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2016年12月19日(月)

明治学院非常勤[「アメリカ研究」、後期第十二回目。今回は、ソウル・ミュージックについて。ソウル・ミュージックは公民権運動と同時代の音楽である。といっても、ソウル・ミュージックのミュージシャンがこぞって公民権運動にはせ参じたという意味ではない。しかし、ゴスペルに回帰することでアフリカ系アメリカ人のアイデンティティを再確認する一方で、白人のミュージシャンとの共同作業のなかで、人種の壁を取り払ったプロセスは、公民権運動の時代を反映したものだ。ソウル・ミュージックという言葉がさかんに使われたのも、50年代後半から70年代にかけてで(それ以前は、R&B、以降はブラック・コンテンポラリー)、時期的にも運動の全盛期と一致している。授業では、ゴスペル回帰と白人との共同作業の二つの面から、ソウル・ミュージックの本質に迫った。

まずはゴスペル回帰について。教会の宗教音楽は常にアメリカの黒人音楽のバックボーンとして存在し続けてきた。土曜日に酒場で楽しい時を過ごし、日曜に盛装して教会に行くといったことはむしろ普通のことだったし、ゴスペルと世俗音楽の両方を演奏するミュージシャンもいた。しかし、教会でブルースを演奏したり、酒場でゴスペルを演奏することは、歓迎されることではなかった。r両者はTPOを考えて、厳格に区別されるべきものだったのである。その壁を最初に取り払った人物の一ひとりが、ソウル・ミュージックの父と言われるレイ・チャールズである。彼は有名なゴスペル曲に世俗の(ちょっとエッチな)歌詞をのせることで、聖俗の境界を乗り越えた。「ホワッドゥ・アイ・セイ」を聞くと、コール・アンド・レスポンス、同じパターンのくり返し、メリスマの聞いた歌い方、徐々に盛りあがっていく高揚感など、ゴスペルの特徴の多くが受け継がれていることがわかる。しかし、当時、こうした試みを歓迎しない人も多くいたのである。

レイ・チャールズとは別のアプローチで、世俗音楽にゴスペルを持ち込んだのが、サム・クックである。彼はもともと、名門カルテットであるソウル・スターラーズR・H・ハリスの後任として入った若手のゴスペルシンガーだった。若き日のクックは、希望見みちた歌声と、つるんとした男前のルックスで、教会に通う女の子の嬌声を浴びていた。そんな人材を世俗音楽の世界は放っておかなかった。デイル・クックの変名で(バレバレじゃん!)デビューしたクックはやがて、本名でヒット曲を連発し、ゴスペル業界から裏切り者扱いされながらも、大スターへの道を歩んでいく。そして、次第にゴスペル色を強めた泥臭い曲を録音する一方で、マルコムXらと親交を深め、若手発掘のためのレーベル「サー」を立ち上げるなど、社会的貢献を考えるようになる。しかし、そんな最中、モーテルで売春婦に撃ち殺され、謎の死を遂げている。死後、発売されたのが、映画『マルコムX』でも使われた「ア・チェインジズ・ゴナ・カム」である。

それでは具体的にゴスペルの何が、ソウル・ミュージックを生み出したのだろうか。先に挙げた、コール・アンド・レスポンス、同じパターンのくり返し、メリスマの聞いた歌い方といったゴスペルの音楽的特徴は重要な指標だが、すべてのソウル・ミュージックに当てはまるわけではない。しかし、どこまでも登りつめていく高揚感だけは、ゴスペル的な音楽になくてはならないものである。ピークを迎えたかと思うと、まだ先がある、どこまでもピークが先延ばしにされる高揚感。これは、自由への約束を何度も裏切られ、そのたびに約束の地というクライマックスを先延ばしにされてきたアフリカ系アメリカ人の歴史が関係している。こうしたゴスペルからソウルへ受け継がれた高揚感は、マーティン・ルーサー・キングが暗殺される前日に残したスピーチに見られるものと同質のものだ。

アメリカ黒人音楽の母胎としてのゴスペルへの回帰という一面を持っていたソウル・ミュージックだが、その演奏を支えていたのは、白黒混合のミュージシャンであった。メンフィスのソウル・ミュージックを代表するレーベル、スタックスで全盛期の演奏のほとんどを担当したブッカー・T&MG'sは、メンバーの半分が白人だったし、マイアミのマスル・ショールズではほとんど白人のミュージシャンによって、独自のソウル・ミュージックが生み出されていた。スタックスやサンチェスアトランティックなど黒人音楽に理解のある白人経営者によるレーベルも増え、人種を越えた共同作業で南部のソウルが生み出されるなか、悲しみに満ちたバラードと、機関車のような力強いジャンプ・ナンバーで、スターへの道を駆け上がったのがオーティス・レディングである。スタックスがヨーロッパ・ツアーを行ったり、オーティスがローリング・ストーンズビートルズの曲をカヴァーし、モンタレー・ポップ・フェスティヴァルに参加することによって、ソウルは白人の若者にファンを増やしていった。

こうした音楽を通じた交流の結果、若い白人ミュージシャンの意識に変化がみられるようになる。白人のソングライターとして、「ダーク・エンド・オヴ・ザ・ストリート」などソウルの名曲を数多く手がけたダン・ペンは、1973年に発表されたソロ・アルバム『ノーバディズ・フール』のなかで、肌の色にこだわることのバカバカしさを訴えた「スキン」という詩を朗読している。

たくさんの本が人間について書いている
黒と白について 上と下の人間について
だけど、要はおれとあんたのことなのさ
俺たちはみんな豚だよ 黒い豚に
白い豚
それなのに同じ泥穴は掘れない そんな風に考えている

最後にレディ・ソウルと言えばこの人、アレサ・フランクリンを紹介して、映画『ブルース・ブラザース』から、ソウル・フード店の女将に扮して、「シンク」を歌う力強い映像を見ながら、授業終了。

國學院非常勤、後期第十一回目。6限は、『ジャズの誕生』をテキストとするリーディング。テキストとは直接関係ないが、セロニアス・モンクの名盤『ブリリアント・コーナーズ』を聞きながら、授業開始。テキストの内容は、「さまざまな程度にアフリカの血を受け継ぐ人びとが精通するようになった音楽の範囲は独特であった。一方で、黒人クレオールは、スペイン人、フランス人、アフリカ人の先祖をあわせ持っており、しばらくの間かなりの社会的地位を保持し、最高のヨーロッパ音楽を多く吸収した。彼らは教育を受けさせるために子供たちをパリへ送り、ヨーロッパで評判の指揮者とともに、ニューオリンズで自分たちのオペラを開いた」 7限は、バラク・オバマ、2008年の大統領選勝利演説を読む。「今夜、ここに立っている時ですら、わたしたちはイラクの砂漠やアフガニスタンの山岳地帯で目を覚まし、わたしたちのために命を危険にさらしている勇敢なアメリカ人がいるのを知っています/子供たちが眠りについたあと、横になったまま起きていて、どうやって住宅ローンを払い、医療費を払い、子どもたちの大学進学に十分な貯金をすることができるか考えてるお母さん、お父さんがいます」 将来のことを考えて眠れない夜を過ごす親たちを描いた一節は、オバマらしい細やかな表現だと思う。こうした言葉はトランプからは出てこないだろう。

こういう歌詞で、「ドック・オブ・ザ・ベイ」をカバーすることを考えていた。

しゃがみこんでさ
朝から晩まで
船がでるのを
ぼんやり見ている

しゃがみこんでさ
波の音が聞こえる
しゃがんで聞いてる
それだけさ

生まれた町から どうにか
ここまでやってきた
何かがおいらを
呼んでる気がして

今じゃ、しゃがみこんでる
途方にくれてさ
しゃがみこんでる
それだけさ

だって、何もかも
変わらない もとのまま
あんたにできることが
どうも 俺にはできないのさ

疲れてしまった
孤独だけが友だち
さんざん うろついて
港で眠るだけ

しゃがみこんでさ
波の音を聞く
しゃがみこんでる
それだけさ

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