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2016年6月27日(月)

読者も出る。

Phillis

明治学院非常勤「アメリカ研究」、前期第十二回目。今回は、19世紀までのアフリカ系アメリカ人の文学。南北戦争前、奴隷が大半をしめるアフリカ系アメリカ人の識字率は低く、彼らのなかから「文学」が生まれることは大変な困難を伴った。そんななかでも、何人かの先駆的な人びとによって、アフリカ系アメリカ人の体験が詩や小説や体験記に書き残された。

1761年、あるアフリカ人の少女が、故郷・西アフリカから奴隷として連れ去られる。少女は、ボストンの富裕な商人であったホイートリー氏に買い取られ、フィリスという名前を与えられた。フィリス・ホイートリーとなった彼女は、主人から読み書きに加え、イギリス文学、ラテン文学、聖書などを学び、やがて詩を書き始める。黒人であるフィリスが本当に自分で詩を書いたのかということが問題になり、ボストン政財界のお偉方による面接を受けなければならなかったが、そこで知性を認められ、詩集『宗教や道徳の様々なことについての詩集』(1773)がイギリスで出版される。彼女の詩は自ら体験した奴隷制の悲惨(彼女が中間航路を経験していることは忘れてはならない)に触れることなく、むしろ野蛮状態から救い出し、キリスト教の教えを与えてくれたことに感謝を表すものだったが、彼女が詩を書くこと自体が黒人に対する偏見を打ちやぶる行為だった。肖像画のフィリスは何かを考えながら、ペンを握っている。黒人が何かを考える知的存在であるということが、当時の白人にとっては驚きだったことを示している。

この時代のアフリカ系アメリカ人による「文学」として、近年注目を集めているのが、逃亡に成功した元奴隷が自らの体験を記した奴隷体験記である。代表的なものとして、オラウダ・イクィアーノフレデリック・ダグラスの自伝があげられる。ハリエット・アン・ジェイコブスの自伝は、数少ない女性による奴隷体験記として、注目に値する。女性として彼女は、男性の奴隷とは違った苦しみを抱える。奴隷主による性的搾取と、その夫人の嫉妬からくる嫌がらせである。リンダという仮名で登場するジェイコブズは、奴隷主ドクター・フリントのセクハラから逃れるために、彼女に関心を寄せる独身の白人男性サンド氏と関係を持ち、二人の子供をもうける。彼女は、フリントがあきらめて子供たちを売るように、北部に逃げたふりをして屋根裏に隠れ続ける。最後は子供たちとともに北部への逃亡に成功するが、サンド氏は彼女を裏切って白人女性と結婚する。「白人女性にとってのハッピーエンドは結婚かもしれないが、奴隷の女性にそれはあり得ない。奴隷の女性にとってのハッピーエンドは逃亡である」という最後の言葉が衝撃的な重みをもつ。

最後に、アフリカ系アメリカ人の小説。最初に出版されたアフリカ系アメリカ人の小説として知られているのが、自身も逃亡した元奴隷で、奴隷体験記も書いているウィリアム・ウェルズ・ブラウンの『クローテル、もしくは大統領の娘』(1853)である。第3代大統領トーマス・ジェファーソンと黒人奴隷の愛人の間に子供がいたというスキャンダルをもとに書かれた作品だが、当時はスキャンダルの詳細は明らかではなく、大統領と黒人の愛人という設定以外は事実に基づくものではない。大統領と奴隷の女性カラーの間に生まれ、母親とともに競売台に立たされた美しい娘クローテルとアルシーサ、さらにその娘たちの数奇な運命を描く、「トラジック・ムラート」路線の作品である。白人と見紛う美しい黒人女性が奴隷制の下で悲惨な体験をする「トラジック・ムラート」の類型は、白人読者の同情を集めるのには役だったが、その背後には、いかにも黒人らしい女性、美しくない女性はどうなってもいいのか、という残酷な現実が存在する。

来週はいよいよ、小難しいこと言うディスク・ジョッキーと化して、黒人音楽特集。スピリチュアル、ブルース、初期のジャズなどをかけまくります。

國學院非常勤、前期第十二回目。『ジャズの誕生』をテキストとするリーディング2コマ。6限はマルディグラの動画を流しながら、授業開始。マルディグラ・インディアンの話など。テキストの内容は、ヨーロッパ音楽と西アフリカ音楽の類似性について。「ヨーロッパと西アフリカの音楽はどちらも全音階(ピアノの鍵盤の白鍵の音)を使い、どちらも相当量のハーモニーを用いる。時に、全音階は世界の音楽の他のところにも見られるが、ハーモニーは他のどこにも見られない」「この類似性は、ヨーロッパの民衆音楽と西アフリカの部族音楽の間にあり、クラシック音楽には当てはまらない。主な違いは、ヨーロッパの民衆音楽のほうがハーモニーが少し複雑で、アフリカの部族音楽のほうがリズムが少し複雑だという点である」 いつものように、「部族」という言葉は、ぼくは使わないことを強調。なぜアフリカも「民衆音楽(folk music)」ではいけないのか。

7限は教科書に合わせたネタがなくなってきたこともあって、個人的にいちばん好きなジャズの録音であるエリック・ドルフィの『ライブ・アット・ファイブ・スポット』を聞きながら、授業開始。テキストの内容は、アメリカ領になったニューオリンズにおけるクレオール(混血)の運命。「一方で、黒人クレオールたちは、スペイン人とフランス人とアフリカ人の血を併せ持っており、しばらくの間、かなりの社会的地位を得て、最高のヨーロッパ音楽の多くを吸収した。彼らは教育を受けさせるためにパリに子供たちを送り、ヨーロッパで評判の指揮者とともに自分たちのオペラを開いた。南北戦争のあと、北部の偏見の到来とともに、彼らの没落はゆっくりだが完全なものになった」

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