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2018年5月31日(木)

アナグラム「ダウ平均株価」と「うへ、開花気分だ」

首都大非常勤、前期第六回目。『ジャズの誕生』をテキストにしたリーディング3コマ。ダオメの儀式を例に、ポリリズムを解説する部分を読んでいるので、ダオメ王国の古都アボメイで撮影されたジンリという太鼓アンサンブルの動画を見ながら、授業開始。テキストの内容は、「ピークに達すると、その音は無秩序な空気圧搾ドリルの組み合わせのように聞こえるかもしれない。その音楽はポリリズム的である。すなわち、二つ以上の別のリズムが同時に演奏される ― (リズムの数は)5つや6つになるかもしれない。西アフリカ音楽の共通の基盤は、拍子記号でいうところの、4分の3拍子、8分の6拍子、4分の4拍子の組み合わせである。それは、まるでオーケストラが、同じ曲をワルツ、ワン・ステップ、フォックス・トロットとして演奏するようなものである ― それも全部同時に。そして、もちろん、歌や、手拍子足拍子がさらなるリズムの複雑さを加える」 「拍子記号でいうところの」というのはぼくの意訳である。最初は、「拍子記号の組み合わせ」と書く作者の意図がわからなかったのだが(拍子記号ではなく、リズムの組み合わせだろう?と思ったのだ)、アフリカには「拍子」の概念がなく、「3つの拍子の組み合わせ」というのが、西洋の採譜法を前提としたものである。そのことを示すために、作者マーシャル・スターンズは、わざわざ、「(西洋の)拍子記号(でいうところの)」という言葉を入れたのだ。実に手が込んでいる。

2018年5月30日(水)


最近、似たような案件が多過ぎて、何に対する皮肉か分かりにくいきらいはありますが、新曲はカリプソにしてみました。「山羊さんのお手紙」。

黒ヤギさんから お手紙着いた
白ヤギさんたら 読まずに食べた
黒ヤギさんから お手紙着いた
白ヤギさんたら 読まずに食べた
ホントは読んでいたけど 読まないことにして食べた
ホントは読んでいたけど 読まないことにして食べた

白ヤギさんは 手紙を持ってた
大事に控えを残しておいた
白ヤギさんは 手紙を持ってた
大事に控えを残しておいた
もう嘘はつけない もう嘘はつけない
もう嘘はつけない もう嘘はつけない

白ヤギさんは 何を頼んだの?
黒ヤギさんは 忘れちゃったの?
白ヤギさんは 何を頼んだの?
黒ヤギさんは 忘れちゃったの?
忘れるはずがないでしょう 忘れるはずがないでしょう
忘れるはずがないでしょう 忘れるはずがないでしょう

日本女子大非常勤、非常勤前期第八回目。3限「アカデミック・ライティング」は、エッセイ全体の構成が、パラグラフの構成とパラレルになっていることを確認して、エッセイのアウトラインをつくる練習。4限「アメリカ大衆文化演習」では、ポール・オリヴァー編集のConversation With Bluesから、リル・サン・ジャクソンの証言を読んだ。収穫を「山分けすることになっている」(実際には、地主がほとんどを持って行ってしまう)シェアクロッピングしか生きる道のない南部黒人の状況を語った後で、ジャクソンが歌うのがギャンブラーのブルースなのはなぜなのか。こつこつ働く農夫と、一獲千金のギャンブラーは一見すると対照的だ。世間の評価もたぶんそうだろうし、多くの人が苦しい生活から逃れることを夢見てギャンブルに手を出すのだろう。しかし、最後に持ち金を根こそぎ持っていかれるという意味では、両者は大して変わらない。そうした連想が、ジャクソンにギャンブラーのブルースを歌わせたのではないか。説教もブルースも変わらないと言ったサン・ハウスと同じ、本質を見極める視点がここにはある。

2018年5月29日(火)

アナグラム。「うこんのちからなんですっ」と「なんで、うんこちらかすのっ」

2018年5月28日(月)

副腎漬け。


アフリカン・ジャズ風の新曲インスト「一種のアフリカン・ジャズ」完成。

明治学院非常勤、前期第七回目。「アメリカ研究」は、南北戦争へと向かうアメリカの歴史。16世紀後半から19世紀前半にかけてのアメリカは、領土拡張の時代だった。トーマス・ジェファソンの時代に、ルイジアナと呼ばれる西南部の広大な土地をナポレオンのフランスから購入した(ルイジアナ購入、1803年)のを皮切りに、テキサス併合(1845年)、対メキシコ戦争(1846-8年)などによって、アメリカは西へ西へと領土を拡大していく。やがて、新たな領土の開発が進み、準州から州へ昇格するときに、その州を奴隷州として南部の陣営に加わるのか、自由州として北部の陣営に加わるのかが問題になった。農本主義を志向する南部と、商工業に活路を見出す北部は、あらゆるt年で対立したが、その焦点となったのが奴隷制であった。上院では、人口比に関わらず、各州に2議席が割り当ており、新たに生まれた州がどちらの陣営に加わるかによって、南北のバランスが崩れないように、南部と北部は妥協をくり返した。北緯36度30分線以北に奴隷州を認めないとしたミズーリ協定(1820年)自体、ミズーリ州を例外として奴隷主とする代わりに、コネチカット州からメーン州を分離させ、自由州を一つ増やすという妥協を伴うものだった。

こうした南部と北部の取引に最も振り回されたのが、黒人奴隷の人たちであった。とりわけ、1859年、対メキシコ戦争で獲得したカリフォルニアを自由州として昇格させる代わりに、逃亡奴隷法が強化されたことは、奴隷制廃止論者たちに衝撃を与えた。テキサス・ネブラスカの州昇格に際しては、地涌集荷奴隷手かの判断は住民の判断にゆだねられることになり、当地域は奴隷制廃止派と存続派によって、血で血を洗う内戦状態となった。その闘いのなかから、頭角を現したのが、ラディカルな奴隷廃止論者であるジョン・ブラウンだった。1859年、ブラウンは、仲間と共に、ハーパーズ・フェリーにあった連邦軍の武器庫を襲い、革命を起こそうとするが、鎮圧され、絞首刑になるが、彼の存在は「ジョン・ブラウンの屍」という歌となって、北軍の兵士を奮い立たせることになる。

1860年、奴隷制拡大反対派が大同団結した共和党から、リンカーンが大統領に当選すると、南北の対立は極限まで高まり、南部諸州が連邦から脱退。ジェファーソン・デイヴィスを大統領にして、アメリカ連合国として分離独立を宣言する。南部連合に参加したサウス・カロライナ州は、州内にあった連邦側のサムター要塞を攻撃。これにリンカーンが救援を決定し、南北戦争がはじまった。っ子の戦争の結果、奴隷解放宣言が出され、奴隷制に終止符が打たれたことは事実である。しかし、リンカーン自身が語っているように、戦争の目的は奴隷を解放することではなく、連邦を守ることにあった。

4限、3年次ゼミは、先週水曜日の日本女子大同様、ポール・オリヴァー編集のConversation With Bluesから、シェアクロッパーの先行きの見えない状況を語るウェイド・ウォルトンの告白を読んだ。

國學院非常勤、前期第七回目。英語で落語を読むリーディングの授業2コマ。三遊亭圓生「死神」の動画を見せた。「時そば」を訳し終わった人から、英語版「死神」のテキストへ。

2018年5月27日(日)


ニューオリンズの行進曲的なイメージで作った新曲「山のうえに登って」、完成。

山のうえに登って
明日の夢を見よう
山のうえに登って
明日の夢を見よう
正午のチャイムが鳴る前に
山のうえに登って
明日の夢を見よう

山のうえに登って
きみの夢を見よう
山のうえに登って
きみの夢を見よう
正午のチャイムが鳴る前に
山のうえに登って
きみの夢を見よう

山のうえに登って
二人で見たよね
山のうえに登って
二人で見たよね
いつかの暑い夏の夏の日に
山のうえに登って
二人で見たよね

山のうえに登って
二人で笑った
山のうえに登って
二人で笑った
いつかの暑い夏の日に
山のうえに登って
二人で笑った

山のうえに登って
明日の夢を見よう
山のうえに登って
明日の夢を見よう
正午のチャイムが鳴る前に
山のうえに登って
明日の夢を見よう

2018年5月25日(金)

体調がすぐれず、神奈川大の授業を休講に。夕方には回復。学生には申し訳ないことをした。


アリ・ハッサン・クバーン風の新曲「オコリンボ・マンボ」、完成。

オコリンボ オコリンボ・マンボ
オコリンボ オコリンボ・マンボ
オコリンボ オコリンボ・マンボ
オコリンボ オコリンボ・マンボ

わかってます わかってますよ
昨日のことでしょ
わかってます わかってます
ぼくが悪かった
わかってます わかってます
まだ怒ってるの?
わかってます わかってます
反省してます

オコリンボ オコリンボ・マンボ
オコリンボ オコリンボ・マンボ
オコリンボ オコリンボ・マンボ
オコリンボ オコリンボ・マンボ

ごめんなさい ごめんなさい
全部ぼくぼせい
ごめんなさい ごめんなさい
ぼくがわるかった
ごめんなさい ごめんなさい
こっちをむいてよ
ごめんなさい ごめんなさい
嫌いになったかい?

オコリンボ オコリンボ・マンボ
オコリンボ オコリンボ・マンボ
オコリンボ オコリンボ・マンボ
オコリンボ オコリンボ・マンボ

そうさ、きみの言う通り
ぼくが悪かった
そうさ、きみの言う通り
ぼくが言い過ぎた
そうさ、きみの言う通り
ぼくはいつもそう
そうさ、きみの言う通り
全部ぼくが悪い

オコリンボ オコリンボ・マンボ
オコリンボ オコリンボ・マンボ
オコリンボ オコリンボ・マンボ
オコリンボ オコリンボ・マンボ

2018年5月24日(木)

首都大非常勤、前期第五回目。『ジャズの誕生』をテキストとするリーディング3コマ。ルイ・アームストロングの歌う「(ホワット・ディドゥ・アイ・ドゥ・トゥ・ビー・ソー)ブラック・アンド・ブルー」を聞きながら、授業開始。「殴られて痣だらけ」というスラングと、「黒人で、憂鬱である」という意味をかけ、黒人であるがゆえに受ける不条理を歌ったこのブルースが、前々回、陽気なエンターテナーとしての姿を見せたファッツ・ウォーラーの作品であること、アフリカ系アメリカ人の音楽には明るい表面の下に、悲しみや怒りが存在すること、などについて話した。テキストは、ジャズと西アフリカ音楽の共通点をリズムに求めていく部分。「おそらく、もっとも明白な類似点は、リズムである。西アフリカの部族民(※ぼくは「部族」という言葉は使わない)がジャズを好きになるということではない。混淆が進みすぎていて、好きになれないだろうから。しかし、ダオメの部族(※しつこいようだが、ぼくはこの言葉は使わない)の儀式を取り上げてみよう。音楽家たちがガラガラや、鐘などの打楽器を演奏し、部族民(※使いませんよ)が踊ったり、歌ったり、手を打ち鳴らしたり、足を踏み鳴らしたりする。しかし、中心となる楽器は太鼓 ― 普通は音楽学者に「太鼓の聖歌隊」として知られている3つの太鼓のセット ― である。というのも、神は太鼓を通じて話し、踊り手は太鼓と面と向かい、部族の人たち(※使わないってば!)がその周りをとり囲むからである」

ひらげエレキテルとして、江古田マーキーに出演しました。演目は、「デート」「まあるいお月さま」「カワイイ子猫ちゃん」「いつ死んでもいいように」「ゴミの日」「すっぽんぽん節」。打ち上げで、共演のあなん和也さんの面白さが爆発。こんな楽しい日はめったにない。

2018年5月23日(水)

日本女子大非常勤、前期第七回目。3限「アカデミック・ライティング」は、前期エッセイについて、自分が興味を持っているトピックについて発表。卒論でも書けそうながっつり専門的なテーマのものもいれば、身近なテーマで書こうというものもいる。この段階では、それをどう発展させ、構成するかが課題。

4限「アメリカ大衆文化演習」は、「ブルースを読む」。先日、邦訳『ブルースと話しこむ』も出た、ブルースマンのモノローグをポール・オリヴァーが編集したConversation With Blues,から、前借りの返却で収入が消えていく、シェアクロッパーの先行きの見えない生活を語るウェイド・ウォルトンの告白を読んだ。地主がシェアクロッパーに、「お前はよく頑張ったよ、自分でも頑張ったと思うだろう?でも、前借りを差っ引くとこの額になっちまう」と、保護者面で語りかけるところが、いかにもといった感じだった。

2018年5月22日(火)

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今日のお絵描き。ビクトル・ムーアのジャンク城

2018年5月21日(月)


太田さんとの共作曲「お化粧」、いろいろ手直ししてみました。これが本当の化粧直し。


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明治学院非常勤、前期第六回目。3限、「アメリカ研究」。前半は、ナット・ターナーを中心に奴隷の反乱について。ナット・ターナーの反乱(1831)は、奴隷制という非人道的な制度の当然の結果とはいえ、老人や幼い子供を含む白人を悉く殺害した残虐さを、正当化することにはためらいもある。アフリカ系アメリカ人が彼を英雄視することは理解できるとしても、アフリカ系アメリカ人ではないぼくの個人的な立場からすると、彼の暴力を無条件で受け入れることはできないし、受け入れてはいけないのではないかと思う。しかし、一方で、獄中のナット・ターナーから直接話を聞いた話をもとに書かれた「ナット・ターナーの告白原本」における、作者トーマス・グレイによるターナーの人物評には、反乱者を狂った悪鬼として描くという彼に課せられた責務から外れる、誇り高き人間としてのターナー像が紛れ込んでいる。白人の弁護士ですら認めざるを得ない英雄的な側面が、ターナーのパーソナリティにはあったということだろうか。

後半は、「人種混交」について。「人種混交」という言葉自体、人種間の性交渉をタブー視する中から生まれた言葉であり、人種という概念が正当性を失った現在、死語となるべき言葉ではあるのだが、歴史上の、あるいは現在も残る偏見を表す言葉として、あえて使用したい。南北戦争直前に、出された人種混交を肯定するパンフレットは、奴隷制に賛成する民主党側の新聞によって、人種混交に対するアレルギーを刺激すべく書かれたものだった。このように、人種間の性交渉については、強いタブー意識があったが、それにもかかわらず、奴隷主のなかには、奴隷の女性と性交渉を持ち、性欲を満足させるとともに、生まれた子供を奴隷にするものが絶えなかった。

アメリカ合衆国第3代大統領3%95%E3%82%A1%E3%83%BC%E3%82%BD%E3%83%B3" target="_blank">トーマス・ジェファソンが、奴隷の女性サリー・ヘミングスと関係を持ち、二人の間に子供がいるという噂は、彼が最初に大統領に立候補した時からあり、黒人初の小説と言われるウィリアム・ウェルズ・ブラウンの『クローテル:大統領の娘』(1851)や、バーバラ・チェイス・リボウの小説『サリー・ヘミングス』(1979)など、文学作品の題材にもなってきた。90年代に入って、DNA判定が行われ、ジェファソンの子孫であると主張する黒人男性と、ジェファーソン家の男性のY染色体が一致すると、この噂は俄然信憑性を増すと、全米で大きな反響があり、サリー・ヘミングの名前は広く知られるようになった。

ジェファソンは奴隷制廃止すべきと考えるリベラルな人物である一方で、100人以上とも言われる奴隷を使って農場を経営すプランターでもあった。また、『ヴァージニア覚書』(1781)などに記された彼の人種偏見には看過できないものがある。ヘミングスの関係は、ジェファソンの人物像を明らかにするとともに、アメリカ南部の特殊な家族制度をも明るみに晒す。ヘミングスは、ジェファソンの早逝した白人の妻マーサの父親が奴隷の女性に産ませた子供である。つまり、ヘミングスにとってジェファソンは異母姉妹の夫であり、奴隷の主人であり、愛人でもあったということになる。こうした複雑な家族関係が、現代のアメリカ社会の基礎にあるということは、興味深い。

4限の3年ゼミは、「ブルースを読む」。先週水曜日の日本女子大の授業同様、サン・ハウスの「マイ・ブラック・ママ」と、ロバート・ジョンソンの「最後の審判が俺のものになるならば」を読んだ。日本女子大の授業同様、ロバート・ジョンソンが最後の審判を自分のものにしてまで、復讐したかった相手とは誰なのか。ブルースは怒りの表現であるという思いを強くした。

國學院非常勤、前期第六回目。英語で落語を読む。

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今日のお絵かき。星空の下。

2018年5月20日(日)

生活、道楽&ロックンロール

ロックンローラーは不健康と言うイメージがあるが、50すぎたら何もしなくてもたいがい不健康だ。つまり、ロックンローラーとしてのピークは50すぎてから、ということだ。

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今日のお絵描き。レスター・ヤング

2018年5月19日(土)

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今日のお絵描き①。オデッタ。オデッタがある種の仏に見えることがある。

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今日のお絵描き②。マディウルフ

2018年5月18日(金)

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今日のお絵描き。べい太郎師匠とSelfishのみなさん。

神奈川大非常勤、前期第五回目。初級英語3コマ。過去分詞の形容詞的用法のテスト。thatの見分け。

2018年5月17日(木)

ヒデキが!?

首都大非常勤、前期第四回目。『ジャズの誕生』をテキストとするリーディング3コマ。ディジー・ガレスピーの「ソルト・ピーナッツ」を聞き、ジャズと言葉遊びなどについて雑談をしながら、ゆるゆると授業に入る。テキストの内容は、「ジャズをヨーロッパと西アフリカという二つの偉大な音楽の伝統が、アメリカ合衆国において300年に渡って混ざり合った結果であると仮に定義してみよう。すると、ヨーロッパのものが支配的な音楽文化にあって、ジャズを他とちょっと違う、すぐに認識できるものにしている特質は、おそらく西アフリカと関係があるということになる」「ジャズと西アフリカ音楽の関係はどんなものだろうか?」 前回読んだところで、「ジャズは言葉で語るよりも、存在を認識するほうがずっと簡単だ」と書いて、言葉で語る本というメディアの自己否定ではないかと心配させておいて、「認識しやすさ」のなかに、言葉で説明するきっかけを見出す。見事な縄抜けである。この本、やっぱり面白いや。

2018年5月16日(水)

23世紀、ある大学教授の日記。

So what on ya got or lost sad night

20世紀末から21世紀初頭に生きたひらげエレキテルという人物の残したテキストが、どうもわからない。語彙的に見て、英語であることは間違いなさそうだが、文法的には破格だ。エレキテル氏の第一言語は日本語だが、大学で英語を教えていた経歴もあり、単なる間違いとも思えないのだが。もしや、何らかの予言じみたメッセージが込められているのかもしれない。時の権力者から真意を隠すために、意図的に間違った英語を用いた可能性もある。解明が急がれるが、私にはなぜか、テキストそれ自体の中に、解明を妨げる何かが隠されているように思えてならない。

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今日のお絵描き。猫のいる路地。

日本女子大非常勤、前期第六回目。3限「アカデミック・ライティング」は、比較・対照のパラグラフの構成。比較する項目ごとに構成する「ポイント・バイ・ポイント・オーガニゼーション」と、比較する対象をそれぞれまとめて扱う「ブロック・オーガニゼーション」の二つのやり方があり、二つのやり方はどちらを選んでもいいが、どちらかのやり方に徹底しなくてはならないことを学んだ。

4限「アメリカs大衆文化演習」は、「ブルースを読む」。今回は、サン・ハウスの「マイ・ブラック・ママ」と、ロバート・ジョンソンの「最後の審判が俺のものになるならば」を読んだ。「最後の審判が俺のものになるならば」は、前回取りあげたサン・ハウスの「デス・レター」と同じく、「最後の審判」への言及がある流れで、取り上げたのだが、神が人間に下すべき裁決を自分のものにしようというのだから、ブルースを説教する破戒僧サン・ハウス以上に罰当たりなロバジョンである。その上、最後の審判を自分のものにしてまで望むことは、自分につらく当たった女が祈る権利もなくなることだというのだから、悪い男だ。他の男に女をとられて、わびしいブルースに憑りつかれ、いつかお前もひどい目にあうぞ、と毒づく哀れなロバジョンである。

しかし、最後の1コーラスで雰囲気が変わる。ベイビー、ここへきて、オレの膝に座れよ。やつらが俺に何をしたか、教えてやるよ・・・奴らとは誰だろう?元カノとその新しい恋人?それじゃあ、膝に座れと言われているのは、ロバジョンの新しい恋人?いや、昔の彼女とのいきさつをわざわざ新しい彼女に話すだろうか?だとすると、「奴ら」とは誰だろう。

「奴らが俺にしたこと~」というフレーズを聞いて思い出したのは、手錠につながれたまま脱獄した黒人と白人の囚人をシドニー・ポワチエトニ―・カーチスが演じた1958年のアメリカ映画『手錠のままの脱獄』(The Defiant Ones)である。いがみ合っていた二人が、ともに逃げるうちに切っても切れない仲になっていくストーリーは感動的だが、そのなかで、シドニー・ポワチエ演じる黒人の脱走囚カレンが、トニ―・カーチス演じる白人の脱獄囚ジョニーに、身の上話をするシーンがある。カレンは妻について、いつも「いい子にでいなさい(Be nice)」ばかり言って、オレの気持ちをちっともわかってくれないと愚痴る。一方で、彼女を怯える必要のないところに連れて行ってやりたいと願う。

常に、人種差別的な白人の目を気にしなければならない自分たち。そのなかで、生きのびるために、「いい子でいなさい」というのはある意味正解なのだろう。しかし、カレンは白人にどんなひどい目にあわされたか、妻に分かって欲しい。いや、妻だってわかっているはずだ。でも、それを話しはじめたってしょうがないじゃないの?いい子にしていなさい。人種差別主義社会にあって、白人の目を意識した妻の発言は正論だ。だからこそ、カレンは怯える必要のないところに連れて行ってやりたいと思う。

ロバジョンの歌う「奴ら」が、「白人」だとしたら。もちろん、そんなことは表立っては言えない。しかし、恋人を膝に座らせて、愛を語るぐらいの距離で、どんな目にあわされたか、囁くことぐらいは許されてしかるべきではないか。ブルースは、人種差別をはじめとする抑圧からの救いを恋愛に求め、その恋愛にも破れて、さまよう男女の歌である。辛い体験を愛する人に分かって欲しい。しかし、そうした体験は相手もそもそも共有している。わかったわ、それはもういいから、働きなさいよ。いい子になさい。そう言われて、正論だとわかっていながらも、プライドを傷つけられ、どんよりとしたブルースに憑りつかれた男も少なくなかったことだろう。

だとすると、ロバジョンが最後の審判を自分のものにして、本当に裁いてやりたかったのは誰だったのだろう。元カノ、元カノの今カレ、いや、その向こうに、彼女と別れざるを得ない状況を作った「奴ら」がいる。このブルースは、最後の1行で、それまで歌われていたことの意味が大きく変わってしまう。

授業の後半は、ライトニン・ホプキンスとテキサスの人々を描いた1967年のフィルム『ライトニン・ホプキンスのブルース人生』(こんな邦題がついていたとは!原題はBlues According To Lightnin' Hopkins)を見た。ブルースを生んだ土地では、時間がじれったいほどにゆっくりと流れている。ブルースはそうしたじりじりと進む時間を生きる人々の生そのもので、音楽が終わっても、そのグルーヴは続いていく。久しぶりに見て、「ブルースは死のようなものだ」とか、「教会で説教するのも、ブルースを歌うのも同じようなものだ」とか、ライトニンの発言のなかに、ブルースを考えるうえでヒントとなる言葉がいくつもあることに気づいた。ブルースが死だというのは、第一回目の授業で披露した、擬人化されたブルースを落語の「死神」に例えるぼくのブルース論(Deathはそのまま死神の意味にもなる)に論拠を与えてくれるし、また、ブルースが人びとの生そのものであることの裏返しでもある。説教とブルースを同一視するのは言うまでもなく、「ブルースを説教する」破戒僧サン・ハウスに通じるものだ。

ひらげエレキテルの今夜はビリビリナイトVol.4@荻窪Zizi Annabelle。ひらげがホストとなって、さまざまな分野の個性的なパフォーマーを紹介するこの企画。今回は青山俺汚さんの写真講座モノクロ編にはじまり、ミルさんの迫力ある女性ロック・ヴォーカル、鈴木龍さんのチャランゴとハーディガーディの演奏、てんトコラさんの朗読、そしてわれらがす~じ~さんのアカペラ・オリジナル曲熱唱という充実した内容。最後に登場したひらげは練習不足により、醜態をさらしましたが、ミルさんの「野暮な質問するんじゃないよ」(広い愛の歌)に対するアンサーソング「デート」(懺悔の歌)が受けたので、かろうじて、よしとします。

2018年5月15日(火)

アナグラム「岡林信康」と「寿司屋の親バカ部」

2018年5月14日(月)

明治学院非常勤、前期第五回目。3限「アメリカ研究」は、アレックス・ヘイリー原作のテレビ・ドラマ『ルーツ』を見る。今回は、レイノルズ農園に買われていったクンタ・キンテが、逃亡を図り、鞭打たれるシーンまで。トビーと言う名前を拒絶するクンタ・キンテに見られる名前とアイデンティティの問題の他、教育係の「家内奴隷」フィドラーとの関係や、女性の奴隷に対する性的虐待など、考えるポイントがたくさんあるところだ。4限「3年次演習」は、「ブルースを読む」、9日の日本女子大の授業同様、サン・ハウスの「デス・レター」を読んだ。ウォーキング・ブルースに憑りつかれて、サン・ハウスはどこへ行くのだろう。

國學院非常勤、前期第五回目。6、7限とも英語で落語「時そば」を読んだ。授業に入る前に、柳家小さんの「時そば」を聞いた。若い子はクールでなかなか笑わないのだが、クラスに一人は笑いをこらえきれないのがいる。ちなみに小さん師匠の噺では、テキストにはないちくわぶへの言及が見られるが、「ちくわぶ」が「ちくわ」の代用品として、関東地方を中心に広まったのは戦後のことであり(発祥は不明だが、戦前にも記録が見られる)、江戸時代にはなかったはずだ。このエピソードは、終戦直後の混乱を生き抜いた世代の共感を引き出すために、挿入されたのだろうか。

2018年5月13日(日)

アナグラム。「マヘリア・ジャクソン」と「変則マリアじゃ」

ひらげエレキテルとして、日吉NAPに出演しました。演目は、「友だちになりたいだけ」(ボブ・ディラン・カバー)「New Song」「行こうよ」「かわいい子猫ちゃん」「いつ死んでもいいように」「すっぽんぽん節」「ゴミの日」「最後の日」。どういうわけか、初披露の「ゴミの日」が子供たちにバカ受け。もり上がってくれてありがとう。いつものことながら、久々の再会となったうたうやまねこさんをはじめ、共演者のみなさんも素晴らしい方々ばかり。なかでも、Furahさんは、浮遊感がありながら、ずっしりとリアルな言葉と音が強い印象を残す。この後に演奏するのか・・・と、冷や汗をかきました。今日はだけはトリではなくて、オチと呼んでいただきたい。そのFurahさんから「良質のロック」というお言葉をいただき、鼻の穴を広げるひらげでした。


とはいえ、この日のライブは比較的調子が良かったので、全部アップしてみました。



27歳のときの実体験をもとに、新曲「デート」をつくりました。

それはぼくが27のころ
彼女と町田でデートの約束をしました
彼女はだいぶ遅れて約束の喫茶店に現れました
化粧もそこそこに飛び出してきたのか
彼女の顔はいつもと違っていました
そこで何か言うほど、さすがにぼくも
野暮ではなかったけれど
彼女を前にしたぼくの口は
「え」という形になっていたみたいで

豆鉄砲食らったようなぼくを見て
彼女は「やっぱりわかる?」と聞いてきました
そこで何か言うほどさすがのぼくも
野暮ではなかったけれど
どういうわけかぼくの首は重力に負けて
「うん」とうなづいていたのです

それはぼくが27のころ
彼女とデートをしました

2018年5月12日(土)

屁が止まらん。プのスパイラル。


いずれちゃんとした曲として仕上げますが、とりえずパロディで。「90年代インディバンド最初のリハーサル」

空想家が苦笑説。

2018年5月11日(金)

いろんなことが後手後手だ。


奇妙な新曲ができた。「住めば都」・・・自分ではかなり気に入っている。

あー 住めば都
雨が上がれば 気分も晴れる
あー 住めば都
朝まで踊れ 夢見りゃパラダイス
パラダイス!

あー苦い薬も
混ぜてしまえば けっこう美味い
煮込めばガンボ 炒めりゃチャンプルー
クセはあるけど 忘れられない
ガンボ!

あー住めば都
雨が降っても いつかは止むさ
あー住めば都 
朝まで踊れ 夢見りゃパラダイス
パラダイス!

神奈川大非常勤、前期第四回目。初級英語3コマ。過去分詞の形容詞的用法のテストと、テキスト分析。

2018年5月10日(木)

首都大非常勤、前期第三回目。まずは、前回、体調不良で休講にしたことを謝罪。今日からいよいよ、『ジャズの誕生』のテキストに入る。テキスト冒頭に登場するファッツ・ウォーラー「エイント・ミスヘイヴィン」の動画(映画『ストーミー・ウェザー』より)を見ながら、授業開始。テキストの内容は、ウォーラーにまつわるエピソードを入り口に、言葉では説明しにくいジャズの定義を考える部分。「例のステキなおばさまの<ジャズって何ですの?>という質問に答えて、今は亡き偉大なファッツは、ため息をついてこういったことになっている。<奥さま、今になってそれがわからないのでしたら・・・首を突っ込むな!> この話でのファッツは重要な点を押えている。ニューヨークで聞こうと、ボンベイで聞こうと(そこでもジャズのようなものを演奏している)、ジャズは言葉で説明するよりも、存在を認識するほうがずっと簡単である」 ジャズについて書かれた本の冒頭がこうである。言葉で説明するメディアである本が、言葉で説明しにくいジャズという音楽をどう説明するのか。自分で自分の首を絞めてないか?こという読者の心配をよそに、次回、著者マーシャル・スターンズは「認識しやすさ」(すなわち、他と違うところ)を梃子に、見事なジャズ論を開陳する。こういうサーカスじみた展開が、何度読んでも飽きないんだよねえ、この本。


太田さんとの共作曲「お化粧」、とりあえず、ひらげのヴォーカルで録音してみた。

2018年5月9日(水)

老人問う、「ミー?」

日本女子大非常勤、前期前期第五回目。3限「アカデミック・ライティング」は、課題のパラグラフをチェックした後、改めてリスティングやパたグラフの構成など、パラグラフ・ライティングの基本を復習。

4限「アメリカ大衆文化演習」は、ブルースを読む。今回は、「再発見後」サン・ハウスの傑作「デス・レター」をじっくり読んだ。ある日、サン・ハウスのもとに手紙が届く。そこには、「急げ、急げ、お前の愛した女性が亡くなった」と書いてあった。ハウスが愛しい人のもとへ駆けつけると、彼女はクーリング・ボード(遺体を冷やすための板)の上に横たえられている。恐る恐る顔をのぞきこむ。彼女の死を確かめたハウスは、「ああ、彼女は最後の審判の日まで、ここに横たわるのか」と嘆く。彼女が埋葬されるとき、ハウスが感じた、何万という人がいるような感覚は、審判の日を待つ死者たちのイメージだろうか。死んでしまってはじめて、自分が彼女を深く愛していたことに気づく。そして、後ろ髪引かれる思いで、「最後の審判の日まで、さらば」という言葉を残して、去っていく。翌朝早く、サン・ハウスは、彼女が使っていた枕を抱きしめる。ふいに放浪の虫(ウォーキング・ブルース)に憑りつかれたハウスは、暗闇のなか、手探りで靴を探し当て、家を後にする。死んだ彼女が自分を呼ぶ声が聞こえる。その声が、こんなに大きく、心地よく、はっきりと聞こえるのでなければなあ・・・

ブルースに表現される感情が重層的なものであることは承知の上で、今回も、「この歌の基調になっている感情は何だろう?」という問いかけを、学生にぶつけてみた。喜怒哀楽で選択してもらうと、やはり「哀」が多かった。もちろん、それもあるだろう。しかし、ぼくはサン・ハウスの胸中に渦巻いているのは、怒り、それも、社会や運命に対する怒り以上に、自分に対する怒りだと思う。彼女を愛していることに気づかず、会えるうちに会わなかった自分。死を前にした彼女に何もしてやれなかった自分。その怒りが、彼女のもとに駆けつけるハウスの焦燥感とともに、伝わってくる。詩を伝える手紙という設定だけで、ハウスが彼女と疎遠になっていたこと、にもかかわらず、周囲の人間はハウスが彼女を愛しているとわかっていたこと(本人は、意地になって否定していたかもしれないが)といった状況が伝わってくる。ウォーキング・ブルースに憑りつかれて、彼女との思い出の地を後にするハウスだが、自分を呼ぶ彼女の声を聞いており、吹っ切れた様子はない。むしろ、自分への怒り、罪を背負って生きていくのだろうと思われる。



実際の演奏を見ると、スライド・ギターを弾くサン・ハウスの様子は、鉈で何かをぶった切るような激しさで、これが怒りの歌であるという印象を強くする。ちくしょう、ちくしょう、何で死んじまったんだ、と地面をたたいているような、やりきれないイメージ。歌詞に描かれた、葬儀でのサン・ハウスは、むしろ静かに彼女の死を確かめているのだが、それと対照的な激しいリズムが、内面の怒りや後悔を表している。

あまりに脈略がないので、学生には言わなかったが、サン・ハウスの激しい動きを見ていて、ジンバブエでコムレイド(同志)・チンクスと酒を飲んだ時のことを思い出した。チンクスは、ジンバブエ独立闘争のとき、独立派ゲリラを歌で鼓舞したことで知られる歌手で、ジンバブエ独立後は、ムガベ派の筆頭として、人種融和を訴える歌を歌い続けていた(えっ、ムガベって「世界最悪の独裁者」じゃないの?という人には、話は単純ではないのですと言っておきます)。チンクスからは、ゲリラ戦争の貴重な証言を得ることができたが、チンクスのほうでもぼくを気に入ってくれて、「ジンバブエに住め」とまで言われた。しかし、しばらくすると、真顔になって、「やっぱり、ジンバブエには住まなくていい」と言う。なぜかと聞くと、「お前が死ぬのを見たくないから」 ゲリラ戦争で見た多くの仲間たちの無残な死が頭をよぎったのだろう。チンクスは、「お前が死んだら、お前の頭蓋骨を砕いてやる。どうして死んだんだ、どうしてだ、どうしてだってな」 最後の言葉をくり返しながら、チンクスは何度も激しく地面をたたいた。 「天国でも頭は必要だから、勘弁してよ」と笑いながらも、ぼくはそこにチンクスの深い悲しみと怒りを見た。ガッツガッツと鉈でぶった切るようなサン・ハウスのギター・プレイはまさしく、「何で死んだんだ」と地面をたたくチンクスのようだった。


ゲリラ兵を鼓舞するコムレイド・チンクス。

2018年5月7日(月)

詩を書いてみた。

「ここ」

俺はここで産まれて ここで生きて ここで死ぬ
誰も俺を追い出せない おれも逃れられない
逃げまわっても 隠れても 引っ越し先にもついてくる
それは俺が飯を食い クソを垂れ 眠るところ
よだれを垂らして女を抱き 悪事を隠した場所

土を掘って埋めたうえに あぐらをかいて眠る
不安になって 夜中にこっそり掘り返す すると
穴の中は空っぽだ 振り向くとそこに「ここ」がいる
10年ぶりの再会だ いやずっと側にいたのか
俺が眠れないように 子守唄を歌っていたのか

・・・なんて奴だ!

そう言や産まれる前から 「ここ」に決まっていた気がする
逃げたって 他を探したって 貼りついて離れない
いじめられっこの背中の「ばか」と書かれた紙のように
見えない本人だけがはがしてくれと喚いている
喚けば喚くほどやつらを悦ばせる

やつらだって 何か貼りついているのは同じ
気が付いていないだけ でも、時間の問題さ
いずれ必死なってはがそうとする
はがしてみるとそれは傷口に張られた絆創膏
だらだら流れ出した血が存在を証明する

俺はここで産まれて ここで生きて ここで死ぬ
誰も俺を追い出せない おれも逃れられない
逃げまわっても 隠れても 引っ越し先にもついてくる

明治学院非常勤、前期第四回目。3限「アメリカ研究」は、プランテーションに買われていった奴隷たちの生活について。4限「3年次ゼミ」は、2日の日本女子大「アメリカ大衆文化演習」と、ほぼ同じ内容。サン・ハウスの「プリーチン・ブルース」を読んだ。「ブルース、まじ深けえ!」という驚きまでは来たと思う。ただ、「深い」で終わってしまうと、そこで思考停止になってしまう。その深みに何があるのか、切り込んでいかなくてはならない。ぼく自身、ブルースの底に何があるのかわかっているわけではないのだが、学生と話しているうちに、自分でもわからなかったことが見えてくる。

國學院非常勤、前期第四回目。6限、7限とも、英語で落語「時そば」を読んだ。

2018年5月6日(日)

昼。太田さんとマゾイステック・ビリビリ・バンド・パンクチュアルとして、チョップスティックすVol.13@西荻窪Zizi Annabelleに出演。演目は、「いつ死んでもいいように」「お化粧」「すっぽんぽん節」「最後の日」。太田さんとの共作「お化粧」、一昨日のリハでアレンジも決まり、完成版のお披露目となった。おおむね好評だったが、ビデオを録り損ねたのが残念!共演者のみなさんの演奏を第一部まで見た後(ノンキーズの左卜全老人と子供のポルカ」カバー、最高でした)、太田さんを残し、ダブルブッキングの落とし前をつけに、江古田マーキーへ。

夜。江古田フォーク・ジャンボリー@江古田マーキーに、ひらげエレキテルとして出演。演目は、「いつ死んでもいいように」「かわいい子猫ちゃん」「すっぽんぽん節」。普段、並々ならぬお世話になっている小林夫妻のヒラソルがトリで「すっぽんぽん節」を演奏してくれるということだったので、ぼくは別の曲を・・・とも思ったのだが、むしろ、オリジナル(いや、オリジナルは共作者である遠峰あこのヴァージョンだが)との比較ができたほうがいいということだったので、お先にやらせてもらった。ヒラソルのバージョンは、女性的な「なんじゃわれ」を挟み、小林さんのギターがなでるようにアルペジオを奏でる、今までにないスタイルのもので、作者の一人としてとてもうれしかった。いつもの通り、実力者の並ぶラインナップだったが、なかでも一戸康太郎さんの捻りのきいた世界がツボにはまった。

2018年5月5日(土)


シンセを前面に出したいんちきワールドなインスト「ここはインドかネパールか」をつくりました。

舞岡の自然農園かねこふぁーむ喫茶「あとりえ」で、ロコサトシさんの作品展示中のチャリティー・イベントに、ひらげエレキテルとして出演してきました。イベントに誘ってくれた青山俺汚さんの朗読に続いて、ギター弾き語りで6曲ほど歌わせてもらった。演目は、「New Song」(オレオさんのサポートで来ていた爛漫社中のマコさんが、鍵盤ハーモニカで参加してくれた)「行こうよ」「かわいい子猫ちゃん」「いつ死んでもいいように」「正義の味方はいつも顔を隠している」「最後の日」。

その後、紙芝居などもあり、自然あふれる場所で、あした葉茶などを飲みながら、ゆったりとした時間をすごしているうちに、ふと気がつくと、パーキンソン病の症状がまったく消えていた。もちろん、薬は飲んでいたのだが、この半月ほど、薬を飲んでも、身体がばらばらになるような感覚(脳の指揮系統が混乱している?)が収まることがなかったのだが、植物に囲まれている間は、病気であることを忘れるほど、身体が一体感を取り戻していた。これが森林浴の効果というものか。

2018年5月4日(金)

太田さんと明後日のリハ。

新曲「きみのしあわせ」。曲はほぼほぼ、"Nobody Knows You When You're Down and Out"ですが・・・

しばらく見ないうちに
歌が上手くなったね
でも 歌なんか
へたくそでいいんだよ
きみの きみだけの歌を歌えばいいんだよ

少しは力を抜いて
楽に生きられるようになったかい
愛するだけじゃなくて 
愛されるのが上手くなったかい
きみの きみだけの 幸せは見つかったかい

しばらく見ない間に
笑うのが上手くなったね
だけど時々 
泣いておいたほうがいいよ
本当に悲しいとき 泣き方を忘れないように

2018年5月3日(木)

憲法記念日。


南半球系バンド・チキリカ
ケペル木村で、World Wide Week2日目夜の部@荻窪Bungaに参加しました。演目は、「Koma」「パームワイン」「腹がへったよ」「ハランゴマ」「健忘症」「花と風」「カゴメカゴメカゴメ」。本番直前に体調を崩し、座ったままのステージになりましたが、盛り上がっていただいたみなさん、ありがとうございました。共演は、大学の後輩でもあるアダチくん率いる大人BOXのブラジル~ラテン系オリジナル、若林光さんとおかつりょうこさんによるアコーディオンとピアノの演奏、Caraacolの本格的サンバというブラジル音楽アラカルト。いんちきアフリカ音楽のチキリカは、ブラジル音楽のパーカッション奏者ケペルさんのサポートを得て、共演のみなさんの胸を借りたような具合。楽しかったです!

2018年5月2日(水)

キヨシローの命日。もう9年もキヨシローのいない世界にいるのか。


行きつけのバーの女の子を主人公に、新曲「スーパースターさゆりちゃん」を完成させた。

レディス・アンド・ジェントルメン
アイ・イントロデュース・ユー
トゥデイズ・スター・オブ・ザ・ショー
さゆりちゃーん

そうよ 私はスター
誰もが認める
世界で一番 輝く星なの

そうよ 私はスター
誰もが知ってる
世界で一番 素敵な星なの

何万光年離れていても
きっとあなたは私を見つける
だってあなた、私が好きでしょう

エブリバディー
世界でいちばん美しいのはだれ?
スター!
世界でいちばん愛されているのは?
スター!
世界でいちばんかわいいのは?
スター!

そうよ 私はスター
誰もが認める
世界で一番 輝く星なの

そうよ 私はスター
誰もが知ってる
世界で一番 素敵な星なの

何万光年離れていても
きっとあなたは私を見つける
だってあなた、私が好きでしょう

そういうとこ!

日本女子大非常勤、前期第四回目。3限「アカデミック・ライティング」は、提出してもらったパラグラフのチェックと、宿題をもとに要旨の書き方について学んだ。

4限「アメリカ大衆文化演習」は、「ブルースを読む」。キヨシローの命日に、サン・ハウスの「プリーチン・ブルース」を講義するというめぐりあわせ。説教師として人びとに道を説くことのプレッシャーに負け、酒と女に溺れたサン・ハウスは、「悪魔の音楽」と忌み嫌っていたブルースに魅せられ、デルタ・ブルースを代表するシンガー/ギターリストになった。「プリーチン・ブルース(説教ブルース)」は、ブルースを説教する破戒僧サン・ハウスの決意表明とも言うべきもの。のっけから、「神の啓示を受け、バプティスト教会に入り、バプティスト派の説教師になるんだ。もう働かなくてすむ」と、信仰の内実を暴露して、卓袱台をひっくり返す。

「働かなくてすむ」とはどういうことだろう。説教師の仕事は「働く」ことにならないのか、という疑問が担当学生からあがった。「働かない」ことの意味を理解するには、奴隷解放後に元奴隷たちが置かれた状況を考える必要がある。例えば、ぼくが奴隷一家のお父さんで、みんなが娘たちとしよう。解放されたはいいが、これからどうすべ。もう、だんなのところでおまんまいただくわけにゃいかねっぞ。(ひとりの学生が、「どこかへいく・・・」)どこかって、どこいくだ。となりのむらさ、行くのだっていちにちがかりだ。おら、いままでやってきた畑仕事しかしらんしな。なあ、娘たち。どうしたらいいべ(だまりこむ娘たち=学生)。

そこへ、元奴隷主がやって来る。「お前たちは解放された。今日から自由だ。よかったな。ところで、これからどうやって食っていくつもりだ」「そこなんで、だんな。今もそれを話してたところで」「お前さえよければ、今まで通り、うちの畑を耕してくれてもいいんだぞ」「そりゃあ、願ってもねえこって」「土地は貸してやろう。農機具や種もどうせ持ってないだろうから、貸してやるぞ」「ありがてえ話で・・・」「もちろん、タダってわけにゃいかん。収穫の3分の2は私のところに収めてもらう」「そ、そんな。それじゃあ、あっしの手元には何も残らねえじゃねえですか」「いやならいいんだぞ、どこへでも行けばいい」「・・・」

こうして始まったのが、シェアクロッピングと呼ばれる一種の小作制だ。働いても働いても、前借の返済に消えていく。コツコツ働くことで、未来が開けるという希望はない。前借りと返済の悪循環から抜け出すには、「働かない」必要があった。そのための数少ない手段のひとつが、説教師になることであり、もうひとつが、ブルース歌手になることだった。「バプティスト派の説教師になるんだ。もう働かなくてすむ」という一節にはそうした背景がある。そして、同じ「働かない」手段であるにもかかわらず、説教師はまっとうな道と言われ、ブルースは悪魔の音楽と言われる。その欺瞞を、説教師からブルースの歌手に転向したサン・ハウスが暴露する。

「俺はブルースを説教する、みんなを叫ばせたいんだ」という言葉には、教会の説教で会衆を熱狂させるのと、ブルースでジュークジョイントの客を相手にするのと、どこが違うのだというラディカルな問いかけがある。説教師(あるいはブルース歌手)になり、「働かない」」という選択は、シェアクロッピングという新たな奴隷制に対する反逆になりうる。しかし、ブルースを「悪魔」として排除し、説教師をまともな職業(「働くこと」)とみなすことで、両者は反逆の牙を抜かれてしまう。「プリーチン・ブルース」には、そのことに対する怒りが渦巻いている。その怒りが、「膝を折って神に祈り」「毎日、神の啓示を見る」宗教的な男だったサン・ハウスに、「俺だけの天国があれば、女たちと幸せに暮らせるのに」といった、不敬な妄想を抱かせる。

2018年5月1日(火)

叔母の命日。

アナグラム。「いとしのレイラ(いとしのれいら)」と「トイレらしいの(といれらしいの)」

薬の飲み方を変えたら、今日はだいぶ体調がいい。久しぶりにちゃんと歩けた。

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