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2012年11月19日(月)

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明治学院非常勤、後期第九回目。マーティン・ルーサー・キングを中心に公民権運動について。アフリカ系アメリカ人の公民権運動には、キング師の登場以前と以後で大きく変わった点がある。キング師以前の運動は裁判闘争が中心だった。裁判で不正を明らかにすることはもちろん重要だ。しかし、人種差別社会アメリカでは、裁判官も陪審員も白人ばかり。人種差別を違法とする判決が出される可能性は低い。しかも、一度反動的な判決が出ると、それが判例となって残ってしまう。実際、「隔離すれども平等」なら構わないとするプレッシー対ファガーソン裁判の判決は、後々まで判例として残ってアフリカ系アメリカ人の地位向上のための運動を停滞させた。

キング師以降の公民権運動は、裁判闘争に加えて、大衆を動員した直接行動を重視した。具体的にいうと、デモや座り込みだ。キング牧師の場合、それを非暴力でやる。でも、非暴力ばかり強調すると、キング師の運動の先鋭さを理解しそこねることになる。キング師の非暴力は不服従とセットで考えなければならない。バーミングハムの獄中から書いた手紙のなかで、キング師は次のように述べている。

あなたがたが次のように問いかけているのはもっともです。「なぜ直接行動をするのか。なぜシットインやデモ行進をするのか。もっとよい交渉という手段があるではないか」と。あなたがたが交渉を呼びかけているのは全く正しいのです。実際、これこそがまさに直接行動の目的なのですから。非暴力直接行動が求めているのは、交渉をたえず拒否してきた共同体が提起されている問題に直面せざるを得ないような危機を作り出し、緊張を生み出すことなのです。つまりもはや問題を無視できないように劇的に提示しようと求めているのです。私が非暴力的抵抗の一つとして緊張を作り出すなどと言うと、驚かれるかもしれません。しかし、私は「緊張」という言葉を使うのを恐れないと申し上げなければなりません。もちろん、私は暴力的な緊張には断固反対です。しかし成長のために必要な建設的な非暴力的緊張というものもあるのです。

キング師は1955年のモントゴメリーのバス・ボイコット事件で、非暴力不服従の指導者として頭角を現した。この運動は、歩いたり車を融通し合ってたりしてバスをボイコットし続ける人びとの姿を通して、そこに問題があることを示したのである。1963年のバーミンガムの「C計画」(Cは「対決」=Confrontationの頭文字)闘争では、平和なデモ隊が警察犬をけしかけられたり、高圧ホースで吹き飛ばされたりする姿が報道されることによって、人種差別が解決するべき緊急の問題であることが広く意識されるようになった。キング師はその後も、ワシントン大行進における「私には夢がある」の演説などによって公民権運動を牽引しつづけたが、1968年、メンフィスで凶弾に倒れた。

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キング師の運動に刺激を受けて、大学生を中心とした当時の若者たちも公民権運動に身を投じた。1960年にノースカロライナ農工大学の黒人学生4人が、白人専用ランチカウンターに座りコーヒーを注文、拒否されても閉店まで座り続けた。この「シット・イン」の運動は、即座に白人を含む周辺の学生を動かし、ノースカロライナ州全域、さらに全米9州に及ぶ地域に広がっていった。各地で人種隔離が廃止される一方、運動に参加した学生たちは、学生による公民権運動の組織として、学生非暴力調整委員会(SNCC)を結成した。

しかし、公民権運動に対する人種差別主義者側の反動にはすさまじいものがあった。1961年、バス・ターミナルの諸施設における人種隔離を禁じた最高裁判決(ボイントン対ヴァージニア事件判決)が実際にどれだけ守られているかを調査するため、黒人・白人を含む人びとがバスに乗って首都ワシントンからルイジアナ州ニューオリンズまで移動するフリーダム・ライド運動は、人種差別主義者の執拗な妨害に遭い、バスは炎上、多くの怪我人逮捕者を出して、バーミングハムで中止を余儀なくされるが、その後、新たな「乗客たち」を補充し、ミシシッピ州ジャクソンに到着した。

1955年には、夏休みを利用してシカゴからミシシッピ州の叔父の家に遊びに来ていた黒人の少年エメット・ティルが、雑貨屋の主婦に声をかけた(あるいは口笛を吹いた)という些細な理由から惨殺され、頭部がほぼ横半分に割れた無残な遺体となって発見された。エメット・ティルの母親は人種差別の悲惨さを訴えるために息子の棺をオープンカスケットにし、あえて遺体を人目にさらした。容疑者は白人ばかりの陪審員により無罪となり、裁判のやり直しが行われたのは2004年になってからのことだった。

同じような人種差別主義者の暴力はその後も続いた。1963年、ケネディ大統領がテレビで公民権法の推進を誓う演説をしたその夜、NAACPミシシッピ州支部ディレクターのメドガー・エヴァーズが、自宅前で何者かの銃弾に倒れた。このときも、容疑者は一審、二審とも証拠不十分で無罪。三回目の裁判が行われ、有罪の判決が下されたのは事件から30年以上たった1989年のことだった。1964年にはSNCCで公民権運動のために活動していた3人の学生がKKKによって殺害され、18人の容疑者が裁判にかけられるが、無罪。2005年に裁判のやり直しが行われ、容疑者の一人が有罪になった。

J・B・ルノアーのブルース「ダウン・イン・ミシシッピ」(1966)はこうした時代背景をもとに、南部の人種差別を告発した内容になっている。

ウサギの禁猟期ってのがある
ウサギを撃ったら、あんた、刑務所行きだ
ところが人には禁猟期なんてない
誰も保釈金を払う必要はないのさ
ミシシッピじゃ
俺が生まれたミシシッピじゃ・・・


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