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2019年4月30日(火)




先日、試作品を発表してから、ああでもないこうでもないと試行錯誤をくり返してきた新曲「猫のノベンバー」がついに完成した。アレンジはレゲエ風にした。ちょっと歌詞がわかりにくいかもしれないが、11月に迷い込んできた子猫を、「ノベンバー」と名付けて孤独な心の慰めにしていたのに、ある日、その猫がいなくなってしまう・・・という内容。今、計画している企画CD『ひらげカレンダー』のために、苦し紛れの11月の曲としてつくった。「何もなかったノベンバー」というのは、「日本全国酒飲み音頭」の「11月は何もないけど酒が飲めるぞ」を受けたものである。拾った猫を溺愛するという点では、相原コージの『コージ苑』に出てきた「アンダスタン」へのオマージュでもある。

「猫のノベンバー」

白い子猫のノベンバー
11月の雨の日に きみがやってきた
何もないけど ノベンバー
ぼくのご飯の残りでも 少し食べるかい?

何もなかったノベンバー
11月にきみが来た 記念日ができた
かつお節をまぶした 白いご飯でお祝いしよう
もう一人じゃないんだ

猫のノベンバー

ある日突然ノベンバー
きみがいなくなってから ぼくは待っている
戻ってきたら ノベンバー
白いご飯に かつお節のせて
お祝いしよう

猫のノベンバー


新曲はインストで「草原を行く」。ぼくのオリジナルには、フォルクローレを意識したインストがいくつかある。もっとも、大抵ほかの要素がまざっていたり、横道にそれたりするのだが。それらを「いんちきフォルクローレ」というプレイリストにまとめてみました。まだあったような気もするが、とりあえず、ウタモノも一つ入れて、5曲

2019年4月29日(月)


先日、行きつけのバー「アゲイン」で、「わたし、あご削りたいんです」という中国人の女性店員ゆいちゃんを前にしてつくった新曲、2番3番の歌詞を考えて、とりあえず録音してみた。

「今すぐお願い」

私はあごを直したい
ねえ、今すぐお願い
わたしはあごを直したい
お願い 今すぐ削って
誰が何と言おうと 
あごが削れたら 私は美人
街を歩いているだけで
誰もが振り向くはずよ
わたしはあごを直したい
お願い 今すぐ削って

わたしは鼻を直したい
どうしてこんなに低いの
わたしは鼻を直したい
ねえ、ちょっとつまんで
誰が何と言おうと
鼻が高ければわたしは美人
あなたもいっしょにいるだけで
鼻が高いはずよ
わたしは鼻を直したい
ねえ、今すぐお願い

わたしは目を直したい
眼科に行ってもだめなの
わたしは目を直したい
もっとパッチリしたいの
誰が何と言おうと
目が大きければ私は美人
少女漫画の主人公みたいに
きっと注目の的よ
私は目を直したい
ねえ、いますぐお願い

2019年4月28日(日)

南半球系バンド=チキリカ+ケペル木村で、World Wide Week@荻窪Live Bar Bungaに出演。World Wide Week(略してWWW)は、ゴールデン・ウィークに、世界の音楽を演奏する人たちを集めて、数日間にわたって開催されるBungaの店長MINAさん、渾身の企画。もう七年目になるのか。どこに入れても収まりの悪い「いんちきアフリカ音楽」「南半球系」のチキリカは、ジンバブエ勢やブラジル勢のなかに入れられることが多かったのだが、今回は八重山民謡を歌う女性=大関ジュンコさんと、アイリッシュ・フルートを演奏する佐藤智彦さんのデュオ、トゥバ共和国のホーメイや弦楽器を演奏する3人組チャスチャイクスキシュという、比較的静謐な音楽に囲まれて、音の大きなチキリカが受け入れてもらえるか、心配だったのだが、みなさん笑顔で聞いてくださって、ホッとしました。ありがとうございました。チキリカの演目は、「コマ」「パームワイン」「ハランゴマ」「健忘症」「わたなべくん」「腹がへったよ」「カゴメカゴメカゴメ」。共演者については、ぼくもホーメイなど、中央アジアの音楽が結構好きなので、チャスチャイクスキシュの演奏はかなり楽しめました(あーそれなのに、モンゴルのホーミーとトゥバのホーメイをいっしょにしてしまいました・・・津軽三味線と沖縄の三線ぐらい違うそうです)。

2019年4月27日(土)

チキリハ(チキリカ・リハーサル)。

2019年4月26日(金)

神奈川大、前期第三回目。文系「初級英語」×2は、不定詞のテストをやって、テキストの分析に入った。理学部「初級英語」も不定詞だが、こちらはぼくのオリジナル・プリントをつかっての授業。100分授業はやり慣れないので、時間が余ってしまい、動名詞と不定詞の名詞的用法の使い分けなど、連休明け以降の授業の予告編をやった。

Thehouseofrsingsun

平塚で見つけたハウス・オブ・ライジング・サン

2019年4月25日(木)

久しぶりに体調がどん底で、首都大も國學院も休講に。かといって、日にちを間違えて中止にしたエレキテル・ライブをするわけにもいかず、ダブル・ブッキングはまさかの「どちらもやらない」という結果に。こんなことではダメだ。ダメだダメだ。反省。

2019年4月24日(水)

いつのころからか、日本では、七福神に愚痴の多い漫画家と、背の高いギターリストが加わるようになった。

日本女子大、前期第三回目。「アカデミック・ライティング」は前回決めたトピックに沿って書いたパラグラフを提出してもらい、宿題の練習問題でパラグラフの構成を復習。「アメリカ大衆文化演習(ブルースを読む)」では、ブルース誕生の背景として、プランテーションにおける奴隷たちの生活と、厳しい労働のあと、夜の間に育まれた彼らの文化について話した。奴隷主によって聖書の言葉が奴隷たちを従わせるために利用される一方で、エジプト脱出やキリストの生涯など、聖書に描かれた解放の物語は奴隷たちの共感を呼び、独自の信仰が生まれた。奴隷たちは主人の目を盗んで秘密の宗教集会を持ち、奴隷の身分から解放されることを祈った。そうしたなかから生まれたのが、「(黒人)霊歌」と呼ばれる宗教歌だが、霊歌はしばしば逃亡奴隷へ北部への道筋を示すなど、現世的な目的で使われた。音楽的には他にも、集団労働のリズムを整えるために歌われたワークソングや、孤独な労働のときに歌われたフィールド・ハラーなどがあり、ブルースの音楽的なルーツとなっている。



奴隷時代のワークソングの形を現在まで残すのが、懲罰労働の名目で受刑者を奴隷のように使うことも多かった刑務所である。動画は1966年に撮影されたテキサスの刑務所におけるワークソングのドキュメンタリー。ピート・シーガーがトシ夫人や息子のダニエル、民俗学者のブルース・ジャクソンらと刑務所を訪れたときに撮影されたものらしい(詳細)。

今日は江古田でライブ・・・と、仕事終わりでマーキーに行ったら、店長のありのぶさんが、ぼくを見てキョトン。「何できた・・・ギター持って・・・」「え、今日ライブでは・・・」「ライブは明日。今日は卓球バーだよ」完全に日にちを間違えていた。しかも、翌日は午後9時まで渋谷の國學院で授業があり、出演できそうにない。謝り倒して、キャンセル料を払い、結局、お店の売り上げに貢献するという名目で、ありのぶさんやバイトのカワマタくんと音楽の話をしながら、飲むことに。それにしても、こんなことでは、ダメだなあ。

2019年4月22日(月)

マック赤坂がついに当選した。

明治学院「アメリカ研究」、前期第三回目。ボブ・マーリー&ザ・ウェイラーズ「400年」を聞きながら、「400年」という年月が何を意味するのか、また、アフリカから遠く離れたカリブ海の島ジャマイカに、黒い肌の人びとが暮らしているのはなぜなのか、疑問を投げかけて、中間航路の奴隷貿易について、その背景にあるものをさらに詳しく見ていく。

まずは、イギリスを基点とする三角貿易には、中国、インドを頂点としたものと、英領アフリカ、アメリカ・カリブ海を頂点としたものという二つのサイクルがある。例年、世界史の授業では前者しか習わなかったという学生が多くて、あれれっと思うのだが、二つのサイクルは互いに補完しあいながら、イギリスが産業革命を牽引するための資本を蓄積することを可能にした。イギリスはインドを植民地化し、インドで生産された綿を繊維製品に加工して、インドに売った。このように原材料を提供する側と加工して付加価値をつける側が固定された場合、加工する側が圧倒的に有利である。逆に言えば、イギリスにとって、この関係は固定されたものでなければならなかった。そのため、イギリスはインドの伝統的な繊維産業を徹底的に破壊した。インド独立の父ガンディーが独立運動のシンボルに使った糸車には、イギリスの機械文明への抵抗と、伝統的繊維産業の復興という意味があった。

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インドとの取引でがっぽり儲けたイギリス商人は、当時、通貨と同じように使われていた銀を手にして、そろそろ影響力を及ぼし始めていた中国で、当時、門外不出の作物であった茶を買いつける。現在でこそ、イギリスと言えば3時のティータイム、というイメージが定着しているが、植物としての茶がイギリスで栽培されているわけではない。それどころか、長い間、イギリスでは、緑茶も紅茶もウーロン茶も同じ植物からつくられるということすら知られておらず、茶は中国が栽培・生産・交易を独占する貴重品だった。イギリス商人は、インドで得た資金で買った茶を本国で売り、「紅茶の国」イギリスが生まれた。中国への支払いは当初、銀で行われたが、末期には阿片が使われるようになり、これがやがて阿片戦争へとつながっていく。阿片戦争について、イギリスは利益と同じくリスクも大きいこの貿易から手を引き、本格的な植民地経営へと移行したがっており、わざと中国を怒らせて、戦争を起こすことによって、中国への支配力を強めようとした、という人もいる。ともかく、イギリスはこのサイクルをぐるぐると回すことで、資金を蓄積していった。

一方、中間航路の奴隷貿易が直接関わっているのは、三角貿易のもう一つのサイクルである。イギリス商人は本国で生産された繊維製品、酒、武器(銃)などを持って、アフリカへ渡り、現地の有力者に提供する。対価として得られたのが、アフリカ奥地の作物と奴隷であった。前回話した通り、アフリカにも奴隷制はあった。しかし、それは犯罪に対する処罰や戦争捕虜の色彩の濃いものであった。多くの小国がしのぎを削っている当時のアフリカの状況にあって、どの小国も戦いで捕らえた敵の戦士を奴隷として抱えていた。そうした奴隷は、敵国との交渉材料に使うことができる。ところが、ヨーロッパ人が武器と引き換えに、奴隷を求めたことで状況は一変する。奴隷は強力な武器と交換される商品となった。小国の有力者は奴隷と交換で手に入れた武器によって、周辺国に攻め込み、さらに奴隷を獲得する。獲得した奴隷でさらに武器を手に入れ、その武器で周辺国に攻め込む・・・戦いは際限なくエスカレートしていった。

前回見た『ルーツ』で、クンタ・キンテを捕えるのが、「黒人」であることにショックを受けた学生も多かったようだ。アフリカを破滅させた奴隷貿易に、他ならぬアフリカ人自身が関わっていたことは、残念ながら事実だ。それを現代から見て、どうしてヨーロッパの侵略に対して団結して戦えなかったのか、ということはたやすい。しかし、当時、アフリカの人びとに「ひとつのアフリカ」という認識はまったくなかった。多くの小国が肩を並べる「世界」だけがあった。そんななかで、未来を見越して、外部の侵略者に対して抵抗するなどということは、ほとんど不可能だったはずだ。もし、今、宇宙人が攻め込んできたら、われわれは同じ地球人として団結できるか考えてみればわかりやすい。そう簡単に「地球はひとつ」とならないことは目に見えている。

さて、イギリス商人は、アフリカで仕入れた奴隷を、アメリカやカリブ諸島で売る。コロンブスによってヨーロッパ人の世界地図に書き加えられた「新世界」では、開拓やプランテーションの経営のために、際限なく労働力が必要だった。イギリス商人は奴隷を売って得た金で、他ならぬ奴隷の労働力によってつくられた商品作物(タバコ、米、砂糖、のちに綿花)を買い、イギリス本国に持ち帰る。綿花が再び繊維製品となり、イギリス国内の需要を満たすだけではなく、インドやアフリカに輸出されることは言うまでもない。砂糖の一部は中国から輸入された茶とともに、3時のティータイムを演出するだろう。砂糖の一部はラム酒となって、アフリカの有力者の口を潤す。アメリカ・カリブ諸島産の商品作物で作られた資金は再び、奴隷船を中間航路に送り出す。こうして、三角貿易の二つ目のサイクルも、ぐるぐると回すことで際限なく、富を生み出す打ち出の小づちとして、産業革命の準備を整えた。

授業ではこのあと、アメリカにおいて、奴隷の「陸揚げ」がメイフラワー号の到着よりも先だったこと、奴隷制が各植民地の議会という民主主義に不可欠な機関によって正当化されていったことをあげ、アフリカ系アメリカ人の歴史がアメリカ史の傍流ではないことを指摘した。そのまま年表にそって、奴隷貿易と奴隷制の歴史をたどっている途中で、タイムアウト。

2019年4月21日(日)

27日のWorld Wide Week@荻窪Bungaに向けて、チキリハ(チキリカ・リハーサル)。「ハランゴマ」の途中で、何かアフリカの詩を朗読することになり、『アフリカ詩歌選 愛と自然と女性の詩と』(登坂雅志訳編、花神社、1996)から、「風」というサン人の詩を選んだ。リハに行く直前に、たまたま手に取った本に載っていただけなのだが、昔人間だった風が、「今までのようにもう歩くことができな」くなり、「羽のある生き物になり」「何度も何度も食べる」というところが、まるでパーキンソン病ににかかり、ストレスから食べ過ぎてしまう自分の姿を表しているようで、可笑しかった。しかも、ひらげエレキテルとして、ブルースといっしょに空を飛ぶ歌(「空飛ぶブルース」)を歌っているし。何やら因縁じみたものを感じる。

本番の詳細は以下の通り。
World Wide Week世界中の音楽を聴こう!
荻窪 Live Bar Bunga
4/27(土) Open19:00 / Start19:20
Charge:1,500円(中学生以下無料)+1D
出演:
19:20-20:00 チャスチャイクスキシュ(トゥバ共和国の民謡・ホーメイ)
20:10-20:50 大関ジュンコ&佐藤智彦(アイリッシュ音楽・八重山民謡)
21:00-21:40 チキリカ+ケペル木村(南半球系)

みなさん、お誘いあわせの上、お越しください。

2019年4月20日(土)



新曲「五月病にならないために」。本人としては、パンク・ロックのつもり。

「五月病にならないために」

1234
五月
Go 五月
Go Go 五月
Go 五月

五月
Go 五月
Go Go 五月
Go Go 五月

きっとすべてが 変わるはずさ
新しい出会いが きみを待っている

五月
Go 五月
Go Go 五月 
Go 五月

カラ元気はこれまでだ

何をしたらいいのか
どうしたらいいのか
わからなくなっちまった
誰か教えておくれ

1234
五月
Go Go 五月
やけくそで 五月
Go Go 五月

五月
乗り切れよ 五月
五月
うー五月

2019年4月19日(金)

神奈川大、前期第二回目。文系「初級英語」×2は、不定詞の英作文をやったあとで、過去分詞の形容詞的用法の解説と練習問題。理学部「初級英語」はSVOCと五文型の解説。

2019年4月18日(木)

首都大「実践英語」×3、前期第二回目。SVOCと五文型について解説しながら、ところどころで、「ジャズとは何ぞや?」として、これから教科書で読むことになる、ジャズの捉えにくさ、定義しがたさと、ミクスチャー音楽としての歴史に触れた。最後には、ニューオリンズがジャズの都になった背景には、①南北戦争後、「ジョン・ブラウンズ・ボディ」(「丸い緑の山手線」「お玉杓子は蛙の子」)、「マーチング・スルー・ジョージア」(「らーめちゃんたらぎっちょんちょんでパイのパイのパイ」)などを演奏した北軍の軍楽隊が置いていった管楽器、②元フランス領~スペイン領であり、ラテン・アメリカと同じように、アフリカ直系のパフォーマンスが許されていたこと、③混血に一定の地位を与えるフランスやスペイン領から一転、一滴でもアフリカ人の血を受け継いでいれば「黒人」と見なされ、差別されるアメリカ領となったことで、転落したムラート(混血)がフランス・スペイン領時代に身に着けたクラシックの素養を持って、巷間に出ていったこと、④巨大な売春街ストーリーヴィルがあったこと、を挙げた。②③という条件のもと、混ざるはずのないアフリカ音楽と西洋クラシックが、ストーリーヴィル④を舞台に混ざり合い、ジャズとなって管楽器④からあふれ出した。

國學院「英語(再履)」×2、前期第二回目。首都大同様、SVOCと五文型について解説。6限と7限のクラスは同じ内容をやる予定だったが、両方履修している学生が何人かいるので、次週から内容を変えることにした。6限は予定通り、不定詞、動名詞、分詞など、動詞が形を変えたもの(準動詞)を中心に句について、7限は名詞節、副詞節、関係詞などを中心に節について扱い、それぞれ余った時間で受動態、比較表現、仮定法などをやる予定。

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國學院は伝統とポップの混ざり具合が極端で、ときどき行方を見失う。

2019年4月17日(水)

日本女子大、前期第二回目。「アカデミック・ライティング」は、パラグラフ・ライティングについて改めて説明したあと、トピックをリストアップして徐々に絞り込んでいくやり方について学び、2~3人のグループに分かれて、実際にトピックを絞り込む練習をした。「米大衆文化演習」は、「ブルースを読む」本編に入る前に、奴隷貿易と奴隷制の歴史を概説した。

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ある老人。

2019年4月15日(月)


明治学院「アメリカ研究」第二回目。のちほど映画を紹介するセネガルのミュージシャン=ユッスー・ンドゥールの「ネルソン・マンデラ」を聞きながら、授業開始。

中間航路の奴隷貿易は、人間を商品、「モノ」として扱っていた点で、それまでの奴隷制よりもはるかに過酷なものだった。いくつも残されている奴隷船の見取り図は、捕えられたアフリカ人が隙間なく詰め込まれた様子を示している。一説によると、奴隷一人当たりのスペースは、長さ180センチ、幅40センチ、高さ80センチほどしかなかったという。しかも、船内には彼らの排せつ物が溜まっており、悪臭が立ち込めるだけでなく、衛生的にもひどい状態だった。そんななかで、疫病にかかるなどして、命を落とすものも少なくなかった。

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奴隷が商品であるならば、死んでしまっては元も子もないのではないと思うかもしれない。しかし、そうではない。奴隷は損失を計算に入れたうえで運搬される「商品」だった。リンゴを例に考えてみよう。1個10円で仕入れたリンゴが100円で売れるとする。ただし、50個仕入れると30パーセントが腐り、100個仕入れると50パーセント腐ってしまう。それでも50個仕入れた場合には、(100-10)×50×0.7=3150円、100個仕入れた場合は(100-10)×100×0.5=4500円儲かる。それならば、半分腐るとしても100個仕入れて1350円余計に儲けようとするかもしれない。リンゴだからいいが、これが人間だったら、どうだろう?

ジュリアス・レスター奴隷とは』(1968)から、奴隷船の過酷な状況を示す証言をいくつか引用したあと、奴隷の集積地として発展したセネガルのゴレ島について、実際に行った時の印象を交えながら、現在の平和な様子と、冷たく暗い奴隷小屋の海側に設けられた「帰らずの扉」から船に詰め込まれた奴隷たちの悲惨な体験について語った。ユッスー・ンドゥール制作の映画『魂の帰郷』(2007)から、実際のゴレ島と奴隷小屋の様子、先祖が故郷から連れ去られた現場を目前にしたゴスペル・カルテット(ハーモニー・ハーモニアーズ)が、即興のゴスペルに思いを託して歌うシーンなどを見た。



アミスタッド号事件の話を挟んで、最後にアレック・ヘイリー原作のテレビドラマ『ルーツ』(1978)から、クンタ・キンテが奴隷狩りに捕えられるシーンを見た。

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夜中に一心不乱に美人画を描くようなおっさんにはなりたくなかった。

2019年4月14日(日)

「ただで缶ジュースが飲めるなんて・・・」「何?泣いてるの?」「缶無料です・・・」

「信長さまは、私が飲めないと知っていて、酒をすすめてくる。酒豪の勝家殿や、殿をおだてて逆に飲ませてしまうサルはいいが、このままでは私は・・・」「殿?」「・・・て、敵は本能寺にあり!」・・・下戸苦情。

ダジャレを買ってくれるサイトがあれば・・・


昨日のお花見の体験を踏まえ、桜目線で一曲つくってみました。「桜の気持ちも知らないで」

「桜の気持ちも知らないで」

私は桜 あなたのために咲きました
私は桜 こんなにきれいに咲きました
なのにあなたは お酒ばかり
お酒ばかり飲んで寝てしまう
桜の気持ちも知らないで

あなたの好きな お酒のうえに
わたしは花びら 落としたでしょう
あなたは気づくそぶりも見せず
残ったお酒を飲み干して
「もう一杯、焼酎!」

明日は雨の予報だから
次の春まで 会えないわね
私はいつもここにいるけど
あなたはきっと気づきもしない
私の気持ちも知らないで

私は桜 あなたのために咲きました
私は桜 こんなにきれいに咲きました

27日のWorld Wide Week@荻窪Bunga出演を控え、久しぶりのチキリハ(チキリカ・リハーサル)。はじめての横浜でのリハ。

2019年4月13日(土)

下北沢Laguna昼の部に、ひらげエレキテルとして出演。演目は、「空飛ぶブルース」「ぼくは変わらない」「ただいま」「ばあさんのサンバ」「かわいい子猫ちゃん」「きみのしあわせ」。聞いてくださったみなさん、ありがとうございました。共演のうたうやまねこさんとザ・バンドの話ができたのが、ちょっと嬉しかった。



ライブを終えたその足で、行きつけのバー「アゲイン」の花見に参加するため、日ノ出町へ。桜の名所=大岡川沿いに出ていたバルーン・アートの店『Le Lien』の屋台で、店長やマキちゃん親子、常連の斎藤選手と合流。ギターを取り出し、調子に乗って「かわいい子猫ちゃん」を披露。さらに調子にのって、屋台のお兄さんに『びびび』を進呈。常連たかしくんが合流して、「アゲイン」に移動するも、朝から活動しっぱなしのひらげは強烈な睡魔に襲われ、ダウン。1800円のつけを残して帰宅したのでした。

2019年4月12日(金)

テクノをLPで聞いていたあの頃・・・

神奈川大前期第一回目。文系「初級英語」(×2)、理学部「初級英語」ともに、國學院、首都大と同じ調子で自己紹介をし、授業の内容へ。「初級英語」2クラスは、シラバス通り、不定詞の解説と練習問題。「基礎英語」は、次回SVOC/五文型の予告として、英語の基本ルールである語順の重要性について話した。

2019年4月11日(木)

首都大学東京「実践英語」×3、前期第一回目。学生がクラスを選択できるよう、ひとクラスにつき3回同じガイダンスを行う。ぼくのクラスは例年通り、マーシャル・スターンズジャズの歴史』のうち、ジャズ生成期にあたる部分をもとにした教科書『ジャズの誕生』を読む。次週は、教科書に入る前に、英文法の基礎についてしっかり説明する。そこで手に入れた学んだSVOCや五文型といったツールを用いて、スターンズの悪文すれすれの難解な英語を読み解いていくのが、この授業の趣旨である・・・といったようなことを、自己紹介(「ひらげ」というあだ名の由来、エゴサの鬼であること、自主製作CDを出したこと、パーキンソン病患者であることなど)、ジンバブエの話などを交えながら話した。

國學院大學「英語(再履)」×2、前期第一回目。こちらは自作のプリントを使って、英文法を学んでいく授業だが、イントロダクションはジンバブエ話が増えたぐらいで、あとは首都大とほぼ同じ内容。再履のクラスということで、大学時代、英語を含む単位をいくつも落として留年したぼくのようなものでも、さすらいの非常勤講師として、何とか食べている。長い人生のなかで、単位の一つや二つ落とすことは大したことではない・・・が、大学を卒業するつもりなら、必修科目の英語はどこかで単位をとらなければならない。じゃあ、いつとるの?今でしょ!(←もう少し古い)。ぼくのクラスは、授業でやった問題しかテストに出さないし、単位を取るのは比較的楽だと思う。

2019年4月10日(水)

地獄にホットケーキ。

日本女子大、前期第一回目。3限「アカデミック・ライティング」は、シラバスに沿っておおよその授業の流れを説明。最終エッセイに向けて、身に着けるべき知識として、①英語の基本的な文法、②パラグラフ・ライティング、③アイディアのまとめ方、④%AD%A6%E5%8D%94%E4%BC%9A" target="_blank">MLA書式をあげた。

4限「アメリカ大衆文化演習は、昨年度からはじめた「ブルースを読む」授業。自作のプリントを見ながら、ブルースを特徴づける要素や、ブルースをめぐる様々な言説を概観した。ブルースの特徴としては、奴隷制時代の集団の歌(スピリチュアルワークソング)に対して、奴隷解放後に生まれた「個人の歌」であること。個人の歌とは言っても、コミュニティと切り離された音楽ではなく、コミュニティから常套句(フローティング・ライン)を引き出し、個人の体験を軸にコミュニティの人びとの共感を求める表現であること。音楽的には、ブルーノート音階とセブンス・コードという不安定な要素を中心に構成され、常に変化していく動的な特徴を持っていること。歌われている内容は、多くが悲しく憂鬱なものだが、憂鬱なだけではブルースにならないこと。人格化された「ブルース」が敵か味方かわからない両義的な存在、トリックスターとして登場することからもわかるように、ブルースでブルースを追い払うパラドクシカルな構造を持っていること(落語の「死神」を思わる)。そして、それはロバート・ジョンソンのシルクロード伝説で名前が知られるようになった、ヴードゥーの十字路の神レグバトリックスター的性質と響きあうものであるかもしれないこと・・・と、多少眉唾な話も含め、ブルースについて持論を語った。


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2019年4月9日(火)

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アンバランスだけど、ステキなお家。

2019年4月8日(月)

明治学院「アメリカ研究」、前期第一回目。イントロダクション。

ジェイムズ・ブラウンセイ・イット・ラウド、アイム・ブラック・アンド・アイム・プラウド」を流しながら、授業開始。

例年同様、何人かの人物の写真を見せて、それぞれアフリカ系アメリカ人/黒人かどうか訊いた。ほとんど「白人」に見える容姿を持ったレナ・ホーンジーン・トゥーマーが、先祖に一人でもアフリカ人がいれば黒人と見なされる「ワン・ドロップ・ルール」の下では「黒人」であることに驚いた学生も多かったようだ。この二人ほどではないにせよ、キャサリン・ダーナムチャーリー・パットンタンパ・レッドも、いわいる「黒人」のイメージからはほど遠い。パットンの髪は滑らかなブロンドであったと言われている。タンパ・レッドという通称も、肌の色が薄かったことに由来するのだろう。しかし、ハイチのブードゥーの儀式を参考に、アフリカ系アメリカ人のバレエを確立したダーナム、デルタ・ブルースの父と言われるパットン、スライド・ギターの名手だったタンパ・レッドは、アフリカ系文化の発展に大きく寄与した「黒人」である。

「ワン・ドロップ・ルール」のような制度とは別に、アイデンティティを決定づけるもうひとつの重要な要素が、本人の選択である。ほとんど白人に見える黒人のなかから、白人として生きようとするものが現れるのは、驚くに当たらない。このように人種を偽って生きることを「パッシング」という。とはいえ、パッシングして生きることは、そう簡単ではない。出自がばれないように、黒肌を持つ親類とは縁を切らなければならないのだ。現在のアメリカの国勢調査では、人種欄は自己申告制になっている。つまり、自分でアイデンティティを選べるようになったのである。学生に見せた写真のうちの一枚は、フィル・ライノットのもの。ロック・バンド=シン・リジーのヴォーカリスト/ベーシストであったライノットは、母親がブラジル人、父親がアイルランド人であった。ブラジルでは、黒人か白人かということにあまりこだわらないので、ライノットの母方にアフリカ系の人物がいる可能性はある。しかし、それよりも重要なのは、かれが「アイルランド人」というアイデンティティを選択したということである。アイルランド人として生きることにしたライノットは、ハードロックに祖国の音楽を取り入れ、『ブラック・ローズ』といった名作を生み出していく。

「初の黒人大統領」であるバラク・オバマが「黒人」であることは論を待たない。ワン・ドロップ・ルールを適用すれば、ケニア人留学生を父に持つオバマは「黒人」である。しかし、彼がアフリカ系アメリカ人かどうかということになると、どうか。「アフリカ系アメリカ人」という呼称は、数百年前にアフリカから奴隷として連れ去られてきた人びとを指して使われる。長い年月を経て、アフリカのどの地域の出身かはもはやわからないし、当時、現在のアフリカの国家はなかった。だから、ひとまとめに、「アフリカ系」と表現される。しかし、現代になって渡米したオバマの父の場合、どの地域、どの国から来たかわかっており、「アフリカ系」ではなく、「ケニア系」と呼ぶべきである。別な角度から見ると、「アフリカ系アメリカ人」は、奴隷制と人種差別という苦難の歴史を共有することが、アイデンティティの基礎になっている。そこには、ケニア人留学生の息子が入りこむ余地はないはずである。実際、アフリカ系アメリカ人を代表する指導者の一人であるジェシー・ジャクソンは、長い間、オバマに対する不信感を公言していた。しかし、黒人初の大統領となったオバマは、アフリカ系アメリカ人にも受け入れられているように見える。そこでは、ミシェル・オバマ夫人の果たした役割が大きかった。彼女は夫を自分の通う教会につ入れて行き、コミュニティに溶け込ませた。こうした夫人の努力と、コーディネーターとしてシカゴのゲットーに入りこんでいったオバマ自身の行動が、彼を「アフリカ系アメリカ人」にしたのだ、ということもできる。

もちろん、人種というカテゴリーは、根本的には意味のないものである。人種という区分けが科学的には何の根拠もないものであることが、現代では常識になっている。だから、自分は白人でも黒人でもなく、ただのアメリカ人であると考えようとした晩年のジーン・トゥーマーは正しい。ただ、どんなに根拠のないものであっても、歴史的に常識として通用してきた「人種」というカテゴリーは、現代社会でも力を持っており、無視するだけでは、その呪縛から逃れることはできない。オバマは自伝で、学生時代、黒人の友人と「白人連中」を罵ったあと、母親の顔を思い出して、居心地の悪い気分になったことを告白している。ケニア系の父と、いわいる「白人」の母の間に生まれたオバマの存在は、「人種」というカテゴリーの無効を示すはずだが、その彼が学校では黒人サークルのなかで行動し、やがて「初の黒人大統領」になっていくのだから皮肉なものだ。

授業では、このあと、デュボイスが指摘したアフリカ系アメリカ人の二重意識ブラック・ナショナリズムの功罪、マルコムXが「黒人」という言葉を、抑圧された人びと、植民地化された人びとを表すために使っていることなどについて、述べた。

2019年4月7日(日)

日吉Napで、浜野誠さんの企画『浜野誠Presents Song Writng Day〜はじまり〜』に、ひらげエレキテルとして出演し、11曲歌ってきました。演目は、「空飛ぶブルース」「ぼくは変わらない」「ただいま」「かわいい子猫ちゃん」「ばあさんのサンバ」「白髪紳士」「死神のブルース」「ブギをはじめよう」「行こうよ」「きみのしあわせ」「ピーチ・ジョン」。おそらく、新年号にちなんで課せられた、「はじまり」をテーマにした新曲を披露するというミッションに対して、年号の切り替えにしっくりこないものを感じているヒネクレモノのぼくは、「はじまらない」という内容の歌(「ぼくは変わらない」)で答えた。そのかわり、すでにあるオリジナルのなかから、「はじまり」を思わせる曲を2曲(「行こうよ」「ピーチ・ジョン」)を披露した。「ばあさんのサンバ」~「ブギをはじめよう」には、大ちゃんことピアニストの赤澤大輔さんと、コーラスで浜野さんにも参加してもらった。ぼくのいんちきサンバに、するっと洒落たピアノを添える大ちゃんが素晴らしい。共演は浜野さん+大ちゃんと、初共演の裵秉冑さん。どちらも素晴らしい歌で、ひらげタジタジ。

浜野さんと餃子屋で打ち上げていると、BGMのジャズが不思議な選曲なので気になった。歌謡曲やニューミュージックなんかをジャズ風に演奏するというのは珍しくないが、「雪国」や「ソーラン節」、「また逢う日まで」といった、比較的誰でも知っている曲に、サディスティック・ミカ・バンド「どんたく」、井上陽水「小春おばさん」が混ざっている。「タイムマシンにお願い」や「心もよう」でないところが、単なる企画ものではない、演奏者の趣味嗜好が入っていることを思わせる。お店の人に聞いたら、PE'Zというジャズバンドの『日本のジャズ』というアルバムだった。

体調があまり良くなかったので、オレオさんに車で迎えに来てもらった。お礼に、こんど披露するというオリジナルのブルースにアドバイスする。ぼくのようなものに、アドバイスする資格があるかどうかは別にして、話しているうちに、大切なポイントが見えてきた。まずはリズムだ。ウォーキングベースなどしなくてもいい。コードの低音部を弾くだけでも、ガッガガッガガッガガッガというリズムがしっかりしていれば、ブルースは成り立つ。そこに三連でブリッジとなるキメのフレーズを入れれば、上出来だ。細かいテクニックとかは、それからだ。

2019年4月6日(土)

火のないところに、スモーク・オン・ザ・ウォーター。

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古今亭志ん生。芸を極めた故なのか、この人の顔は、もう半分、異界のものといった感じがする。大河ドラマでこの人を演じているビートたけしは、噺はともかく、顔が似てきているような気がする。

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三遊亭圓生。こちらの師匠も目がいっちゃってる。

2019年4月5日(金)

大学時代のバンド=The Nageyariiのライブ・ビデオが出てきたので、デジタル化してYoutTubeにアップした。29年前の映像。当然のことながら、みんな若い。自分について言えば、気持ち悪いほど痩せている。動きもとんちんかんだが、シャープだ。

2019年4月4日(木)

音楽において、テクニックとか知識とかいうのは、あっていいものだけど、それが目的じゃない。それらは生贄に出されるべきものという気がする。

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ロン・ストールワースブラック・クランズマン』(Black Klansman、2014、鈴木沓子・玉川千絵子訳、丸屋久兵衛監修、PARCO出版、2019)を読み終わった。現在日本で公開中のスパイク・リー監督の映画『ブラック・クランズマン』(2018)原作。黒人捜査官が、クー・クラックス・クランに潜入捜査。

コロラドスプリング市初の黒人警察官であり、麻薬潜入捜査官だった著者は、新聞広告に掲載されていたKKKの連絡先に白人になりすまして電話をかけ、思わず口にした本名で、悪名高き白人至上主義団体の潜入捜査を始める。もちろん、実際にKKKのメンバーと接触する場合には、白人の同僚が「ロン・ストールワース」になりすますことになる。なぜ、こんな危うい綱渡りをしなければならなかったのか、同僚にすべてを任すことはできなかったのか、疑問は残るが、ともかく、この奇妙な捜査手法が、KKKのマヌケさを明るみに出し、新しいKKKのカリスマ的指導者であったデイヴィッド・デュークをはじめとする人種差別主義者たちをコケにする喜劇を生み出したことは、実に愉快だ。憎悪を煽ることによって注目を浴びようとするものは、笑いものにするのがいちばんいい。とりわけ、デュークが「黒人が白人のふりをして電話をしてきても、話し方ですぐわかる」と、電話でストールワースに得意げに話したり、警察に知られてはならないKKKの活動予定を、相手が潜入捜査官であるとも知らずにぺらぺらとしゃべってしまう件は痛快である。

一方で、ストークリー・カーマイケルが演説をするブラック・パワーの集会に潜入調査を命じられたことからもわかるように、黒人であり、警察官である著者の立場は、微妙である。警察がしばしばマイノリティの敵と映り、先鋭的な黒人組織がしばしば警察との対決をいとわないような社会にあっては、対決を回避し、治安を守ろうとする中立的な立場であっても、権力の側に立った警察官は、裏切り者と見なされかねない危うい存在だ。それでいて、カーマイケルの熱いスピーチに魂を揺さぶられている自分もいる。著者はのちに、同じ警察官としての権力を使って、デュークら人種差別主義者にも一泡吹かせるのだが、白人の男性を撃ち殺した黒人少年を守ろうとする運動に対する態度に見られるように、彼は黒人の側に立つ運動であっても、人種に関連付けることが適当でないと思うときには、はっきりそう主張する。これが、よくある態度ではないことは、おばが創設者の一人である教会が主導する運動に反対することで、ストールワースが裏切り者になってしまうことからも明らかである。このあたりのいきさつが、現代アメリカ社会において、人種による区分けに絡み取られた白人コミュニティと黒人コミュニティそれぞれが抱える病理を露わにしている。スパイク・リーの映画で、こうした問題がどのように描かれているかも、興味深い。

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キヨシロー

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ベニスの風景。

2019年4月3日(水)

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エルヴィス・コステロ

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グルーチョ・マルクス

2019年4月2日(水)



新元号の発表を受けて、一曲つくった。

ぼくは変わらない

この国はまた変なタイミングで
時代が変わっていく
戦争に負けても
看板ひとつ取り替えなかったのに
雨のエイプリルフールに大画面を見上げ
決められたものを粛々と受け入れていく

全部冗談だよ エイプリルフールだよ
そういわれるのをじっと待っていたけど
この国はやっぱり 引きずっていたものを
断ち切ろうとしている
廃墟になった原発ひとつ 片付けられないまま

水に流しておくれよ
オレとお前のなかじゃないかと
安い酒をすすめながら
にじりよってくる

ああ、時代が変わっていく
ずるずると世間を巻き込みながら
時代がかわっていく
だったらぼくは変わらないでいよう

ああ、時代が変わっていく
ずるずると世間を巻き込みながら
時代がかわっていく
だったらぼくは変わらないでいよう

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デヴィッド・クロスビー

2019年4月1日(月)

新元号は「令和」・・・やっぱり、すごい違和感。「れい=0は、わ=0」と考えて、スパイかサイボーグのように、001年、002年と表記しようか(何だそりゃ)。英語表記がReiwaなのか、Leiwaなのかで、混乱が生じる可能性はあるな。ちなみに、Wikipediaでは、Reiwaと表記されている。

ふと思いついたギター・インストを録音してみた。

Father 55932453_2821273054557421_80187401095515 父                         母

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