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2017年1月6日(土)

ふと思いついてつくったインスト。「断片#2」

細かい仕事が大方片付いたので、昨年7月の第28回多民族研究学会で全国大会のシンポジウム「ローカル・トゥ・ローカル:ワールド・ミュージックの新たな展開」の報告論文に取り組む。しめ切りは15日。しめ切りが差し迫っているときによくやるのは、論文を連載形式にして、ブログに掲載してしまうこと。自意識過剰な性格なので、誰かに見られていると思うと、タイプが進むのだ。今回もその手を使おう。まずは、イントロダクション。

1980年代中盤から1990年代前半にかけての、ワールド・ミュージック・ブームは、画期的な出来事だった。パリやロンドン、東京といった巨大都市に、さまざまな文化的背景を持ったミュージシャンが集い、伝統的な文脈を離れた混淆の実験が繰り返された。いわいる先進国の人々が、アジアやアフリカの音楽を西洋のポピュラー音楽と分け隔てなく聞くことが、日常的に行われるようになった。日本でも、東京などの大都市周辺であれば、多くの来日・在日ミュージシャンによる生演奏を体験することも、それほど難しいことではなかった。常時、アフリカ人のミュージシャンによる演奏で踊ることのできる店すらあった。この時代が、多くの人たちにとって、閉ざされていた音楽体験への扉を開くものであったことは、間違いない。

一方で、「ワールド・ミュージック」そのものが、日本を含む「先進国」を中心に置き、それ以外の地域を周縁に置く発想と無縁ではないことを、忘れてはならない。それは、すべての音楽を包括するはずの「ワールド・ミュージック」から、欧米先進国や日本のポピュラー音楽が抜け落ちていたことを考えれば、明らかだ。その言葉が意味するのは、「世界の音楽」ではなく、「あちら側の音楽」だった。「ワールド・ミュージック」というラベルを貼られてパッケージ化され、コンテキストから引き離された「あちら側」の音楽は、グローバルな市場という文脈において、エキゾチックな臭いを残した「商品」として新たなアイデンティティを与えられる。ローカル・コミュニティの音楽が、「地球上に広く普及するためには、多国籍企業であるレコード会社の搾取に身を委ねなければな」らなかったのである(フリップ・V・ボールマン『世界音楽入門』 14)。ワールド・ミュージックは、結局、かつて植民地だった地域の音楽の、元宗主国によるパッケージ化と大量消費であったと結論づけることも可能だ。

中心と周縁の格差とコンテキストの問題に、当初から自覚的だった人たちも少なくない。音楽評論家の松村洋は、『ワールド・ミュージック宣言』(1990年)のなかで、アフリカの伝統的な社会の多くには、「音楽」というカテゴリーがないという西江雅之の卓見(「"さあ、一緒に踊ろう"」、『ユリイカ』、Vol.22-5、1990年)を受けて、さまざまなコンテキストのなかで他の要素と結びつき、個別に認識されていた「音」を取り出して、「音楽」という一つのカテゴリーのなかにくくること自体が、近代西洋的な発想であることを示し、こうした、いわば、カテゴリーの捏造によって、それぞれの「音」が本来持っていたコンテキストが見失われることの危うさを指摘している。もっとも、松村はコンテキストを離れることそれ自体が絶対に許しがたい過誤であると言っているわけではない。コンテキスト(あるいは、昼間賢のいう「ローカル・ミュージック」の「場」)が失われる危険性を感じながらも、コンテキストを超えた出会いのなかに新たな可能性を見出しているのである。

この論文もまた、『ワールド・ミュージック宣言』と問題意識と希望を共有するものである。しかし、1990年代後半、バブル経済の破綻と共にワールド・ミュージックのブームは終わった。それ以後、来日するミュージシャンの数や、CDなどの販売数も目に見えて減っている。ワールド・ミュージックが始めた危うい実験は、手つかずのまま残されているように見える。しかし、そうではなかった。ブームとは関わりのないところで、あるいは、ブームの熱さが熾火のように残っていたここかしこで、出会いの実験は形を変えて続けられていたのだ。それは、巨大都市を仲介しない、ローカルとローカルが直接出会うことによって、グローバルな市場で中心と周縁の力関係にからめとられることを極力避けようとする。今回のシンポジウムにお招きしたニコラ・リバレ氏がプロデューサーを務める富山県南砺市のイベント「スキヤキ・ミーツ・ザ・ワールド」は、そうした試みのひとつである。もう一人の登壇者、昼間賢氏は著書『ローカル・ミュージック』を通じて、ローカル・トゥ・ローカルな音楽の出会いに明確なイメージを与えている。この論文では、ムビラ(親指ピアノ)という小さな楽器を通じて、音楽との出会いを深めてきた方々を紹介するとともに、ムビラ音楽の日本における新たな可能性についても言及する。しかし、その前に、作者自身の個人的体験を話すことから物語を始めなければならない。仮にもアカデミックな論文を自任するのであれば、個人的な視点は極力排除するのがルールであることはわかっている。しかし、ローカル・トゥ・ローカルな出会いをテーマとするシンポジウムにおいて、個人という最小単位のローカルを抜きに話を進めることはできないと考え、あえてその禁を破りたいと思う。

まだ体裁は整っていないのだけれど、こんな感じで次に、ぼくのジンバブエ//ムビラ体験、さらにマサさんとハヤシエリカさんの証言をもとに、お二人のムビラジャカナカとしての活動を中心に、日本におけるムビラ普及の動きを跡付けていく予定。

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