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2017年4月2日(日)

オツペケペ。オツベケペツポ。ベツポーポー。

昨日つくった謎の新曲「ラー」にのせて、「オッペケペー節」を歌うというアイディアが浮かんだので、さっそく実行に移した。タイトルは歌詞の一部からとって、「心に自由の種を播け」にした。「オッペケペー節」は、自由民権の思想を込め、世相を風刺した明治時代の流行歌。落語家の三代目桂藤兵衛が始め、その弟子だった川上音二郎が受け継いだ。いろんな歌詞が記録されているが、ぼくが歌ったのは次のようなもの。

米價騰貴の今日に
細民困窮省らす
目深に被ふた高帽子
金の指輪に金時計
権門貴顕に膝を曲け
藝者たいこに金を蒔き
内には米を倉に積み
同胞兄弟見殺か
幾等慈悲なき慾心も
餘り非道な薄情な
但し冥土の御土産か
地獄でゑんまに面會し
わいろ遣ふて極楽へ
行けるかへゆけないよ
オツペケペ オツペケペツポーペツポーポー

他にも、「権利幸福嫌いな人に 自由湯(「自由党」のダジャレ)をば飲ませたい」「外部の飾はよいけれど政治の思想が欠乏だ。天地の真理が解らない。心に自由の種を蒔け」といった歌詞も見られる。なかでも、「心に自由の種を蒔け」は、好きなフレーズなのでタイトルにして、歌ってみた。ちなみに、1900年に音二郎一座が欧米公演を行ったときに、イギリスでこの曲を録音している。そのときの録音がこれ(ただし、音二郎の声は残されていないらしい)。

ラップを思わせるようなスタイルは、あほだら経とか、純邦楽には珍しいものではない。それよりも、タガが外れたような高揚感に驚く。グルーヴといってもいい。日本の音楽にはリズムがなかったというのは嘘だ。オンビートとオフビートの違いはあるにせよ、日本(あるいはアジア)にも、アフリカ発祥のモノと同じくらい豊かなグルーヴの世界があった。そして、「心に自由の種を播け」というのは、「心にグルーヴの種を播け」ということでもある。心がグルーヴにのって、自由を求めて動き出すのだ。

もちろん、自由民権運動の「自由」が意味するのは、そんなロマンティックなものではなかった。自由民権運動は、煎じ詰めるところ、ナショナリズムの運動であったと言うこともできる。政治は自分たちのモノでもあるのだから、ひとこと言わせろというのは、ナショナリズムがなければ出てこない発想だ。板垣退助らが下野したのも、朝鮮に対する強硬姿勢が原因だった。だから、自由民権の思想を歌う壮士演歌、書生節の多くが、日露戦争を取り上げ、政府の弱腰を批判した。政府は政府で、マツリゴトとは無縁に暮らしてきた民に、兵役をはじめとする「国民」としての義務を負わせることが急務だった。その意味で、自由民権運動は、明治政府の方針を補完するものだったのである。

・・・と、まあ、理念としての自由民権運動はそうなのだが、当時、「自由」という言葉に、われわれがこの言葉を聞いて思い浮かべるようなこと ― 個人の生き方の問題としての自由、誰にも邪魔されずに自分らしく生きること ― を感じた人たちもいた。そうした人たちにとっては、他人の人生を金で買おうとする連中が、自由の敵となる。例えば、秩父困民党に合流した壮士たちは、ナショナリズムとしての自由民権思想とは違う、貧しい農民たちにとっての「自由」を直視せざるを得なかっただろう。「オッペケペー節」をはじめ、当時の壮士演歌、書生節のなかにも、いくつかの「自由」が混在しているように思う。そして、ぼくらが現在の歌としてそれらを歌うとき、そこから「自由」の意味を選び取ることができるのではないか。

最後に土取利行さんの名演を。

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