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2012年12月18日(火)

「こうすると白菜がしんなりするでしょう」「はい」「裏返してごらん」「はい?」「逆もまたしんなり」「…」

國學院非常勤、後期第十三回目。年内最後ということで、何か楽しいものをと思い、冗談音楽の巨匠スパイク・ジョーンズとシティ・スリッカーズの「黒き瞳」を聞いた。学生の受けはイマイチ。『ジャズの誕生』続き ― 軍楽隊の人気はナポレオンのフランスでピークに達した。パレードやコンサートはすぐにアメリカで人気がある野外の娯楽のひとつになった。黒人もまた自分たちのバンドを持っていた。1853年の南部への旅について書くなかで、F・L・オルムステッドは「すべての南部の街に、黒人で構成された、しばしば優秀なバンドがあった。軍事パレードを伴奏するのは、通常は黒人のバンドだった」と述べている。

日本女子大非常勤、第十三回目。ジンバブウェと南アフリカについて。まずは2003年にハラレ・ガーデンで行われたブックフェアで撮った、ムビラ・ゼナリラの演奏で観客が踊り狂う映像を見た。前回、マサさんのワークショップでムビラ音楽の音色の美しさ、アンサンブルの複雑さは伝わったと思う。でも、もうひとつ知ってもらいたいことがある。ムビラ音楽はダンス・ミュージックなんだ。すごいでしょ、みんな踊りまくっている。そのなかに、なんか黄色い小太りのおっさんでてきたね(笑)。はい、ワタシです。アフリカ人の男と嬉しそうに抱き合っている。これは前年、同時期にハラレにいたMさんとブックカフェにムビラ・ゼナリラの演奏を見に行ったときのできごとが関係していて・・・と、授業で話したエピソードを以前に書いた旅行記から引用してみよう。

Mさんに8分の6拍子ポリリズムの面白さを説明していると、前のほうに座っていたドレッドのアフリカ人がこちらを向いて手招きしている。すでにかなり酔っ払っている。名前を聞くとタウライと言う。俺はスカルプチャ(彫刻)をやっている、海外からだって注文が来るんだぜ・・・と紹介文の書かれた紙を取り出す。タウライ・メマトンボ。1972年、ジンバブエ生まれ・・・1990年、リチャード・ムツキの指導のもと、彫刻をはじめる・・・ふーん。しばらくすると彼の友だちジェキ(彼もスカルプチャをやっている)が戻ってきた。こちらは丸顔の人のよさそうな男。席に着くなりMさんを口説きはじめる。演奏はどんどん盛りあがってく。みんな踊りだす。拍子木の人が先導役になって次々と客を煽る。ぼくとMさんもどちらかが相手の荷物を見張って、交代で踊ることにする。踊る踊る踊る。ジェキはMさんを口説きつづける。テーブルに戻ってくるとタウライはすでにべろべろに酔っ払っていた。そして・・・「ここではハートを強く持たなきゃいけないぞ。バッグは置いていけ。俺を信用しろ」・・・おおっと(笑)、そうはいくかい。お前じゃなくても、どこに盗人がいたっておかしくないじゃないか・・・「あのな、このカバンにはお金とか高価なものは何も入っていない。でも、お前のようなここで出会った友だちの住所や電話番号が書かれたノートが入っている。お前のことは信用しているよ。でも、こいつを失くしたら友だちに対する裏切りになる」と言った。するとタウライは目の奥をウルウルさせてうなづきながら、自分の紹介文をぼくのカバンのなかに押し込もうとする。かわいいやつだ(笑)。その間もジェキはひたすらMさんを口説き続けている。タウライはますます酔っ払ってぐでんぐでんになり、女性に抱きついたりして嫌がられている。そして演奏はどこまでも盛りあがっていって・・・ブック・カフェ中がお祭り騒ぎのカチャーシー状態。ぼくらはタクシーを予約していたので10時で帰ったが・・・すごかった。ムビラというのはああいう場でも使うことのできるものなんだ・・・

ビデオのなかで抱き合っていたのは、一年ぶりに再会したジェキだった。

Mapfumome

次に「ジンバブウェのライオン」として知られるミュージシャン、トーマス・マプーモを紹介。さて、この写真。左側にいるのがそのトーマス・マプーモです。それでは右側は誰でしょう・・・そうです、若き日の私。ヒラオです。今これをお見合い写真に使うと詐欺で訴えられるね。マプーモが1991年に来日したとき、いっしょに撮ってもらったものです。トーマス・マプーモは1940年、ジンバブウェ南東部のモンデロ生まれ。ショナ人の伝統的な習慣が残る農村で、ムビラ(親指ピアノ)やンゴマ(太鼓)などによる伝統音楽に触れて育ちました。でも、10歳の時に家族と首都ハラレのタウンシップ=ムバレに移る。ムバレはハラレの都心部にあるタウンシップで、雰囲気はやや荒っぽい感じ。16歳のころ、ズトゥ・ブラザーズっていうバンドに加わって、音楽活動を開始する。最初はね、オーティス・レディングとか、エルヴィス・プレスリーとか、欧米の音楽のコピーをやっていたらしいんだけどね。ハレルヤ・チキン・ラン・バンドっていうバンドにいたころ、北部の炭鉱労働者を相手に演奏しなくちゃならないことがあってね。欧米のコピーが全然受けなかった。一計を案じたマプーモはムビラをミュートしたギター、ホショ(マラカスのような楽器)をハイハットに置きかえて、伝統音楽をバンドに応用したんだ。その後、アシッド・バンド、ブラックス・アンリミテッドとともに独自のサウンドを確立したマプーモは、70年代後半、激化する独立戦争のなかで、アフリカ人ゲリラの立場にたった歌詞や、農村の惨状を訴えた歌詞何かを歌ったんで、ローデシア政府に目をつけられて、ジンバブウェ独立直前に逮捕されている。それがまた彼の人気を高めたんだな。ジンバブウェ独立後は次第に腐敗するムガベ政権に対する批判を歌に込めるようになって、現在はほとんど亡命のような形でアメリカに渡って、そこで暮らしている ― というわけで、サイモン・ブライト監督の映画『ムビラ・ミュージック』から、マプーモ&ザ・ブラックス・アンリミテッドの演奏を見た。

トーマス・マプーモ永遠のライバルと言われているのが、オリヴァー・ムツクジ。もともとはマプーモのバックバンドだったワゴンホィールズのメンバーとしてデビューするんだけど、すぐにソロになった。ムツクジのパフォーマンスはマプーモとはかなり違うね。マプーモがミステリアスな感じなのに対し、ムツクジは隣のあんちゃんみたいな、親しみやすいスタイルだね。音楽的にもムビラ音楽を基本にしたマプーモとはちょっと違う。でも、ジンバブウェ各地の民俗音楽をもとにしているらしいんだけどね。政治的にはマプーモのようにムガベ大統領と正面からぶつかり合うんじゃなくて、同じジンバブウェ人なんだから仲良くしましょうって感じで和解を呼びかけている。息子のサム・ムツクジもミュージシャンでね、将来を嘱望されていたんだけど、数年前交通事故で亡くなってしまった。そのショックもあったのかな、今年の夏ジンバブウェに行ったときには、引退するって話だった ― ここで、BBCのドキュメンタリーからムツクジの演奏シーン ― ね、ユーモアにあふれていて、男らしい感じでしょ。

このあと、ジンバブウェからもうひとり、盲目のシンガー=ポール・マタヴィレを紹介。映画『ムビラ・ミュージック』から、就職の面接に来た女性にセクハラするスケベ社長を演じることマタヴィレのパフォーマンスを見せた。音楽が教育やガス抜きの手段として使われていることがわかってもらえればと思う。

さて、次に南アフリカの音楽を紹介しよう。南アフリカの音楽といっても、いろいろあってね。ジンバブウェもそうだけど、南アフリカを含む南部アフリカでは独自のアフリカン・ジャズがあって、人気が高かったりする。今日はまず、南アフリカで発展したコーラス音楽を紹介したいと思う。この種の音楽は、ズールー語で「ライオン」を意味する「ムブーベ」なんて呼ばれたりすることもあるんだけどね。この「ムブーベ」という呼び方の由来になったのが、ソロモン・リンダとイヴニング・バーズの「ムブーベ」という曲。たぶん、みんなも知ってるよ。ウ~ウウ~ウ~ウ♪『ライオン・キング』なんかでも使われてるらしいね。「ライオンは寝ている」っていう曲。この曲のもとになったのが、ソロモン・リンダの「ムブーベ」だ。聞いてみよう ― ね。ちょっと荒っぽい感じだけど、かっこいいでしょ。ソロモン・リンダが即興で作ったらしいね。この曲はのちにピート・シーガーウィーヴァーズっていうフォーク・グループに「ウィモウェ」としてとりあげられ、のちにトーケンズ「ライオンは寝ている」になった。今では世界中のアーティストにカヴァーされているけど、作者であるリンダには著作権料は一切支払われていないことが、テレビ・ドキュメンタリー『ライオンの歌はどこへ行ったのか』(A Lion's Trail、フランソワ・ベスタ―監督、2002)で告発されている。

もうひとつ、南アフリカの泥臭い音楽スタイルを紹介しよう。ムバカンガ ― ズールー語でトウモロシ粉のお粥を意味する名前で呼ばれる音楽だ。1960年代に南アフリカのシビーンと呼ばれるもぐり酒場で発展した。西洋の楽器を使って、マラビ、クウェラといったジャズの影響を受けた音楽とズールー人の伝統的な音楽が融合することによって、独自のスタイルが生まれた。59年に結成されたダーク・シティ・シスターズは、伝統的なコーラスを基本にエレキ化を強めた伴奏とビートで南アフリカ独自のポップ・スタイルを作り上げることに成功。ダーク・シティ・シスターズと一時期いっしょに活動していたのが、唸るような歌い方で知られる男性シンガー=サイモン・マハラティーニ。60年代後半からマホテラ・クイーンズとの共演でより幅広い人気を獲得するようになった。今日はマホテラ・クイーンズの貴重な映像を見てみよう。

Nehanda_2

授業後半は、こうした素晴らしい音楽を生みだしたジンバブウェと南アフリカの苦難の近代史について述べた。南アフリカでは、ズールー戦争などによってアフリカ人が制圧される一方で、オランダ系移民(ボーア人、アフリカーナ―)と後発イギリス人との対立が深まり、ボーア戦争へとつながっていく。1910年の鉱山労働法や、1913年の原住民土地法、1927年の背徳法(黒人と白人が恋愛をしただけで処罰の対象となる)などによって整備されつつあったアパルトヘイトは、1948年にアフリカーナ―民族主義を掲げる国民党が政権に就くことによって強化され、1961年いイギリス連邦から独立、翌年ネルソン・マンデラが逮捕されている。一方、ジンバブウェではイギリス南アフリカ会社が鉱山開発権を獲得。マタベレランドやマショナランドが統合され、ローデシアと名づけられた。1896年にはアンブーヤ・ネハンダの闘い(第一次チムレンガ)といった抵抗もあったが、1923年には白人のみの住民投票で、南ローデシア自治政府が樹立される。1965年には黒人に参政権を与えることを拒否して、イギリスに一方的に独立を宣言した。

Soweto

南アフリカでは、1976年にソウェト蜂起(写真)が起きる。アフリカーンス語教育の導入に反発した高校生によるデモで、多くの若者が殺された。同じころ、ジンバブウェではゲリラ闘争が激化(ここで歌でゲリラの士気を高めるコムレイド・チンクスの映像)。血みどろの戦いの結果、80年に独立を勝ち取り、87年にはゲリラ闘争の指導者で当時首相だったロバート・ムガベが大統領に就任する。南アフリカでは遅れること13年、1993年になってようやくアパルトヘイトが全廃され、翌年、全人種参加の総選挙でアフリカ民族会議が勝利し、ネルソン・マンデラが大統領に就任した。

最後に、現在のジンバブウェが抱える問題について。独立後も白人農場主が残ったこと、2000年に白人農場主から土地を強制収用したことによって、欧米諸国から経済制裁を受け、ハイパーインフレへと突入した。失政があったことは確かだが、そこには植民地主義の負の遺産としての土地問題があり、ムガベ大統領ひとりの責任にはできないこと、ジンバブウェには不正はあるにしても民主的な選挙制度が機能しており、日本で言われるような「世界最悪の独裁国家」というのとはだいぶ状況が違うこと、2008年の選挙後、ムガベが大統領、民主改革運動(MDC)モーガン・ツァンギライが首相となり、連立政権が成立したが、予断を許さない状況であることなどについて話した。

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