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2012年3月19日(月)

ローマは一日にして奈良。

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桐野夏生メタボラ』(朝日新聞社、2007)を読み終わった。記憶を失った<僕>は「ココニイテハイケナイ」という声に導かれて沖縄の密林を彷徨ううちに、合宿制の職業訓練所から脱走した宮古島出身の少年=昭光と出会う。「ギンジ」という名前を与えられた<僕>は、「ジェイク」を名のる昭光と人生を生き直す旅に出る。やがて、忘れたはず、捨てたはずの過去が二人の運命を狂わせはじめ、記憶を取り戻した<僕>は壮絶な過去と向き合うことに・・・一家離散、雇用難民、偽装請負。社会の底辺で生きる若者の過酷な現実が、ひとりの人間の物語として提示される。

記憶を失ったギンジの「旅」は、ある地点から別の地点へと移動するロード・ナラティヴが判断保留の物語であることを端的に示している。「死」から「生」へ、「雄太」から「ギンジ」へ。記憶をなくしていた<僕>の旅は、出発点すらわからないアイデンティティ不在の旅だった。ラスト・シーンで「ギンジ」として生きていくことを誓う<僕>は、自殺願望を捨てジェイクの与えてくれた「生」を選び取ったということになる。

それにしても、ロード・ナラティヴにはどうしてこうゲイが絡むものが多いのだろうか(『オン・ザ・ロード』しかり、『真夜中の弥次喜多』しかり)。それは、ロード・ナラティヴが判断保留の物語であることと関係があるのだろうか。

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