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2011年11月21日(月)

Scarlet_letter明治学院非常勤後期第九回目。「アメリカ文学入門」では、ナサニエル・ホーソン緋文字』を原作とする、デミ・ムーア主演の映画『スカーレット・レター』(1995)を見た。ネット上でこの映画の評価を見てみると、すこぶる悪い。たしかに、映画は原作とは似て非なるものだ。とくに大活劇の末のハッピーエンドは、ホーソンが周到に避けている楽天的なメッセージに、物語を収束させてしまっている。また、原作は不倫関係そのものはあえて描かずに、ヘスター・プリンやアーサー・デムズデイルの内面に焦点を当てていたのに、映画は不義の恋をドラマティックに描くことでハリウッド的なラブ・ストーリーにしたてあげている。とはいえ、ネイティヴ・アメリカンや魔女、黒人奴隷といった、原作では後景に追いやられていた「他者」の存在にスポットを当て、デミ・ムーアに強い女性を演じさせることで、原作にはなかった現代的なテーマを反映させており、見るべき点がないわけではない。神秘的な映像で描かれる森の美しさや、植民地時代のアメリカを再現した舞台装置なども、印象に残る。今日は原作では描かれなかった前半、ヘスターが絞首台に引きずり出される直前まで見た。授業後、アンケートを見ると、「ヘスターがここまで責められる理由があるでしょうか」という女子の意見に対し、「夫が死んですぐにデムズデイルとエッチするなんて、ヘスターひどすぎ」という男子がいて、ちょっと笑った。

「アメリカ文化研究(アフリカ系アメリカ人の歴史と文化)」では、ニューポート・ジャズ・ファスティバルにおけるマディ・ウォーターズの映像を見たあと、公民権運動の「非暴力不服従」という戦略が、キング師が先導した運動、キング師に共鳴した学生を中心とする若い人たちの運動のなかに展開していく歴史と、それに対する人種差別主義者の反動を見た。

今日、最初に見てもらったのは、マディ・ウォーターズっていう人の演奏です。この授業でも何度か話したように、19世紀の終わりぐらいから、たくさんのアフリカ系アメリカ人が人種差別の厳しい南部を捨てて、北部の都市に移り住みます。そういう移住者たちとともに、南部の泥臭いブルースが北部に持ちこまれます。例えば、北部の大都市であるシカゴでは、前期に紹介したロバート・ジョンソンみたいな、ミシシッピのブルースが電気化・バンド化されて、シカゴ・ブルースっていう音楽が生まれる。1940年代から50年代のことだね。マディ・ウォーターズはその親分みたいな人ね。「マディ・ウォーターズ」っていうのは、子供のころ泥だらけになって遊んでいたところからつけられたあだ名らしい。黒人の人たちはこういうあだ名を使うの好きだね。この間紹介したハーストンの『彼らの目は神を見ていた』のなかにもティー・ケイクなんてのが出てくるし、ヒップホップにもアイス・Tなんて人がいたりね。ちなみに、シカゴ・ブルースでマディのライバルだった人は「ハウリン・ウルフ」って名のっていた。吠えるオオカミ、だね。その名の通り、すごい声で・・・「(だみ声で)ハウメニモイャーズ♪」とまあ、こんな感じで歌う人だった。それで、吠えるオオカミ。

さて、今日は前回に引き続き、マーティン・ルーサー・キングの話から。キング師っていうと「非暴力」ってことが強調されがちだけど、それだけだけじゃない。キング師について「非暴力」というときには必ず、「不服従」とセットで考えなければならない・・・っていう話をしました。裁判闘争の限界を補うために考え出された直接行動(デモとか、座り込み)。 「非暴力」っていうのは、それを暴力を使わずにやるっていうことなんだ。でも、絶対に服従しない。こういう運動に対して、何でそんな過激なことをするんだ、アメリカは民主主義の国なんだから、話し合いで解決すればいいじゃないか・・・っていう人たちもいた。そういう人たちに、キング師は「そうです。話し合いこそがわたしたちの求めるものです」って言うんだ。実際には、人種差別をなくすための話し合いはずっと拒否されてきたんだからね。「話し合うことなんてないよ」っていう人たちに、話し合わなければならない問題があるということを気づかせる必要がある。そのためには、緊張をつくりださなければならない。ただし、非暴力的なやり方で。デモや座り込みを続けると、逮捕されたり、暴力的に排除されたりする。それでも運動を続けていると、その姿を見て「何かがおかしいんじゃないか」という人たちが増えてくる。これこそがキング師たちの戦略だったんだ。

300pxbirmingham_campaign_dogs

バス・ボイコット運動のあとも、キング師は次々と新たな運動を展開していきます。例えば、1963年、アラバマ州最大の都市バーミンガムで実施された「C計画」。Cっていうのは、市当局との対決(Confrontation)を意味している。緊張をはらんだ「対決」をつくりだすために、座り込み、デモ、祈りの巡回、集会なんかが行われたんだけど、市当局はこれを徹底的に排除しようとした。市長選に敗れたばかりの保安局長ユージン・”ブル”・コナーに指揮された警察は、警察犬や高圧ホースで運動に参加する人びとに襲いかかった。警察犬だよ。かみつかれて怪我をする人がたくさん出る。高圧ホースもね、2階、3階まで届くように勢いよく水が出るようになってるからね。そんなので水をぶっかけられるんだから、ふっとばされて壁に激突、大けがをする。たくさんの逮捕者が出て、キング師自身も逮捕された。こういう酷い弾圧が、当時広まり始めたテレビで全米に放映された。それを見て、「何かがおかしい」と思う人も増えてくる。結局、こいつは商売にならないと思った白人の実業家たちが仲介に入って、食堂での差別撤廃、雇用の公正、逮捕者の釈放、公共学校での共学促進などを市当局が約束することになったんだ。

同じ年、首都ワシントンの記念塔広場で、新公民権法の成立と人種隔離の撤廃を求める史上最大規模の行進 ― いわいるワシントン大行進 ― が行われます。ちなみに、この年はどんな年だかわかる?前期からこの授業を取っている人は百年前のことを考えてみてください。1963年の百年前っていうと、1863年・・・奴隷解放宣言が出された年だね。つまり、1963年は奴隷解放宣言から百年目だったってことだ。奴隷が解放されて百年たつのに、まだ人種差別はなくならない・・・そのことを訴えるための行進だったんだね。行進のあとリンカーン記念堂で行われた集会で、キング師は有名な「私には夢がある」っていう演説をします。この演説もね、「私には夢がある。いつの日かジョージアの赤土のうえで白人の子供と黒人の子供が・・・」っていう美しいフレーズばかりが知られているけどね、その他にもいろいろ言っている。奴隷解放から百年もたっているのに、まだ黒人は自由になっていない。われわれは、元奴隷を自由にするという「空手形」を現金に換えるためにここに来たのだ・・・とかね。それを記念堂の大きなリンカーン像の前で言うわけね。

Greensborositins

さて、こうしたキング師たちの運動に共鳴して、若い人たち ― みんなと同じぐらいの年ごろの大学生なんか ― も動き出します。そのなかには、黒人はもちろん、白人もいました。例えば、シット・インっていうのがあります。写真を見てください。これね、黒人の若者がずらっとカウンターに並んで座っている。といっても、みんなで仲良くお食事するわけじゃないよ。ここは黒人は客としては入れない、「白人専用」のランチ・カウンターなんだ。こういうところに、黒人がわざと入っていって、席に座る。ぶん殴られて追い出されることもあっただろうね。でも、多くの場合、注文を聞いてもらえずに無視される。まあ、ぼくの大嫌いな言葉だけど、「空気読めよ」ってことかな。黒人の人たちはね、ずっと空気読めよって言われてきたんだな。ここは白人の国なんだから、空気読めよ。空気読んで大人しくしてろよ・・・ってね。それを、いや、私たちはあえて空気を読まない。おかしいことはおかしいって言う!って言ったのが、公民権運動だったんじゃないかと思うんだ。白人用のカウンターに座りこんだ黒人の若者は、「空気読めよ。ここは白人用の店なんだから出て行けよ」っていう冷たい視線に耐えながら、閉店まで座り続けた。こういう運動が1960年、ノースカロライナ州のグリーンズボロっていうところではじまって、全米9つの州に広がっていったんだ。そして、学生たちの粘り強い闘いによって、各地で人種隔離が撤廃された。この運動をきっかけにして、「学生非暴力調整委員会(SNCC)」っていう学生による公民権運動の組織もできた。

Freedomrides

それから、1961年に行われた、自由のための乗車運動(フリーダム・ライド)っていうのを紹介しておこう。これはね、白人と黒人の若者が2台のバスにのって、首都ワシントンからニューオリンズまでを旅するっていうものだった。え?それだけ?って思うかもしれない。でも、人種差別の厳しい南部を通っていくわけだからね、白人と黒人が仲良く一緒のバスに乗っているっていうだけで、たいへんなことだったんだ。しかも、3か月前に、長距離バスのバス・ターミナルでの人種隔離を禁じた最高裁判決が出ていて、行く先々のバス・ターミナルで判決が守られているかどうかを確認するという意味もあったんだ。案の定、この運動は各地で妨害にあう。暴徒の襲撃を受けたり、警察に逮捕されたりして、怪我人も出た。しまいにはタイヤが擦り切れて停車していた一方のバスが火炎瓶の襲撃を受けて炎上する。残ったバスもKKKの襲撃を受けて、フリーダム・ライドは続行が不可能になってしまった・・・でも、運動をこのまま終わらせてはならないと考えたSNCCの指導者たちは、新たな「乗客たち」によって運動を受け継ぐことを決意する。その後、アトランタでまたもや暴徒に襲われたものの、ケネディ大統領が事態の沈静化をアラバマ州当局に強く求めたこと、支援の学生が次々と到着したこともあって、バスはなんとかミシシッピ州ジャクソンに到着した。でも、そこで待ち構えていた警官によって乗客全員が逮捕されてしまう。結局、ニューオリンズには到着できなかったんだけど、フリーダム・ライダーたちの命がけの闘いによって、11月、長距離バスとその施設における人種差別を禁止する法律が施行されたんだ。

Emmett_tillmerge

こうして、公民権運動が広がりを見せていく一方で、フリーダム・ライドが執拗な妨害を受けたことからも分かるように、人種差別主義者の抵抗も激しさを増していった。例えばね、エメット・ティル事件。北部に住んでいたエメット・ティルっていう黒人の少年が、南部ミシシッピ州に住むおじさんのところに遊びに行った。北部に住んでる少年だからね、南部の人種差別の厳しさは知らない。雑貨屋の白人女性に声をかけた、とか、口笛を吹いたとか言われてるんだけど、はっきりしたことはわからない。ともかく、ちょっとした関わりを持っただけの理由で、顔かたちがわからなくなるほどに殴られて、近くの川から無残な死体となって発見された。さらに酷いのは、二人の容疑者が、白人だけの陪審員によって無罪になったこと。2004年に裁判のやり直しが行われるまで、彼らは罪に問われることがなかった。エメット・ティルのお母さんはね、息子の無残な姿を人目にさらしたくなかったと思うよ。でも、南部の差別がいかに酷いかってことを訴えるために、棺桶をオープン・カスケット(蓋が透明)にしたんだ。つらかったと思うけどね・・・

それから、1963年6月12日、ケネディ大統領がTV放送で今までになく強烈に公民権運動を推進する決意を表明した同じ夜、車で帰宅したNAACPミシシッピ州支部ディレクターのメドガー・エヴァーズが、何者かの銃弾を背中に受けて倒れ、病院に運ばれたものの、出血多量で死亡する。この事件でも容疑者は証拠不十分で無罪になっている。1989年になって、ある新聞記者が新しい証拠を発掘したことで、裁判がやりなおされ、事件から10年以上たって容疑者はようやく有罪の判決を受けた。この顛末はウーピー・ゴールドバーグ主演で『ゴースト・オブ・ミシシッピ』(1996)っていう映画になってるから、ぜひ見てみてください。その他にも、1964年にミシシッピで3人の若い公民権運動家がKKKにリンチの末殺されるという事件がありました。これも『ミシシッピ・バーニング』(1988)っていう映画になっていますが、これは嘘っぱち。映画ではFBIが事件を捜査したとして、英雄的に描かれていますが、実際には何もしなかったのが事実です。

こうした南部に渦巻く人種差別主義者たちの暴力に対する苦い怒りを、J・B・ルノアーというブルースマンが歌っています。こんな歌詞です。

ウサギの禁猟期ってのがある
ウサギを撃ったら、あんた、刑務所行きだ
ところが人には禁猟期なんてない
誰も保釈金を払う必要はないのさ
ミシシッピじゃ
俺が生まれたミシシッピじゃ・・・

さて、最後にもう一度、マーティン・ルーサー・キングの話を。キング師は最後の最後になって大きな転換を遂げます。ひとつは制度的な差別である人種隔離の撤廃から、貧困との闘いへと運動の軸足を移していきます。ジム・クロウ法という制度がなくなっても、長年の差別から貧困にあえぐ人たちは苦境から抜け出すことができない。そして、そのことと関係しているのですが、1967年、暗殺される前の年に、ベトナム戦争反対を表明します。アメリカはベトナムに自由を与えるために戦うという。黒人の兵士が本国では夢見ることも許されない「自由」をね。戦場では肩を並べて人殺しのために協力している白人と黒人の兵士は、国に帰れば同じレストランで食事をすることも、同じ学校で勉強をすることも許されない。戦場に送られるのは、いつも貧しい者たちだね。例えば、軍隊に占める黒人の割合は、アメリカの人口に占める黒人の割合よりもずっと多い。第一、ベトナム戦争にかけているお金があれば、もっと手厚い貧困対策ができるはずだ。「私は貧しいものがこのように残酷に操作されるのを見て、黙っていることはできませんでした」 ― キング師はこう言って、ベトナム戦争反対の立場を明らかにした。

キング師がメンフィスで銃弾に倒れたのは、そのちょうど一年後のことだった。

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