無料ブログはココログ

« 2019年4月 | トップページ | 2019年6月 »

2019年5月31日(金)

神奈川大「初級英語」×3、前期第六回目。

2019年5月30日(木)

首都大「実践英語」×3、前期第六回目。ディジー・ガレスピーの「ソルト・ピーナッツ」を聞きながら、授業開始。テーマの音調を言葉に置き換えたタイトルから、ジャズの言葉遊びへと脱線するのが、恒例のパターン。大橋巨泉の「はっぱふみふみ」から、タモリ四か国語麻雀を経て、ハナモゲラ語へと至る、日本のジャズ周辺の人びとによる言語イメージにまつわる実験(あるいは、悪ふざけ)について、一席ぶった。

テキストはこれとは直接関係ない。ダオメの儀式音楽の描写を「そして、もちろん、歌や手拍子足拍子がさらなるリズムの複雑さを加える」としめくくり、西アフリカ音楽が西洋人にどう聞こえるかという話から、ジャズと西アフリカ音楽の思わぬ共通点が浮かび上がるところ。「高度に訓練されたクラシックのミュージシャンには、こうした西アフリカ音楽は混沌として聞こえるかもしれない。というのも、西アフリカ人は楽譜を持たない ー 記憶を頼りに耳で聞いて演奏する ー そして、彼らは私たちヨーロッパ人の採譜法における小節線のような規則的なものには従わない。事実、私たちの基準のひとつに照らすと、彼らのリズムはちょうど真ん中で変化しているように思え、それを書きとめようとする音楽学者の大きなつまづきの石になる。にもかかわらず、訓練を受けていない聞き手ですら、音楽を突き動かす力(the power ad drive)を感じることができ、どういうわけかこのリズムの巨大な力(ジャガノート)の複雑に絡みあった部分部分がひとつになって働いている(fit together)ことを理解できる」 ヨーロッパ人は西アフリカ音楽の構造をなかなか理解できないが、そこに音楽する意思が存在することは認識できる ー それが、第一章冒頭で「説明するよりも、認識するほうがたやすい」とされたジャズと共通する特徴であることは、少し考えればわかる。はっきりとは書かないところが、作者スターンズらしい、すかしたところではあるが。

國學院、前期第六回目。6限は、分詞の残り(ただし、分詞構文は後回し)をやった後、不定詞の応用編に入る。7限は仮定法。ただの条件節と仮定法の違いが分かってもらえたか。

2019年5月29日(水)

体調が悪く、日本女子大の授業を休講に。

2019年5月27日(月)

何でも「ふけえっ~」っていうな。ヴォキャブラリーを鍛えろ!・・・あ、いや、ひとりごと、ひとりごと。

明治学院「アメリカ研究」、前期第七回目。ソウル・フラワー・ユニオン・モノノケ・サミットの「東京節(パイのパイのパイ)」を聞きながら、授業開始。「らーめちゃんたらぎっちょんちょんでパイのパイのパイ」というナンセンスなフレーズが印象的なこの曲は、書生節の草分けである添田唖蝉坊の息子・添田知道が、1918年、南北戦争中に北軍の兵士に親しまれた「マーチング・スルー・ジョージア(ジョージア行進曲)」のメロディに、大正時代の世相を反映した歌詞をのせてつくったもので、榎本健一ドリフターズなど、さまざまな人に歌われている。同じように、北軍の兵士によって歌われた「ジョン・ブラウンズ・ボディ(ジョン・ブラウンの屍)」もまた、日本で「お玉杓子は蛙の子」やヨドバシカメラのCMソングになって親しまれている。背景には、アメリカにおける南北戦争と、日本の幕末がほぼ同時期ということがある。黒船とともに日本に入ってきたのは、南北戦争時代のアメリカのヒット曲だったわけである。

さて、思いもよらぬところから始まったが、今回は南北戦争へと至る19世紀前半のアメリカ史。さまざまな点で対立を深めながらも、連邦の崩壊を防ぐため、南部と北部は妥協に妥協を重ねた。その間で取引の材料にされ翻弄され続けたのが、奴隷制の下で呻吟するアフリカ系アメリカ人であった。19世紀のアメリカは、「明白なる運命(マニフェスト・デスティニー)」という言葉に象徴される領土拡張の時代であった。1803年、トーマス・ジェファーソンナポレオンのフランスから、北アメリカ南西部の広大な土地を買った「ルイジアナ購入」にはじまり、テキサス併合(1845年)、対メキシコ戦争(1846~48年、ニューメキシコとカリフォルニアを獲得)と、アメリカは西へ西へと領土を増やしていった。その結果、新しい領土が州に昇格する際に、奴隷州として南部に加わるのか、自由州として北部に加わるのかが問題となった。

上院の議席は人口比に関わりなく、各州に2つずつ割り振られている。奴隷の労働力を前提とした農本主義的な南部と、商工業を中心に労働契約に基づいた経済運営を求める北部が対立を深めるなか、州が増えるということは、どちらかの陣営に上院の議席が二つ与えられることっを意味しており、それによって南北の危ういバランスが崩れる危険性があった。そのため、1820年、北緯36度30分線を奴隷制の北限と定めながら、ミズーリ州に例外として奴隷制を認め、上院におけるバランスを維持するために、メーン州をコネチカット州から自由州として分離させた「ミズーリ協定(ミズーリの妥協)」を皮切りに、南部と北部は交渉をくり返した。1850年には、対アメキシコ戦争で獲得したカリフォルニアを自由州とする代わりに、従来のモノよりはるかに厳格な逃亡奴隷法が制定され、奴隷制に反対する人びとの怒りを買った。しかし、こうした交渉は、カンザス・ネブラスカで限界をむかえ、当地では奴隷制を認めるか否かの決定は、住民の決定に任されることになった。その結果、この地域には全米から奴隷賛成派、反対派が集まり、血で血を洗う内戦状態となった。こうしたなかから頭角を現したのが、のちに反乱を起こすラディカルな奴隷制反対論者ジョン・ブラウンである。

こうした南部と北部のかけひきとは別に、奴隷制を無くすための運動も地道に続けられていた。1831年、奴隷制反対論者の新聞『解放者』が創刊。1833年には、白人の奴隷制反対論者ウィリアム・ロイド・ギャリソンらによって、アメリカ奴隷制反対協会が設立されている。舌鋒鋭く奴隷制を批判したギャリソンのもとには、元逃亡奴隷のフレデリック・ダグラスも加わり、奴隷制に反対する言論活動を続けていた。しかし、「講演が上手くなりすぎると、誰も逃亡奴隷だと信じなくなる」と言うギャリソンに疑問を感じたダグラスは、彼のもとから離れ、逃亡奴隷自身の新聞『北極星』を創刊する。一方、逃亡奴隷法の厳格化や、ドレッド・スコット判決の敗訴(1857年)に危機を感じたジョン・ブラウンは、1959年、ヴァージニア州ハーパーズ・フェリーで連邦軍の武器庫を襲撃する。反乱は数日で鎮圧され、ブラウンは国家反逆罪で絞首刑に処された。翌年、奴隷制拡大反対派の党・共和党から立候補したリンカーンが大統領に当選すると、61年、南部諸州はアメリカ連合国として、連邦からの分離独立を宣言。サウス・カロライナ州が州内にある連邦側のサムター要塞を攻撃し、南北戦争の火ぶたが切って落とされた。

授業では、他に、共和党と民主党のねじれた関係や、解放された元奴隷の苦難(次回の予告)、ジャズの誕生(音楽の回の予告)などについて話した。

2019年5月26日(日)

2年前の正月に倒れた父の回復ぶりに驚く。負けてはいられない。

今月初めに発表した「織姫のララバイ」、ストリングスと西アフリカの弦楽器ンゴニを入れて、改めて完成させた。美しいメロディながら、「もし牽牛織姫のヒモだったら」という酷い歌詞。同じく美しくはかないメロディながら、「レディ・ジェーンは身分が高い マイ・ラヴ 彼女と一緒なら金には困らない」というクソみたいな歌詞のストーンズレディ・ジェーン」のひらげ版とも言うべき傑作(自分で言っちゃう)。改めて、歌詞をのせておくと、

「織姫のララバイ」

私のつくった織物は
都の人に高く売れるの
だから、あなたは働かなくていいわ
牛を牽いてもいくらにもならないでしょう
さあ わたしの胸でおやすみなさい

あなたのことをヒモだとか
逆玉だとか言いたい人には
言いたいだけ言わせておけばいい
牛を牽くよりあなたには才能があるの
さあ わたしの胸でおやすみなさい

夜空に星をばら撒いて
あなたと私を引き裂いても
きっと あなたに会いにいくわ
あなたも待っていてくれるでしょう
きっと わたしの胸を思い出して

織姫はこう言ってますが、牽牛のやつは間違いなく若い女と浮気しています。一年に一度、心ならずも、パトロンの女に時間を割く。嫉妬する若い恋人に、「しかたなかろうよ~、あの女がいないと、今みたいな暮らしできねえし」とか言っている。クズだ。それもこれも、織姫が牽牛の地道な人生を否定したのがいけないのである。それにしても、牽牛にはどんな才能があったんだろう。うーん、マンダム。

ところで、ストーンズの「レディ・ジェーン」。タイトルは、数奇な運命からイングランド初の女王になりながら、在位わずか9日で廃位・処刑されたレディ・ジェーン・グレイをイメージしているのだろうか。何しろ、3コーラス目で「二人の時間はもうない。ぼくはそろそろ結婚する」と捨てられるのが、ジェーン・グレイを死に追いやったブラッディ・メアリーことメアリー1世と同じ名前のメアリーなのだ。ちなみに、2コーラス目で、「もうお別れだ。婚約したから」と告げられるアンも、メアリー1世の父ヘンリー8世の愛人から王妃となったアン・ブーリンと同じ名前。離婚された元正妻キャサリン・オヴ・アラゴンの娘だったメアリーは、父の再婚後、庶子とされ、王位継承権を奪われるなど、煮え湯を飲まされている。アン王妃もまた、新しい愛人に関心が移った王に疎まれるようになり、2年後には国王暗殺と不義密通の容疑で処刑されている。その新しい愛人の名前がまた、ジェーン・シーモアというのだから、よくできた話だ。まあ、ジェーン、アン、メアリーどれも一般的な名前なので、歌とは関係がないと言えばそれまでだが。つくったミック自身は、『チャタレー夫人の恋人』で女性器の隠語として使われていた言葉を使ったと言ったり、「歌で使われている名前は歴史的なものだ。同じ時代からいっしょになって出てきたのは意識していなかったけどね」と言ったりしているらしい。しかし、イギリス王室のえぐさ、半端ねえ。

2019年5月25日(土)

18日に発表した新曲「おじいさんになる日」を、ヴォーカルの位置をずらすなどして、改めて完成させた。何気なく作った曲なのだが、手直しするうちに、他の誰でもない、自分のために大切な曲ができたことを確信した。おじいさんになるのも悪くない。

だいぶ前につくったブルース「焼酎」を、「プリーチン・ブルース」風にやるアイディアを思き、演奏してみた。だいぶ練習が必要だが、悪くない。

2019年5月24日(金)

神奈川大、体調不良のため、休講。学生諸君、申し訳ない。

2019年5月23日(木)

首都大「実践英語」×3、前期第五回目。毎回、前回のプリントを返す時に、何かジャズに関連する音楽をかけるようにしているこの授業。もちろん、テキストの読んでいる箇所に直接関係するものがいいのだが、今回はテキストとリンクする音源が見当たらず、ぼくがモダン・ジャズのなかで最も好きなミュージシャンの、一番好きなリーダー・アルバムをかけることにした。エリック・ドルフィの『アット・ファイヴ・スポット Vol.1』(1961年)である。Vol.2、『メモリアル・アルバム』とともに、1961年7月に、ニューヨークのファイヴ・スポット・カフェで2週間にわたって行われたエリック・ドルフィとブッカ―・リトルの連続公演のうち、最終日の7月16日の公演を収めたもの。ブリブリとあたりを蹴散らすドルフィのアルト・サックスと、対照的にクールなブッカ―・リトルのトランペット、ジェントルなタッチで軽やかにスウィングするマル・ウォルドロンのピアノという三者がぶつかり合う。ぼくは高校生のときに、保土ヶ谷駅西口にあった貸しレコード屋で、ジャケットに惹かれて借りたのが馴れ初め。冒頭の「ファイア・ワルツ」を少し聞いた。やっぱりかっこいい。しかし、この数か月後にはブッカー・リトルは23歳の若さで亡くなり、ドルフィも3年後にはこの世にいないんだものなあ。

テキストは1956年に出版されたマーシャル・スターンズの『ジャズの歴史』なので、もちろん、ドルフィも『アット・ファイヴ・スポット』も出てこない。56年と言えば、ドルフィはまだチコ・ハミルトン楽団で注目を集める前だったし、ブッカ―・リトルに至っては、シカゴ音楽学校でトランペットを学ぶ10代の若者だった。そんなことはさておき(何の授業だ)、テキストの内容だが・・・

ダオメの部族の儀式を取り上げてみよう。音楽家がラトルやゴング、その他の打楽器を演奏し、部族民たちが踊ったり、歌ったり、手拍子を叩いたり、足を踏み鳴らしたりする。しかしながら、主体となる楽器は太鼓 — 普通、音楽学者に太鼓の聖歌隊として知られている3つの太鼓のセット — である。と言うのも、神々が太鼓を通じて話し、踊り手は太鼓と向き合い、部族の人びとがその周りに円を作るからである。

またしても、「部族」のオンパレードである。前回も断ったように、ぼく自身はこの言葉は使わないが、原文に"tribe"と書いていある以上、勝手に他の言葉に置き換えるのもおかしな話なので(50年代当時は、この言葉に込められた差別的ニュアンスに無自覚であったことまで隠蔽されてしまう)、日本語訳はそのまま「部族」とする。内容の点では、3つの太鼓のセットの話は、以前、チキリカのリハーサルの合間に、ゲストのケペル木村さんが話してくれた。たしかそのとき、グレイトフル・デッドミッキー・ハートの本にその話が出てくると言っておられたので、ハートの『ドラム・マジック:リズム宇宙への旅』を入手したのだが、まだ読んでいない。最後の「と言うのも・・・」以下は、ちょっとつながりがわかりにくいが、リズムを通じて神の言葉が人間の言葉に翻訳されるプロセスと考えれば、いいのではないか。神々は太鼓を通じて話す。踊り手はその言葉(リズム)を一語一句漏らさぬように観察し、肉体の動きという人間の言葉に置き換えていく。それをその他の人びとが神のお告げは何だろうと息を殺して見守っている。

ピークに達すると、その音は乱雑な空気圧搾ドリルの組み合わせのように聞こえるかもしれない。その音楽はポリリズム的である。すなわち、二つ以上の別々のリズムが同時に演奏されている。リズムの数は5つか6つになるかもしれない。西アフリカ音楽の共通の基盤は、拍子記号で言えば、3/4、6/8、4/4の組み合わせである。それはまるで、オーケストラが同じ曲をワルツワンステップフォックストロットとして演奏するようなものである ー それもすべて同時に。

ついに、話はポリリズムのところまで来た。「西アフリカ音楽の共通の基盤は・・・」の原文は、"A common foundation for West African music is a combination of 3/4, 6/8, and 4/4 time signature."で、長い間、「拍子記号の組み合わせというのはおかしい。拍子の組み合わせだろう」と思っていたのだが、そうではなかった。テキストのあとのほうを読んでいくと、アフリカには小節による区切りがなく、したがって拍子という概念もないことが明らかになる。スターンズは、アフリカには「拍子」という概念はないが、「西洋の拍子記号で言えば、こういうことである」と言いたくて、わざわざ"time signature"という言葉を使ったのだ。かなわんな、この人には。

國學院大、前期第五回目。6限は分詞について。現在分詞と過去分詞の形容詞的用法、使役動詞や知覚動詞とともに第五文型で補語として使う場合までやった。次回は分詞構文から。7限は、副詞節の続き。目的、結果、譲歩を表す副詞節(をつくる接続詞)をやった。時間が余ったので、自動詞と他動詞について、解説した。

2019年5月22日(水)

日本女子大、前期第六回目。「アカデミック・ライティング」では、学生が次々に書いてくるパラグラフの添削に追われる。パラグラフ・ライティングの意味は分かってきたようだが、リストアップした項目をトピック・センテンス~サポーティング・センテンスとディティール~コンクル―ディング・センテンスのどこにはめ込んでいくかについては、まだ混乱が見られる。もちろん、どう構成しようが最終的には書き手の勝手なのだが、サポーティング・センテンスには一般的・抽象的なことを書き、それを支えるディティールとして、例やデータ、論理的説明などの具体的・個別的なことを書くとすっきりすることが分かってくれるといいのだが。また、複数あるサポーティング・センテンスの内容がかぶっていたり、違うレベルの話が並べてあったりすると、その段落が全体として何を言いたいのかが伝わらない。そうしたことに気を付けて、自分が伝えたい方向に読者の手を引いて連れて行くような、「読者にやさしい」文章を書くように指導したが、分かってもらえただろうか。それにしても、つくづく、自分の文章修行にもなる授業だ。

「ブルースを読む」と銘打った「米大衆文化演習」では、レッド・ネルソン「クライング・マザー・ブルース」と、エメット・ディキンソン師の説教「ブルースを歌うことに害はあるか?」を読み、アフリカ系アメリカ人の文化的母胎となるブルース(俗)と教会(聖)の関係について考えた。

レッド・ネルソンは、マディ・ウォーターズハウリン・ウルフなどによって、デルタ・ブルースに先祖返りする前、シティ・ブルースが主流だったころのシカゴで活躍した、いわいる「ブルーバード」派のブルースマンである。本人はギターを弾いたが、ギターリストのビッグ・ビル・ブルーンジーや、ピアニストのブラインド・ジョン・デイヴィスなどの優れたミュージシャンの伴奏で歌うことも多かった。「クライング・マザー・ブルース」(1936年)も、クリップル・クラレンス・ロフトンのピアノをバックに録音されている。

「泣いている母のブルース」

愛しい母さんが死んで天に召され、おやじもすぐに後を追った(×2)
母さんに会うには、汚ねえ生き方を変えなくちゃなんねえ

オレと主以外、誰もオレの悩みを知らない(×2)
愛してくれる女もいたが、今じゃそいつも俺を卑しい犬のように扱う

墓石を枕、墓場を寝床にしよう(×2)
空が毛布で 青白い月明かりが敷布

真夜中の遅い時間、黒猫が這いまわり、夜明けまで悪夢にうなされる(×2)
女を愛して何の意味がある?別の男が奪っていくんじゃ

泣くのはやめろよ、涙を流すんじゃない(×2)
ずっといることができないのなら、母さん、あのときここからいなくなってよかったんだ

一連目、”gone to glory”「天に召され」は、「天国に行く、死ぬ」ことを表すイディオムだが、直訳すれば「神の栄光に加わる」となり、歌い手の母が敬虔なクリスチャンであったことが窺われる。その母に天国で再会するためには、荒んだ生き方を変えなくてはならない。わかっているのだが、簡単ではない。優しかった女もやくざな生き方に愛想が尽きたのか、彼のもとを去る。不吉な黒猫があたりを徘徊するなか、いっそ墓場を寝床にしようというのだから、悪夢にうなされるのも道理だ。そんな身の上を振り返るにつけ、母恋しさから生き方を変えようとしていた歌い手は、捨て鉢になり、こんな自分の姿を見ることなく死んだのだから、あのとき死んでよかったのだと("it must have been time leave from here"「ここからいなくなるべき時間だったに違いない」)泣いている母に語りかける。変わろうという決意はすでになく、変われないというあきらめだけが残る。ここには、教会の薦める清廉な生き方に対し、それでは閉塞した状況を打ち破ることができないではないかという「俗」の側からの反逆がある。だからこそ、歌い手は自ら不吉な墓場を寝床にしようというのだろう。このように、教会がブルースを「悪魔の音楽」と忌み嫌う一方で、ブルースの側も教会を自由な生き方を制約する重しのように捉えていた面がある。

しかし、そんななか、「悪魔の音楽」と言われたブルースを歌うことを肯定し、内面に声を与えるブルースはどの時代にも存在したことを生き生きと説教した牧師がいる。エメット・ディキンソン師である。ブラインド・レモン・ジェファーソンを追悼する説教をしたことでも知られるディキンソン師は、「ブルースを歌うことに害はあるか?」(1930年)という説教のなかで、アダムイブエジプトを脱出したユダヤ人たち、ピリピ人の牢獄に捕らわれたパウロシラス、そして、奴隷制下のアフリカ系アメリカ人といった例を挙げ、彼らが思いを託して歌を歌ったことを、ときには歌を交えながら、朗々と説く。とりわけ、布教の途中で捕らえられ、拷問を受けたパウロとシラスが獄中で歌いだす件は、酒場の言葉で書かれており、まるで二人が本当にブルースを歌っていたかのような錯覚を与えるロッキンな語り口である。

パウロとシラスが
ピリピ人の牢獄にいたとき
パウロが言った「シラス、
歌いたくないか」
シラスが言う。「生きてきたなかで
こんなに歌いたいと思ったことはないですよ」
わたしはそれを監獄ブルースと呼ぶ
シラスは歌った あるいは祈った
という
古い監獄は酔った男のように揺れに揺れ(reel and rocked)
鎖が彼らの手から落ち
足かせが彼らの足から落ち
古い牢獄の扉が跳ねるように開いたが
それでも彼らはその監獄ブルースを
歌い続けた
朝早く
看守がやって来て
監獄の扉が半開きになっているのを見て
自ら命を絶とうと
剣を引き抜いた
ああ、しかし、パウロは言った。「手を止めなさい
私たちは二人ともここにいるよ」
私が想像するに、彼らは歌い続けた
監獄ブルースを

アフリカ系アメリカ人は聖書の登場人物がまるで親しい友人であるかのように話すというが、それは聖書に描かれた解放の物語がアフリカ系アメリカ人の歴史的経験と合致するからだ。獄中のパウロとシラスは、ナット・ターナーと叛徒たちもかくやと思わせるようなところがある。リール・アンド・ロックなんて言葉を使っているのだから、酔ってブルースを歌うシラスとパウロがジューク・ジョイントから出てきても誰も驚くまい。エルヴィス・プレスリーに「監獄ロック」という歌があるが、この時代すでに「監獄ブルース」というブルースが歌われており、説教を聞いた人のなかには、ベッシー・スミスの歌うその歌(1923年)を思い出した人もいたかもしれない。ちなみに、時代はあとになるが、授業前半で読んだレッド・ネルソンも同タイトルのブルースを歌っている(1937年)。ディキンソン師はただ言葉で「ブルースを歌うことに害はない」と主張しただけではない。自ら、叫び、歌い、身体を揺らすことで、ブルースと説教が相容れないものではないことを証明して見せたのである。サン・ハウスが「ブルースを説教」したなら、ディキンソン師は「説教をブルースした」と言うべきかもしれない。

ひらげエレキテルとして、江古田マーキーに出演して、歌ってきました。演目は、「New Song」「いつ死んでもいいように」「空飛ぶブルース」「パチンコ銀行」「まずい天ぷらや」「非国民の休日」「最後の日」。聞きに来てくださったみなさん、ありがとうございました。終演後、聞きに来てくれた浜ちゃんや、共演者のみなさんとお酒を飲んで、とてもいい夜でした。車で送ってくれた共演の小林さん、いつもありがとうございます。ひらげエレキテル、次回のライブは、6月2日(日)日吉Nap、江古田マーキーでのライブは6月19日(水)です。ぜひお越しください。

2019年5月20日(月)

明治学院「アメリカ研究」、前期第六回目。奴隷の反乱と、「人種混交」について。奴隷たちは、自分たちの運命をただ唯々諾々と受け入れてきたわけではない。奴隷制の歯車になることに対して、様々な形での抵抗が試みられた。仕事を怠ること、主人のモノを盗むこと、クンタ・キンテのように逃亡すること、さらにはフィドラーのように忠実なしもべを演じながら裏で舌を出しているようなケースも、一種の抵抗と呼べるかもしれない。しかし、最も激しい抵抗の形は、やはり暴力による反乱だろう。アメリカでは独立前から、奴隷による反乱の試みがくり返されてきた。1804年、カリブ海のフランス植民地サン・ドマングで革命が起き、元奴隷たちによって世界初の黒人共和国ハイチが建国される一方、アメリカ国内でも、ガブリエル・プロッサーの反乱(1800年)、ジョージ・ボクスレーの反乱(1815年)、デンマーク・ヴェッシーの反乱(1822年)など奴隷反乱の計画が次々と明らかになり、米南部の奴隷主たちの危機感は高まっていた。なかでも、ナット・ターナーの反乱(1831年)は実行に移され、57人の白人が殺されたことで、全米に衝撃を与えた。

ナット・ターナーの人物像については、いくつかの見方がある。当時、身柄を拘束されたターナー本人に会って、話を聞いたトーマス・R・グレイによる報告(『ナット・ターナーの告白』原本)には、57人もの命を奪った奴隷反乱の首謀者を血に飢えた殺人鬼として描く使命があったのにも関わらず、「何事でもやってのけられる頭脳によって人並みすぐれた聡明さを身につけていた」「自らの最近の行いや意図について語ったときの穏やかで慎重な落着き」「ぼろにおおわれ、鎖に埋まりながらなお人間のさがを超えて舞上がる精神をもって天にむかってさしあげる手錠のかかった両手」といったターナーの人間的な魅力に引きずられたかのような表現が、彼の人格を否定する表現のなかに散見される。こうしたちぐはぐなイメージを重ねながら、グレイはターナーの語りが与えた印象は、「あえて記さない」と、整合性のあるターナー像を描く仕事を放棄してしまう。グレイはターナーにどんな印象を受けたのだろうか。

一方、1967年に出版されたウィリアム・スタイロンの小説『ナット・ターナーの告白』は、白人作家が黒人レヴォリューショナリーを内面から描いた作品として話題になり、ピューリッツァー賞を受賞するほどの評価を受ける一方で、アフリカ系アメリカ人の英雄であるターナーをステレオタイプ的な黒人として描いたとして、黒人の側からの厳しい批判に晒された。個人的には、ステレオタイプ的な黒人像もさることながら、ターナーを黒人コミュニティから疎外された人物として描き、反乱を起こすに至る動機を最初の主人に対する愛憎や性的傾向といったターナーの個人的な問題に求めたことで、反乱を奴隷たち全体の問題からターナーの個人的な問題にすり替えていることが最大の問題であると思う。

ターナーの反乱を、稀有な指導者の言葉に導かれた奴隷コミュニティの意思として描いたのが、グリフィスKKK讃美映画と同じタイトルの映画『バース・オブ・ネイション』(ネイト・パーカー監督・主演、2016年)である。授業の最後に、この映画から、それまで奴隷主への従属を説く説教をさせられていたターナーが、虐待される奴隷たちの姿を見て、「解放を求めるのは、主の誉れである」という革命的な説教を行い、奴隷たちに熱狂的に受け入れられるシーンを見た。

後半は、「人種混交(miscegenation)」について。人種を越えた性関係は、アメリカでは一貫してタブー視されてきた。『人種混交―諸人種の融合に関する理論とそのアメリカ白人・黒人への適用』(1863年)は、奴隷制反対派による人種混交肯定のパンフレットであるかのような体裁をとりながら、実は奴隷制反対派が人種間の性関係に対する人びとのアレルギーを刺激して、奴隷制反対派のイメージダウンを狙ったものだった。また、リンカーンは演説で、「わたしが黒人の女を奴隷にしておくことを望まないのだから、必然に黒人の女を妻にしたがっているのだ、などと結論するようなデッチあげの論理」に抗議しなければならなかった。それほど、「混交」に対する抵抗が強いにもかかわらず、一方で、奴隷主が奴隷の女性を相手に性欲を満たし、生まれた子供をまた奴隷にして財産を増やすことが、言わば公然の秘密として行われていた。

のちにアメリカ合衆国第三代大統領となるトーマス・ジェファソンと奴隷の女性との間に子供がいるという噂は、彼が最初に大統領選に出たときに、対立候補側のネガティヴ・キャンペーンのなかで持ち出され、その後も、ウィリアム・ウェルズ・ブラウンによる黒人初の小説『クローテル、もしくは大統領の娘』(1853年)<日本語訳>や、相手の女性の名前をタイトルにしたバーバラ・チェイス・リボウの小説『サリー・ヘミングス』(1979年)<日本語訳>のテーマになるなど、消えることなく続いていた。1990年代に実用化されたDNA鑑定によって、ジェファソンの子孫を名のる黒人男性とジェファソン家の男性のY染色体が一致すると、噂の信憑性は俄然高まった。ジェファソンは独立宣言に奴隷貿易を推進したことでイギリス国王を譴責する条文を入れようとしたリベラル派でありながら、自身も100人以上とも言われる奴隷を使用する大農場主でもあった。また、著作『ヴァージニア覚書』では、醜悪な人種偏見を露わにしている。こうしたことを持って、ジェファソンをっ偽善者と決めつけることもできるだろうが、逆に言えば、こうした様々な障害にもかかわらず、彼は奴隷制に反対したのだ、ということもできる。

ジェファソンとサリー・ヘミングスの関係は複雑である。ヘミングスは、ジェファソンの亡妻マーサの異母姉妹である。マーサとサリーは、父であるジョン・ウェルズの農場で、ともに育った — 一方は奴隷主の娘として、もう一方は(同じく奴隷主の血を引いていながら)奴隷の娘として。そして、マーサがジェファソン家に嫁ぐときに、サリーは奴隷として、異母姉妹に付き添うことになった。ということは、サリーにとって、ジェファソンは、愛人であると同時に、姉妹であり、幼馴染であり、主人でもある人の夫であり、自身の奴隷主でもある。こうした錯綜した家族関係が南部の「特殊な社会」ではしばしば見られた。ジェファソンの黒人側の子孫の一人であるシャノン・ラニアは、両人種にまたがるジェファソンの子孫に聞いた話を、『大統領ジェファソンの子供たち』という本にまとめている。そこから浮かび上がってくるのは、家族というものの捉えにくさであり、錯綜した家族関係がアメリカという国の基礎にあるという認識である。

2019年5月18日(土)


新曲「おじいさんになる日」。決して、後ろ向きな曲ではありません。

「おじいさんになる日」

ある夏の平凡な晴れた日 ぼくは
おじいさんになると決めたんだ
死ぬための準備じゃない 生きるために
おじいさんになろうと決めたんだ

森のはずれの小さな小屋で
友だちに短い手紙を書こう
おじいさんになります 探さないでください
きっともうすぐまた会えるから
おじいさんになります 探さないでください
おじいさんになろうと決めたんだ

赤ん坊が生まれてくるように
子供が大人になるように
女が母親になるように
男が父親になるように ぼくは
おじいさんになろうと決めたんだ ぼくは
おじいさんになろうと決めたんだ

おじいさんになれずに死んだ仲間たち
見ていろよ おれがおじいさんになる
毛虫が蝶になるように
見違えるような立派なおじいさんになる
おじいさんになろうと決めたんだ
おじいさんになろうと決めたんだ

2019年5月17日(金)

神奈川大、前期第五回目。文系「初級英語」×2はテキスト解析。理学部「初級英語」は、分詞をやろうと思っていたのだが、講師がプリントを忘れたため(トホホ)、自動詞と他動詞に急遽テーマを変更。これもいずれやる予定の大事な項目とはいえ・・・反省。

2019年5月16日(木)

首都大「実践英語」×3、第四回目。マーシャル・スターンズ『ジャズの歴史』を読む。そろそろ西アフリカのポリリズムの話が出てくるので、テキストにも出てくるダオメの古都アボメイで撮影されたジンリという太鼓アンサンブルを中心とした音楽の映像を見ながら、授業開始。ポリリズムを、二つ以上のリズムが並行して進行している音楽と説明。典型的な例として8分の12拍子の3と4のポリリズムを取り上げた。学生に4拍子を叩いてもらい、そこに講師が3拍子で加わろうとする(が、これは上手くいかない)。さらに、坂本龍一さんが『スコラ』で言っていた、ポリリズムは円で考えれば、トリッキーなことでもなんでもないんだというコメントを紹介。

だいぶ脱線した後で、テキストに入る。まずは、前回の続き、捉えにくいジャズをどう捉えるかという話。前回読んだ、ジャズがヨーロッパ音楽と西アフリカ音楽の混淆の結果生まれた音楽であるという仮説を受けて、

すると、ヨーロッパのものが支配的な音楽文化にあって、ジャズを他とちょっと違った、すぐに認識可能なものにしている特質は、西アフリカと関係がある、ということになる。

ジャズが「言葉で説明するよりも、存在を認識するほうがずっと容易な」音楽である理由を、ヨーロッパ音楽のなかに投げ込まれた西アフリカ音楽の異質性に求め、そこからジャズのアフリカン・ルーツの話に持っていくという、なかなかの離れ業で読者を引き込んでいく。

ジャズと西アフリカ音楽の関係はどんなものだろう?おそらく、もっとも明白な共通点は、リズムである—といっても、アフリカの部族民がジャズを好きになるということではない。混淆が進みすぎていて、好きになれないだろうから。

「部族、族」(tribe)という言葉は「遅れた」というニュアンスがあって、ぼくは使わない。とはいえ、原文に書いてあるものを勝手に直すのも違うと思うので、日本語訳はそのままにする。それはさておき、原文は文法的にかなり問題がある。少なくとも、ぼくにはうまく説明できない部分がある。"not that a West African tribesman would like jazz, (1) because he wouldn’t, (2) the blending has gone too far”を(2)で切ると、「好きになれないから、好きになれない」となってしまって、意味をなさない。(1)で切って、because節が文末まで続くと考えると、beceuse節の前半と後半をつなぐ接続詞がなく、両者の関係がわからない。意味から考えて、後者を取ったが、このへん、スターンズの悪文家ぶりが表れている(いや、そんなことない、文法的にもすっきり説明できるよ、という方がいらしたら、ご教示ください)。ある意味では、思いついたフレーズを次つぎ飲みこんでいくスタイルは、ジャズの即興演奏のようであるとも言えるのだが。

國學院大「英語(再履)」×2、前期第四回目。6限は動名詞。不定詞の名詞的用法との使い分けなど。7限は、時を表す副詞節と理由を表す副詞節。

2019年5月15日(水)

日本女子大、前期第五回目。「アカデミック・ライティング」は3つ目のエッセイへ。指定されたテーマでエッセイを書くのは、なかなか難しいことだと思う。もちろん、教科書もインターネットや携帯電話など今日日の若者が関心を持ちそうなテーマを用意しているのだが、身近であるということと、書きたいということはまた別なのではないかとも思う。こういうとき、パウロ・フレイレを読み直してみるかと思うのだが、まだ果たせていない。ともかく、女子大生が身に染みて書きたいと思うテーマは何なのか、彼女たち自身にもわかっていないかもしれないのだが、それをつかみ出せれば、書くことがなくて困っちゃうというようなことにはならないのではないか。

「ブルースを読む」がテーマの「米大衆文化演習」は、担当学生によるサン・ハウスのバイオグラフィー及び「プリーチン・ザ・ブルース」日本語訳発表と、それを受けて講師からの解説と補足。学生の発表をもとに講師が補足した日本語訳は、次のような感じ。1930年、Pt.1Pt.2に分けて録音されたもの(ハウスの記念すべき初録音)を底本とした。

「ブルースを説教する」

(Pt.1)
神の啓示を受け、バプティスト教会に入り
神の啓示を受け、バプティスト教会に入り
バプティストの説教師になるんだ もう働かなくてすむ

オレはブルースを説教している みんなを叫ばせたいんだ
みんなを叫ばせたいんだ
囚人のように派手にやってやる ノリノリで大騒ぎさせるんだ

ああ、オレは部屋に入り 跪いて祈った
ああ、オレは部屋に入り 跪いて祈った
それからブルースがやって来て オレの精霊を吹き飛ばしてしまった

ああ、啓示があるんです 主よ このところ毎日
ああ、啓示があるんです 主よ このところ毎日
だけど酒と女が オレを放っておいてくれないんです

オレだけの天国があったらな
ああ、オレだけの天国が
そうすりゃ、女たちといつまでも幸せに暮らせるのに

オレはあの子が好きさ 自分のことが好きなのと同じくらい
ああ、自分のことが好きなのと同じくらい
オレが彼女のものになれないのなら、他のやつをそうさせるもんか

(Pt.2)
両手を組んで 跪き 祈りをささげた
両手を組んで 跪き 祈りをささげた
朝目が覚めたら 説教ブルースにおさらばできるように

ところが 今朝目を覚ますと ブルースが人間のように歩いていた
ブルースが人間のように歩いていた
おはよう、ブルース 右手を出しなよ

もう、オレの心を悩ますものは何もない
オレの心を悩ますものは
オレの説教ブルースに長い列ができているんだから 満足さ

この仕事にじっくり取り組まなくては 無駄にしている時間はない
無駄にしている時間はない
神に誓うよ オレはブルースを説教していかなくちゃ

(全能なる神よ)

おれはこのブルースってやつを説教していこう 席を決めて座るんだ
おれはこのブルースってやつを説教していこう 席を決めて座るんだ
精霊がやってきたら あんたらにも飛び跳ねて欲しいんだ

実はPt,2の3連目の最後、”I'm satisfied I got the longest line"は、ぼくも意味が分からず、「説教とブルースを結ぶ長い線」などとトンチンカンな解釈をしてしまった。何のことはない、サン・ハウスの演奏を聞きに列をつくる人びとと考えれば、しっくりくる(次回、学生に報告しなければ)。もっとも、実際にジューク・ジョイントに列ができていたというよりも、自分の「説教ブルース」が多くの人を惹きつけていく様を想像して、ぞくぞくしているハウスの姿が思い浮かぶ。Pt.1第一連「仕事をしなくてすむ」は、以前にも書いた通り、先の見えないシェアクロッパーとしての生活から抜け出すことを意味している。ブルースマンも、説教師も、シェクロッピング制度の袋小路から抜け出す数少ない手段のひとつであったばかりではなく、抑圧されたコミュニティの人びとを「叫ばせ」、発散する機会を与えるという点でも共通している。それなのに、ブルースだけが「悪魔の音楽」として蔑まれることに、サン・ハウスはかつて自分もそうだっただけに、怒りを感じていたのではないか。「説教師になるんだ、もう働かなくてすむ」という挑発的なフレーズを聞くと、そう思わずにはいられない。

2019年5月14日(火)

久々にプールで歩いてきた。

60123583_2922172001134192_63311885277069

一昨日、サニースポットでのライブのあとに、落として割ってしまったスライドバー。すぐさま再注文した。佐伯楽器工業という大阪の会社の製品で、普通に楽器屋においてあるものにはない重さとフィット感があって、愛用していた。今日、届いたので指にはめてみる。これだ。軽いプラスチック製のものが多いなかで、これはガラス製(だから、落とせば割れる)。値段も4970円と、通常のものの8倍ぐらいするが、それだけの価値がある。(もちろん、本当にお酒の瓶の首を切り取ってつくればいいのだろうが、不器用故、まちがいなく怪我をするので)

Cdbanner

戦前ブルース音源研究所の研究をもとにPAN RECORDから発売されたCD=Charlie Patton/True Revolutionを聞いた。すごいね、これは。デルタ・ブルースの父チャーリー・パットンの記念すべき初録音(1929)(同時に録音されたウォルター・ホーキンスの録音を含む)を、再生スピードを調整し、当時の生演奏に最大限近い音を再現した、まさに、革命的な一枚。そういえば、大学のころ、相棒のギターリストなげやりくんが、ロバート・ジョンソンの声って、回転数おかしくない?と言っていたのを思い出した。先日拙宅に来たときに、このCDの話をしたら、盟友ギターリストはさすが、「ああ、当時はミュージシャンによってチューニング違うだろうしね」と言っていた。ちげーよ、回転数の話だよ、と思ったのだが、彼が正しかった。このCDの再生スピードは、回転スピードのずれだけではなく、当時のチューニングのばらつきなど様々な要素を考慮に入れたうえで決定されている。まいった!その結果、出てきた音は、まさにデルタ・ブルースの父に相応しい堂々たる演奏。ぼくはパットンというと、サン・ハウスやロバート・ジョンソンと比べて、モッサリした印象しかなかったのだが、とんでもない、ギターも歌も切れ味鋭い。低いだみ声がよみがえったことで、ハウリン・ウルフなんかに与えた影響もよりはっきりした。オープン・チューニングについての新しい発見を含む、詳細なライナーノーツも読み応えあり。ぼくはこんなにマニアックではないので、ドッカリ―・チューニングでギターをいじくり倒して、パットンだか何だかわからない方向に向かって、お叱りを受けるかもしれませんが。権利の問題とかもあるだろうけど、ロバジョンやサンハウスもこんな感じで、お願いします!売り切れのブラインド・ブレイク盤も再発お願いします!

2019年5月13日(月)

明治学院「アメリカ研究」、前期第五回目。テレビドラマ『ルーツ』の続きを見る。クンタ・キンテが奴隷主に与えられた名前を拒否して、鞭打たれるシーンまで。時間が余ったので、奴隷たちの文化、ハリエット・タブマンソージャナー・トゥルースフレデリック・ダグラスについて、概説した。

帰ってくるなりベッドに倒れ込み、爆睡。何度か目を覚まして、そのたびにアゲインに飲みに行こうと思うのだが、再び眠気に襲われて、結局朝5時ごろまで断続的に眠り続けた。よほど疲れていたのか、しかし、前の晩もかなり眠ったのだが、脳がほとんどなくなった能力をフル回転して、ドーパミンをつくろうとしているのか、ときどきとてつもなく眠くなるのはどうしたものか。何も手につかない。

2019年5月12日(日)

山崎雅弘「天皇機関説」事件』(集英社新書、2017)を読み終わった。日本の主観的な国家観と、西洋近代的な国家観の溝を埋める学説として長らく認められており、昭和天皇自身もその意義を否定しなかった「天皇機関説」が、軍部や右翼勢力のヒステリックな攻撃によって、異端的な地位にまで引きずり降ろされていく過程が、当時の資料をもとに克明に描かれている。軍部や右翼は必ずしも天皇の支持を得ていたわけではないにもかかわらず、この事件を通じて、「国体」という曖昧な概念を称揚することによって、あらゆる反論を封じていく。曖昧な概念(例えば、「愛国」)が、その曖昧さゆえに、内容を吟味されることなく、絶対視される危険性は、現代にも残されている。その意味で、この事件は昭和史のターニング・ポイントであると同時に、これから先の日本を占う先例でもある。

ひらげエレキテルとして、月かげ星くず団・伊大知くんの企画@池袋サニースポットに出演しました。演目は、「空飛ぶブルース」「パチンコ銀行」「かわいい子猫ちゃん」「正義の味方はいつも顔を隠している」「今すぐお願い」「五月病にならないように」(with 月かげ星くず団)「最後の日」。主催の月かげ星くず団をはじめ、出演者は全員知っているひとばかりで、リラックスした雰囲気で音楽を楽しめました。みなさん、それぞれにキラリと光る曲を持っていて、さすがです。櫻田くんの歌う「もっと落ちついて」(RCサクセション、カヴァー)にコーラスで参加したり、今日が誕生日の伊大知くんのためにハッピーバースデーを歌ったりと、楽しい一夜となりました。

2019年5月11日(土)

整体師になったギターリスト=なげやりくんに、自宅で施術してもらった。おかげで悪かった体調がかなり回復したのだが、夕方にはまた悪化。どうも、便秘気味なのが、薬の効きを悪くしているような気がする。

2019年5月10日(金)

神奈川大、前期第四回目。文系「初級英語」×2(1限と3限)は過去分詞の形容詞的用法のテストをやって、テキスト解析・・・と思ったら、3限の学生が不定詞の形容詞的用法と副詞的用法の違いがわからないというので、形容詞と副詞の違いから改めて説明した。わかってもらえただろうか。理学部「初級英語」は動名詞。不定詞の名詞的用法との使い分けは、動名詞が「すでにあること」、不定詞が「これから起こること」というニュアンスがあると覚えておくとわかりやすい。

2019年5月9日(木)

サン・ハウスも最後はパーキンソン病を患っていたのか!

とにかく、しゃべり倒したい。わかったようなことを言いやがってと言われてもしゃべり倒したい。しゃべってはじめて、自分がわかったようなことをいっているとわかる。そして、わかったようなことをとお思いでしょうがと、またしゃべりつづけたい。

金にはならないけど、食える歌、とは何だろうと考えている。

首都大「実践英語」×3、前期第三回目。まずは、前回休講のお詫びから。いよいよテキストに入るという出鼻を挫くタイミングの悪さもさることながら、そのまま連休に突入してしまったので、学生に忘れられていなければいいがと思いながら。謝罪のあと、オール黒人キャストのミュージカル映画『ストーミー・ウェザー』(1943)から、ファッツ・ウォーラーがピアノを弾きながら「エイント・ミスヘイヴィン」を歌うシーンを見ながら、授業開始(2限、3限は、ニコラス・ブラザーズのタップが冴えるクライマックスも)。テキスト(マーシャル・W・スターンズ『ジャズの歴史』)はそのウォーラーの有名なエピソードから説き起こして、ジャズの定義しにくさに言及するところ。「ステキなおばさまの『ジャズって何ですの、ウォーラーさん』という質問に答えて、今は亡き偉大なファッツはため息をついてこう言ったことになっている。『おくさま、今になってわからないのでしたら、ジャズに関わるな!』このエピソードでのファッツ・ウォーラーは、重要な点を押さえている。ニューオリンズで聞こうと、ボンベイ(そこでもジャズのようなものを演奏している)で聞こうと、ジャズは言葉で説明するよりも、存在を認識するほうがずっと容易である<1限ここまで>。ジャズを仮に、ヨーロッパと西アフリカという二つの偉大な音楽的伝統がアメリカ合衆国において三百年に渡って混ざり合った結果であると定義してみよう<2、3限ここまで>。」読みにくい悪文のようでいて、ジャズの捉えにくさを無駄のない文章に過不足なく表現している。

國學院大「英語(再履)」×2、前期第三回目。こちらも、前回休講のお詫びから。6限は不定詞、7限は名詞節。

2019年5月8日(水)

日本女子大、前期第四回目。「アカデミック・ライティング」は、前回提出してもらったパラグラフを返却して、コメント。まだ、パラグラフ・ライティングが身についていない学生が多い。つらつらと思いついたことを書き連ねることは、ブログとか友だちへのメールではよくても、アカデミック・ライティングでは、許されない。また、「わたしは思う」といった書き方は、自分の考えを述べるのがアカデミック・ライティングなのは当たり前だし、むしろ、自分の考えだけの証明されていないことを書いているような印象を与えるので、よほど必要な場合でない限り避けるべきである。結論文がある程度、トピック・センテンスのくり返しになるのは仕方がないが、全く同じではさすがに芸がない。言い方を変えたり、パラグラフで挙げた項目を短い言葉に凝縮して述べるなど、工夫しよう・・・といったことを指導した。

「米大衆文化演習」は、「ブルースを読む」。ブルースが生まれる背景として、南北戦争前後のアメリカ史を年表に沿って概観した。農業を中心とした南部と、商工業を中心とした北部の対立は、新たに獲得された領土が州に昇格するたびに、各州に2名ずつ割り当てられた上院の議席数の形で表面化した。新しい州が奴隷州として南部陣営に加わるか、自由州として北部の側につくかによって、上院における南北のバランス変化した。南北の均衡が崩れ、連邦が崩壊することを防ぐために、何度も妥協を重ねた。そのなかで、取引材料として振り回されたのが、アフリカ系アメリカ人だった。とりわけ、メキシコから獲得したカリフォルニアを自由州とする代わりに、厳格な逃亡奴隷法が制定されたことは、奴隷制に反対する人びとの危機感を煽った。こうした交渉はやがて限界を迎え、カンザス、ネブラスカが州に昇格する際には、奴隷州か自由州かの選択は住民の判断に委ねられることになり、同地域には奴隷制賛成派、反対派が集まって、血を血で洗う内戦状態となった。そのなかから頭角を現したラディカルな奴隷制反対論者ジョン・ブラウンが、1859年に反乱を起こし、絞首刑になるに至って、南北の衝突は避けられないものとなる。奴隷制拡大反対派が集まってできた共和党のリンカーンが大統領に当選したことをきっかけに、南部諸州はアメリカ連合国として独立を宣言、1861年、サウス・カロライナ州が連邦側のサムター要塞を攻撃して、南北戦争の火ぶたが切って落とされる。

1865年、南北戦争は北軍の勝利で終わり、1862年の奴隷解放宣言に基づき、奴隷は解放された。しかし、リンカーンが自ら認め散るように、北連邦(北)側にとって戦争の目的は、必ずしも奴隷の解放ではなく、連邦の維持にあった、あらかじめ連邦に戻らない州での奴隷解放が警告された奴隷解放宣言自体、連邦の維持を目的とするものだった。とはいえ、南北戦争後、南部には連邦軍が駐留し、解放民局の主導で南部再建(リコンストラクション)がすすめられた。元奴隷に土地とラバが与えられるという話は噂に終わり、多くの元奴隷が金も財産も教育もないまま、シェアクロッパーとして土地に縛りつけられた生活を続けなければならなかったとはいえ、公民権法と憲法修正条項によって、元奴隷たちの市民権は保証され、ハイラム・R・レベルズのようなアフリカ系の上院議員や、ピンクニー・ピンチバックのようなアフリカ系の州知事(ルイジアナ州)も生まれた。しかし、この奴隷制のない南部をつくろうという試みは、またしても南部と北部の妥協によって、立ち消えになる。1877年、前年の大統領選における民主党(当時は南部側の政党)候補サミュエル・J・ティルデンの勝利に、共和党(当時は北部側の政党)が不正選挙があったと主張、結局、共和党の候補ラザフォード・B・ヘイズの当選を認める代わりに、連邦軍が南部から撤退することで、解決が図られた。連邦軍の重しがなくなった南部は、次々とジム・クロウ法と呼ばれる人種差別法を制定し、アフリカ系アメリカ人から選挙権・被選挙権をはじめとす市民権を奪い、人種隔離を推し進める逆コースを歩んでいくことになる。そして、19世紀終わりには、リンチで殺されるアフリカ系アメリカ人の人数がピークに達している。ブルースが生まれたのは、そんな時代のことだった。

この日は時間が余ったので、次回以降やるつもりだったサン・ハウスの「デス・レター」の歌詞を読んだ。死んだ恋人に対する思いを歌ったこの歌の基調にあるのもまた、悲しみ以上に怒りではないかと思うのだが、その話はまた次回。

2019年5月7日(火)

「近くの扉がぬぐい清められたなら、裏のおばさんが喜ぶだろう」「何だ、そのサザエさんみたいな話は」「たしか、ブレイクからの引用で」「・・・『知覚の扉』ね」

2019年5月6日(月)

いろいろなアイディアに手を付けて、未完の可能性をあちこちに残して死ぬか、頭の中にある膨大な可能性のうち、ほんの一部を丁寧に仕上げて死ぬか。ぼくは性格的に前者しかできないと思う。未完の作品を聞かされる周りの人はいい迷惑だが、オフィシャルブートを聞くと思ってお付き合いいただければ、幸いです。すべてのものは常に未完であるという開き直りもあります。もちろん、未完の作品群のクオリティをじりじりと上げていくつもりですが。そこも、ある意味目が離せないところです。チェキラ!笑

明治学院「アメリカ研究」、前期第四回目。前回に引き続き、アメリカにおける奴隷貿易の歴史について、年表に沿って解説した。アメリカ独立宣言の起草では、のちに第三代大統領となるトーマス・ジェファソンが、奴隷貿易を推進したという理由で、イギリス国王を譴責する条文を提案するが、南部のプランター階級によって却下されている。また、ジェファソン自身、100人以上とも言われる奴隷を抱えた大農場を経営するプランターであった。また、ジェファソンをはじめとするリベラルな勢力が欠席するなかで進められた制憲会議では、(人口比によって議席数が決められる)下院における南部と北部の勢力均衡を保つために、黒人を「5分の3」の人間として数えるという奇妙な条文が採用されている。とはいえ、独立後しばらくは、大農場の少ない北部で奴隷制が廃止されたこともあって、奴隷制は徐々に廃止の方向に向かうという見方が一般的だった。そうした状況を一変させたのが、イーライ・ホイットニーによる綿繰り機の発明である。この便利な機械によって、綿花を加工するスピードは格段に速くなった。一方で、綿花の収穫は昔ながらの手摘みだったので、発明によって生まれた需要を満たすためには、奴隷による人海戦術に頼る必要があった。そんななか、1807年にイギリス、1808年にはアメリカで、奴隷貿易が廃止される。注意しておかなくてはならないのは、これが飽くまでも奴隷貿易の廃止であり、奴隷制の廃止ではないかったことである。それどころか、非合法化された奴隷貿易は規制を解かれ、むしろ規模が大きくなったとする説もある。また、イギリスは奴隷の闇貿易を取り締まるために西アフリカ沿岸に軍艦を派遣することによって、フランスなどに対抗してその海域の制海権を強めた。このことは、本格的な植民地経営に乗り出そうとしていたイギリスにとっては、好都合だった。

後半は、ジュリアス・レスター奴隷とは』に収録された証言を中心に、アメリカに到着して以降の、奴隷たちの経験を辿った。上陸後、彼らが最初に経験するのが競売台である。また、アメリカで生まれたものも含め、奴隷たちはいつ競売台に立たされてる可能性があった。奴隷主はしばしば、奴隷を売って資金不足を補ったからである。そして、競売台にかけられるということは、多くの場合、家族との永遠の別れを意味した。買い手が奴隷を必要とする理由はさまざまである。開拓のために屈強な若い男を必要としているもの、子供の奴隷を育てて高く売ろうとしているもの、あるいは、美しい奴隷の女性を愛人にしようとするもの。買い手たちが目的以外の奴隷を、したがって、家族がまとめて売られるなどということは、むしろ例外的であった。『奴隷とは』には生まれた子供を何度も売られた奴隷の女性が、今度こそは奪われまいと我が子に毒を飲ませて殺してしまう話が紹介されている。トニ・モリソンビラブド』のモデルとなったこうした話は、他にもいくつか報告されている。このあと、不衛生な住居、朝から晩まで休むことなく続けられた労働、懲罰としての鞭打ち、奴隷主の名字を使ったこと、などの点について、『奴隷とは』から証言を引用。最後に、テレビドラマ『ルーツ』の続きを見始めた。今回は、クンタ・キンテが競売にかけられるところから見始め、奴隷監督エイムズがクンタ・キンテに「お前はいずれ俺のものだ」と声をかけるシーンまで。

帰りに川崎に寄って、ラーメンを食べていたら、若くて生きのいいジャズ・バンドが飛び回りながら演奏していた。思わず足が止まり、杖を突く身でありながら、リズムに身体を揺らす。小難しいジャズではない。曲も最近はやりの曲なんかをうまくジャズ・アレンジして、リズムもぼくの世代で言えば、ダーティ・ダズン・ブラス・バンドのような、低音のブラスのぶぉっぶぉっというグルーヴで、やたらとかっこいい。この間、餃子屋で教えてもらったPE'Zなんかにも近い。こういう屈託のないジャズが生まれているのだな。トロンボーンの寺谷さんという青年に話を聞いたら、今日結成したばかりで名前もないという。いやあ、かっこいい。

しばらく歩いていくと、今度はビンテージもののセミアコのシールドをラジオにつっこんでラグを弾いている青年に遭遇した。京都出身の桂くんという。川崎何でもありだな。演奏をリクエストすると、歌は歌わないので、インストでいいですかと断って、「スタンド・バイ・ミー」をギターでつま弾いた。いいねえ。ブルースを皮切りに、音楽の話に花が咲く。まず、ブルースへの入り口は?ぼくはキヨシロー、桂くんはレッド・ツェッペリン、最初に聞いたブルースは?ぼくはライトニン・ホプキンスかなあ。桂くんはロバート・ジョンソンロニー・ジョンソンの凄さがわかるようになったのに、今は絶版となっているCDを売ってしまい後悔していることなどを桂くんが話せば、ぼくはロバート・ジョンソンはフォトジェニックであるという持論を展開する。さらに、ぼくがアフリカ音楽も好きなんだというと、桂くんは実はバート・ヤンシュデイヴィ・グレアムなど、イギリスのフォークも好きだという。そりゃ、ぼくも大好物!・・・ととめどなく話をして、気がつけば夜の10時半近くなっていた。もっと演奏を聞けばよかったかもしれないが、楽しいひとときだった。桂くん、また会おうぜ。今度は飲もう。

2019年5月5日(日)

花咲か爺さん「還暦に花を咲かせましょう」

昨日、共演の照屋雄一郎さんの力強い歌を楽屋で聞いていて、急に「沖縄を返せ」をブルースにして歌いたくなり、実際ステージでもやってみたのだが、アイディアを煮詰めずすぐ出すのがぼくの悪い癖。見事にぐずぐずであった(↑一夜明けて、自宅でやり直してみた)。それだけではなく、この歌はぼくのようなものが歌うには、あまりにも複雑な背景を持っている。沖縄返還運動のなかで歌われた「沖縄を返せ」は、主語が何かはっきりしないということが当時から問題にされてきたようだ。つまり、沖縄をウチナンチューへ返せということなのか、あるいは「守り育てた」もっとも身近な植民地である沖縄を日本へ返せということなのか。どちらとでも取れるのが、歌というものでもあろうが、沖縄返還後の歴史を見ていると、結果として後者になっていると言わざるを得ない。だから、沖縄へ返せ、と歌詞を一部変えて歌いたくもなるのだが、だからといって、ヤマトンチューのぼくが歌えば、せっかく歌詞を変えた効果も空しい。それでも、ぼくがこの歌を好きで、ついつい口ずさんでしまうのは、大工哲弘さんのヴァージョンで気づかされた、メロディの美しさと、社会運動の歌には珍しいつきぬけた明るさがあるからだ。この歌がのほほんと歌われるたび、沖縄は誰に返されるのかという問題が浮かび上がるならそれもいいんじゃないか・・・なんてことは、ヤマトンチューのぼくが言ってはダメですかね?ちなみに作曲は、労働運動のなかで曲を作り続けた荒木栄さん。三井三池炭鉱の闘争で歌われ、後にソウル・フラワー・ユニオン・モノノケ・サミットも取り上げた「がんばろう」の作曲もこの人。


「今すぐお願い」練習不足から、ぐずぐすの演奏ですが、この歌をはじめてステージで歌った記録として。

江古田フォーク・ジャンボリー@江古田マーキーに、ひらげエレキテルとして参加して、3曲歌ってきました。演目は、「今すぐお願い」「非国民の休日」「パチンコ銀行」。聞いてくださったみなさん、ありがとうございました。共演者はみなさん、素晴らしい演奏ばかりでしたが、とりわけ、一戸康太郎さんの世界に深くはまります。ぼくの歌と一戸さんの世界観が似ていると言ってくれる方もいて、この上ない喜びなのですが、ぼくはこんなにペーソスにあふれる世界は描けないし、物語性という点でもかないません。打ち上げで、ご本人とブルースにはない物語性を持ったレッドベリーの世界についてお話しできたのが、うれしかった。

2019年5月4日(土)

ひらげエレキテルとして、日吉Napに出演して、歌ってきました。演目は、「沖縄を返せ」(一部)「空飛ぶブルース」「不機嫌そうに」「パチンコ銀行」「ばあさんのサンバ」「かわいい子猫ちゃん」「春だというのに」「非国民の休日」「きみのしあわせ」。聞いてくださったみなさん、ありがとうございました。共演では、照屋雄一郎さんの力強い歌声が、胸に響きました。それで、「沖縄を返せ」を急遽、歌ってみたのですが、グズグズな結果に。何でこの歌なんだ、というところも含めて、なんか、いろいろすみません。

自分のライブが終わったその足で、2駅先の大倉山のバー「グローリー」に、浜ちゃんこと浜野誠さんの演奏を聞きに行った。10年以上もこのバーでの演奏を続けているというだけあって、バーの空気を熟知した音作り。ビロードのようななめらかさで、木製の調度品と音楽が一体となる。お酒や会話を楽しむ人の邪魔をせずに、それでいて歌の心をさらりと届ける、絶妙な匙加減。勉強させていただきました。洋酒はあまり飲んだことのないひらげですが、お店の方のお薦めをいただいて、すっかりご機嫌でした。

2019年5月3日(金)

最近の若者のなかには、「おいしさ」を「おいしみ」、「やばさ」を「やばみ」などと、感情を表す言葉には何でも「み」をつける人たちがいるという。仮にも大学で教えているものが、こんなことを言い出すと、若者の言葉の乱れを糺してくれるのではないかと期待されるかもしれないが、ぼくに限っては天地がひっくり返ってもそんなことありえない。保守的な言葉の形をどんどん崩してく若者のあと腐れのない遊びがたまらなく好きだ。だいたい、明治時代から「スバラシイ的」を略して、「ステキ」などという流行語が生みだされていたのだから、時代はくり返す、である(室町時代の女房言葉とかもあるし)。文学史上でも、バター付きパン蝶(bread and butterfly)に空を飛ばせたルイス・キャロルをはじめ、言葉をめったぎりにした作家は多い。日本語と英語、フランス語をチャンポンにして、読むものを翻弄する若き日の永井荷風とか、言葉の約束事をギリギリまで崩して、それでも通じるか?通じないなら、通じないでもよろしいというような潔い実験精神にあふれている。ビバップの言葉遊びなんかはまさに遊びであり、実験だし、それはクレイジーキャッツのギャグ、大橋巨泉はっぱふみふみ山下洋輔の一連の著作、タモリ四か国語麻雀、あるいはハナモゲラ語なんかを通じて、現代まで絵受け継がれている。キヨシローの言葉なんかも、とくに若いころはどんどん独り歩きをしたリズムが、意味が引っ張っていく力があった。それに、ロックの世界には、何といってもジョン・レノンの『ジョンレノンセンス』(In HIs Own Words)という、言葉を引きちぎって苛め抜いた傑作がある。研究者としてはむしろ、どんどん言葉をめちゃくちゃに改変していって、どこまでコミュニケーションの手段として成り立つのかということのほうが興味がある。もちろん、真っ先にコミュニケーションの隊列から脱落するのはおっさんだろうが、自分はその例外であれたら、うれしみが強い。



整形希望の女の子の歌「今すぐお願い」、試行錯誤の末、バレルハウス風のピアノ弾き語りスタイルになりました。

「今すぐお願い」

私はあごを直したい
ねえ、今すぐお願い
わたしはあごを直したい
お願い 今すぐ削って
誰が何と言おうと 
あごが削れたら 私は美人
街を歩いているだけで
誰もが振り向くはずよ
わたしはあごを直したい
お願い 今すぐ削って

わたしは鼻を直したい
どうしてこんなに低いの
わたしは鼻を直したい
ねえ、ちょっとつまんで
誰が何と言おうと
鼻が高ければわたしは美人
あなたもいっしょにいるだけで
鼻が高いはずよ
わたしは鼻を直したい
ねえ、今すぐお願い

わたしは目を直したい
眼科に行ってもだめなの
わたしは目を直したい
もっとパッチリしたいの
誰が何と言おうと
目が大きければ私は美人
少女漫画の主人公みたいに
きっと注目の的よ
私は目を直したい
ねえ、いますぐお願い




ひらげエレキテル、初期の名曲「非国民の休日」をリミックスしました。旧ヴァージョンと比べて、だいぶ聞きやすくなったと思う。

「非国民の休日」

昼からそば屋で一服
お酒なんか頼んじゃって
ざるそばで一杯なんて粋だね
今日は非国民の休日
という名のずる休み

国民の三大義務は納税と
教育、それからあとは自由の追求
違ったような気もするが
今日は非国民の休日
という名のずる休み

働きすぎは身体に悪い
働かないと家計が切ない
まあいいじゃないか いい天気だし
今日は非国民の休日
という名のずる休み

2019年5月2日(木)


キヨシローが亡くなって、十年が経った。もう十年もキヨシローのいない世界に生きてきたのか。直接お会いしたこともなかったし、ぼくのなかでキヨシローが清志郎さんになる機会はなく、ずっとロックスターのまま。だから、今日も客席で、乾いた喉の奥から溢れ出るような憧れを持って、呼び捨てたいと思う。キヨシロー!キヨシロー!アンコール、キヨシロー!もう出てこないのかよ。このままじゃ、家に帰れないよ・・・でも、死んじまったならしかたない。自分で歌うとするか。道端で泣いている子供、いや、おっさんの歌を・・・


昨日歌詞だけアップした「織姫のララバイ」、曲を作ってみた。酷い歌詞だが、曲は美しい(笑)。

2019年5月1日(水)

叔母が亡くなって、10年。

遠藤ミチロウさんが亡くなっていた(先月25日)。

今、「ひらげカレンダー」という企画CDを考えていて、4月「桜の気持ちも知らないで」、5月「五月病にならないために」、6月「雨の日」、8月「サンダル」、9月「月が見ているよ(子守歌)」、11月「猫のノベンバー」、12月「うさぎ(非キリスト教徒からのメリー・クリスマス」までできているのだが(収録曲をプレイリストにまとめました)、あと、1月~3月、7月、10月の曲がない。7月は七夕で・・・と思い、いろいろ試行錯誤の末、こんな歌詞を思いついた。

「織姫のララバイ」

私のつくった織物は
都の人に高く売れるの
だから、あなたは働かなくていいわ
牛を牽いてもいくらにもならないでしょう
さあ わたしの胸でおやすみなさい

あなたのことをヒモだとか
逆玉だとか言いたい人には
言いたいだけ言わせておけばいい
牛を牽くよりあなたには才能があるの
さあ わたしの胸でおやすみなさい

夜空に星をばら撒いて
あなたと私を引き裂いても
きっと あなたに会いにいくわ
あなたも待っていてくれるでしょう
きっと わたしの胸を思い出して

ラララ・・・

もし牽牛が織姫のヒモだったら・・・という、多方面からお叱りを受けそうな内容ですが、織姫と牽牛は恋に夢中なあまり仕事を忘れたということなので、まあ、近いものがあるかな・・・と。

« 2019年4月 | トップページ | 2019年6月 »

最近のトラックバック

2020年6月
  1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30