のラーメン:「つけ麺(とんこつ和風だし)(700円)」@吉祥寺『つけ麺 若葉』
吉祥寺のハモニカ横丁にあるつけ麺屋。麺は太めの平打ち麺で、つるつるとした喉ごしがなかなか心地よい。今回はつけだれは色々な味があるが、いちばん上に書いてあった「とんこつ和風」を選んだ。とんこつに魚粉もきいていてなかなか美味しいけど、この麺にはちょっと弱いような気も・・・★★★+

南半球系バンド・チキリカが、吉祥寺曼荼羅でライブをやりました。アフロ系インスト・バンド=JariBuのお誘いで、『MUSIC SURFER 41』という企画に参加。出演者はJariBuの他にも、レゲエ~スカ系のOH! SKA-SUN、ロカビリーやR&B系のOLD FASHIONとツワモノぞろい。DJも入って、グルーヴが途切れることのない好企画でした。自分の演奏について言えば反省することばかりなのですが、暖かいお客さんに助けられて何とかやり遂げることができました。ぼくの妄想のなかのニワトリに声を合わせて、ホロロケロホロロケロと叫んでくださったみなさん、ありがとうございました。
| 固定リンク | コメント (2) | トラックバック (0)
石田一松『のんき哲学』(大空社、1998、1946)を読み終わった。石田一松は広島県出身の演歌師。添田唖蝉坊の東京青年倶楽部で演歌師としての活動を始め、得意のヴァイオリンを手に「のんき節」などの流行歌で一世を風靡した。1946年には戦後初の衆議院選挙に立候補して、見事当選。53年のバカヤロー解散による総選挙で落選するまで、寄席に出演しながら議員活動を続けた。いわば、タレント議員第一号である。そんな一松が代議士になった直後、「のんき節の寄席芸人に何ができる」という世間の嘲笑に一矢酬いんとして書いたのが本書である。とはいっても、「へへ、のんきだね」という暴力的なオチで聴衆を沸かせた一松のこと、生真面目なマニフェストのようなものを書いたわけではない。「序言」からして、「読者諸君、仕舞った!と、この本を買ったことの後悔はもう遅い、何故ならば、きっとこの本を諸君に売った本屋は、買った値段では、この本を買戻しはしないだろうから」(6)と読者を煙に巻くトリックスターぶりがまぶしい。
「いわいる哲学者の哲学は難解なる文章の羅列によって、文章の意味を解読することだけでも、一つの事業であり、さしづめ語学の研究だけでも大変である。哲学書というより鉄学書と呼ぶべき冷たく、固いものである」 (17) ― 「のんき哲学」と銘うちながら、冒頭からの「哲学」批判である。上の引用に続けて、一松は哲学書が難解な言葉で書かれているのは、その内容(のなさ)を見抜かれないようにするためであると喝破する(18)。こうして哲学の専門性が孕む問題を暴き出しながら、一松の言葉はそこにとどまらない。一歩すすんで、自らを批判する対象のパロディとして提示するところが、トリックスターのトリックスターたる所以である。「闇の哲学的考察」と題して、一松は難解な文章の無内容を自ら演じてみせる。
「闇とは明に対する語であり文字である。即ち光明の絶無なる暗黒の空間である。故に完全なる闇の空間においては、人間の視覚は無であり、視覚の無なるが故に、視覚による物体の認識も無である。
視覚による物体の認識が無である必然の結果は、少く共、視覚に関する限り、物体の存在も無である」(20)
抽象的な「闇」の定義は間髪いれずに、現実の「闇取引」、それもより生々しい「女を対象とする闇取引」の暴露へとなだれ込む。こうして読者を引きずりまわした挙げ句、一松は現実の「闇」に対する批判を狂った言葉遊びのなかに解消してみせる。
「不当なる価格であると、自覚する人間の自覚は、五感の中の視覚を無視した四官によるものであるから、これはノーマルな人間の自覚と称することはできない。これは自覚にあらずして四覚である。この四覚は不完全自覚である。不完全自覚である四覚を、完全自覚にするためには、視覚を加えなければならない。
即ち四覚プラス視覚は八カクである。八カクの八と、味覚のミの三とを連絡して「八三」と呼び、闇の意味に用いられるのである」(22)
認識論のような顔をしながら、ダジャレにダジャレを重ね、最後はメチャクチャな結論(オチ)にたどり着く・・・クラクラするほどの見事な手腕である。
「伝記叢書」の一冊として復刻されたものの、本書のほとんどは伝記的な内容ではなく、上に書いたようなヘリクツである。そう。もうわかったと思うが、一松はヘリクツ親父である。それも、ああいえばこういう、ハンパじゃないヘリクツ親父なのである。もちろん、代議士として社会問題や若者の生き方をまじめに語っている部分もあり、そのなかには今となっては古臭い部分もある。そんなときもなお、一松はヘリクツを忘れず、「へへ」と笑って読者をのんき節の異次元へと置き去りにする。後半、ホンの少しだけ自らの半生を語るときも、その自意識過剰なヘンクツぶりは変わらない。出生についての一節など、まるで『ブリキの太鼓』を読んでいるかのようだ。
「私が生まれたのは ― 私が生まれたのです。私は断じて、生まれた瞬間から、石田一松ではなかったのです。私が生れて、七日間ほど経って、私は石田一松になったのです。― 明治三十五年十一月十八日生れです。この生年月日も、父親から教えられ、或は役場の戸籍謄本に書いてあるのを、私が読んで記憶したので、七歳の幼い頃に覚えた自分の生年月日を、何十年も忘れないでいる、この素晴らしい記憶力には、われながらつくづく感心しています」(200)
幼少時代の話は、愛人をつくって出て行った母との別れ、継母との確執など、悲しいものが多いのだが、一松は記憶から湿っぽさをふり払い、どこかヒトゴトのような顔をして語る。母に対する怒りも、ぼくにはどこか怒ったふり、演技のように思えてしかたがない。そうしなければならないほどつらかったということだろうか・・・稀代のトリックスターというのはこういうところから生れるものなのかもしれない。
ともかく、こんな男が国会にいたと考えるだけで、愉快だ。ちなみにこの一松論もまた、難解で無内容な文章のパロディであることはいうまでもない・・・なんて。へへ、のんきだね。
| 固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)
今日のラーメン?:「ソーキソバ」@中山『沖縄居酒屋 舞天』
沖縄そばはラーメンではないが、まあ、日本そばよりは近いだろうということで。『舞天』には何度も来ているが、そばを食べるのははじめて。何かが突出することのない、穏やかな味。ソーキもしっかり脂抜きされていて、あっさりとした仕上がりになっている。コーレーグースを入れると美味さ倍増・・・★★★+

スージーズ@中山『舞天』。最初に、ミドル・テンポの渋い民謡を三曲ほどたて続けにやった。島唄はみんなそうだけど、これぐらいのテンポでメロディがうねうねと上がり下がりする歌はとくに、霊を呼ぶね。音楽の力で空気にみなぎる霊の力を集めて、最後はもちろん「ちょんちょんキジムナー」とカチャーシーでどーん!となる。終演後、観客として来ていたOYA-Gさんのラップ(製作中)に耳を傾けつつ、カシスシークワーサーソーダ割りを飲み続けた。
| 固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)
17日の曼荼羅ライブへ向けたチキリハ(チキリカ・リハーサル)後、エロさん以外のメンバーと赤羽の沖縄料理屋で飲んだ。今ごろ、青山ではキヨシローを偲んでたくさんの人が涙を流したり、歌を歌ったりしているんだろう・・・と思いながら、ヒージャー刺しを肴にビールを飲む。
キヨシローの告別式。友だちにも誘われたし、リハが終わり次第駆けつけようかとも思ったんだけど、やめておいた。喪服も着なくちゃいけないし。もちろん、キヨシローの葬式だから、ド派手な服で行こう・・・という気持ちもわかる。でも、何となく、ぼくはイヤだった。ぼくは生前の故人と面識があったわけじゃない。すごくすごく好きだけど、ただのファンだ。だから、最低限の距離を保ちたかった。
キヨシロー=いい人みたいなことばかり強調されているけど、たぶん、イジワルなユーモアも大好きな人だったと、ぼくはファンとして勝手に思っている。「ファンからの贈り物」みたいなさ。つまらないものはゴミ箱に捨てるぜーって。だから、知り合いでもないのにベタベタしてくるやつには、きっつーい一言をお見舞いしたんじゃないかと思う。あくまでぼくの心のなかのイメージだけど、ぼくの心のなかのキヨシローはそういう人だ。ま、それはそれでキヨシローの優しさだって言うこともできるけど。だから、ぼくは遠くから手を合わせるのがいちばんいいんだ。
・・・と自分に言い聞かせる。
イシイ夫妻が息子のカズくんを連れてきた。ドラマーとピアニストの息子なのに、2歳にして自分のパートはギターだと決めている。イマナラがギターを貸したら、目をらんらんと輝かせて嬉しそうにジャンジャンかき鳴らす。「子供が希望」なんて言葉を聞いても、結婚すらしていないぼくは「ふーん」としか思わなかったんだけど、この10日ぐらいでちょっとその気持ちがわかるようになった。
| 固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)
今日のラーメン:「つけ麺(930円)」@調布『たけちゃんにぼしらーめん』
おかしい。こんなはずじゃない。つけ麺の汁にしては薄いせいか、油のしつこさばかりが印象に残る。コシのある太麺は悪くないものの、それを受けとめるだけのパンチがない。最悪なのはチャーシュー。暖めてないのはともかく、それならばこんなに脂の多いものを選ぶべきではないと思う。どうした、たけにぼ!?・・・★★★

三軒茶屋Heaven's Doorに桔梗の演奏を聞きにいく。開演まで時間があったので、久々に渋谷のEL SUR RECORDSに寄る。途中、渋谷駅の連絡通路で曼荼羅に電話していたら、はかるさんに遭遇(偶然ですね!おひきとめしてすみませんでした)。エル・スールで原田さん、元新宿ディスク・ユニオン店員のお客さんと談笑しながら、レコードを物色。しばらく行かない間にアフリカものが大量入荷している。とても全部買うのは無理だったので、ジンバブウェのオリヴァー・ムツクジ、ブラッキッツ、ナイジェリアのキング・サニー・アデ、シキル・アインデ・バリスターを買って、残りは給料日まで我慢(・・・なんてここに書くと、誰かに先を越されるか・・・笑)。
桔梗はやっぱり素晴らしかった。前回はスエヒロくんがギターに対する新鮮さを失っていないことに驚いた。それはもちろん今回も変わらないのだが、とはいえ、そんじょそこらのションベンくさいギターリストとは年季が違う。キューンと短くチョーキングしただけで、いろいろな光景が浮かびあがる。これはギターだけじゃないけど、演奏の密度が濃いので、聞いている時間が一瞬のようにも、永遠のようにも感じられる。すごいな。対バンではブ∞モジャコの女性ドラマーが印象に残った。あんなに撥の残像が美しいドラムをはじめて見た。
| 固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)
今日のラーメン:「ルーローメン(650円)」@天王町『舟八口』
近所にできたラーメンとチャーハン中心のお店。いかにもチェーン店的な店構えだが、他に同じ名前のお店はないようだ。ルーローメンはニラや高菜が入ってそれなりに工夫されているし、角煮も脂っこくなくて美味しい。スープもそれなりに飲めるが、食べ終わった後、口のなかに不自然な旨味が残る。お腹がすいたときにはいいか・・・★★★
忌野清志郎が亡くなった。
思えば、ぼくは遅れてきたRCファンだった。『ラブソディ』が出た80年には小学6年生だったし。
ぼくがRCサクセションに夢中になったのは、中学の同級生オニマルくんの影響だった。お寺の息子でくりくりと潔い坊主頭のオニマルくんは独特のセンスの持ち主だった。お兄さんの影響で日本のフォークやロックに詳しかった。特に仲がいいというわけではなかったけど、ときどき突発的にひょうきんなことをするオニマルくんに、中学生のぼくは一目置いていたのだ。
そして、「いけないルージュ・マジック」がやってきた。シングルを買ってきたのは、亡くなった伯母だった。派手なメイクをしたキヨシローとキョージュが寄り添うジャケットに目を奪われた。母は「気持ち悪い」と顔をしかめたけど、ぼくは伯母のセンスに脱帽した。そして、キヨシローがRCサクセションの人だと知り、「魅惑のフォークソング・ヒット集」とかなんとかいう楽譜集に入っていた「ぼくの好きな先生」とのあまりのギャップに驚いた。伯母に「同じ人?」と聞いたのを憶えている。その後、キヨシローとキョージュは『ザ・ベストテン』の「今週のスポットライト」に出て、札束をばらまきながら男同士でチューをした。「人の目を気にして生きるなんて、くだらないことさ」というメッセージが、いたいけな中学生に伝わった瞬間だった。
さっそく当時流行りはじめたばかりの貸しレコード屋に行って、『ラブソディ』と『初期のRCサクセション』を借りた。衝撃だった。これこそ、ぼくの求めていた音楽だと思った。調べてみると、キヨシローが当時好きだった井上陽水のお友達だということがわかった。キヨシローはラジオで、「陽水のつくってくれたカレーがうまかった」とか言っていた。一家に一枚のベストセラー『氷の世界』にも陽水とキヨシローの共作曲が収録されていた。ぼんやりとした予感が確信に変わった。これだ!ぜったいこれだ!
掃除の時間、廊下で「言論の自由」や「烏合のシュー」を歌っているオニマルくんのそばに行っていっしょに歌った。「おれも知ってるぜ」とアピールしたかった。学校の先生は顔をしかめたけど、知ったこっちゃなかった。受け取ったメッセージを実行する小さな革命児の気分だった。そして、『BEATPOPS』が出て、キヨシローが「もしもあんたがアレをもっていたら」と歌うのを聞いた。「ぼくはアレを持っているだろうか」と思いをめぐらせた。そもそも、アレってなんだ?
それが、81年から82年にかけての出来事。このあとも、ぼくとキヨシローの物語はえんえんと続く。伯母と行った西武球場のライブ。中学校の音楽室で友だちのバンドに飛び入りして、「トランジスタ・ラジオ」を歌ったこと。高校の時のバンドでは完全にキヨシローになりきっていたこと。大学に入ってからだって・・・それだけで、一冊の本ができるだろう・・・
・・・ご冥福をお祈りします。亡くなった伯母も同時期に闘病中だったキヨシローの歌に元気づけられていました。素晴らしい歌をありがとう。中学のときに好きだったものを今でも好きでいられるぼくは幸せです。ぼくはいまでも道端で泣いてる子供なんです。
| 固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)
今日のラーメン:「ラーメン(630円)」@横浜『らぁめん たまがった』横浜西口店
ムビラの巨匠パシパミレさんを連れて大分ラーメンの『たまがった』に。濃厚な豚骨スープはジンバブウェ人にも評判が良かった。ぼくはもちろん、麺ばりかたで。極細麺はダンダン柔らかくなる。これがまた食べあきない理由なのかも。このあたりで九州ラーメンの美味しいお店を見つけるのはけっこうたいへんなので、貴重なお店・・・★★★★
ムビラ・サミットVol.4@横浜Thumb's Up。ムビラやリンバ、いわいる「親指ピアノ」と呼ばれる楽器のプレイヤーが集まるムビラの祭典も、今年で4回目。今回はジンバブウェからムビラの巨匠ルケン・パシパミレさんをお迎えして、日本人、アフリカ人入り乱れての素晴らしいイベントになった。ムビラの弾けないムビラ愛好家=おかムビラーのひらげは、例によって司会を担当した。本番前にはパシパミレさんをラーメン屋にご案内する役目をおおせつかった。
まずは湘南を拠点に活動するスマイルカリンバが、開放感ある音のなかにジャズっぽいフィーリングが潜むグルーヴィーな演奏を聞かせる。ジンバブウェのムビラ奏者カリガイ・ティコリティさんの息子トンデライを中心としたマズィタテグルは、伝承曲をムビラ3台のアンサンブルで。トリを飾ったパシパミレさんと比べると、金属音的成分の強い、キラキラした音。マツヒラくん率いるロワンビラはドラム、ベースありのバンド・スタイルで、伝承曲にユニークな日本語の歌詞をのせて歌う(マツヒラくん曰く、「アフロ・J-POP」)。続いて、タンザニア出身のバンド=タンザナイツ・バンドのリスタ(キーボード&カリンバ)&フレッシ(ヴォーカル)が、ルンバ・コンゴリース風の甘い歌を聞かせる。小池龍一くん(ムビラ、リンバ)とOtoさん(ギター)のユニット=ムビラトロンは、チェロとアイルランドの太鼓バウロンのサポートで、ゆったりとしたグルーヴの演奏を披露。そして、満を持して巨匠ルケン・パシパミレさんが登場。ハヤシエリカさんとムビラジャカナカのマサさんを従えて、圧倒的に存在感のある音で会場を満たす。辛抱ならなくなった人たちが踊りだす。腰を振る人、手をひらひらさせる人、足をバタつかせる人・・・思い思いに身体を動かす人たちでダンスホール状態。パシパミレさんのムビラは比較的くすんだ渋い音なのだが、にもかかわらず、というか、だからこそというか、人を動かすパワーを持っている。このイベントに参加できてよかった。パシパミレさんを招聘したハヤシエリカさんをはじめ、スタッフのみなさん、出演者のみなさん、お疲れさまでした!次はムビラ・サミットVol.5でお会いしましょう!
| 固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)

ジンバブウェからムビラ奏者ルケン・クワリ・パシパミレさんをむかえてのNGOMA JAPANI Vol.4@高輪区民センター。ひらげも巨匠パシパミレさんのイントロダクションとなるべく、ジンバブウェのポピュラー音楽についてトーマス・マプーモやオリヴァー・ムツクジ、ポール・マタヴィレらの映像を交えながら話した。出演は他に、タンザニアのアフリカン・パーカッション、リンバとギターにダンスというユニークな編成のハクナターブ、そのハクナターブでエネルギッシュなダンスを披露していた伊藤宏子さんによる師匠フクウェ・ザウォセ(もうひとりの巨匠!)の映像上映・・・と盛りだくさん。トリを飾ったパシパミレさんとハヤシエリカさん、マサさん(ムビラ・ジャカナカ)による演奏は、もちろん素晴らしかった。区民センターのホールは音響もよく、ムビラの響きをあますことなく楽しめたと思う。ムビラ独特のびりついた音が、歪んだ雑音からホールの空気を満たす魔法に変っていく。ホール全体が楽器というか、空気それ自体が楽器というか。ステージのプログラムと同時進行で行われていたワークショップに参加した子供たちが踊りだす。演奏者を囲んでくるくる廻る人たちと恥ずかしそうに歩いていた少女が、音楽にのせられてぴょんぴょんと跳ねはじめる・・・打ち上げでもパシパミレさんの温かい人柄に触れられて、すごくハッピーだった。
| 固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)
都立大軽音の後輩ムカイくんの結婚式2次会。音楽仲間のお祝いらしく、バンド演奏アリの楽しい会になった。チキリカもそろってお祝いに参上するつもりで演奏のリハもしていたのだが、のっぴきならない理由でメンバーが揃わず。出席できたメンバー+コバ(バーカッション)で「シンプルライフ」を演奏した(歌詞、間違えちゃった)。続けてイオチキング、新郎がギターリストをつとめるくるくるファンタジーが素晴らしい演奏を披露。音楽仲間の結婚パーティーは楽しくていいね。はしゃいじゃうね。それにしても、ムカイくん、きれいな嫁さんもらったな!おしあわせに!
| 固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)
今日のラーメン:「らーめん(500円)」@赤羽『せい家』赤羽店
チェーン店化しながら、家系の味を守っている『せい家』の支店が赤羽にできた。家系のなかではアッサリしているほうだが、しっかり旨味もあって悪くない。蒲田店で食べたときにはもう少し重量感がある印象だったが、こちらのほうがいいという人もいるだろう。そして、この値段の安さ!お値打ちです・・・★★★+
チキリハ(チキリカ・リハーサル)。子育てと仕事でしばらく欠席していたナカヤマくんが久々に参加。やっぱりベースがいると楽しいね。ただいま、25日のムカイくん結婚式、5月17日の曼荼羅ライブに向けてリハビリ中です!乞うご期待!
NHKでほんの一瞬、遠峯あこさんという方が紹介されていた。オリジナルの他、「野毛山節」などの古い俗謡や民謡、歌謡曲、浅草オペラなどを、アコーディオン弾き語りで聞かせる。こういう人、いるんだなぁ。探してみたら、YouTubeに動画があった(↑)。横浜を中心に演奏活動をしているらしいので、今度行ってみようと思う。
| 固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)
今日のラーメン:「スタミナラーメン」@矢部『くい処 やっせんぼ』
以前は淵野辺にあった鹿児島料理が売り物の居酒屋。「スタミナラーメン」は現在は裏メニュー。なんと、ラーメンにウナギが丸ごと入っている。しかし、濃い目のスープがウナギを受けとめ、ゲテモノ的な感じはない。生卵も効果的。プルプルと不均衡に縮れた麺もいい感じ。普通のラーメンは600円から・・・★★★+
「のんき節」で有名な「演歌師」・石田一松の著書『のんき哲学』(1946)を首都大の図書館で発見。ちょっと読んだだけだが、読者を煙に巻くトリックスターぶりが見事な名著。読み終わったら、改めて報告します。
首都大英文の新助手・ササガワくんと矢部の居酒屋『やっせんぼ』で飲む。場末感漂うなか、時間がゆったりと流れていく。驚きの「スタミナラーメン」の他、地鶏刺し、馬のたてがみなど珍味に舌鼓。へへ、のんきだね。
| 固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)
今日のラーメン:「麓郷つけめん(840円)」@千歳烏山『麺工房 麓郷』
『むつみ屋』プロデュースによるお店らしい。暖簾には「牛骨ラーメン」の文字が躍るが、メニューには魚介系のつけ麺や豚骨ラーメンなどさまざまな品名が並び、どうもイメージの焦点が結びにくい。つけ麺は確かに魚介の味が出ているものの、ちょっと塩辛すぎる気がする。最近流行りの太麺は悪くないのだが・・・★★★

千歳烏山『TUBO』で岡大介さんのライブを見た。岡さんの存在を知ったのは、添田啞蝉坊のことを調べていたときだった。啞蝉坊の曲が聞けるCDがないかとAmazonを検索していたところ、岡さんが二胡奏者の小林寛明さんと録音した『かんからそんぐ 添田唖蝉坊・知道をうたう』に行き当たった。カンカラ三線弾き語りで歌われる添田親子の「演歌」が、岡さんの声によって新たな生命を吹き込まれていた。「ホロホロ節」「浅草歌」といったオリジナルも、すごくいい感じ。いっぺんでファンになった。そんな岡さんのライブがあると、Pigapigaナイトの多田さんに教えてもらって、取るものも取りあえず行ってきた。
ちょっと遅れて到着。ガラス張りのドア越しにのぞくと、古びた細身のギターを片手に高田渡の「生活の柄」を歌っている青年の姿が・・・ホームページでみたままの岡大介その人であった。歌というのは恐ろしいもので、どんなに誤魔化してみても歌う人の生活や心持ちが表れてしまう。岡さんの歌は眩しいほどのひたむきさを放っている。今日はそこに、バイオリン、アコーディオン、アイルランドの太鼓バウロンが、鮮やかな演奏を添える。岡さんをのぞく3人だけで演奏したアイルランド音楽がまた素晴らしかった。バウロンってこんなに音程の出る楽器だったのか(まるでトーキング・ドラム)。
日本のフォークシンガーに影響を受けた岡さんは、ボブ・ディランやウディ・ガスリーではないルーツを探し求めるうちに、明治・大正期の「演歌」にたどり着いたという。そんな岡さんの歌を「枯れている」という言葉でレトロとして捉えることも出来るだろうが、ぼくにはむしろ「演歌」が本来持っていた若さを現代によみがえらせたもののように思える。添田親子の歌をはじめとする流行歌を同時代的に聞いていたのは、けっこう若い人たちだったに違いない。
今日はもうひとつ、馬頭琴とホーミーの岡林立哉さんの演奏も聞くことができた。岡林さんの楽器はボディに皮を張った古いタイプの馬頭琴で、すごく素朴で深い音がする。モンゴルの音は塞がれた日本の空を開く。「開放的」というよりも、どこまでも距離が広がっていくような、いつまでも終わることなく星が降りてくる(それでいて手が届くことはない)ような。モンゴルの有名な民謡も素晴らしかったし、最後に「生活の柄」を馬頭琴で弾き語りしたのも感動的だった。奇しくも今日は高田渡さんの命日。多田さん、岡さん、岡林さん、それぞれに故人と親交のあった人たちの思いが、馬頭琴にあわせてふわりと浮かびあがる。
岡さんと岡林さんのデュオ、出演者そろっての演奏と贅沢なプログラムは続く。終演後、多田さんと話しながらビールを飲み続ける。しばらくして、興がのったのか、再び演奏が始まった。「もう、今日は帰れなくてもいいや。それもまた人生!」という気持ちになったところで、お開き。ステキな夜をありがとう(写真は「大ファンです!」といっていっしょに撮らせてもらいました)。
| 固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)
今日のラーメン:「香煎黒味噌ラーメン(800円)」@天王町『らーめん むつみ屋』横浜天王町店 基本的には美味しいけれど平坦な『むつみ屋』のスープ。胡椒や山椒がきいているところがアクセントだが、だんだんと味に引き込まれるような高揚感はあまりない。タマネギのみじん切りがのっているのも面白いが、味的には思ったほどの効果はないような。全体に美味しいけど、「また」とは思わないかな・・・★★★+
夜中すぎにレジから電話があった。明るい声で「ジンバブウェは変わった!」という。「良い方向にか?」「そうだ」 詳しいことは聞けなかったが、こんなに明るいレジの声を聞いたのは久しぶりだ。このままジンバブウェの歴史が新しい時代に入ることを祈ろう。
『添田啞蝉坊 ― 啞蝉坊流生記』(日本図書センター、1999、1941)を読みおわった。添田啞蝉坊は明治の演歌師。息子・添田知道(芸名・さつき)とともに数々の流行歌を生み出した。その作品はフォーク・シンガーの高田渡やソウル・フラワー・ユニオン・モモノケ・サミットによって歌い継がれてきた。最近ではカンカラ三線弾き語りの岡大介さんが『かんからそんぐ 添田唖蝉坊・知道をうたう』で添田親子の作品を取りあげている。
「演歌師」とはいっても、現在の「艶歌」「怨歌」ではない。啞蝉坊の出発点は、明治初期、道端で政治的主張をこめて歌われた「壮士演歌」である。自由民権運動のなかから出てきた「壮士演歌」だが、その主張の中心となったのは腐敗した藩閥政治への批判と、素朴なナショナリズムだったと言えるだろう。元祖とも言うべき川上音二郎の「オッペケペー節」のような軽妙なものもあるが、文語体でがなるように主張をぶつける壮士演歌からは「大衆の蒙を啓く」という上からの目線が感じられる。また、不平等条約改正に端を発したナショナリズムは、日清・日露戦争を経て、日本の戦果を喜ぶ拡大主義的な世論を反映したものとなっていく。刊行されたのが太平洋戦争がはじまった1941年ということもあり、本書の冒頭には大政翼賛会による「新体制」を賛美するかのような詩が掲げられている。実際、啞蝉坊は翼賛体制を壮士演歌の主張する腐敗一掃とナショナリズムの延長線で捉えているようでもある。
「政界上層部に在る者が、政権を私してその争奪に日を送っている時、私たちの仲間はこんな歌をうとうていた。『護国』の歌の如きは、今の大政翼賛会の主旨や、皇紀二千六百年祭の祝詞となんら寸分の相違もない。私たちは、常に天下の憂いの先頭に立っていたのだ。裸一貫ながら、護国尽忠の指導精神、確固不動の心構えの盛られたこの演歌を提げて、当時の民衆に呼びかけていたのである」(99)
堺利彦と親交のある社会主義者だった啞蝉坊が本気で当時の翼賛体制を支持していたのか、それとも厳しい時代にあって仕方なくそうしていたのかはわからない。ただ、上の引用も「国のため国のためと言うけれど、そんなことは昔から俺たちはやっていたんだ」という反骨をこめた主張と取れないこともない。それは間借りしている屑屋について、「『製紙原料』『輸出ボロ』その他一切の廃品を生かすところの、つまり生産従業者で、重要な存在なのです」(15)と書いているところからも感じられる。非常時につき物資を供出せよという政府に対して、それをずっとやってきたのは社会の最底辺で蔑まれてきた「屑屋」ではないのか、と言っているようにも聞こえる。
そう思いたくなるのは、壮士演歌の影響下から離れた啞蝉坊の歌がことの他素晴らしいからである。それらの歌は上から目線の説教調だった壮士演歌とは違い、普通の人々の目線で、ときにやけっぱちなくらいの笑いをこめて歌われている。そうした歌をつくるきっかけのひとつとして、流し仲間の「渋井のばあさん」に「どうも演歌のかたくるしい文句はいけない、もっとくだけたの作ってくださいよ」(153)と言われたことをあげている。そうしてできたのが「ラッパ節」「あきらめ節」「わからない節」といった、わかりやすい言葉で歌われた流行歌の数々である。たとえば、こんな感じ・・・
わたしゃよっぽどあわてもの がまぐち拾うて喜んで
家へ帰ってよく見たら 馬車に引かれたヒキガエル トコトットトー(「ラッパ節」)
親じゃ親じゃと親風吹かせ
威張りなさるな チョイトチョイト
親は子供の ヤレソレ 抜け殻じゃ
ソレヨそうじゃないかネーあなた チョイト(「都節」)
パンのみにて生きるものではないというか牧師
そんなら食わずにいてごらん
アラほんとに 現代的だわね(「現代節」)
唖蝉坊は終戦を待たずして、1944年、72歳で亡くなった。その遺志は息子の知道に受けつがれたというべきか。こんどはその知道が父の歌について書いた『流行り唄五十年 唖蝉坊は歌う』(朝日新書、2008、1955)を読んでみようと思う。
| 固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)
今日のラーメン:「節骨こってりラーメン(680円)」@三軒茶屋『節骨麺 たいぞう』
こってりとしたスープには背脂も浮いているし、チャーシューも脂身が多い。にもかかわらず、それほどしつこい感じがしないのは、魚系、とりわけ節もののダシが強く出ているからだろうか。ちょっとわざとらしいくらいで、もう少しさり気なくてもいいんじゃないか・・・と思う。とはいえ、コシのある太麺ともども、悪くない・・・★★★+

三軒茶屋Heaven's Doorで桔梗のライブを見た。桔梗のアコースティック版とも言うべき「ゆっくりり」のライブにはこのところ足しげく通っているが、この編成での演奏を聞くのは久しぶりだ・・・ギターの音がはじき出された瞬間から、喉元をつかまれて抗えなくなる。一つ一つの音が今日生まれてきたように、立っている。気がつくと目の前にある。年齢も四十に近くなれば、ギターを弾くことに新鮮味を感じなくなるのがフツーだと思う。ましてや、オリジナル曲のフレーズなんて何百回となく弾いたはずだ。ところが、この男ははじめてチョーキングをした時のしびれるような感覚を、今も失っていない。ライブ後、感想を聞かれて、思わず「おまえ、今でもギター弾くとチ○コ立つだろ」と言ってしまった。男は曖昧に「ああ」と言ったが、当たっていたはずだ。そして、それはやっぱりすごいことなのだ。
| 固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)
今日のラーメン:「さつき麺(秋)(750円)」@天王町『麺坊 さつき』
普通のラーメンは冴えない印象しかなかったのだが、『欅』の流れをくむ味噌ラーメンや限定ラーメンはハッとするようなインパクトがある。「さつき麺(秋)」は豚骨と節系をあわせたダブル・スープ。どちらのダシもさり気ないので物足りない人もいるかもしれないが、バランスがいいのでぼくは好き・・・★★★+
南半球系バンド・チキリカが久しぶりにライブをやることになりそうです!2009年5月17日(日)、アフロビートを主体とするインスト・バンド=JariBuの企画で吉祥寺『曼荼羅』に出演する予定です。詳細は後日!

伊勢佐木町モールでオバマの顔を大きくプリントしたTシャツが売られていた。露天商の商魂逞しさにほだされて、つい買ってしまった。隣にいたおばさんが「オバマ?オバマね!?」と声をかけてきた。それを確認してどうするつもりだ?と思ったが、「黒人大統領」の浸透ぶりに驚き、黙ってうなづいた。
| 固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)
今日のラーメン:「中華そば(580円)」@横浜『自家製中華そば 大和家』
夜は常連がお酒を飲んでいたりしてちょっと入りにくい。何の変哲もない鶏がら主体のあっさりした醤油ラーメンだが、旨味の強いスープはなかなか。一口目、酸味が強いかと思ったが、食べすすむうちにそうでもなくなった。麺もはりっとした強さがああって悪くない。チャーシューが2枚も入っているのも嬉しいし、味もいい・・・★★★+

赤レンガ倉庫で行われたアフリカンフェスティバルよこはま2009に行ってきた。夕方から大学で新任者の歓迎会があったので駆け足で見てまわることになったのだが、とりあえずハヤシエリカさんの招聘で来日したムビラ奏者ルケン・クワリ・パシパミレさんのステージを見るために取るものもとりあえず駆けつけた。
伝統的なムビラの演奏は淡々としている。強烈なリズムで驚かすようなことはしないし、展開らしい展開もない。パシパミレさん、ハヤシさんとムビラジャカナカのマサさんが弾く3台のムビラがからみ合い、催眠性のあるフレーズを積み重ねていく。最初のうち、3台のムビラは別々の楽器として響いている。そのうちに、3者の音がひとつの楽器のような豊かな響きのなかに滲んでいく。こうなると、楽器の音が人間の身体の持つ倍音と同期しはじめ、自分自身の身体が一種の増幅装置のようになって、響いている空気と響いている身体が一体化する。こうして、「自分」というものが宇宙のなかに霧消していく・・・ムビラが精霊を呼ぶことができるのも、こうした響きの作用と無関係ではないのだろう。
フェスティバルの性質上、出演時間が短いのが残念だが、その分、これからはじまる日本ツアーでたっぷり素晴らしい演奏を聞かせてくれることこでしょう。ツアーの詳しい日程などはこちら。
| 固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)
今日のラーメン:「釜玉麺(800円)」@横浜『麺屋 維新』
讃岐うどんの「かまたま」を意識した限定メニュー(新宿『風雲児』にも同じようなメニューがあるが、未食)。平打ちの縮れ麺に生卵がのっており、そこに魚だしの強く出たタレをかけて食す。タレだけなめてみるとかなり濃い目だが、卵と合わさると実にまろやか。さすがに完成度が高く、「これってラーメン?」という疑問も吹き飛ぶ・・・★★★★
アシッド・フォークのレコード・ガイドなどという世にも珍なるものがあったので、思わず買ってしまった。フレッド・ニールやティム・ハーディンに混ざって、ニールやボブ・ディランに絶賛されながら生前2枚のアルバムしか残さなかったカレン・ダールトンという女性シンガーが取りあげられていた。
うーん、知らない・・・
知らないのは悔しいぞ。それに何だか気になる。ジャケットもいいし、ニック・ドレイクが「悲しみの味わい方を心得てる」と評した、なんて話もできすぎている。聞いてみたい・・・
まさかと思ってYouTubeを探してみたら、あった!エルモア・ジェイムスの「イット・ハーツ・ミー・トゥ」を淡々としたカントリー・ブルースにして歌っている。高音でひしゃげたり、かすかに震えたり、低音をまさぐったりする声が、台所に入ってこいと誘うロバート・ジョンソンのような切なさだ。たまらん。
・・・というわけで、CDを注文した。
| 固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)

中山の琉球居酒屋『舞天』にスージーズを聞きにいった。今日は家族づれのお客さんがいて、楽しいリズムに子供たちも大喜び。ちょんちょんキジムナーは保育園でブームになることでしょう。久しぶりにカチャーシーを踊ってスッキリ。もう少し暖かくなったら、部屋の窓を開け放って、島唄を聞きながらお酒を飲もう。
演奏後、「足テビチの女」をひっさげて本場沖縄の『新唄大賞』に挑んだ田所ヨシユキさんの話や、舞天ママさん(美人だけど、強烈キャラ)の上京話などを聞く。いろいろなシガラミはあるにせよ、次々と新しい「民謡」が生まれる沖縄ってやっぱりすごいなぁ・・・民謡の協会・保存会がプロレス団体のように分裂しているのも、逆にいえば正統を争ってつぶし合うわけではないというところが沖縄らしいのかも・・・
| 固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)
新しい携帯電話が送られてきた。二度と失くさないと誓う。
カセット・テープを整理していたら、タイで「プアチウィット(生きるための歌)」といわれる分野の音楽を代表するグループ=カラワンの傑作『BAN NAA SATUAN』(1982)が出てきた。タイへのスタディ・ツアー以来出入りしていた國學院大學の教育学研究室にあったカセットをダビングさせてもらったのだが、いつの間にかどこかに紛れ込み、失くしたものとあきらめていた。カラワンのアルバムはちょっと探せばいくつか手に入るのだが、よりによって『BAN NAA SATUAN』は現在、ほとんど手に入らない。嬉しくて、すぐにPCに取り込んだ。
収録されているのは代表曲「ドゥアン・ペン」をはじめとする佳曲ばかりだが、なかでもバンド名と同じタイトルの「カラワン」(キャラバンのタイ語訛り)がすごい。組曲的な展開といい、夢見るような浮遊感・高揚感といい、このバンドの最高傑作といっていいだろう。この曲が好きで、ライブ盤などに入っているヴァージョンをいくつか聞いてみたのだが、どれを聞いてもオリジナル・ヴァージョンに遠く及ばない。特に、揺らぐようにフェイド・アウトしていくエンディングがカットされていたりするのがつらい。そんな別ヴァージョンに裏切られながら探し求めていたオリジナル・ヴァージョンが、カセットの山のなかから思いがけず顔を出した。ここ数日の欝な気分もすっ飛んだよ。