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2019年8月31日(土)

いくら弾かないとはいっても、ジョン・ケージ「4分33秒」を演奏するのはやはりピアニストであるべきだろう。タキシードを着たひらげエレキテルをピアノの前に座らせても、一応格好はつくだろうが、それでは何ら緊張感がない。長嶋茂雄がバットを持たずに打席に入ったのに、敬遠してしまったピッチャーと同じように、聴衆はピアニストが弾かない約束でピアノに向かっていると知りながら、無音の「演奏」に聞き入ってしまう。バットを持った長嶋や、弾くことを許されたピアニストの力を考えれば、このまま終わるはずがない。ピッチャーは敬遠、聴衆は襟を正して聞く姿勢を保ち続けなければ、不測の事態に対応することができない。そして、敬遠や演奏が無事終了し、何かが起こるはずであるという期待が裏切られるとき、最大の緊張が生まれる。「そんなばかな・・・」そういう緊張感は、ひらげには生み出せない。ピアノが弾けないからだ。

くだらんくだらんくだらん

インフルエンザにかかったら、パーキンソン病の症状が劇的に軽減したという人がいる。インフルエンザの薬のなかには、アマンタジンというパーキンソン病にも効くものがあるのだが、それなら投薬をやめたら、症状も元に戻りそうなものだ。いろいろ調べてみよう。

2019年8月30日(金)

つくりかけだった「朝」という曲を完成させた。

「朝」

もうすぐ雄鶏が鳴く時間だ
夢で見たことが 終わる時間だ
夢のなかのことは 夢のまま
一日が始まる

もうすぐ日が昇る時間だ
夜に見たことが 消える時間だ
闇のなかのことは 闇のまま
日の当たる場所へ

もうすぐ朝になる時間だ
眩しくて 騒がしい時間だ
疲れたらそっと目を閉じて
ここに帰って来よう

「安部さんにまかせておけば何とかしてくれる」という若者が多くて心配、という声を複数聞いた。現政権に限らず、誰かにお任せという考えが危険なのは、その通りだが、今の若者が特別そうかというと、どうか。ぼくが若いころも、バブルがはじけるなんて言われても、誰か何とかしてくれるんだろうと、どこ吹く風だった。正当化できるかどうかはともかくとして、バブル期の能天気さにそれなりの理由があったのと同じように、昨今、少なからぬ若者が彼らの将来を危うくするだけに思える安倍政権を支持しているのであれば、そこには何らかの理由があるはずで、今の若者がかつての若者と比べて劣っているからではない。まして、バブルとその崩壊は現在の状況にも影響を及ぼしている。不景気が当たり前の状態で、必死に生きる道を探してきた若者に、「安部なんか支持するからお前らはダメなんだ」と言えば、彼らは「だれのせいでこんな世の中になったんだ」と思うだろう。「バブルが崩壊した時、俺たちは生まれてもいなかった。そのとき何もできなかったやつら(誰が政権についていたかという問題ではないですよ)に言われたくはない」と。そんな連中よりは、嘘でも景気回復を約束する安部のほうがましだと。それは実に自然なことであるようにぼくには思える。だから、ぼくが安部を支持するということではないですよ(まさか!)。念のため。あんな、ポンコツ政権がなぜこんなにも長持ちするのか、という話です。

2019年8月29日(木)

パーキンソン病の病状が進むと、表情筋が衰え、無表情になる。そのことはぼくも否定的にしか捉えられなかったのだが、ポーカーをしたら強いはずだ。ただし、パーキンソン病患者同士でやっても、面白くも何ともない。

2019年8月28日(水)

つくりかけだった「なあ、うそだろ」、かなり無茶なエフェクター処理でまとめに入る。涙で目は霞み、もうろうとしている感じ。こういうのもありだろう。

「なあ、うそだろ」

なあ、うそだろ
ぼくと別れるなんて
きみなしでは 生きていけないぼくなのに

からかってるんだろ
きみはうそが上手いから
ぼくはすぐに 騙されてしまう

ぼくのものだった
やさしい唇が 
聞いたことのない 名前を口ずさむ

2019年8月27日(火)

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本郷文化フォーラムで開催された「憲法寄席」に、ひらげエレキテルとして参加して、6曲(「空飛ぶブルース」「勝手に決めないで」「かわいい子猫ちゃん」「正義の味方はいつも顔を隠している」「いつ死んでもいいように」「最後の日」)歌ってきました。会場は、左翼(活動家集団思想運動?)系の講演や勉強会が開かれているらしいが、月一回第4火曜日の「憲法寄席」では、ぼくのような芸人にもお鉢が回ってくるというわけ。本番ギリギリ(いや、すぎていたか)に会場入りすると、こじんまりとしたスペースで、すでにみなさん、反安部の気炎を上げている。現政権に憤りを感じている点ではぼくも同じだが、政権批判、あるいは安部批判の歌は持ち合わせがない。加えて、パンフレットではなぜか、ぼくの演目が「ギター漫談」になっている。どうも、笑いを取ることが期待されているらしい。一抹の不安を抱えつつも、演奏を始めると、みなさん温かく迎え入れてくださり、いつもの調子で歌いきることができた。笑いも何とかもぎとった。CDもたくさん売れて、ウッシッシ(あ、いや、ありがとうございました)ちなみに、ぼくも思想的には左翼系の人たちに共鳴する部分が多いのですが、歌い手としては、上下左右前後斜め、たいがいのところに歌いに行きます(呼んでくれればですが)。ただし、ヘイトの集会だけはお断りです。

NSPの「コンクリートの壁にはさまれて」をカバーしてみた。NSPは「夕暮れ時はさびしそう」などのヒット曲で知られるフォーク・グループだが、アマチュア時代は「ニュー・サディステック・ピンク」(略して、NSPとなる)という名前で、ハードロックを中心に活動していたらしい。そのロック時代の面影を残すと思われるのが、「夕暮れ時はさびしそう」のB面だったこの曲で、ギターでデビュー前のCharが参加している。団地のコンクリートにアイデンティティを見出す感覚が、ちょっとエッチでせつない思い出とないまぜになった歌詞は、郊外で育った団塊ジュニア世代を先取りしている。いつかカバーしたいと思っていた曲のひとつだが、次のCD-Rは「ニュータウン・クロニクル」というタイトルで、郊外の新興住宅地を舞台にした曲(自作では「風荒ぶニュータウン」「メリーさんの羊」に加え、「懐かしい声」も)を集めたものにしようと思い、収録曲候補として、この曲を思い出した。オリジナルはこちら↓

2019年8月26日(月)

以前、ベリメリの練習スタジオで庭瀬先生と録音した曲を、いくつかリアレンジ、リミックスしてみた。まずは、「懐かしい声」。震災からの復興を願ってつくった歌だが、結局、あまり歌う機会がなかった。パーカッションをいくつか(コンガ、パンデイロ、クラベス)を加えて、よりラテン色を強めた。当時、庭瀬先生には、「昔のアニソンのエンディングテーマっぽい」との評もいただいた。そのへんの感じは残したい。

「懐かしい声」

はみ出し者が 愛を語る
押しつぶされた 街の片隅
愛の歌が聞こえる
行きずりのような顔をして

路地裏から 響いてくるだろう
聞き覚えのある 懐かしい声が

声も出さずに 夢を見ている
出口のない 袋小路で
希望の歌が生まれる
何も見えない闇のなかから

もうすぐだよ キミにもわかる
聞き覚えのある 懐かしい声が

愛の歌が 生まれる
何も見えない闇のなかから

もうすぐだよ キミにもわかる
聞き覚えのある 懐かしい声が

ラララ・・・

もう一曲は、「卑屈な目をしたマリー」で、これはリミックス、リマスターのみ。庭瀬先生には、「浜のメリーさんのこと?」といわれたけど(いや、むしろあの人ほど「卑屈」じゃない人もいないでしょう)、特定の人のことではなくて、匿名で人を攻撃する人たちが抱えている不安について歌ったつもりだった。まあ、聞く人が自由に考えればいいんだけど。

「卑屈な目をしたマリー」

卑屈な目をしたマリー
出ておいでよ
そんなところにマリー
隠れていないで マリー・・・

何をそんなに 
怯えているのさ
誰もが最初から 
ひとりぼっちのはずだろ マリー・・・

孤独な目をしたマリー
どこに行ったの?
こんなところでマリー
会えるはずもないけど マリー・・・

2019年8月25日(日)

年上の友人、シンガーの藤丸さんが我が家に遊びに来た。藤丸さんとは、年齢は10ほど違うが、同時期にOGSのオープンマイクに参加したことがきっかけで、仲良くさせてもらっていたのだが、ぼくが身体を壊してOGSから遠ざかるにつれ、心ならずも疎遠になっていた。8月3日のぼくの誕生日にフェイスブックにコメントをくれたことがきっかけで、ひらげ宅で音楽を肴に飲もうということになった。焼酎を持って最寄り駅に到着した藤丸さんは、ひらげのデモ音源自慢に辛抱良く付き合ってくれた。二人で音楽を始めたころの中学生のように語り(先日の櫻田くんといい、最近はこういう客人が多いな)、最後に、せっかくだから、藤丸さんの歌を何か録音させてもらうことになった。いろいろ考えた末、以前録音した「奴隷船」という曲に、即興で歌入れしてもらうことになった。ロバート・ジョンソンを主人公とした平本アキラの漫画『俺と悪魔のブルース』第二巻の赤い表紙を開いた藤丸さんは、若干の緊張を見せながらも、漫画のト書きを手掛かりに、その場で浮かんだ歌詞を、堂々たるビブラートにのせて歌い切った。見事!予想以上の出来。未完成だった作品に魂が吹き込まれた。

「奴隷船」(作詞・藤丸)

西へ 向かう
だれのしわざか知らねど
まさか 流れてくる
おお 多くの人を乗せ
波をかき分けて

次の夜が明けると
また日が昇る

作品の完成をみて、YouTubeでいろいろな動画を見て、いい時間になってきたので、ライオンで飲み直した。ほんと、酒の飲める中学生のような一日。楽しかった。藤丸さん、また来てくださいな。

2019年8月24日(土)

「考え中」というやつは、大抵考えていない。だから悪いというわけじゃないが。

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櫻田くんの立案で、サクラダ・ファミリア(櫻田くん)/(オリジナル曲独唱の)す~じ~さん/ひらげがギター&ヴォーカルを担当する南半球系バンド=チキリカで、スリーマンライブ@千歳烏山TUBO。ひらげは、チキリカの他、サクラダ・ファミリアの後半、RCサクセションを歌うコーナーにも登場。練習不足をものともせずに(すみません)、「愛し合ってるかい」を連発して、櫻田くんとマイクを分け合った。す~じ~さんは相変わらずの独自の世界で、櫻田くんの細君のママ友、幼稚園の先生、幼稚園児が中心のお客さんに受けていた。チキリカのステージでは、子供たちのパワーに圧倒されるやら、力をもらうやら。ほんと、子供たちはすごい。複雑なリズムになっても、一瞬、「ん?」となりながらも、手を叩くのをやめない。リズムがどうなっているのか解析はできなくても、それがリズムであるということを理解して、ついて来ようとする。そして、耳慣れないはずの音楽を自由に楽しんでいく。終演後には、女の子から花束は貰うわ、別の女の子には「じょうずだったよう」と声をかけられるわ(「楽しかった?」と聞くと、「うん」と返事)、なんか、すごくうれしかったです。主催の櫻田くん、お疲れさま&ありがとう。次回もあるよね。

2019年8月23日(金)

紀香へ案内?

森田公一&トップギャランのリード・ヴォーカルでもあった万里れい子さんが18歳の時に録音した「サイケな街」(1968年)を知り、YouTubeで関連動画を拾っているうちに、60年代後期から70年代初期に発表された「サイケ歌謡」とでも呼ぶべき一連の作品が、近年になって再評価されていることがわかった。多くは女性シンガーによる気怠いセクシーさを伴うもので、レパートリーのなかで一曲だけ「サイケ」という場合がほとんどなのだが、抗えない魅力を持っている。

沢知美「ブルー・モーニング・ブルース」(1971年)は流れるようなメロディーが美しい歌謡ブルースなのだが、ベースのグルーヴが凄まじい。沢知美さんは、実力派のGSとして知られた井上宗孝とシャープファイブと「ブルーシャトウ」を吹きこんでいるので、これもシャープファイブの演奏だろうか?このグルーヴィな演奏にのせて、「メランコリーな夜明けには/爪を塗るのも嫌になる」という気怠い歌詞を吐くセクシーな歌声がたまらない。

小山ルミ「さすらいのギター」(1971年)は、冒頭のパーカッション・アンサンブルが歌謡曲の範囲を超えている(パーカッションは間奏でもう一度浮上する)。タブー・コンボザ・マスターズ』の冒頭を思い出したほどだ。ファズギターがブルース・マナーのオブリガードを入れるが、メロディはところどころヴェンチャーズ歌謡のような日本的なラインをなぞっており、実際、ヴェンチャーズもこの曲を演奏している。作曲者のJ.A.Schatrowって誰?


黛ジュンがJJ・ガールズ名義で録音しながら、当時はお蔵入りになった「黄色の世界」(1969年)。クールなオルガン、グルーヴィなリズム、「シュッシュッシュ・・・」というキャッチーなスキャット、どれをとっても、文句のつけようがない。さすが、何曲もヒット曲がある大物だけに、「一発屋」的な他の歌手とは一線を画するものがある。「黄色の世界」って何だかわからないが、危険な香りがする。お蔵入りになったのは、その危うさのせいか、あるいはサウンドが進みすぎていたのか。


最後はサイケというより、ガレージといったほうがしっくりくる、マーガレット&バニーズ「逢えば好き好き」(1968年)。歌を歌っているマーガレット・リー・バレットは日本人とアメリカ人の間に生まれ、モデルをしているところを寺内タケシに見いだされ、師匠のバンド=バニーズをバックにデビューした。舌足らずな歌と達者な演奏の組み合わせが、何だかそそる。なお、女性ロックバンドのノックアウツがこの曲と「サイケな街」のカップリングでシングルを出しており(2001年)、女性三人編成のティーンズ・ガレージ・バンド=ハイマーツもこの曲をカバーしている(2014年ごろ?)。よかよか。おじさんはこういうの好きよ~。

この流れで、YouTubeを漁っているうちに、韓国やシンガポールの「サイケ歌謡」、あんまり関係ないが、日本のガレージ・ロックとも言うべきカルトGS=ヤンガーズなどに行きあたったが、そのへんのことはまたいずれ・・・

2019年8月22日(木)

寝ても寝ても眠い(NNN)。もしかして、今がぼくの青春時代ではないかしら。

2019年8月21日(水)

好きなことやってるんだから、つらいとかめんどくさいはいいっこなしだ。それさえ守っていれば、オレは自分をとことん甘やかす。

音楽も、物語も、分析なんか求めていない。むしろ、分析の手を逃れ、混沌へと向かおうとする。それは確かに危険なこともあるが、そういうものなのだから、しかたがない。

江古田マーキーに、ひらげエレキテルとして出演、6曲歌ってきました。演目は、「空飛ぶブルース」「ブルース(無駄なことさ)」「勝手に決めないで」「いつ死んでもいいように」「かわいい子猫ちゃん」「正義の味方はいつも顔を隠している」「最後の日」。共演はお馴染みの清水洋平さんと、小林克司さん。清水さんはバックトラックのクオリティがどんどん上がっている。小林さんは新曲がすごくよかった。

2019年8月20日(火)

日本女子大夏期集中授業、最終日。馬場先生、西垣内先生と飲みに行く。

2019年8月19日(月)

日本女子大夏期集中授業、第四日目。

ひらげエレキテル関係のネットショップ「びびびショップ」開設しました。

2019年8月18日(日)

ようやく、採点終了。

しばらくFacebookで広告を打ってみてわかったこと・・・ひらげエレキテルに興味を示すのは、ほとんどが男!いっそ、『行くぜ、野郎ども!』という男子限定アルバムをつくろう。

2019年8月16日(金)

日本女子大秋集中授業、第三日目。授業後、多民族研究学会(MESA)の三役会があり、馬場先生、西垣内先生、君塚先生と目白に飲みに行った。

2019年8月15日(木)

日本女子大夏期集中、第二日目。

2019年8月14日(水)

日本女子大夏期集中、初日。雑司ヶ谷から日本女子大に行くまでに雨に降られ、ずぶ濡れの「ひじき」Tシャツというどこから突っ込んでいいかわからないスタイルで、教室に登場。

ステージの上にあげる以上、自分が歌っている歌がどんなリスナーにどのように届くべきなのか、考えてはいる。しかし、歌とは本来、どうしようもなくできてしまうものなのだ。最初に書いたようなことは、できてしまった歌をどう引き回すかというだけの話であって、時代と文脈が変わると、同じ歌の引き回し方が180度変わったりもする。だから、誰にどう聞かれるのかということは、少なくとも歌ができてしまう「場」では考えないようにしている。

2019年8月13日(火)

たぶん、他所さまにはなんだかわけのわからないインスト。「巡礼者」パーキンソン病の薬が切れてふうふう言いながら歩いている自分を、「巡礼者」の様だと思うと少し慰めになると思って、つくってみた。

2019年8月13日(火)

たぶん、他所さまにはなんだかわけのわからないインスト。「巡礼者」パーキンソン病の薬が切れてふうふう言いながら歩いている自分を、「巡礼者」の様だと思うと少し慰めになると思って、つくってみた。

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