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2016年10月31日(月)

いろんなことがあったのに、まだ俺は自分が死なないと思っている。

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明治学院非常勤「アメリカ研究」、後期第六回目。前回に引き続き、ゾラ・ニール・ハーストンについて。今回は、民俗学者としてのハーストンにスポットを当てた。黒人ブルジョワジーは、フォークロアがアフリカ系アメリカ人の文化の核心をなしていることを渋々認めながらも、それは奴隷制時代の粗野なスタイルを脱して、より洗練された(白人並みの)スタイルを採用すべきだと主張した。こうした考えにハーストンは真っ向から反対する。彼女にとって、フォークロアは、結果として生み出される「作品」ではない。結果に至るまでのプロセスこそが、重要であり、人びとはそのプロセスを通じて「飾りたいという欲望」を満たす。さらに、フォークロアは、プロセスに参加する人々に、情報のやり取りではなく、同じ活動を共有することによるコミュニケーションの場を提供する。こうした場では、パフォーマンスの持つ意味も違ってくる。パフォーマーは、聴衆を刺激して、パフォーマンスに参加するよう促すことが求められる。参加した聴衆は、パフォーマンスを共有することによって、他の参加者とコミュニケーションを取る。パフォーマンスに参加した聴衆は、もはや単なる聴衆ではなく、新しいパフォーマーである。黒人ブルジョワジーの求めたような、決まりごとに基づく、「洗練された」パフォーマンスからは、こうした自由さは失われてしまう。

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後半はニュー・ディール政策について。29年末の株暴落を受けて、大恐慌に突入したアメリカを再建するために、民主党のフランクリン・ルーズベルト大統領が推進したニュー・ディール政策は、大規模な公共事業によって、経済を刺激するとともに、証券取引の公正化と、労働者の権利を守る法整備を進めるもので、弱者救済の色彩が強い。大統領夫人エレノア・ルーズベルトの意向もあって、人種差別撤廃に向かう動きも見られた。そのため、「リンカーンの党」である共和党の支持者がほとんどであったアフリカ系アメリカ人が、ニュー・ディール政策以降、民主党支持に一気にシフトしていく。そうした大転換を起こしたという意味でも、ニュー・ディール政策の持つ意味は大きい。

國學院非常勤、後期第六回目。6限は、『ジャズの誕生』をテキストとするリーディング。ニューオリンズの音楽が今日のハイチやマルチニークのそれに似ていたという前回の内容を受けて、マルチニークのアフロ系音楽、ティ・エミールの録音を聞きながら、授業開始。テキストの内容は、「大きな変化は、政治的にも経済的にも、世紀の変わり目にやってきた。1800年、ナポレオンは領土をフランスに返すようスペインに強いた。そして、3年間、ニューオリンズの誰も町がフランスに属しているのか、スペインに属しているのか、はっきりと確信を持てなかった」 7限は、バラク・オバマ、2008年大統領選勝利演説を読む。オーティス・レディングの歌う「チェインジ・イズ・ゴナ・カム」を聞きながら、授業開始。「チェインジ・イズ・ゴナ・カム」の歌詞を配って、内容を確認。テキストの内容は、「私はこれからの数か月で、彼ら(対立候補のマケインペイリン)とともに、この国の約束を再建するために働くことを楽しみにしています」「私はこの旅における私のパートナーに感謝したいと思います。心のこもった選挙運動をする男、サクラントンの街でともに育った男女や、デラウェアに帰る列車に同乗した男女に語り掛ける男、次期副大統領、ジョー・バイデン!」

2016年10月30日(日)

厚化粧のおばさまに、「あー、ハロウィン!」と言って、殴られる。3マス戻る。

下北沢ラグーナに、ひらげエレキテルとして出演し、6曲歌ってきました。演目は、「こども魂」「ワルツ」「かわいい子猫ちゃん」「まあるいお月さま」「パパのパパヤ」「最後の日」。来てくれた方、聞いてくださったみなさん、ありがとうございました。他の出演者も素晴らしく、ぼくも観客として楽しませてもらいました。鬱屈した不安な感情をヘヴィーなサウンドで表現するスタさん、落ちるものをふわりと受け止めるようなギターで、60年代女性フォークシンガーのような歌を聞かせるmasaさん(男性)、フォークのふりしてパンクだな!と思ったら、演歌もありのかずお爆弾さん、完成度の高いクールなサウンドをギター二人で聞かせるキュウバンチさん。ひらげタジタジ。

2016年10月28日(金)

神奈川大非常勤、後期第五回目。「初級英語」はテキスト解説(32、33)。33の最後の一行を残した。「基礎英語」「中級英語」は、副詞節の問題関連付けて、仮定法を解説したあと、終わった学生から関係代名詞へ。次回は関係代名詞の解説を改めて。「中級英語」あたりになると、クイズ形式にして自分で考えさせるのも有効かもしれない。

2016年10月27日(木)

Could you の選択。

首都大非常勤、後期第四回目。『ジャズの誕生』をテキストとするリーディング3コマ。ニューオリンズということで、ダーティ・ダズン・ブラス・バンドを聞きながら、授業開始。テキストの内容は、西洋の音楽教育を受けたクレオールから、アフリカ音楽を引き継ぐ奴隷たちへとシフトしていく。「彼ら(黒人クレオール)は、黒人の兄弟たちに加わることを強いられたが、これから見るように、最も明白なのは技術面で、彼らはジャズの誕生に貢献するものをたくさん持っていた」「一方、ニューオリンズ近隣のプランテーションの奴隷たちは、ヨーロッパの音楽をほとんど、あるいは全く聞いたことがなかった。ほとんど彼らだけで取り残されて、これらの農夫たちは彼らの音楽的遺産の多くを保持することができ、プランテーションはアフリカ音楽の宝庫となった」

2016年10月26日(水)

新曲を作っていて、整体の予約を忘れてました。

「会いたい〜そろそろ冬眠の季節だから」

冷たい冬の朝
自分の体温を感じる
ぼくは生きている
心が動きだす
会いたい 会いたい
きみに

凍える冬の朝
自分の鼓動を感じる
身体が動くのを
おずおずと確かめる
会いたい 会いたい
きみに

冬が終わったら
きっといいことがある
その日が来るまで
ぼくはちょっと眠るよ

冷たい冬の朝
自分の体温を感じる
ぼくは生きている
ぼくは生きてる

2016年10月25日(火)

ハートのエースと鳩の餌。

日本女子大非常勤、後期第六回目。3限、「米文学随筆評論演習」は、ハリエット・ジェイコブズの奴隷体験記を読む。第19章「こどもたちが売られる」。リンダ(ジェイコブズの仮名)を探しに行ったドクター・フリントが、ニューヨークから手ぶらで戻ってくる(リンダは近所に隠れているのだから、当然)。友人たちはこの機会を逃さずに、リンダの子どもたちを売るようフリントに働きかける。奴隷商人の力を借りて(奴隷商人はウィリアムのことを「気に入って」いたらしい)、リンダの息子ベニーと娘エレン、弟のウイリアムを書くことに成功する。フリントをだますために、真相を知られていなかったナンシーおばさんに、ベニーは売られていく悲しみを演技してみせる(頭のいい子だ!)。祖母はこれがフリントを騙すための芝居だと知らされていたが、孫と息子が連れ去られるのを見て、あまりに真実味のある光景に気を失う。祖母はのちに、自分の家で3人と感動の再会を果たす。リンダは事の顛末を知らなかったが、ベティから話を聞き、喜びにむせび泣く。

4限、「アフリカ研究」は、ベンベヤ・ジャズ・ナショナルライブ動画を流しながら、マリ/ギニアの話。先週取り上げたサリフ・ケイタが、王族の血を引いていたことを思い起こしてもらい、その先祖にあたるマリ王国の始祖スンジャータ・ケイタの伝説を小芝居を交えて紹介した。

ある日、小国であったマリ国の領地に、隣国の狩人が足を踏み入れる。他国で狩りをしたら、獲物の一部をその国の王に献上するのが礼儀とされていた。狩人はマリ国の王、のちにスンジャータの父となるナレ・マガーン・カンテに謁見する。王は獲物を差し出した狩人の正直さに感心し、歓待する。占いを得意としていた狩人は、王の未来を占う。王は世にも醜い女と結ばれ、二人の間に生まれた息子が、この地域一帯を束ねる強大な王となる・・・すでに美しい妃と、跡取りの王子がいた王は、それを宴のうえでの戯れと聞き流した。

それから、数年後、狩人の国は大変なことになっていた。巨大なバッファローが現れ、勇敢な狩人や戦士を次々と殺していた。マリ国からも、バッファローをしとめようと、二人の狩人が派遣される。二人はサバンナをあちこち探したが、バッファローは見つからない。あきらめかけて木の下に座り込んだところ、木の枝から鳥の声が聞こえる。「この道をまっすぐ行くと、バッファローのことを知っている人がいるよ、ピヨピヨ」 鳥の言葉に勇気づけられた二人がそちらの方向に向かうと、身体の大きなおばさんが水浴びをしている。ああ、あの人だ!「おばさん、バッファローのことを知りませんか?知っていたらおしえてください」「バッファローを探しに来たのかい。バッファローね・・・そう・・・」

「私がそのバッファローだよ!!」

逃げようとする二人をつかまえて、バッファローは言う。「そろそろ人間を殺すのにも飽きた。お前たちに殺されてやるよ。そのかわり、私を殺して、狩人の国に行ったら、狩人の国の王は何でも褒美をとらせようというだろう。そしたら、村の娘が一人欲しいというんだよ。そして、村の娘のなかから、いちばん醜いのを選ぶんだ。それが私の娘だからね」 二人が震えながら話を聞いていると、「さあ、お逃げ。この袋をやろう。私に追いつかれそうになったら、この袋の中にあるものを順番に投げるんだよ」

二人は必死で逃げた。バッファローに追いつかれそうになったとき、袋の中をまさぐると、木でできた糸車が出てきた。それを投げると、大きな森が現れて、しばらくバッファローの行く手を阻んだ。だが、しばらくすると、バッファローは森を越えて追ってくる。袋の中をまさぐると、今度は石が出てきた。石を投げると、今度は巨大な石山が姿を現した。ところが、バッファローは石山すらものともせずに、追ってくる。最後に袋の中から卵を投げると、卵は泥沼に姿を変え、足を取られたバッファローを狩人の矢がしとめた。

バッファローを射止めた二人は、狩人の国で歓待される。何でも褒美をとらせようと言われて、二人は村の娘をひとり欲しいと言う。そして、バッファローとの約束通り、世にも醜い娘を選ぶ。その娘こそがバッファローの娘ソロガンであった。マリ国に帰ると、狩人の占いを覚えていた王が、ソロガンを召し上げる。すったもんだの末(何しろ、相手はバッファローだから)、結ばれた二人の間に息子が生まれる。その名はスンジャータ。

ところが、スンジャータは強大な王どころか、歩くこともできず、言葉もしゃべれない。お付きの鍛冶屋に作らせた鉄製の杖も、スンジャータが立ち上がろうとするとぐにゃりと曲がってしまう。そんなとき、スンジャータ誕生を予言した狩人がやってきて言う。「しなやかな枝で杖を作りなさい」 しなやかな枝で杖を作ってみると、その杖を使ってスンジャータはすくっと立ち上がったばかりか、巨大なバオバブの木を引き抜いて、母ソロガンのもとに運んで見せたという。

と、ぼくがグリオになってみせたところで、本物のグリオ=バズマナ・シッソコンゴニを演奏しながら、スンジャータの物語を語る録音を聞き(あとで、リアクション・ペーパーを読むと、渋い声にしびれたという学生も少なからずいて、びっくり)、スンジャータ・ケイタの生涯が織り込まれたダニ・クヤテ監督の映画『ケイタ!』(Keïta! l'Héritage du griot 、1995)を一部、見た。

このあと、前回、紹介したサリフ・ケイタ擁するアンバサダー・インターナショノー「マンジュー」が、ギニア独立の父であり、泣く子も黙る独裁者でもあったセク・トゥーレに捧げる曲であることを話した。セク・トゥーレは地元の音楽を奨励する政策をとっており、サリフ・ケイタらミュージシャンも支援を受けた。そのために、セク・トゥーレが独裁者として非難を浴び始めた時期に、あえてトゥーレに捧げる歌を歌ったのだ。このことは、サリフ・ケイタがグリオの褒め歌の伝統を引き継いでいたことを示すと同時に、独立の英雄でもある「独裁者」に対する評価が一つに定まらないことを示している。冒頭に流したベンベヤ・ジャズナショナルも、ギニア音楽を奨励するコンテストで、セク・トゥーレの先祖にあたると言われるサモリ・トゥーレの生涯を歌った「過去へのまなざし」で優勝している。

5限、「アカデミック・ライティング」。それぞれのエッセイを指導。ウェブからの引用は難しくて、ぼくもわからないことが多い。勉強し直さなくては。

2016年10月24日(月)

夢の中へ 行ってみたいと思いませぬか ぬひっひ〜♪

明治学院非常勤「アメリカ研究」、後期第五回目。デューク・エリントン楽団の「ムード・インディゴ」を聞きながら、授業開始。デューク・エリントンは、ハーレム・ルネサンスを突き動かした3つのベクトルをすべて体現していた。西洋音楽の知識をもとにオーケストラ化されたエリントンの音楽は、「白人並み」「洗練」を求めるブラック・ブルジョワジーの意向に沿うものだったし、「野蛮」「未開」なイメージで白人の観客を惹きつけたコットン・クラブで演奏されたという点で、白人パトロンの要求に応えるものだった。一方で、エリントンは、当時の若い黒人芸術家の例にもれず、黒人フォークロアを自らの表現の中心に据えていた。

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今回は、前回紹介したジーン・トゥーマーに引き続き、ハーレム・ルネサンス時代の作家として、ラングストン・ヒューズゾラ・ニール・ハーストンを紹介した。「ハーレムの桂冠詩人」として知られるヒューズは、1967年に亡くなるまで多彩な活動をつづけた詩人であり、ハーレム・ルネサンスだけに終わる人物ではない。しかし、1926年のエッセイ「黒人芸術家と人種の山」は、若い黒人芸術家のマニフェストと言えるものであり、自らの姿をありのままに描こうとする姿勢は、常に白人の視線を意識する黒人ブルジョワジーのそれとは一線を画するものだった。

ヒューズのこうした姿勢の背景には、メキシコに渡って経済的に成功した父との葛藤があった。代表作の一つである「黒人は多くの河を語る」は、メキシコの父のもとに向かう17歳のヒューズによって、ミシシッピ川を渡る列車のなかで書かれた。ヒューズの父は、自由を求めてコミュニティを捨てる物語を体現している。逃亡奴隷にとってオハイオ川がそうであったように、ヒューズの父にとって、川は越えるべきものだった。一方、「黒人は多くの河を語る」における川は、生活に寄り添い、コミュニティに留まる者たちの物語を象徴する。加えて、コミュニティとしての「川」は、体内を流れる血として、個人のアイデンティティを構成し、魂の深みを増すものに読み替えられていく。この詩が予期しているように、ヒューズの詩は個人の視点から、コミュニティを描くものになっていく。

後半は、ゾラ・ニール・ハーストン。彼女の簡単なプロフィールを紹介したあと、『彼らの目は髪を見ていた』のあらすじを、小芝居つきで紹介。次回は、ハーストンの民俗学者としての側面に光を当てる。

國學院非常勤、後期第五回目。6限は『ジャズの誕生』をテキストとするリーディング。教科書にカリブ諸島の音楽が出てくるので、ハイチのメレングを聞きながら、授業開始。テキストの内容は、「町(ニューオリンズ)は、1764年、フランスによってスペインに割譲され、次の36年間、スペイン人が統治した。にもかかわらず、ニューオリンズは、思考の点でも感情の点でも、フランス風のままだった。この段階では、ニューオリンズはフランス領西インド諸島と似ており、音楽は現在のマルチニークやハイチのものに近かった」 7限は、バラク・オバマ、2008年大統領選勝利演説を読む。リーラ・ジェイムズの歌う「チェンジ・イズ・ゴナ・カム」を聞きながら、授業開始。相手陣営へのエールや、スタッフへの謝辞が続く、比較的退屈な部分。「今夜、早い時間に、マケイン上院議員から、この上なく丁重な電話をいただきました。彼はこの選挙で、長い間、懸命に闘いました。また、愛する国のために、さらに長い間、さらに懸命に闘ってきたのです。彼は私のほとんどが想像すらできないような犠牲に耐えてきました。私たちはこの勇敢で自分を顧みないリーダーのなしとげた仕事のおかげで、幸せに暮らしています。私は彼に、そして、ペイリン州知事に、彼らが成し遂げたことについてお祝いを言いたい」

2016年10月22日(土)

瘤取り爺さんと、小太り爺さんと、昆布捕り爺さん。

第23回みんなでワイワイコンサート~Love & Peace @荻窪Bungaに、ひらげエレキテルとして参加して、6曲歌ってきました。演目は、「こども魂」「ワルツ」「かわいい子猫ちゃん」「まあるいお月さま」「パパのパパヤ」「最後の日」。お客さんのなかには、最初から異様なテンションの人もいて、いつもと勝手が違いましたが、盛り上げていただきありがとうございました。音楽を交えて愛と平和を訴えようというこのイベント、出演者はギターやピアノの弾き語りや、ギターやカラオケを伴奏にした歌から、スピーチ、原発事故の現状を訴える紙芝居(というより、フリップ講談)まで、さまざま。個人的には、お店のオーナーであるプーカングァンさんの圧倒的な歌を別にすると、カラオケをバックに「オペラ座の怪人」挿入曲などを歌った方の素晴らしい歌声と、青田潤一さんのオチのあるウクレレ弾き語りにしてやられました。また、よろしくお願いします。

2016年10月21日(金)

夢のなかに亀仙人が現れて、「お前は勝つことが知性だと思っているな。違うぞ」と言い、煙になって消えた。あとには白いパンティが残されていた。

新曲「たんじょうびの歌」。

OGSアコナイトVol.130@新大久保Club Voiceに、ひらげエレキテルとして参加して、3曲歌ってきました。曲目は、「まあるいお月さま」「かわいい子猫ちゃん」「最後の日」。今回はいつものOGSとは様子が違う。80年代に活動したバンド「パラドクス」が再結成。停滞した空気を吹き飛ばす本気の演奏で、他の出演者の度肝を抜いた。パラドクスのメンバーは、藤丸さん「チェンジ・ザ・ワールド」をはじめ他の出演者のサポートにも回り、大活躍。そんななか、ぼくはのほほんと、いつものニャンニャンを披露しました。盛りあがってくださった皆さん、ありがとうございました。長沼ハピネスくんは振り切った演奏で、先輩たちをノックアウト。神田苑はいつも通りの安定した演奏。久しぶりの直子姐さんはリアーナ、ロックな女性シンガーりゅうちゃんはパラドクスをバックにオリジナルを。そして、女性シンガーとベーシストのご夫婦による心に沁みるカントリー・ソング。ひらげがお連れした大学の先輩の太田さんも、歌わないと言いつつ、ウクレレでビートルズジョン・レノンのナンバーを披露。これにもパラドクスの伴奏がつき、和気あいあいのセッションに。楽しい一夜でした。

帰りの電車で、酔ったネパール人男性がインド人らしき男性に、キレ気味で祖国の素晴らしさを力説していた。なんか、ほっこりした。

2016年10月20日(木)

首都大非常勤、後期第三回目。『ジャズの誕生』をテキストとするリーディング3コマ。ニューオリンズということで、プロフェッサー・ロングヘアの古い録音をかけながら、授業開始。内容は、「・・・イギリス系プロテスタントの慣習は、次第にその存在を示し始めた」「さて、さまざまな程度にアフリカ人の血を受け継いだ人びとが精通していた音楽の範囲は、独特であった。一方で、黒人クレオールは、スペイン人、フランス人、アフリカ人の先祖を併せ持っており、しばらくの間、かなりの社会的地位を持ち、最上のヨーロッパ音楽の多くを吸収していた。彼らは教育を受けさせるために、子どもたちをパリに送り、ヨーロッパで賞賛された指揮者とともに、自分たちのオペラを開いた。南北戦争の後、北部の偏見の到来とともに、彼らの没落はゆっくりだが、完ぺきなものだった」

『音の架け橋~Acoustic Puente』@西横浜El Puenteに、ひらげエレキテルとして参加して、7曲歌ってきました。演目は「ワルツ」「こども魂」「行こうよ」「かわいい子猫ちゃん」「まあるいお月さま」「パパのパパヤ」「最後の日」。西横浜と言えば、ほぼ地元。たくさんの友人知人が集まってくれました。ニャンニャンや、新曲のエロ歌「パパのパパヤ」で盛り上がってくださった皆さん、ありがとうございました。今回は、バラエティ豊かなミュージシャンを集めたPeace Windsあんじゅなさん渾身の企画。トップバッターは、cHiHiiRoさんによる西アフリカの弦楽器コラの弾き語り。のびやかな世界が広がっていきます。ストーリーの説明もあったので、勉強になりました。続く、あんじゅなさんのギター弾き語りは、開放的な響きと、ゆったりとしたグルーヴが圧倒的。かないません。きじとら龍一さんは、途中、綾海月さんとのデュオ「すとれぃじぇりぃ」もはさみつつ、骨太な歌を聞かせる。「それで自由になったのかい」(岡林信康)は怒涛の勢い。それでこそ自由!ラストは伊藤礼さん(シタール)と吉田元さん(タブラ)によるインド音楽。果てしなく続く、息の合ったインタープレイに飲み込まれました。素晴らしい夜でした。お客さん、出演者の皆さん、お店のスタッフの皆さん、ありがとうございました。

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2016年10月19日(水)

キカイダーとか、イナズマンとかさ、ヒーローは戦うには不利な障害をひとつくらい抱えているもんさ。

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約一ヵ月ぶりにパーキンソン病の診察を受けた。症状が日によって波がある。思うように症状が改善されていない日もあるということで、新しい薬を出してもらうことになった。早くもレポドパ投入。ドーパミンの原料を投入する薬で、よく効くが、これまで使っていたドーパミン・アゴニスト(ドーパミン受容体を刺激する薬)と違い、だんだん効かなくなる「ウェアリング・オフ」現象があることで知られる。これでどこまで持たせられるか。

2016年10月18日(火)

リアクション・ペーパーに、「先生はオーヤンフィーフィー好きですか」とあり、裏返すとそれらしき似顔絵が、ラブイズオーバー♪を歌っていた。このシュールさに対抗するには、「雨の御堂筋」しかないのか。

日本女子大非常勤、後期第五回目。3限「米文学随筆評論演習」は、ハリエット・アン・ジェイコブズの奴隷体験記を読む。ついに逃亡を決行し、友だちの家に身を隠していたリンダ(ジェイコブズの偽名)は、発覚を恐れて藪に逃げ込み、そこで蛇に噛まれてしまう。リンダの危機を知った祖母は、親切な白人女性に事情を話す・・・というのが前回までの展開。今回は、料理人の黒人女性ベティの導きで、リンダが白人女性の家の屋根裏に身を潜めるところから。奴隷主ドクター・フリントは、リンダの居場所がわかったとカマをかけて祖母を脅すが、それを知ったベティが一時的にリンダを台所の床下に移動させ、フリントの発言がハッタリであることを明らかにする。その後、フリントが白人女性の家を訪ねてくるが、フリントはリンダが北部に逃げたと確信している。フリントは追跡のための費用を借りに来たのである。白人女性は、あの人はすぐそばにいる鳥を追いかけて、ポケットを空っぽにするのね」と言って笑う。10代の黒人少女が主人のセクハラに悩まされる深刻な話には違いないのだが、フリントの行動が描かれるシーンではどこかコメディ的な部分があり、そこが、セクハラ親父を笑い飛ばすリンダの強さを示しているように思う。

4限「アフリカ研究」は、女性器切除(FGM)の問題を正面から描いたセンベーヌ・ウスマンの映画『母たちの村』(2004)を見終わった。上映後、FGMの問題と絡めながら、伝統とは何かということについて、ぼくの意見を示しながら、問題提起した。伝統とはひとつではなく、また固定的なものでもない。女性器切除(女子割礼)が伝統なのだとすると、そこから子供たちを守るためにコレが用いた「モーラーデ」もまた、長く受け継がれてきた伝統である。モーラーデはかつての暴君を制御するために設けられた禁忌で、これを破った暴君は蟻塚に変えられてしまったという。このように、伝統のなかには、ある力と、それを制御する力が共存している(だから、これはモーラーデで女性器切除に対抗した)。ということは、変化することもまた、「伝統」のなかにプログラミングされているということになるのではないか。変化は外部からのものではなく、「伝統」の内部に用意されている(とすると、「変化すること」それ自体が、伝統なのだとも言える)。もちろん、外部の影響を取り入れることもまた時には必要だ。しかし、それは内部のものが主体的に行うことで、初めて意味を持つ。そのための道筋も、変わっていく「伝統」のなかには用意されている・・・後半は、サリフ・ケイタをきっかけにして、マリ~ギニアの話へ。

5限「アカデミック・ライティング」は、シンタクスのおかしな分を見つける問題をやって、あとはそれぞれにエッセイにアドバイス。休みの学生が多いのが気にかかるが、出てきている学生は確実に進歩している。

2016年10月17日(月)

今日は足に力が入らん。

明治学院非常勤「アメリカ研究」、後期第四回目。前回に引き続き、第一次世界大戦後のショービズを主な舞台に、当時の黒人エンターテイナー総出演でつくられたミュージカル映画『ストーミー・ウェザー』(1943)を見た。レナ・ホーン(ちょー美人!)やニコラス・ブラザーズ(超絶的に素晴らしい!)は映画公開当時の新しいスターだけど、ビル・ロビンソンファッツ・ウォーラーキャブ・キャロウェイら、1920年代から活躍している黒人エンターテイナーが、その芸を惜しみなく披露している。また、ハイチのヴードゥーを調査しながら、アフリカ系アメリカ人のバレーを確立したキャサリン・ダーナムの一座が出演しているのも、注目に値する。学生には、ハーレム・ルネサンスを動かしていた3つの傾向 ― 「白人並み」「洗練」を目指す黒人ブルジョワジー、「野蛮」「未開」なイメージを求める白人パトロン、フォークロアをもとに自分たちの表現を模索する若い黒人芸術家 ― がどこにあらわれているか、注意して見るように示唆した。3つの傾向は、べつべつにあらわれるとは限らない。例えば、劇中、チック・ベイリー劇団の舞台は、白人パトロンの期待する「野蛮」「未開」イメージを振りまいているが、一方でベイリーはそんな自分の舞台を「洗練された(classy)」なショーと言ってはばからない・・・映画のあと、ハーレム・ルネサンス期の文学の話に移り、ジーン・トゥーマーと『砂糖きび』(1920)について、話した。狂おしいほどに切なく、美しい作品。

國學院非常勤、後期第四回目。6限、『ジャズの誕生』をテキストにしたリーディングは、いつも音楽を聴きながら始めるのだが、今日は教員室にCDを置いてきてしまい、静かなスタートになってしまった。パーキンソン病の症状が最悪で、取りに帰るとだいぶ時間をとられそうだった。内容は、前回に引き続き、ニューオリンズの歴史。「ときに、ニューオリンズの音楽のパターンは、西インド諸島の様々な島々のそれに似ていた。しかしながら、西アフリカ音楽とヨーロッパ音楽が混ざり合う組み合わせとタイミングは独特で、新しい音楽の誕生につながった。というのも、ニューオリンズの環境は、合衆国の残りの地域のそれとは決定的に違ってたからである」「その最初の46年間、ニューオリンズはフランス領で、今日まで続く慣習が確立された」 

7限「時事英語」は、バラク・オバマ、2008年大統領選勝利演説を読む。サム・クック「チェインジズ・ゴナ・カム」を聞きながら、授業開始。スピーチのなかに、歌詞を連想させる一節が出てくる。内容は、オバマの大統領選勝利が意味する「答え」についてくり返し語っていく。「それは若いものと年老いたもの、富めるものと貧しいもの、民主党員と共和党員、黒人、白人、ヒスパニック、アジア系、アメリカ先住民、同性愛者、異性愛者、障害を持つもの、持たないもの ― われわれが単なる個人の集まりでも、共和党支持が多数の州(赤い州)と民主党支持が多数の州(青い州)の集まりでもないというメッセージを世界に向けて送るアメリカ人によって語られる答えなのだ」「私たちは今も、そしてこれからもずっと、アメリカ合衆国である」「それはあまりにも長い間、あまりにも多くの人に、達成できることについて、冷笑的で、びくびくして、疑い深くあれと言われ続けてきた人たちを、歴史の弧に手をかけ、より良い日という希望に向かってもう一度引き寄せるよう導く答えなのだ」「長い時間がかかった。しかし、今日、この選挙、この決定的瞬間に、われわれがしたことゆえに、今夜、ついにアメリカに変化の時がやってきたのだ」 言うまでもなく最後の段落は、オバマのトレードマークである「チェインジ」に言及していると同時に、「チェインジズ・ゴナ・カム」の歌詞「長い時間がかかっているけど、いつか変わる日が来る」を連想させる。この一節を聞いて、オールドR&Bファンは涙せずにはいられなかったのだ。

2016年10月15日(土)

ラッパはバンドを温める‥「保温セクション」

自由ヶ丘マルディグラに、ひらげエレキテルとして出演して、7曲歌ってきました。演目は、「ワルツ」「こども魂」「行こうよ」「かわいい子猫ちゃん」「まあるいお月さま」「ラーメンブギ」「最後の日」。にゃんにゃんやラーメンで盛り上がってくださったみなさん、ありがとうございました。素晴らしいミュージシャンにお褒めの言葉もいただき、自分のお客はいないのに、舞い上がってしまいました。

理由あって、馬頭琴奏者フルハシユミコさんの企画と、「勝手にサザンナイト」の共同開催となった今回のライブ、結果として、素晴らしいミュージシャンが次々と登場するプチフェス状態となりました。前半は、ひらげをライブに誘ってくださったフルハシユミコさんの企画。フルハシさんの馬頭琴やモンゴルの歌は、細胞が震えるような響き。身体のなかで何かの組成が変わるような。マンドリンとギターでブルーグラスを演奏するホーリー・タンゴは、メンバーの名前をつないだユニット名のセンスの良さもさることながら、この種の音楽に秘められた暗い物語を感じさせる素晴らしい演奏。かっこいい。

後半は、「勝手にサザンナイト」組。弾けるようなローリング・ピアノを弾きながら、ユニークなオリジナルを歌うアノアさんと、スネア、バスドラとシンバルというシンプルな構成のドラムでごきげんなビートをたたき出すペロさんのデュオ=アノアとペロは、いっぺんでファンになりました。そして、トリのThe Hot "Gris-Gris" Cake は、オリジナルメンバー3人に加え、ベース、チューバ、女性ヴォーカルをゲストに、ぐいぐいお客をのせていきます。スライの「サンキュー」が水前寺清子「ありがとうの歌」に変わる展開には、ひっくりかえりました。メンバーがそれぞれに個性ある佇まいを持っているところがステキ!

素晴らしい一夜でした。

2016年10月14日(金)

誰も彼も「吸う魔法」を持っているなんて!

神奈川大非常勤、後期第四回目。「初級英語」は、テキスト31のテストをやったあと、「~ing」の見分け(進行形か、動名詞か、現在分詞の形容詞的用法か)を解説して、練習問題。「基礎英語」と「中級英語」は、副詞節の問題をそれぞれのペースで。

2016年10月13日(木)

日の当たる場所が、傷んだよ♪

うー授業をさぼってー♪なんて歌を聴いていたオレが‥ねえ?

首都大非常勤、後期第二回目。『ジャズの誕生』をテキストとするリーディング3コマ。ルイ・アームストロング「タイガー・ラグ」のビデオを見ながら、授業開始。テキストの内容は、ニューオリンズを訪れたアイルランドの作家トーマス・アシェによる旅行記の引用から。

町の交易は、ほとんどが、四つの階級の人々によって行われている。ヴァージニア人とケンタッキー人は仲介委託業を支配している。スコットランド人やアイルランド人は、まともな輸出入業をすべて手中に収めている。フランス人は武器庫や倉庫を経営し、スペイン人は雑貨商、キャバンツ(不明)、最低レベルの居酒屋といった小規模な小売業をやっている。黒人、あるいは自由黒人もまた、さらに小さな店を経営し、日用品や果物を売っている。

こうしたニューオリンズノ経済構造を受けて、もともとフランス/スペイン領だったニューオリンズにおいて、フランス人、スペイン人がわきに追いやられている状況について、「フランス人やスペイン人の貴族は、ルイジアナ買収のあとに起こった北部商人の進出に対抗するには、準備が不足していたように思われる」と書かれている。

ボブ・ディラン、ノーベル文学賞受賞。ケニアのグギ・ワ・ジオンゴが受賞したときのために、新聞記事の原稿を用意していたアフリカ文学研究者としては残念だが、ディランの受賞というのも、なかなかの事件だ。先日、ふと思い立って、ディランの「オール・アイ・リアリー・ウォント・トゥ・ドゥ」をカヴァーしたのは、虫の知らせだったか。

授賞理由は「偉大なアメリカの歌の伝統のなかで、新たな詩的表現を創造した」で、「文学」に含めるか含めないか議論の分かれる「民謡」という口承文化をもとにした表現に、「文学賞」を与えることに、意味を見出しているのではないかというのが、ぼくの印象。昨年はジャーナリスト的な傾向の強い人だし、文学とそれ以外の境界線にいる人に授賞して、「文学」の定義を広げていこうという意図があるのかもしれない・・・と思ったり。

まあ、それなら、アフリカでコミュニティ演劇をやったグギにも、という思いはぬぐい切れないけど。

ただ、やっぱり、ディランは文学者じゃなくて、ミュージシャンだということも言っておきたい。別に文学の末席に座らせてもらう必要はない。ディラン以前にこういうロックをやった人はいなかった。ウディ・ガスリーが生きていたら、エレキを持っていたかもしれないけど。

わがまま親父、ディランに乾杯。

2016年10月12日(水)

人生は、おもしろTシャツのようなもの。そこに意味を求めるな。

2016年10月11日(火)

自撮り棒と、ボ・ディドリー

日本女子大非常勤、後期第四回目。3限「米文学随筆評論演習」は、ハリエット・アン・ジェイコブズの奴隷体験記を読む。一章とばして、第十七章「逃亡」。ドクター・フリントの申し出を拒否して、息子の経営する農場に送られたリンダ(ジェイコブズの仮名)。家政婦を必要としているフリント(息子)夫妻は、リンダを手放さないよう、彼女を屋敷に住まわせるが、自分のベッドを持ち込むことも許さない。子供たちがまもなく農場に送られてくることを知ったリンダは、夜中に屋敷を抜け出し、祖母の家に向かう。間借りしている友人に声をかけて、子どもたちの寝顔を見たあと、友人の家に隠れる。翌朝には、ドクター・フリントによる追跡が始まる・・・続いて、第十八章「危険な数か月」。追跡は執拗に続けられ、隠れ場所を知られたと思ったリンダは、藪に身を隠し、蛇に足を噛まれてしまう。奴隷たちの治療をしている老女に治療法を聞き、痛みを抑える。リンダが親戚に送ったメッセージを通じて、孫娘の身を案じていた祖母は、親切な白人の女性に真相を打ち明ける。

4限「アフリカ研究」は、本題に入る前に、セネガルで手に入れた民族衣装と、トーキング・ドラムを見せ、でたらめながら少し叩いて見せた。前回に引き続き、センベーヌ・ウスマン監督の遺作となった映画『母たちの村』(Moolaade、2004)を見る。女性器切除(FGM)の問題を正面から扱った作品で、舞台となった村の男尊女卑的な状況を見て憤りを隠せない学生が多かったようだ。しかし、日本とは違って、アフリカでは・・・というのはどうか。日本の父権制は映画のなかの西アフリカほどあからさまではないかもしれないが、より陰湿かもしれない。フランス帰りの村長の息子が状況を変えてくれることを期待する声が多かったが、その期待は時間切れで次回に残した続きのなかで、裏切られることになる。伝統と変化について、少し論じたほうがいいかもしれない。個人的には、登場する女性たちが皆、まっすぐで迷いのない目をしているのに対し、男たちが焦点の定まらない、悲しそうな眼をしているのが、印象に残った。

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5限「アカデミック・ライティング」。剽窃が犯罪行為であること、どのようなものが剽窃になるのかをひと通り説明した後、個々のエッセイにアドバイス。導入の段落はほとんどの学生が完成に近づいてきた

2016年10月10日(月)

酒と泪とお得なクーポン。

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明治学院非常勤「アメリカ研究」、後期第三回目。今回から、何回かにわたって、1920年代、ニューヨークの黒人街ハーレムを中心に展開した文化運動である、ハーレム・ルネッサンスを扱う。ハーレム・ルネサンスが起こった背景のひとつに、第一次世界大戦から帰還した黒人兵の意識の変化がある。第一次大戦に限ったことではないが、戦争はアフリカ系アメリカ人にとって、自分たちがアメリカ市民であることを示す絶好の機会だった。実際、ハーレム・ヘルファイターズと言われた歩兵第369連隊のように、黒人部隊は勇敢に戦った。また、アメリカ軍はフランスで友軍として歓迎され、それは黒人兵も例外ではなかった。ところが、はじめて白人から人間らしい扱いを受けた黒人兵が故郷に帰ってみると、そこには厳しい人種差別が残っていた。このことが彼らの意識に与えた影響は大きかったはずだ。そんななか、多発するリンチなどの過酷な状況を逃れて、南部から北部へと移動する黒人の数がピークに達した。白人向けの高級住宅地だったハーレムは、「世界の黒人の首都」と呼ばれる黒人街に変貌する。大戦後、未曽有の好景気で余った金がハーレムに流れ込み、白人たちは夜な夜な、スリルを求めてハーレムに殺到した。

ハーレム・ルネサンスを動かしていたベクトルは3つあった。ブラック・ブルジョワジー、若い黒人芸術家、白人パトロンである。「白人並み」の生活を求めるブラック・ブルジョワジーは、黒人文化にもそれにふさわしい「洗練」を求め、奴隷時代の名残である民謡や民話といったフォークロアを忘れ去ろうとした。ところが、若い黒人芸術家の多くは、こうしたフォークロアにこそ、自分たちの追い求めるものがあると考えていた。白人のパトロンは、若い黒人芸術家に気前よく金を出した。もっとも、白人が求めていたのは、「野蛮」「未開」といったイメーであり、若い芸術家たちの求めるものとの間には大きなギャップがあった。常に白人を意識しているブラック・ブルジョワジーは、白人のパトロンが黒人フォークロアに興味を示しているのを見て、フォークロアを評価しはじめる。ただし、フォークロアはそれまでの粗野な形式を捨て、「白人並み」に「洗練」されなければならない ― そうした考えのもと、若い芸術家たちの活動に口を出した。

後半は、ハーレム・ルネサンス期のエンターテイメントを、オール黒人キャストで再現したミュージカル映画『ストーミー・ウェザー』(1943)を見始めた。

國學院非常勤、後期第三回目。6限「英語Ⅱ(R&W)」は、『ジャズの誕生』をテキストとするリーディング。後期は、第3章「ニューオリンズの背景」から。ルイ・アームストロング「タイガー・ラグ」の動画を見ながら、授業開始。ニューオリンズが「ジャズ誕生の地」となった歴史を解説。フランス/スペイン領時代にある程度の地位を得ていたムラート(混血)は、アメリカ領になると黒人と見なされ、次第に没落する。彼らのなかには西洋音楽の高度な知識を身につけたものがいた。一方、ニューオリンズのコンゴ広場では、アフリカ音楽に寛容なフランス/スペイン領時代の名残で、合衆国では許されないはずのアフリカ直系のパフォーマンスが許されていた。こうして、アメリカ領となったニューオリンズで、ヨーロッパ音楽とアフリカ音楽が出会い、混血音楽ジャズが生まれる。タイミングよく、ニューオリンズには南北戦争後、北軍が置いていった管楽器が安価に出回っていた。こうしたことを踏まえつつ、テキストの英文和訳へ。「ニューオリンズはジャズの歴史において、特別な位置を占めている。82年間、ラテン・カトリックの領土だったが、ルイジアナ買収のあと、イギリス系プロテスタントが支配的な国の一部となった」

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7限「時事英語」は、バラク・オバマの2008年大統領選勝利演説を読む。最初にスピーチの映像を半分まで見て、まずは内容を把握していく。スピーチはくり返しが多いことに注意を喚起しながら、背景にあるものも指摘しつつ、授業を進めた。

もし、アメリカがあらゆることが可能な場所であることをいまだに疑う人、建国の父祖たちの夢が今でも生きているのだろうかといまだに訝しむ人、民主主義の力にいまだに疑問を投げかける人がいるなら、今夜こそがその人たちへの答えです。

「~する人」という部分はほとんど同じことを言い換えている。スピーチは聞き逃すと元に戻ることはできないので、念を押す意味もあって、こうした言い換え、くり返しが多い。「いまだに(still)」といっているからには、以前ならアメリカの民主主義を疑問視することもできただろうということだ。例えば、黒人には民主主義はなかった。しかし、今は違う。黒人の大統領バラク・オバマが生まれたのだから。

それは、学校や教会のまわりに、この国がいまだかつて見たこともないような数で広がっている列によって、今回こそは違うはずだ、自分たちの声こそがその違いになるのだからと、多くは生まれて初めて、3時間も4時間も待った人びとによって語られる答えだ。

「列」「人びと」が投票するために集まった人びとであることを確認し、アフリカ系アメリカ人がずっと選挙権を奪われてきたことを指摘した。ここで言及されているのは、もちろん、2008年アメリカ大統領選のことだが、例えば、ネルソン・マンデラが大統領になった南アフリカの全人種選挙でできた長い列なども想起させ、抑圧された人々の苦難の歴史を前提としていることは間違いない。

無実の黒人が警官に射殺される事件が相次いでいることを踏まえ、オバマが実現できたことと、できなかったことを考え合わせると、今となっては、色あせたところもあるが、やはり感動的な、よくできたスピーチだと思う。

2016年10月9日(日)

天ぷらせいろを頼んだら、しし唐が辛いやつだった。何かの警告か。

筆跡の違うリアクションペーパーを2枚出している学生は、一枚が本人作、もう一枚が本人が来ていることを知らずに気をきかせた友人による代返、と考えてよろしいか?まあ、出てるならいいけどさ、間違いがないかもう一回チェックしなきゃならないじゃないか。かんべんしてくれ。

2016年10月7日(金)

レストラソ?

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神奈川大非常勤、後期第三回目。「初級英語」は、現在完了のテストと、31のテキスト解説。「基礎英語」と「中級英語」は、節と接続詞。名詞節から、時を表す副詞節へ。相関接続詞とか、ちょっと難しすぎたかな。

OGSアコナイトVol.129@新大久保Club Voiceに、ひらげエレキテルとして参加して、3曲ほど歌ってきました。演目は、「ワルツ」「パパのパパヤ」「最後の日」。ついに、エロ歌「パパのパパヤ」、ちゃんと披露できました!(前回、初披露の時はボロボロだったので)。聞いてくださった皆さん、ありがとうございました。今回、他の出演者は、稲毛健治くんをはじめ、若い方が多かった。達者なギターリストと登場した野田ヒデキくん(from 秀樹軍)のロックな歌、そして名前を忘れてしまったけど、女性シンガーのこれまたロックな歌。もちろん、大御所・神田苑も負けてはいませんでした。そのはざまで、静かにエロを歌うエレキテル・・・楽しい夜でした。

横浜駅で、中山に遭遇!友よ!

2016年10月6日(木)

衝動買い。300円。

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今の子は、「おたまじゃくしはカエルの子」を知らない。なぜだ?いや、そもそも、ぼくらはなぜ、この歌を知っていたのだ?

誰かとお話をすると、筋肉のこわばりが取れる。不思議だ。授業みたいに一方的に話すのはダメみたい。

首都大非常勤、後期第一回目。教科書の内容とは関係がないが、景気づけにピート・ジョンソンのブギウギ・ピアノを聞きながら、授業開始。『ジャズの誕生』をテキストとするリーディング3コマ。ニューオリンズが「ジャズ誕生の地」となった背景を再度説明し、前期の復習に代える。少しだけ教科書の内容を。「アフリカ人がニューオリンズで自分自身を(そのなかに)見出した環境は、多様で変化していた。トーマス・アシェは、1806年にニューオリンズを訪れ、民族的出自の観点から、経済構造についてコメントしている」 このあと、アシェからの引用に続くのだが、「民族的出自」(national origin)のような抽象的な表現は、引用の部分を先に呼んだほうが、何を言っているかわかるかもしれない。

2016年10月5日(水)

三つ子の魂、百一以降はどこへ?

ある有名コピーライターが、「お召し上がりですか?お持ち帰りですか?」と聞かれて‥「オレを誰だと思ってる。イートイン重里だぞ」

左手足が微妙に動きにくいこの感じ、うまく説明できなかったのだが、小さな子供がしがみついているような重さだ。こうして怪談が生まれるんだろうな。

2016年10月4日(火)

調子が出ないので、たいやきを食べたら、中身が漏れて、わちゃわちゃ。

日本女子大非常勤、後期第三回目。3限「米文学随筆評論演習」は、ハリエット・ジェイコブズの奴隷体験記を読む。第十五章「続く迫害」。リンダの二人の子どもはすくすくと成長していったが、奴隷主フリントは、いつか子供たちを売って金に換えるとくり返し言う。リンダの友人たちは、ある奴隷所有者に頼んで、リンダを買ってもらおうとするが、フリントは売ることを拒否したばかりか、サンズ氏に振られたリンダが、新しい恋人をつくったと思い込み、怒りを募らせる。フリントはリンダと子たちのために小さな小屋を用意したので、そこで簡単な仕事をして自由に暮らせばよいと提案する。さもなくば、農場に送って、他の奴隷と同じように酷使するという。フリントの意図を見抜いていたリンダは、申し出を断る。リンダは誰にも言わずに、逃亡の決意を固めていた。

4限「アフリカ研究」は、前回に引き続き、セネガル。ドゥドゥ・ンジャエ・ローズと息子たちのサバール演奏の動画を見ながら、授業開始。初代大統領でもあった詩人レオポール・サンゴールの「黒人の女」を、セネガルのグリオ=ラミン・コンテがコラを演奏しながら演奏する録音を聞きながら、ネグリチュードの功罪について解説しつつ、セネガル文学の世界へ。とりわけ、女子大生には、マリアマ・バーの『かくも長き手紙』はぜひ読んでほしいところ。一夫多妻制のなかで、夫の裏切りに苦しむ女性の書簡体小説で、日本語訳も出ている。映画監督としても知られるセンベーヌ・ウスマンは、小説家として出発し、作品には日本語に訳されているものも多い。しかし、識字率の低いアフリカにおける、書かれた「文学」の限界を感じ、映画製作を始めた。ここから、映画の話に移って、センベーヌの主な監督作品、さらに新世代を代表する才能と期待されながら夭折したジブリル・ジオップ・マンベティの作品を紹介。最後に、FGM(女性季切除)の問題を正面から取り上げたセンベーヌの遺作『母たちの村』(2004)を見始めた。

6限「アカデミック・ライティング」は、後期エッセイの冒頭の段落をそれぞれチェック。みんなそれぞれに工夫して書いているが、ちょっと文章を入れ替えたり、説明を入れたり、削ったりするだけで、ずっと伝わりやすくなる。そして、結論をどんな視点で書くかということが、ここにもかかわってくる。できる限りのアドバイスをした。

2016年10月3日(月)

平蔵、ショットガンなんか持って、どこへ行くんだい?

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明治学院非常勤「アメリカ研究」、後期第二回目。19世紀から20世紀にかけて、活躍したアフリカ系アメリカ人の指導者ブッカー・T・ワシントンと、W・E・B・デュボイスを比較しつつ、紹介。職能訓練を重視し、政治的な要求は控えてでも、白人との融和を求めたワシントンに対し、社会的・政治的な権利を求め、「才能ある十分の一」への専門教育を推進したデュボイスは、ワシントンの姿勢を「順応と服従」として厳しく批判した。しかし、ワシントンは南部の貧困層、デュボイスは北部のエリートという立場から、アフリカ系アメリカ人を取り巻く状況を見ていたのであり、二人の主張には、それぞれ現実的な意味があった。後半は、二重意識などデュボイスの思想的展開、ナイアガラ運動NAACPの結成などデュボイスがかかわった運動を概説した。

國學院非常勤、前期第二回目。6限「英語Ⅱ(R&W)」、7限「時事英語」、今回はどちらもSVOCと五文型。来週から、それぞれ、『ジャズの誕生』と、オバマの大統領選勝利演説を題材に、英語を学んでいく。

2016年10月2日(日)

昨日の反動で、今日はぺしゃんこです。とりあえず。やらなきゃいけないことをします。

2016年10月1日(土)

ジェラス・ガイと、焦らすガール。

南半球系バンド・チキリカの企画Viva La Musica Vol.3@大久保ひかりのうまに、チキリカのヴォーカル/ギターとして出演しました。演目は「Koma」「山椒魚」「パームワイン」「それでいいんじゃない」「健忘症」「わたなべくん」「腹がへったよ」「コトハナ」「花と風」「カゴメカゴメカゴメ」。曲順を間違えるなどのトラブル(というより私のミス)も乗り越え(よりによって、「健忘症」のところで!)、なんとかやり終えることができました。聞きに来てくださった皆さん、盛りあがってくださって、どうもありがとうございました。共演のLos Lavaderosは、ラテン~カリブの音楽をベースに、知的で楽しい音楽を展開するバンド。素晴らしいパフォーマンスでした!ひかりのうまのスタッフの皆さん、お疲れさまでした!

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