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2015年5月25日(月)

授業中けたたましい警報が鳴ったので、びっくり。茨城で震度5弱。

明治学院非常勤、前期第七回目。ピート・シーガーの歌う「ジョン・ブラウンの屍」を聞きながら、授業開始。19世紀前半のアメリカで、南部と北部が対立を深め、ついに南北戦争へ至るまでの過程を追った。

この時期、アメリカ合衆国は1803年のルイジアナ購入に始まり、テキサス併合(1845)、アメリカ・メキシコ戦争(1846~48)によるカリフォルニアとニューメキシコの併合と、次々領土を拡張していった。拡張された領土はやがて州に昇格し、連邦議会に議席を得ることになる。このとき、とりわけ人口比に関係なく各州に2議席が割り当てられた上院では、新しい州が奴隷州として南部の側につくのか、自由州として北部の側につくのかが問題となった。

南部と北部の均衡を保つため、さまざまな妥協が図られた。1820年には、ルイジアナ購入地の北緯36°30′以北で奴隷制が禁じられたが、このとき例外としてミス―州を奴隷州とする代わりに、現在のメーン州をコネチカット州から分離させ、新たに自由州として創設することになった。1850年にはアメリカ・メキシコ戦争で獲得したカリフォルニアを自由州にする代わりに、逃亡奴隷法の厳罰化が図られた。

しかし、1854年のカンザス・ネブラスカ法では、カンザス・ネブラスカを自由州とするか奴隷州とするかは、住民の判断に委ねられた。このことは奴隷制存続派と奴隷制反対派の激しい対立を招き、同地域は血で血を洗う内戦状態となった。この闘いのなかから頭角を現したのが、のちにハーパーズ・フェリーの連邦軍武器庫を襲撃、反乱を起こして絞首刑となった奴隷制反対論者ジョン・ブラウンである。

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