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2016年12月31日(土)

去るサル年。

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                                    へんな紅白だったな・・・

2016年12月30日(金)

民衆を導く自由の女神。

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2016年12月28日(水)

パーキンソン病の診察を受けに、病院へ。ドーパミン受容体刺激薬(ドパミンアゴニスト)を貼り薬にすることになった。飲み薬よりも、持続的な効果が期待できる。その足で、整体に。

中学時代の友人Kと、やはり中学時代の友人Yが大将をやっている寿司屋で、忘年会。無条件に、楽しかった。気の置けない仲間というのは、やっぱりいいなあ。写真は、メガネ専用にごり酒・・・メガネをかけて21年。ぼくには飲む資格があるはずだ。笑

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2016年12月27日(火)

カエサルは、カエル?サル?

2016年のライブを総括してみます。

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ひらげエレキテルが・・・

1月15日(金)OGSアコナイト@新大久保Club Voice
1月16日(土)高田馬場・四谷天窓.comfort
1月29日(金)OGSアコナイト@新大久保Club Voice

2月20日(日)ねこうた祭り@御茶ノ水KAKADO
2月29日(月)OGSアコナイト@新大久保Club Voice

3月6日(日)OGS LIVE@新大久保Club Voice
3月12日(土)ワイワイコンサート@荻窪Bunga
3月22日(火)OGSアコナイト@新大久保Club Voice
3月25日(金)ほっと楽しやハートライブ@阿佐ヶ谷Next Sunday

4月1日(金)OGSアコナイト@新大久保Club Voice
4月10日(日)ベリメリMIXライブ@高田馬場・四谷天窓.comfort
4月15日(金)OGSアコナイト@新大久保Club Voice
4月29日(金)OGS100回記念ライブ@新大久保Club Voice
5月1日(日)双葉感謝祭

5月10日(火)OGSアコナイト@新大久保Club Voice
5月14日(土)下北沢Laguna

6月12日(日)ワイワイコンサート@荻窪Bunga
6月17日(金)OGSアコナイト@新大久保Club Voice

7月6日(水)OGSアコナイト@新大久保Club Voice
7月26日(火)OGSアコナイト@新大久保Club Voice

8月10日(水)OGSアコナイト@新大久保Club Voice
8月13日(土)真夏のフォーク&昭和歌謡祭@荻窪Bunga
8月14日(日)ヨコフェス@新横浜Bell's
8月27日(土)星くず音楽祭@国立はっぽん
8月28日(日)ワイワイコンサート@荻窪Bunga
8月30日(火)OGSアコナイト@新大久保Club Voice

9月11日(日)下北沢Laguna
9月13日(火)OGSアコナイト@新大久保Club Voice
9月19日(月)わんにゃんレスキュー@西荻窪Zizi Annabelle
9月30日(金)OGSアコナイト@新大久保Club Voice

10月7日(金)OGSアコナイト@新大久保Club Voice
10月15日(土)自由ヶ丘マルディグラ
10月20日(木)西横浜エル・プエンテ
10月21日(金)OGSアコナイト@新大久保Club Voice
10月22日(土)ワイワイコンサート@荻窪Bunga
10月30日(日)下北沢Laguna

11月3日(木)OGS LIVE@新大久保Club Voice
11月4日(金)わんにゃんレスキュー@西荻窪Zizi Annabelle
11月18日(金)OGSアコナイト@新大久保Club Voice
11月26日(土)星くず音楽祭@西荻窪Zizi Annabelle
11月29日(火)OGSアコナイト@新大久保Club Voice

12月7日(水)OGSアコナイト@新大久保Club Voice
12月24日(土)荻窪Bunga
12月25日(日)ほっと楽しやハートライブ@阿佐ヶ谷Next Sunday

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チキリカは・・・

1月24日(日)千歳烏山TUBO
2月28日(日)代々木Barbara
5月7日(土)大久保ひかりのうま
10月1日(土)大久保ひかりのうま

エレキテル44回、チキリカ4回。アホだろ、オレ。とくに8月と、10月から11月にかけては、つめこみすぎた。来年は、クオリティを高めること、集客を増やすことに重点を置きたい。とはいえ、ライブは楽しい。やめられない。お誘いがあれば、時間の許すかぎり、やります。

ともあれ、ライブハウスのスタッフの皆さん、チキリカのメンバー、ぢぞ郎さん他サポートしてくださったミュージシャン、共演者、企画の皆さん、そして何よりもお客さま、1年間ありがとうございました。また来年もよろしくお願いします。

2017年のライブ始めは、ひらげエレキテルで、1月8日(日)下北沢Lagunaです。お時間の合います方は、ぜひお越しください。

2016年12月26日(月)

お出汁のきいたボサノバに、松茸や白身のお魚なんかを入れて蒸し煮にする。「ジョビン蒸し」

明治学院非常勤「アメリカ研究」、後期第十三回目。前半は、前回に引き続きソウル・ミュージック。今回はオーティス・レディング「愛しすぎて」を聞きながら、授業開始。ソウル・ミュージックの特徴である、どこまでも登りつめていく高揚感は、前回聞いたようなジャンプ・ナンバーだけではなく、こうしたバラードにも表れている。だーだーだだだだだだだだーとせりあがっていくホーン・セクション。ライブではさらに、クライマックスで何度もブレイクをくり返す。っだーっだーだだっ(ギヴイッワンモータイム!)っだーだーだだっ(ギヴッワンモータイムワンモー!)っだーだーだだっ・・・そして、オーティスの歌の切なさが、どこまでも胸をしめつける。

前回、ソウル・ミュージックが黒人と白人のミュージシャンの共同作業によって生み出された人種統合の音楽であることを示した。しかし、60年代後半以降、公民権運動が先鋭化していくなか、非暴力の運動をけん引してきたマーティン・ルーサー・キングが他ならぬメンフィスで暗殺されたこともあり、ソウル・ミュージックもまた変化を余儀なくされる。キング師の暗殺は、人種間の壁がいまだなくなっていないことを浮き彫りにした。暴動への警戒が高まるなか、スタックス・レコードでソングライターとして活躍していたアイザック・ヘイズは、白人のベーシスト=ドナルド・ダック・ダンに話しかけようとしたところを、警官に銃で制止されている。やがて、スタックスからは、白人のスタッフが去っていき、白人の姉弟エクセル・アクストンジム・スチュワートも経営を離れ、黒人のアル・ベルが社長の座を引き継ぐことになった。

アル・ベルのもとで、スタックスは黒人美学を強調した、黒人のレーベルとして生まれ変わった。ソングライターだったアイザック・ヘイズは、全身に鎖を巻き、「黒いモーセ」として、歌手デビューし、ブラックスプロイテーションの名作『黒いジャガー』のサントラを手がけた。そして、新生スタックスが、総力を挙げて取り組んだイベントが、1965年のワッツ暴動7周年を記念して72年に開催された『ワッツタックス』である(タイトルは、ワッツ+スタックス)。スタックスの抱える黒人スターに加えて、キング師の後継者として公民権運動を指導していたジェシー・ジャクソン師も登場し、「アイ・アム・サムバディ(私は人間だ)」を連呼する感動的なスピーチで、スタジアムを埋め尽くした黒人観客を鼓舞した。

ソウル・ミュージックの最後に、もう一人紹介しておかなくてはならない。ジェイムズ・ブラウンだ。窃盗で入った刑務所のなかでゴスペルに出会い、音楽の世界に飛び込んだJBは、アメリカ黒人音楽のあらゆるジャンルを吸収しながら、ファンクという新しいスタイルを生み出した。その根底にはやはり、ゴスペルの高揚感があったことは間違いない。初期の代表曲「プリーズ・プリーズ・プリーズ」は、「プリーズ、プリーズ、行かないで」という同じパターンをくり返す曲だが、ステージでは泣き崩れたJBにMCがマントをかぶせてステージ脇へ連れて行くと、駄々をこねるように地団太を踏んだJBがマントを振り払い、センターマイクに戻ることをくり返す「マント・ショー」が行われる。そこにみられるのは、まさにどこまでもピークが先延ばしにされるゴスペルの高揚感そのものだ。

授業後半は、40年代以降の黒人文学について。リチャード・ライトラルフ・エリソンジェイムズ・ボールドウィンを紹介したところで、タイムアップ。続きは、来年。

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俳優の山谷初男さんのライブを見に、イオチくん、ワカちゃんといっしょに、国立はっぽんに行ってきました。お店の名前は、山谷さんのニックネーム。以前は、経営も山谷さんだったそうです。8月に出演させていただいたときに、山谷さんゆかりのお店だと聞いて、はちみつぱいと録音した『山谷初男の放浪詩集/新宿』が素晴らしい内容であることを思い出したのでした。80代になった今でも、歌を歌っておられると聞き、やってきました。歌も、朗読も、亡くなった演劇人やミュージシャンのことを語るMCも、素晴らしかった。切なくて、楽しくて、胸がいっぱいです。はっぽんさんのエロ歌集CDまでいただいて、ご満悦。また聞きに来ます。

2016年12月25日(日)

昼下がりの雀荘にて。アフタヌーン・チー。

「ほっと楽しやハートライブ<第9夜>」@阿佐ヶ谷Next Sundayに、ひらげエレキテルとして出演。2016年の歌い納め。演目は、「こども魂」「二人でお茶を」「かわいい子猫ちゃん」「行こうよ」「非国民の休日」「最後の日」。そして、素晴らしい共演者の皆さん。五寸釘さんはMCなしで次々とくり出されるアコースティック・パンクがかっこいい。菅野忠則さんは繊細なフィンガー・ピッキングで心に残る歌を。ぼくもこういう歌が歌えたらなあ。主催の愛間純人さんはスモーキーな声で、いつものゆったりと誠実さをにじませた歌に加えて、今回はメッセージを強く打ち出す曲もあった。来年もよろしくお願いします。

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2016年12月24日(土)

喫茶『カエサル』にて。「ブルータス、お前、モカ?」「いいや、キリマン」

藤丸さんの企画するライブ「Eveだから、愉快な仲間とAfternoon Party」@荻窪Bungaに、ひらげエレキテルとして参加して、歌ってきました。今回は、久しぶりに、ぢぞ郎さんのギターにサポートしてもらい、新曲「二人でお茶を」も披露しました。演目は、「ワルツ」「こども魂」「行こうよ」「かわいい子猫ちゃん」「二人でお茶を」「ラーメンブギ」「最後の日」の7曲。聞いてくださった皆さん、ありがとうございました。主催の藤丸さんは二つのバンドで出演。ベースのヒデさん、ギターのぢぞ郎さん、ドラムのフジータさんを従えた藤丸Try Angelでは、堂々たる歌を惜しげもなく披露。大学時代の仲間で結成したイカメンでは、ややサポートにまわりつつ、美しいコーラスとアコースティック・サウンドで、多彩なレパートリーを。ある意味、すごくユニークなバンドです。他の出演者も、素晴らしい。アコースティックな編成で登場のRUOKARAは、ソウル系のナンバーを中心としたグループ。伸びやかな女性ヴォーカルと、アタックの強い独特のギターが印象に残ります。ステキです。最後にBungaの店長MINAさんが、プロフェッショナルなギターリストとベーシストを従え、Dos petalosとして登場。柔らかな声でラテン系のナンバーなどを披露。しびれました。

2016年12月23日(金)

宴席で言いたい言葉。「よーし、今日はもう酔拳をマスターするまで帰らないぞ!」

2016年12月22日(木)

大晦日恒例の格闘技で、ゴツい男同士が野球拳を始めた。パンツだけなので、すぐ終わった。

首都大非常勤、後期第十一回目。『ジャズの誕生』をテキストとするリーディング3コマ。テキストの内容とあまり関係ないが、ジョン・コルトレーンの演奏する「アフロ・ブルー」(1963年10月、バードランドでのライブ)を聞きながら授業開始。ビ・バップからモード、フリーへと突き進んだコルトレーンの軌跡について語る。テキストの内容は、黒人研究の権威メルヴィル・ハースコヴィッツからの引用に入る部分から。「(黒人の秘密結社)は、なぜそんなに数が多かったのだろう。西アフリカにちょうどいい先例がある。ハースコビッツはダオメのグベについて述べて、こう書いている」 ここからが引用で、「アメリカの友愛団体と同様の、選ばれたメンバーと儀式上の秘密を持ち、そうした集団は、しばしば大勢の信奉者がいて、長い機関存続する。その第一の目的は、メンバーの親戚の葬式において、彼とその集団に名誉をもたらす競争的贈与における誇示ができるように、メンバーに適切な財政的援助をすることである」 文化人類学上の用語として、「競争的贈与」と言うのが正しいかどうかはわからないが(マルセル・モース贈与論』などを読めばいいのか?)、香典をどちらが多く出すか争ったり、あるいは、どれだけ大きな葬式を出せるか争うようなものだろう。香典が少なかったり、葬式がしょぼかったりすれば、本人はもちろん、彼が所属する秘密結社も恥をかくことになる。そのために、結社は財政的な援助をし、そのことによってお金が回るという上手いシステムになっている。

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ある古本屋にて。

2016年12月21日(水)

頭がお花畑とか言うけど、花も咲かないよりはましだよな。

新曲「非国民の休日」、もうひと工夫してみました。

2016年12月20日(火)

千とルイスの神隠し。

日本女子大非常勤、後期第十四回目。3限、「米文学随筆評論演習」は、ハリエット・アン・ジェイコブズの奴隷体験記を読む。ついに、北部フィラデルフィアに到着したリンダ(ジェイコブズの仮名)は、娘が暮らすニューヨークへの案内人が見つかるまで、黒人牧師ジェレミア・ダーラム師の家に身を寄せることになり、子供たちの父親のことも含め、すべてをダーラム師に告白する。ダーラム夫人は詳しい事情は聞かず、リンダを歓待する。はじめての大都会に圧倒されながらも、自由の身になった喜びを噛みしめるリンダ。5日間の滞在ののち、ダーラム夫人の友人に伴われ、ニューヨークに向かうが、途中、北部にも黒人専用車があることを知る。

4限、「アフリカ研究」は、ジンバブエ、南アフリカについて。ドキュメンタリー映画『ムビラミュージック:スピリット・オブ・ピープル』(1992 )から、トーマス・マプーモの演奏シーン(8分45秒あたりから)を流しながら授業開始。続けて、BBCのドキュメンタリーから、オリバー・ムトゥクジの演奏シーン。前々回紹介しながら、DVDがかからなかったために動画が見られなかった、ジンバブエの大御所ミュージシャン2人の姿をようやく見せることができた。

トーマス・マプーモは、ジンバブエ独立前夜に反政府ゲリラの側に立った歌を歌って、投獄されたこともあって、国民的な英雄になったが、実際に独立戦争に参加して、歌でゲリラ兵を鼓舞したのが、コムレイド(同志)・チンクスである。『ムビラ・ミュージック』のなかから、チンクスが兵士を鼓舞する歌を歌うシーン(17分30秒あたりから)を見る。戦後のチンクスが仲間たちと当時の歌を歌いはじめる。そこに、戦時中、兵士のなかで歌うチンクスの実際の映像が重なる。チンクスには、何年か前に会いに行った。医者になりたかった彼は、成績優秀で、イギリス留学を希望していたが、「アフリカ人」であるという理由で叶わなかった。その後も、ボーア人(アフリカーナ―)の上司のもとで、さんざん人種差別を体験したことが、独立戦争に身を投じるきっかけになった。つらい体験をしているはずの兵士たちが、チンクスの歌を聞いて笑っている姿が気になったので、そのことを尋ねると、「その日の戦果をユーモアを込めて歌にするんだ。笑うことによって、士気がぐっとあがる」と言っていた。

チンクスとの会見中、ふと思いついて、『ムビラ・ミュージック』で彼が歌っていた歌のコーラスを歌ってみた。まるざいにーまるざーかー。チンクスは「なぜ、その歌を知っているんだ!?」と、目を丸くしていた。そのあとは、すっかり気に入られ、「ジンバブエに住め」とまで言われたが、「日本にガールフレンドがいるから」(ほんとうはいなかったが、見栄をはった)と断った。「彼女もつれてくればいい、世界を見せてやると言ってな!」と笑っていたチンクスだが、自宅まで送っていった別れ際に、「やっぱり、ジンバブエには住むな」と言い出した。何を突然と思っていると、「お前が死ぬのを見たくないからな」と言う。「お前が死んだら、お前の頭蓋骨をこうして砕いてやる。何で死んだ、何で死んだ、ってな」 ぼくは「うわあ、天国でも頭蓋骨は必要だから、やめてくれよ」とおどけながら、この人は何人の死を見てきたのだろう ― 敵も味方も ― と思った。自由のための戦争であっても、戦争はやっぱりつらいものだ。

もう一人、これからのジンバブエ音楽を担う存在として期待されながら、37歳の若さで亡くなった女性ムビラ奏者/シンガー=チウォニソ・マライレを、来日公演の動画とともに紹介。ムビラの巨匠ドゥミサニ・マライレの娘として、父がジンバブエ音楽を普及中のアメリカに生まれ、ショナ語と英語で、R&Bなどの影響も受けたハイブリッドな音楽を展開したチウォニソについては、いろいろ思い出がある。最初にジンバブエのライブハウスで見たときには、ステージ終了後、お酒に溺れ、とても近づけるような雰囲気ではなかったこと(当時は、やはり急逝したミュージシャン=アンディ・ブラウンとの離婚、友人の死など辛いことばかりだったらしい)。富山のイベント「スキヤキ・ミーツ・ザ・ワールド」に招かれて来日したときには、娘ができたことで、体型もふっくらし、すっかり幸せな母親になっていたこと。そして、亡くなったあと、ジンバブエで墓参りに行き、そこでチウォニソに導かれるように、奇妙な出会いがあったこと(詳しくは、2013年9月10日の日記)。

後半は、隣国=南アフリカに移って、同国の歴史とアパルトヘイトについて解説。徹底した人種隔離政策であるアパルトヘイトのもとで、南ア国内のほとんどの土地は白人に占有され、アフリカ人の居留地は、原住民土地法によって、「ホームランド」といわれる痩せた狭い土地に限定された。一方で、アフリカ人労働力を確保するため、都市部周辺にはアフリカ人居住区(タウンシップ)が設けられ、アフリカ人はパスの携帯を義務付けられた。また、背徳法によって、白人とアフリカ人の性的関係が禁じられた。1976年、ジョハネスバーグ近郊のタウンシップ=ソウェトでは、アフリカーンス語(アパルトヘイト体制の支配者であるボーア人の言語)による教育に反対する中高生らによるデモに警官隊が発砲し、死者を含む犠牲者を出した(ソウェト蜂起)。この事件もひとつの契機となって、アパルトヘイト反対運動は、世界的な広がりを見せていくことになる。

そうした運動のなかで、中心的な役割を果たしたのが、27年間獄中にあり、のちに南アフリカ共和国大統領になったネルソン・マンデラである。マンデラについては、ノーベル平和賞を受賞したこともあって、「非暴力の人」と思っている人も少なくないが、アフリカ民族会議(ANC)内に、武装組織「民族の槍(ウムコント・シズウェ)」を組織した人物であり、そうした活動の結果、逮捕に至ったことも指摘しておかなければならない。もっとも、「民族の槍」の活動は、戦略拠点を破壊するサボタージュであり、決して無差別テロのようなものではなかったが。1990年、マンデラが釈放され、紆余曲折を経て、アパルトヘイトは廃止されることになる。1994年の全人種参加の選挙でANCが勝利し、マンデラが大統領に就任、南アフリカは「虹の国」として新たなスタートを切った。

最後に、南アフリカの音楽を紹介。伝統的にコーラスが盛んな南アフリカには、ムブーベと言われる男声合唱の音楽がある。ムブーベという名前は「ライオン」を意味するが、ソロモン・リンダのつくった同名の曲に由来している。「ムブーベ」は、のちに「ライオンは寝ている」として、世界的にヒットすることになるが、原作者であるリンダには著作権料は一切払われていない(この問題を追った映画に、2002年公開の『ライオンの歌はどこに行ったか』がある)。一方、力強い女性コーラスで知られるマホテラ・クイーンズの音楽は、ムパカンガと呼ばれている。こちらは、よりリズムが強調されたバンドの演奏をバックにしたズールー人由来の音楽で、名前は「トウモロコシの粥」を意味する。

6限、「アカデミック・ライティング」では、冬休みを前に、半数の学生がエッセイを仕上げた。心配なのは残りの半数。

2016年12月19日(月)

明治学院非常勤[「アメリカ研究」、後期第十二回目。今回は、ソウル・ミュージックについて。ソウル・ミュージックは公民権運動と同時代の音楽である。といっても、ソウル・ミュージックのミュージシャンがこぞって公民権運動にはせ参じたという意味ではない。しかし、ゴスペルに回帰することでアフリカ系アメリカ人のアイデンティティを再確認する一方で、白人のミュージシャンとの共同作業のなかで、人種の壁を取り払ったプロセスは、公民権運動の時代を反映したものだ。ソウル・ミュージックという言葉がさかんに使われたのも、50年代後半から70年代にかけてで(それ以前は、R&B、以降はブラック・コンテンポラリー)、時期的にも運動の全盛期と一致している。授業では、ゴスペル回帰と白人との共同作業の二つの面から、ソウル・ミュージックの本質に迫った。

まずはゴスペル回帰について。教会の宗教音楽は常にアメリカの黒人音楽のバックボーンとして存在し続けてきた。土曜日に酒場で楽しい時を過ごし、日曜に盛装して教会に行くといったことはむしろ普通のことだったし、ゴスペルと世俗音楽の両方を演奏するミュージシャンもいた。しかし、教会でブルースを演奏したり、酒場でゴスペルを演奏することは、歓迎されることではなかった。r両者はTPOを考えて、厳格に区別されるべきものだったのである。その壁を最初に取り払った人物の一ひとりが、ソウル・ミュージックの父と言われるレイ・チャールズである。彼は有名なゴスペル曲に世俗の(ちょっとエッチな)歌詞をのせることで、聖俗の境界を乗り越えた。「ホワッドゥ・アイ・セイ」を聞くと、コール・アンド・レスポンス、同じパターンのくり返し、メリスマの聞いた歌い方、徐々に盛りあがっていく高揚感など、ゴスペルの特徴の多くが受け継がれていることがわかる。しかし、当時、こうした試みを歓迎しない人も多くいたのである。

レイ・チャールズとは別のアプローチで、世俗音楽にゴスペルを持ち込んだのが、サム・クックである。彼はもともと、名門カルテットであるソウル・スターラーズR・H・ハリスの後任として入った若手のゴスペルシンガーだった。若き日のクックは、希望見みちた歌声と、つるんとした男前のルックスで、教会に通う女の子の嬌声を浴びていた。そんな人材を世俗音楽の世界は放っておかなかった。デイル・クックの変名で(バレバレじゃん!)デビューしたクックはやがて、本名でヒット曲を連発し、ゴスペル業界から裏切り者扱いされながらも、大スターへの道を歩んでいく。そして、次第にゴスペル色を強めた泥臭い曲を録音する一方で、マルコムXらと親交を深め、若手発掘のためのレーベル「サー」を立ち上げるなど、社会的貢献を考えるようになる。しかし、そんな最中、モーテルで売春婦に撃ち殺され、謎の死を遂げている。死後、発売されたのが、映画『マルコムX』でも使われた「ア・チェインジズ・ゴナ・カム」である。

それでは具体的にゴスペルの何が、ソウル・ミュージックを生み出したのだろうか。先に挙げた、コール・アンド・レスポンス、同じパターンのくり返し、メリスマの聞いた歌い方といったゴスペルの音楽的特徴は重要な指標だが、すべてのソウル・ミュージックに当てはまるわけではない。しかし、どこまでも登りつめていく高揚感だけは、ゴスペル的な音楽になくてはならないものである。ピークを迎えたかと思うと、まだ先がある、どこまでもピークが先延ばしにされる高揚感。これは、自由への約束を何度も裏切られ、そのたびに約束の地というクライマックスを先延ばしにされてきたアフリカ系アメリカ人の歴史が関係している。こうしたゴスペルからソウルへ受け継がれた高揚感は、マーティン・ルーサー・キングが暗殺される前日に残したスピーチに見られるものと同質のものだ。

アメリカ黒人音楽の母胎としてのゴスペルへの回帰という一面を持っていたソウル・ミュージックだが、その演奏を支えていたのは、白黒混合のミュージシャンであった。メンフィスのソウル・ミュージックを代表するレーベル、スタックスで全盛期の演奏のほとんどを担当したブッカー・T&MG'sは、メンバーの半分が白人だったし、マイアミのマスル・ショールズではほとんど白人のミュージシャンによって、独自のソウル・ミュージックが生み出されていた。スタックスやサンチェスアトランティックなど黒人音楽に理解のある白人経営者によるレーベルも増え、人種を越えた共同作業で南部のソウルが生み出されるなか、悲しみに満ちたバラードと、機関車のような力強いジャンプ・ナンバーで、スターへの道を駆け上がったのがオーティス・レディングである。スタックスがヨーロッパ・ツアーを行ったり、オーティスがローリング・ストーンズビートルズの曲をカヴァーし、モンタレー・ポップ・フェスティヴァルに参加することによって、ソウルは白人の若者にファンを増やしていった。

こうした音楽を通じた交流の結果、若い白人ミュージシャンの意識に変化がみられるようになる。白人のソングライターとして、「ダーク・エンド・オヴ・ザ・ストリート」などソウルの名曲を数多く手がけたダン・ペンは、1973年に発表されたソロ・アルバム『ノーバディズ・フール』のなかで、肌の色にこだわることのバカバカしさを訴えた「スキン」という詩を朗読している。

たくさんの本が人間について書いている
黒と白について 上と下の人間について
だけど、要はおれとあんたのことなのさ
俺たちはみんな豚だよ 黒い豚に
白い豚
それなのに同じ泥穴は掘れない そんな風に考えている

最後にレディ・ソウルと言えばこの人、アレサ・フランクリンを紹介して、映画『ブルース・ブラザース』から、ソウル・フード店の女将に扮して、「シンク」を歌う力強い映像を見ながら、授業終了。

國學院非常勤、後期第十一回目。6限は、『ジャズの誕生』をテキストとするリーディング。テキストとは直接関係ないが、セロニアス・モンクの名盤『ブリリアント・コーナーズ』を聞きながら、授業開始。テキストの内容は、「さまざまな程度にアフリカの血を受け継ぐ人びとが精通するようになった音楽の範囲は独特であった。一方で、黒人クレオールは、スペイン人、フランス人、アフリカ人の先祖をあわせ持っており、しばらくの間かなりの社会的地位を保持し、最高のヨーロッパ音楽を多く吸収した。彼らは教育を受けさせるために子供たちをパリへ送り、ヨーロッパで評判の指揮者とともに、ニューオリンズで自分たちのオペラを開いた」 7限は、バラク・オバマ、2008年の大統領選勝利演説を読む。「今夜、ここに立っている時ですら、わたしたちはイラクの砂漠やアフガニスタンの山岳地帯で目を覚まし、わたしたちのために命を危険にさらしている勇敢なアメリカ人がいるのを知っています/子供たちが眠りについたあと、横になったまま起きていて、どうやって住宅ローンを払い、医療費を払い、子どもたちの大学進学に十分な貯金をすることができるか考えてるお母さん、お父さんがいます」 将来のことを考えて眠れない夜を過ごす親たちを描いた一節は、オバマらしい細やかな表現だと思う。こうした言葉はトランプからは出てこないだろう。

こういう歌詞で、「ドック・オブ・ザ・ベイ」をカバーすることを考えていた。

しゃがみこんでさ
朝から晩まで
船がでるのを
ぼんやり見ている

しゃがみこんでさ
波の音が聞こえる
しゃがんで聞いてる
それだけさ

生まれた町から どうにか
ここまでやってきた
何かがおいらを
呼んでる気がして

今じゃ、しゃがみこんでる
途方にくれてさ
しゃがみこんでる
それだけさ

だって、何もかも
変わらない もとのまま
あんたにできることが
どうも 俺にはできないのさ

疲れてしまった
孤独だけが友だち
さんざん うろついて
港で眠るだけ

しゃがみこんでさ
波の音を聞く
しゃがみこんでる
それだけさ

2016年12月18日(日)

しけ込み乗車はおやめください。

新曲「非国民の休日」、いろいろ楽器を入れたアレンジ・ヴァージョンを作ってみた。

2016年12月17日(土)

「倒立大学の出身だって?」「都立大学です。逆立ちの練習はしません」

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多民族研究学会(MESA)、第27回全国大会@専修大学神田校舎。今回は、研究発表が2つと、講演が2つ。どれも充実した内容で、たいへん勉強になった。

日本女子大学の学術研究員、秋田万里子さんの発表は、ユダヤ系作家シンシア・オジックの連作小説『ショールの女』について。ナチスの収容所で娘を惨殺された主人公ローザが、自己投影のために娘の記憶を捏造する。個人的には、捏造された記憶(=物語)と、歴史の間に違いはあるのか?歴史もまたツクリゴトであり、両者の違いは程度問題ではないのかと思い、質問に立った。捏造された記憶は、「歴史的事実」からではなく、ローザ自身が本来持っていた記憶から遊離する、というようなお答えだったと思う。

大妻女子大学の伊藤みちる先生の発表は、トリニダードとバルバドスにおける聞き取り調査をもとに、両島におけるヨーロッパ系住民のホワイトネスの捉え方を比較した内容。精緻な分析はこれからということだったが、「白人」が無条件で社会的にも経済的にも特権を享受するトリニダードでは、「白人であること」が重視されるのに対し、ヨーロッパ系住民がエリート層と最貧困層(アイルランド系が多い)に分かれるバルバドスでは、人種的な要素よりも、教養や財産を持っていることが重視されるというのが興味深かった。

ご講演は、まず東京農業大学・山嵜文男先生がウィリアム・フォークナー『アブサロム、アブサロム!』の語りについて、原文をもとに精緻な分析をされた。4人の「語り手」の語りに、一見全知に見える「話し手」が介入し、内容を修正したり、「お墨付き」を与えたりしながら、サトペン家の物語が語られていく。しかし、「話し手」の視点もまた制限されており、必ずしも全知ではない。お話を聞いていて、「話し手」の語りは、南部コミュニティの集合的なものではないかという印象を持ったが、講演終了後、そのことをお聞きしたところ、必ずしもそうとは言えないとのお答え。フォークナーを久しぶりに読み直したくなった。

最後に、国士舘大学の鈴木裕之先生が、最新のご著書『恋する文化人類学者』をもとに、コート・ディヴォアールで出会ったアフリカ人女性との恋愛と結婚という体験について語られた。8日間にわたる結婚式の詳細 ― 列席者の歌や踊り、婚資の交渉、グリオの褒め歌、さまざまな儀式など ― を、実際のビデオを流しながら、紹介された。式の通過儀礼的な意味を、文化人類学的枠組を用いて分析しつつ、<友人の結婚式で何をビデオに撮るべきかについて奥さまと意見が食い違った>というエピソードを通じて、そうした枠組、訓練された文化人類学者の視点の限界についても言及された。わかりやすく、興味深い、大変素晴らしいお話だった。

Murakamiharuki

村上春樹色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』(文藝春秋、2013)を読み終わった。(以下、一部ネタバレあり)提示された謎が解決されないのは、村上作品ではよくあることだが、それにしてもこの作品はいくつもの謎が無為に放りだされていて、途方に暮れる。灰田はどうしてつくるのもとを去ったのか。灰田の父が出会ったジャズ・ピアニストは何者か。シロはなぜ殺されたのか。沙羅がいっしょに歩いていた中年男性は誰か。沙羅はつくるを受け入れてくれるのか。何一つ解決されない。東野圭吾だったら、最後に全部が結びついて、読者をあっと言わせるところだろう。チェーホフのいう「拳銃が出てきたら、それは発砲されなければならない」という原理に、挑戦しているようなところが村上作品にはある。リアルな世界では必ずしも解決は与えられない。しかし、これはリアルな世界ではなく、小説なのだ。話のひっぱり方が上手いので、つい最後まで読んでしまうが、書きかけの作品を読まされたような、狐につままれた気分。

2016年12月16日(金)

神奈川大非常勤、後期第十二回目。「初級英語」は読解テストとテキスト解説。「基礎英語」「中級英語」は、名詞、代名詞。中級クラスでも、代名詞の格変化が抜けている学生がけっこういた。やっておいて、よかった。神奈川大金曜は、年内最後。学生諸君、良いお年を!

平塚から帰る電車のなかで、伊大知くんとばったり遭遇。

2016年12月15日(木)

今日から、パーキンソン病の補助的な薬をひとつ増やす。さあ、どうなるか。

首都大非常勤、後期第十回目。『ジャズの誕生』をテキストとするリーディング3コマ。セロニアス・モンクの傑作リーダーアルバム『ブリリアント・コーナーズ』(テキストの内容とは、ほとんど関係なし)を聞きながら、授業開始。テキストの内容は、

「おそらく、秘密結社や友愛団体の周りに集中しているものほど、人種に特徴的で、急速に発展した黒人の生活の局面はない」とH・W・オーダムは書いている。秘密結社は、「埋葬費用、疾病手当、亡くなったメンバーの受取人への少額のお金を払う」。秘密結社はまた、「仕事の単調さからの気晴らし、野心や陰謀の場、パレードの機会、不幸に対する保険を提供する」と、W・E・B・デュボイスは付け加える。

こうした秘密結社は、同じような白人の組織よりもはるかに数が多いのだが、音楽家に不定期だが頻繁な雇用を提供することによって、黒人ブラスバンドの経済的基盤を築いた。

最初の文は、so~asが二つ重なっている、作者スターンズらしい悪文。デュボイスの名前が出てきたので、この20世紀初めの偉大な黒人知識人について、少々説明した。

新曲「非国民の休日」、完成。

昼からそば屋で一服
お酒なんか頼んじゃって
ざる蕎麦で一杯なんて粋だね
今日は非国民の休日
という名のずる休み

国民の三大義務は納税と
教育、それからあとは
自由の追求 違ったような気もするが
今日は非国民の休日
という名のずる休み

働きすぎは身体に悪い
働かないと家計がせつない
まあ、いいじゃないか いい天気だし
今日は非国民の休日
という名のずる休み

2016年12月13日(火)

パパりんの半分は、やましさでできています。

日本女子大非常勤、後期第十三回目。3限、「米文学随筆評論演習」は、ハリエット・アン・ジェイコブズの奴隷体験記を読む。近所に身を隠していた奴隷ファニーとともに、船で北部に逃げることになったリンダ(ジェイコブズの仮名)。「私たちは同じ悲しみを抱えている」というリンダに対し、子どもを売られてしまったファニーは、「いいや。あんたはすぐに子供たちに会えるけど、あたしには子供たちの消息を聞く望みすらない」と言う。船員たちは、彼女たちが北部のある町に暮らす夫のもとに行くと聞かされている。逃亡に協力した船長は二人に親切だが、リンダはどうしても彼を心から信用することができない。一方、リンダより前に、足止めされた船のなかで船長と接していたファニーはすっかり彼を信頼している。そして、船はついに北部の港に到着する。

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4限、「アフリカ研究」は、ムビラ・ジャカナカなどで活動するムビラ奏者のマサさんこと櫻井雅之さんをゲスト講師に迎えて、ムビラの演奏とワークショップ。ムビラの音色の美しさと、複雑な構造のポリリズムに魅了された学生も多かったのではないかと思う。ワークショップではおずおずと楽器を手にする姿も。また、バックパッカーとして世界をめぐるうちにムビラと出会い、リストラ等、マイナスの出来事をプラスに変えていくマサさんの体験は、就職活動などで悩む学生の糧になることも多かったはずだ。マサさん、ありがとうございました。

5限、「アカデミック・ライティング」はそれぞれのペースで論文指導。ほぼ完成に近づく学生がいる一方で、行き詰っている学生もいる。果たして、来年1月の〆切までに形にできるか。

2016年12月12日(月)

飲んだら乗るな、むせるからやめろ。「飲酢運転」

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明治学院非常勤「アメリカ研究」、後期第十一回目。前回に引き続き、スパイク・リー監督の映画『マルコムX』を最後まで。映画の脚本にも関わったジェイムズ・ボールドウィンによる追悼詩が読みあげられる。黒人の味方のふりをして、マルコムを非難する人たち。あなたたちは一度でもマルコムに会ったことがあるか?その笑顔に触れたことが?そこに、アフリカ系アメリカ人の闘争の歴史を記録した画像がコラージュ的に重ねられる。赤土の大地を踏みしめて、SOWETOと大きく書かれた横弾幕を掲げて行進する若いアフリカ人の一団。SOWETOはSouth Western Townshipの略。アパルトヘイト体制下の南アフリカで、ジョハネズバーグ近郊につくられた黒人居住区だ。1976年、アフリカーンス語による教育に反対する中高生が、ソウェトで行ったデモに警官隊が発砲して、死者を含む犠牲者を出した(ソウェト蜂起)。場面はアメリカの教室に移り、黒人女性の教師が、今日5月19日はマルコムXの誕生日で、彼は偉大なアフリカ系アメリカ人だったと語る。黒人の生徒たちがひとりひとり立ち上がり、「ぼくはマルコムX(I'm Malcolm X!)」と叫ぶ。何人目かで発音が微妙に変わり("I am Malcolm X!")、教室を見渡すアングルに戻ると、そこはアフリカらしき教室で、教壇に立っているのは・・・ネルソン・マンデラだ。マンデラは、マルコムは死を恐れなかった、なぜなら同胞である黒人を愛していたから、と語り、彼の運動が人権を求めるものであったことを強調する。そして、実際のマルコムの映像が続く。「必要などんな手段を用いても!(By any means necessary!)」

せっかくスパイク・リーの映画を見たので、黒人映画の話を少々。改めてスパイク・リーとその作品のいくつか ― 『ドゥ・ザ・ライト・シング』(1989)、『ジャングル・フィーバー』(1991)、『クルックリン』(1994)、『ゲット・オン・ザ・バス』(1994)、『バンブーズルド』(2000) ― を紹介。さらに、『マルコムX』で主演を務めたデンゼル・ワシントンと、ベティ・シャバーズ役のアンジェラ・バセットに軽く触れた。現在でこそ、黒人の俳優や映画監督が活躍するアメリカの映画界だが(近年でも、アカデミー賞における白人偏重が問題になったが)、前期に紹介したオスカー・ミショーのようなインディーズの監督を別にすると、黒人の映画監督は長い間、例外的な存在だったし、黒人の映画俳優に与えられる役は、マミーやギャング、道化役といったステレオタイプ化されたものに限られていた。それを大きく変えたパイオニア的な存在として忘れてはならないのが、シドニー・ポワチエである。ポワチエは優等生的なイメージを保ちつつも、『手錠のまゝの脱獄』(1958)、『野のユリ』(1963)、『夜の大走査線』(1967)、『招かれざる客』(1967)などの映画で、のちの黒人俳優への道を開いた。70年代に入ると、「ブラックスプロイテーション」と呼ばれる低予算の黒人向け映画が大量に作られるようになる。そのほとんどは低俗、暴力的な内容ながら、『黒いジャガー』(1971)、『コフィー』(1973)といった名作も生まれている。なかでも、『コフィー』などで主演したパム・グリアの強くて、セクシーな黒人女性像は、鮮烈な印象を残した。こうした黒人映画の歴史を知りたい人には、井上一馬ブラック・ムービー アメリカ映画と黒人社会』(講談社現代新書、1998)をお勧めしたい。

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最後に、自衛のためのブラック・パンサー党について。1966年、ヒューイ・P・ニュートンボビー・シールらによって結成されたブラック・パンサー党は、マルコム以上に暴力的なイメージのある黒人組織だが、正式名称にあるように、彼らが求めていたのは白人権力の暴力からコミュニティを守る「自衛」であり、その意味でマルコムの思想を受け継いでいる。「コミュニティを守る」という姿勢は、児童無料給食プロジェクトや、人民無料医療センターといった活動にも貫かれている。また、彼らは白人リベラルに対する不信感をあらわにする一方で、白人ラディカルとの共闘に可能性を見出していた。この点では、一時期、党の首相に迎えられたストークリー・カーマイケルの「ブラック・パワー」とは微妙な違いがあり(パンサーのもともとのスローガンは、「パワー・トゥ・ザ・ピープル」であった)、カーマイケルはのちに党から排除されている。当時のニクソン大統領は、彼らに徹底的な弾圧でのぞんだ。

國學院非常勤、後期第十回目。『ジャズの誕生』をテキストとする6限は、マルディ・グラのビデオを見ながら授業開始。「1846年になっても、地質学者チャールズ・ライエルが町(ニューオリンズ)を訪れると、プロテスタントの増加にもかかわらず(中略)マルディグラには相変わらず<白粉とお楽しみ>があると言われた。そして、アフリカ人がニューオリンズで聞いた音楽は、合衆国の他の地域にいたら聞いていたかもしれない音楽と比べると、ずっと彼らの性に合っていた。その上、フランス領西インド諸島から来たアフリカ人(すでにヨーロッパ音楽をいくらか吸収してお)が次々と到着して、さらなる混淆が進んだ」 バラク・オバマの2008年大統領選勝利演説を読む7限は、改めてスピーチを聞き、次のセクションに入った。「わたしはみなさんが選挙に勝つだけのためにこうしたことをしたのではないと知っています。わたしのためにしたのでもないということを知っています。みなさんは、これから先にある任務の重大さを理解しているからこそ、それをしたのです。今夜お祝いをしている時ですら、明日がもたらす試練 ― 二つの戦争、危機に瀕した惑星(地球)、この一世紀で最悪の経済危機 ― が私たちの生涯で最も大きなものであるということを知っています」

2016年12月9日(金)

百年の近藤くん。

神奈川大非常勤、後期第十一回目。「初級英語」はテキスト解説。「基礎英語」と「中級英語」は、助動詞。

年末ジャンボ宝くじ。

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2016年12月8日(木)

今日はジョンのことを思い出さなかった。太平洋戦争開戦の日。

首都大非常勤、後期第九回目。『ジャズの誕生』をテキストとするリーディング3コマ。テキストとはあまり関係がないが、ソニー・ロリンズの「セント・トーマス」を聞きながら、授業開始。テキストの内容は、「ニューオリンズで優秀な黒人のバンドが多く輩出されたことは、どのように説明できるだろう。フランスとの密接なつながりやブラスバンドの一般的な人気に加えて、ニューオリンズにはブラスバンドに雇用を与える特殊な組織と、広範囲の機会にブラスバンドの存在を歓迎する他にはない伝統があった。この組み合わせが、最初のスウィングし始めたバンドを生み出す助けになったのである」「特殊な組織とは、秘密結社である。ニューオリンズにおける黒人の生活は、秘密結社がすみずみまで行きわたっていた」 秘密結社と言っても、ショッカーデストロンのような悪の組織ではない。コミュニティのなかで共通項のある人たち(例えば、同じ職業の人とか、同時に割礼を迎えた仲間とか)が秘密を共有することによって、コミュニティの機能を補完するグループのことである。もしかすると、ショッカーも何らかの形で、コミュニティの機能を補完しているのかもしれないが(笑)。

2016年12月7日(水)

「肥満児に天国はないとかいうジョン・レノンの歌だけどさあ」「イマジンのことかしら?」

OGSアコナイト@新大久保Club Voiceに、ひらげエレキテルとして出演して、3曲ほど歌ってきました。演目は、「つるつる」「ワルツ」「Don't Look Back」。大学の先輩である太田さんが参加ということで、そのころバンドで歌っていたオリジナル「Don't Look Back」をやってみました。他の出演者は、魅惑のオリジナル曲でいよいよ本領を発揮し始めた太田さんをはじめ、オレオさん&トモコさん兄妹、野田ヒデキさんと田畑浩一郎さんのユニット(ホーボー?)、長沼ハピネスくん、神田苑と多士済々。オレオさんの「身も心も」には、ひらげもギターでちょこっと参加しました。

2016年12月6日(火)

奥地の濃いビート。

日本女子大非常勤、後期第十二回目。3限、「米文学随筆評論演習」は、ハリエット・アン・ジェイコブズの奴隷体験記を読む。友人ピーターの手引きで、船で逃亡することになっていたリンダだが、祖母の強い反対に遭い、計画を断念する。不満を隠しきれないピーターを説得して、リンダは、近所に身を隠している逃亡奴隷ファニーを乗船させる。ところが、風向きが悪く、船はなかなか出帆できない。そんななか、リンダが屋根裏から下りて、祖母と話をしてるところへ、いたずら者の奴隷ジェニーがやってくる。自分の不注意でリンダの存在を知られたと考えた祖母は、リンダに逃げるよう勧める。事態を知ったピーターは、動きはじめた船を止め、怪しむ船長を説得して、逃亡奴隷をもう一人(=リンダ)乗せることに同意させる。

4限、「アフリカ研究」は、ジンバブエについて。2003年にジンバブエで撮ってきた、ブックフェアの野外ステージでのムビラ・ゼナリラのライブ動画を流しながら、授業開始。現地の観客に交じって、踊りまくる黄色いオッサン(=ひらげ)も登場する。動画のなかで、ひらげと抱き合って再会を喜んでいる男が、前年、ムビラ・ゼナリラのライブで出会った二人組のうちのひとり(たぶん、泥棒)であることを話した。そのときのことが書かれた2002年の旅行記を引用すると・・・

溝口さんに8分の6拍子ポリリズムの面白さを説明していると、前のほうに座っていたドレッドのアフリカ人がこちらを向いて手招きしている。すでにかなり酔っ払っている。名前を聞くとタウライと言う。俺はスカルプチャ(彫刻)をやっている、海外からだって注文が来るんだぜ・・・と紹介文の書かれた紙を取り出す。(中略)しばらくすると彼の友だちジェキ(彼もスカルプチャをやっている)が戻ってきた。こちらは丸顔の人のよさそうな男。席に着くなり溝口さんを口説きはじめる。演奏はどんどん盛りあがってく。みんな踊りだす。拍子木の人が先導役になって次々と客を煽る。ぼくと溝口さんもどちらかが相手の荷物を見張って、交代で踊ることにする。踊る踊る踊る。ジェキは溝口さんを口説きつづける。テーブルに戻ってくるとタウライはすでにべろべろに酔っ払っていた。そして・・・「ここではハートを強く持たなきゃいけないぞ。バッグは置いていけ。俺を信用しろ」・・・おおっと(笑)、そうはいくかい。お前じゃなくても、どこに盗人がいたっておかしくないじゃないか・・・「あのな、このカバンにはお金とか高価なものは何も入っていない。でも、お前のようなここで出会った友だちの住所や電話番号が書かれたノートが入っている。お前のことは信用しているよ。でも、こいつを失くしたら友だちに対する裏切りになる」と言った。するとタウライは目の奥をウルウルさせてうなづきながら、自分の紹介文をぼくのカバンのなかに押し込もうとする。かわいいやつだ(笑)。その間もジェキはひたすら溝口さんを口説き続けている。タウライはますます酔っ払ってぐでんぐでんになり、女性に抱きついたりして嫌がられている・・・

タウライとジェキ。どうしているかなぁ。ムビラ・ゼナリラのライブについて行っては、よからぬことをしてたみたいだけど、グループが有名になるにつれ、排除されていったのかな。授業は続いて、ジンバブエを代表するミュージシャン、トーマス・マプーモオリヴァー・ムトゥクジを紹介。彼らの演奏を収めた動画を見る予定だったのだが、用意してきたDVDがかからず、あえなく断念(あとで調べたら、DVD-R DLという対応機種の少ないディスクだった)。

Mapfumome

↑1991年の来日公演の際、トーマス・マプーモといっしょに撮った写真。ぼくのあまりの変貌ぶりに、学生もびっくり。

次に、ジンバブエ文学を紹介。短編小説の名手チャールズ・ムンゴシ、夭折したドレッド・ヘアの小説家・詩人ダンブゾ・マレチェラ、精霊たちの声を交えながら独立戦争を描いた『骨たち』(1988)で、1989年野間アフリカ文学賞を受賞したチェンジェライ・ホーヴェ(2015年没)、ジンバブウェを代表する女性作家イヴォンヌ・ヴェラ、「兄さんが死んだとき、残念には思わなかった」という衝撃的な出だしの小説『ナーヴァス・コンディション』(1988)を書いたツィツィ・ダンガレンバ・・・などなど、近年は社会的、政治的混乱もあって、さすがに文学どころではないのかもしれないが、それでも亡命ジンバブエ人の作品が話題になるなど、アフリカのなかでも文学は盛んなほうだと思う。マレチェラの詩を訳してプリントにのせたところ、心を動かされた学生も多かったようだ。

ぼくは引き取り手のいない荷物
だれもが責任を持ちたがらない
人間のクズ
だれもが人当たりのよい笑顔の下に
しまいこんでいる疑り深いにやにや笑い
だれもが暗黙のうちにしてはならないと思っている大きな
おなら
陳腐な言葉で口をすすぎ礼儀正しく
押さえ込んでいる臭い息「つまるところ、それは
詩」
ぼくはすべてのネコがひそかにあこがれるネズミ
すべのイヌがひそかに怖れているネコ
すべての実直な市民が鏡のなかに見いだして
驚いている背教者 詩人

Dambudzo

また、ホーヴェのエッセイ「気にするな、シスター、これがぼくらの祖国だ」から、ジンバブエの人口の7割を占めるショナ人の民族性を表した次のような一節を紹介した。

最後に帰郷したとき、母は頭痛に悩まされていた。彼女は静かにそれに耐えているといった感じで、散々問いつめられなければ不平も言わなかった。「誰でも病気のひとつぐらい持っているもんだよ」と、彼女は言う。わたしは、そのまま頭痛を放っておいてほしくなかった。話してくれればいいのにと思って、いやな気分になった。しかし、いやな気分になったと母に言いはしない。わたしがいやな気分になったことで、母はいやな気分になるだろうから。そして、母がいやな気分になったと言えば、そのことでわたしもいやな気分になるだろう ("Never Mind, Sister, This Is Our Home" Shebeen Tales 28)。

あ~、めんどくさっ!!(笑) 日本ではアフリカ人というと、陽気で開放的なイメージを持っている人が多いかもしれないが、ショナの人たちに関していえば、他人に気を使って、はっきりした物言いを避ける、日本人によく似た人たちだ。同じジンバブエでも、人口の3割を占めるンデベレ人は、白黒はっきりつけたがる人たちだと言われてる。もちろん、個人差はあるし、ステレオタイプには違いないのだが。

最後に、ジンバブエの近代史を。1890年、ケープ植民地の首相セシル・ローズが鉱山開拓権を獲得したことによって、ショナランドやマタベレランドは植民地国家ローデシアに編入されていく。1896年、こうした植民地支配に抵抗したアンブーヤ・ネハンダの闘い(第一次チムレンガ。チムレンガは、ショナ語で「闘い」)は鎮圧され、1923年、白人だけの住民投票で、英連邦内に南ローデシア自治政府が樹立される。その後、ロ―デシア・ニヤサランド連邦の短いリベラルな時代を経て、植民地の独立を進めるイギリスに反発する白人政府によって、英連邦からの独立が一方的に宣言され、白人支配体制が確立される。しかし、白人政権に対するアフリカ人ゲリラの攻撃は、1970年代後半から熾烈を極めるようになり、長い独立闘争(第2次チムレンガ)の末、1980年、ローデシアはアフリカ人を中心とした新国家ジンバブエとして生まれ変わることになった。最近の日本の報道では「世界最悪の独裁者」のような扱いを受けているロバート・ムガベ大統領だが、独立当初は民族融和を訴え、世界の尊敬を集めていた。しかし、次第に進む政治腐敗から国民の目をそらす目的もあって、白人大農場主の土地返還問題を暴力的に解決しようとしたことで、世界の非難を浴び、制裁によってジンバブエの経済は崩壊し、ハイパーインフレに突き進んでいった。

次回はムビラ奏者のマサさんを招いて、さらに深くショナ人の文化に踏み込んでみたい。今回上映し損ねた動画は、次々回、エピソードを交えながら紹介する予定。

5限、「アカデミック・ライティング」は、それぞれのペースで論文指導。

2016年12月5日(月)

「家なき子」と「言えない奇行」

明治学院非常勤「アメリカ研究」、後期第十回目。前回に引き続き、スパイク・リー監督の映画『マルコムX』(1992)を見た。ネイション・オヴ・イスラムのミニスターとして、教団のスポークスマン的な存在に登りつめたマルコムだが、教祖イライジャ・ムハメッドの女性問題などから教団に疑念を抱くようになる。教団幹部からのやっかみもあり、ケネディ大統領を暗殺をめぐる発言によって、謹慎処分を受ける。これをきっかけに教団を離れたマルコムは、メッカ巡礼によって肌の色を前提としない新しい考えに目覚め、他の公民権運動家との共闘を模索し始める。その矢先、オーデュボン・ボールルームで、演説中に銃弾に倒れた。今回はマルコムが何発もの銃弾を受けて倒れる衝撃的なシーンまで。映画はこのあと、ボールドウィンによる追悼詩、ネルソン・マンデラの登場によって、マルコムを反植民地闘争全体につなぐ重要なシークエンスがいくつか残されているが、それは次回。

お出口は右が輪です。

國學院非常勤、後期第九回目。6限は、『ジャズの誕生』をテキストとするリーディング。毎回、音楽をかけながら授業を始めているが、さすがにネタ切れ気味なので、困った時のスパイク・ジョーンズ「黒い瞳」(テキストとは無関係)。テキストの内容は、もともと町を支配していたフランス人やスペイン人が、アメリカ領になったニューオリンズで経済的な周縁に追いやられたのはなぜなのかという話から。「フランス人やスペイン人の貴族たちは、ルイジアナ買収に続く北部商人の進出に対抗できる準備ができておらず、イギリス系プロテスタントの慣習がその存在を感じさせ始めた」「それでも、ニューオリンズはラテン=カトリックが優勢な町のままだったし、現在もそうである。そのことがアフリカ音楽の生き残りを助ける要因となった」

7限は、バラク・オバマ、2008年大統領選勝利演説を読む。テキストの内容は、「それ(選挙運動)は、大義のために5ドルや10ドルや20ドルをそうと、持っているなけなしの貯えに手を付けた働く男女によって築かれた。それは彼らの世代の無関心という神話を拒絶し、稼ぎは少なく睡眠時間ばかり削られる職のために、家庭や家族を残してきた、若い人たちから力を得た。それはまた、つらい寒さや焼けつくような暑さをものともせず、まったく見知らぬ人のドアを叩いたそれほど若くない人たちから、自ら志願して運動を組織し、2世紀以上もたった今でも、人民の人民による人民のための政治が、地上から消え去っていないことを証明した何百万というアメリカ人から力を得たのです」

「ねむいの」と書かれたパーカーを着た学生とすれ違った。負けてはいられない。

2016年12月4日(日)

チキリハ(チキリカ・リハーサル)。新曲(といっても、デモ録音を作ったのは5年以上前)「また朝が来る」で試行錯誤。中間部にダブ風のパートを入れた。今日はベースとパーカッションが不在だったので、効果のほどは半分ほどしかわからないが。

2016年12月3日(土)

ジャズ・ピアニストの言うことはもっともだが、あとで反論だけはしよう。「正論に明日、文句」

駆け込みお嬢様はおやめください。

2016年12月2日(金)

「きいてないよー」なんて言わずに、ないよーきいて。

神奈川大非常勤、後期第十回目。「初級英語」は、テキスト解説。「基礎英語」「中級英語」は、仮定法について。

2016年12月1日(木)

たいへん危険な行為。「きみの瞳に小石蹴る」

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首都大非常勤、後期第八回目。『ジャズの誕生』をテキストとするリーディング3コマ。テキストに名前が登場するオンワード・ブラス・バンドの演奏する「ダウン・バイ・ザ・リヴァー」を聞きながら、授業開始。とは言え、19世紀末の録音が残っているわけではなく、1960年にまったく別のメンバーによって「再結成」されたあとの録音である。テキストの内容は、

元植民地として、ニューオリンズは軍楽隊におけるフランスの流行をぴたりと離れずに追いかけ、当然のことながらそれで有名になった(かなりあと、1891年に、父親がメンバーだったクラリネット奏者のエド・ホールによれば、ニューオリンズ出身の黒人で編成されたオンワード・ブラス・バンドがニューヨークのコンテストで優勝した)。楽団はほとんどすべての機会 — パレード、ピクニック、コンサート、川舟の周遊、ダンス、葬式 ― に雇われる、成功間違いなしの出し物だった。1871年、13もの黒人組織が、ガーフィールド大統領の葬儀で、自分たちの楽団によって代表された。

それにしても、この人(マーシャル・W・スターンズ)は悪文の名手である。関係代名詞の前にコンマをつけて非制限用法にするのはもちろん、過去分詞や現在分詞の前にもことごとくコンマをつけて、挿入句的に解釈することを要求する。これを馬鹿正直に日本語に反映しようとすると、かなりややこしいことになるので、授業ではそれぞれ名詞に係るように訳した。もちろん、こうした書き方をするのには理由があって、その場で思いついたことを即興で挟みこむような体裁を取ることで、ジャズのアドリブのような感じを出したかったのではないかと推察する。最後の文は、暗殺されたガーフィールド大統領の葬儀についての記述だが、年代が間違っており、1881年が正しい。これは教科書のミスではなくて、スターンズの原書の誤記である。

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