無料ブログはココログ

« 2015年10月20日(火) | トップページ | 2015年10月22日(木) »

2015年10月21日(水)

12107995_1095539403797470_140784577

横浜開港資料館に、『その音、奇妙なり−横浜・西洋音楽との出合い』展を見に行ってきた。幕末〜明治初期における西洋音楽の受容は、笠原潔黒船来航と音楽』を読んで以来(2011年3月11日の日記参照)、関心のあるテーマのひとつである。南北戦争中に歌われた「ジョン・ブラウンの屍」が、日本で「お玉杓子はカエルの子」として受容されていく過程を追った拙論「お玉杓子はジョン・ブラウンの子 − 替え歌としての『ジョン・ブラウンの屍』」(来年1月、金星堂より刊行予定の論集『ジョン・ブラウンの屍を越えて』所収)を書かせていただいたのも、この流れのなかでのことだ。そんななか、日本と西洋音楽の出会いをテーマにした展示が行われていると聞いて、さっそく行ってきた。

結論から言うと、小規模ながら面白い内容だった。ポスターになっているラッパのような西洋楽器を吹く日本女性の姿は、なかなか衝撃的だ。ペリー使節団を描いた絵には、軍楽隊の様子も描かれている。拡大されたものを見ると、その生き生きとした姿が浮かび上がってくる。異国の音楽のイメージが、どれほど衝撃的に当時の日本人の目に焼きついたかが伝わってくる。大森貝塚を発見した動物学者シルヴェスター・S・モースの著書『日本その日その日』(1917)からの引用があり、日本人と西洋人の音楽に対する見方がいかに違っていたかが示されている。モースが来日してから四半世紀ほどで、各地で西洋音楽隊が結成されるまでになる。あっという間という気もするが、例えば、ジャズ的なものが西洋音楽を席巻した時間を考えても、音楽の受容はほんの数十年で一気に進むものかもしれない。もちろん、日本の場合には、西洋式軍隊のために、拍子のある西洋音楽の導入が急務だったという事情もある。それにしては、明治初期の尋常小学校のカリキュラムには、「唱歌」の欄はあるものの、教材がないためしばらく実行せずとある。何もかもがはじめてのことで、ドタバタしていた様子が伺われる。


【夢日記】

おかしな夢を見た。

高校に入り直すことになった。どうしても、高校生活をやり直さなければならない。新調した学生服を着て、学生課に行く。事務員は書類に公印を叩きつけて、「はい、じゃあ、急いで10888教室に行って」と言う。10888ってどこだよ!番号長すぎないか!?何階かもわからないよ!聞こうとするが、事務員は次の学生で忙しく、露骨に迷惑そうな顔をする。途方に暮れてとぼとぼ歩いていると、空いている窓口があったので、あのーと声をかけると、白衣を着た腰の曲がったおばちゃんが出てきた。校医の先生のようだ。耳が遠いらしく、なかなか話が通じない。ようやく理解したと思ったら、「そうかいそうかい、あたしが聞いてあげようね」と曲がった身体で学生課に歩いていく。事務員は相変わらず迷惑そうだが、おばあちゃん先生はニコニコしながら、待っている。いや、そういうことなら、自分で聞けますから・・・とえらく恐縮したところで、目が覚めた。

« 2015年10月20日(火) | トップページ | 2015年10月22日(木) »

コメント

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/73760/62522203

この記事へのトラックバック一覧です: 2015年10月21日(水):

« 2015年10月20日(火) | トップページ | 2015年10月22日(木) »

最近のトラックバック

2017年11月
      1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30