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2012年6月23日(土)

Toni_morrison_05_2

黒人研究の会・第58回全国大会(1日目)@国士舘大学。今回はトニ・モリソン特集。まずは、『青い目が欲しい』『スーラ』『ソロモンの歌』『ジャズ』『パラダイス』『ラブ』『白さと想像力』など、モリソン作品を数多く翻訳されている大社淑子先生(早稲田大学名誉教授)の講演。トニ・モリソンがノーベル文学賞の受賞式で着ていたのと同じマダムロシャスのスーツに身をつつんで登場した大社先生は、翻訳を引き受けることになった経緯、モリソン本人との個人的交流について語った。気さくで親切な一面を見せるかと思えば、気まぐれな行動で周囲の人を戸惑わせもするモリソンの姿が印象に残った。続けて、『エルブリの秘密 世界一予約のとれないレストラン』として映画にもなった革新的なレストラン『エル・ブリ』の特徴として服部幸應があげた3点 ― ①歴史に出てきた料理をもう一度見直す、②現在ある料理を違う視点から見直す、③過去にも現在にもない新しい料理を開発する ― は、文学におけるモリソンにも当てはまると指摘。すなわち、モリソンは、①過去の遺産に対する深い素養をもとに、誰も書かない黒人の「歴史」をつくりだし、②すべての既成価値を根本から洗い直して(美しいのは「青い眼」だけなのか?人間の価値は美醜によって決まるのか?)、③今までにない内容、技法、言語で新しい作品を生み出す。重層的で謎めいた彼女の文章は、口承的な文体も含めて、読者の意識を変えるために推敲を重ねて生みだされたものである。モリソンは、「自分の作品は社会学の題材としてではなく、芸術として読んでほしい 」と強調していたという。モリソンが好きな作家、影響をうけた作家として、ウィリアム・フォークナーユードラ・ウェルティガルシア・マルケスなどの名前があがったのも興味深かった。

後半はモリソン研究者によるシンポジウム。関西大学・時里祐子さんの発表は、トラウマ体験を「体験者がその出来事を体験している最中には体験している認識を持つことができず、それゆえ記憶することが不可能な体験」として捉え直し、モリソンがそうした「語りえぬ体験」にどう耳を傾けてきたかということを脱構築の理論によって解き明かそうとする試み。トラウマのもととなった抑圧体験を語ることの不可能性(トラウマ体験そのものの脱構築性)、また他者が外から抑圧体験を語ること(理解し、解釈すること)の暴力性はわかった。しかし、モリソンの主眼は語りえないトラウマ体験を再構築すること、複数の不完全な語りのなかにその存在を浮びあがらせることにあり、脱構築された状態を受け入れているわけではない。また、ジャズの喧騒が全体主義的であるとするセオドア・アドルノの見方は、モリソン作品と相入れないものではないか。

続いて、青山学院大学の西本あずさ先生。1989年のエッセイ"Unspeakable Things Unspoken"でアメリカ合衆国のキャノン擁護を非難し、多文化主義的な論争に積極的に関与したモリソンは、97年の"Home"では多文化主義が一定の成果を生んだ一方で、巧妙な形で存続しつづけている人種主義を隠蔽する役割を果たしていることに切迫した危機感を表明した。そこで提起されているのは、モデルチェンジした人種差別主義者の「ホーム」に安住せずに、人種的な「ホーム」の構造に囲い込まれないボーダレスな空間としての「ホーム」を生みだすにはどうしたらいいかという問題である。エッセイ"home"の延長線上に、ボーダレスなスペースを起ちあげようとしたのが、2006年にルーブル美術館で行われた企画展"Foreigner's Home"だった。ジェリコの絵画「メデュース号の筏」からインスピレーションを得た企画展のテーマは、時空を超えた人類の共通体験としてのディアスポラ的な状況である。そこでは、アフリカ系アメリカ人固有の歴史体験が、固有性を失わないまま開かれたパースペクティヴのなかに位置づけられている。こうしたパースペクティヴにおいて考えると、97年の小説『パラダイス』の登場人物パトリシアが、歴史から排除された人びとを取り込んでつくった家系図を燃やすのも、誰かを排除し、分断することで成り立っている家系図そのものの構造に気づいたからだと理解できる。同作品のなかでは、アフリカもまた相対化され、必ずしも特別な場所ではなくなっている。後期モリソンはアフリカ系アメリカ人の体験を語ることが、他者を抑圧する結果にならないよう腐心していると思われる。

西南大学の宮本敬子先生は、黒人女性芸術家カラ・ウォーカーを取りあげ、モリソン作品との類似点を見た。カラ・ウォーカーはギャラリーの白い壁に人の姿をした黒い紙の切り絵を貼るという手法で知られている。彼女が自らの作品を「プランテーション・ファミリー・ロマン」と呼ぶように、描かれているのは南北戦争以前の南部の農園である。そこに見られる語りえぬものの視覚化は、魅惑と嫌悪に満ちた体験をもたらす。そのため、アフリカ系アメリカ人のステレオタイプをなぞっていると批判されることもある一方で、ヘンリー・ルイス・ゲイツ・ジュニアのように彼女の作品をポストモダン的な批判、人種差別主義者のパロディとして評価する批評家もいる。こうしたウォーカーの作品は、奴隷制時代を舞台に白人と性的関係を持った黒人女性の内面を描くゲイル・ジョーンズアリス・ランドールオクタヴィア・バトラーら黒人女性作家の作品を思い起こさせる。トニ・モリソンが奴隷制の問題を直接取りあげるのは1987年の『ビラヴィッド』においてだが、白人奴隷所有者と黒人奴隷女性の性的関係というテーマだけではなく、モチーフや手法、シンボルやイメージなどにおいて、モリソンとウォーカーは互いに影響を与え合う「コール・アンド・レスポンス」の関係にあった。今回は特に母性表象に的を絞った形で、子殺し、互いに乳を吸いあう女性たちのようなイメージのなかに、モリソンとのつながりが明らかにされた。

全体として、たいへんに濃い内容だった。共通するのは、「語りえぬものを語る」ということであり、それがモリソン自身の創作姿勢でもあるのだろうと思った。

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