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2012年11月26日(月)

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明治学院非常勤、後期第十回目。マルコムXブラック・パンサーについて。マルコムXとマーティン・ルーサー・キング、2人の指導者はアフリカ系アメリカ人の地位向上という同じ目標を掲げながら、いろいろな点で対照的だった。キング師は南部の比較的裕福な家庭に生まれて、神学の博士号を持つインテリ。北部の大学に残って研究を続けることもできたんだけど、人種差別の強い南部に戻ってきて牧師になり、公民権運動の指導者として頭角を現す。一方、マルコムXは貧しい家庭の出身で、若いころは賭博や盗みに関わる札付きのハスラー(ちんぴら)だった。生まれは南部だけど、活動の拠点は北部のゲットーだったといっていい。キング師は言うまでもなくキリスト教の牧師。マルコムはネイション・オヴ・イスラムっていう黒人のイスラム教団体の指導者。それから、キング師と言えば非暴力だけど・・・マルコムは?暴力?いや、そうじゃない。キング師の非暴力に対し、マルコムには「自衛」という言葉を当てるべきだと思う。マルコムは自衛のための暴力を否定しなかったけれど、自ら積極的に暴力的行為に加担したことはない。

マルコムXはメッカ巡礼のあと大きく変わった、大きく変わってキング師に近づいたって言われる。ほんとうにそうだろうか。メッカの巡礼を通してマルコムが変わった、これは確かだ。でも、すべてキング師と同じようになったかっていうと、それは違うと思う。メッカ巡礼のあと、マルコムは「白人はすべて悪魔だ」といった極端な考えを捨てた。でも、だからといって、アメリカにおける白人が危険な存在であるという考えも、自衛のための暴力も放棄したわけではないんだ。逆にキング師がマルコムに大きく近づいた点もある。キング師は基本的にアメリカの国内の問題として人種問題を捉えていたと思う。国内で考える限り、アフリカ系アメリカ人は少数派だ。一方、マルコムXは問題を国際的に考えようとしていた。1963年の演説で、1955年のバンドン会議を取りあげて、肌の色が黒、茶、赤の「黒人」は、グローバルな視点で見れば、少数派ではないって言っている。死ぬ1年前にベトナム戦争反対を打ち出したキング師は、こうしたマルコムのグローバルな視点に大きく近づいたとも言えるんじゃないかな。

グローバルな視点で見れば、黒人は少数派ではないっていうマルコムの考えだけどね、ここでいう「黒人」っていうのは必ずしもアフリカ系の人たちではないね。バンドン会議っていうのは、アジア・アフリカの新興独立国、ようするにそれまで植民地支配を受けていた国々が集まった会議だ。ここでマルコムが「黒人」という言葉でくくっているのは、植民地支配を受けてきた人びとであって、アフリカ人の血を引く人たちではない。もちろん、まだ肌の色っていうことにこだわっているけれども、ここにはメッカ巡礼での目覚めにつながっていく部分があるような気がするね。1964年、ネイション・オヴ・イスラムと袂を分かったマルコムは、イスラムの聖地メッカを巡礼する。そこで、白い肌、青い眼のイスラム教徒が、他のイスラム教徒と兄弟として振る舞っているのを見て驚き、問題が人種や肌の色ではなく、植民地支配や人種差別をしてきた側か、されてきた側かという点にあるのだということに気づく。ということは、人種差別を続けているアメリカの白人はやはり特権を手放さない「ボス」であり、彼らの暴力から身を守るためには自衛のための暴力も必要だ、ということになる。

マルコムXというとね、暴力的な逆人種差別主義者のイメージを持つ人もいるかもしれないけど、ぼくの考えはちょっと違うな。マルコムのメッセージは白人よりもむしろ同胞に向けられていた。自分自身が何ものか知り、そして、そのことに誇りを持て。マルコムが言いたかったのは、そういうことだ。

あなたがたはメイフラワー号でここにやってきたのではありません。奴隷船でやってきたのです。馬や牛や鶏のように、鎖につながれて。そう、メイフラワー号でやってきた人たちによって、ここに連れてこられたのです。いわいるピルグリム・ファーザーズ、建国の父祖たちによってつれて来られたのです。彼らこそが、あなたがたを拉致してきたものたちです。

自分たちは奴隷の子孫である。みんながわかっているけど認めたくなかったことを、マルコムははっきり指摘した。そして、そこから出発するしかないんだと。そのことを誇りに思えと。それこそがマルコムのメッセージだったんだ。来週から、マルコムがどういう道筋をたどってこうした考えに至ったのかを知るために、波乱に満ちたマルコムの生涯を描いたスパイク・リー監督の映画『マルコムX』を見たいと思います。

このあと、マルコムから「自衛」の考えを受け継いだブラック・パンサー(自衛のためのブラック・パンサー党)の話をした。ブラック・パンサーが毛沢東の革命思想に近づき武装化を図る一方で、信号のない交差点での交通整理、児童への給食プログラムなどのコミュニティ活動にも熱心だったこと、ブラック・パワーを唱えるストークリー・カーマイケルはともかく、創立メンバであるヒューイ・ニュートンボビー・シールは白人革命家との連携にも熱心だったことなどについて話した。

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