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2012年1月9日(月)

Freedomdreams_2

ロビン・D・G・ケリーフリーダム・ドリームス アメリカ黒人文化運動の歴史的想像力』(Freedom Dreams: The Black Radical Imagination、2002、人文書院、2011)を読み終わった。本書は、アフリカ系アメリカ人のラディカルな運動を跡づけ、未来の可能性、<不可思議なもの>を思い描く自由な想像力へと接続する試みである。何のための運動なのか、と著者は問いかける。再構築されるべきなのは単なる経済システムではなく、人間性そのものである。運動を通して、参加者たちは「何か別のものを想像することができるし、物事がいつもこんな風でなくてもいいということに気づくことができる」(28)。こうした想像力によって、貧困や人種差別、性差別のない社会というヴィジョンが、意識のなかに引きずり出されるのである。

そのことをふまえたとき、「ラディカルな芸術」もまた、単なるプロテストではありえない。 なぜなら、それは未来を獲得しようとする人たちを、「犠牲者」に変えてしまうからだ。求められているのは、「わたしたちをほかの場所へと連れて行き、他の見方を、ひょっとしたらほかの感じ方を、想像させてくれるような作品」(32)である。ネグリチュード以降、アフリカ系の芸術家たちが、白人による美学的な運動とみられがちなシュールレアリスムのなかに、既に獲得していたラディカルな表現 ― 意識にのぼらない<不可思議な>夢に形を与えること ― への肯定を見たのはそのためだ。

著者はこうした<夢>が、敵だけではなく、社会運動の指導者によって抑圧される可能性を指摘する(30)。とりわけ、公民権運動ではしばしば下働き的な役割に追いやられ、フェミニズムの運動では郊外の閉塞から脱却しようとする中産階級の白人女性に同化できなかった黒人女性は、二重の意味で疎外された存在だった。しかし、ブラック・フェミニズムはアイデンティティ・ポリティクスによる運動の解体ではない。それは人種問題を「『公的』『私的』領域を双方ともに分析し、そこから語ることにより解決しよう」とする試みである(225)。著者は、黒人フェミニストに学ぶことによって、エメ・セゼールの言う「特殊であるすべてのものに満ちた普遍性」(288)のなかで、運動それ自体を再構築してみせる。

他にも、コミュニズム、アフリカ帰還運動、補償問題など、さまざまな角度から、アフリカ系アメリカ人のラディカルな運動を突き動かす「想像力」が明らかにされる。刺戟的な本だった。

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