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2011年12月28日(水)

山下洋輔茂木健一郎脳と即興性 不確実性をいかに楽しむか』(PHP新書、2011)を読み終わった。楽譜や録音が登場する以前の音楽は、「今、ここ」にしかないものだった。次に出てくる音は予想できないし、出た音はすぐに消えて戻ることはない。構築されたものではなく、動いていくもの。即興であればなおさらだ。演奏が終わっても、「今」のつらなりとして、グルーヴは続く。だから、何もないところから演奏を始めることができるのだ。それは生きることと似ているし、生きることそのものだとも言えるかもしれない。そして、面白い。美しいでも、正しいでもなく、ただただ面白い。故・団鬼六氏の愛した『閑吟集』の言葉「一期は夢よ ただ狂え」を思い出した。迷ったときは、面白い方を選べばいい。正解はない。

2011年12月27日(火)

愛っていうのは分かり合うことじゃなくて、わからないことを許し合うことじゃないだろうか。

映画『ジョン・レノン,ニューヨーク』(LENNONYC,マイケル・エプスタイン監督、2010)を見た。ジョンのダメな部分もすごい部分も見える映画だった。個人的には、ヨーコと別れ飲んだくれていたLAでのジョンが痛々しかった。自分も楽しんでいるし、まわりのみんなも楽しんでいる。でも、酒に溺れていると、いっしょに楽しんでいるという実感がない。それでも、翌日になると「仲間と楽しく飲んでいた」という状況証拠から、酒を飲むと一人じゃなくなると思って飲んでしまう。わかるよ、ジョン。そこから抜け出せて、ほんとによかったね・・・お互い。

ヨーコとよりを戻して、ショーンを育てるためにハウスハズバンドになったって話は、あんまり信じていなかった。ジョンのお抱えタロット占い師だった人物が書いた『ジョン・レノン最後の日々』っていう、守秘義務そっちのけの本があって、そこには鬱になって家に引きこもる元ビートルズの姿が描かれている。なんとなく、そっちのほうがジョンらしくてしっくりくるような気がしていたのだ。でも、この映画を見て、ハウス・ハズバンドだったことも、鬱に見えるような状態だったことも、どちらも嘘ではないのかもしれないと思うようになった。飲んだくれのロックスターがハウス・ハズバンドになるのだから、愉快なことばかりではなかっただろう。これでいいのだろうかと悩むこともあったはずだ。それはジョン自身が変わるための試練だったのかもしれない。そして、その試練を乗り越えたとき、『ダブル・ファンタジー』というアルバムが生まれた。

ジョン・レノンが生きていたら・・・なんて言ってもしょうがないのだけれど。ローリング・ストーンズとは全く違った形で、ロック・ミュージシャンの年の取り方というものを見せてくれていたかもしれない。70になったジョンも見てみたかったな。

2011年12月25日(日)

映画『図鑑に載ってない虫』(三木聡監督、2007)を見た。面白かった。連発される目玉が引っくり返るようなギャグも気持ちよかったけど、何といっても結末の落ち着かなさが最高によい。

死後の世界というものがあるなら、生きているのも死んでいるのも大差はないのかもしれない。それでも、生きているのは、喜びなのだな。なぜなら、生きるということは、死という理解も体験もできないものと対峙し続けることだからだ。死がわからないということは、生きるということもわからない。わからないからこそ、面白い。

あと、菊地凛子はよい。タイプだ。

2011年12月24日(土)

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歌川国芳展』@六本木ヒルズ・森アーツ・センターギャラリー

前々から楽しみにしていた奇才・歌川国芳の展覧会。なぜ、この日にしてしまったか。六本木ヒルズは浮かれたカップルであふれんばかり。森タワー52階にあるアーツギャラリーは展望台と入場口が同じで、美しい夜景を眺めつつ、二人の愛を確かめようという男女で、長蛇の列。やっとの思いでチケットを手に入れ、展示会場へたどりついたものの、愛し合う男女はここにも。とんちんかんな言葉を交わしながら、うふふと笑い合っている。くそ。

まあ、いい。ぼくだって、江戸末期の浮世絵について、そんなに知識があるわけじゃないんだ。そんな人たちをも惹きつける国芳の諧謔、反骨、派手好き、デザイン指向・・・何をとっても素晴らしい。個人的には、人間がぎょえーっとなっている図がすごく好きだ。実際の人間はこんな風には曲がらないはずだが、その異様な曲がり加減がまさに「ぎょえー」なのであって、逆にリアルだ。

帰りに図録を買おうとしたら、お金が足りない。6階のATMまで下りて戻ってきたら、1時間はかかりそうだ。もう一度、浮かれるカップルの群れにまぎれる勇気はなかったので、泣く泣くあきらめた。もう一度来よう。

アイル・ビー・バック!

2011年12月21日(水)

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スージーズ@中山『琉球居酒屋 舞天』。久しぶりに「おじい自慢のオリオンビール」で乾杯。

2011年12月20日(火)

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有山じゅんじバンバンバザール@横浜Thumb's Up。50になったら全部ばれる・・・だから50からはじめよう。沁みるなぁ。ぼくは50になる前にだいぶばれてしまったけど、さ。ブルースとは存在することそのものだ。どうせなら、ありのままに。


2011年12月19日(月)

200pxwalt_whitman_edit_2明治学院非常勤後期第十三回目。「アメリカ文学入門」は前回やり残したウィリアム・ウェルズ・ブラウンの小説『クローテル』について、トーマス・ジェファーソンと奴隷の女性サリー・ヘミングスの関係という背景にも触れながら、あらすじを紹介したあと、ウォルト・ホイットマンと『草の葉』について概説した。詩人になる前のホイットマンはジャーナリストとして、また民主党員として、南部と北部が対立を深めるアメリカの政治に深く関わっていた。ホイットマンは奴隷制拡大阻止を掲げた民主党の分派=自由土地党を支持した。自由土地党は奴隷制の拡大には反対したが、ソローが大義のない戦争として弾劾した対メキシコ戦争には、「明白なる宿命」という言葉に象徴される拡大主義の立場から支持した。メキシコとの戦争で獲得した土地への奴隷制導入を阻止するというのが、自由土地党の党是だった。しかし、奴隷制の拡大は阻止できず、自由土地党とホイットマンは敗北する。その敗北のなかから、詩人ホイットマンは誕生した。1855年、彼は詩集『草の葉』を自費出版。目に映るものをすべて歌いこむ貪欲さで、アメリカの多様さを言祝いだ。それは人間、自然、さらには人間が作り上げた人工物も含むすべてのものを歌いこむことで、そのエネルギーを循環させるような力強い自由詩だった。

「アメリカ文化研究(アフリカ系アメリカ人の歴史と文化)」は、スパイク・リー監督の映画『マルコムX』を最後まで見たあと、マルコムXの意思を受け継ぐブラック・パンサーについて少し話した後、公民権運動の時代を象徴する音楽としてのソウル・ミュージックについて話しはじめた。


Malcolm X (Full Movie with Arabic subtitles)

・・・というわけで、映画を見終わりました。ちょっとだけ補足説明をしておくと、マルコムXを「アフロ・アメリカンの王子」と称える言葉が読みあげられていたけど、あれはジェイムズ・ボールドウィンという作家がマルコムの死を悼んで詠んだ詩です。1950~60年代にアフリカ系アメリカ人の作家として注目を集めたボールドウィンは、ゲイでもあってね。言わば、二重に差別された立場から作品を書いた人でした。時間があれば、次回の授業で詳しくお話ししたいと思います。

それから、最後、学校の教室で子供たちがひとりひとり立ちあがって、「アイ・アム・マルコムX!」というシーン、あれ、途中で場所が変わるね。英語のアクセントも変わる。アメリカの教室から、南アフリカの教室へ。アメリカ英語から、アフリカ訛りの英語へ。そして、教壇に立っているのはアパルトヘイトの撤廃に尽力したネルソン・マンデラだ。ちなみに、その前のシーケンスでSOWETOと書かれた大きな横断幕を掲げて、デモ行進をしている人たちの映像が挿入されているのに気づいたかな?ソウェトっていうのは「サウス・ウェスタン・タウンシップ」の略、ジョハネスバーグ最大の黒人居住区だね。以前、南アフリカにはアパルトヘイトっていうアメリカ南部の人種隔離をもっと厳しくしたような制度があって、アフリカ人の人たちは「私はここで白人のために働いています」っていう証明書(パス)がなければ、白人の町に入ることも許されなかったんだ。この映画が発表されたのは、南アフリカでは長年拘禁されていたネルソン・マンデラが釈放され、アパルトヘイトが廃止されようとしているときのことだった。つまりね、マルコムXは殺されたけど、闘いは続いていくってこと。

Huey_n1そして、闘いは続けられた。マルコムXの考えに共鳴した若者たちが行動を起こしたんだ。そのひとつがブラック・パンサー党。正確には「自衛のためのブラック・パンサー党」という。党名からわかるように、マルコムXの「自衛」という考えを受け継いだグループだった。1967年にカリフォルニア州オークランドで、ヒューイ・ニュートンボビー・シールら黒人の若者たちによって結成され、そこにジャーナリスト出身のエルドリッジ・クリーヴァーなんかが加わった。彼らはね、黒豹って名前もそうだし、写真なんかを見ても戦闘的なイメージが強い。でも、それだけじゃない。例えば、ゲットーの子供たちに無料で朝食を配布したり、あるいは交通事故が多発している交差点で交通整理をしたりね、コミュニティ内の地道な活動も行っているんだ。こうした活動もただの人気取りではなくてね、人種差別と関係がある。お腹の空いた子供たちは学校で勉強に身が入らない。だから、成績もあがらないし、結局、知識を身につけてゲットーを脱出することができない。また、黒人ゲットーの交差点にはどんなに交通事故で子供たちが死んでも信号がつけられることはなかった。彼らはこうした問題を自らの手でひとつひとつ解決しようとしていたんだ。それに、彼らはラディカルな白人との共闘も視野に入れていたことも指摘しておかなければならないね。当初、彼らのスローガンは「パワー・トゥ・ザ・ピープル」(人民に権力を)だった。もっとも、SNCCの議長で、「ブラック・パワー」を唱えるストークリー・カーマイケルが合流することによって、その点は少し混乱するんだけど・・・結局、カーマイケルは他のメンバーと対立してブラック・パンサーと袂を分かちます。一時期は党員が5000人を超えるまでに膨れあがったブラック・パンサーだけど、FBIや当時カリフォルニア州知事だったロナルド・レーガンによる弾圧を受けて崩壊していった。

さて、今日は盛りだくさん。残った時間で音楽の話をしたいと思います。ソウル・ミュージックです。最近だと、アフリカ系アメリカ人のポピュラー音楽は、一般にR&Bって呼ばれるね。そのなかにはヒップホップも含まれるかどうか微妙だけど ― ヒップホップっていうのは音楽だけのムーブメントじゃないし、特に初期のころには黒人だけじゃなくてヒスパニックなんかも重要な役割を果たしているからね。でも、まあ、ヒップホップ以降のアフリカ系アメリカ人の歌もののことを総称してR&Bっていうようになってきているのかな。70年代から80年代にはね、ブラック・コンテンポラリーなんて呼ばれていた。なんか、いかにもレコード会社がつけたような、味気ない名前だね。その前、50年代後半から70年代初めに使われていたのが、ソウル・ミュージックという呼び方だ。ちなみにその前はどうかっていうと、やっぱりR&Bって言葉が使われていたんだ。もっとも今みたいに、アールアンビーって読むことは少なくて、リズム・アンド・ブルースって呼ばれていたみたいだけど。この言葉はね、それ以前、ブルースの時代に使われていた「レイス・ミュージック」って言葉を改めたものだった。レイス・ミュージック・・・「人種音楽」っていかにも差別的でしょ。それなら白人の音楽だって、白人種音楽だろうっての。さすがにね、レイス・ミュージックはいかんだろって気がついてつくられたのがR&Bって言葉だったんだ。

レイス・ミュージックにしても、R&Bにしても、ブラック・コンテンポラリーにしても、音楽チャートのジャンル分けのために考え出されたようなところがある。それに対して、ソウル・ミュージックはちょっと違うね。ソウル=魂っていうのは、うまく説明しにくい、アフリカ系アメリカ人の文化的エッセンスを表現したような言葉だ。世界の音楽にはこういう説明できない文化的エッセンスを表したような名前を持つものがたくさんある。例えば、ニューヨークのラテン音楽にサルサっていうのがあるけど、あれももともとはソースっていう意味で、キューバやプエルトリコからニューヨークに渡ってきた人たちの文化的エッセンスを表していると言っていい・・・じゃあ、ソウル・ミュージックってどんな音楽だったんだって話なんだけど・・・説明しにくいから、「ソウル」って一言で済ませてるところもあるんだけどね。ある意味でそれは、まさに公民権運動の時代を象徴するような音楽だったんだと思う。ソウル・ミュージックの成り立ちには一見矛盾する二つの特徴がある。ひとつはね、ゴスペルへの回帰っていうこと。もうひとつは白人との共同作業ってこと。ゴスペルへの回帰っていうのは、アフリカ系アメリカ人のルーツへ帰るってことだね。一方で、ソウル・ミュージックは白人のバック・ミュージシャンによって支えられていた。一種の人種統合だね。ルーツの見直しと人種統合 ― まさに公民権運動的だと思わない?

今回はこの後、ゴスペル回帰の一例として、レイ・チャールズの伝記映画『レイ』から、レイが恋人にゴスペル曲にのせて世俗の愛を歌う新曲「アイ・ガッタ・ウーマン」を聞かかせるシーンを見た。ソウル・ミュージックについての詳しい話は年明けに。

2011年12月18日(日)

多民族研究学会第17回全国大会@松山大学2日目。泊っていた駅前のホテルから松山大学まで歩いてみた。こじんまりとした街のせいか、はじめての土地なのに迷うという不安がほとんどない。40分ぐらいで無事到着。

今日は午前中のワークショップのみ。「ワークショップ」は若手の研究者に発表の場を提供する趣旨で企画された。発表者は今興味があることについて自由に話せばよい、結論はなくてもかまわない、フロアーは温かく見守りアドバイスする・・・ということだったのだが、発表はどれもよくまとまっていて、それぞれに興味深いものだった。九州大学大学院の博士後期課程・吉津京平さんはカート・ヴォネガット『猫のゆりかご』について。ドイツ系アメリカ人としてのヴォネガットのカリブ海と周縁化された人々を見る視線というのは大変興味深いテーマだと思った。個人的には長方形の島という人工的なイメージが何なのか気になった。

東京大学博士課程の西田桐子さんは中上健次の未完の遺作『異族』について。日本人、朝鮮人といったアイデンティティの極を揺れ動く登場人物たち。日本人でもない、朝鮮人でもない、あるいは部落出身者でもない、それらを包摂する架空の「アジア人」でもない、宙づりにされたアイデンティティを求めるとしても、それもまた容易ではない。もし求めうるとしたら、それはつねに揺れ動くことそのもののなかにしかないかもしれない。だとするならば、この物語は終わりようがない。未完に終わったこの作品にどんな結末を用意していたのかが気になった(結末のプランは残っているらしい)。

フェリス女学院大学の丸山悦子先生は、1968年のサンフランシスコ州立大における学生デモと、それを先導した学生組織「第三世界解放戦線」(TWLF)について。TWLFは、さまざまなマイノリティの学生組織によって構成された共闘組織。デモの結果、日系の言語学者S. I. ハヤカワが州立大学の学長になり、エスニック・スタディがカリキュラムに導入されることになった。ただし、保守的なハヤカワの就任を疑問視する学生も少なくなかったという。

学会が終わるや否や、挨拶もそこそこに松山観光へ。まずは松山大学から歩いて30分ほど、小高い丘の上にある松山城へ。こじんまりとした街にふさわしい小ぶりの城だが、標高は日本一だとかで、天守閣からの眺めは瀬戸内海まで一望できる広がりがあった。お殿様はさぞや気持ちよかっただろうな。

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街のあちこちで若い女性が、昔の女学生の恰好をして観光ガイドのようなことをしている。美人が多い。あとでタクシーの運転手さんに聞いたら、『坊ちゃん』の登場人物からとって「マドンナ」と呼ばれているらしい。お城のふもとにもマドンナがいて、二人とも相当な美人だった。「ありがとうございました」と言われて、目も合わせられない43歳男子。売店で買った名物「いよかんソフト」を食べながら、遠くからお城とマドンナの立ち姿を眺める。ああ、絶景かな。

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松山城をあとに、徒歩で道後温泉へ。40分ぐらい。つくづくコンパクトな街だ。温泉街それ自体も思ったよりこじんまりしている。風邪気味だったし、7時50分の飛行機で帰らなければならなかったので、温泉にはつからず、道後温泉本館の威容を写真に撮り続けた。途中、正岡子規博物館を見学し、戻ってみると日が暮れていて、和洋折衷の木造建築に灯がともる様は、昼間以上に美しかった。

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道後温泉のはずれで、奇跡の光景に遭遇。黒猫が三匹、同じ格好でこちらを睨んでいた。何かの生まれ変わりかしらん。黒猫に、道後温泉に、正岡子規に別れを告げ、タクシーで空港へ。今度はもっとゆっくり来たい。

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2011年12月17日(土)

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多民族研究学会第17回全国大会@松山大学に参加するため、朝いちばんの飛行機で愛媛へ。四国初上陸。松山空港からロータリーバスで松山駅、そこから路面電車で松山大学へ。予想以上にこじんまりとした街で、移動に時間がかからないのは便利。

研究発表は明治大学・大須賀寿子先生の「Steinbeck Heroes に見える影」から。『エデンの東』を対象にジョン・スタインベックの人物造形、「スタインベック・ヒーロー」を検証するもので、とくに中国にも白人アメリカにも属さない中国系移民リーの存在に焦点を当てたところが大変興味深かった。

続く帝京大学・程文清先生の「Racial Indeterminacy and Globalization: Chinese Representations in Celestial Jukebox」は、南部再建期に黒人奴隷に代わる労働力として導入された中国系移民について。やがて再建期が終わり、ジム・クロウ法とともに南部の人種差別社会が再建される。必要とされなくなった中国系移民はプランテーションを去り、黒人居住地域に入り込んで雑貨商となった。彼らは白人と対等に扱われることを望んでいたが、実際には「有色人種」として白人地域から排除されていたからである。一方で、洗濯女や家政婦といった黒人と競合する職業も避けられたため、彼らは白人社会とも黒人社会とも一線を画する少数者として、南部社会に存在し続けることになった。話を聞いて、日暮泰文さんのロバート・ジョンソン伝にも、ミシシッピの中国人雑貨商のことが書いてあったのを思い出した。頼るもののない土地で肩を寄せ合って生きる孤独な中国人老夫婦の姿が目に浮かんだ。

三番目の発表は、京都工芸繊維大学・林千恵子先生による「海辺の民の動物信仰ーsemi-human, semi-animalが語るもの」。アラスカの先住民クリンキットの物語における、動物への変身譚や、自然物を名指ししたり動物を侮辱したりするなどのタブーについて、クリンキットの作家ノラ・ダウエンハウアーによる書き起こし・翻訳をもとに、日本の物語との比較なども交えながら話された。個人的には、物語のもつ曖昧性ということに興味をひかれた。クリンキットの物語にこめられた教訓は曖昧で、聞き手に解釈が委ねられるという。「物語」と聞いて、おばあちゃんが子どもたちに話すようなもの ― 聞く側が質問を投げ返すことで解釈の可能性が広がっていくような ― を想像していたのだが、あとで話を聞いたら、今日とりあげたのはそうした類のものではなく、儀式などで話される変更の許されないものだという。だとすると、それは解釈が委ねられるものというよりは、解釈そのものを拒むもの、曖昧さを曖昧さのまま受け取ることを強いるものであると言うことができるのではないか。

休憩をはさんで、松山大学の伊藤詔子先生の講演「<ブラック・ウォールデン>とソローの8月1日」。ジョン・ブラウンを擁護する演説で知られる奴隷制反対論者ソローだが、近年はその作品から黒人の存在を周到に消し去っているとして、多文化主義的な立場からの批判を受けることが多くなった。伊藤先生のお話は、ソローの豆畑が崩壊した逃亡奴隷と奴隷制廃止論者たちのコミュニティを受け継ぐ試みであったこと、イギリスで奴隷制が廃止された記念日である8月1日という日が持つ意味などを示すことによって、ソローがむしろ黒人の存在を書きこんでいたことを明らかにする刺激的なものだった。たいへん、勉強になりました。

学会後、五色そうめんのお店で懇親会。愛媛の郷土料理は上品な味で美味しい。なかでも、鯛の刺身の美味さは特筆ものだった。

2011年12月12日(月)

Wheatley明治学院非常勤後期第十二回目。「アメリカ文学入門」は、前回やり残したハックルベリー・フィンと逃亡奴隷ジムの関係、ハックがジムとの友情を育むなかで、奴隷の逃亡に手を貸すことは「悪」であるという白人社会の常識に背を向ける作品のクライマックスについて触れたあと、初期の黒人文学について話した。三角貿易の一角をなす奴隷貿易、奴隷船の実態、奴隷制とアフリカ系アメリカ人の歴史などをふまえて、フィリス・ホィートリーの詩と奴隷体験記を取り上げた。野蛮なアフリカから文明の地アメリカへと自分を連れ出したのは「慈悲の力」であるというホィートリーの言葉は、奴隷貿易を正当化する論理をなぞっている。しかし、自ら考え、詩を書く黒人少女という彼女の存在そのものが、「黒人」の概念を覆す力を持っていた。頬杖をついて、考えごとをしながらペンを走らせる姿を描いた彼女の肖像画は、白人たちの驚きを端的に表している。一方、奴隷制反対運動に尽力したフレデリック・ダグラスハリエット・ジェイコブズは、逃亡奴隷としての自らの体験を奴隷体験記に記した。ジェイコブズの体験記は性的関係を迫る主人とのかけひきが感傷小説を思わせるが、彼女にとってのハッピーエンドは「結婚」ではなく、親子そろっての「逃亡」だった。同じく元奴隷で奴隷体験記も書いているウィリアム・ウェルズ・ブラウンの小説『クローテル』については次回。

「アメリカ文化研究(アフリカ系アメリカ人の歴史と文化)」では、前回に引き続き、スパイク・リー監督の映画『マルコムX』を見た。今日はネイション・オブ・イスラムと袂を分かったマルコムが、メッカ巡礼を経て「白人」に対する意識を大きく変えるところまで。


Malcolm X (Full Movie with Arabic subtitles)


2011年12月11日(日)

玄侑宗久現代語訳 般若心経』(ちくま新書、2006)を読み終わった。「色即是空、空即是色」 ― この世の現象はすべて実体がなく、実体がないからこそ現象として立ち現れる ― 『般若心経』の智慧を、観自在菩薩が直弟子シャーリプトラに語るという経典の口承的な成り立ちはそのままに、科学・哲学の知識を差し挟みながら、現代語で読みくだく。それはすべてを変化する関係性のなかに見る哲学であり、決して虚無主義ではない。「『色』を絶対視することは問題ですが、同時に虚無的になることもない、ということなのです。『色』は実相そのものではありませんが、とにかく『実相』はいつも縁起して特定の『色』として顕現するわけです」(50)。もちろん、この本を読んだからと言って、ぼくが「空」を体得できたわけではない。小賢しい「知恵」で世界が「空」であることを理解した顔をしながら、結局は目の前にある「色」に拘泥して、苦しみながら生きていくのだろう。それでもいい。ぼくはまだ念仏のなかに苦しみを解消しようとは思わない。それでも、ぼくの「色」が「仮定された有機交流電燈のひとつの青い照明」(宮沢賢治)であることを理解しておくのは、悪いことではあるまい。


Echistics

チキリカでパーカッションを叩いてもらっているイマイくんのバンドechisticsのレコ発ライブを見に、元住吉POWERS2へ。切ないメロディとチャキッとしたリズムが心地よいレゲエ・ロック・バンドNIKITA、ディジュリドゥ吟遊詩人soleaさんのユニットSOLEA OVERTONE(デジュリドゥというのは最もこの世の実相に近い楽器かもしれない)に続いて、echostics登場。スタイリッシュで、ばかうま。隙のない演奏のなかから滲み出る優しい感触が心地よい。メロディアスでポップな一面と、実験的な部分が上手くかみ合わさっているので、派手な演出はないのに、聞いていて飽きない。ミュージシャンシップにあふれたライブでした。楽しかったです。

2011年12月10日(土)

仕事でドバイに行った父が、お土産にすごい目覚まし時計を買ってきてくれました。うるさいです。けたたましいです。

2011年12月9日(金)

朝から岩波文庫で、般若心経の現代語訳を読んだ。色即是空、空即是色。仏教というのは本来、宗教ではなく、世界が「」(実体がない)であることを認め、「空」に身を任せることなんだな。漢語訳の字だけを書きとる写経は、「空」を体得するためのものなのかもしれない。ガーテーガーテーパラガーテー。

「色即是空」であるからといって、この寒さが「空」になって消えるわけじゃない。でも、そこにあるのは寒さという実体ではなく、「寒さ」という実体のないものを感じる自分の感覚であり、その感覚を与える身体もさまざまな原子が組み合わさってつくられた「空」なのだ。原子と原子が共謀して、「こういうときには<寒い>と感じるようにしよう」と約束したのだ。

でも、寒い。

ああ、そうか色即是空であると同時に空即是色なんだ。この世は空っぽである、というだけではなく、空っぽのものがなぜか実体を持って動き出すということ。例えば、生命がなぜ生まれるのか、根本的なところはわからない。でも、「生きる」と決めたことで、実体のないはずのものが生命を持って動き出す。

つまり、寒いと決めたから、もう、寒い。

2011年12月7日(水)

ヒューバート・サムリンが亡くなった。ハウリン・ウルフのバンドでギターリスト、参謀役を務め、76年にウルフが亡くなるまで行動を共にした。決して器用なギターリストとは言えないが(手首硬そう)、独特のフレーズで親分ウルフを支えた。小悪党的な面構えも好きだった。R.I.P

2011年12月6日(火)

Smile

SMiLE豪華ボックス、キター!!

2011年12月5日(月)

220pxmarktwainloc明治学院非常勤後期十一回目。「アメリカ文学入門」はマーク・トウェインについて。成金が跋扈する19世紀末のアメリカを「金メッキ時代」と皮肉ったトウェインだが、彼自身も牧歌的な開拓時代への郷愁と、山師的な野心をあわせ持つ人物だった。一方で、トウェインは西部や南部の辺境地帯に受け継がれてきた「ほら話」のようなフォークロアを自分の作品に織りこんでいった。『ハックルベリー・フィンの冒険』の冒頭で、トウェインは作品中7つの方言を駆使したとわざわざ断っている。『ハックフィン』が多様な方言に彩られているのは事実だが、果たしてトゥエインが誇示したほど細かい使い分けがされていたかどうか。これもまたトウェイン一流のほら話ととるべきかもしれない。作品に登場する「王様と公爵」を名のるいかさま師もまた、フォークロア的な色合いを加えるのに一役買っている。歯のエナメル質まで溶かしてしまう薬を売ったり、陰で酒を飲みながら禁酒を訴える演説をしたりといった彼らの行動はいかにもめちゃくちゃだが、当時のアメリカで実際にあったことをモデルにしている。薬についてはメディスン・ショーがあり、日本の香具師にも通じるものがある。禁酒の演説については、壇上で酒を(ジンを水だといつわって)飲みながら禁酒を説いた道化師ダン・ライスのような男がいた。作品の重要なテーマのひとつは、黒人奴隷ジムの逃亡である。ジムがいかにもミンストレル的な「まぬけな黒人」として描かれていると批判されることも多いが、作品に書きこまれたジムの姿はハックの限定された視点から見られたものであるということを忘れてはならない・・・ここまで話したところで、タイムアウト。ジムの逃亡を助けるハックの葛藤については次回。

「アメリカ文化研究(アフリカ系アメリカ人の歴史と文化)」では、映画『マルコムX』の続きを見た。今回はマルコムが刑務所でネイション・オヴ・イスラムに入信するところまで。

2011年12月3日(土)

チキリハ(チキリカ・リハーサル。ototoyにて音源配信中)のあと、赤羽の喫茶店『友路有』2号店で、びっくりするほど大きなチョコレート・パフェを食べた。夢のようだった。

松本人志のコント MHK』第2回、第1回とは比べ物にならないくらい面白かった。シュールでクレイジー。これは期待できそうだ。

2011年12月1日(木)

Slave_3

ジェームズ・ウォルヴィン奴隷制を生きた男たち』を読み終わった。貿易商・奴隷船の船長として奴隷貿易に関わり、のちに牧師として「アメイジング・グレイス」をはじめとする讃美歌をつくって、奴隷制廃止論者に転じたジョン・ニュートン、ジャマイカで奴隷を酷使しながら農場を経営したトーマス・シスルウッド、現在のナイジェリアから妹とともに拉致され、世界を転々としながら、奴隷制反対運動で重要な役割を果たしたオラウダ・エクィアノ ― まったく別の立場から奴隷貿易に関わった3人の人物を通して、十八世紀後半、奴隷制がイギリス経済を支える当然の制度から廃止すべき恥辱へと変わっていく過程を浮き彫りにしようとする試み。

それぞれ長い手記を残していることからも分かるように、3人の男たちは「書く」文化に親しみ、啓蒙思想に集約される同時代の新しい知識を吸収している。若いころから宗教的論議に傾倒していたニュートンや、読書を通して最新の知識を取り入れることに余念がなかったシスルウッドの姿は、奴隷を酷使する日常の「残虐さと鋭い対比を示していた」(169)。もちろん、著者も指摘しているように、そうした二面性はナチスの例を挙げるまでもなく、矛盾とも呼べないものだ。それよりも皮肉なのは、奴隷制によって蓄積した富の庇護で発展したヨーロッパの啓蒙思想が、エクィアノに自伝を書かせ、ニュートンを内側から変え、多くの奴隷廃止論者をして奴隷制を突き崩させたことである。

また、シスルウッドのような孤独な白人は、黒人奴隷たちを支配しているように見えながら、実は彼らの助けなしには生きていけない。「彼らは、見たところ万全で、奴隷たちに対してしたい放題をできるようであったが、しかし同時にその同じアフリカ人に依存してもいた。シスルウッドは彼らがいなくては生き延びられなかった」(144)。奴隷の女性たちとの性的関係に耽溺し、奴隷たちに残虐な罰を与えたシスルウッドは、そうした行為、またそうした行為を記録することによって、空虚な自分の存在を証明しようとしていたのかもしれない。

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