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2012年7月9日(月)

明治学院非常勤、前期第十二回目。今回は毎年恒例、コムズカシイことを言うディスク・ジョッキーによる音楽・芸能談義。まずは、奴隷時代の音楽として、スピリチュアルを取り上げた。聖書の物語を題材にしながらも、スピリチュアルには逃亡奴隷に対するメッセージなどさまざまな意味がこめられていたとも言われる。19世紀後半、フィスク・ジュビリー・シンガーズらによって取り上げられ全米に広まったが、奴隷たちが歌っていたのはステージ用に整えられたスピリチュアルとは違う「ふぞろいなハーモニー」(ゾラ・ニール・ハーストン)を基調としたものだった。そのことをふまえて、フィスク・ジュビリー・シンガーズの録音と、アラン・ロマックスがジョージア州シー・アイランドでフィールド録音した音楽を聞き比べる。民俗音楽としてのスピリチュアルには参加を促すことによって、コミュニティの結束を促す役割がある。「聞くもの」として整えられたステージ用のスピリチュアルには、その場での自由な参加を促す力はない。

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同じく奴隷時代の音楽であるワークソングには、アフリカ音楽に多く見られるコール・アンド・レスポンスの形式が受け継がれている。それはリーダーの歌に他の人たちがテンポよく答えることによって、仕事の効率をあげる「労働歌」としての機能を果たすものであった。また、ケイクウォークは奴隷主がケーキを褒賞にして奴隷たちにダンスを競わせたことがきっかけとなったダンスのスタイル。奴隷たちは白人の気取った歩き方をパロディ化して、背筋を伸ばし大げさに足を上げるような動きをケイクウォークのなかに取り入れた。ところが、白人はこうした動きが自分たちを揶揄したものとは気づかず、奴隷たちの奇妙なダンスとして真似しはじめる。こうして、ケイクウォークは19世紀半ばごろから大流行した。

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白人が顔を黒く塗り、黒人を面白おかしく、侮蔑的に演じる芸能が、ブラックフェイス・ミンストレル。北部の芸人トーマス・D・ライスが黒人馬丁の動きを真似た「ジム・クロウ踊り」が元祖だと言われ、やがて、ヴァージニア・ミンストレルズクリスティズ・ミンストレルズなどによって形式が整えられ、アメリカの芸能を代表する演目になった。「ジム・クロウ」が人種差別の代名詞として使われることからもわかるように、それは差別的な意識を前提とした芸能である。しかし、南北戦争以後、ビリー・カーサンズら黒人エンターテイナーたちも活動の場を求めてミンストレルに参入する。ミンストレル自体はやがて下火になっていくが、黒塗り芸自体はヴォードビルのなかに受け継がれ、バート・ウィリアムズのような黒人のスターを生み出した。また、地方巡業の活路を見出した小規模のミンストレル劇団は、その後の黒人芸能の温床となった。

後半はブルースの話。スピリチュアルやワークソングがコミュニティという集団のための音楽だったのに対し、ブルースは個人の思いを歌う音楽である。といっても、個人はコミュニティから隔絶されているわけではなくて、コミュニティの共有財産からフレーズや歌詞を引き出し、聞き手の共感という形でコミュニティに帰していく。何はともあれということで、サン・ハウスの「デス・レター」、ロバート・ジョンソンの「クロスロード・ブルース」「カモン・イン・マイ・キッチン」を聞いた。クロスロード伝説の話などをした後、いよいよ、ブルースの音楽的な構造、ブルーノート・スケールなどについて語ろうというところでタイムアウト。続きは来週。昨年の日記(1 2)もご覧ください。

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