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2012年10月1日(月)

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明治学院非常勤、後期第二回。世紀転換期のアフリカ系指導者、ブッカー・T・ワシントンW・E・B・デュボイスの思想を対比しながら概説。アフリカ系アメリカ人の権利獲得よりも白人との融和、高等教育よりも手に職をつけるための職業訓練を重視したワシントンは、妥協的なアンクル・トムと見られがちである。しかし、人種差別の厳しい南部に生まれ育ち、いくつもの職業を転々としながら、教育者としてのキャリアを積んだワシントンにとっては、白人の関心をひきつけ、職にあぶれた元奴隷たちを教育するための資金を引き出すことが第一の関心事であったことは容易に想像がつく。「アトランタの妥協」にしても、南部の大農場主が集まる綿花博覧会で行われた演説であったということに注意すべきである。こうしたワシントンの姿勢を厳しく批判したのが、北部の比較的裕福な家庭出身で、留学も経験したエリートであるデュボイスであった。デュボイスは政治的な権利獲得を放棄したかに見えるワシントンの融和的姿勢を指弾する一方で、ワシントン=タスキーギ学院の職業訓練に対し、「才能ある10分の1」に対する専門教育を提唱した。ワシントンの現実主義に対し、デュボイスのエリート教育はいかにも理想主義的に見えるが、そうではない。医者や弁護士、教師、牧師といった「専門職」につくアフリカ系アメリカ人がいなければ、誰がアフリカ系アメリカ人のためにそうした役割を担ってくれると言うのか。例えば、アフリカ系アメリカ人が白人の病院で診察を拒否され亡くなるなどと言うことは珍しいことではなかったのである。ワシントンとデュボイスの考えは、現実の別の側面に光を当てていたということができるかもしれない。このあと、デュボイスについて、アフリカ系アメリカ人の二重意識、ナイアガラ運動全米黒人地位向上委員会(NAACP)の設立などについて解説した。

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