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2016年11月7日(月)

カレーとご飯で、自然の山や川を表現・・・カレー山水。

Littlerock

明治学院非常勤「アメリカ研究」、後期第七回目。前半は、1954年のブラウン判決をきっかけにした公教育における人種隔離撤廃と、人種差別主義者の反発を見た。カンザス州に住むリンダ・ブラウンという黒人の少女が、白人の学校に通う権利をめぐって争われた「ブラウン対教育委員会裁判」は、同様の他の案件3件とともに、連邦最高裁判所まで持ち込まれ、「公教育の場においては、(プレッシー対ファーガソン裁判の)<分離すれど平等>が適用される余地はない」という画期的な判決(ブラウン判決)が下された。最高裁はさらに、翌年、公教育における人種隔離撤廃の工程表を示すよう各自治体に求める「ブラウン判決Ⅱ」を出し、この動きを後押しした。

しかし、判決が出ただけでは人種差別的な意識は変わらない。1956年には、黒人女子学生オーザリン・ルーシーが、暴徒化した白人学生によってカンザス大学から追い返されるという事件が起きる。復学を求める訴訟を起こしたルーシーを、大学当局は「虚偽の暴言によって大学を侮辱した」として退学処分にした。また、1957年、アーカンソー州リトルロックでは、それまで白人だけが通っていたリトルロック・セントラル高校に、9人の黒人学生を入学させる計画が進んでいたが、新学期が始まる前日、これを自身の再選に利用できると目論んだオーヴァル・E・フォーバス知事が派遣した州兵と、知事の発言に扇動された白人暴徒によって、黒人学生が入学を阻止されるという事件が起きた(リトルロック高校事件)。この事件に対する怒りをジャズで表現したのが、チャールズ・ミンガス「フォーバス知事の寓話」である)。

後半は、モンゴメリーのバス・ボイコット事件と、マーティン・ルーサー・キング・ジュニアの登場によって、公民権運動がどのように変わったかを見た。キング師と言えば、「非暴力」とセットで語られる。もちろん、キング師にとって(また、彼が影響を受けたガンジーにとっても)非暴力は第一に生き方の問題である。しかし、同時に、公民権運動家であるキング師にとって、戦略の問題でもあったはずだ。マイノリティが権利を獲得するための戦略として「非暴力」を考える場合、それは必ず「不服従」と、そして運動の手段としての「大衆動員」「直接行動」とセットで語られなければならない。そして、これこそが裁判闘争中心のそれまでの運動を大きく変えた点だったのだ。

裁判闘争は諸刃の剣である。人種差別の違法性を明らかにするために不可欠な手段であることは確かだが、敗訴した場合、「分離すれど平等」のような人種差別的な判例が後々まで残ることになる。その背景には、問題から目を背けたり、解決するには時期尚早であるとして、話し合いのテーブルに着くことを拒否する白人大衆がいる。こうした人びとを話し合いのテーブルにつかせ、裁判所に圧力を加えるためには、裁判闘争だけではだめだ。圧倒的多数の人びとが、今すぐ解決しなければならない問題があると考えていることを、デモや座り込みといった行動で示さなければならない。これが直接行動であり、バス・ボイコット事件の成功は、多くの、特に若い公民権運動家(黒人白人問わず)に影響を与えることになった。

國學院非常勤、後期第七回目。6限は、『ジャズの誕生』をテキストとするリーディング。ハイチの名パーカッショニスト=チローロの演奏を聞きながら授業開始。テキストの内容は、「もちろん、黒人たちも町とその音楽の発展に関与した。彼らは西アフリカのどの地域から来て、彼らの慣習のどの部分が残ったのか。私たちは話を全て知ることは決してないかもしれないが、いくつかの手がかりはある。多くの(奴隷は)西インド諸島から来た。『ガンボ・ヤヤ』の編集者はこう述べている。マルチニーク、グアドループ、サン・ドミンゴ(一部がのちにハイチになる)からの500人の奴隷が1776年、ルイジアナに輸入され、翌年、さらに3000人が輸入された」 7限は、バラク・オバマの2008年大統領選勝利演説を読む。アーロン・ネヴィルの歌う「チェンジ・イズ・ゴナ・カム」を聞きながら、授業開始。家族への感謝を語る部分。「この16年間の親友による揺ぎない支えがなければ、私はここに立っていないでしょう・・・私たち家族の礎、私が生涯愛する人、我が国の次期大統領夫人、ミッシェル・オバマ」「サーシャとマリア、お前たちが想像もつかないほど私は二人を愛しているよ」「そして、ホワイトハウスに一緒に連れていくワンちゃんをお前たちは手に入れたよ」(大統領になったら、新しいワンちゃんを買うという微笑ましい約束が果たされたこと示す)「そして、もはや私たちとともにいないけれど、祖母が、わたしを今あるわたしにしてくれた家族とともに、見ていることをわたしは知っています」「彼らがいないことを寂しく思います」

國學院の廊下ですれ違った先生が、学生に「瞽女っていう目の見えない人の文化が」と語っていた。その話、興味あります!

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