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2014年9月1日(月)

「小中学生」と「焼酎が臭え」

Originaljohnbrownwordsgeorgekimball

来年4月に金星堂から刊行される論文集『ジョン・ブラウンの屍を越えて』に所収予定の論文「お玉杓子はジョン・ブラウンの子ー替え歌としての『ジョン・ブラウンの屍』」、ほぼ書き終わりました。南北戦争時代、北軍兵士によって歌われた歌「ジョン・ブラウンの屍」のメロディーが、日本で「お玉杓子は蛙の子」になったことに焦点を当て、「ジョン・ブラウンの屍」が生まれた経緯、日本における西洋音楽の受容、替え歌の持つ力などをフォローした内容です。けっこう研究は進んでいる分野ですが、先行研究を参照しながら、自分なりに伝えたいことが書けたように思います。

詳しい内容を紹介していないので、あまり意味はありませんが、結びの部分を引用します。

一方で、歌は、勇壮で気高い仮面のしたに、スコットランド系軍曹をからかう戦友たちのニヤニヤ笑いを隠していた。国のため、民族のため、仲間のために死んで英雄になれと言われたとき、歌は別の顔を見せ、本来持っていた「笑い」の地平に聞くものを引きずり下ろす。歌が持つ表の顔と裏の顔の落差に拍子抜けして、人びとは自分たちが潜在的に持っていた「笑い」への渇望に気づくのだ。そして、笑いは状況を相対化する。

「ジョン・ブラウンの屍」が軍歌であることをやめ、「お玉杓子は蛙の子」になった現在の日本では、そうした落差の笑いが生まれることはないのかもしれない。しかし、わからない。そう遠くない将来、お玉杓子が仮面を脱いで、自分は死んだ英雄だと言う日が来るかもしれない。そのとき、私たちはそれを冗談として笑い飛ばすのか、それとも「タラウガムクロモ タフレタリ ススメ ススメ」と勇壮さに酔いしれてしまうのか。

歌はどちらの可能性も残している。

ちょっとカッコいいでショ。

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