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2018年6月2日(土)


昨日つくった「白髪紳士」の編曲ヴァージョンをつくってみました。


太田真人さんとのユニット「ビリビリ・バンド」で、西荻窪Zizi Annabelleに出演しました。演目は、「いつ死んでもいいように」「カワイイ子猫ちゃん」「お化粧」「煙草屋のお嬢さん」「すっぽんぽん節」。先日のビリビリナイトで、ひらげがコーラスをとれなくなった太田さんとの共作曲「お化粧」は、散々練習したにもかかわらず、やはりコーラスが取れなくなり、最初からやり直して、ようやく成功。その分、予定していた「最後の日」を省くことになりました。トホホ。でも、やり直した「お化粧」はなかなかよかったので、良しとしよう(前向き)。共演者の皆さんからは、自分の音に対するこだわりが感じられました。木下純さんのとつとつとしたガットギターの調べ、プラス・ワン・スタイルのギター、岸さんのタッピングとオープン・チューニングによる独自のスタイル、そして、ループ・マシーンを使いながら、暖かい歌空間を広げていく井形大作さん。勉強になりました。

2018年6月1日(金)

そのまま回文。身も心も→もろココも身

神奈川大非常勤、第六回目。まずは、前回休講を謝罪。前回やるはずだった、thatの区別のテストをやった後、教科書のテキスト解析。


行きつけのバーの常連さんに関する妄想を歌にした「白髪紳士」、完成。


彼の髪は黒く
闇を飛ぶカラスのよう
悲しそうな瞳で男は
黒髪を帽子の下に隠す

まだだ まだ まだだ

帽子の下から漏れる
シューシューと言う音が
化学反応を期待させ
男は静かに笑う

ハハハ

I'll be back
もうすぐだ

バーに現れた彼は
帽子をとりあいさつする
雪のように白い髪は
期待を裏切らない
白髪紳士の登場だ!(あ、白髪紳士だ!)
白髪紳士の登場だ!(白髪紳士だ!)
何て白い髪!(なんて白い・・・なんて白い)
白髪紳士の登場だ!

そして

夜半過ぎ 髪が夜の闇に染まる前に
彼はそっと帰っていく
おだやかな笑顔を残して
白髪紳士が消える前に

2018年5月25日(金)

体調がすぐれず、神奈川大の授業を休講に。夕方には回復。学生には申し訳ないことをした。


アリ・ハッサン・クバーン風の新曲「オコリンボ・マンボ」、完成。

オコリンボ オコリンボ・マンボ
オコリンボ オコリンボ・マンボ
オコリンボ オコリンボ・マンボ
オコリンボ オコリンボ・マンボ

わかってます わかってますよ
昨日のことでしょ
わかってます わかってます
ぼくが悪かった
わかってます わかってます
まだ怒ってるの?
わかってます わかってます
反省してます

オコリンボ オコリンボ・マンボ
オコリンボ オコリンボ・マンボ
オコリンボ オコリンボ・マンボ
オコリンボ オコリンボ・マンボ

ごめんなさい ごめんなさい
全部ぼくぼせい
ごめんなさい ごめんなさい
ぼくがわるかった
ごめんなさい ごめんなさい
こっちをむいてよ
ごめんなさい ごめんなさい
嫌いになったかい?

オコリンボ オコリンボ・マンボ
オコリンボ オコリンボ・マンボ
オコリンボ オコリンボ・マンボ
オコリンボ オコリンボ・マンボ

そうさ、きみの言う通り
ぼくが悪かった
そうさ、きみの言う通り
ぼくが言い過ぎた
そうさ、きみの言う通り
ぼくはいつもそう
そうさ、きみの言う通り
全部ぼくが悪い

オコリンボ オコリンボ・マンボ
オコリンボ オコリンボ・マンボ
オコリンボ オコリンボ・マンボ
オコリンボ オコリンボ・マンボ

2018年5月23日(水)

日本女子大非常勤、前期第七回目。3限「アカデミック・ライティング」は、前期エッセイについて、自分が興味を持っているトピックについて発表。卒論でも書けそうながっつり専門的なテーマのものもいれば、身近なテーマで書こうというものもいる。この段階では、それをどう発展させ、構成するかが課題。

4限「アメリカ大衆文化演習」は、「ブルースを読む」。先日、邦訳『ブルースと話しこむ』も出た、ブルースマンのモノローグをポール・オリヴァーが編集したConversation With Blues,から、前借りの返却で収入が消えていく、シェアクロッパーの先行きの見えない生活を語るウェイド・ウォルトンの告白を読んだ。地主がシェアクロッパーに、「お前はよく頑張ったよ、自分でも頑張ったと思うだろう?でも、前借りを差っ引くとこの額になっちまう」と、保護者面で語りかけるところが、いかにもといった感じだった。

2018年5月20日(日)

生活、道楽&ロックンロール

ロックンローラーは不健康と言うイメージがあるが、50すぎたら何もしなくてもたいがい不健康だ。つまり、ロックンローラーとしてのピークは50すぎてから、ということだ。

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今日のお絵描き。レスター・ヤング

2018年5月17日(木)

ヒデキが!?

首都大非常勤、前期第四回目。『ジャズの誕生』をテキストとするリーディング3コマ。ディジー・ガレスピーの「ソルト・ピーナッツ」を聞き、ジャズと言葉遊びなどについて雑談をしながら、ゆるゆると授業に入る。テキストの内容は、「ジャズをヨーロッパと西アフリカという二つの偉大な音楽の伝統が、アメリカ合衆国において300年に渡って混ざり合った結果であると仮に定義してみよう。すると、ヨーロッパのものが支配的な音楽文化にあって、ジャズを他とちょっと違う、すぐに認識できるものにしている特質は、おそらく西アフリカと関係があるということになる」「ジャズと西アフリカ音楽の関係はどんなものだろうか?」 前回読んだところで、「ジャズは言葉で語るよりも、存在を認識するほうがずっと簡単だ」と書いて、言葉で語る本というメディアの自己否定ではないかと心配させておいて、「認識しやすさ」のなかに、言葉で説明するきっかけを見出す。見事な縄抜けである。この本、やっぱり面白いや。

2018年5月16日(水)

23世紀、ある大学教授の日記。

So what on ya got or lost sad night

20世紀末から21世紀初頭に生きたひらげエレキテルという人物の残したテキストが、どうもわからない。語彙的に見て、英語であることは間違いなさそうだが、文法的には破格だ。エレキテル氏の第一言語は日本語だが、大学で英語を教えていた経歴もあり、単なる間違いとも思えないのだが。もしや、何らかの予言じみたメッセージが込められているのかもしれない。時の権力者から真意を隠すために、意図的に間違った英語を用いた可能性もある。解明が急がれるが、私にはなぜか、テキストそれ自体の中に、解明を妨げる何かが隠されているように思えてならない。

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今日のお絵描き。猫のいる路地。

日本女子大非常勤、前期第六回目。3限「アカデミック・ライティング」は、比較・対照のパラグラフの構成。比較する項目ごとに構成する「ポイント・バイ・ポイント・オーガニゼーション」と、比較する対象をそれぞれまとめて扱う「ブロック・オーガニゼーション」の二つのやり方があり、二つのやり方はどちらを選んでもいいが、どちらかのやり方に徹底しなくてはならないことを学んだ。

4限「アメリカs大衆文化演習」は、「ブルースを読む」。今回は、サン・ハウスの「マイ・ブラック・ママ」と、ロバート・ジョンソンの「最後の審判が俺のものになるならば」を読んだ。「最後の審判が俺のものになるならば」は、前回取りあげたサン・ハウスの「デス・レター」と同じく、「最後の審判」への言及がある流れで、取り上げたのだが、神が人間に下すべき裁決を自分のものにしようというのだから、ブルースを説教する破戒僧サン・ハウス以上に罰当たりなロバジョンである。その上、最後の審判を自分のものにしてまで望むことは、自分につらく当たった女が祈る権利もなくなることだというのだから、悪い男だ。他の男に女をとられて、わびしいブルースに憑りつかれ、いつかお前もひどい目にあうぞ、と毒づく哀れなロバジョンである。

しかし、最後の1コーラスで雰囲気が変わる。ベイビー、ここへきて、オレの膝に座れよ。やつらが俺に何をしたか、教えてやるよ・・・奴らとは誰だろう?元カノとその新しい恋人?それじゃあ、膝に座れと言われているのは、ロバジョンの新しい恋人?いや、昔の彼女とのいきさつをわざわざ新しい彼女に話すだろうか?だとすると、「奴ら」とは誰だろう。

「奴らが俺にしたこと~」というフレーズを聞いて思い出したのは、手錠につながれたまま脱獄した黒人と白人の囚人をシドニー・ポワチエトニ―・カーチスが演じた1958年のアメリカ映画『手錠のままの脱獄』(The Defiant Ones)である。いがみ合っていた二人が、ともに逃げるうちに切っても切れない仲になっていくストーリーは感動的だが、そのなかで、シドニー・ポワチエ演じる黒人の脱走囚カレンが、トニ―・カーチス演じる白人の脱獄囚ジョニーに、身の上話をするシーンがある。カレンは妻について、いつも「いい子にでいなさい(Be nice)」ばかり言って、オレの気持ちをちっともわかってくれないと愚痴る。一方で、彼女を怯える必要のないところに連れて行ってやりたいと願う。

常に、人種差別的な白人の目を気にしなければならない自分たち。そのなかで、生きのびるために、「いい子でいなさい」というのはある意味正解なのだろう。しかし、カレンは白人にどんなひどい目にあわされたか、妻に分かって欲しい。いや、妻だってわかっているはずだ。でも、それを話しはじめたってしょうがないじゃないの?いい子にしていなさい。人種差別主義社会にあって、白人の目を意識した妻の発言は正論だ。だからこそ、カレンは怯える必要のないところに連れて行ってやりたいと思う。

ロバジョンの歌う「奴ら」が、「白人」だとしたら。もちろん、そんなことは表立っては言えない。しかし、恋人を膝に座らせて、愛を語るぐらいの距離で、どんな目にあわされたか、囁くことぐらいは許されてしかるべきではないか。ブルースは、人種差別をはじめとする抑圧からの救いを恋愛に求め、その恋愛にも破れて、さまよう男女の歌である。辛い体験を愛する人に分かって欲しい。しかし、そうした体験は相手もそもそも共有している。わかったわ、それはもういいから、働きなさいよ。いい子になさい。そう言われて、正論だとわかっていながらも、プライドを傷つけられ、どんよりとしたブルースに憑りつかれた男も少なくなかったことだろう。

だとすると、ロバジョンが最後の審判を自分のものにして、本当に裁いてやりたかったのは誰だったのだろう。元カノ、元カノの今カレ、いや、その向こうに、彼女と別れざるを得ない状況を作った「奴ら」がいる。このブルースは、最後の1行で、それまで歌われていたことの意味が大きく変わってしまう。

授業の後半は、ライトニン・ホプキンスとテキサスの人々を描いた1967年のフィルム『ライトニン・ホプキンスのブルース人生』(こんな邦題がついていたとは!原題はBlues According To Lightnin' Hopkins)を見た。ブルースを生んだ土地では、時間がじれったいほどにゆっくりと流れている。ブルースはそうしたじりじりと進む時間を生きる人々の生そのもので、音楽が終わっても、そのグルーヴは続いていく。久しぶりに見て、「ブルースは死のようなものだ」とか、「教会で説教するのも、ブルースを歌うのも同じようなものだ」とか、ライトニンの発言のなかに、ブルースを考えるうえでヒントとなる言葉がいくつもあることに気づいた。ブルースが死だというのは、第一回目の授業で披露した、擬人化されたブルースを落語の「死神」に例えるぼくのブルース論(Deathはそのまま死神の意味にもなる)に論拠を与えてくれるし、また、ブルースが人びとの生そのものであることの裏返しでもある。説教とブルースを同一視するのは言うまでもなく、「ブルースを説教する」破戒僧サン・ハウスに通じるものだ。

ひらげエレキテルの今夜はビリビリナイトVol.4@荻窪Zizi Annabelle。ひらげがホストとなって、さまざまな分野の個性的なパフォーマーを紹介するこの企画。今回は青山俺汚さんの写真講座モノクロ編にはじまり、ミルさんの迫力ある女性ロック・ヴォーカル、鈴木龍さんのチャランゴとハーディガーディの演奏、てんトコラさんの朗読、そしてわれらがす~じ~さんのアカペラ・オリジナル曲熱唱という充実した内容。最後に登場したひらげは練習不足により、醜態をさらしましたが、ミルさんの「野暮な質問するんじゃないよ」(広い愛の歌)に対するアンサーソング「デート」(懺悔の歌)が受けたので、かろうじて、よしとします。

2018年5月14日(月)

明治学院非常勤、前期第五回目。3限「アメリカ研究」は、アレックス・ヘイリー原作のテレビ・ドラマ『ルーツ』を見る。今回は、レイノルズ農園に買われていったクンタ・キンテが、逃亡を図り、鞭打たれるシーンまで。トビーと言う名前を拒絶するクンタ・キンテに見られる名前とアイデンティティの問題の他、教育係の「家内奴隷」フィドラーとの関係や、女性の奴隷に対する性的虐待など、考えるポイントがたくさんあるところだ。4限「3年次演習」は、「ブルースを読む」、9日の日本女子大の授業同様、サン・ハウスの「デス・レター」を読んだ。ウォーキング・ブルースに憑りつかれて、サン・ハウスはどこへ行くのだろう。

國學院非常勤、前期第五回目。6、7限とも英語で落語「時そば」を読んだ。授業に入る前に、柳家小さんの「時そば」を聞いた。若い子はクールでなかなか笑わないのだが、クラスに一人は笑いをこらえきれないのがいる。ちなみに小さん師匠の噺では、テキストにはないちくわぶへの言及が見られるが、「ちくわぶ」が「ちくわ」の代用品として、関東地方を中心に広まったのは戦後のことであり(発祥は不明だが、戦前にも記録が見られる)、江戸時代にはなかったはずだ。このエピソードは、終戦直後の混乱を生き抜いた世代の共感を引き出すために、挿入されたのだろうか。

2018年5月13日(日)

アナグラム。「マヘリア・ジャクソン」と「変則マリアじゃ」

ひらげエレキテルとして、日吉NAPに出演しました。演目は、「友だちになりたいだけ」(ボブ・ディラン・カバー)「New Song」「行こうよ」「かわいい子猫ちゃん」「いつ死んでもいいように」「すっぽんぽん節」「ゴミの日」「最後の日」。どういうわけか、初披露の「ゴミの日」が子供たちにバカ受け。もり上がってくれてありがとう。いつものことながら、久々の再会となったうたうやまねこさんをはじめ、共演者のみなさんも素晴らしい方々ばかり。なかでも、Furahさんは、浮遊感がありながら、ずっしりとリアルな言葉と音が強い印象を残す。この後に演奏するのか・・・と、冷や汗をかきました。今日はだけはトリではなくて、オチと呼んでいただきたい。そのFurahさんから「良質のロック」というお言葉をいただき、鼻の穴を広げるひらげでした。


とはいえ、この日のライブは比較的調子が良かったので、全部アップしてみました。



27歳のときの実体験をもとに、新曲「デート」をつくりました。

それはぼくが27のころ
彼女と町田でデートの約束をしました
彼女はだいぶ遅れて約束の喫茶店に現れました
化粧もそこそこに飛び出してきたのか
彼女の顔はいつもと違っていました
そこで何か言うほど、さすがにぼくも
野暮ではなかったけれど
彼女を前にしたぼくの口は
「え」という形になっていたみたいで

豆鉄砲食らったようなぼくを見て
彼女は「やっぱりわかる?」と聞いてきました
そこで何か言うほどさすがのぼくも
野暮ではなかったけれど
どういうわけかぼくの首は重力に負けて
「うん」とうなづいていたのです

それはぼくが27のころ
彼女とデートをしました

2018年5月12日(土)

屁が止まらん。プのスパイラル。


いずれちゃんとした曲として仕上げますが、とりえずパロディで。「90年代インディバンド最初のリハーサル」

空想家が苦笑説。

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