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2016年2月11日(木)

現実頭皮。

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ラングストン・ヒューズの自伝『ぼくは多くの河を知っている』(The Big Sea、 1940、木島始訳、河出書房新社、1972)を読み終わった。ラングストン・ヒューズの2つの自伝、The Big Sea (1940) と I Wonder As I Wonder (1956)を全3巻に編集した日本語訳のうち、実父との確執に悩む少年時代から、船員として世界各地を放浪し、ハーレム・ルネサンス期に詩人として頭角を現し、パトロンの白人女性(名前は伏せられているが、シャルロット・オスグット・メイソンと思われる)と袂を分かつまでを描いたThe Big Seaを訳出した第1巻。

人種差別社会を逃れ、メキシコで実業家として成功したヒューズの父は、同胞のアメリカ黒人や貧しいメキシコ人を蔑み、息子を自分と同じような人間に育てようとする。ヒューズは父の援助を受けて入った大学を中退し、船員として世界を放浪する。似たようなことは、ずっと後になって、パトロンとの間でくり返される。パトロンの求める原始的な美しさ、純粋さが自分にはないことに気づいたヒューズは、惜しみない経済的援助に居心地の悪さを覚え、それが彼女との決定的な衝突につながっていく。

ようするに、ヒューズは自分らしく生きることに妥協できない人なのだ。もちろん、「自分らしさ」は無条件で与えられるものではなく、他者との関係のなかで、ぼんやりと認識されるものだろう。ヒューズの場合、父やパトロン(あるいは鼻持ちならないワシントンの黒人上流階級)との関係に違和感を覚えると、体調を崩し、モヤモヤを振り払うために詩を書く。世界を放浪したのも、いわいる「自分探し」ではなく、他者との軋轢を通して、自分の立ち位置を確かめる作業だったのかもしれない。

パトロンとの破局に、株の大暴落によってハーレム・ルネサンスの華やかな時代が終わりを告げたことが重なり、ヒューズは職業作家として身を立てることを決意する。パトロンの援助を受けることなく、自立した経済活動として文筆を行おうとしたのだ。このあたり、大げさなお世辞を振りまいてでも、パトロンから金を引き出すことを厭わなかったゾラ・ニール・ハーストンとは対照的である(もっとも、ハーストンは自分らしさを失わずにそういうことができる稀有な人物だったのだが)。共作した戯曲『らばの骨』をめぐる二人の確執も、やはりメイソンから援助を受けていたハーストンが、パトロンの厭気を買うのを恐れて、ヒューズとの関係を断ち切ろうとしたということかもしれない。

I Wonder As I Wander を訳出した2、3巻では、職業作家としてのヒューズが描かれる。続けて読んでみよう。

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若き日のラングストン・ヒューズ。

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