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2016年5月23日(月)

かの有名なアドルフ・ヒットラー
朝、間違えて ヒゲを剃っちゃった
すると急に優しい気持ちになって
虐殺は終わりだ 戦争も終わり
みんなで仲良く 平和に暮らそう
ところが支持者に囲まれると
たちまちヒゲが生えてきた
生えるヒットラー!生えるヒットラー!

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明治学院非常勤「アメリカ研究」、前期第七回目。19世紀前半、南北戦争へと向かうアメリカの歴史を辿る。この時期、農本主義的な南部と、商工業を中心に国を発展させたい北部は、さまざまな点で対立した。奴隷制を巡る論争も、プランテーションの経営に奴隷労働が欠かせないとする南部農場主と、必要のない労働者は馘にできる契約労働にすべきと考える北部資本家の対立と捉えることができる。

トーマス・ジェファーソンによるルイジアナ購入に始まり、テキサス併合対メキシコ戦争と、領土拡張を進めたアメリカは、新しい領土が州に昇格するたびに、自由州にするか奴隷州にするかを巡って揺れた。アメリカの上院は州ごとに2議席が割り当てられており、自由州が増えれば北部が2票、奴隷州が増えれば南部が2票獲得することを意味したからである。新しい州ができるたび、南部と北部は対立と妥協をくり返した。

1820年の「ミズーリ協定」では、北緯36度30分線から北には奴隷州を認めないと決めながら、境界の北に位置するミズーリ州を奴隷州とした(代わりに、コネチカット州からメーン州を分離させ、自由州の数を増やした)。1850年、対メキシコ戦争の結果、獲得したカリフォルニアを自由州とする代わりに、逃亡奴隷法が強化される。1854年、カンザス、ネブラスカが州に昇格する際、奴隷制の可否は、住民の決定に委ねることが決まると、同地域は奴隷制擁護派と奴隷制廃止派が入り乱れて殺しあう内戦状態になった。

この戦いのなかから、頭角を現した過激な奴隷制反対論者ジョン・ブラウンが、1859年に反乱を起こし、鎮圧されると、南北の対立は一層高まった。翌1860年、奴隷制拡大反対派が結成した共和党から、エイブラハム・リンカーンが大統領に当選。南部諸州はアメリカ連合国として独立を宣言、アメリカは南北戦争へと突入していく。

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國學院非常勤、前期第七回目。『ジャズの誕生』をテキストとするリーディング2コマ。6限は、キング・サニー・アデを聞きながら、授業開始。「西アフリカ音楽の共通の基盤は、4分の3拍子、8分の6拍子、4分の4拍子の組み合わせである。それはまるで、オーケストラが同じ曲をワルツ、ワンステップ、フォックストロットとして演奏しているようなものである―それも全部同時に。そして、もちろん、歌や手拍子足拍子がさらなるリズムの複雑さを加える。/高度に訓練されたクラシックの音楽家には、この西アフリカ音楽は混沌としているように聞こえるかもしれない」。7限は、ヴードゥーの太鼓を聞きながら、授業開始。「黒人はもちろん、町とその音楽の発展に関与した。アフリカのどの地域から彼らは来て、彼らの慣習のどの要素が残ったのだろうか?私たちは一部始終を知ることはできないかもしれないが、いくつかの手がかりはある。(黒人たちの)多くは西インド諸島から来た」 最後の"Many came from the West Indies"の"Many"が「黒人」を指しているのか、「手がかり」を指しているのか微妙なところ。この後の展開を考えると、「黒人」と考えるのが正しいのではないかと思うが、「手がかり」という解釈を否定するものもない気がする。

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