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2013年1月7日(月)

明治学院非常勤、後期第十四回目(最終回)。最終回は音楽。コムズカシイこというDJとして、ソウル・ミュージックを紹介した。アメリカの黒人音楽(特に歌モノ)を指す言葉として「ソウル・ミュージック」という名称がさかんに使われたのは、50年代から70年代のごく短い間だといっていい。それ以前は、明らかに差別的なニュアンスを持つレイス・ミュージック、それにとって変わったR&B(リズム&ブルース)という名称が使われていた。ソウル・ミュージック以後は、ブラック・コンテンポラリーという呼び方もあったけど、ヒップホップを経て、ラップではない歌モノの音楽には再びR&Bという言葉が使われるようになった。もっとも、以前とは違ってアールアンドビーと略称で呼ばれることが多いけどね。

じゃあ、ソウル・ミュージックっていうのは、どんな音楽だったのか。まあ、たぶんに雰囲気的な部分も含めて、それは公民権運動の時代とリンクした音楽だったんじゃないかと思う。といっても、ソウル・ミュージックのミュージシャンが公民権運動に積極的に関与していたっていうことじゃない。公民権運動に直接関わっているような人たちが聞いていたのは、少なくとも初期のころはむしろ、モダン・フォークとかだったんじゃないかな。にもかかわらず、ソウル・ミュージックをソウル・ミュージックたらしめている要素は、まさに公民権運動が志したものを反映していた。ひとつはゴスペルへの回帰、もうひとつは黒人と白人の共同作業だ。

黒人教会で歌われている宗教音楽、いわいるゴスペルは、アフリカ系アメリカ人の音楽的、精神的支柱だったと言っていい。土曜に酒場でブルースを歌っていたアフリカ系アメリカ人が、日曜には正装して教会に出かけゴスペルを歌う、っていうのはごく普通のことだった。ブルースマンのなかにもゴスペル曲を録音している人がいるし、ブルースを擁護する説教を残しているエヴァンジェリストもいる。でも、だからといって、教会でブルースを歌ったり、酒場で神の教えを説いたりすることが歓迎されていたわけではない。ソウル・ミュージックの画期的な点の一つは、ゴスペルを世俗音楽に持ちこんだことだ。そのことが、アフリカ系アメリカ人としての自分自身を再評価するという公民権運動の動きともつながっていた。

ソウル・ミュージックのゴスペル回帰ということで、真っ先に名前をあげなければならないのは、レイ・チャールズだろう。盲学校で音楽を学んだレイ・チャールズは、最初、ナット・キング・コールばりの洗練されたスタイルでデビューした。でも、なかなか売れない。そりゃあ、そうだよね。ナット・キング・コールは二人いらない。レイが自分のスタイルを模索するなかでたどり着いたのが、幼いころに黒人教会で慣れ親しんでいた泥臭いゴスペルだったんだ。まずは、レイ・チャールズの演奏を聞いてもらいましょう。

タンバリンの感じなんかも、黒人教会の熱い雰囲気を再現していて、泥臭い演奏でしょ。ちょーかっこいい。レイ・チャールズの場合、わりと有名なゴスペルの曲に、恋とかセックスとか世俗のテーマを歌詞にしてのせる。伝記映画『レイ』なかに、奥さんに「アイ・ガッタ・ウーマン」を聞かせると、奥さんがゴスペルの曲に何てことするのってたしなめるシーンがある。ゴスペルの曲にエッチな歌詞をのせたりすることは許されることではなかったんだ。でも、レイ・チャールズが成功したことで、そうしたタブーは破られていく。

もうひとり、ゴスペルと世俗の音楽の壁を破った人物として名前をあげなければならないのは、サム・クックだ。サム・クックの場合は正真正銘のゴスペル歌手、それもソウル・スターラーズっていう名門ゴスペル・グループにいた。ソウル・スターラーズは、R・H・ハリスっていう素晴らしいシンガーを擁する、とにかくすごいグループなんだけど、そのハリスが突然グループをやめてしまったんで、スターラーズのスタイルを真似た若手のグループで歌っていたサムに白羽の矢が立てられたって言うわけ。でも、サムは単なるハリスの物真似だったわけじゃない。むしろ、ゴスペルに新しい風を吹き込むような溌剌とした声を持っていたんだ。ちょっと聞いてみる?

希望にあふれた声でしょ。時代もあったんだろうけどね。戦争も終わり、景気も上向いている。厳しい人種差別は残っているけど、公民権運動がいよいよ扉を開こうとしていた。時代は良い方向に向かうと信じられる時代。サム以前、30年代から40年代ぐらいまでのゴスペルはちょっと違う。もちろん、神の救いに思いを託しているんだけど、驚くほど陰鬱。むしろ、ほとんど希望がないなかで、ほんの少し見える光にすがりつこうとするような、ギリギリの救いだと言っていい。それが黒人教会という閉ざされた場所で爆発する。サム・クックのいないソウル・スターラーズ(サム脱退直後、リード・ヴォーカルはポール・フォスター)のすごい映像を見つけたので、ちょっと見てみよう。

サム・クックの歌とはだいぶ違う感じがしたんじゃないかと思う。サム・クックはね、顔もつるんとしてイケメンでしょ。教会に来る女の子たちも夢中になったらしいよ。かわいい男の子が教会で歌ってる、しかも、歌もうまい。建前上はね、神さまのために集まるわけだけれども、そこは人間だからね、やっぱりステキ!ってなるよね。そんなサムをショービズの世界が放っておくわけがない。でも、教会の人たちはやっぱり世俗に転じたゴスペル歌手に厳しいみたいだけどね。サムも最初はデイル・クックっていう変名でデビューしなきゃならなかった。でも、やがて「ユー・センド・ミー」のようなヒット曲にもめぐまれる。ゴスペル時代の泥臭さはあんまりない甘いバラードだけどね。でも、ウォウウォウウォウっていうフレーズは、ゴスペル時代から得意としているものだね。泥臭いゴスペルの感じがポップ・シンガーとしてのサムの歌に色濃くあらわれるようになるのは、さまざまな経験を積んだあとのことだ。例えば、こんな感じ・・・

晩年、サムは公民権運動、それもわりと過激な側に接近していった。当時ネイション・オヴ・イスラムにいたマルコムXカシアス・クレイ(モハメッド・アリ)との交流もよく知られている。後輩のミュージシャンに活動の機会を提供するため、サーっていうレコード・レーベルを始めたり、精力的に働いていたんだけど、1964年、モーテルで娼婦に撃ち殺されるという謎の死に方をしている。32歳の若さだった。

ところで、さっきからゴスペル回帰とか、ゴスペル的な、とか言ってるけどね、ゴスペル音楽の特徴ってどんなんだろう。ちょっとまとめてみると、こんな感じになる。

1. 同じコードのくり返し
2. コール・アンド・レスポンス
3. メリスマの効いた歌い方
4. 高揚感

1~3の特徴はね、ゴスペルに良くあるものなんだけど、すべてのゴスペルに当てはまるわけじゃない。ましてや、すべてのソウル・ミュージックが忠実にこれらの要素を守っているっていうわけじゃないんだ。でも、4に関してはね、これはもう、高揚感のないゴスペルとかソウルっていうのはありえないんじゃないかって、ぼくは思う。これはね、単に盛りあがってアゲアゲになるっていうのとはちょっと違うんだ。ピーター・ギュラルニックっていう人が、ソウル・ミュージックの楽しみっていうのはアルフレッド・ヒッチコックのいう「すべてわかっている楽しみ」に近いっていってる。サスペンス映画を見ると、あ、これは来るな、来るな、なんか来るな・・・って思うでしょ。で、うわぁあああああ、きたぁあああああ!!って恐ろしい瞬間が来るわけだけど。ゴスペルとかソウルとかの「高揚感」っていうのも、ドーンって盛りあがって終わりじゃなくて、さあ、これからピークが来るぞ、来るぞ、来るぞ・・・っていう感じなのね。もうピークかな?と思うと、まだまだ、まだ来ない、まだ上がある。どこまでも、ピークを先延ばしにされる楽しみ。

これはね、もしかすると、何度も自由になれると言われながら、その日を先延ばしにされてきたアフリカ系アメリカ人の歴史とも関係あるのかもしれない。例えば、サム・クックの「チェンジズ・ゴナ・カム」、長い長い時間がかかったけど、きっとその日は来る。先延ばしにされ続ける「その日」に手をのばし続ける、そのことが狂おしいまでの高揚感を生み出す。あるいは、暗殺される前日に行われたマーティン・ルーサー・キング最後の演説。自分の身に死が差し迫っていることを予感しながら、キング師はそれはもう問題ではないという。「なぜなら、私は山頂に登ってきたのだから」 山頂に登っていつか行くことになる約束の地を見てきたのだから。キング師の言葉に会場は異様な高揚感に包まれる。

さて、ソウル・ミュージックを特徴づけるもうひとつの要素としてあげておかなければならないのが、白人との共同作業だ。これはまさにアフリカ系アメリカ人と白人の心ある人々が力を合わせて人種の壁を突き崩そうとした公民権運動との同時代性を感じさせる要素だね。アメリカの特に南部には人種を超えた共通の音楽的な母胎があって、ブルースもカントリーも同じところから生まれたようなところがある。でも、だからといって、白人のミュージシャンと黒人のミュージシャンの共演が表立って許されていたわけではない。ようやく、50年代になって、そうした壁が少しずつ崩されていく。まずは黒人音楽に理解のある白人の経営するレコード会社が出てきたこと。なかでもトルコからの移民アーメット・アーティガンらが経営するアトランティック・レコードはレイ・チャールズをはじめとする数多くの黒人ミュージシャンを見出したことで知られている。メンフィスのスタックスなんかも、最初は白人の姉弟の経営だった。もちろん、こうした経営者が黒人ミュージシャンを搾取しなかったかどうか、そのへんはいろんな意見がある。ただ、以前よりも黒人音楽にはるかに理解があったことは確かだ。

それから、聞き手にとっては、ラジオの普及が大きい。ライブ会場や酒場は黒人と白人で分けられても、ラジオの電波は分けられない。もちろん、放送局は違うんだけどね。ダイヤルを回せば白人の若者でも黒人局のブルースやロックンロールが聞けるわけだ。こうした背景もあって、黒人音楽に夢中になった白人の若者のなかから、黒人のなかに入り込んでいっしょに演奏するミュージシャンが生まれてくる。さっき話したメンフィスのスタックスで伴奏をしていたブッカー・T&MGsっていうグループなんかは、4人のメンバーのうち半分、ベースとギターが白人だ。マイアミのマッスル・ショールズってところでは、バック・ミュージシャンはほとんど白人だったしね。そして、スタックスの白黒混合の環境のなかから生まれた、南部らしい、泥臭いソウル・ミュージックで人気を獲得したのが、ぼくがもっとも敬愛する歌手、オーティス・レディングだ!

すごいでしょ。バックに白人がいたのにも注目ね。ぼくがオーティスに夢中になったのは、忌野清志郎っていう人が好きでね、キヨシローがオーティス、オーティスって言ってたからなんだけど・・・オーティスはやがてモンタレー・ポップ・フェスティヴァルっていう当時のロック・フェスティヴァルなんかにも出て、白人の若者にも熱狂的に受け入れられていく。そのステージで「俺たち愛し合ってるってことだろう!?」って言ったんだけどね、これがRCサクセション時代のキヨシローの決め台詞「愛し合ってるかい?」になっていくというね・・・まあ、オーティスについて言えば、ヒッピーの「愛と平和」っていうのを意識してたんじゃないかと思う。そういうふうに人種の壁を越えてしまうおおらかさのある人だったみたいなんだよね。残念ながら、彼も26歳の若さで飛行機事故で死んじゃった。

この後、レディ・ソウルを代表して映画『ブルース・ブラザーズ』からアレサ・フランクリン「シンク」の映像を見たあと、もうひとりの巨人、ファンクの帝王ジェイムズ・ブラウンライブ動画を流しながら、授業を終えた。

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