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2018年1月8日(月)

一昨日に引き続き、昨年7月の第28回多民族研究学会全国大会のシンポジウム「ローカル・トゥ・ローカル:ワールド・ミュージックの新たな展開」の報告論文に取り組む。今日は、個人的なジンバブエ/ムビラ体験について語る第2節。

トーマス・マプーモとムビラ体験

作者がムビラという楽器に出会ったのは、やはり、ワールド・ミュージック・ブームのさなか、ジンバブエを代表するミュージシャンであるトーマス・マプーモの音楽を通じてのことであった。エルヴィス・プレスリーオーティス・レディングといった欧米音楽のコピーから音楽活動を始めたマプーモは、1970年代後半、北部の鉱山労働者のために演奏をするうち、彼らの多くが欧米の音楽には興味がなく、伝統音楽を聴きたがっていることに気づく。首都ソールズベリー(現・ハラレ)などの都市部では、ジャズやロックなどの欧米音楽や隣国・南アフリカのムバカンガなどがもてはやされていた時代である。マプーモはチキン・ラン・バンドと共に、ムビラの音をミュートしたギター、バオバブの実から作ったマラカスのような打楽器「ホショ」の音をドラムのハイハットに置き換えて、伝統音楽をバンド化する。独立戦争が激しさを増すなか、ゲリラの戦いや農村の苦しい暮らしのことを歌い、白人至上主義の政府のもと、投獄されたマプーモは、アフリカ人の間で英雄的な存在となった。こうした経緯から、彼の音楽はショナ語で「闘争」を示す言葉を冠して、「チムレンガ・ミュージック」と呼ばれている。

 ほどなく、マプーモは自らのバンド「ブラックス・アンリミテッド」を引き連れて来日し、1991年、渋谷で二回の来日公演を行った。当時のマプーモは、『チャムノルワ』などのアルバムで、それまでのギターに代わってムビラやホショなどの伝統楽器を大胆に取り込み、より伝統色を強めたスタイルを模索していた時期である。来日メンバーにも、二人のムビラ奏者がいた。作者がムビラ(あるいは親指ピアノ)の生演奏を聞いたのは、おそらくその時が初めてであった。もっとも、肝心のムビラ本体は、大きな共鳴体「デゼ」(後述)に隠れて見えなかったのだが、ぽろぽろと零れ落ちてくるその音色が、びーんと響く倍音で空気を満たしながら、複雑なポリリズムの力で、聞くものに踊るよう促すのだった。すっかりマプーモとムビラのとりこになった作者は、公演後、福島富士男先生のご紹介で、マプーモ本人と面会し、いっしょに写真まで撮らせてもらった。

 ここで、改めてムビラという楽器を紹介しておきたい。ムビラは、「親指ピアノ」と呼ばれる楽器の一種である。板や箱の上に並んだ金属製や竹製の棒をはじいて音を出すこの種の楽器は、東アフリカから南部アフリカを中心にアフリカ各地に存在しているが、地域によって形や演奏法が少しずつ違い、名前もリンバ、サンザなど様々である。「ムビラ」は、ジンバブエの人口の約70パーセントを占めるショナ人がこの楽器を呼ぶときの名称である。ジンバブエで最も一般的なムビラは、ムビラ・ザ・バジムと言われる24鍵のものである。単独で演奏することもできるが、複数のムビラやマラカスのような打楽器「ホショ」などとともに演奏すると、よりポリリズミックな効果を出すことができる。また、ムビラ本体だけでも音は聞こえるが、「デゼ」と言われる元々は瓢箪でつくられた大きな共鳴体(最近はグラスファイバー製が多い)のなかに入れて演奏すると、ムビラの特徴である倍音の響きが増幅される。さらに、三味線でいうところの「さわり」のような、びーんびーんといった音を生み出すために、デゼにはジュースの瓶の蓋(王冠)などが取り付けられている。そして、最も大事なことは、この楽器がホショと共に先祖の霊を呼び出す儀式で使われる神聖な楽器であるということだ。

 作者はこの不思議な楽器と、その後も伝統色を強めていくトーマス・マプーモの音楽に魅せられ、1999年には、自らヴォーカルとギターを演奏するバンド「チキリカ」のメンバーと共に、ジンバブエを訪問した。そして、その3年後の2002年、今度は一人で訪れたジンバブエで運命的な出会いが待っていた。

レジナルド・チウンディザとの出会い

 2002年のジンバブエ訪問は、首都ハラレにある公園ハラレ・ガーデンで行われる出版社の見本市「ジンバブエ・ブックフェア」に参加することが、第一の目的だった。ブックフェアにはジンバブエ内外の出版社がブースを出しており、日本では入手が困難なアフリカ文学関係の資料を手に入れることができた。同時に会場の複数個所に設けられたステージでは、音楽、ダンス、演劇といったパフォーマンがくり広げられており、もちろん、ムビラの演奏もあった。作者は同時期にジンバブエに来ていた旧知の女性研究者Mさんと行動をともにしながら、そうしたパフォーマンスを楽しんだ。ハラレ・ガーデンは、作者のようなパフォーマンスを求める外国人観光客と、そうした観光客を目当てに何とか小銭を稼ごうとする現地の男女であふれかえっていた。とりわけ、「ムビラの弾き方を教える」といって近づいてくるものは多い。そのなかの一人が、のちに深いかかわりを持つことになる「レジ」こと、レジナルド・チウンディザ(以下、レジ)であった。

 観光客に群がる自称ムビラ指南者の多くが、演奏もろくにできないニセモノだったのに対し、レジは本当にムビラが弾けた。ところが、彼がムビラの弾き方を教えると言って近づいてきたとき、作者もMさんもたまたま手持ちの金がなかった。その旨を伝えると、無料でもいいから教えさせろという。何と気前のいいこと、と思いつつ、ハラレ・ガーデンの片隅で、しばらく無料のレッスンを受けた。きちんとムビラが弾けるうえに、教え方も丁寧でわかりやすい。これなら、間違いないと、夕方にホテルで本格的なレッスンを受けることになった。ところが、このレッスンは実現しなかった。Mさんが通りで強盗に遭い、バッグを奪われまいとして、手首に怪我を負ったのだ。事情を知ったレジは出会ったばかりの日本人観光客の話を親身になって聞き、何かと力になってくれた。そして、Mさんの帰国後も、作者と行動を共にし、タウンシップのビアガーデンでのライブ演奏や、夜のハラレのライブハウスなど、観光客が一人ではいけないような場所に案内してくれた。

 ローカルなコンテキストの重要性について、レジから教えられたのは、行きたかった場所に一通り案内してもらった後のことだった。「他に何が見てみたい」と訊くレジに、作者は「お前が見せたいところを見たい」と答えた。謎かけのような回答に対して、レジの反応は早かった。「よし、ついてこい」。埃まみれの乗り合いタクシーに押し込まれ、埃だらけの道を行くうちに、数日前に知り合ったばかりの男の言われるままになっている自分の危うさに気づいたが、今さら遅い。車は都心を離れ、住む人もまばらなサバンナを抜け、郊外へ。赤茶けた土に、バランシング・ロックといわれる微妙な均衡を保って積み重なった岩や、わずかな灌木が点在する乾いた光景が続いた後、車は2世帯が一組になった平屋の長屋が立ち並ぶ一角に滑り込んでいった。タウンシップ ― かつてのアフリカ人居住区である。ローデシア時代、隣国・南アフリカのアパルトヘイトに比すべき隔離政策によって、都心に住むことを許されなかったアフリカ人労働者は、都心から離れた郊外の地域に住むことを余儀なくされた。アフリカ人を大統領とするジンバブエとして再スタートを切ってからも、貧しいアフリカ人労働者は、この地域に住み続け、都心までバスや乗り合いタクシーで都心へ通勤している。連れていかれたのは、タファラというレジの住むタウンシップであり、彼が見せたかったのは、そこでの暮らしだった。

 一角に肉屋のある小さなバス・ターミナルを抜けると、正面にビア・ホールがあり、男たちが昼間からビールを飲んでいる。酔って声を荒らげたりするものはなく、近づいてきた黄色い男に、親しげに笑いかける。缶ビールを片手に町なかを歩いていくと、住民たちがレジに話しかける。「そのチャイナはだれだい?」作者が中国人だと思った子供たちが、ジャッキー、ジャッキーと声をかけてくる。ジャッキー・チェンはジンバブエでも人気なのだ。甲高い声をあげて空手の真似ごとをして見せると、喚声をあげて喜ぶ。すらりとした体躯で正面から近づいてきたダンサーの女の子は、「ハーイ」とレジに声をかけて、キラキラとした笑顔を残して去っていった。最後に行きついたのが、レジの親友で彼のバンド「シュンバ・ザ・パシ」のベーシストだったジュリアスの家の中庭だった。そこでは、弦が4本しかないガット・ギターをベースに見立てたジュリアスと、数人のムビラ奏者が演奏を始めていた。そこにレジも加わり、ムビラを弾きながら、歌い始める。小さな子供が、演奏に合わせてリズミカルに体を揺する。それは平和で、心穏やかな、美しい光景だった。

 そのあと、コミュニティ・センターなどを案内したあと、レジはこう言った。「タウンシップはスラムで、犯罪の巣窟だと思っていただろう。でも、どうだい。みんな平和に暮らしている。これをお前に見せたかったんだ」作者は、乗り合いタクシーに乗るとき、身の危険を感じた自分を恥じた。そして、ローカルなコミュニティが提供するコンテキストの重要性に目を開かれることになった。

レジの糖尿病発病と来日

日本に帰ってくると、旅行中に撮影した写真を同封して、感謝の手紙を送った。ところが、いつまで待っても返事は来ない。旅先での出会というのはこんなものだろうか、と思っていると、数か月経ったころ、突然、レジから手紙が届いた。そこには意外なことが書かれていた。「重い病気にかかり、入院している。助けて欲しい」正直に言うと、この手紙を読んで、作者は迷った。いくら親切にしてくれたとはいえ、旅先で出会っただけにすぎない男の話が、嘘ではないという保証はどこにもない。だが、病気の話が本当であれば、国民皆保険制度などないジンバブエで、レジが生き延びるチャンスは、ないように思われた。援助を断って、彼が死んだら、一生後悔するだろう。タファラに向かう乗り合いタクシーのなかで、レジの素性を疑ったことへの負い目が頭をもたげた。結局、診断書を送ってもらい(どこまで証明できるものかわからないが)援助金を送ることにした。やがて、危険な状態を脱したとの旨を伝える礼状が届き、作者は胸をなでおろした。

 このとき、レジが罹った病名を聞いて、作者は驚いた。「I 型糖尿病」 ― 医者である作者の父が、長年、専門としてきた病気である。糖尿病というと、食事や運動不足などに由来する生活習慣病というイメージを持つ方が多いかもしれない。そうした生活習慣に由来する糖尿病は、Ⅱ型と呼ばれる。対して、Ⅰ型は何らかの原因(ウィルス、ストレスなど)で膵臓のランゲルハンス島から出るはずのインスリンという酵素が出なくなり、糖をエネルギーに変えることができなくなる病気である。摂取した糖は使われることなく排出され、何も処置が講じられなければ、患者は短期間にやせ衰えて死んでいく。しかし、インスリンを注射すれば、症状は劇的に改善し、健康な人と同じように生活することができる。Ⅰ型糖尿病は生活習慣とは関係がないので、ジンバブエのような貧しい国でも必ず罹る人が出てくる。そして、そうした貧しく、国民皆保険制度もない国では、インスリンを買う余裕がないために、多くの人々が命を落としている。

 翌2003年7月、日本からの援助 ― 財政的援助に加えて、父の病院から期限切れのインスリンが送られた ― によって、命を取り留めたレジとハラレで再会した。そして、ジンバブエの糖尿病患者が置かれた状況について話し合った。彼はハラレを中心に全国の糖尿病患者をまとめる組織を作ることを望んでいた。そのために、日本に行って、自分の体験を話し、寄付金を募りたいと考えていた。また、日本の側でも、いわいる「発展途上国」に期限切れのインスリンを送る運動を軌道にのせたいという思惑があった。そして、もちろんミュージシャンでもある彼の特性も生かして、2004年3月、日本各地で講演とムビラの演奏を企画し、東京、横浜、大阪、京都で、講演と演奏会を開いた。自分たちと同じ体験を共有しているアフリカの青年は、若いⅠ型糖尿病患者さんに熱狂的に迎えられた。また、レジが演奏を披露する際にとった手法は、作者がローカル・トゥ・ローカルな音楽の出会いを考えるうえで、たいへん示唆的だった。彼は日本のⅠ型糖尿病患者の女性2名にコーラスを教え、日本のジェンベ奏者、ムビラ奏者とともに、即席のバンドを作り上げたのである。

 このように、レジとの出会いは、作者に二つの点で、ワールド・ミュージックの未来を再検討する機会を提供してくれた。ひとつは、ローカルなコミュニティというコンテキストの重要性。加えて、そうしたコンテキストをバックボーンとしながらも、演奏の場を共有することによって、ローカルが他のローカルと直接出会う、「ローカル・トゥ・ローカル」の可能性。バックボーンとしてのローカル・コミュニティにしても、演奏の場の共有にしても、ワールド・ミュージック・ブームのころからあった。しかし、レジが見せたやり方はより小回りの利く草の根的なもので、グローバルな市場における中心と周縁のヒエラルキーに絡めとられることを避ける巧妙さを持っているように思われた。そして、レジの日本における活動をバックアップするうちに、日本のなかにも、同じような草の根的な手法で、ムビラというローカルを、日本のローカルに接続しようとしている人たちがいることに気づいた。 
 
 次節では、「ムビラ・ジャカナカ」として、長年、ムビラのワークショップや演奏活動を行ってこられた櫻井雅之さんとハヤシエリカさんにメールで伺ったお話を中心に、日本にムビラ普及に尽力された方々の活動を振り返る。加えて、そこにもまた、現地ローカルの原点を大切にしながら、実際の演奏を通じて日本のローカルに接続する「ローカル・トゥ・ローカル」な方向性が見られることを示したい。

論文というよりも、エッセイ的な内容になってしまったが、シンポジウムでの報告もこんな内容だったので、しかたあるまい。さて、ここからが本題。マサさんとエリカさんへのインタビューをもとに、日本でのムビラ普及に努めてきた人たちの、初期の活動をまとめる。

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