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2012年10月8日(月)

明治学院非常勤、後期第三回目。デューク・エリントン楽団の「ザ・ムーチ」を聞きながら、ハーレム・ルネサンスの話へ。特に強調したのは、ハーレム・ルネサンスが思惑の違うさまざまな人びとのなかから生まれてきた動きであるということ。若い世代の芸術家たちのなかには、南部を中心とする黒人コミュニティのフォークロアに着目し、そこに表現の拠り所を見い出そうとするものたちがいた。彼らを支援したのが未曽有の好景気に気をよくした白人パトロンたちである。白人パトロンたちが黒人フォークロアに求めたのは、「野蛮」「原始」、よくても「素朴」といったステレオタイプ的なイメージにすぎない。若い芸術家たちもそれをわかっていながら、利用したのである。一方、同じアフリカ系アメリカ人でもひと世代上の黒人知識人たち、E・F・フレイジャーの言葉を借りれば「黒人ブルジョワジー」と呼ぶべき階級に属するエリートは、自分たちの文化を「洗練」させ、「白人並み」になることを目論んでいた。そんな彼らにとって、南部のフォークロアなどと言うのは、奴隷制時代の遺物でしかない。当初、多くの黒人知識人がスピリチュアルのような南部黒人の文化的遺産を否定した。しかし、アメリカのメインストリームに受け入れられることを望む彼らにとって、白人の視線ほど気になるものはない。白人たちが黒人フォークロアに金を出しているという話を聞き、頑なな「黒人ブルジョワジー」の態度にも変化がみられるようになる。彼らはフォークロアを民族の遺産として受け入れた。しかし、粗野なスタイルのままではいけない、民族のエッセンスはそのままに、より「洗練された」スタイルを目指さなければならないと考えた。こうしたフォークロア観は若い芸術家たちのそれとは微妙にずれるものであった。

さて、デューク・エリントン。彼はクラッシックの楽理を学び、華麗に編曲されたジャズを生みだしたエリントンは、誰よりも「洗練」を志向していた。一方、コットン・クラブで夜な夜な「オリエンタル」なショーをくり広げ、「野蛮」「未開」といった白人パトロンの要求に応えていたと言えるだろう。とはいえ、彼の音楽がブルースをはじめとする黒人フォークロアに基づいていることを否定することは誰にもできない。このように、ハーレム・ルネサンスのさまざまな傾向というのは、ときにひとりの個人、ひとつの作品のなかにすら渦巻いているものだったのである。

・・・と、こんな話をして、映画『ストーミー・ウェザー』を見はじめた。次回は続きを見る。

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