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2016年12月6日(火)

奥地の濃いビート。

日本女子大非常勤、後期第十二回目。3限、「米文学随筆評論演習」は、ハリエット・アン・ジェイコブズの奴隷体験記を読む。友人ピーターの手引きで、船で逃亡することになっていたリンダだが、祖母の強い反対に遭い、計画を断念する。不満を隠しきれないピーターを説得して、リンダは、近所に身を隠している逃亡奴隷ファニーを乗船させる。ところが、風向きが悪く、船はなかなか出帆できない。そんななか、リンダが屋根裏から下りて、祖母と話をしてるところへ、いたずら者の奴隷ジェニーがやってくる。自分の不注意でリンダの存在を知られたと考えた祖母は、リンダに逃げるよう勧める。事態を知ったピーターは、動きはじめた船を止め、怪しむ船長を説得して、逃亡奴隷をもう一人(=リンダ)乗せることに同意させる。

4限、「アフリカ研究」は、ジンバブエについて。2003年にジンバブエで撮ってきた、ブックフェアの野外ステージでのムビラ・ゼナリラのライブ動画を流しながら、授業開始。現地の観客に交じって、踊りまくる黄色いオッサン(=ひらげ)も登場する。動画のなかで、ひらげと抱き合って再会を喜んでいる男が、前年、ムビラ・ゼナリラのライブで出会った二人組のうちのひとり(たぶん、泥棒)であることを話した。そのときのことが書かれた2002年の旅行記を引用すると・・・

溝口さんに8分の6拍子ポリリズムの面白さを説明していると、前のほうに座っていたドレッドのアフリカ人がこちらを向いて手招きしている。すでにかなり酔っ払っている。名前を聞くとタウライと言う。俺はスカルプチャ(彫刻)をやっている、海外からだって注文が来るんだぜ・・・と紹介文の書かれた紙を取り出す。(中略)しばらくすると彼の友だちジェキ(彼もスカルプチャをやっている)が戻ってきた。こちらは丸顔の人のよさそうな男。席に着くなり溝口さんを口説きはじめる。演奏はどんどん盛りあがってく。みんな踊りだす。拍子木の人が先導役になって次々と客を煽る。ぼくと溝口さんもどちらかが相手の荷物を見張って、交代で踊ることにする。踊る踊る踊る。ジェキは溝口さんを口説きつづける。テーブルに戻ってくるとタウライはすでにべろべろに酔っ払っていた。そして・・・「ここではハートを強く持たなきゃいけないぞ。バッグは置いていけ。俺を信用しろ」・・・おおっと(笑)、そうはいくかい。お前じゃなくても、どこに盗人がいたっておかしくないじゃないか・・・「あのな、このカバンにはお金とか高価なものは何も入っていない。でも、お前のようなここで出会った友だちの住所や電話番号が書かれたノートが入っている。お前のことは信用しているよ。でも、こいつを失くしたら友だちに対する裏切りになる」と言った。するとタウライは目の奥をウルウルさせてうなづきながら、自分の紹介文をぼくのカバンのなかに押し込もうとする。かわいいやつだ(笑)。その間もジェキはひたすら溝口さんを口説き続けている。タウライはますます酔っ払ってぐでんぐでんになり、女性に抱きついたりして嫌がられている・・・

タウライとジェキ。どうしているかなぁ。ムビラ・ゼナリラのライブについて行っては、よからぬことをしてたみたいだけど、グループが有名になるにつれ、排除されていったのかな。授業は続いて、ジンバブエを代表するミュージシャン、トーマス・マプーモオリヴァー・ムトゥクジを紹介。彼らの演奏を収めた動画を見る予定だったのだが、用意してきたDVDがかからず、あえなく断念(あとで調べたら、DVD-R DLという対応機種の少ないディスクだった)。

Mapfumome

↑1991年の来日公演の際、トーマス・マプーモといっしょに撮った写真。ぼくのあまりの変貌ぶりに、学生もびっくり。

次に、ジンバブエ文学を紹介。短編小説の名手チャールズ・ムンゴシ、夭折したドレッド・ヘアの小説家・詩人ダンブゾ・マレチェラ、精霊たちの声を交えながら独立戦争を描いた『骨たち』(1988)で、1989年野間アフリカ文学賞を受賞したチェンジェライ・ホーヴェ(2015年没)、ジンバブウェを代表する女性作家イヴォンヌ・ヴェラ、「兄さんが死んだとき、残念には思わなかった」という衝撃的な出だしの小説『ナーヴァス・コンディション』(1988)を書いたツィツィ・ダンガレンバ・・・などなど、近年は社会的、政治的混乱もあって、さすがに文学どころではないのかもしれないが、それでも亡命ジンバブエ人の作品が話題になるなど、アフリカのなかでも文学は盛んなほうだと思う。マレチェラの詩を訳してプリントにのせたところ、心を動かされた学生も多かったようだ。

ぼくは引き取り手のいない荷物
だれもが責任を持ちたがらない
人間のクズ
だれもが人当たりのよい笑顔の下に
しまいこんでいる疑り深いにやにや笑い
だれもが暗黙のうちにしてはならないと思っている大きな
おなら
陳腐な言葉で口をすすぎ礼儀正しく
押さえ込んでいる臭い息「つまるところ、それは
詩」
ぼくはすべてのネコがひそかにあこがれるネズミ
すべのイヌがひそかに怖れているネコ
すべての実直な市民が鏡のなかに見いだして
驚いている背教者 詩人

Dambudzo

また、ホーヴェのエッセイ「気にするな、シスター、これがぼくらの祖国だ」から、ジンバブエの人口の7割を占めるショナ人の民族性を表した次のような一節を紹介した。

最後に帰郷したとき、母は頭痛に悩まされていた。彼女は静かにそれに耐えているといった感じで、散々問いつめられなければ不平も言わなかった。「誰でも病気のひとつぐらい持っているもんだよ」と、彼女は言う。わたしは、そのまま頭痛を放っておいてほしくなかった。話してくれればいいのにと思って、いやな気分になった。しかし、いやな気分になったと母に言いはしない。わたしがいやな気分になったことで、母はいやな気分になるだろうから。そして、母がいやな気分になったと言えば、そのことでわたしもいやな気分になるだろう ("Never Mind, Sister, This Is Our Home" Shebeen Tales 28)。

あ~、めんどくさっ!!(笑) 日本ではアフリカ人というと、陽気で開放的なイメージを持っている人が多いかもしれないが、ショナの人たちに関していえば、他人に気を使って、はっきりした物言いを避ける、日本人によく似た人たちだ。同じジンバブエでも、人口の3割を占めるンデベレ人は、白黒はっきりつけたがる人たちだと言われてる。もちろん、個人差はあるし、ステレオタイプには違いないのだが。

最後に、ジンバブエの近代史を。1890年、ケープ植民地の首相セシル・ローズが鉱山開拓権を獲得したことによって、ショナランドやマタベレランドは植民地国家ローデシアに編入されていく。1896年、こうした植民地支配に抵抗したアンブーヤ・ネハンダの闘い(第一次チムレンガ。チムレンガは、ショナ語で「闘い」)は鎮圧され、1923年、白人だけの住民投票で、英連邦内に南ローデシア自治政府が樹立される。その後、ロ―デシア・ニヤサランド連邦の短いリベラルな時代を経て、植民地の独立を進めるイギリスに反発する白人政府によって、英連邦からの独立が一方的に宣言され、白人支配体制が確立される。しかし、白人政権に対するアフリカ人ゲリラの攻撃は、1970年代後半から熾烈を極めるようになり、長い独立闘争(第2次チムレンガ)の末、1980年、ローデシアはアフリカ人を中心とした新国家ジンバブエとして生まれ変わることになった。最近の日本の報道では「世界最悪の独裁者」のような扱いを受けているロバート・ムガベ大統領だが、独立当初は民族融和を訴え、世界の尊敬を集めていた。しかし、次第に進む政治腐敗から国民の目をそらす目的もあって、白人大農場主の土地返還問題を暴力的に解決しようとしたことで、世界の非難を浴び、制裁によってジンバブエの経済は崩壊し、ハイパーインフレに突き進んでいった。

次回はムビラ奏者のマサさんを招いて、さらに深くショナ人の文化に踏み込んでみたい。今回上映し損ねた動画は、次々回、エピソードを交えながら紹介する予定。

5限、「アカデミック・ライティング」は、それぞれのペースで論文指導。

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