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2015年6月1日(月)

王貞治が増殖。「百一匹ワンちゃん」



明治学院非常勤、前期第八回目。南北戦争後、奴隷制のない新しい南部を模索した「南部再建期」とその挫折について概説した。ビリー・ホリデイの歌う「奇妙な果実」。リンチで惨殺され、木に吊るされた黒人の死体を、朽ちていく果実に喩えたこの歌がレコーディングされたのは、奴隷解放から70年以上も経った1939年のことである。奴隷は解放されて、自由になったのではなかったのか。奴隷は確かに解放された。しかし、解放された奴隷たちには財産も、仕事も、教育もなかった。解放奴隷にラバと12エーカーの土地が与えられるという噂も実現しなかった。結果として、彼らの多くは元主人の土地を借りて、シェアクロッパー(一種の小作人)として働き続けなくてはならなかった。

それでも、解放民局を中心に「南部再建」は進められ、憲法の修正条項や公民権法が次々と批准されて、黒人の市民権が法律上認められるようになった。黒人の上院議員や知事も生まれた。一方で、こうした黒人の地位向上を快く思わない南部の白人の間から、クー・クラックス・クラン(KKK)のような白人至上主義団体が現れ、黒人や「南部再建」のためにやってきた北部出身の白人を暴力で排除しようとした。KKKはあまりにも暴力的傾向が強くなったため、規制を受け、19世紀終わりには一度衰退している(その復活を促したのが、D・W・グリフィス監督の映画『国民の創生』である)。こうした状況下の南部が解放された奴隷にとって住みよい場所であるはずもなく、多くの黒人が北部へ移住した。

曲りなりも続いてきた「南部再建」は、南北戦争終結からわずか十数年で終わりを告げる。1877年、前年の大統領選挙で勝利を収めていた民主党のサミュエル・ティルデンではなく、共和党のラザフォード・ヘイズを大統領にする代わりに、連邦軍が南部から撤退することで、妥協が成立した。連邦軍による監視がなくなった南部諸州は、人種隔離を合法化し、黒人から市民権を奪う人種差別法(俗に言う「ジム・クロウ法」)を次々と制定し、黒人を公的な場から排除していった。1890年代にはリンチで殺される黒人の数がピークに達する。そんななか、人種別車両の是非を巡って争われたプレッシー対ファーガソン裁判で、1896年、最高裁が「分離すれども平等」であれば違憲ではない」という判決を下す。もちろん、実際には、白人用の施設と黒人用の施設が「平等」であることなどありえなかった。

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