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2012年3月28日(水)

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公開ワークショップ「アメリカ文学における<ロード>の物語学」@日本女子大学。ロード・ナラティヴをテーマにした論集を見越してのワークショップ。論集のほうにはひらげも参加させてもらうことになっている。

遅れて到着したときには、大東文化大学の中垣恒太郎先生がマーク・トゥエインと19世紀アメリカについて語っていた。大陸横断鉄道によって、時間の感覚やランドスケープが変化するなか、テクノロジーに対する希望とテクノロジーによって失われていくものへの郷愁という相矛盾する感情を抱えていたトゥエイン。『ミシシッピ川の生活』に描かれたような気楽な川の生活がもはや存在しえないものになりつつあるなか、浮浪児の少年が逃亡奴隷と川を下る『ハックルベリーフィンの冒険』(1885)のような物語がどんな批評的意味を持ちえたのか。さらに、アーサー王朝時代へのタイム・トラベル『アーサー王宮廷のコネチカット・ヤンキー』(1889)になると、批評されているのは封建時代の人びとの無知なのか、悲惨なカタストロフィーを招く現代の文明、帝国主義なのか微妙だ。A地点からB地点へと移動する「ロード」は、そうした判断を保留する場、どっちつかずの何物でもない自分でいられる場として捉えることができるかもしれない。

仙台白百合女子大学准教授の山田恵先生は、現代アフリカ系アメリカ人作家チャールズ・ジョンソンの『牛追い物語』について。『中間航路』などの作品で奴隷体験の語り直しに取り組んでいるジョンソンだが、1982年のこの作品では、十牛図(善の悟りへ至る道を牛を主題にした十枚の絵で描いたもの)など東洋的思想を援用することによって、白人によって権威づけられるものであったスレイヴ・ナラティヴを「形而上的物語」として語り直すことを試みている。そこにあるのは自己が変化するものであるという認識である。不勉強なぼくはこの作品、まだ読んでいない。十牛図に目をつけるとは面白い。読んでみなくては。

日本女子大学の馬場聡先生の発表は、サイケデリック文学をロード・ナラティブとして読むという試み。オルダス・ハックスレー『知覚の扉』(1954)によって拓かれた幻覚剤による意識の拡大という「トリップ」は、50年代という封じ込めの時代からの脱出だった。ジャック・ケルアックオン・ザ・ロード』(1957)のような作品に、伝統的フロンティア・ナラティヴの目的はなく、システムから離脱して「放浪」すること自体が主題だった。ハイウェイの管理・保安体制が強化され、空間的移動が困難になるにつれ、こうした無目的なロードは、幻覚剤による意識の拡大という「トリップ」のなかにその可能性を見い出していく。しかし、こうしたサイケデリックな夢もまた、バッド・トリップのなかで解体されていった。

最後に西九州大学の渡邉真理子先生が80年代以降の新しいアメリカン・ロード・ナラティヴについて、盛りだくさんの話をした。個人的にはサイバースペースが新たなロードの場所になるということ、フロンティア・ナラティヴがカリフォルニアに行きついたとき次にどこにいくのかということ、女性のロード・ナラティヴ(伝統的には驚くほど少ない)がでてきていることなどが興味深かった。調べたら、翻訳が出ている本もけっこうあるらしい。読んでみよう。

シンポジウムの後、国士舘大学の松本昇先生がゾラ・ニール・ハーストンについて、ノートルダム清心女子大学教授の広瀬佳司先生がユダヤ人作家イスラエル・ヨシュア・シンガーについて講演をされた。広瀬先生のパフォーマティヴな語りに魅了された。

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