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2017年11月30日(木)

休み休みにYeah!

首都大非常勤、後期第八回目。『ジャズの誕生』をテキストとするリーディング3コマ。テキストに出てくる「オンワード・ブラス・バンドの録音を聞きながら、授業開始」(ただし、教科書に出てくるのは、19世紀から1930年まで活動していたオリジナル・オンワード・ブラス・バンド。録音は、1960年に再結成・・・というか、旧バンドの名前を借りて結成された新しいバンドのもの)。テキストの内容は、1限が、「これら両極端の間で、多くの奴隷や自由黒人が、町のいたるところに暮らしていた。それは反乱を避けるための法的措置であったが、結果として、人種隔離を軽減することになった、人種よりもむしろ経済的なラインで社会的区分を定めようとするこの傾向もまた、のちにその力を失うことになるとはいえ、音楽の混交を促進する手助けになった」「西アフリカの音楽的影響の何かが、ブードゥ教のなかに生き残り、コンゴ広場で表面化したのだとすると、それはどのようにジャズの誕生に貢献したのだろうか。二つの要因がこの進化を助けた。軍楽隊の凄まじい人気と、西洋の楽器の段階的導入である」まで。2限がその先、「もちろん、そうしたことすべての背景には、白人が支配的な文化に、印を残したい、所属したい、事実上参加したいという、アメリカ黒人の強く変わらない願望があった」まで。

3限はさらに先で、「この組み合わせ(楽団に雇用を与える特殊な組織と、広い範囲の機会に楽団の存在を受け入れる他にはない伝統)が、スイングしはじめた最初のバンドを生み出す手助けとなった」「特殊な組織とは、秘密結社である。黒人の生活は、秘密結社が隅々まで入り込んでいる。<おそらく、秘密結社や友愛組織の周りに集中しているものほど、人種に特徴的で、急速に発展した黒人の生活の局面はない>と、H・W・オーダムは述べている。それら(秘密結社や友愛組織)は、<埋葬費用、疾病手当、亡くなったメンバーの遺族への少額のお金を払う>。W・E・B・デュボイスは、それらはまた、<仕事の単調さからの気晴らし、野心と陰謀の場、パレードの機会、不幸に備えた保険を提供する>と付け加える」

江古田マーキーに、ひらげエレキテルとして出演。6曲歌ってきました。演目は、「焼酎」「New Song」「かわいい子猫ちゃん」「子供への唄」(井上陽水カヴァー)「まあるいお月さま」「最後の日」。盛り上がってくださった皆さん、ありがとうございました。今回は、いつもお世話になっている整体の先生に見に来ていただいたので、最近、お子さんが生まれたばかりの先生のために、急遽、井上陽水の「子供への唄」を歌わせていただきました。共演者も素晴らしい方々ばかりでしたが、今回は何といっても、マーキーの店長でもある「ぱんださん」ことありのぶやすしさんの唄と演奏が目も眩むほどの素晴らしさでした。ぼくも頑張らねば。

2017年11月29日(水)

西口のバスターミナルでバスを待っていたら、高校生〜二十歳前後ぐらいの男性が、手製の奇妙なお面をつけて、地下街に降りていった。何をするつもりだろう。

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今日のお絵描き。スライド・ギターの名手タンパ・レッド。帽子がオシャレ。あきれたぼういずにいそうな感じもする。

横浜国大非常勤「英米文学」、第八回目。今回は19世紀から20世紀初頭にかけての、アメリカ黒人にまつわる音楽・芸能を概観した。白人の芸人が顔を黒く塗り、唇を厚く描いて、黒人をバカにしたステージで笑いをとる「ミンストレル・ショー」は、南北戦争前後のアメリカでもっとも人気のある芸能だった。半円形に座った芸人がバンジョーやボーンズなどの楽器を弾きながら、珍妙なやりとりをくり広げる、スタイルとしての「ミンストレル・ショー」は19世紀末に衰退していくが、黒塗り芸(ブラック・フェイス)自体は、その後もアメリカのエンターテイメントの中心を占めていた。初の商業的に成功したトーキー映画『ジャズ・シンガー』(1927)は、黒塗りのユダヤ系芸人アル・ジョルソンをフィーチャーしたものだったし、ビング・クロスビーフレッド・アステアが共演したミュージカル映画『スウィング・ホテル』(Holiday Inn、1942)でも、主演のクロスビー自ら顔を黒く塗って登場している。

興味深いのは、他ならぬ黒人の芸人がミンストレルに参入してきたことだ。南北戦争後、北部では「モンモノの」黒人に対する関心が高まり、顔を黒く塗った白人の演技では飽き足らなくなっていた。これに応えて、多くのミンストレル劇団が、黒人の芸人を雇い、「ホンモノの」ミンストレル・ショーであることを謳い文句に客を集めた。とはいえ、このこえろになると混血も進み、顔の色のさほど黒くない「黒人」もたくさん存在した。「ホンモノの」黒人ではないのではないかという疑念を払拭するために、これら肌の白い黒人芸人は、黒人でありながら顔を黒く塗り、唇を分厚く描いてステージにあがり、「黒人が黒人の化粧をする」という倒錯した現象が見られるようになった。

同朋を見下すミンストレル・ショーに参入した黒人芸人たちは、何を考え、自分たちの行為をどのように正当化していたのだろうか。まず第一に、彼らには他に成功に至る道が残されていなかったということがある。しかし、それでは、彼らは成功のために自尊心を犠牲にしたのだろうか。ミンストレル芸人には、アイルランド人やユダヤ人といった後発の移民が多かったが、彼らは顔を黒く塗ることにより、自分が白人であることを証明していたという見方がある。顔を黒く塗らなければ、黒人になれないということは、その人は黒人ではない。黒人ミンストレルの黒塗りにも同じことが言える。顔を黒く塗った黒人芸人の内実は、ミンストレルにおける「ホンモノの」黒人像とは別のところにあり、ステージ上の黒人像は磨き上げられた芸の賜物・・・ということになる。例えば、19世紀末~20世紀初頭にかけて活躍した黒塗りの黒人エンターテイナー=バート・ウィリアムズは、カリブ海出身で、祖父が白人だったため、肌の色が薄く、南部の黒人文化とも無縁だった。つまり、彼がステージ披露した間抜けな黒人像は、磨き抜かれた演技だったのである。

白人の聴衆は、ごく一部を除いて、こうした当たり前のこと ― ステージ上の黒人像が演技であるということ ― を理解していたとは思われない。また、黒人知識人の多くは、黒人を貶めるものとしてミンストレルを忌み嫌った。両者は、ミンストレルが黒人という民族全体の表象であるという点では一致している。一方で、黒人の庶民は、差別的な側面をカッコに入れて、ミンストレルを楽しんでいたという。彼らにとって、ステージ上の「黒人」は民族全体を代表するものではなく、コミュニティを構成する一人ひとり ― 裏通りのネティおばさんとか、隣家の放蕩息子とか ― であり、笑われているのは彼ら自身でも、彼らの民族全体でもない。彼らは、白人聴衆や黒人知識人と、笑いの対象という議論の前提を共有していないのである。ここに「笑い」を考える難しさがある。誰が、誰を、何のために笑っているのか。

後半は、ブルースとジャズの誕生について。ともに、19世紀末から20世紀にかけて、アフリカ系アメリカ人のなかから現れた「新しい」音楽である。音楽形式としてのブルースは、スリーコードにセブンスがついたコード進行や、ブルーノート・スケールによって、比較的定義しやすい。しかし、「ブルース」という存在には、もう少し複雑なものがある。ブルースは奴隷解放後にはじめて現れた、個人の気持ちを歌う歌だ。もちろん、コミュニティと無縁ではなく、コミュニティの共有財産からフレーズを借りながら、個人の経験にコミュニティの共感を促す。ブルースという言葉は、音楽以前に、憂鬱そのものを表す。死ぬまでついて回る憂鬱な感情としてのブルースは、ときに擬人化され、歌としての「ブルース」のなかに登場する。人々は、ブルースを歌うことによって、ブルースを追い払う。ブルースによってブルースを祓う儀式がブルースであり(ややこしや)、ただ悲しいだけではブルースにならない。ブルースは、力強い何か(多くの場合、ユーモア)によって、ブルースを越えていくものでなくてはならない。

この後、戦前のブルースを代表する曲として、ロバート・ジョンソンの「カモン・イン・マイ・キッチン」を聞いたのだが、「ロバート・ジョンソンは典型的なブルースからは外れる部分があるように思う」などと、言ったものだから、煮え切らない感じになってしまった。最近、ぼくの周りには、ロバート・ジョンソンばかり持ち上げられることに辟易としている人がけっこういる。もっと素晴らしいブルースマンがいるぞ、と言う人もいる。素晴らしいブルース・マンがたくさんいることはその通りだと思うが、ぼく自身はいまだにこの曲の、「風がうなるのが聞こえるかい」と囁きながら、指板の上のスライドバーをちゅちゅーんと滑らせるところで、ぞくぞくっとしてしまう。ブルースが聴衆に直接語りかけ、共感を求める音楽だとすると、ロバート・ジョンソンの代表曲のいくつかは、それとは一線を画するものがある。例えば、この曲、タイトルの呼びかけは、聴衆ではなく、歌のなかに登場する女性に対するものであり、ろばじょんはそれを俯瞰で眺めながら、ときに歌の登場人物の視点に立ったり、聴衆によびかけるミュージシャンに戻ったりして、カメラ・アングルを変えながら、物語を暗示していく。こうした映画的ともやり方は、ブルースにおける(演者と聴衆の)対話を犠牲にして成り立つように思われ、典型的なブルースが好きな人にとっては、小賢しく響くかもしれない・・・と思ったり。

さらに、テキサス・ブルースを代表して、村のダンス・パーティで演奏するライトニン・ホプキンスの映像を見た。こうしたコミュニティのなかで機能する側面のほうが、本来のブルースらしいブルースと言えるのかもしれない。

最後に、ジャズの誕生について。ブルースと違い、形式的にも定義しにくいジャズの成り立ちを、ジャズ誕生の中心地であったニュー・オリンズの歴史に照らして考える。ニューオリンズはもともとフランス領で、のちにスペイン領になった。これらの国々では、黒人と白人の間にグラデーションがあり、より白人に「近い」混血の人たちは、かなりの社会的地位を得て、なかには西洋の音楽教育をうけるものもいた。しかし、ルイジアナ購入後、状況は一変する。ナポレオンが売却した広大な地域の一部としてアメリカ領となったニューオリンズにも、ワン・ドロップ・ルールが適用されるようになり、混血の人たちは社会の中枢から次第に排除され、西洋音楽の教育を受けた者たちも、その知識を持って巷に下りていく。一方、太鼓やダンスといったアフリカ系のパフォーマンスに寛容だったフランス・スペイン領時代の名残で、ニューオリンズのコンゴ広場では、アメリカ領になってからもしばらくは、こうしたパフォーマンスが許されていた。ここに、西洋の音楽とアフリカの音楽が出会う素地が生まれる。こうしたななから生まれた混血音楽として、ジャズを理解することができる。

なかなか、文学らしい話に入らないが、次回はようやく、ハーレム・ルネサンス。文学らしい話です。

2017年11月28日(火)

時代は2拍子だと思う。


一昨日作った「今日もどこかでデビルマン」ブラジル音楽の名曲風ヴァージョン、かなりブラッシュアップしました。ぜひ聞いてみてください。

日本女子大非常勤、後期第十一回目。「米文学論文随筆演習」は、ハリエット・アン・ジェイコブズの奴隷体験記を読む。逃亡したふりをして、祖母の家の屋根裏に身を隠したリンダ(ジェイコブズの仮名)だが、知り合いにニューヨークからドクター・フリントに手紙を出してもらい、自分が北部にいると信じ込ませることを思い立ち、、ピーターの協力を得て、フリントと祖母にあてた手紙を投函してもらう。はたせるかな、祖母の家にやってきたフリントは祖母あての手紙を捏造し、リンダがいにも南部に帰りたがっているかのような内容を読み上げる。リンダが戻ってくれば、リンダの友人に彼女を買わせることもいとわないといって、祖母を説得する。リンダのおじのフィリップに彼女を迎えに行って欲しいというのだが、フィリップは奴隷制反対主義者の多いフィラデルフィアに逃亡奴隷を捕えに行ったら、どんな目に合うかかわらないからと言って断る。フリントは、それなら自分はなおさら危険だと困惑する。しかし、それは逃亡奴隷法が制定されて、北部の人たちが「奴隷狩り」に身を落とす前のことだ、とリンダは思う。リンダとフリントの騙しあいが火花を散らし、リンダが一枚上手を取るという展開。逃亡奴隷法に対する批判も盛り込まれている。「アカデミック・ライティング」はそれぞれのペースで、後期エッセイを。ようやく論の軸をつかみかけた人、新しい段落に進んで軸を見失いかけている人、話の流れが作り出せずに苦しんでいる人、とさまざま。最終的に形になれば、単位はあげられるが、目標はそこではなく、あくまでも卒論にその経験を生かせるか。

2017年11月27日(月)

明治学院非常勤「アメリカ研究」、後期第十回目。前回に引き続き、スパイク・リー監督の映画『マルコムX』(1992)を見た。最後まで見終わるかと思ったが、暗殺シーンの直前でタイムアウト。見ている学生も結末はわかっていると思うが、描き方もショッキングだし、ボールドウィンによる追悼詩、ネルソン・マンデラの「授業」、そして「必要ないかなる手段を用いても」・・・という重要なシークエンスが残されているので、次回しっかりと見よう。

國學院非常勤、後期第九回目。「1st Year English」は、疑問詞を使った疑問文の復習(これをもとに来週、間接疑問文をやる)、所有格の関係代名詞(次回は前置詞+関係代名詞と、関係副詞)をやった。二つの項目を並行してやることになったが、結果、どうなるだろうか。「英語(L&W)」は、バラク・オバマの大統領就任演説を読み、聞く。今日は、「我々の不朽の精神を再確認し、より良い歴史を選択し、神からの尊い賜り物として、世代から世代へと受け継がれてきた気高い考え、すなわち、すべての人は平等で、自由で、幸福を最大限に追求する機会に値するという、神に与えられた約束を推進する時が来ました」 遅々として進まないが、わかったふりをして進むよりも、完全に理解はしないまでも、少しでもひっかかりを残して進んだほうがいいと考えて、文法的なことをかなり詳しく説明している。とはいえ、日本語と英語は極端に語順が違うので、日本語に直そうとすると難しいという面はある。語られた順に情報を受け取っていけば、そんなに難しい文ではないのだが。

2017年11月26日(日)

今日のアナグラム。
「京王井の頭線(けいおういのかしらせん)」
「ライオンの世界。行け、牛!(らいおんのせかいいけうし)」

どうも朝から調子が悪いと思ったら、ドーパミン作動性の貼り薬ニュープロ・パッチを貼り忘れていた。慌てて貼ったが回復せず。11時から大事な用事があったので、レポドバもいつもより速いペースで飲んだ。すると、ドーパミンが一気に増えたのか、光が眩しくて目が開けられなくなった。これはいけないと思っていると、強烈な眠気。現実とは違うストーリーが頭の中に入り込んでくる。かかりつけの先生によると、脳内でつくられたドーパミンは目的が決められているので、おかしな作用をすることは少ない。外からドーパミ ン(の原料)を入れる場合は、目的が決められていないので、どんな結果になるか予想がつきにくい。脳からしてみる と、少なくなっていたドーパミンが、無条件で空から降ってくるようなものだ。そんなドーパミン・バブルに浮かれながら、分解される前にドーパミンを使おうと慌てる。税金で取られるぐらいならと、見返りの期待できない前衛アーティストに投資するバブル投資家のように、光を大量に取り入れたり、ありもしないストーリーを弄ぶことに貴重なドーパミンを費やす。薬を飲み忘れたり、慌てて飲んだりすればなおさらだ。

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今日のお絵描き。ブライアン・ウィルソン


「デビルマン」のエンディング・テーマ「今日もどこかでデビルマン」を、「マシュケ・ナダ」風にやってみました。いろいろ至らない点はありますが、アイディア一発で許して。

下北沢Lagunaで、やーまんくんの自主企画Endless End Rock'n'Roll vol.3を見た。やーまんくんとは、Lagunaのブッキング・ライブで同じステージに立ったことをきっかけに、友だちになった。心の痛みを希望でそっと包んだような(あるいは、希望を心の痛みで、でもいい)繊細な言葉遣いと、素朴なフォークのようでいて、ちょっと捻った音楽には、共演するたびに、「やるなー」という感じなのだけれど、この日は主催ということもあってか、いつもにも増して緊張感のある素晴らしい演奏だった。前回見たときには、アシッド・フォーク的なものを連想したのだが、今回はもっとストレートで真摯な印象が強い。見るたびに、違った面が輝いて見えるということか。やーまんくん自身が選んだ他の出演者も、ちょっとないくらい重量感のある組み合わせだった。とくに、山本久土さんの笑いながらすべてをなぎ倒していくような破壊力のあるパフォーマンスには、いい意味で、開いた口がふさがらなかった。

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2017年11月25日(土)

西方、マシュケ灘、ブラジル出身、セル潮部屋。

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きぉうのお絵描き。ジェイムズ・サン・トーマス

2017年11月24日(金)

時間はふだん、「さ、おくれますよ、いそいで、いそいで」と急かすくせに、待ち遠しいことがあると、「ああれええ、おいそおぎでえすかぁああ」などと、急にのんびり屋になる。

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今日のお絵描き。サッチモ


やーまんくんにキーを変えたほうがいいとアドバイスをもらった「焼酎」、キーを変えたバージョンを作ってみた。もっと渋い声で歌ったほうがいいとか、いろいろ問題はありますが、とりあえず、公開します。

神奈川大非常勤、後期第九回目。「初級英語」2コマはテキスト解析。前回学生から質問のあった、"look at"を「群動詞+目的語」と考えるか、「動詞+前置詞句」と考えるかについて、受動態になった時に、"be looked at"という文が成り立つということは、受動態の主語になる「~」の部分は、群動詞の目的語と考えたほうがわかりやすいのかもしれない。そのことも含め、しかし、どちらも間違っていないということを説明した。「基礎英語」は、疑問詞を使った疑問文の復習をして、間接疑問文に入ろうというところで、タイムアウト。意外と疑問詞の疑問文が苦手な学生が多いということが分かった。来週もう一回、きちんと復習しておこう。

2017年11月23日(木)

アナグラム。「八王子(はちおうじ)」と「叔父は家(おじはうち)」

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今日のお絵描き。サニー・ボーイ・ウィリアムソンⅠ

日本版ウィキペディアには、サニー・ボーイ・ウィリアムソンIIの記事はあるのに、サニー・ボーイ・ウィリアムソンIの記事がない。そりゃあ、今となってみれば、IIの方が有名かもしれないけどさ。もともとIの名前を、IIがちゃっかりいただいたってだけの話で、IあってのIIでしょ?日暮里あっての、西日暮里でょ?(←これが言いたかっただけ)。

首都大非常勤、後期第七回目。『ジャズの誕生』をテキストとするリーディング3コマ。テキストのなかに軍楽隊の流行という話が出てきたので、第一次世界大戦で戦い、「「黒いガラガラヘビ」と恐れられた黒人部隊第369連隊(通称ハーレム・ヘルファイターズ)の軍楽隊を指揮し、戦勝パレードにも参加して人気者になったジム・ユールップの楽団による演奏を聞きながら、授業開始。ちなみに、ユールップは、帰国後1年たたないうちに、バンドのメンバーと喧嘩して殺されてしまった。テキストの内容は、1限が「一方、ニューオリンズ周辺の大農場の奴隷たちは、ヨーロッパ音楽をほとんど、あるいはまったく聞いたことがなかった。ほとんど彼らだけで取り残されて、これらの農夫たちは彼らの音楽的遺産を保持することができ、大農場はアフリカ音楽の宝庫となった」。2限がその先で、「これら両極端の間で、多くの奴隷や自由黒人が、町のいたるところに暮らしていた。それは反乱を避けるための法的措置であったが、結果として、人種隔離を軽減することになった、人種よりもむしろ経済的なラインで社会的区分を定めようとするこの傾向もまた、のちにその力を失うことになるとはいえ、音楽の混交を促進する手助けになった」。3限はさらに先で、「楽団はほとんどあらゆる機会に雇われ ― パレード、ピクニック、コンサート、川舟の周遊、ダンス、葬式 ― 間違いのない出し物(テッパンネタ)だった。1871年、13もの黒人組織がガーフィールド大統領の葬儀で、それぞれの楽団に代表された(それぞれ、楽団を代表として送りこんだ」(ちなみに、ガーフィールド大統領が亡くなったのは、1881年で、これは原文の誤り)「ニューオリンズの黒人楽団の卓越と頻出の説明は何だろう(ニューオリンズで優れた黒人の楽団が次々と登場したことはどう説明できるだろう)?フランスとの密接な結びつきと、ブラスバンドの一般的な人気に加えて、ニューオリンズには楽団に雇用を与える特殊な組織と、広い範囲の機会に楽団の存在を受け入れる他にはない伝統があった」

2017年11月22日(水)

ブラックパンサー党創始者の一人であるボビー・シールが書いた料理本Barbeque'n with Bobbyが届いた。どういうわけか、シールは料理に強い関心があるらしい。

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今日のお絵描き。ブルース・ブラザーズ

横浜国大非常勤「英米文学」、第七回目。南部と北部の対立を軸に、南北戦争前後のアメリカ史を見た。プランテーションを拠点に、農本主義的な国家を目指す南部と、商工業を中心に資本主義経済への参入を志向する北部は、あらゆる点で対立した。例えば、農産物をヨーロッパに輸出したい南部は自由貿易、成長し始めた自国の経済を守りたい北部は保護貿易を提唱した。南部はプランテーションの経営に必要不可欠であるとして、奴隷を手放さなかったが、北部はそれを必要のない労働力を抱え込む前時代的で、非効率的な制度と考えた。国の運営方針をめぐる南部と北部の対立は、やがて、連邦議会、とりわけ上院における勢力争いへとつながっていく。アメリカでは、下院が人口比に応じて、各州に議席が振り分けられるのに対し、上院は人口の増減に関わらず、各州に二つの議席が振り分けられる。そのため、新しい州を奴隷州として南部陣営に入るのか、自由州として北部陣営になるのかが、大きな問題となった。ルイジアナ買収以降、アメリカは拡張主義の時代であり、新しい領土が州に昇格するたびに、微妙な均衡を崩すことを恐れた南部と北部は、妥協をくり返した。ミズーリ州を奴隷州にする代わりに、コネチカット州からメーン州を独立させた「ミズーリの妥協」(1820)にはじまり、メキシコから割譲されたカリフォルニアを自由州にする代わりに、より厳格な逃亡奴隷法を定めた「1850年の妥協」を経て、1954年、カンザス・ネブラスカでは自由州か奴隷州かの決定が住民に委ねられ(カンザス・ネブラスカ法)、同地域には奴隷制賛成派・反対派が全国から集まり、内戦状態となった。カンザス・ネブラスカの戦いのなかから頭角を現したラディカルな奴隷制反対主義者ジョン・ブラウンが反乱を起こし(1859)、奴隷制拡大反対派によって結成された共和党のエイブラハム・リンカーンが大統領に当選するに至って、南部諸州は反発を強め、アメリカ連合国として独立を宣言。これを認めない連邦政府との間で、南北戦争の火ぶたが切って落とされた(1861)。

4年以上に渡って続いた内戦は、北軍の勝利に終わり、奴隷解放宣言が出されて、奴隷が解放されたのは、歴史が語る通りである。しかし、リンカーンをはじめ、連邦政府の中枢にある人々の関心は、奴隷解放よりもむしろ、連邦の維持にこそあった。奴隷解放宣言も、実施の1年前に出された予備宣言によって、南部に揺さぶりをかけるためのものだったとも言える。ともあれ、奴隷制は廃止されたが、解放された奴隷たちの多くは、財産も、仕事も、教育もなく、結局はシェアクロッパーとして今までと同じように土地に縛られるしか生きる道がなかった。奴隷制の下では、奴隷主は奴隷の衣食住を世話しなければならなかったが、小作人はそうではなかった。解放奴隷には、いわば、「飢える自由」もあったのである。そのうえ、クー・クラックス・クランのような白人至上主義団体が次々と結成されたのも、この時代である。ともあれ、南北戦争後の「南部再建期」には、憲法の修正、相次ぐ公民権法の制定などによって、黒人の権利が認められるようになったことも確かである。その結果、黒人の上院議員(ハイラム・R・レベルズ)や、黒人の州知事(ピンクニー・ピンチバック)も生まれた。しかし、共和党のラザフォード・ヘイズを大統領とする代わりに、連邦軍が南部から引き上げる「1877年の妥協」により、南部再建期は終わりを告げる。1883年、最高裁が1875年の公民権法を違憲とみなし、ジム・クロウ法と呼ばれる人種差別法が南部各地で制定され、南部は完全に逆コースを歩みはじめる。そうした時代を象徴するように、プレッシー対ファーガソン裁判では、「隔離すれども平等」であれば構わないという人種隔離を正当化する判決が下りてしまう。そして、19世紀末には、リンチで殺される黒人の数がピークに達する。黒人に対するリンチは、この後も長く続き、1930年に、吊るされた黒人の死体の写真に衝撃を受けたユダヤ人教師エイベル・ミーアポルによって書かれた「奇妙な果実」は、ビリー・ホリデイによって歌われ、ジャズ史に残る名曲として歌い継がれている。

後半、この時代の芸能のなかから、フィスク・ジュビリー・シンガーズの「黒人霊歌」(「霊歌ではない」というハーストンの意見も)と、ブラックフェイスミンストレルについて概説した。次回は、黒人をバカにする芸能であるミンストレルに黒人の芸人が参入していったのはなぜなのかについて考え、ブルースとジャズの誕生を語るなかで、いくつかブルースの歌詞などを読みたいと思う。

2017年11月21日(火)

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今日のお絵描き。チャーリー・パーカー

日本女子大非常勤、後期第十回目。「米文学随筆論文演習」は、ハリエット・アン・ジェイコブズの奴隷体験記を読む。祖母宅での潜伏生活は快適なものではなかったが、外の世界で虐待を受けている奴隷の女性たちに比べれば、それさえもマシというものだった。こうしたことを知らないはずはないのに、ミシシッピ州選出のブラウン上院議員(ミシシッピ州知事から上院議員になったロバート・G・ブラウン)は、国会で奴隷制を正当化している。2年目の冬は、寒さに運動不足による手足の麻痺も加わって、1年目以上に辛かった。リンダは体調を崩すが、弟ウィリアムや、叔父、祖母の看病、ウィリアムがトンプソン派(アメリカの薬草医サミュエル・トンプソンが提唱した治療システム)の医師に教えられた通り、炭に火をつけて、リンダの体を温めてくれたおかげで、次第に回復する。そんななか、息子ベニーが犬に噛まれ、リンダをヤキモキさせるが、フリント夫人の口汚い罵りにも関わらず、すぐに元気を取り戻す。さらに、祖母までもが心労で倒れてしまう。祖母が何とか死を免れたことを知って、リンダは自分のせいで祖母が死んだと悩まずに済むようにしてくれた神に感謝する。

「アカデミック・ライティング」は、それぞれのペースで後期エッセイを仕上げる。テーマをどう捉え、何を軸に論じるかという点がはっきりしていない学生が何人かいる。そのままで行くと、結論を書くのにすごく苦労すると思うので、クラス全体にも、個別にも、自分の視点を探すよう強調した。「テーマ○○は、△△である」と方向性を決めたら、すべての情報その一点に結びつけて配置する。どうしても結び付けられないものは、ここではいらない情報なのだ。涙を飲んで切り捨てよう。

2017年11月20日(月)

明治学院非常勤「アメリカ研究」、後期第九回目。スパイク・リー監督の映画『マルコムX』(1992)を見た。今回はネイション・オブ・イスラムで、ミニスターとして活躍しはじめたマルコムが、のちに夫人となるベティ・シャバーズと出会うところまで。

國學院非常勤、後期第八回目。「1st Year English」は、関係代名詞の続き。関係代名詞の訳し方がわかっていない学生が何人かいたので、前回とは違った角度から説明してみた。関係代名詞節は、ようするに名詞を修飾する形容詞の役割をしているのだ。つまり、"I know a lot of beautiful people,"(私は美しい人々をたくさん知っている)の"beautiful"の代わりに、関係代名詞節を使うと考えればいい。ただし、普通の形容詞が名詞を前から修飾するのに対し、関係代名詞は後ろから修飾する。つまり、"I know a lot of people who lives in New Yor.k"(私はニューヨークに住んでいるたくさんの人々を知っている)。「英語(L&W)」は、バラク・オバマ2009年大統領就任演説を読む。「今日、われわれは怖れよりも希望を、衝突や不和よりも、目的の共有を選んだからこそ、こうして集まったのです。今日、われわれは、つまらない不平不満、間違った天気予報、非難の応酬、使い古された教義の終了を宣言するために来たのです。こうしたことが、我々の政治の首を絞めてきたのです。私たちは今も若い国ですが、聖書の言葉に、そろそろ子どものようなことはやめる時間がきたとあります(コリント人への手紙13:11)」



チャック・ベリーは、ビートルズの「カム・トゥギャザー」を聞いて、自作の「ユー・キャント・キャッチ・ミー」の盗作だと、激怒したという。確かに、「カム・トゥギャザー」のほうが、だいぶテンポが遅いものの、「ロックンロールなんてどれもいっしょ」という唐変木でない限り、そっくりだということはすぐわかる。自作曲の作曲者欄に見知らぬ白人の名前を加えられたり、自作曲を勝手にサーフロックにされてしまった経験のあるチャックが怒るのも無理はない・・・しかし、両曲のタイトルを見比べて、ふと気がついた。ジョンは不注意で似た曲を作ったのではないし、ましてや、盗作したのでもない。チャックの曲を愛をこめつつ、パロディしたのだ!「ユー・キャント・キャッチ・ミー」(つかまらないぜ)と歌ったチャックに対し、ジョンは、「カム・トゥギャザー」(一緒に来いよ)と、意味をひっくり返した。続けて、「・・・オーヴァー・ミー」(オレを追い抜いて)とオチがつく。そして、ここでまた、ハタと気づいた・・・だから、テンポが遅いのか!



のちに、二人は和解して、マイク・ダグラス・ショーで共演もしている。有名な「ロックンロールに別の名前を与えるとしたら、それはチャック・ベリーだ」という発言はこの時出たものだったんだな。ジョンはパロディであることを説明して、憧れの人の許しを乞うたかもしれない。ロックンロール詩人チャックは「そんなことはわかっている。で、いくらで手を打つんだ」とでも言ったか。笑



そして、ジョンは「ユー・キャント・キャッチ・ミー」を録音することで、手を打ったのだった。

2017年11月19日(日)

どっちでもいいことは、どっちでもいいといいたい。

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今日のお絵描き。フレデリック・ダグラス。何度見てもすごい顔だ。

南部民主党政治家の代表格、ゴリゴリの人種隔離主義者で、極右政党・州権民主党(ディクシークラット)の大統領候補にもなり、サウス・カロライナ州知事、連邦上院議員を歴任したストロム・サーモンドには、黒人の女性との間に生まれた娘(作家のエッシー・メイ・ワシントン・ウィリアムズ)がいた。しかも、サーモンドは密かに混血の娘を支援していた。奴隷制下で奴隷の女性との間に生まれた子供を奴隷として財産にする(場合によっては売り払う)奴隷主たちについて、「仮にも自分の子供なのに」という学生のために、このエピソードを紹介することにしよう。人間はその時代の制度に縛られていると同時に、子供がかわいいといった時代を超えた感情にも左右される。サーモンドは、葛藤の末、「密かに」支援するというところで、手を打ったのだろう。美談にする気にはなれないが、理解できる話ではある。そして、制度からはみ出さずに生きる人もたくさんいる。

2017年11月18日(土)

下北沢Lagunaの昼の部に、ひらげエレキテルとして出演しました。演目は、「New Song」「まあるいお月さま」「かわいい子猫ちゃん」「煙草屋のお嬢さん」「焼酎」「最後の日」。盛り上がってくれたみなさん、ありがとうございました。まだまだ未熟モノの私ですが、どうぞお見知りおきを。対バンは、男女三人のユニットのパークサイドと、男女デュオのヌードパンツ(バンド名だけが不可解・・・笑)。どちらも、スタイリッシュで、演奏が丁寧で、歌がうまくて、おまけに女性ヴォーカリストが美人とくらぁ・・・どうも、ひらげには持ち合わせのないもばかりのようで。女性のところは別として、鋭意努力中です。見に来てくれたやーまんくんと、帰りにスープカレーの店に。辛いけど、美味かった。


2017年11月17日(金)

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今日のお絵描き。獄中のマーティン・ルーサー・キング

神奈川大非常勤、後期第八回目。「初級英語」は読解テストを返して、テキスト解析。"look at"を「動詞+前置詞」ととるか、群動詞ととるかについて、学生から質問があり。どちらの解釈もありうるが、ぼくとしては前者の説をとる。"look at"では、単語それぞれの意味から、解釈ができるからだ。例えば、"take care of"のような、それぞれの単語からは簡単に推測できない意味を持つものとは違う。あるいは、"check out"のように、代名詞を目的語にとると、間に挟む("check it out")ものは"out"を副詞として、群動詞ととらえるのが妥当だろう。とはいえ、学生にとって、どう教えるのがわかりやすいかという問題もある。共同で授業をやっている先生が、後者で教えていると知って、慌てた。話を合わせる必要があるかもしれない。「基礎英語」は、比較表現。不規則な比較級・最上級のつくり方、比較表現が実は、センテンスとセンテンスを比較するものであることなど。

久しぶりに、OGSアコナイト@新大久保Club Voiceに、ひらげエレキテルとして参戦。ぢぞ郎さんといっしょに、新曲「煙草屋のお嬢さん」「焼酎」と、「かわいい子猫ちゃん」をやった。トミー姐さんのケータリング、カレー丼風のスープパスタ?がうまかった。

2017年11月16日(木)

逆さ語部屋では、回文で四股名をつける伝統があるという・・・

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今日のお絵描き。ソ連のスパイ、リヒャルト・ゾルゲ。最初に写真を見たときには、こんなスパイらしいスパイの顔って他にないな、と思った。視聴者はみんな犯人が誰だかわかってるのに、主人公の刑事だけが頭をひねっているサスペンスドラマ、みたいな。志村、うしろうしろ、みたいな。

首都大非常勤、後期第六回目。『ジャズの誕生』をテキストとするリーディング3コマ。今日はカウント・ベイシー楽団のサヴォイ・ボールルームでのライブをかけながら、授業開始。1限は、「さて、さまざまな程度にアフリカ人の血を受け継いだ人々がよく知るようになった音楽の範囲は、独特であった。一方には、スペイン人、フランス人、アフリカ人の先祖を併せ持つ黒人クレオールが、しばらくの間、かなりの社会的地位を獲得し、最高のヨーロッパ音楽を多く吸収した。彼らは子供たちを教育を受けさせるためにパリへ送り、ヨーロッパで評判の指揮者を招いて、ニューオリンズで自分たちのオペラを開いた。南北戦争の後、北部の偏見の到来とともに、彼らの没落はゆっくりだが完璧なものだった。彼らはより(肌の色の)黒い兄弟たちに加わることを強いられ ― のちに(この本のなかで)見るように ― もっとも明らかなのは技術の点で、ジャズの誕生に貢献した」。2限目は、その先で「一方、ニューオリンズ周辺の大農場の奴隷たちは、ヨーロッパ音楽をほとんど、あるいはまったく聞いたことがなかった。ほとんど彼らだけで取り残されて、これらの農夫たちは彼らの音楽的遺産を保持することができ、大農場はアフリカ音楽の宝庫となった」まで。

3限では、次にやるプリントを忘れてくるという大失態。しかも、講師自ら教科書を忘れ、学生に借りるという体たらく。しっかりせねば。とにかく、教科書を忘れた人にはコピーを配って、次の部分まで。「オルムステッドの優秀さの基準は、ヨーロッパのものであり、彼はここで、自由黒人や家内奴隷によって演奏されたヨーロッパのマーチ音楽について話している。大農場で働く農園奴隷たちは、南北戦争の後になるまで、そのような機会はなかった。しかし、その機会が訪れると、あまり薄められていない西アフリカ音楽の影響を持ち込み、それが決定的な違いを生んだ」「以前の植民地として、ニューオリンズは軍楽隊におけるフランスの流行をぴたりと追っていたので、当然のことながら、それで有名になった。(ずっとあと、1891年に、父親がメンバーだったクラリネット奏者エド・ホールによれば、ニューオリンズ出身の黒人で編成されたオンワード・ブラス・バンドが、ニューヨークのコンテストで優勝した」

2017年11月15日(水)

ジンバブエでクーデター?

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今日のお絵描き。ライトニン・ホプキンス

薬(レポドバ)の飲み方が、ちょっとわかってきた。たいせつなのは、早めに飲んで、薬が切れる状態を作らないこと。一日の量が決まっているので、いざというときに飲む薬がないことへの恐怖から、つい、タイミングが遅れて、薬が切れた「オフ」の状態になることが多かったのだが、一度「オフ」になってしまうと、薬を飲んでも「オン」の状態に戻すのに時間がかかる。「オン」の状態をキープすれば、「オフ」から「オン」に戻すのに力を使わない分、薬も長持ちするような気がする。それにしても、「脳内麻薬」を経口で摂取しているということは、それはすでに「脳内」ではなく・・・

横浜国大非常勤「英米文学」、第六回目。今回は、ハリエット・アン・ジェイコブスの奴隷体験記(1861)と、サリー・ヘミングストーマス・ジェファソンの関係を中心に、奴隷制のもとでの、人種を越えた男女関係にスポットを当てた。1863年、奴隷制賛成派の民主党系新聞が、奴隷制反対派共和党を装い、白人の人種間結婚に対するアレルギーを煽ろうと企んだパンフレット『人種混交― 諸人種の融合に関する理論とそのアメリカ白人・黒人への適用』を入り口に、植民地時代からアメリカでは、人種間の性的関係が、法的にも、道義的にも犯罪と考えられてきたことを示した。にもかかわらず、プランテーションのような閉鎖された環境では、奴隷主が奴隷の女性に性的関係を強要し、生まれた子供を奴隷として財産にすることが行われていた。「生まれた子供の地位は、その母親に準ずるものとする」という法律のもと、奴隷主は性欲を満足させた上に、財産を増やすこともできたのである。

ハリエット・ジェイコブズの奴隷体験記『奴隷の少女の生涯に起こった出来事』には、奴隷の女性たちが奴隷主から受けた性的虐待や裏切りがいくつも描かれている。リンダという仮名で登場するジェイコブズ自身も例外ではない。家内奴隷として農園の重労働とは無縁だったものの、奴隷主ドクター・フリントからの執拗なセクハラと夫人の嫉妬に悩まされ、自由黒人の恋人とは別れることを余儀なくされる。彼女に同情的な態度を見せた独身の白人男性サンズ氏と関係を持ち、二人の子供を授かる。リンダは、婚外交渉を持った自分を責める一方で、フリントが受ける衝撃を思い、勝ち誇った気持ちになる。案の定、フリントは激怒するが、それでもなお、彼のセクハラは続く。愛人にならないのなら、子供たちとともに農場で重労働させると言われ、リンダは逃亡を決意する。しかし、まだ小さい子供たちを連れて行くわけにもいかず、一件を案じたリンダは、フリントの近所に身を隠し、北部に逃げたフリをする。リンダが目的で子供たちを手放さないフリントは、彼女が北部に逃げたと思えば、代金目当てに子供たちを売りに出すだろう(そこを、すかさずサンズ氏が買う)。紆余曲折あって、最終的には祖母の家の屋根裏に身を隠したリンダは、そこで7年間過ごしたあと、北部へ逃亡し、サンズ氏が買い取った子供たちと再会する。サンズ氏は結局、白人女性と結婚し、彼女のもとを去っていく。ジェイコブズは次のような言葉で体験記を締めくくる。「私の話は結婚という通常の形で終わるのではなしに、自由とともに終わります。私と子供たちはいま自由です!」

この本の素晴らしいところは、リンダがやられっぱなしでないところだ。セクハラ親父フリントを、あるときはあしざまに罵り、あるときは「圧制者に対する抑圧された弱い者たちの唯一の武器」である狡さで駆使し、勝利感を得る。そこには子供たちを守るという目的があった。プロットを大筋で紹介しただけなのだが、学生、とりわけ女子の反応はすごいものがあった。リンダの苦悩と強さが、他人ごとではないからだろう。

後半は、バーバラ・チェイス=リボウの小説『サリー・ヘミングス』(1979)と、ジェファソンの白人黒人双方の子孫と行ったインタビューをもとに書かれた『大統領ジェファソンの子供たち』を中心に、生前から噂が囁かれ、1998年にDNA検査によってその可能性が高まった、第三代アメリカ大統領トーマス・ジェファソンと奴隷の女性サリー・ヘミングスの関係を扱った。サリー・ヘミングスは、早逝したジェファソンの妻(むろん白人)マーサの父ジョン・ウェルズと奴隷の女性エリザベス・ヘミングスとの間に生まれ、マーサとは異母姉妹にあたる。マーサがジェファソン家に嫁ぐときに、召使いとしてついてきたかっこうだ。ヘミングスにとって、ジェファソンは義理の兄であり、召使いとして仕えてきた主人マーサの夫であり、愛人でもある。もしろん、ジェファソンはサリーを含む一家を支配する主人でもある。

こうした南部「特有の家族制度」のもと、ジェファソンとヘミングスの関係を、単に奴隷主に強いられた関係ではなく、相手を理解する「愛」に近い関係も視野に入れながら描いたのが、チェイス=リボウの小説である。どうしても奥歯にモノが挟まったような言い方になってしまうのは、すべての権力を握った奴隷主と、すべてを奪われた奴隷の間に「愛」が成立するのかという問題が立ちはだかるからである。例えば、愛しているなら解放してというヘミングスに対し、ジェファソンは愛しているから解放できないという。すべてを意のままにできる人間が愛を盾に相手の自由を制限するとき、それはもはや愛ではなく、単なるエゴではないか。それでも尚且つ、ヘミングスが誰よりもジェファソン理解していたと描いているのが、この作品のリアリズムだ。それは、『大統領ジェファソンの子供たち』に見られる「家族とは何か」という疑問にも通じる。

リアクション・ペーパーには、フリントにしても、ジェファソンにしても、人種差別的な意識を持った白人男性が(ジェファソンについては、『ヴァージニア覚書』から露骨な偏見に満ちた黒人観を引用してあった)、黒人女性と関係を持つのはなぜか、といった疑問が多く見られた。単に、性欲を発散させたいだけという見方もできるが、もうひとつ、征服欲というか、権力が自分にあることを示すために、黒人女性を組み敷くのではないかと思う。フリントがリンダにこだわったのは、リンダという女性に惹かれたというより、奴隷主としての権威が揺るがされるのを恐れたからではないか。奴隷女ひとりも思い通りにできない男になにができる、というような。その意味で、人種差別と性差別は連動しているし、奴隷と主人という身分を越えた「愛」が成立しにくい理由もそこにある。次回は最初にその話をしようと思う。

2017年11月14日(火)

日本女子大非常勤、後期第九回目。「米文学論文随筆演習」は、ハリエット・アン・ジェイコブズの奴隷体験記を読む。リンダ(ジェイコブズの仮名)が新たに隠れ住むことになった祖母宅の差掛け小屋屋根裏は、始終暗く、空気は悪い。床に置かれたベッドの上を、ネズミがはい回り、傾斜した屋根の低い側に寝返りを打つと頭をぶつけるというありさまだった。近くを通る子供たちの声を聞いて涙を流すリンダだったが、伯父フィリップが置いていったキリを見つけ、それで壁に小さな覗き穴を開け、そこから子供たちの姿を見て、心を慰める。しかし、隠れ家の状況は相変わらず最悪で、あるときは赤い虫の大発生、夏にはひどい暑さに悩まされる。そんななか、相変わらずリンダを探しに北部へ向買い、手ぶらで帰ってくるドクター・フリントの姿を覗き穴から見て、留飲を下げる。母親の居場所を明かすよう言われた息子ベニーは、フリントに「ぼくは母さんの居場所なんか知りません。ニューヨークにいるんでしょう。今度そこへ行ったら、家に帰るように言ってください。ぼく、母さんに会いたいから。でも、あなたが母さんを牢にいれたり、母さんの首をはねるっていうなら。戻ってこないでいって、言ってください」と言う。「アカデミック・ライティング」は、それぞれ後期エッセイに取り組む。今になってテーマを変えた学生がいるかと思えば、順調にすすんでいる学生もいて、さまざまだが、みんな期日までに書けるのか、こっちも不安。とにかくがむしゃらに書くことも大事か。

2017年11月13日(月)

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今日のお絵描き。ウォーキング・ダウン・ザ・ストリート。左から、エルモア・ジェイムズサニー・ボーイ・ウィリアムソンI トミー・マクレナンリトル・ウォルター

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明治学院非常勤「アメリカ研究」、後期第八回目。マルコムXについて、マーティン・ルーサー・キング・ジュニアと比較しながら、その思想的、伝記的な背景を概説した。南部出身のエリートであったキングと、中西部ネブラスカの貧困層に生まれ、北部の都市を活動拠点としたマルコムは、さまざまな点で対照的だった。キリスト教の牧師であったキングに対し、マルコムは黒人イスラム教の団体「イスラムの国」のミニスターとして活動した。キングの「非暴力」の思想は「不服従」とセットで考えなければならないことは、すでに前回指摘したが、「暴力」と結び付けられがちなマルコムが主張したのは、むしろ「自己防衛」であった。南部の制度的な人種隔離の撤廃からスタートし、人種統合を目指したたキングが、自分の運動を民主主義とキリスト教に基づいた「アメリカの夢」に位置付けていたのに対し、マルコムは黒人にとって「アメリカの夢」は「アメリカの悪夢」だったと主張する分離主義者だった。キングの運動が国内のマイノリティの現実から出発しているのに対し、マルコムは「世界的に見れば、黒人は少数派ではない」として、新興アフリカ諸国や非同盟諸国の動きに希望を託した。マルコムの思想は、死の直前、イスラムの国との決別、メッサ巡礼を経て、大きく変わり、ある意味ではキング師に接近したと言えるが、キングもまた、死の直前、貧困との闘い、ベトナム戦争反対表明を通じて、北部の都市コミュニティの問題に取り組み、国際的な視点を持っていたマルコムに接近していたとも言える。

こうしたことを踏まえ、マルコムの簡単なバイオグラフィ、Xの由来(奴隷主の名前は捨てろという「イスラムの国」の教え)、代表的なスピーチの内容を紹介。とりわけ、マルコムが一貫して、自分たちが奴隷の子孫であることを直視し、そこから出発するしかないことを訴えていた点を強調した。現状を踏まえ、そこから出発するしかない・・・マルコムに心酔していた大学生のころ、彼から学んだもっとも大事なことのひとつである。後半、スパイク・リー監督の映画『マルコムX』(992)を見始めた。今回は、レッドことマルコム・リトル(のちのマルコムX)が、白人女性ソフィアと関係を持ち、緊張感に満ちた会話を交わしながら、ベッドで朝食をとるシーンまで。

國學院非常勤、後期第七回目。「1st Yera English」は、関係代名詞。主格と目的格の関係代名詞についてまとめたあと、先行詞が主語だった場合、関係代名詞節がどこまでなのか判断する方法(動詞を数える。関係代名詞から二つ目の動詞は、節の外)、省略された関係代名詞の見つけ方(「名詞・(代)名詞・動詞」という並びがあったら、名詞と名詞の間に関係代名詞が省略されている可能性が高い)、関係代名詞の文の訳し方(先行詞のところまで来たら、先行詞はちょっと置いておいて、関係代名詞節を訳す)などを教えた。「英語(L&W)」は、バラク・オバマの大統領就任演説を読む。「今日、わたしは、私たちが直面している難問は現実のものであると皆さんに言います。それらは深刻だし、数多くあります。簡単に、あるいは短期間で解決されるようなものではありません。しかし、アメリカの皆さん、このことをわかっておいてください-それらは、解決されます。今日、わたしたちは、恐れよりも希望を、軋轢や不和よりも、目的の共有を選んだから、ここに集まっているのです」

2017年11月12日(日)

債務マシン、債務ボカン、クイズ債務ショック。

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今日のお絵描き。アナザー・カワイコちゃん。

13時すぎのアナグラム。
「早く人間になりたあい(はやくにんげんになりたあい)」
「悪人は嫌んなり、逃げた(あくにんはいやんなりにげた)」

2017年11月11日(土)

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今日のお絵描き。フェラ・クティ

2017年11月10日(金)

朝のアナグラム。
「臭いニオイはもとからたたなきゃだめー(くさいにおいはもとからたたなきゃだめー)」
「ダメなオタク、ニートもさ、働きゃいいか(だめなおたくにーともさはたらきゃいいか)」
「ー」がちょっとずるい。内容はぼくの意見ではありません。ただの言葉遊び。


以前つくったバラード「煙草屋のお嬢さん」に、取ってつけたようなエンディングを取ってつけて仕上げてみました。われながら、なかなかの出来栄えだと思います。

角の煙草屋のお嬢さんに
ぼくの思いを伝えたくて
今日はきれいな月だよ

角の煙草屋のお嬢さんに
ぼくの思いを伝えたくて

もうすぐ夜が明けるよ
煙草屋のお嬢さん
ぼくがここにいるよ


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今日のお絵描き①。キース・リチャーズ

神奈川大非常勤、後期第七回目。「初級英語」2コマは、読解テストとテキストの分析の続き。「基礎英語」1コマは、所有格の関係代名詞と関係副詞。

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今日のお絵描き②。またしても、カワイコちゃん。

2017年11月9日(木)

朝のアナグラム。
「こちら葛飾区亀有公園前派出所(こちらかつしかくかめありこうえんまえはしゅつじょ)」
「前はここ、隠しカメラ使うち演出ありじょ(まえはここかくしかめらつかうちえんしゅつありじょ)」もはや、どこの言葉かも分からないが・・・

首都大非常勤、後期第五回目。『ジャズの誕生』をテキストとしたリーディング3コマ。テキストの内容とは関係ないが、クリフォード・ブラウンの『ウィズ・ストリングス』を聞きながら授業開始。授業で流すには、ちょっとムーディすぎたか。1限は「アフリカ人がニューオリンズで聞いた音楽は、合衆国の他の地域にいたら聞いていたであろう音楽よりも馴染みのあるものだった。加えて、フランス領西インド諸島から来たアフリカ人(すでにヨーロッパ音楽をいくらか吸収していた)が続々と到着し、さらなる混淆が進行していた」まで。「他の地域にいたら」のところに、仮定法が使われているところがポイント。2限は、先に進んで、「さて、さまざまな程度にアフリカ人の血を受け継いだ人々がよく知るようになった音楽の範囲は、独特であった。一方には、スペイン人、フランス人、アフリカ人の先祖を併せ持つ黒人クレオールが、しばらくの間、かなりの社会的地位を獲得し、最高のヨーロッパ音楽を多く吸収した。彼らは子供たちを教育を受けさせるためにパリへ送り、ヨーロッパで評判の指揮者を招いて、ニューオリンズで自分たちのオペラを開いた」まで。

3限は、さらに進んで、第4章「ジャズが始まる」に入った。「もし、西アフリカの音楽的影響の何かが、ブードゥ教のなかに密かに生き残り、コンゴ広場で表面化したのだとしたら、それはジャズの誕生にどのように寄与したのだろうか。二つの要因がこの進化を助けた。軍楽隊の凄まじい人気と、西洋の楽器の緩やかな導入である。それらすべての背景には、もちろん、支配的な白人文化に爪痕を残したい、所属したい、ちゃんと参加したいというアメリカ黒人の強く、変わらない願望があった。そして、音楽は名声と富を得る数少ない手段のひとつだった」「軍楽隊の任期はナポレオンのフランスで、ピークに達した。パレードやコンサートはすぐに、アメリカで人気の野外の娯楽のひとつとなった。黒人も自分たちのバンドを持っていた。1955年の南部への旅について書いて、F・L・オルムステッドはこう言っている。「南部の都市に、黒人で構成された、しばしば非常に優秀な楽団がある。軍事パレードはふつう、黒人のブラスバンドが伴奏する」

2017年11月8日(水)

お昼のアナグラム。
「転がる石に苔は生えない(ころがるいしにこけははえない)」
「ここにエロい話が入るけ(ここにえろいはなしがはいるけ)」

横浜国大非常勤「英米文学」、第五回目。今回は、「ナット・ターナーの告白」と呼ばれる二つのテキスト ー トーマス・R・グレイがターナー本人に直接聞いた話をまとめた手記と、ウィリアム・スタイロンが1967年に発表した小説を - 中心に、全米を震撼させた奴隷の反乱を率いたナット・ターナーがどのように描かれてきたか、奴隷反乱をめぐる言説にまつわる問題を、ぼくなりにまとめてみた。二つの「告白」は、どちらも、一筋縄ではいかない問題を秘めたテキストである。

トーマス・グレイの手記は、ターナーが異常な狂信者という特殊な存在であることを示すことによって、次なる奴隷の反乱に怯える白人住民を安心させることにあった。グレイはおそらく、南部の白人の多くがそうであったように人種差別主義者だったし、おそらく奴隷制に賛成だったはずだ。ところが、グレイの描くターナー像はときに、彼が本来描くべきものからはずれてしまう。「完全な狂信者」と決めつけながら、ターナーが「人並外れた聡明さ」を持っていること、「穏やかで慎重な落ち着き」を持って語ったことなど、ターナーの理性的な側面に触れている。そして、ついには「運命づけられた監獄の穴のなかでかれ自身が語り、論じた物語がどんな印象を与えたか、それはあえて記さない」と語ることを放棄してしまう。そして、「鎖に埋まりながらなお人間のさがを越えて舞上る精神を持って天にむかってさしあげる手錠のかかった両手」という、自由を求める奴隷のイメージは、この手記の本来の目的に適うものか疑問だ。そのあとは、再び狂信者を描く使命を忠実にこなしているだけに、この短い一節にこぼれ落ちたグレイの心のブレのようなものが、気になって仕方がない。彼は何を見、何を語らなかったのだろう。

ウィリアム・スタイロンの小説は、白人の作家であるスタイロンが、黒人であるターナーを内面から描いた意欲作として、高い評価を受け、翌年、ピューリッツァー賞を受賞している。一方で、黒人の作家や評論家からは、旧態依然とした黒人ステレオタイプ(サンボ、ハッピー・ダーキー、野蛮人、強姦者)が散見されること、事実と違う記述がいくつも見られることなどを指摘され、多くの異議が寄せられている作品でもある。とりわけ、ターナーが何度も白人女性のレイプを妄想するところは、黒人男性が潜在的強姦者と決めつけられ、でっち上げの強姦罪によって、リンチされ焼き殺されてきたことを考えると、筆が滑ったではすまされない。こうしたステレオタイプや事実誤認もさることながら、問題なのは、ターナーがコミュニティから疎外され、身に着けた識字や聖書の知識ゆえに、農園奴隷たちを見下している人物として描かれていることだと、ぼくは考えている。このことによって、黒人に知識を与えることは危険であるという、人種差別的言説が正当化されるだけではなく、反乱の出自が、奴隷として扱われれた人々が共有する怒りから、ターナーというレイプ願望のある狂信者の妄想にすり替えられてしまう危険性がある。

こうした話をして、黒人側のターナー像として、、ネイト・パーカー主演・監督で、ターナーの反乱を描き、昨年公開された映画『ザ・バース・オブ・ア・ネイション』(グリフィスあの映画と同じタイトル)から、奴隷主のために奴隷を教育する説教師だったナット・ターナーが、奴隷たちのあまりの惨状にショックを受け、奴隷たちを勇気づける説教を始めるシーンを見た。

学生の反響はなかなか大きかった。リアクションペーパーには「黒人の英雄であるターナーを、否定的に描くのはよくないと思う」といった声が多く、作品を読んでいない学生が多いなかで、作品の価値自体を否定するかのような発言には慎重になるべきだったかもしれないと反省した。なかには、「本当にターナーが周りの人を見下していたかもしれない」と、ついつい熱くなりがちな講師を諫めるような意見もあった。ターナーと周りの奴隷たちとの関係は、少ない資料をもとに想像するしかないし、そうでなくとも、人間の内面は計り知れない。だからこそ、作家が想像力を働かせる余地が生まれてくるし、わからない部分をどう描くかという点に、作者の立場が反映される。黒人のステレオタイプとして挙げられたものは、聖書の人物を下敷きにしているのではないかという指摘もあった。鋭い。ターナーの語りには何度も聖書からの引用が挟み込まれており、彼が聖書を通して現実を見ていることがわかる。しかし、このことは、ぼくの論を否定するよりもむしろ、補足するものだ。スタイロンは、ターナーを聖書を通してしか、現実のコミュニティと向き合えない人物として描いている・・・次回は最初にこうした話をしようと思う。

さて、このように、スタイロンの小説を批判的に取り上げたわけだが、ぼく個人は、この作品、けっこうのめり込んで読んだ。とくに、ターナーがマーガレットを殺すシーンは、心がワサワサする。また、ナット・ターナーが黒人の英雄であることは間違いないとしても、ぼくの英雄にするには、抵抗がある。抑圧された人々が解放されるためには、時に暴力が必要であるということは頭ではわかっていても、かんたんに飲みこむことはできない。いまだに、「レヴォリューション」で、「話が暴力に関わることなら、ぼくははずして・・・いれて」と歌ったジョン・レノンのような心境だ。必要な暴力があるとしても、人を殺すためには、何らかの形で狂気に自分を落とし込まなければならないのではないかと思う。まして、ターナーの反乱で行われたような、残虐な殺戮であれば、なおのことだ。だから、ターナーが、いざ人を殺すとなると、怖気づいて、結局、マーガレット一人しか殺せなかったというところに、スタイロンのリアリズムを感じるし、いろんな欠点にもかかわらず、この小説が読者を惹きつけているのは、そういうところだと思う。

2017年11月7日(火)

「有限実行」・・・やれることには限りがある。

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今日のお絵描き。ニッキ・ジョバンニ

日本女子大非常勤、後期第八回目。「米文学論文随筆演習」は、ハリエット・アン・ジェイコブズの奴隷体験記を読む。周囲に捜査の手が迫っていることを察知したリンダ(ジェイコブズの仮名)は、白人女性宅の屋根裏を出る決意を固める。船乗りに変装し、幼馴染ピーターに連れられて、停泊中の船に乗りこむ。夜は船内ですごし、昼は捜査の手が及ぶのを警戒して、沼地の藪に身を隠すことに。藪はヘビがはい回り、蚊が雲集するひどい場所で、ピーターが煙草を焚いて蚊を追い払うが、その煙草の煙で気分が悪くなってしまう。ようやく準備ができた次の隠れ場所は、祖母宅に建てられた差掛け小屋の屋根裏。狭く、雨漏りのするこの場所も藪に劣らず酷い場所だった。

「アカデミック・ライティング」は、後期エッセイを一歩一歩。テーマについて予備知識がない人でもわかるように説明するということができていない学生が多い。いっしょに見た映画について友だちに語るような調子なのだ。必要な説明を加え、必要のないものは削るという作業を地道に指導するしかないだろう。

放送禁数子。

2017年11月6日(月)

「何て言ったかなあ、タイムマシンで現在と年末を行ったり来たりする映画」「なんだその映画は」「ああ!思い出した。暮れ→今→暮れ→今(クレーマー・クレーマー)」「・・・」

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今日のお絵描き。ヤケにならずに描きおえたカワイコちゃん。


新曲「小銭」、とりあえず、弾き語りスタイルで録音してみました。

落とした小銭をかき集めて
ようやく酒にありついた
口から迎えに行っていると
「必死だな、おっさん」と声がする
それが最後の小銭かい?

ああ、そうだよ、これが最後の小銭
そして最後のお酒だよ
若いの、必死で何が悪い
俺はいつも最後の小銭と思って生きてるよ

若いころの苦労は買ってでもしろという
だけど買うまでもないことさ
苦労はいつでもついて回る
これが最後と思っても

最後の小銭をかき集めて
ようやく酒にありついた
口から迎えに行っていると
「必死だな、おっさん」と声がする
それがあんたの精一杯かい?

明治学院非常勤「アメリカ研究」、後期第七回目。今回は、マーティン・ルーサー・キング・ジュニアを中心に、50年代後半以降の公民権運動。キング師と言えば非暴力を連想する人がほとんどだろう。もちろん、宗教家としてのキング師にとって、「非暴力」は絶対的な意味を持っていた。しかし、公民権運動家としてのキングを考えた場合、「非暴力」だけを強調すると、キングの運動から牙を抜くことになりかねない。キングの「非暴力」は「不服従」とセットで考えられるべきものである。暴力は使わない。しかし、決して服従しない。殴られても、蹴られても、殺されても、抵抗し続ける。もちろん、これには覚悟が必要だし、社会に緊張をもたらす「危険」な行為である。不服従の運動は、大衆動員の直接行動の形で行われる。キング師周辺の運動が、画期的だったのは、エリートによる裁判闘争が中心のそれまでのやり方に、デモや座り込み、ボイコットといった大衆を動員した直接行動を取り入れた点にある。裁判闘争は従来通り運動の軸となるが、それだけでは限界がある。人種差別社会アメリカの裁判所が、運動を後押しする判決を下す可能性は、控えめに言っても五分五分でしかない。直接行動によって論点を明確にする緊張を生み出すことで、「性急な改革」に二の足を踏む人々に、問題の緊急性を突きつけることができる。

大衆動員の直接行動が、はじめて大きな成果を上げたのが、有名なモントゴメリーのバス・ボイコットである。運転手の指示に従わず、白人に席を譲ることを拒否した黒人女性ローザ・パークスが逮捕されたことをきっかけとして、バスの座席における人種隔離撤廃を求めて、モントゴメリーの黒人住民がバスの利用を1年以上も拒否し続けたた事件である。当時、バスの人種隔離は、ある線を境に黒人用白人用に分かれているというようなニュートラルなものではなかった。黒人は後ろ、白人は前から席を占めていき、満員になった時点で白人が乗ってきたら、一番前の席の黒人(とその隣に座る黒人:白人の隣に黒人が座るなんてとんでもない)は席を譲らなければならない。黒人たちは、朝早く起きて歩いたり、車を持つものが何往復もして送り迎えをしたりして、運動を成功に導いた。この運動のなかで、公民権運動の指導者として一躍注目を浴び始めたのが、地元デクスター・バプティスト教会に赴任したばかりの、若い牧師(26歳!)マーティン・ルーサー・キング・ジュニアだった。

バスボイコット事件とキング師に刺激を受け、白人黒人問わず、多くの人々が人種隔離撤廃の運動に飛び込んでいった。なかでも、ノースカロライナ州グリーンズボロにはじまる白人専用ランチカウンターでの座り込みや、バス・ターミナル施設における人種隔離撤廃を確認しながら、白人黒人の公民権運動家が、長距離バスで首都ワシントンからニューオリンズを目指した「フリーダムライド」などは、大きな成果を上げた。また、キング自身も、バーミンガムのC計画や、セルマからモントゴメリーへの行進などで、人種差別主義者や地元警察の執拗で残虐な攻撃にあいながらも、着実に成果を積み重ねていった。丸腰のデモ隊へ犬をけしかけたり、高圧放水をかけたりする警察の姿は、テレビによって全世界に放映され、「自由の国」アメリカの面目をつぶすことになった。

一方、人種差別主義者による反動も熾烈を極めた。ミシシッピでは1955年、叔父のもとに遊びに来ていたシカゴ在住の少年エメット・ティルが、白人女性に声をかけたというだけの理由で、無残な死体となって発見された。1963年には、ケネディ大統領が公民権法の成立を国民に訴えているちょうどその夜、NAACPミシシッピ州デイレクターであったメドガー・エヴァーズが、自宅の勝手口のそばで、後ろから背中を撃たれて死亡。1964年には、やはり、ミシシッピ州で、若い公民権運動家3名が、KKKのリンチにあって、殺されている。どの事件も、容疑者は白人のみの陪審員によって無罪となり、何十年もたってから裁判がやり直され、一部のものが有罪となるも、真相解明にはほど遠い結果に終わっている。J・B・ルノアーの「ダウン・イン・ミシシッピ」は、人種差別主義者の暴力が吹き荒れる、当時のミシシッピを赤裸々に歌ったブルースである。

最後に、暗殺の数年前から、キングが大きく変わった点について。南部の制度的な人種隔離との闘いがある程度成果を上げ始めると、それだけでは何も解決しないことに気づく。相変わらず、黒人の多く、そして、白人貧困層は苦しい生活に喘いでいる。貧困との闘いを構想し始めたキングは、そこにつぎ込めるはずの莫大な予算がベトナム戦争に消えていくことに我慢ができなくなった。しかも、戦場では、国内では同じレストランで食事をすることも許されない貧しい黒人と白人の兵士が、東南アジアに自分たちが味わったこともない自由を与えるという名目で、手に手を取り合って殺戮をしている。1967年4月4日、キングはベトナム戦争反対を表明する。彼がメンフィスで凶弾に倒れたのは、ちょうど1年後のことだった。

※ある学生のリアクション・ペーパーに、「先生のブログを見ると、いつもタイトルと共に絵がついてると気づいたのですが、先生が描いているのですか」と質問が・・・見つかっちゃった。そうです。絵は僕が描いています。絵だけではなく、音楽も、ダジャレも、アナグロムも、何もかも、ぼくです。

國學院の授業は、創立記念日(4日)の振替で休み。

2017年11月5日(日)

22時のアナグラム。
「ブルーにこんがらがって(ぶるーにこんがらかって)」
「ルー、頑固ぶってからに(るー、がんこぶってからに)」

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今日のお絵描き。ディジー・ガレスピー

2017年11月4日(土)

11時のアナグラム。
「母上様、お元気ですか?(ははうえさまおげんきですか)」
「前は派手。運気下げ、カオス(まえははでうんきさげかおす)」


一昨日、つくったチャック・ベリーのカヴァー「つかまらないぜ」、歌詞を変えて、韻を踏んづけたり、踏んづけなかったり、してみました。

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今日のお絵描き。フィドラー。

21時のアナグラム。
「能ある鷹は爪を隠す(のうあるたかはつめをかくす)」
「悪の鷹を飼う 破滅する(あくのたかをかうはめつする)」

2017年11月3日(金)

アナグラム・トゥデイ。
「人生楽ありゃ苦もあるさ(じんせいらくありゃくもあるさ)」
「愛人らも焦る策略(あいじんらもあせるさくりゃく)」

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今日のお絵描き。ヤング・ヒューイ・P・ニュートン

神奈川大非常勤、後期第六回目。「初級英語」2コマは、「~ingの見分け」のテストをやって、教科書のテキスト分析。「基礎英語」は、関係代名詞。

2017年11月2日(木)

学園祭準備のため、首都大休み。

アナグラム・トゥデイ。
「トランジスタ・ラジオ(とらんじすたらじお)」
「叔父、裸人とラスタ(おじらじんとらすた)」


チャック・ベリーの「ユー・キャント・キャッチ・ミー」を、「つかまらないぜ」として日本語カヴァーしてみました。

Afroblue
今日のお絵描き。アフロ・ブルー。

2017年11月1日(水)

アナグラム・トゥデイ。
「クリムゾンキングの宮殿(くりむぞんきんぐのきゅうでん)」
「緊急で、ムンクのリングぞ(きんきゅうでむんくのりんぐぞ)
画家に何をやらせるつもり!?

横浜国大非常勤「英米文学」、第四回目。アレックス・ヘイリー原作のテレビドラマ『ルーツ』を見た。クンタ・キンテが競売でジョン・レイノルズに買われ、彼の農場でフィドラーの指導のもと、さまざまな経験をした末、逃亡を試みて失敗するところまで。フィドラーの優しさに感動したという学生が多い一方で、奴隷の扱いが思ったほどひどくないと見た学生も相当数いた。たしかに、逃亡を図ったクンタが鞭打たれるシーンを除けば、『ルーツ』のこのエピソードでは、『それでも夜は明ける』で描かれているような、ひどい虐待の場面は少ない。実際、農場によって、奴隷の待遇にはかなりの違いがあったことも確かだ。虐待があまり厳しくない農場が舞台に選ばれたのは、お茶の間に入り込むテレビ番組の限界ということもある。また、より虐待の厳しい農場を舞台にした場合、「そんな農場ばかりではなかった」という反論を招くことになる。比較的、「ましな」農場を選ぶことによって、問題は身体上の虐待だけではないことを明らかにする意図があったのかもしれない。原作では、クンタは「本当にちょっとした口実さえあれば、クンタの背中にも、白人(トゥボブ)の鞭」(『ルーツ』上、243)が振り下ろされた最初の農場から、「黒人たちの暮らし」が「前のトゥボブの農園のそれよりはマシ」(260)な別の農場に移り、そこでフィドラーに出会っている。フィドラーもクンタも、ドラマとは違って、アメリカで黒人の置かれた状況を冷静に捉えている。ドラマは時間上の制約もあり、読者の感情に直接訴えるために、さまざまな要素を犠牲にしている。だから、ドラマがダメということではないのだが。昨年発表されたリメイク版は、まだ見ていないのだが、どうなっているだろうか。

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