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2013年4月22日(月)

歩ける、よし、歩けるぞ!もうひと息!

Equiano_0001

オラウダ・イクイアーノアフリカ人、イクイアーノの生涯の興味深い物語』(The Interesting Narrative of the Life of Olaudah Equiano, Or Gustavus Vassa, The African、1789、久野陽一訳、研究社、2012)を読み終わった。スレイヴ・ナラティヴの古典、待望の日本語訳。オラウダ・イクイアーノは1745年、現在のナイジェリア南東部、イボ人の村に生まれた。11歳のときに妹とともに拉致され、アフリカ人の奴隷として各地を転々としたあと大西洋を渡り、ヴァージニアの農園経営者、続いてイギリス海軍のマイケル・ヘンリー・パスカルに買い取られ、「グスタヴス・ヴァッサ」という名前を与えられる。のちに自由民の身分を買い取り、船員として世界をまたに駆ける暮らしをしながら、奴隷貿易反対の運動に関わった。

『興味深い物語』は奴隷体験記の先駆といっていいものだが、典型的なアフリカ人奴隷の体験とは大きく異なっている。イクイアーノは何度も人種差別を受け、口約束をはぐらかされて、煮え湯を飲まされることになるのだが、そうした体験はプランテーションに拘束された他の奴隷たちのそれとは違うものだった。彼を買い取った白人の多くが海運業に携わるものであったため、イクイアーノ自身はプランテーションでの過酷な労働というものをほとんど経験していない。その行動範囲は広く、イタリア、ポルトガルからトルコ、さらには北極圏にまで及ぶ。また、11歳という比較的若い時期に故郷を離れたために、欧米の慣習になじむのも早かった。アフリカを離れて以来、イクイアーノが生まれ故郷の村やそこで暮らす人々に言及することはほとんどない。帰るべき場所として想起されるのはアフリカではなく、イングランドである。もっとも何度もイングランドに落ち着こうとするのだが、その度に見えない糸に引かれるように船の上での生活に戻っていく。いわばイクイアーノは奴隷貿易によって生まれたコスモポリタンであり、彼のキリスト教に対する傾倒もそうした視点から考えるべきだろう。

イクイアーノの行動のなかには、のちのアフリカ系アメリカ人の戦略を予感させるものがある。なかでも、生涯にわたってほとんど常に、白人に与えられた「グスタヴス・ヴァッサ」という名前を使用していたにもかかわらず、この本に限って「オラウダ・イクイアーノ」というアフリカ(っぽい)名を使用したことは、のちのマルコムXアミリ・バラカを思い起こさせる。一方、奴隷貿易反対運動全体がそうであったように、奴隷貿易よりも市場としてのアフリカを、という彼のヴィジョンが、植民地主義に道を開いたということも否定できない。援助よりも開発を、という現在のアフリカをとりまく動きが(それ自体は間違いなく正しい方向なのだが)、同じような搾取の場を用意しなければいいのだが、なんてことまで考えてしまった。

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