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2015年6月3日(水)

「あんたのせいじゃないよ。あんたのせいじゃない。あんたのせいじゃ」と三回くりかえされると、三回目の「あんたのせいじゃ」が断言に聞こえてくる。

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首都大学非常勤「表象文化論特殊講義」、前期第七回目。南北戦争前のアメリカ史を、反奴隷制運動の高まり、アメリカの領土拡張、南部と北部の対立と妥協という三つの観点から概説。

19世紀前半のアメリカは、ルイジアナ購入(1803)、テキサス併合(1845)、対メキシコ戦争によるカリフォルニア、ニューメキシコの割譲(1848)と続く領土拡張の時代だった。新しく獲得した領土が州に昇格するたびに、その州を自由州(北部側)とするか奴隷州(南部側)とするかが問題となる。米連邦議会、とりわけ州ごとに2議席が割り当てられた上院では、北部と南部の勢力が拮抗していたからである。

1820年、奴隷州と自由州の分水嶺とされた北緯36度30分線より北にあるミズーリを奴隷州とする代わりに、コネチカット州からメーン州を分割し、自由州とした「ミズーリの協定」にはじまり、南部と北部は妥協をくり返した。1850年には、対メキシコ戦争で獲得したカリフォルニアを自由州とする代わりに、より厳格な逃亡奴隷法が制定される。1854年、カンザス・ネブラスカ地域を自由州とするか奴隷州とするかの選択が、住民の手に委ねられると、同地域は奴隷制反対、賛成両陣営が血を血で洗う内戦状態となる。そのなかから頭角を現したのが、ラディカルな奴隷制反対論者ジョン・ブラウンである。

1857年、ミズーリ州に住む奴隷だったドレッド・スコットが、一時期北部に住んだことを理由に自由人の資格を主張した裁判で、ミズーリ協定が破棄されたことにより、奴隷制反対論者の危機感が頂点に達するなか、1859年、ジョン・ブラウンはヴァージニア州ハーパーズ・フェリーの連邦軍武器庫を襲い、反乱を起こすが敗れ、反逆罪で絞首刑となる。1860年、奴隷制拡大反対派の終結した共和党から出たエイブラハム・リンカーンが大統領に当選。そのことに反発した南部諸州は、翌61年、ジェファーソン・デイヴィスを大統領とする「アメリカ連合国」の分離独立を宣言、サウス・カロライナ州のサムター要塞を攻撃して、南北戦争の火ぶたが切られた。

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