無料ブログはココログ

« 2012年11月12日(月) | トップページ | 2012年11月15日(木) »

2012年11月13日(火)

「孤独のなか、さびしくて、さびしくて、さびしさのあまり死んでしまった」というウサギさんのような死に方でないかぎり、「孤独死」なんて言葉は使うべきではない。一人で死ぬのが不幸とはかぎらない。人の生き方、死に方をひとつの型にはめて評価すべきではない。

國學院非常勤、後期第八回目。『ジャズの誕生』、今日からニューオリンズの歴史に入るので、時代は違うがダーティ・ダズン・ブラス・バンドでご機嫌をうかがった ― ニューオリンズはジャズの歴史において重要な位置を占めている。82年に渡ってラテン=カトリックの領土だったが、ルイジアナ購入の後、イギリス=プロテスタントが支配的な国の一部になった。ニューオリンズの音楽のパターンは、時に西インド諸島のさまざまな島々のそれに似ている。しかしながら、(ニューオリンズにおける)西アフリカ音楽とヨーロッパ音楽の混交の組み合わせやタイミングは独特であり、新しい音楽の誕生につながった。なぜなら、ニューオリンズの環境はアメリカの残りの地域のそれとは決定的に違っていたからである。

日本女子大非常勤、第八回目。今回と次回、2回にわたってナイジェリアを特集する。今回は主にナイジェリア南西部を本拠とするヨルバ人の音楽・文化について。まずはナイジェリアと言えばこの人、キング・サニー・アデのライブ映像を見ながら授業開始。ワールド・ミュージックの火付け役となったサニー・アデの音楽について、当時を知らない大学生に説明する。といっても、サニー・アデが来日したときには、ぼくもまだ高校生。実際に見に行ってはいないんだけどね。アフリカの音楽っていうと、太鼓なんかの生楽器を中心とした民俗音楽ってイメージが強いかもしれないけど、サニー・アデはヨルバ人の伝統的な音楽をもとにしながらも、エレキ・ギター、ベース、ドラム、スティール・ギターといった欧米の楽器、さらにはシンセサイザーやリン・ドラムを使い、ロックやファンクの要素も取り込んで、革新的なサウンドをつくった。今まで紹介したユッスー・ンドゥールとかサリフ・ケイタもそうだけど、アフリカの人はこういうの得意だね。アルバムはたくさん出ているので、どれか一枚っていうことになると、やっぱり1983年の『シンクロ・システム』かな。

サニー・アデがやっている音楽はジュジュ・ミュージックと呼ばれている。ヨルバ人の伝統的なパーカッションやパーム・ワイン・ミュージック ― ギター弾き語りで歌われるゆったりとした西アフリカのポピュラー音楽で、パーム・ワインっていうのは、椰子の樹液からつくったお酒のこと ― から発展した。ジュジュっていうと、ヨルバ人の呪いなんかもジュジュっていうんだけど、それとは別の意味らしいよ。サニー・アデの前にもいろんなミュージシャンがいてね、例えば、はじめてジュジュ・ミュージックを録音したトゥンデ・キングとか、当時の最新楽器だったアコーディオンを取り入れたI・K・ダイロとか、アデが出てくるまではいちばん人気のあったエベネザー・オベイとか。アデのあとにもデレ・アビオドゥン、セグン・アデワレシナ・ピーターズなんて人たちが登場している。

華やかなジュジュ・ミュージックとは別に、ヨルバ人によく聞かれている音楽にフジをはじめとするイスラム系の音楽がある。現在ではヨルバ人にはキリスト教徒が多いんだけどね。かつてはイスラム教が支配的だった時代があった。フジっていうのはそのころ、ラマダン(断食)明けを知らせるアジサリと呼ばれる少年が、太鼓を叩きながら甲高い声で歌う音楽がもとになっていると言われている。もう亡くなったけど、フジを代表するミュージシャンのひとり、シキル・アインデ・バリスターのPVを見てもらいましょう・・・すごい世界でしょ。わけわかんない(笑)。しかも、驚くのはこれが民俗音楽ではなくて、毎月ヒット曲が出る、AKBとかEXILEと同じようなポピュラー・ミュージックとして受容されていることだね。ジュジュが比較的裕福な人びとに人気があるのに対し、フジは貧困層の人気が高いっていう話もある。フジのミュージシャンには他に、コリントン・アインラ、ワシウ・アインデ・バリスター、アデワレ・アユバなんかがいる。シキル・アインデ・バリスターによると、フジって名前は彼がある空港で見かけた富士山の写真に由来するって言うんだけど、ほんとかな?

さて、もうひとり、ヨルバ・・・というか、ナイジェリアの音楽を語るうえで、欠くことのできない人がいます。フェラ・クティです。アフロ・ビートと呼ばれる彼の音楽は、ジェイムズ・ブラウンなんかに代表されるアメリカ黒人の音楽ファンクに近いところがあります。実際、アフリカ・ツアーでナイジェリアを訪れたジェイムズ・ブラウンの音楽に大きな影響を受けたとも言われている。その一方で、ジェイムズ・ブラウンのバンドのメンバーもフェラ・クティのパフォーマンスを見に来ていて、フェラ・クティのバンドのドラマー=トニー・アレンのバスドラのパターンをメモっていったという話もあって、影響は双方向的だったみたいだね。黒人解放運動家でもあったフェラは、経営するライブハウスを「シュライン」、自宅の敷地を「カラクタ共和国」と呼んで、最低限の衣服しか身につけずに、大勢の妻たちと暮らしてた。腐敗するナイジェリア政府を批判し続けたんで、何度も弾圧された。1977年には自宅がナイジェリア軍の襲撃を受けて、建物は炎上、当時77歳だったフェラの母はこのときの怪我がもとで亡くなっています。残念ながら、本人も97年にエイズで亡くなってしまいました。現在は息子のシェウンがフェラのバンドを受け継ぎ、もうひとりの息子フェミがライブハウス『シュライン』を再建して、それぞれミュージシャンとして活躍しています・・・実は来週、この授業が終わった後、先生は来日するシェウンのライブを見に行ってきます!授業終ったら、大急ぎで渋谷に行くので、意地悪して長い質問とかしないでね(笑)。

さて、音楽の話はこれくらいにして、少し文学の話をしましょう。音楽もそうだけど、ヨルバ人の文学は独特の濃厚な世界があります。それは、ヨルバ人の神話や民話がとても豊かであることと関係がある。ヨルバ人の民話をもとに独自の世界を展開したヨルバ人作家にエイモス・チュツオーラがいます。この人は民話の丸写しだとか、政治性がないとか、稚拙な英語でヨーロッパ人のアフリカに対するステレオタイプを助長しているとか、いろいろと批判されることも多いんだけどね。まあ、それもあたっていなくはない。でも、この人の作品 ― 例えば、代表作の『やし酒飲み』なんかを読むとね、これが抜群に面白いんだ。ぼくもこの授業のためにもう一回読み直してみたけどね。べらぼうに面白い。

『やし酒飲み』はね、やし酒飲むことしか能がない金持ちのぼんぼんの話。まあ、やし酒を飲むっていうのが、「能」っていえるかどうか疑問だけれども・・・そして、金持ちのお父さんがまたいけない。息子に広大なやし畑と専属のやし酒職人を与えてしまう。甘やかしすぎだね。ぼんぼんのやし酒飲みは日がな一日、やし酒を飲んで暮らしている。ところが、そんななか、ある日突然、お父さんが死んでしまう。続けざまに、やし酒職人もやしの木から落ちて死ぬ。困ったのはやし酒飲み。やし酒を手に入れようといろいろと手を尽くしてみるんだけど、亡くなった職人のつくったもの以上のものはどうしても手に入らない。やがて、やし酒が目当てで集まっていた友人も彼のもとを離れていく。そこで、やし酒飲みはこの世にある死者が天国に行く前に住むという場所にやし酒職人を探しに行くことにする。まったく反省してないね。っていうか、探しに行くなら、まずお父さん探してやれよって感じだね。

やし酒職人を探す旅に出たぼんぼんは、道中でさまざまな魑魅魍魎と出会う。ひとつだけ紹介するね。やし酒飲みはある町の大物にやし酒職人の居所を聞く。その大物は連れ去られた娘を救いだしてくれたら、教えてやろうという。物売りをしていた娘さんは、ある日、市場でものすごいイケメンを見かける。娘は世にも美しいその男 ― 作品では「完璧な紳士」って書かれているけど ― にひと目ぼれしちゃう。「まあ、ステキ」って目がハートマークになって、フラフラとついて行っちゃった。男はついてくるなって何度も警告したんだけど、娘はすっかりのぼせあがっているからね、聞いちゃいない。男もあきらめて、したいようにさせておくことにした。

やがて、ある人の家につくと、男は自分の左足を外してそこの住人に返した。別の家では右足を外して返す。うわわわ、これは人間じゃない。化け物だ。完璧に美しい男の身体は借り物だったんだ。娘はあわてて逃げようとするんだけど、そうはいかない。「何度もついてくるなと警告したはずだ。今さら帰るなんて許さないからな!」その声を聞いて、娘が恐怖の身体がすくんで、男について行くしかなかったんだ。やがて、胸・あばら骨、お腹、両腕・・・と返していった男はとうとう頭蓋骨だけになってしまった。そして、恐怖に震える娘を森の奥の奥にある自分の家に連れて帰った。頭蓋骨の男は娘の首にタカラ貝でつくった首飾りをかけ、首飾りの力で言葉を発することのできなくなった娘をウシガエルのうえに座らせた。娘が逃げようとすると、タカラ貝の首飾りがガラガラと音を立て、それに気づいた見張りの頭蓋骨が笛を吹いて仲間に知らせ、あっという間に取り押さえられてしまう。町の大物が取り返して欲しいといったのはこの娘だったんだ。

やし酒飲みはさっそく、娘がいなくなったという市場に行った。そこで例のイケメンを見て、ひと目でわかったんだ。こいつはこの世のものじゃない。こいつが娘を連れ去ったに違いない。それにしても、美しい男だ。男の自分でも見ていてほれぼれする。娘がついていってしまったのも無理はない。男の後を追いかけていくと、左足、右足、胸、あばら骨、お腹、両腕・・・と返していって、頭蓋骨になってしまった。何てことだ。やはり、こいつはこの世のものじゃない。男の後を追って、森の奥の奥へ行ったやし酒飲みは、タカラ貝の首飾りをつけて、ウシガエルのうえに座らされている娘を発見する。でも、助けようにも娘は話もできないし、動かせばたちまち首飾りが音を立てて、頭蓋骨が目を覚ましてしまう。やし酒飲みは一計を案じて、娘を子猫に変えてポケットに入れると、自分は小鳥に姿を変え、見張りの笛の音にかけつけた頭蓋骨たちを残して、空に飛び立っていった。

こうして、娘を救うことに成功したやし酒飲みだったが、家に帰った娘の首には相変わらずタカラ貝の首飾りがぶら下がっていて、どうにも取ることができない。首飾りのせいで娘は口をきくこともできなかった。娘の父である町の大物に頼まれたやし酒飲みは再び、森の奥の奥にある頭蓋骨たちの家にいった。するとそこでは例の頭蓋骨がある葉っぱを食べて、「これ食べると、首飾りとれちゃうんだよねー」とか言ってる。また別の葉っぱを食べて、「これ食べると、口きけるようになるんだよねー」 やし酒飲みは頭蓋骨が去るのを待ってそっと出ていくと、その二枚の葉っぱを持ってかえって、娘を救った。町の大物はえらく感謝して、やし酒飲みは娘と結婚することになったんだけど、肝心のやし酒職人の居場所はなかなか教えてくれない。娘がやし酒飲みとどこかに行っちゃうのがさみしかったんだね。そうこうしているうちに、数年がたち、ある日、娘の親指がふくれはじめる。その親指から生まれたのは・・・ものすごく凶暴な赤ん坊で・・・

と、ここから先は本を読んでください。日本語訳も出てるからね。

このあと、ヨルバの宗教、神話について簡単に話したあと、神話をベースに主に劇作家として活躍したアフリカ人初(アフリカの黒人としてはいまだ唯一の)ノーベル賞作家ウォーレ・ショインカ、ヨルバ人ではないがやはりヨルバの神話に出てくるアビクという同じ親に何度も生まれては幼くして死ぬ子供を主人公とした小説『満たされぬ道』を書いたベン・オクリを紹介した。

« 2012年11月12日(月) | トップページ | 2012年11月15日(木) »

コメント

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/73760/56150500

この記事へのトラックバック一覧です: 2012年11月13日(火):

« 2012年11月12日(月) | トップページ | 2012年11月15日(木) »

最近のトラックバック

2017年5月
  1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31