無料ブログはココログ

« 2012年11月11日(日) | トップページ | 2012年11月13日(火) »

2012年11月12日(月)

クレイジーキャッツ桜井センリさんが亡くなった。合掌。

明治学院非常勤、後期第八回目。今回から公民権運動について。公教育における差別撤廃を中心に、1950年代の運動を見た。1951年、カンザス州に住む黒人少女リンダ・ブラウンの父オリヴァーが、娘を近所の白人学校に転入させるべく起こしたブラウン対教育委員会裁判。白人学校への入学を求めて係争中だった他の3件とともに連邦最高裁判所の審理するところとなり、54年、「公教育の分野においては『隔離すれども平等』の原理を受け入れる余地はない」という、プレッシー対ファガーソン裁判の判例を覆す判決が下った。最高裁判所は翌年、教育委員会に隔離教育を解消する計画を策定させる「ブラウン判決Ⅱ」によって、隔離撤廃の実現を促した。

Autherine_lucy

ブラウン判決によって、公教育における人種隔離の撤廃は実現に向けて動き出すことになるが、対する人種差別主義者側の抵抗も強かった。1956年、オーザリン・ルーシーという黒人の女学生がアラバマ大学に入学の手続きを取ったが、「大学に黒人を入れるな」と叫ぶ1000人近い学生のデモに追い返された。大学当局は彼女の通学を保証するどころか、「ルーシーの身の安全を守るため」という名目で、彼女に休校を命じた。この不当な処置を不服としたルーシーはアラバマ州最高裁判所に復学を求める訴えを起こし、彼女の主張は認められるが、大学当局は彼女が「虚偽の暴言によって大学を非難した」としてルーシーを退学処分にした。

Littlerocknine

人種共学を求める運動のなかで、もっとも鮮烈な印象を残したのがリトルロック高校事件だろう。アーカンソー州リトルロックでは、ブラウン判決を受けて、市教育委員会が学業優秀な9人の黒人学生を、白人の生徒だけが通っていたリトルロック・セントラル高校に入学させることを決め、準備を進めていた。ところが、三選をめざして苦慮していたオーヴァル・E・フォーバス知事は、この問題を選挙民に対するアピールとして利用した。新学期が始まる前日の9月2日、フォーバス知事は「明日、人種共学が強制的に行われるなら、わたしはこの地域の平和と安全を維持することはできない」として、250人の州兵を派遣してリトルロック・セントラル高校を包囲した。

翌日、登校してきた黒人生徒たちを待っていたのは武装した兵士だけではなく、フォーバス知事の声明に刺激されて集まってきた白人の群集だった。彼らの罵倒と暴力的威嚇の前に、9人の黒人学生は登校をあきらめざるを得なかった。こうした事態にアイゼンハワー大統領は24日になってようやくリトルロックへ連邦軍を派遣し、アーカンソーの州兵を連邦軍に編入した。フォーバス知事は「州民の皆さん、今、われわれの土地が外部の者たちによって占領されています」と怒りのコメントを出したが、9人の黒人学生はようやくリトルロック高校への入学を果たすことができた。

ジャズ・ミュージシャン=チャールズ・ミンガスは「フォーバス知事の寓話」で、フォーバス知事や連邦軍の派遣に二の足を踏んだアイゼンハワー大統領を激しく攻撃した。

« 2012年11月11日(日) | トップページ | 2012年11月13日(火) »

コメント

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/73760/56150481

この記事へのトラックバック一覧です: 2012年11月12日(月):

« 2012年11月11日(日) | トップページ | 2012年11月13日(火) »

最近のトラックバック

2017年11月
      1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30