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2016年10月18日(火)

リアクション・ペーパーに、「先生はオーヤンフィーフィー好きですか」とあり、裏返すとそれらしき似顔絵が、ラブイズオーバー♪を歌っていた。このシュールさに対抗するには、「雨の御堂筋」しかないのか。

日本女子大非常勤、後期第五回目。3限「米文学随筆評論演習」は、ハリエット・アン・ジェイコブズの奴隷体験記を読む。ついに逃亡を決行し、友だちの家に身を隠していたリンダ(ジェイコブズの偽名)は、発覚を恐れて藪に逃げ込み、そこで蛇に噛まれてしまう。リンダの危機を知った祖母は、親切な白人女性に事情を話す・・・というのが前回までの展開。今回は、料理人の黒人女性ベティの導きで、リンダが白人女性の家の屋根裏に身を潜めるところから。奴隷主ドクター・フリントは、リンダの居場所がわかったとカマをかけて祖母を脅すが、それを知ったベティが一時的にリンダを台所の床下に移動させ、フリントの発言がハッタリであることを明らかにする。その後、フリントが白人女性の家を訪ねてくるが、フリントはリンダが北部に逃げたと確信している。フリントは追跡のための費用を借りに来たのである。白人女性は、あの人はすぐそばにいる鳥を追いかけて、ポケットを空っぽにするのね」と言って笑う。10代の黒人少女が主人のセクハラに悩まされる深刻な話には違いないのだが、フリントの行動が描かれるシーンではどこかコメディ的な部分があり、そこが、セクハラ親父を笑い飛ばすリンダの強さを示しているように思う。

4限「アフリカ研究」は、女性器切除(FGM)の問題を正面から描いたセンベーヌ・ウスマンの映画『母たちの村』(2004)を見終わった。上映後、FGMの問題と絡めながら、伝統とは何かということについて、ぼくの意見を示しながら、問題提起した。伝統とはひとつではなく、また固定的なものでもない。女性器切除(女子割礼)が伝統なのだとすると、そこから子供たちを守るためにコレが用いた「モーラーデ」もまた、長く受け継がれてきた伝統である。モーラーデはかつての暴君を制御するために設けられた禁忌で、これを破った暴君は蟻塚に変えられてしまったという。このように、伝統のなかには、ある力と、それを制御する力が共存している(だから、これはモーラーデで女性器切除に対抗した)。ということは、変化することもまた、「伝統」のなかにプログラミングされているということになるのではないか。変化は外部からのものではなく、「伝統」の内部に用意されている(とすると、「変化すること」それ自体が、伝統なのだとも言える)。もちろん、外部の影響を取り入れることもまた時には必要だ。しかし、それは内部のものが主体的に行うことで、初めて意味を持つ。そのための道筋も、変わっていく「伝統」のなかには用意されている・・・後半は、サリフ・ケイタをきっかけにして、マリ~ギニアの話へ。

5限「アカデミック・ライティング」は、シンタクスのおかしな分を見つける問題をやって、あとはそれぞれにエッセイにアドバイス。休みの学生が多いのが気にかかるが、出てきている学生は確実に進歩している。

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