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2017年6月15日(木)

首都大非常勤、前期第七回目。『ジャズの誕生』をテキストとするリーディング3コマ。2回休講の説明と謝罪をすませたあと、大好きなセロニアス・モンク『ソロ・オン・ヴォーグ』から、「ラウンド・アボウト・ミッドナイト」を聞きながら授業開始。モンクのつんのめるかえるようなリズムも、ポリリズム的なことと無関係ではない気がする。テキストは、前回、ヨーロッパの音楽教育を受けたものにとって、西アフリカの音楽がいかにおら得難いかという話だったのを最後でひっくり返すところから。「にもかかわらず、訓練されていないリスナーですら、推進力を感じることができるし、巨大なリズムの力(を構成する)各部分がしっかり組み合わさっていることがわかる」「比較すると、ジャズのリズムはずっとシンプルである。例えば、ニューオリンズへ行くと、古株ミュージシャンがいまだに、葬式から帰る途中、「ディドゥント・ヒー・ランブル」を演奏しているが、それはマーチのように聞こえる」 葬式がニューオリンズノ音楽文化において、重要な意味を持っていることを指摘。ブラス・バンドの悲しく重苦しい演奏で、墓地に向かい、遺体を納めると、一転、陽気な音楽で帰ってくる。このとき、このパレードに紛れ込んだ野次馬のことを、親戚縁者=ファーストラインに対し、セカンドラインといい、この言葉がニューオリンズ音楽を表す代名詞となっている・・・と説明。次回はニューオリンズの葬式の動画を見ると予告した。

2017年6月14日(水)

アメリカの息子、ロシアのMoscow

初代林家三平が、司会を務めたテレビ番組『踊って歌って大合戦』(1965-6)のテーマ曲として、姫之宮ゆりと歌った「ワッショイ踊り」をカヴァーしてみた。未加工のオリジナルの録音は手に入らなかったので、YouTubeにアップされているミックス(↓これも秀逸)を参考にした。このころの三平は、40になったころのはずだが、年齢を感jさせない爆発力だ。正面から挑んでもかなわないので、アフリカ風のギターを入れたり、いろいろ工夫してみた。

2017年6月13日(火)

電車のなかに、ダリ髭を生やしたおっさんがいた。初めて見た、生ダリ髭。

朝っぱらから、いい曲ができました。「不機嫌そうに」

慰めてほしいとき
オレが慰めてほしいとき
お前はいい顔をせず
黙ってオレを抱きしめる
なあ、そうだろう?

オレが自由なとき
鳥のように自由なとき
お前は不機嫌そうに
黙ってオレを抱きしめる
なあ、そうだろう?

オレが死んだとき
いつかオレが死んだとき
お前は「弱い男だったわね」と
黙ってオレを抱きしめる
なあ、そうだろう?

日本女子大非常勤、前期第八回目。2コマとも2回休講の説明とお詫びから。「米文学論文随筆演習」は、ハリエット・アン・ジェイコブズの奴隷体験記を読む。リンダを自分の部屋に連れ込むために、フリントは幼い娘を利用する。まず、娘を自分の部屋で寝させ、その子守り役として、リンダが必要だという。この計画は、ほどなくフリント夫人に漏れ、激高した夫人によって阻止される。夫人に真相を問いただされたリンダは、フリントのセクハラ行為を打ち明ける。夫人は屈辱に震え涙を流すが、フリントの被害者である奴隷の少女に対する同情はなかった。「アカデミック・ライティング」は、ライブラリー・ツアー。図書館の方からの説明が中心で、最後に少しだけ課題を返す時間を作ってもらった。

2017年6月12日(月)

しばらくぶりの仕事は、しんどいが、生きた心地がする。

明治学院非常勤「アメリカ研究」、前期第七回目。まずは2回連続して休講にしたことへのお詫びと経過説明。以下、すべての大学で同じことをくり返した。2週間前に返って、人種間結婚(あるいは人種間の性的関係について、復習する。南北戦争中の1863年、奴隷制を支持する民主党右派は、匿名「雑婚」(miscegenation)を称賛するパンフレットを出して、人種間の関係に対する人々のアレルギーを刺激しようとした。リンカーンは演説のなかで、「私が黒人の女を奴隷にしておかないからと言って、妻にするべきであるとするような、でっちあげの論理に反論しておく」と述べなければならなかった。それほど、人種を越えた性的関係に対する嫌悪はひどかったのである。

人種間の性的関係は、植民地時代から、法的にも、道徳的にも、罪とされてきた。白人女性が黒人の男性と関係を禁じた法律は、レイプ以外に考えられないとされたのか、あまり見られないが(黒人男性は残虐な形で罰を受けたはずである)、白人男性が黒人女性と関係を持つことを禁じた法律は各地にあったし、実際、むち打ちなどの罰を受けた白人男性の記録がいくつも残っている。にもかかわらず、大農場などでは、奴隷主が奴隷の女性とか関係を持ち、性欲を満足させると同時に、子どもを奴隷とすることで財産も増やすことが行われていた。大農場のような閉鎖された社会では、そうしたことは公然の秘密として受け流されていた。とはいえ、奴隷の女性との関係を知られることを、奴隷主がよしとしていたわけではない。

リベラルな姿勢で知られる第三代大統領トーマス・ジェファソンは、奴隷制は廃止されるべきだと考えていたが、一方で、自ら100人以上とも言われる奴隷を使う農場主だった。また、当時の白人の平均的な考えとはいえ、『ヴァージニア覚書』(1785)のなかで、ひどく差別的な黒人観を吐露している。そのジェファソンと奴隷の女性サリー・ヘミングスとの間に子供がいたという話は、ジェファソンの生前から囁かれていた。黒人作家による最初の小説であるウィリアム・ウェルズ・ブラウン『クローテル:大統領の娘』(1853)は、この噂をもとにした作品である。1990年代になって、ある黒人男性がジェフェソン家の血をひいていることがDNA鑑定によって明らかになると、この噂は信憑性を帯び、さまざまな議論を呼んだ。

サリー・ヘミングスは、ジェファソンの白人の妻マーサの異母姉妹であり、ジェファーソン家に嫁いだマーサに、お付きの奴隷としてついてきたのを、マーサが夭折した後、ジェファソンが愛人にしたようである。彼女とマーサの関係は、姉妹であり、幼馴染であり、奴隷主と奴隷であり、(マーサの仕事はいえ)正妻と愛人という、南部の「特殊な社会」を象徴する複雑なものだった。ジェファソンは講師としてフランスに渡る際も、サリーを同行させており、彼女が単なる奴隷主の性欲解消の道具でなかったことは伺われる。それにしても、すべての権力を手中に収めてた男と、何も持たない奴隷の女(男は女を好きなようにできる)の間に愛は存在し得るのかというのはたいへん難しい問題である。こうした二人の関係に焦点を当てて描かれたのが、バーバラ・チェイス=リボウの小説『サリー・ヘミングス』である。

19世紀前半のアメリカで、南部と北部が次第に対立を深めていく過程を追った。とりわけ、上院で定員2名が与えられる州への昇格では、新州における奴隷制を認めるかどうかをめぐって、南北が妥協を重ねることになった。奴隷制の北限を定めながら、ミズーリ州を奴隷州とすることを例外として認めた「ミズーリの妥協」(1820)にはじまり、ルイジアナ買収(1803)、テキサス併合(1845)、対メキシコ戦争(1846)などによって、爆発的に広がった領土が次々に州に昇格するたびに、南北は新州の取り扱いに苦慮した。1850年、カリフォルニアを自由州とする代わりに、逃亡奴隷法の強化が認められたことは、奴隷制に反対する人々に衝撃を与えた。また、1854年、カンザス・ネブラスカ州の行く末が、住民の選択に任されたことで、同地域は奴隷制賛成派・反対派が血で血を洗う内戦状態となる。この混乱のなかから、頭角を現した奴隷制反対論者ジョン・ブラウンが、1859年、ハーパーズ・フェリーで反乱を起こたことで、南北の対立は一層高ま深まりり、リンカーンの大統領就任を受けて、1861年、南部諸州がアメリカ連合国として独立を宣言し、アメリカは南北戦争へと突入していく。

國學院非常勤、前期第七回目。こちらも、休講の謝罪と説明から。「1stYear English」は、改めて分詞について。分詞が名詞を修飾する形容詞の役割をするものであることを強調した後で、しかし文型によっては、名詞に係っていくように訳しては、行けない場合があると、使役動詞/知覚動詞+O+現在分詞・過去分詞のパターンを説明。「R&W」は、バラク・オバマ、2008年大統領選勝利演説を読む。「それ(選挙運動)、大義のために5ドル、10ドル、20ドルといったお金を出すために、なけなしの貯えに手をつけた働く男女によって築かれたのだ。それは、彼らの世代の無関心という神話を拒否し、少ない給料とより少ない睡眠しか与えてくれない仕事のために、家や家族を後にした若い人びとから力を得た」

2017年6月11日(日)

眼科医で診断を受ける。だいぶ良くなっていて、感染力も弱まっているので、月曜から職場に復帰してもよいと、正式に許可をもらった。快癒記念にスライド・バーを買ったので、何かやってみたくなり、ブルースの定番「ローリン&タンブリン」を日本語歌詞で録音してみた。

Rollin' and Tumblin' I cried all night long
Rollin' and Tumblin I cried all night long
When I woke up in the morning, all I had was gone

のたうちまわって 頭ぐちゃぐちゃ
のたうちまわって 頭ぐちゃぐちゃ
朝目が覚めたら オレはすっからかん

かけずりまわって 息も切れ切れ
かけずりまわって 息も切れ切れ
ここらでそろそろ ちょいとひと休み

オレの大事な一張羅 しなびちまった
オレの大事な一張羅 しなびちまった
アイロンかけても 元に戻らない

のたうちまわって 頭ぐちゃぐちゃ
のたうちまわって 頭ぐちゃぐちゃ
右も左も  まるでわからない

2017年6月10日(土)

「銀座カンカン娘」は怒っているわけじゃないの?

結膜炎のつらい経験も、結局、歌にしました。といっても、そのまんまの経験ではありませんが。久しぶりに「ど」ブルースをやってみました。

つぶれちまった左目で
あいつはいつもオレを見ている
見えるほうで
男に色目を使ってる

左目で 左目で
見えなくなっちまった左目で
あいつはおれを
愛してる

星の降る夜に
星の降る夜に
俺があいつの目をつぶした
いつかこうなると
わかっていたから

つぶれちまった左目で
あいつは今日もオレを見ている
見えるほうの目は
どこで何をしている?

見えるほうの目は
どこで何をしている?

2017年6月9日(金)

今日はだいぶ目やにも減り、右目に視力が返ってきた。もう一歩だ。

二村定一さんのレパートリー「朗らか素空寒で暮らそうよ」を無理やりカバーしてみた。本物のやけっぱちなまでにゴージャスな感じとは似ても似つかないけど、この歌好きなんです。原曲は1932年、作詩/訳詩・佐々木緑亭、作曲/編曲・江口夜詩による「ダンス小唄」。二村定一のCD『街のSOS!』に収録されてる。「訳詩」とはどういうことだろう。原詩はどこに?佐々木緑亭は、児童演劇の他に、『恋ぐるま 新小唄集』(現代歌謡出版社、1936)なども出しており、さすがにAmazonでは手に入らないが、国会図書館には置いてあるようだ。さらに、佐々木は『国文学:解釈と鑑賞』(1955年20巻8号)に、「レコード小唄・映画主題歌・ジャズ小唄」という論文を寄稿している。暇を見つけて調べに行きたい。

2017年6月8日(木)

結膜炎で仕事に行けないというこの状況で、1年前のFacebookにまるで予言のような書き込みを発見したので、そこに書いてあった歌詞をもとに曲をつくってみた。休むべきなのはわかっているけど、何かしなくちゃいられない。

UTUTU

今日もぼくは全力で
うつつを抜かす
きみの望む男には
なれそうにない
 夢ばかり見てる
 いつもの調子で
 ふと我にかえって
 あ~
今日もぼくは一日
フラフラしてる
忙しくするのは
まっぴらごめんだ
 昼すぎに起きて
 コーヒーを入れよう
 電話が鳴ってる
 あ~
直視するのはやめよう
きっと目に悪い
きみの望む男には
来週なろう

2017年6月7日(水)

眼科に行った。まだ、職場復帰の許可が下りず。明日の首都大、明後日の神奈川大も休講にせざるを得ず。土曜のチキリハ(チキリカ・リハーサル)も中止。

2017年6月6日(火)

「我々特別捜査官は、地を這うような捜査が求められている」「あーそれで、地面(Gメン)」

一人でいると、こういう誰も喜ばないものをつくってしまう。新曲「しらみのしがらみ」・・・みんなみんな生きてるんだ。友だちなんだ。何も絵まで書かなくても、という意見はもっともだ。

しらみのしがらみ
いつも悩んでる
しらみのしがらみ
いつも困ってる

人間様にはわかるまい
俺たちの悩みが

いつも仲間が
叩いてつぶされる
お腹いっぱい
食べたいだけなのに

人間様にはわかるまい
俺たちの悩みが

いつかきっと
しらみの世界が来る
いつかきっと
しらみの世界が来る

人間様にはわかるまい
俺たちの希望が

しらみのしがらみ
しらみのしがらみ
しらみのしがらみ

当面のライバルは
ノミ

2017年6月5日(月)

ぜんぜん違う。「あさま山荘事件」と「甘さ三層事件」

眼科医の許可が下りず、明治学院、國學院とも今週も休講。さすがに2週目ともなると、痛い。眼科に行ったところ、だいぶ良くなったと思っていたのに、「ピークですね」と言われて、へこむ。瞼の裏に偽膜ができる状態が続いている。とりあえず、明日の仕事復帰もなくなった。あせっても、しょうがない。

70年代のカンボジアのロック、ポップスを集めたCambodian Cassette Archives; Khmer Folk and Pop Music Vol.1から、タイトルも、演奏者も不明の、スカのような曲をカバーしてみました(もちろん、ぼくらしくゆるい感じで)。オリジナルの演奏者が、もし、これをスカのつもりでやっていたとすると、カンボジアにはかない早い時期に、ジャマイカのスカの情報が入っていたということになる。しかし、彼らの多くはポル・ポトの虐殺で殺されちまったと思われ・・・

2017年6月4日(日)

出演するはずだった荻窪Live Bar Bungaの「ワイワイコンサート」も、結膜炎のため辞退。

「デビュー前のビートルズがキャバクラで演奏していたって本当?」「キャバーン・クラブのことかな?変な略し方するんじゃない」

2017年6月3日(土)

眼科に行ってきましたが、結膜炎、全然治っていませんでした。でも、瞼の裏にできた偽膜(膿などが乾いてできた膜。これができる人は症状が重いほうだそうです)をとってもらい。気のせいか、かなりすっきりした感じがします。仕事はまだダメと言われました。まいったな。

アコーティック・ギターのインスト「おやすみ」を仕上げた。

2017年6月2日(金)

神奈川大も、結膜炎のため休講。

出演予定だった西荻窪Zizi Annablleの20分ライブも、出演を辞退した。

メガネをかけていたのにメガネを探し、あろうことか、メガネのうえから予備のメガネをかけようとするという失態。

2017年6月1日(木)

首都大の授業も結膜炎のため、休講。はやく授業に復帰するためにも、何もしないで休むのがいちばんなのだが、結局何かしてしまう。

7月21日(土)、東洋大学で開催される多民族研究学会のシンポジウム「ローカル・トゥ・ローカル:ワールド・ミュージックの新たな展開」の要旨を書く。当日は、富山のイベント「スキヤキ・ミーツ・ザ・ワールド」プロデューサー、二コラ・リバレさん、『ローカル・ミュージック』の昼間賢さんと、ひらげが登壇し、ローカルとローカルが直接結びつく、ワールド・ミュージックの新たな時代の可能性について論じる予定。シンポジウム全体の要旨は、こんな感じ。

1980~90年代におけるワールド・ミュージックの興隆は、画期的な出来事だった。パリやロンドン、東京といった巨大都市を舞台に、各地の音楽が出会うことによって、さまざまな化学変化が引き起こされた。とはいえ、「ワールド・ミュージック」という言葉で、周縁の音楽がパッケージ化されたことを考えれば、そこに中心と周縁のヒエラルキーを前提としたオリエンタリズム的枠組が存在したことは否定できない。一方、ブームが去ったあと、「ワールド・ミュージック」に関わる多くの人たちが、それぞれの音楽のローカルなルーツを再確認しながら、新たな道を模索してきた。地方のイベントで、ワークショップで、あるいはネット上で、ローカルな場の磁力を保ちながら、なおかつ他のローカルとの結びつきを排除しない、新たな「ワールド・ミュージック」の在り方生まれつつある。本シンポジウムでは、こうした試みを「ローカル・トゥ・ローカル」と呼び、その現状、可能性と問題点を検討する。

南半球系バンド・チキリカでやる予定の新曲「朝が来る」のデモ・トラックをつくった。ちなみに、大阪府岸和田市に「千亀利会」という泉州音頭の団体があるらしい。いつか共演する日が来るだろうか。どちらも、ダンス・ミュージックだし。「千亀利」といのは岸和田市の地名らしいが。

焼けつくその日暮らし
今日も日が暮れる
いつものくり返し
今日も日が暮れる 日が暮れる

でも、きみがいれば また朝が来る
でも、きみがいれば 世界はまわる
でも、きみがいれば また朝が来る
でも、きみがいれば 世界はまわる

朝から立ちっぱなし
今日も日が暮れる
いつものくり返し
今日も日が暮れる 日が暮れる

いつもの朝が来て
仕事の時間だ 行かなくちゃ
いつもの朝が来て
仕事の時間だ 行かなくちゃ

いつものくり返し
今日も朝が来る 朝が来る
いつものくり返し
今日も朝が来る 朝が来る

でも、どんな日の朝も、きみがいる
でも、どんな日の朝も、きみがいる
きみがいる

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