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2015年8月15日(土)

敗戦記念日。

この日に合わせて出された安倍総理談話。「先の戦争に何ら関わりのない子や孫、さらに先の世代の子どもたちに、謝罪を続ける宿命を負わせてはならない」とした部分を評価する人もいるようだ。でも、ぼくはやっぱり違うと思う。これからの子どもたちが、戦前の出来事に責任がないことは言うまでもない。戦後生まれという意味では、ぼくもそうだし、1954年生まれの安倍総理もそうだろう。そのへんが、終戦のときすでに大人だった村山元首相とは違う、という思いも総理にはあったかもしれない。

しかし、それは個人としての国民一人ひとりであって、戦争の主体としての日本国は違う。先の戦争に対する反省をもとに、拡大主義を放棄する道を歩むことによって、戦争の犠牲となった人びとに謝罪し続けなければならない。一人ひとりの国民は、道を逸れないよう国を監視しする責任がある。それこそが、憲法の謳う「平和主義」であり、日本が求められている「謝罪」である。この意味での「謝罪」に終わりはない。国内の戦争犠牲者に対する追悼を、そろそろやめようと言う人がいないのと同じことだ。

総理は談話のなかで、「国内外に斃れたすべての人々の命の前に、深く頭を垂れ、痛惜の念を表すとともに、永劫の、哀悼の誠を捧げます」と言っている。戦後生まれの(したがって、戦争責任のない)安倍氏が言うからには、国を代表する内閣総理大臣としてそう言ったのだろう。それならば、子や孫うんぬんということは言わなくてよかったし、言うべきではなかった。内外の犠牲者に、国は「深く頭を垂れ」、謝罪し続けなければならない。日本人は、たまたまこの国に生まれた(しかし、そこから恩恵も多く受けている)者の宿命として、その謝罪を引き受けなければならない。

愛国心というものものがあるなら、そういうものだと思う。

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