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2018年4月30日(月)

来たる5月3日(木)、荻窪Bungaで開催予定のWorld Wide Weekに向け、ゲストのケペル木村さんを迎えての、チキリハ(チキリカ・リハーサル)。

考えてみれば、パーキンソン病が発見される以前、いかに多くの人たちが、周囲の無理解と自分への歯がゆさの中で死んでいったことだろう。ぼくには、その人たちの怨念が味方についている。はるかに生きやすくなったこの時代で、自分らしく生きる責任がある。

病気の進行は、思った以上に早い。まだまだ薬は増やせるとは言え、早晩、ギターを弾けない日が来るだろう。それでも、しばらくは歌は歌えそうだし、DTMを駆使して、音楽を続けることはできると思う。音源でリアルなサウンドを追求するか、いっそテクノに走るか。

2018年4月29日(日)

改装工事のため閉鎖中の南口にはじかれて、反対側に出てしまった。人の流れにのれば道が開けるのではないかと思い、重たい身体を抱えてうろうろしていると、後姿が大学時代の片思いの相手に瓜二つの女の子が、目の前をすーっと通りすぎた。いい加減ばばあになっているはずの本人であるはずはないのだが、何となくふらふらと、あとをついていった。そのうち、このまま彼女の後を追いかけていけば、80年代末の下北沢に戻ことができるのではないか、という妄想が頭をとらえはじめた。結局、足が自由に動かない身体ゆえ、難なく巻かれてしまい、ぼくは歪んだ時空間に迷い込むこともなく、無事、2018年の下北沢駅(元)南口方面にたどり着いた。残念な気持ちもあったが、タイムスリップをしていると、リハの時間に間に合わないので、いたしかたない。

下北沢Lagunaに、ひらげエレキテルとして出演しました。演目は、「New Song」「行こうよ」「かわいい子猫ちゃん」「いつ死んでもいいように」「すっぽんぽん節」「Don't Look Back」。かつての片思いの相手の幻影に導かれてやってきて、20歳のころに作った曲「Don't Look Back」を歌っている、思い切り振り返りモードの自分がおかしかった。共演者のみなさんも、素晴らしい演奏。とくに、梅原千也さん「ソラシド」のバックトラックが、スコットランドというか、ケルトっぽかったところ、ピアノ弾き語りの菜緒さんが、可憐な美少女とみせて吐く毒(特に白雪姫の歌)が強く印象に残った。

2018年4月28日(土)

お見合いパーティにて。「皆の者、出会え、出会え」


月亭可朝「嘆きのボイン」のような、いんちきフラメンコがやってみたくて、つくってみました。「愛のフラメンコ」

愛は 余計な世話をやき
人の後ろをつけ回す
まるでそれが正当な権利であるかのように 愛は
こちらの気持ちはお構いなしで
お腹をすかせた犬のように
つけ回す

オレ!

何て言ってられるうちが華だよ

ネパール料理屋に入ったら、無音で「探偵ナイトスクープ!」を流していた。大好きな番組なので、と、音を大きくしてもらうと、心霊現象に悩む在日ベトナム人を救ってほしいという依頼だった。時ならぬインターエイジアなひととき。

2018年4月27日(金)

四十にして惑わず、五十にして天命を知る、というが、天命を知ってからも、惑い続けていいじゃないか。

神奈川大非常勤、前期三回目。初級英語3コマ。不定詞のテストをやって、教科書のテキストのSVOC分析に入った。次回は、過去分詞の形容詞的用法のテスト。

2018年4月26日(木)

今日はどうしても身体が動かなくて、首都大の授業をお休みしてしまった。朝から授業をすっぽかされた学生の皆さん、本当に申し訳ありませんでした。夜のライブは、何とか身体を調整して、決行。授業を休んでいおいて、ライブをやるとは、ろくなもんじゃないが、わかってくれ、ぼくにとってはどちらも遊びじゃないんだ・・・

というわけで、江古田マーキーに、ひらげエレキテルとして出演してきました。演目は「New Song」「行こうよ」「かわいい子猫ちゃん」「いつ死んでもいいように」「すっぽんぽん節」「Don't Look Back」。共演の大橋さんに煽られて、パーキンソン小話多め。その大橋さんも、トリの小林さんも素晴らしい演奏でした。見てくださった方、ありがとうございました!

※マーキーのオーナーさんが、隣の吉野家の店長さんから、「伊藤敏博さんとか、ひらげエレキテルさんも出てますね」と言われたとか。伊藤敏博さんと言えば、「サヨナラ模様」で有名なシンガーソングライター。その方と並べて、ぼくの名前を出すとは、どういうマニアだ。うれしい)。

※打ち上げでは、ふたたび体調を崩し、ご迷惑をおかけしました。とりわけ、お疲れのところ、送っていただいた小林さん夫妻、ありがとうございました。

2018年4月25日(水)

ちょっと似ている。「シルベスター・スタローン」と「するべきことはしたよ」


新曲「生きるぜ」を録音してみた。軽快で前向きなロックンロールに仕上がった。

生きるぜ
生きるぜ
生きるぜ 生き残るぜ
生きるぜ

残るぜ
残るぜ
残るぜ 最後まで残るぜ
最後まで残るぜ
 
どんなにつらいことがあっても
最後まで残るのがこの俺さ
ワルイネ

笑うぜ
笑うぜ
笑うぜ 笑い飛ばすぜ
笑うぜ

飛ばすぜ
飛ばすぜ
飛ばすぜ
前のめりに生きるぜ

どんなに悲しいことがあっても
最後に笑うのはこの俺さ
ワルイネ

走るぜ
走るぜ 
走るぜ かけ抜けるぜ
走るぜ

抜けるぜ
抜けるぜ
抜けるぜ 頭ひとつ
抜けるぜ

どんなに荒れ果てた道でも
最後にゴールするのがこの俺さ
ワルイネ

日本女子大非常勤、前期第三回目。3限「アカデミック・ライティング」は、宿題でやってきてもらった問題をもとに、パラグラフ・ライティングの復習。さらに、アウトラインのつくり方。「日本女子大のいいところ」というトピックで、いくつか支持文を出してもらい(建物がきれい、池袋に近いなどがあがった)、それぞれについて、サポーティング・アイディア(例えば、「池袋に近い」なら、○○線で何分とか、徒歩で何分とか、立教は別とすると都内の大学のなかでも一番近いとか)をあげた。4限「アメリカ大衆x文化演習」は、「ブルースを読む」。前回読んだボブ・ディランのノーベル文学講演から興味のある項目を調べる課題を発表してもらった、バディ・ホリーウディ・ガスリー、アパラチアン・バラッドなどについて調べた学生がいて、それなりによく調べてきていたが、通り一遍の辞書的な概要や、あるいは分かったことの羅列に終わらないためには、興味の焦点を絞って、さらに深く調べることが必要と指導した。例えば、バディ・ホリーのあの眼鏡絵にはどんな意味があるのかとか、ウディ・ガスリーもその一人だったホーボーとはどういう人たちかとか。後半は、次回からじっくり歌詞を読むことになる「プリーチン・ブルース」と、サン・ハウスについて、説教師として人びとに道を説かなければならないプレッシャーに負け、酒と女に溺れて、「悪魔の音楽」として忌み嫌っていたブルースの世界に身を投じたサン・ハウスの生涯について話した。

2018年4月24日(火)

衣笠が!?ショック。

「行こうよ」のヴォーカルを録りなおし、バランスを整えました。

2018年4月23日(月)

アナグラム。「あの鐘を鳴らすのはあなた(アノカネヲナラスノハアナタ)」「あなたのネ 鼻を明かすのら(アナタノネハナヲアカスノラ)」

明治学院非常勤、前期第三回目。3限「アメリカ研究」は、テレビドラマ『ルーツ』の続きを見たあと、ボブ・マーリー&ザ・ウェイラーズ「400イヤーズ」を聞き、歌われている「400年」が奴隷貿易が始まってから現代まで、人種差別という「哲学」の400年であるということ、ジャマイカをはじめ、世界各地にアフリカ系の人々が存在するのは、奴隷貿易の結果に他ならないこと、ジャマイカなどカリブ諸国は、アメリカ合衆国に売りつける前に奴隷を「飼いならす」、前哨地としての役割を果たしていたことなどを述べた。続いて、非人道的な奴隷貿易が数百年に渡って続いた背景には、回せば回すほど儲かる経済サイクルがあったとして、三角貿易について説明した。最後に年表を見ながら、奴隷が最初にアメリカに陸揚げされたのは、メイフラワー号の到着よりも前であり、黒人奴隷の歴史は決してアメリカ史の傍流ではないこと、奴隷制が、アメリカ民主主義の根幹をなす議会の議決を経て、正当化されたことを指摘した。

4限の3年ゼミでは、前回読んだボブ・ディランのノーベル賞受賞講演から選んだキーワードについて、それぞれ調べてきた結果をh学生に発表してもらった。バディ・ホリーレッドベリーについて調べてきた学生が多かったが、キーワードにはあげなかったチャック・ベリーについて調べてきた学生もいた。例えば、バディ・ホリーならヒーカップ商法など、細かい用語を調べてきた学生もいたが、ヒーカップがどういう歌い方なのかと聞くとわからない。そこのところに深く突っ込んでいくと、さらに世界が広がるのだが・・・と指導したうえで、ヒーカップ商法で「ペギー・スー」を歌って見せる。変な先生だ。また、ビートルズが大きな影響を受けたことを指摘する学生も多く、そういえば、ジョン・レノンが時折聞かせる、鼻にかかったようなコミカルな歌い方は、バディ・ホリーなのかものな、と思った。ジョンが『ロックンロール』で「ペギー・スー」をやっているのはもちろん知っていたが、ポールが同曲を弾き語る映像があるというのは知らなかった。探すと、こんなのが出てきた。

レッドベリーについては殺人での逮捕歴があることを、学生がどのように考えるか、気にしつつ、ブルース以前の音楽を得意とするレッドベリーを、さまざまな要素からなるアメリカ音楽を体現する存在として見ることもできるのではないかといった話をした。チャック・ベリーについては黙っていられない。『ヘイル!ヘイル!ロックンロール』を知らないようだったので、キース・リチャーズとの愉快なやりとりなど、チャックのくそおやじぶりを紹介する一方、理知的で、皮肉のきいた歌詞は、まさにロックンロール詩人と呼ぶにふさわしいものであることなど、学生の発表そっちのけで、少々しゃべりすぎた。次回はいよいよ、サン・ハウスの「プリーチン・ブルース」をきっかけに、ブルースと黒人教会、シェアクロッピングの関係に踏み込んでいきたいと思う。

澁谷の國學院に移動して、前期第三回目の授業。英語で落語を読むというのは我ながらいいアイディアだと思うが、6限と7限でだいぶ進度が違う。今日は「時そば」を読み始めたのだが、6限のクラスが血h氏として進まないのに対し、7限は早くも前半を読み終わってしまった。7限に文法の解説などを入れて、調節しよう。

授業のあとに寄ったラーメン屋で、先にカウンターに座った赤ら顔のおっさんに、「身障者じゃねえんだろ、しっかりしろよ」という絵に描いたような侮辱を受けた。おっさんが後生大事に抱えているブリーフケースが邪魔で、隣の席に座れずに、まごついていた時のことである。「いえ、身障者です」「うそつけ」「パーキンソン病なんです」とたんにおっさんは顔色を変え、「ごめん、ごめんねえ」と謝ってきた。こういうときのぼくは、底意地が悪い。徹底的に紳士的に振る舞って、「相手も悪かった」という言い訳が通用しないところに追い込んでいく・・・それにしても、疲れた。

2018年4月22日(日)


一ヵ月ほど前の朝、悪ふざけからつくった曲「ゴミの日」の編曲ヴァージョンを完成させた。歌詞に深い意味はない。というより、自分でも意味が分からない。

月曜日は、燃えるゴミの日
火曜日は、燃えないゴミの日
水曜日は、あえて燃やさないゴミの日
月曜日は、ゴミを燃やし
火曜日は、ゴミを埋め立て
水曜日は、あえて燃やさないゴミの日
燃やさないと決めた以上
それはもう、ゴミではない

木曜日は、資源ごみの日
金曜日は、ビン・カン・ペットボトルの日
土曜日は、燃やししつくすごみの日
木曜日は、ゴミを仕分け
金曜日は、ゴミを並べ
土曜日は、燃やし尽くすゴミの日
燃やすと決めた以上
徹底的に燃やす 灰になるまで

日曜日はのんびり・・・そして再び

月曜日は、燃えるゴミの日
火曜日は、燃えないゴミの日
水曜日は、あえて燃やさないゴミの日
月曜日は、ゴミを燃やし
火曜日は、ゴミを埋め立て
水曜日は、あえて燃やさないゴミの日
燃やさない 燃やさない
燃やさない 燃やさない



ロバート・ジョンソン
「俺と悪魔のブルース」につけられたアニメが、すごくいい。

2018年4月21日(土)


ちょっとエロく聞こえるかもしれない。スカ×ファンクな新曲「しんぼうたまらん」、完成。

しんぼうたまらん しんぼうたまらん
しんぼうたまらん しんぼうたまらん
しんぼうたまらん しんぼうたまらん
しんぼうたまらん しんぼうたまらん
もはやこれまで

しんぼうたまらん しんぼうたまらん
しんぼうたまらん しんぼうたまらん
しんぼうたまらん しんぼうたまらん
しんぼうたまらん しんぼうたまらん
もう先がない

我慢の限界 我慢の限界
我慢の限界 我慢の限界
我慢の限界 我慢の限界
我慢の限界 我慢の限界
もれるもれるもれるもれるもれるもれる

朝まで待てない 朝まで待てない
朝まで待てない 朝まで待てない
朝まで待てない 朝まで待てない
朝まで待てない 朝まで待てない
きみに会いたい

しんぼうたまらん しんぼうたまらん
しんぼうたまらん しんぼうたまらん
しんぼうたまらん しんぼうたまらん
しんぼうたまらん しんぼうたまらん
もはやこれまで

2018年4月20日(金)

神奈川大非常勤、前期第二回目。初級英語3コマ。過去分詞の形容詞的用法。

すごくお世話になりながら、迷惑ばかりかけた末、不義理を重ねている方が夢に現れた。怖い顔をして、「腹を立てていたんだがね」と言う。「急に気が変わった」いつものその人とは違う高圧的な調子に息を飲んでいると、「お前を解放できるのは、俺しかいないと思ってな」解放・・・?「音楽でもなんでもいい。お前が本当に興味のあることで、一本書け。それで許してやる。どこへでも行けばいい」いや、ぼくは・・・。「これ以上、嘘をつくな。残された時間は、そう多くはない」目を覚ますと、じっとり汗をかいていた。

2018年4月19日(木)

首都大非常勤、前期第二回目。テキストに入る前に、SVOCと五文型の説明。間にジャズの捉えにくさと、ニューオリンズがジャズの歴史において重要な位置を占めた理由についての話を挟み込んだ。集中力が途切れないように、今年度から導入した手法。

2018年4月18日(水)


新曲「いつ死んでもいいように」の編曲ヴァージョンをつくってみました。歌詞も一か所だけ変えました。

いつ死んでもいいように
好きなことたくさんしよう
ステキな曲をたくさん書いて
カワイイ子とキスをして
お酒を飲んでバカ騒ぎ
そしてきみに 愛してるって言おう
タラララッタ タッタラッタ ラタ
タラララッタ タッタラッタ・・・

いつ死んでもいいように
遺言書を残しておこう
トラブルにならないように
争いが起きないように だけど
争うような金はなし
トラブルにもなりそうにない
だから一言 愛してるって書こう
タラララッタ タッタラッタ ラタ
タラララッタ タッタラッタ・・・

いつ死んでもいいように
好きなことたくさんしよう
映画を見て泣きたいな
夜通し語り合おう
きみの好きなワインを空けて
そして きみに愛してるって言おう
タラララッタ タッタラッタ ラタ
タラララッタ タッタラッタ・・・

日本女子大非常勤、前期第二回目。3限「アカデミック・ライティング」は、パラグラフ・ライティングの説明に入り、トピック・センテンス(主題文)のつくり方について。主題文には、主題(トピック)と、それを限定するアイディア(コントローリング・アイディア)が必要なこと、また、主題文の内容は限定的過ぎても、一般的すぎてもいけないことに注意を促したうえで、テーマを列挙して絞り込んでいく「リスティング」の手法で、主題を見つけ、主題文を書く練習をした。4限のアメリカ大衆文化演習」は、月曜の明治学院ゼミ同様、ボブ・ディランのノーベル文学賞受賞講演を、講演のなかで触れられた音楽を聞いたり、動画を見たりしながら、解説した。キーワードを選んで調べてくるよう指示したのも、明学と同様。

2018年4月16日(月)

入れても入れなくてもいい音は、入れないほうがいい。

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奴隷体験記からの引用に解説をつけてまとめた名著『奴隷とは』(木島始/黄寅秀訳、岩波新書、1970、To Be A Slave、1968)で知られる、ラディカルな公民権運動家でフォークシンガーでもあったジュリアス・レスターが今年1月に亡くなっていたことを今ごろ知った。『奴隷とは』はいつも授業で使わせてもらっているし、彼の2枚のLPを見つけたときには飛び上がって喜んだものだ。R.I.P.

 奴隷とは。自動車や家や机が所有されるように、他の人間によって所有されるとは。売り飛ばされる財産の一部として生きるとは。-- 母親から売られていく子供、夫から売られていく妻。人間とは考えられずに、ひとつの《物》として考えられるとは。その《物》は、畑を耕し、木を切り、食物を料理し、他人の子供を養育する。その《物》の唯一の機能は、読者よ、あなたならあなたを所有する人間によって決定されてしまうのだ。

 奴隷とは。苦悩と権利剥奪にかかわらず、じぶんが人間であると、おまえなんか人間じゃないというものよりも、もっとじぶんのほうが人間的であると知るとは。喜び、笑い、悲しみ、涙を知り、しかもそれでいて、机と同等のものとしてしか考えられないとは。

 奴隷であるとは、人間性が拒まれている条件のもとで、人間であるということだ(『奴隷とは』 17)。

明治学院非常勤、前期第二回目。アフリカ系アメリカ人の歴史と文化を扱う3限「アメリカ研究」は、奴隷貿易について。中間航路の奴隷制がそれまでの奴隷制と大きく違うのは、それが奴隷を人間ではなく、モノ、商品として見ていた点にある。見取り図を見れば明らかなように、奴隷船の甲板下には奴隷が限界ぎりぎりまでつめこまれており、不快で不衛生な環境から命を落とすものも少なくなかった。それでも奴隷貿易の利ざやはとてつもなく良かったので、できる限り多くの奴隷をつめこんでいくほうが利益が大きかった。奴隷たちはいわば、何%か失われることを見込んだうえで運ばれる「商品」だったのである。

Photo

冒頭に訃報を載せたジュリアス・レスターの『奴隷とは』から、奴隷船内部の不衛生な様子を描いた船医の証言と、海に投げ捨てられた幼子を追って、母親たちが海に身を投げ命を落とすのを目撃した奴隷の、悲痛な証言を引いた。アミスタッド号事件と奴隷船における叛乱の可能性について述べた後、奴隷の集積地とし繁栄したゴレ島について、実際に訪れたときの印象を交えて話し、映画『ユッスー・ンドゥール 魂の帰郷』から、アフリカ系のミュージシャンがゴレ島を訪問し、奴隷小屋を訪れたゴスペル・カルテット(ハーモニー・ハーモニアーズ)が、祖先への思いをこめて歌うシーンを見た。最後に、アレックス・ヘイリー原作のテレビ映画『ルーツ』を見始めたところで、タイムアウト。

「ブルースを読む」4限の3年生ゼミは、ボブ・ディランのノーベル文学賞受賞講演のうち、音楽について語った最初のセクションについて、取り上げられた音楽を動画や音源で確認しながら解説した。とりわけ興味深いのは、十代後半のロバート・ジママン(ディランの本名)少年の憧れだったバディ・ホリーをはじめとするラジオのヒット曲と、、フォーク・ソングの違いを示しながら、尚且つ両者のつながりを暗示していることだ。飛行機事故で亡くなる数日前、バディ・ホリーが、ステージの上から自分に何かを伝えようとしてきたと書きながら、伝何を伝えようとしてきたのか明らかにしないまま、段落が変わり、話はレッドベリーの「コットンフィ^ルズ」から受けた衝撃へと移っていく。この曲をきっかけとして、ディランはフォークの世界に飛び込んでいくのだが、唐突な展開は、バディ・ホリーがレッドベリーに代表されるヴァナキュラーな文化の存在をディランに伝えようとしていたかのような印象を与える。ロックンロールもまた汲めど尽きぬアメリカのヴァナキュラーを源流としている。ホリーが伝えようとしていたのは、ラジオのヒット曲もフォークソングも飲みこんだ「アメリカーナ」の口承文化ではないのか。それが、ディランをフォークを昇華した新たなロックンロールへと向かわせたのではないか。来週は、ディランの講演からピックアップしたキーワードについて、学生に調べてきてもらい、それぞれの発表をきっかけに、議論を深めたいと思う。

國學院非常勤、前期二回目。SVOCと五文型について。テキストに入るのは次回から。「日本に関することならなんでも」という緩いようで難しい条件が付いていたので、テキストどうするか未だ迷っていたのだが、落語にすることにした。「時そば」と「死神」を英語で読む。今回は、長い文法解説の途中で一息ついて、「死神」のあらすじを話した。

2018年4月15日(日)

日吉NAPに、ひらげエレキテルとして出演しました。演目は、「大人はいない」「New Song」「行こうよ」「かわいい子猫ちゃん」「いつ死んでもいいように」「鳩胸の女」「Don't Look Back」「まあるいお月さま」(アンコール)「すっぽんぽん節」。今週は「ルーツ・フェスト」と題し、影響を受けたミュージシャンのカバーや、活動初期のレパートリーを披露するか、MCで音楽活動の原点に触れるという指示があった。そこで、歌詞のなかにジャックスの「ラブ・ゼネレーション」への言及がある「大人はいない」(大学生の時にやっていたバンドのオリジナル曲「あしっどろっく」からの引用も)、20歳のころにつくったオリジナル曲「Don't Look Back」をやった。他に、「鳩胸の女」「いつ死んでもいいように」を初披露。なんと、アンコールをいただき、「すっぽんぽん節」まで歌わせてもらいました。盛り上げてくださった皆さん、ありがとうございました。共演者の皆さんも素晴らしい方々ばかりでしたが、特に浜野誠さんの研ぎ澄まされた切ない歌声に痺れました。

次回のライブは、4月26日(木)江古田マーキー。日吉NAPでのライブは、5月13日(日)、6月10日(日)です。お時間のあいます方、ぜひお越しください。


2018年4月13日(金)

神奈川大非常勤、前期第一回目。今年は、初級英語3コマ。初回は、不定詞。

2018年4月12日(木)

淫乱、淫乱食う戦争。

首都大、非常勤前期第一回目。毎年、前期第一回目の授業はガイダンス。講師は一クラスにつき、同じ説明を三回やって、学生は教室を巡って、各講師の授業方針を比較し、選択する授業を決める。ぼくはほぼ同じ内容(『ジャズの誕生』をテキストとするリーディング)の実践英語の授業を3つ持っているので、同じ説明を9回くり返すことになる。話すのが好きなぼくですら、なかなかしんどい。とはいえ、学生の反応は悪くなかった。来週は教科書の内容に入る前に、英語の原理原則である語順(すなわち、SVOC、五文型)をわかりやすく解説する。

2018年4月11日(水)

えっ。有給休暇じゃなくて、悠久休暇?


朝から、とてもステキな曲ができた。「いつ死んでもいいように」

いつ死んでもいいように
好きなことたくさんしよう
ステキな曲をたくさん書いて
カワイイ子とキスをして
お酒を飲んでバカ騒ぎ
そしてきみに 愛してるって言おう
タラララッタ タッタラッタ ラタ
タラララッタ タッタラッタ・・・

いつ死んでもいいように
遺言書を残しておこう
トラブルにならないように
争いが起きないように だけど
争うような金はなし
トラブルにもなりそうにない
だから一言 愛してるって書こう
タラララッタ タッタラッタ ラタ
タラララッタ タッタラッタ・・・

いつ死んでもいいように
好きなことたくさんしよう
映画を見て泣きたいな
夜通し語り合おう
きみの好きなワインを空けて
そして きみに愛してるって言おう
タラララッタ タッタラッタ ラタ
タラララッタ タッタラッタ・・・

日本女子大非常勤、前期第一回目。3限「アカデミック・ライティング」は、レジュメに沿って授業の概要を説明。この授業で扱う内容として、(1)英語、(2)アイディアの立て方、発展のさせ方、(3)パラグラフ・ライティング、(4)論文の書式をあげた。このうち、(1)にはあまり時間をかけられない。英語に自信がない人は、SVOCや5文型からしっかり復習しておいて欲しい。後半は、さっそく、英語で自己紹介を書いてもらった。4限「アメリカ大衆文化演習」は、「ブルースを読む」で、月曜日の明治学院ゼミとほぼ同じ内容。果たして何人突いてくるか。

2018年4月10日(火)

ぼく自身のとんでもないミスで、日本女子大と横浜国大後期「の授業の時間が重なっていることが判明。国大の授業を火曜日にずらしてもらうことで、何とか事なきを得たが、我ながら情けない。両大学の皆さま、ご迷惑をおかけしました。今後このようなことがなきよう、細心の注意を払って仕事に臨みますので、今後ともよろしくお願いします。

行きつけのバー「アゲイン」の常連Kさんに関する妄想を詩にしてみた。


「白髪紳士がやって来る ヤア!ヤア!ヤア!」



彼の髪は黒く
闇を飛ぶカラスのよう
悲しそうな目で 男は
黒髪を帽子の下に隠す

まだ まだだ
まだ 早い

帽子の下からもれる
しゅうしゅうと言う音が
化学反応を予感させ
男は静かに笑う

もうすぐだ もうすぐ
I'll be back!

バーに現れた彼は、帽子を取り
なじみの酔客に声をかける
雪のように白い髪は
彼を知る人びとの期待を裏切らない
白髪紳士の登場だ!
白髪紳士の登場だ!
何て白い髪!
白髪紳士の登場だ!

そして・・・

夜半すぎ

髪が夜の闇に染まる前に
彼はそっと帰って行く
穏やかな笑顔を残して
白髪紳士が消える前に


iありえない失敗に落ち込み、晴れない気持ちを抱えて、スタジオに入ったら、狂ったトラックができた。「フリー・セッション」

フリーセッションをしよう
フリーなセッションをしよう
さあ フリーセッションをしよう
きみもセッション
セッション

フリーダム フリーダム フリーダム
セッション
自由の裏にはいつも不自由があって
不自由セッション
セッション
フリーダム フリーダム

日がな一日寝てるのが自由か
どこへでも行けるのが自由か
おおおお フリーダムフリーダム 自由
フリーダム フリーダム フリーダム
フリーなセッション
きみもセッション
無料のセッション
セッション

2018年4月9日(月)

明治学院非常勤、前期第一回目。3限。アフリカ系アメリカ人の歴史と文化をテーマとする「アメリカ研究」は、例年のように、「黒人」とは、アフリカ系アメリカ人とは何モノかという問いかけから始めた。「黒人」というと文字通り、黒い人であり、見かけで区別がつくと思っている人が多いかもしれない。しかし、本当にそうだろうか。そのことを確かめるために。8人の写真を並べて、それぞれの人物が黒人か、あるいはアフリカ系アメリカ人か答えてもらった。

8people

アメリカでは混血が相当に進んでおり、アフリカ人の先祖、ヨーロッパ人の先祖を持たないものはむしろ、少数派である。そして、以前は一滴でもアフリカ人の血を引いていれば黒人と見なされる「ワン・ドロップ・ルール」が適用されていた(現在も慣習的にはそうである)。そのルールに当てはめれば、レナ・ホーンジーン・トゥーマーのような、一見「白人」に見える人物も、「黒人」と見なされる。チャーリー・パットンタンパ・レッドは、ともに戦前に活躍したブルース・マンで、「黒人」だが、パットンの髪はブロンドだったと言われている。キャサリン・ダーナムは、ハイチのヴ―ドゥーの儀式を参考に、アフリカ系アメリカ人のバレエを確立したダンサー/振付師で、「黒人」である。ここまで来ると、だんだんわからなくなってくるかもしれないが、後期チャップリンの映画などに出演しているコメディエンヌ=マーサ・レイは、白人である。少なくとも、アフリカ人の祖先がいたという記録は残っていない。

残るは、バラク・オバマフィル・ライノット

「黒人」初の大統領として知られるオバマはもちろん、ケニア人留学生の父を持つ「黒人」。しかし、「アフリカ系アメリカ人」かということになると、問題が残る。通常、「アフリカ系アメリカ人」という言葉で示されるのは、数百年前にアフリカ各地から奴隷として連れ去られてきた人々の子孫である。当時のアフリカには現在の国家はなく、また長い歴史のなかでどこから連れてこられたかもわからなくなっている場合がほとんどだ。だから、後の時代になって(オバマの父のように)、アフリカからやってきた人びとを、国の名前を使って「ケニア系アメリカ人」「ナイジェリア系アメリカ人」というのに対し、奴隷の子孫を「アフリカ系アメリカ人」という。奴隷制と人種差別社会アメリカにおける苦難の歴史を共有していないオバマは「黒人」ではあっても、「アフリカ系アメリカ人」ではないと言える。しかし、そんなオバマを教会を中心としたアフリカ系アメリカ人のコミュニティに連れていき、溶け込ませたのが、ミシェル・オバマ夫人だと言われている。その結果、ジェシー・ジャクソン師のように、当初、オバマへの不信感を露わにしていたアフリカ系アメリカ人指導者も、彼の存在を認めるようになった。いわば、オバマはミシェル夫人を通じて、アフリカ系アメリカ人に「なった」といえるかもしれない。

一方のフィル・ライノットは、ロック・バンド「シン・リジー」の中心的存在で、ベースとヴォーカルを担当していた。彼は、ブラジル人の母親と、アイルランド人の父親の間に生まれた。ブラジルなど南米では、白人か黒人かということを問題にしないので、彼の母親がアフリカ人の血を引いていたかどうかは定かではない。むしろ、ポイントは、彼がアイリッシュというアイデンティティを選択したことだ。アイルランド人としての意識を高めた彼は、バンドと共に、アイルランド音楽を取り入れた『ブラック・ローズ』などの作品を発表していく。このように、アイデンティティには自主的な「選択」という問題も絡んでくる。実際、現在、アメリカの国勢調査も人種欄は自己申告に基づいている。

もちろん、ここで問題にした黒人/白人というカテゴリー自体、根本的にはナンセンスなものである。しかし、差別がなくなっていない以上、人種的なカテゴリーが力を持ってしまうことも事実である。このことを踏まえて、パッシング、アフリカ系アメリカ人の二重意識、ブラック・ナショナリズムの功罪などについて話した。

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4限。サバティカル中の富山先生のピンチヒッターで担当することになったゼミのテーマは、「ブルースを読む」。初回はまず、ブルースとは何かについて、ぼくなりの考えを述べた。ブルースはもちろん、第一義的には「音楽」である。音楽としてのブルースは、ブルーノート音階、7thコードの多用、コード進行、AABの形式などで、比較的定義しやすい。また、奴隷解放以前の音楽(スピリチュアルやワークソング)が集団の音楽だったのに対し、解放後に生まれたブルースは個人の歌であったと言われている。もちろん、それはブルースがコミュニティと無縁に存在していたということではない。ブルースはfloasting lineとも言われる、コミュニティの共有財産である常套句を用いながら、個人的体験に対するコミュニティの共感を求める音楽である。

ブルースは音楽であると同時に、「憂鬱」を意味する言葉でもある。しかも、それはしばしば、死と隣り合わせの深刻な憂鬱である。人種差別、リンチ、強制労働、貧困といった深刻な現実がブルースの背景にはある。こうした現実に、肉体的にも、精神的にも押しつぶされそうになりながら、生きる人びとは、そうした現実の「憂鬱(ブルース)」を、「憂鬱」という名の音楽=ブルースによって乗り越えようとする。ブルースは、日本のブルースバンドの名前にあるように「憂歌」なのだが、しかし、単なる憂鬱な歌ではない。ブルースによってブルースを乗り越えていくパラドクシカルな力がなければ、ブルースは成立しない。ラングストン・ヒューズが指摘しているように、そこではユーモアが大きな役割を果たしている。ブルースを乗り越えるブルースの力は、「死のうと思って線路に頭をのせるが、列車が近づいてくるのを見て、慌てて頭をのける」といった、死を直視したきつい笑いから生まれてくる

ブルースはしばしば、擬人化され、人間じみた存在として描かかれる。例えば、リロイ・カーは「ブルース、なぜ俺を悩ませる、なぜいつまでもここにいるんだ。昨日来て、一晩中俺のそばを離れない」と歌ったし(「ミッドナイト・アワー・ブルース」)、、ロバート・ジョンソンは「朝、目を覚ましたら、ブルースが人間みたいに歩いて入ってきた」と歌う(「プリーチン・ブルース」)。擬人化されたブルースは、いやな気分、憂鬱なのだが、同時にそれは歌としてのブルースになり、ブルースマンを救う、両義的な存在である。それは生きている限り消えることはなく、生きることそのものですらある。こうした擬人化されたブルースの両義的存在について考えるにつけ、思い出すのが三遊亭圓生が得意とした落語「死神」に出てくる「死神」である。死神は死のものであり、死のうとしている主人公に、死をもって死を乗り越える方法を教える。しかし、「死神」の多くのヴァージョンでは、結局、自分を裏切った主人公を死へ追いやる。その時に見せるサディスティックな顔は、死神が敵か味方かわからない両義的な存在であることを示している。ブルースと死神の類似性。そして、それは、やはり両義的なトリックスターである、ヴードゥーの十字路の神レグバにもつながる。ロバート・ジョンソンが魂を売り渡した悪魔というのは、果たしてレグバだったのか・・・

と、ちょっと眉唾の話も含めて、ブルース死神論を展開し、学生を煙に巻いた。来週はボブ・ディランのノーベル文学賞受賞講演を題材に、ブルースをアメリカの口承文化のなかに位置づけてみたいと思う。

澁谷に移動して、國學院非常勤前期第一回目。今年は英語の授業2コマ(6、7限)。7限の再履クラスは知った顔が多い。なかには、昨年度、ぼくが落としたにもかかわらず、飽きずにくる学生もいる。成績は半分はちゃんと教えられたかというぼくの成績でもある。とはいえ、本人がちゃんとやらなければ、良い成績はつけられないのも事実だ。まあ、ぼくもさんざん落第したクチだからね。単位落とすぐらいは長い人生で大したことではない。でも、卒業するつもりなら、どこかでとらないとね・・・で、いつとるの?今でしょ!・・・というわけで、アンケートを使って、いつものようにイントロダクション。

2018年4月8日(日)

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今日のお絵描き。中原中也


2018年4月6日(金)

風が強いな。天狗の面を買ってきて、ゲンセンカン主人ごっこでもするか。


フォルクローレ風の断片「アンデスでメロン」

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今日のお絵描き。ブラック・ビューティ。

2018年4月5日(木)

行きつけのバー『アゲイン』の常連Yさんのテーマ曲「どS師匠のテーマ」をつくった。

やつが来る やつが来る
自転車に乗って
噂のどS師匠

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今日のお絵描き。植木等的なもの。

2018年4月4日(水)

つくりかけだったラブ・ソング「銀色の風」を完成させた。短いけど、我ながらなかなかいい歌だと思う。

銀色の風に乗って
きみに会いに来たんだよ
銀色の風に乗って
きみをさらいに来たんだよ

ねえ 見えるだろ
聞こえるだろ
ぼくのときめきが

銀色の風に乗って
きみに会いに来たんだよ
銀色の風に乗って
きみをさらいに来たんだよ

2018年4月2日(月)

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今日のお絵描き。スクーター美女。

2018年4月1日(日)

それでは教育ではなく、「餌付けイション」だ。


チキリカで使えそうな曲の断片を思いついたので、録音してみた、「パパ・ルンバ」

新川健三郎ルーズベルト ニューディールと第二次世界大戦』(清水新書、1984)を読み終わった。ニューディール政策について勉強し直そうと思い、まずは、政策をすすめたフランクリン・デラノ・ローズベルト大統領についての入門書から。ローズベルトがニューディール政策を通じて、労働運動を支持し、金融の規制に取り組み、社会保障制度の端を開いたのは確かだが、大統領自身は、二期目の選挙においてアピールしたような「名もなきアメリカ人の味方」というよりも、さまざまな利害を調整しながら、イデオロギーに縛られずに英断を下すというタイプの政治家だったようだ。政権内に矛盾する意見を持つスタッフを抱え、それぞれの意見を臨機応変に採用していく、といったところに、彼の政治的手腕が発揮されている。ニューディール政策も、本来、アメリカ資本主義を守るためのもので、企業の利益に配慮し、労使関係の調整する側面を持っていたが、財界の理解を得られなかったために、庶民を味方につける方向に舵をとった。「市民派」として人びとの人気を集めたの背景には、扇動ぎりぎりの政治的判断もあったということだろう。とはいえ、ローズベルトによって、アメリカの「リベラル」が政策として形を成したことは確かで、戦後日本に輸入されたアメリカの「民主主義」というのも、ニューディールのリベラリズムだったのではないかと思う。なお、Roosveltの日本語表記を、ルーズベルトにすべきか、ローズベルトにすべきかについては、意見が分かれるが、実際の発音を聞くと、ローズベルトが近いのではないか。

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