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2014年4月7日(月)

明治学院非常勤、前期第一回目。ジェイムズ・ブラウンの「セイ・イット・ラウド—アイム・ブラック・アンド・アイム・プラウド」を聞きながら、アフリカ系アメリカ人とは、黒人とは何ものなのかという話をした。著名人の写真を8枚並べて、どれが黒人/アフリカ系アメリカ人なのか考えてもらった。ジャズ歌手/女優のレナ・ホーン、作家のジーン・トゥーマー、ミュージシャンのチャーリー・パットンタンパ・レッドなどは白人と思った学生が多かったようだ。黒人/アフリカ系アメリカ人かどうかは、見かけでは判断がつかない。また、父親がケニア人のバラク・オバマはケニア系アメリカ人と呼ぶべきであり、黒人ではあってもアフリカ系アメリカ人ではないということも話した。

アメリカでは長らく一滴でもアフリカ系の血が流れていれば、黒人として差別された(ワン・ドロップ・ルール)。しかし、アイデンティティは制度の問題であると同時に、選択の問題でもある。色の白い「黒人jのなかには白人として生きようとするものもいた(パッシング)。W・E・B・デュボイスは、『黒人のたましい』のなかで、アフリカ系アメリカ人の二重意識の問題を指摘している。白人に近づこうとすれば、「黒人のくせに」と言われ、独自の道を歩もうとすれば、「やはり黒人はおかしい」と言われるジレンマのなかでは、アフリカ人であり、アメリカ人であるという二重意識を抱かざるをえない。デュボイスは、アフリカとアメリカのどちらをも捨てることのない、新しいアイデンティティの獲得を唱えた。

一方、アフリカ人/黒人というアイデンティティを選択する人たちも常に存在した。「ブラック・ナショナリズム」である。アメリカ植民協会による黒人奴隷のアフリカ入植は、黒人を厄介払いしたい白人主導の運動だったが、同調する黒人も少なくなかった。しかし、入植した元奴隷によって建国されたリベリアでは、現地アフリカ人と入植者の争いが絶えず、ごく最近まで内戦が続いた。アフリカへの入植運動はジャマイカ出身のマーカス・ガーヴェイによって受け継がれるが、成功しなかった。アフリカ系アメリカ人はもはやアフリカ人ではないのだ — このことをふまえつつ、ブラック・ナショナリズムはその後、「私たちは奴隷の子孫である」とありのままの自分たちに誇りを持つことを訴えたマルコムX、「ブラック・パワー」を唱えるストークリー・カーマイケルなどを生み出していく。

1968年にはメキシコ・オリンピックの短距離走で金銅メダルを取ったアフリカ系アメリカ人の選手が黒い手袋をつけた拳をつきあげ、人種差別に抗議する意思を示し、永久追放処分を受けた。翌69年に発表されたのが「わたしは黒人であり、それを誇りに思っていることを高らかに言おう」と歌うジェイムズ・ブラウンの「セイ・イット・ラウド~」である。もっとも、ジェイムズ・ブラウン自身は自伝のなかで、「自分に誇りを持てなんて、他人に言われることじゃない」と言っている。ただ、当時としてはこの歌は必要だった、とも。JBの言う通り、ブラック・ナショナリズムには功罪相半ばするところがある。罪の部分としては、白人の同調者を排除したり、アフリカ系アメリカ人のなかの性的、階級的な違いを覆い隠してしまう傾向があることなどがあげられる。

最後に「黒人」という言葉を、「植民地支配を受けて来た人びと」というニュアンスで使ったマルコムXの演説を引用して今回は終わり。

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