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2011年12月19日(月)

200pxwalt_whitman_edit_2明治学院非常勤後期第十三回目。「アメリカ文学入門」は前回やり残したウィリアム・ウェルズ・ブラウンの小説『クローテル』について、トーマス・ジェファーソンと奴隷の女性サリー・ヘミングスの関係という背景にも触れながら、あらすじを紹介したあと、ウォルト・ホイットマンと『草の葉』について概説した。詩人になる前のホイットマンはジャーナリストとして、また民主党員として、南部と北部が対立を深めるアメリカの政治に深く関わっていた。ホイットマンは奴隷制拡大阻止を掲げた民主党の分派=自由土地党を支持した。自由土地党は奴隷制の拡大には反対したが、ソローが大義のない戦争として弾劾した対メキシコ戦争には、「明白なる宿命」という言葉に象徴される拡大主義の立場から支持した。メキシコとの戦争で獲得した土地への奴隷制導入を阻止するというのが、自由土地党の党是だった。しかし、奴隷制の拡大は阻止できず、自由土地党とホイットマンは敗北する。その敗北のなかから、詩人ホイットマンは誕生した。1855年、彼は詩集『草の葉』を自費出版。目に映るものをすべて歌いこむ貪欲さで、アメリカの多様さを言祝いだ。それは人間、自然、さらには人間が作り上げた人工物も含むすべてのものを歌いこむことで、そのエネルギーを循環させるような力強い自由詩だった。

「アメリカ文化研究(アフリカ系アメリカ人の歴史と文化)」は、スパイク・リー監督の映画『マルコムX』を最後まで見たあと、マルコムXの意思を受け継ぐブラック・パンサーについて少し話した後、公民権運動の時代を象徴する音楽としてのソウル・ミュージックについて話しはじめた。


Malcolm X (Full Movie with Arabic subtitles)

・・・というわけで、映画を見終わりました。ちょっとだけ補足説明をしておくと、マルコムXを「アフロ・アメリカンの王子」と称える言葉が読みあげられていたけど、あれはジェイムズ・ボールドウィンという作家がマルコムの死を悼んで詠んだ詩です。1950~60年代にアフリカ系アメリカ人の作家として注目を集めたボールドウィンは、ゲイでもあってね。言わば、二重に差別された立場から作品を書いた人でした。時間があれば、次回の授業で詳しくお話ししたいと思います。

それから、最後、学校の教室で子供たちがひとりひとり立ちあがって、「アイ・アム・マルコムX!」というシーン、あれ、途中で場所が変わるね。英語のアクセントも変わる。アメリカの教室から、南アフリカの教室へ。アメリカ英語から、アフリカ訛りの英語へ。そして、教壇に立っているのはアパルトヘイトの撤廃に尽力したネルソン・マンデラだ。ちなみに、その前のシーケンスでSOWETOと書かれた大きな横断幕を掲げて、デモ行進をしている人たちの映像が挿入されているのに気づいたかな?ソウェトっていうのは「サウス・ウェスタン・タウンシップ」の略、ジョハネスバーグ最大の黒人居住区だね。以前、南アフリカにはアパルトヘイトっていうアメリカ南部の人種隔離をもっと厳しくしたような制度があって、アフリカ人の人たちは「私はここで白人のために働いています」っていう証明書(パス)がなければ、白人の町に入ることも許されなかったんだ。この映画が発表されたのは、南アフリカでは長年拘禁されていたネルソン・マンデラが釈放され、アパルトヘイトが廃止されようとしているときのことだった。つまりね、マルコムXは殺されたけど、闘いは続いていくってこと。

Huey_n1そして、闘いは続けられた。マルコムXの考えに共鳴した若者たちが行動を起こしたんだ。そのひとつがブラック・パンサー党。正確には「自衛のためのブラック・パンサー党」という。党名からわかるように、マルコムXの「自衛」という考えを受け継いだグループだった。1967年にカリフォルニア州オークランドで、ヒューイ・ニュートンボビー・シールら黒人の若者たちによって結成され、そこにジャーナリスト出身のエルドリッジ・クリーヴァーなんかが加わった。彼らはね、黒豹って名前もそうだし、写真なんかを見ても戦闘的なイメージが強い。でも、それだけじゃない。例えば、ゲットーの子供たちに無料で朝食を配布したり、あるいは交通事故が多発している交差点で交通整理をしたりね、コミュニティ内の地道な活動も行っているんだ。こうした活動もただの人気取りではなくてね、人種差別と関係がある。お腹の空いた子供たちは学校で勉強に身が入らない。だから、成績もあがらないし、結局、知識を身につけてゲットーを脱出することができない。また、黒人ゲットーの交差点にはどんなに交通事故で子供たちが死んでも信号がつけられることはなかった。彼らはこうした問題を自らの手でひとつひとつ解決しようとしていたんだ。それに、彼らはラディカルな白人との共闘も視野に入れていたことも指摘しておかなければならないね。当初、彼らのスローガンは「パワー・トゥ・ザ・ピープル」(人民に権力を)だった。もっとも、SNCCの議長で、「ブラック・パワー」を唱えるストークリー・カーマイケルが合流することによって、その点は少し混乱するんだけど・・・結局、カーマイケルは他のメンバーと対立してブラック・パンサーと袂を分かちます。一時期は党員が5000人を超えるまでに膨れあがったブラック・パンサーだけど、FBIや当時カリフォルニア州知事だったロナルド・レーガンによる弾圧を受けて崩壊していった。

さて、今日は盛りだくさん。残った時間で音楽の話をしたいと思います。ソウル・ミュージックです。最近だと、アフリカ系アメリカ人のポピュラー音楽は、一般にR&Bって呼ばれるね。そのなかにはヒップホップも含まれるかどうか微妙だけど ― ヒップホップっていうのは音楽だけのムーブメントじゃないし、特に初期のころには黒人だけじゃなくてヒスパニックなんかも重要な役割を果たしているからね。でも、まあ、ヒップホップ以降のアフリカ系アメリカ人の歌もののことを総称してR&Bっていうようになってきているのかな。70年代から80年代にはね、ブラック・コンテンポラリーなんて呼ばれていた。なんか、いかにもレコード会社がつけたような、味気ない名前だね。その前、50年代後半から70年代初めに使われていたのが、ソウル・ミュージックという呼び方だ。ちなみにその前はどうかっていうと、やっぱりR&Bって言葉が使われていたんだ。もっとも今みたいに、アールアンビーって読むことは少なくて、リズム・アンド・ブルースって呼ばれていたみたいだけど。この言葉はね、それ以前、ブルースの時代に使われていた「レイス・ミュージック」って言葉を改めたものだった。レイス・ミュージック・・・「人種音楽」っていかにも差別的でしょ。それなら白人の音楽だって、白人種音楽だろうっての。さすがにね、レイス・ミュージックはいかんだろって気がついてつくられたのがR&Bって言葉だったんだ。

レイス・ミュージックにしても、R&Bにしても、ブラック・コンテンポラリーにしても、音楽チャートのジャンル分けのために考え出されたようなところがある。それに対して、ソウル・ミュージックはちょっと違うね。ソウル=魂っていうのは、うまく説明しにくい、アフリカ系アメリカ人の文化的エッセンスを表現したような言葉だ。世界の音楽にはこういう説明できない文化的エッセンスを表したような名前を持つものがたくさんある。例えば、ニューヨークのラテン音楽にサルサっていうのがあるけど、あれももともとはソースっていう意味で、キューバやプエルトリコからニューヨークに渡ってきた人たちの文化的エッセンスを表していると言っていい・・・じゃあ、ソウル・ミュージックってどんな音楽だったんだって話なんだけど・・・説明しにくいから、「ソウル」って一言で済ませてるところもあるんだけどね。ある意味でそれは、まさに公民権運動の時代を象徴するような音楽だったんだと思う。ソウル・ミュージックの成り立ちには一見矛盾する二つの特徴がある。ひとつはね、ゴスペルへの回帰っていうこと。もうひとつは白人との共同作業ってこと。ゴスペルへの回帰っていうのは、アフリカ系アメリカ人のルーツへ帰るってことだね。一方で、ソウル・ミュージックは白人のバック・ミュージシャンによって支えられていた。一種の人種統合だね。ルーツの見直しと人種統合 ― まさに公民権運動的だと思わない?

今回はこの後、ゴスペル回帰の一例として、レイ・チャールズの伝記映画『レイ』から、レイが恋人にゴスペル曲にのせて世俗の愛を歌う新曲「アイ・ガッタ・ウーマン」を聞かかせるシーンを見た。ソウル・ミュージックについての詳しい話は年明けに。

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