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2017年12月10日(日)

わんにゃんレスキュー@西荻窪Zizi Annabelleに、ひらげエレキテルとして参加して、2曲歌ってきました。演目は、「焼酎」「かわいい子猫ちゃん」。わんにゃんレスキューは、殺処分ゼロを目指すチャリティー・オープン・マイク。始まった時は少人数だったこの企画も、店に人が入りきらないほどの規模にまで成長しました。出演者も個性豊かな人ばかりで、観客としても楽しませていただきました。そして、何よりも「かわいい子猫ちゃん」で盛り上がってくださったみなさん、ありがとうございました。

2017年12月7日(木)

首都大非常勤、後期第十一回目。『ジャズの誕生』をテキストとするリーディング3コマ。教科書に名前の出てくるクラリネット奏者エドモンド・ホールの演奏を聞きながら、授業開始。1、2限が「もちろん、そうしたことすべての背景には、白人が支配的な文化に、印を残したい、所属したい、事実上参加したいという、アメリカ黒人の強く変わらない願望があった。そして、音楽は名声と富へにつながる数少ない道のひとつだった」「軍楽隊の人気はナポレオンのフランスでピークに達した。パレードやコンサートはすぐにアメリカのお気に入りの野外の娯楽となった。黒人もまた楽団を持っていた」まで。3限はずっと先で、「ルイ・アームストロングは、著書『サッチモ』で22の友愛組織に言及し、彼の(所属する)支部は、ピシアスの騎士だと付け加えている。1954年12月17年付『タイム・ピカユーン』紙によれば、1954年に推定年齢70歳で亡くなったパパ・セレスティーンは、「プリンス・ホール連盟リッチモンド第一支部F&AM、ユーリカ教会会議第七支部ASRFM、第一にこやか支部RAM」に所属していた。「数人集まれば」 ダニー・バーカーは、『ヒア・ミー・トーキン・トゥ・ヤ』のなかで述べている。『クラブができ、発展していったものさ』」「これらの秘密結社は、同じような白人の組織よりもずっと数が多く、ミュージシャンに断続的だが頻繁な雇用を与えることによって、黒人ブラスバンドの経済的基盤を築いた」 友愛団体(あるいは、秘密結社)の名前は不思議なものが多いので、難しい。特に最後についている略語は何だかわからなかったのだが、調べてみると、F&AMは"Free and Accepted Mason"、"RAM"は”Royal Arch Masonry"と出た。ということは、ASRFMのFMも"Free Mason"である可能性が高い。

2017年12月3日(日)

必要ないかなる手段で 餅煮ても。

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今日のお絵描き。チャーリー・パットン。最初はブルースマンらしからぬ、のっぺりとしたイケメン顔かと思ったのだが、描くうちにまるで違うことに気づかされた。殴られてあざだらけになった男の鬱屈した怒りに満ちた顔。フレデリック・ダグラスもそうだったが、目が怒っている。俺をこんな人生に閉じ込めたのは誰だという声を押し殺して、呻いている。

「World Wide Music 冬もアフリカ・ブラジルでナイト」@荻窪Bungaに、南半球系バンド・チキリカで参加して、演奏してきました。パシチガレ・ムビラズ(アフリカ、ジンバブエのムビラ)、うらん・稲葉充・クラウジオ石川・秋元大祐(ブラジル、サンバ)、チキリカ(南半球系)というラインナップによる、ワールド・ミュージック系の企画。わらわれチキリカは、何といっても「いんちき」を標榜しているので(何だ、「南半球系」って!)、本格派の二組のあとで、浮くこと必至でしたが、ブラジル音楽のパーカッショニスト=ケペル木村さんをゲストに、とにかく全力で食らいつきました。セットリストは、「Koma」「パームワイン」「腹がへったよ」「山椒魚」「ハランゴマ」「健忘症」「花と風」「自転車に乗って」「カゴメカゴメカゴメ」。盛り上がってくださった皆さん、どうもありがとうございました。パシチガレ・ムビラズの深くたゆたうグルーヴ、そして、サンバの軽やかで切ない世界、堪能いたしました。また是非ご一緒させてください。

2017年11月30日(木)

休み休みにYeah!

首都大非常勤、後期第十回目。『ジャズの誕生』をテキストとするリーディング3コマ。テキストに出てくる「オンワード・ブラス・バンドの録音を聞きながら、授業開始」(ただし、教科書に出てくるのは、19世紀から1930年まで活動していたオリジナル・オンワード・ブラス・バンド。録音は、1960年に再結成・・・というか、旧バンドの名前を借りて結成された新しいバンドのもの)。テキストの内容は、1限が、「これら両極端の間で、多くの奴隷や自由黒人が、町のいたるところに暮らしていた。それは反乱を避けるための法的措置であったが、結果として、人種隔離を軽減することになった、人種よりもむしろ経済的なラインで社会的区分を定めようとするこの傾向もまた、のちにその力を失うことになるとはいえ、音楽の混交を促進する手助けになった」「西アフリカの音楽的影響の何かが、ブードゥ教のなかに生き残り、コンゴ広場で表面化したのだとすると、それはどのようにジャズの誕生に貢献したのだろうか。二つの要因がこの進化を助けた。軍楽隊の凄まじい人気と、西洋の楽器の段階的導入である」まで。2限がその先、「もちろん、そうしたことすべての背景には、白人が支配的な文化に、印を残したい、所属したい、事実上参加したいという、アメリカ黒人の強く変わらない願望があった」まで。

3限はさらに先で、「この組み合わせ(楽団に雇用を与える特殊な組織と、広い範囲の機会に楽団の存在を受け入れる他にはない伝統)が、スイングしはじめた最初のバンドを生み出す手助けとなった」「特殊な組織とは、秘密結社である。黒人の生活は、秘密結社が隅々まで入り込んでいる。<おそらく、秘密結社や友愛組織の周りに集中しているものほど、人種に特徴的で、急速に発展した黒人の生活の局面はない>と、H・W・オーダムは述べている。それら(秘密結社や友愛組織)は、<埋葬費用、疾病手当、亡くなったメンバーの遺族への少額のお金を払う>。W・E・B・デュボイスは、それらはまた、<仕事の単調さからの気晴らし、野心と陰謀の場、パレードの機会、不幸に備えた保険を提供する>と付け加える」

江古田マーキーに、ひらげエレキテルとして出演。6曲歌ってきました。演目は、「焼酎」「New Song」「かわいい子猫ちゃん」「子供への唄」(井上陽水カヴァー)「まあるいお月さま」「最後の日」。盛り上がってくださった皆さん、ありがとうございました。今回は、いつもお世話になっている整体の先生に見に来ていただいたので、最近、お子さんが生まれたばかりの先生のために、急遽、井上陽水の「子供への唄」を歌わせていただきました。共演者も素晴らしい方々ばかりでしたが、今回は何といっても、マーキーの店長でもある「ぱんださん」ことありのぶやすしさんの唄と演奏が目も眩むほどの素晴らしさでした。ぼくも頑張らねば。

2017年11月29日(水)

西口のバスターミナルでバスを待っていたら、高校生〜二十歳前後ぐらいの男性が、手製の奇妙なお面をつけて、地下街に降りていった。何をするつもりだろう。

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今日のお絵描き。スライド・ギターの名手タンパ・レッド。帽子がオシャレ。あきれたぼういずにいそうな感じもする。

横浜国大非常勤「英米文学」、第八回目。今回は19世紀から20世紀初頭にかけての、アメリカ黒人にまつわる音楽・芸能を概観した。白人の芸人が顔を黒く塗り、唇を厚く描いて、黒人をバカにしたステージで笑いをとる「ミンストレル・ショー」は、南北戦争前後のアメリカでもっとも人気のある芸能だった。半円形に座った芸人がバンジョーやボーンズなどの楽器を弾きながら、珍妙なやりとりをくり広げる、スタイルとしての「ミンストレル・ショー」は19世紀末に衰退していくが、黒塗り芸(ブラック・フェイス)自体は、その後もアメリカのエンターテイメントの中心を占めていた。初の商業的に成功したトーキー映画『ジャズ・シンガー』(1927)は、黒塗りのユダヤ系芸人アル・ジョルソンをフィーチャーしたものだったし、ビング・クロスビーフレッド・アステアが共演したミュージカル映画『スウィング・ホテル』(Holiday Inn、1942)でも、主演のクロスビー自ら顔を黒く塗って登場している。

興味深いのは、他ならぬ黒人の芸人がミンストレルに参入してきたことだ。南北戦争後、北部では「モンモノの」黒人に対する関心が高まり、顔を黒く塗った白人の演技では飽き足らなくなっていた。これに応えて、多くのミンストレル劇団が、黒人の芸人を雇い、「ホンモノの」ミンストレル・ショーであることを謳い文句に客を集めた。とはいえ、このこえろになると混血も進み、顔の色のさほど黒くない「黒人」もたくさん存在した。「ホンモノの」黒人ではないのではないかという疑念を払拭するために、これら肌の白い黒人芸人は、黒人でありながら顔を黒く塗り、唇を分厚く描いてステージにあがり、「黒人が黒人の化粧をする」という倒錯した現象が見られるようになった。

同朋を見下すミンストレル・ショーに参入した黒人芸人たちは、何を考え、自分たちの行為をどのように正当化していたのだろうか。まず第一に、彼らには他に成功に至る道が残されていなかったということがある。しかし、それでは、彼らは成功のために自尊心を犠牲にしたのだろうか。ミンストレル芸人には、アイルランド人やユダヤ人といった後発の移民が多かったが、彼らは顔を黒く塗ることにより、自分が白人であることを証明していたという見方がある。顔を黒く塗らなければ、黒人になれないということは、その人は黒人ではない。黒人ミンストレルの黒塗りにも同じことが言える。顔を黒く塗った黒人芸人の内実は、ミンストレルにおける「ホンモノの」黒人像とは別のところにあり、ステージ上の黒人像は磨き上げられた芸の賜物・・・ということになる。例えば、19世紀末~20世紀初頭にかけて活躍した黒塗りの黒人エンターテイナー=バート・ウィリアムズは、カリブ海出身で、祖父が白人だったため、肌の色が薄く、南部の黒人文化とも無縁だった。つまり、彼がステージ披露した間抜けな黒人像は、磨き抜かれた演技だったのである。

白人の聴衆は、ごく一部を除いて、こうした当たり前のこと ― ステージ上の黒人像が演技であるということ ― を理解していたとは思われない。また、黒人知識人の多くは、黒人を貶めるものとしてミンストレルを忌み嫌った。両者は、ミンストレルが黒人という民族全体の表象であるという点では一致している。一方で、黒人の庶民は、差別的な側面をカッコに入れて、ミンストレルを楽しんでいたという。彼らにとって、ステージ上の「黒人」は民族全体を代表するものではなく、コミュニティを構成する一人ひとり ― 裏通りのネティおばさんとか、隣家の放蕩息子とか ― であり、笑われているのは彼ら自身でも、彼らの民族全体でもない。彼らは、白人聴衆や黒人知識人と、笑いの対象という議論の前提を共有していないのである。ここに「笑い」を考える難しさがある。誰が、誰を、何のために笑っているのか。

後半は、ブルースとジャズの誕生について。ともに、19世紀末から20世紀にかけて、アフリカ系アメリカ人のなかから現れた「新しい」音楽である。音楽形式としてのブルースは、スリーコードにセブンスがついたコード進行や、ブルーノート・スケールによって、比較的定義しやすい。しかし、「ブルース」という存在には、もう少し複雑なものがある。ブルースは奴隷解放後にはじめて現れた、個人の気持ちを歌う歌だ。もちろん、コミュニティと無縁ではなく、コミュニティの共有財産からフレーズを借りながら、個人の経験にコミュニティの共感を促す。ブルースという言葉は、音楽以前に、憂鬱そのものを表す。死ぬまでついて回る憂鬱な感情としてのブルースは、ときに擬人化され、歌としての「ブルース」のなかに登場する。人々は、ブルースを歌うことによって、ブルースを追い払う。ブルースによってブルースを祓う儀式がブルースであり(ややこしや)、ただ悲しいだけではブルースにならない。ブルースは、力強い何か(多くの場合、ユーモア)によって、ブルースを越えていくものでなくてはならない。

この後、戦前のブルースを代表する曲として、ロバート・ジョンソンの「カモン・イン・マイ・キッチン」を聞いたのだが、「ロバート・ジョンソンは典型的なブルースからは外れる部分があるように思う」などと、言ったものだから、煮え切らない感じになってしまった。最近、ぼくの周りには、ロバート・ジョンソンばかり持ち上げられることに辟易としている人がけっこういる。もっと素晴らしいブルースマンがいるぞ、と言う人もいる。素晴らしいブルース・マンがたくさんいることはその通りだと思うが、ぼく自身はいまだにこの曲の、「風がうなるのが聞こえるかい」と囁きながら、指板の上のスライドバーをちゅちゅーんと滑らせるところで、ぞくぞくっとしてしまう。ブルースが聴衆に直接語りかけ、共感を求める音楽だとすると、ロバート・ジョンソンの代表曲のいくつかは、それとは一線を画するものがある。例えば、この曲、タイトルの呼びかけは、聴衆ではなく、歌のなかに登場する女性に対するものであり、ろばじょんはそれを俯瞰で眺めながら、ときに歌の登場人物の視点に立ったり、聴衆によびかけるミュージシャンに戻ったりして、カメラ・アングルを変えながら、物語を暗示していく。こうした映画的ともやり方は、ブルースにおける(演者と聴衆の)対話を犠牲にして成り立つように思われ、典型的なブルースが好きな人にとっては、小賢しく響くかもしれない・・・と思ったり。

さらに、テキサス・ブルースを代表して、村のダンス・パーティで演奏するライトニン・ホプキンスの映像を見た。こうしたコミュニティのなかで機能する側面のほうが、本来のブルースらしいブルースと言えるのかもしれない。

最後に、ジャズの誕生について。ブルースと違い、形式的にも定義しにくいジャズの成り立ちを、ジャズ誕生の中心地であったニュー・オリンズの歴史に照らして考える。ニューオリンズはもともとフランス領で、のちにスペイン領になった。これらの国々では、黒人と白人の間にグラデーションがあり、より白人に「近い」混血の人たちは、かなりの社会的地位を得て、なかには西洋の音楽教育をうけるものもいた。しかし、ルイジアナ購入後、状況は一変する。ナポレオンが売却した広大な地域の一部としてアメリカ領となったニューオリンズにも、ワン・ドロップ・ルールが適用されるようになり、混血の人たちは社会の中枢から次第に排除され、西洋音楽の教育を受けた者たちも、その知識を持って巷に下りていく。一方、太鼓やダンスといったアフリカ系のパフォーマンスに寛容だったフランス・スペイン領時代の名残で、ニューオリンズのコンゴ広場では、アメリカ領になってからもしばらくは、こうしたパフォーマンスが許されていた。ここに、西洋の音楽とアフリカの音楽が出会う素地が生まれる。こうしたななから生まれた混血音楽として、ジャズを理解することができる。

なかなか、文学らしい話に入らないが、次回はようやく、ハーレム・ルネサンス。文学らしい話です。

2017年11月26日(日)

今日のアナグラム。
「京王井の頭線(けいおういのかしらせん)」
「ライオンの世界。行け、牛!(らいおんのせかいいけうし)」

どうも朝から調子が悪いと思ったら、ドーパミン作動性の貼り薬ニュープロ・パッチを貼り忘れていた。慌てて貼ったが回復せず。11時から大事な用事があったので、レポドバもいつもより速いペースで飲んだ。すると、ドーパミンが一気に増えたのか、光が眩しくて目が開けられなくなった。これはいけないと思っていると、強烈な眠気。現実とは違うストーリーが頭の中に入り込んでくる。かかりつけの先生によると、脳内でつくられたドーパミンは目的が決められているので、おかしな作用をすることは少ない。外からドーパミ ン(の原料)を入れる場合は、目的が決められていないので、どんな結果になるか予想がつきにくい。脳からしてみる と、少なくなっていたドーパミンが、無条件で空から降ってくるようなものだ。そんなドーパミン・バブルに浮かれながら、分解される前にドーパミンを使おうと慌てる。税金で取られるぐらいならと、見返りの期待できない前衛アーティストに投資するバブル投資家のように、光を大量に取り入れたり、ありもしないストーリーを弄ぶことに貴重なドーパミンを費やす。薬を飲み忘れたり、慌てて飲んだりすればなおさらだ。

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今日のお絵描き。ブライアン・ウィルソン


「デビルマン」のエンディング・テーマ「今日もどこかでデビルマン」を、「マシュケ・ナダ」風にやってみました。いろいろ至らない点はありますが、アイディア一発で許して。

下北沢Lagunaで、やーまんくんの自主企画Endless End Rock'n'Roll vol.3を見た。やーまんくんとは、Lagunaのブッキング・ライブで同じステージに立ったことをきっかけに、友だちになった。心の痛みを希望でそっと包んだような(あるいは、希望を心の痛みで、でもいい)繊細な言葉遣いと、素朴なフォークのようでいて、ちょっと捻った音楽には、共演するたびに、「やるなー」という感じなのだけれど、この日は主催ということもあってか、いつもにも増して緊張感のある素晴らしい演奏だった。前回見たときには、アシッド・フォーク的なものを連想したのだが、今回はもっとストレートで真摯な印象が強い。見るたびに、違った面が輝いて見えるということか。やーまんくん自身が選んだ他の出演者も、ちょっとないくらい重量感のある組み合わせだった。とくに、山本久土さんの笑いながらすべてをなぎ倒していくような破壊力のあるパフォーマンスには、いい意味で、開いた口がふさがらなかった。

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2017年11月24日(金)

時間はふだん、「さ、おくれますよ、いそいで、いそいで」と急かすくせに、待ち遠しいことがあると、「ああれええ、おいそおぎでえすかぁああ」などと、急にのんびり屋になる。

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今日のお絵描き。サッチモ


やーまんくんにキーを変えたほうがいいとアドバイスをもらった「焼酎」、キーを変えたバージョンを作ってみた。もっと渋い声で歌ったほうがいいとか、いろいろ問題はありますが、とりあえず、公開します。

神奈川大非常勤、後期第九回目。「初級英語」2コマはテキスト解析。前回学生から質問のあった、"look at"を「群動詞+目的語」と考えるか、「動詞+前置詞句」と考えるかについて、受動態になった時に、"be looked at"という文が成り立つということは、受動態の主語になる「~」の部分は、群動詞の目的語と考えたほうがわかりやすいのかもしれない。そのことも含め、しかし、どちらも間違っていないということを説明した。「基礎英語」は、疑問詞を使った疑問文の復習をして、間接疑問文に入ろうというところで、タイムアウト。意外と疑問詞の疑問文が苦手な学生が多いということが分かった。来週もう一回、きちんと復習しておこう。

2017年11月23日(木)

アナグラム。「八王子(はちおうじ)」と「叔父は家(おじはうち)」

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今日のお絵描き。サニー・ボーイ・ウィリアムソンⅠ

日本版ウィキペディアには、サニー・ボーイ・ウィリアムソンIIの記事はあるのに、サニー・ボーイ・ウィリアムソンIの記事がない。そりゃあ、今となってみれば、IIの方が有名かもしれないけどさ。もともとIの名前を、IIがちゃっかりいただいたってだけの話で、IあってのIIでしょ?日暮里あっての、西日暮里でょ?(←これが言いたかっただけ)。

首都大非常勤、後期第七回目。『ジャズの誕生』をテキストとするリーディング3コマ。テキストのなかに軍楽隊の流行という話が出てきたので、第一次世界大戦で戦い、「「黒いガラガラヘビ」と恐れられた黒人部隊第369連隊(通称ハーレム・ヘルファイターズ)の軍楽隊を指揮し、戦勝パレードにも参加して人気者になったジム・ユールップの楽団による演奏を聞きながら、授業開始。ちなみに、ユールップは、帰国後1年たたないうちに、バンドのメンバーと喧嘩して殺されてしまった。テキストの内容は、1限が「一方、ニューオリンズ周辺の大農場の奴隷たちは、ヨーロッパ音楽をほとんど、あるいはまったく聞いたことがなかった。ほとんど彼らだけで取り残されて、これらの農夫たちは彼らの音楽的遺産を保持することができ、大農場はアフリカ音楽の宝庫となった」。2限がその先で、「これら両極端の間で、多くの奴隷や自由黒人が、町のいたるところに暮らしていた。それは反乱を避けるための法的措置であったが、結果として、人種隔離を軽減することになった、人種よりもむしろ経済的なラインで社会的区分を定めようとするこの傾向もまた、のちにその力を失うことになるとはいえ、音楽の混交を促進する手助けになった」。3限はさらに先で、「楽団はほとんどあらゆる機会に雇われ ― パレード、ピクニック、コンサート、川舟の周遊、ダンス、葬式 ― 間違いのない出し物(テッパンネタ)だった。1871年、13もの黒人組織がガーフィールド大統領の葬儀で、それぞれの楽団に代表された(それぞれ、楽団を代表として送りこんだ」(ちなみに、ガーフィールド大統領が亡くなったのは、1881年で、これは原文の誤り)「ニューオリンズの黒人楽団の卓越と頻出の説明は何だろう(ニューオリンズで優れた黒人の楽団が次々と登場したことはどう説明できるだろう)?フランスとの密接な結びつきと、ブラスバンドの一般的な人気に加えて、ニューオリンズには楽団に雇用を与える特殊な組織と、広い範囲の機会に楽団の存在を受け入れる他にはない伝統があった」

2017年11月18日(土)

下北沢Lagunaの昼の部に、ひらげエレキテルとして出演しました。演目は、「New Song」「まあるいお月さま」「かわいい子猫ちゃん」「煙草屋のお嬢さん」「焼酎」「最後の日」。盛り上がってくれたみなさん、ありがとうございました。まだまだ未熟モノの私ですが、どうぞお見知りおきを。対バンは、男女三人のユニットのパークサイドと、男女デュオのヌードパンツ(バンド名だけが不可解・・・笑)。どちらも、スタイリッシュで、演奏が丁寧で、歌がうまくて、おまけに女性ヴォーカリストが美人とくらぁ・・・どうも、ひらげには持ち合わせのないもばかりのようで。女性のところは別として、鋭意努力中です。見に来てくれたやーまんくんと、帰りにスープカレーの店に。辛いけど、美味かった。


2017年11月17日(金)

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今日のお絵描き。獄中のマーティン・ルーサー・キング

神奈川大非常勤、後期第八回目。「初級英語」は読解テストを返して、テキスト解析。"look at"を「動詞+前置詞」ととるか、群動詞ととるかについて、学生から質問があり。どちらの解釈もありうるが、ぼくとしては前者の説をとる。"look at"では、単語それぞれの意味から、解釈ができるからだ。例えば、"take care of"のような、それぞれの単語からは簡単に推測できない意味を持つものとは違う。あるいは、"check out"のように、代名詞を目的語にとると、間に挟む("check it out")ものは"out"を副詞として、群動詞ととらえるのが妥当だろう。とはいえ、学生にとって、どう教えるのがわかりやすいかという問題もある。共同で授業をやっている先生が、後者で教えていると知って、慌てた。話を合わせる必要があるかもしれない。「基礎英語」は、比較表現。不規則な比較級・最上級のつくり方、比較表現が実は、センテンスとセンテンスを比較するものであることなど。

久しぶりに、OGSアコナイト@新大久保Club Voiceに、ひらげエレキテルとして参戦。ぢぞ郎さんといっしょに、新曲「煙草屋のお嬢さん」「焼酎」と、「かわいい子猫ちゃん」をやった。トミー姐さんのケータリング、カレー丼風のスープパスタ?がうまかった。

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