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2018年7月31日(火)


「うそ」と言えば、「折れた煙草の吸殻で あなたの嘘がわかるのよ」の中条きよし。あんな傑物に適うわけがないのですが、同じタイトルで曲を作ってみました。

いっしょに暮らそう
きみがぼくの嘘を愛してくれるなら
何も怖いことなんかないさ

愛し合おう
きみがぼくの嘘を笑ってくれるなら
何も怖いことなんかないさ

笑い合おう
きみがア僕の嘘を見抜いてくれるなら
何も怖いことなんかないさ

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ブルーノート東京に、シェウン・クティのライブを見に行った。2012年11月20日に渋谷クラブ・クワトロで見て以来。そのときは巷間言われるように、亡父フェラの音楽を受け継ぐのは、兄フェミではなく、バンドを譲り受けたシェウンだと思いながらも、ちょっと息みすぎじゃないの、とも思った。何しろ、のっけからフェラの代表曲「ゾンビ」だし、アフロ・ビートが正統なアフリカン・ミュージックであることを力説したりしていたから。6年経って、肩の力も抜け、シェウンはときどきみんなに突っ込まれては笑いが止まらない、ボケキャラを確立していた。もちろん、ポリリズムはより力強く。「ゾンビ」はやらなかった。そして、上半身をはだけた肉体の美しさ。すべてが圧倒的だった。こうなると、傍流となり、独自の道を歩むフェミの音楽も気になる。どちら派かなんて聞くのは野暮。ぼくはどちらも好きだ。

2018年7月29日(日)

プロのミュージシャンは、素晴らしい演奏で観客を魅了するにせよ、下手くそな演奏をサポートするにせよ、シロウトが音楽を楽しめるよう導くために存在する、という見方は傲慢だろうか。だからこそ、尊敬するのだが、プロのミュージシャンの素晴らしい演奏に打ちのめされて音楽をやめる必要なんか、これっぽっちもない。シロウトはシロウトらしく、のびのびと笑。おーれは、ジャイアーン!(ジャイアンの歌は本当にそんなにひどいのだろうか。のび太をはじめとするあの町の連中に彼のブルースが理解できなかっただけ、という可能性はないだろうか)

2018年7月8日(日)

新曲「となりの客」。ジャズ童謡としゃれてみた。

となりの客は 柿食う客だ
となりの客は よく柿食う
となりの客は 柿食う客だ
お腹を壊して 当たり前

甘柿 渋柿 あんぽ柿
朝昼晩と柿ばかり
甘柿 渋柿 あんぽ柿
そりゃあ、お腹も壊すがな
そりゃあ、お腹も壊すがな

桃クリ三年 柿八年
八年前から待っていた
桃クリ三年柿八年
ずっと前から待っていた
これが食わずにいられよか
これが食わずにいられよか

となりの客は 柿食う客だ
となりの客は よく柿食う
となりの客は 柿食う客だ
お腹を壊して 当たり前
お腹を壊して 当たり前

2018年7月7日(土)

ボブ・ディラン「くにょくにょするなよ」

パーキンソン病になって考えるようになったのは、自由と束縛の矛盾した関係である。神経伝達物質が出なくなるということは、ある意味、身体が脳の支配から解放されることであると言えるかもしれない。しかし、その結果、身体が感じているのは、どうにもならに不自由さだ。方向性を見失った身体は、ばらばらになりそうな感覚を覚えつつ、後ろから見えない何かに羽交い絞めにされいているような束縛を感じる。ときどき、「うわああ」と叫んで振り払いたくなるのだが、もちろん、そんなことをしても何も変わらない。自由はある統率のもとに構成されて、初めて存在するのだなと思う。だからといって、全体主義に鞍替えするわけではないが。

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