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2014年8月13日(水)

南北戦争で北軍兵士に歌われた「ジョン・ブラウンの屍」が各地でさまざまな替え歌を生み、日本では「おたまじゃくしはカエルの子」やヨドバシカメラのCMソングになった過程を追う論文、ようやく書きはじめた。ジョン・ブラウンといえば、1959年、ヴァージニア州ハーパーズ・フェリーで叛乱を起こして絞首刑になった過激な奴隷制反対論者だが、調べていくと「ジョン・ブラウンの屍」のジョン・ブラウンはもともと同姓同名のスコットランド系軍曹のことだったという話がある。

マサチューセッツの第二歩兵大隊にいたその男は、たまたま有名な奴隷制反対論者と同じ名前だったために、点呼に遅れたりすると、「奴隷を解放して欲しいなら、そういうところちゃんとしてくれ」とか、「あいつがジョン・ブラウンなわけはない。ジョン・ブラウンは死んだんだから」などとからかわれた。そして決まって最後に「ジョン・ブラウンの屍は墓場のなかで腐っていく」と付け加えられた。この言葉が野外集会などで歌われていた賛美歌「おお、兄弟よ、我らと会わないか」のメロディにのせて歌われるようになり、「ジョン・ブラウンの屍」になったと言うのである。

まるで、「走れコウタロー」のような話ではないか(ちなみに、「走れコウタロー」は、ソルティー・シュガー時代、遅刻魔だった山本コウタロー氏が練習に遅れて現われると、メンバーが山本氏をはやし立てるために歌った歌がもとになっている)。

面白いのは、「ジョン・ブラウンの屍が朽ちていく」という歌詞を別のものに置き換えようと言う動きがいくつもあった(そのうちのひとつは「リパブリック讃歌」として形になっている)にもかかわらず、少なくとも南北戦争中、北軍兵士は不吉な歌詞を歌うことを好んだということだ。北軍兵士は奴隷制反対論者ばかりではなかったが、この歌を歌うことを通じて、多くの兵士が奴隷解放の大義を受け入れていった。ほんの1年半ぐらい前までは残虐なテロリストとして忌み嫌われていたジョン・ブラウンは、奴隷解放のために立ち上がった殉教者となる。そもそもが替え歌として生まれた「ジョン。ブラウンの屍」は、自然発生的に生まれた歌の強さを発揮して、北軍の意識を変えたのである。

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