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2013年4月6日(土)

「懐かしい声」のデモ・ヴァージョン、ドラム、ベースの入ったものをアップしました。これをもとにした完成ヴァージョンを制作中(アルバム『しびれる機械』収録予定)。


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石川啄木時代閉塞の現状 食うべき詩 他十篇』(岩波文庫、1978)を読み終わった。啄木が明治40~44年にかけて書いた評論、エッセイ、ノートなどを集めたもの。啄木、熱い。一貫して見られるのは、自己と現実の間にゴマカシの論理を介在させることに対する強い嫌悪である。例えば、生活に密着した詩を求める「弓町より ― 食うべき詩」に、言文一致をすすめる立場からこんなことを書いている。

しかし我々が「淋しい」と感ずる時に、「あゝ淋しい」と感ずるだろうか、将又「あな淋し」と感ずるであろうか。「あゝ淋しい」と感じたことを「あな淋し」と言わねば満足されぬ心には徹底と統一が欠けている。大きく言えば、判断=実行=責任というその責任を回避する心から判断をごまかして置く状態である。趣味という語は、全人格の感情的傾向という意味でなくてはならないのだが、往々にして、その判断をごまかした状態のことのように用いられている(61)。

「趣味」という言葉に糊塗されたゴマカシを見すごすことができず、自己の変革を迫る ― そんな 啄木が「一切の法則と虚偽を誤れる概念とを破壊して、在るが儘なる自然の真を提げ来る」(46)自然主義に共感し、「一切の習慣と云ひ道徳といふ社会的法則」(49)の介在を拒んだニーチェに傾倒したのは理解できる。もっとも、自然主義についてはやがて、在るがままを在るがままに見ることが、単なる現状追認につながることに失望を隠せなくなった(77)。ゴマカシを解消するためには、現実の改革もまた求められる。そうした改革の芽が大逆事件という国家の謀略によって押しつぶされようとしたとき、啄木は幸徳秋水が獄中で書いた陳述書や、クロポトキンの禁書を手に入れ、危険を承知でノートに書き写し、無政府主義に対する考察を深めていった。

自分のことは棚にあげてという部分もある。まず奥さんと子供に仕送りしてからだろうとか。しかし、そういう整理のつかなさも、啄木が26歳で死んだことを考えれば、見逃して欲しいとも思う。彼には人生を正当化する時間は残されていなかった。目の前の現実と向かい合うことしかできなかったのだろうと思う。翻って、44歳のぼくはどうか。

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